『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』 を斬る 《跡地》



Q&A - 0 何が問題か 「慰安婦」制度と公娼制 

 - 6 朝鮮戦争とベトナム戦争でもあったのか? を斬る

 引用元URL → http://fightforjustice.info/?page_id=166 (なお魚拓は無効な構造です)

   ↓ ↓ ↓

 発覚したのは、平成25年12月03日ですが、webサイト 『 Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却 への抵抗・未来の責任 』 の構造が変更になり、魚拓の取得が可能になりました ( 一部で取得エラー が出ますが ) 。 さっと目を通した限りで文章の変更は無い様に思われます。


 0-6 朝鮮戦争とベトナム戦争でもあったのか?
 http://fightforjustice.info/?page_id=2423 ( 魚拓 )


 以下、青い色の文字がwebサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責 任』からの“引用”です。


 Q&A編 0 何が問題か 「慰安婦」制度と公娼制

 6 朝鮮戦争とベトナム戦争でもあったのか?

 橋下氏などがこういう理屈を持ち出して、
 日本軍だけではなかった、だから日本だけが批判されるのはおかしい
 という論拠にしようとしています。

 朝鮮戦争のときに韓国軍は日本軍と同じような慰安所を設け、
 また韓国政府が米軍のために慰安所を提供したことがありました。
 これは韓国において、韓国軍の資料などを使った研究が出ています。
 これ自身、たいへん大きな問題で人権蹂躙行為です。

 ただなぜ1950年代において韓国軍がこうした慰安婦制度を作ったのかを考えると、
 当時の韓国軍の幹部は旧日本軍や、日本軍の指揮下にあった旧満州国軍の軍人たちが
 多数いました。 いわゆる対日協力者たちが韓国軍を握っていたのです。

 その代表的な人物で、後に軍事クーデターをおこして政権を奪い、
 長期軍事独裁政権を指導した朴正熙を見ると、
 彼は満州国の軍官学校を出て、さらに日本の陸軍士官学校も卒業しています。
 そして戦時中は、満州国軍の将校です。
 満州国軍とは日本軍の指導下で、満州の抗日ゲリラの討伐をやっていた軍隊です。
 日本への抵抗派、独立派を弾圧していた人物であり、典型的な親日派です。
 朴正熙は、陸軍士官学校では、陸士第57期ですが、このときの陸軍士官学校校長は
 後に沖縄の第三二軍司令官になる牛島満です。
 第三二軍は組織的に大規模に沖縄各地に慰安所を設置したことは有名です。

 つまり旧日本軍出身者が握っていた韓国軍は、日本軍のやり方を真似たのです。

 

 ガチで旧日本軍の親日派がこんなこと出来るワケないだろ。

 

   wikipedia「李承晩ライン」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/李承晩ライン
   > 概要
   >
   > 韓国による日本船舶の拿捕(1953年12月)
   > 李承晩ライン反対デモ(1953年9月15日)
   >
   > 李承晩ラインは、建国されたばかりの韓国が海洋資源の独占、領土拡張を目的とし、
   > 廃止が目前であったマッカーサー・ラインの代わりに独断で公海上に突如設定した
   > 排他的経済水域である。
   > この海域内での漁業は、韓国籍漁船以外では行えず、これに違反したとされた漁船
   > (主として日本国籍、ほか中華人民共和国国籍)は韓国側によって臨検、拿捕、接収、
   > 銃撃を受けるなどした。
   > 銃撃により乗組員が殺害される事件も起こっている(第一大邦丸事件など)。
   >
   > これに日米両国は「国際法上の慣例を無視した措置」として強く抗議したが、
   > 日韓基本条約締結の際の日韓漁業協定の成立(1965年)により、
   > ラインが廃止されるまでの13年間に、韓国による日本人抑留者は3929人、
   > 拿捕された船舶数は328隻、死傷者は44人を数えた[3]。
   > 抑留者は6畳ほどの板の間に30人も押し込まれ、
   > 僅かな食料と30人がおけ1杯の水で1日を過ごさなければならないなどの
   > 劣悪な抑留生活を強いられた。
   > 共産主義者だとわかると抑留期間も数年間におよんだ[4]。


   Youtube「韓国は侵略国 日本人虐殺・拉致事件」
   http://youtu.be/qdkKuaNkPdk
   560x315
   



 朝鮮戦争の例を持ち出して、日本軍「慰安婦」制度を弁護するのは筋違いでしょう。
 むしろ日本軍の悪習(犯罪)が、韓国軍にも受け継がれてしまったことを
 反省しなければならないのではないでしょうか。

 
 
 日本が泥棒に入った所為で韓国は泥棒の技術を学んでしまった。

 だから韓国は悪くない。 日本が悪い。

 ・・・これが正論に見えるなら一度病院で脳を看て貰った方がイイと思います。

 誰に教わろうが犯罪は犯罪です。

 韓国が何も言っていないのに、日本が特殊慰安婦を使って韓国を糾弾したというのであれば、
 「 お前が先に日本軍従軍慰安婦をやったんじゃねーか。 手前の罪を棚に上げるな 」
 と反論する資格が韓国側にあると思います。

 しかし、日韓基本条約に基づいて解決済みである慰安婦問題を使い、韓国が日本に対して誹謗中傷 の罵りを行って、改めて謝罪と新たな追加賠償を求めている現状に対して、日本側が
 「 お前だって特殊慰安婦じゃ日本の慰安婦以上にエゲツナイ人権蹂躙をやってるじゃねぇか。
  ソッチを謝罪してから、コッチへ文句を言いに来い 」
 と反論するのはアタリマエです。

 似たような事(ちなみに内容は韓国の特殊慰安婦の方が万倍エゲツナイです ―― 詳しくは既出のソース

 2013-05-22 中国の歴史歪曲、韓国の歴史捏造
   特殊慰安隊 〜韓国の「従軍」慰安婦〜
   http://ameblo.jp/yamasiro04/entry-11535923536.html
   > 前回、韓国軍がベトナム人約30万人を虐殺し、虐殺を免れたベトナム人女性を
   > 強制連行して慰安婦として韓国兵や米兵の相手をさせた ことについて触れたが、
   > 韓国の慰安婦はこれだけではない。
   >
   > 朝鮮戦争当時、韓国は慰安婦を徴集して、これを「特殊慰安隊」と名付け、
   > 組織的に軍の管理下に置いた。
   > 米兵や韓国兵による婦女暴行事件が多発したため、これを阻止することを目的とした
   > ものであった。
   >
   > さてこの慰安婦、徴集に自発的に応じた者もいたが、
   > 北朝鮮軍看護婦や北朝鮮の一般人で、韓国軍によって捕えられ、強制されて
   > 慰安婦にされた者もいた。
   > これこそ正に韓国の正規軍による強制連行であり、性奴隷(sex slave)の名に相応しい。
   >
   > 韓国軍慰安婦は、1996年に韓国内で明るみに出たが、韓国内では
   > 「 身内の恥を晒すな 」、「 日本極右の弁明の材料になる 」
   > として、韓国国防部所属資料室の慰安婦資料の閲覧が禁止されるなど、
   > 国を挙げて事実の隠蔽に邁進している。


   Hatena::keyword「特殊慰安隊」
   http://d.hatena.ne.jp/keyword/特殊慰安隊
   > 1951年頃から1954年まで運用した韓国軍慰安婦の呼称。
   > 固定式施設だけではなく、移動式運用の「従軍慰安婦」の仕組みもあった。
   > 捕虜となった朝鮮人民軍女軍、女性パルチザンゲリラ、そのほかに
   > 朝鮮人民軍や中国の人民志願軍の占領地内の住民である朝鮮人女性のうち
   > まだ疎開しなかった女性などは、共産主義者を助けたの名目で強制的に性奴隷にした。

 を再読ください)をやっておきながら、自分の犯行は棚上げにして、相手の犯行を罵る事は許されませ ん。

 それは卑怯者のすることです。

  ・
  ・
  ・

 というか。 似て非なる物だろ。 日本軍の慰安婦制度と韓国軍の慰安婦制度って。

 

   wikipedia「韓国軍慰安婦」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 10 韓国の慰安婦に関する諸説
                             - 10.1 日本軍慰安所との関連
   《前略》
   >
   > また、「慰安(婦)」という言葉が共通していることなどから韓国軍慰安婦は
   > 旧日本軍慰安婦にならってつくられたと考えられている。
   > しかし、旧日本軍の慰安婦が民営であったのに対し、韓国軍の慰安婦は軍直営を超えて
   > 「慰安隊」として正規の軍組織となっていた点で大きく異なる。
   > なお、日本軍慰安婦の場合は公募によるものであり、当時の公務員の平均給与を超えた
   > 高額給与が慰安婦に支払われていた(日本の慰安婦参照[20])。
   > 韓国系アメリカ人の研究者でサンフランシスコ州立大学教授のサラ・ソー (C. Sarah Soh) は
   > 2009年の著書で、慰安婦を「性奴隷」や戦争犯罪とむすびつけて描写するのは不正確である
   > としたうえで、韓国政府と韓国議会が日本軍慰安婦問題を扇情的に扱い、異論を許さない
   > まま「日帝による被害の物語」を国民に押し付け、誤導したと批判している[65]。
   > ソー教授は「慰安婦が強制連行された」という物語は陳腐な教義[66]であり、
   > 韓国政府の政治戦略的な誇張が慰安婦問題の深い理解とその解決を妨害しているとして、
   > 韓国社会が被害者意識から脱却すること、また韓国もまた元慰安婦にトラウマを与えた
   > 共犯者であり、慰安婦制度それ自体は戦争犯罪ではなかったことを受け入れるべきだ
   > とした[65]。

 完全にオリジナルですよ。 韓国軍独自のシステムです。

 慰安婦の扱いなんて、日本軍の生温い慰安婦制度とは比べ物になりません。

 再び
 

   wikipedia「韓国軍慰安婦」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊

   > 大韓民国政府は、韓国軍と国連軍のための慰安所を運営した[18]。
   > 韓国軍は直接慰安所を経営することもあり、韓国陸軍本部は特殊慰安隊実績統計表を
   > 作成していた[2][3]。
   > 部隊長の裁量で周辺の私娼窟から女性を調達し、兵士達に補給した[6]。
   > 韓国軍によりトラックで最前線まで補給された女性達は、夜になると開店し
   > アメリカ兵も利用した[6]。
   >
   > 韓国戦争以降1990年代まで在韓米軍の韓国駐留時[19]に大韓民国の国軍によって
   > 強行され、大韓民国の国軍と在韓米軍の性的欲求を解消する目的で強制的に
   > 集団的性行為を強要された事例もある。


   wikipedia「韓国軍慰安婦」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊 - 3.1 「特殊慰安隊」

   > 韓国軍が1951年-1954年まで「特殊慰安隊」という名前で、
   > 固定式あるいは移動式慰安婦制度を取り入れて運用したことは
   > 韓国陸軍本部が1956年に編纂した公式記録である『後方戦史』の人事編と
   > 目撃者たちの証言によって裏付けられた[20]。
   >
   > 韓国軍は慰安婦を「特殊慰安隊」と名付け、慰安所を設置し、
   > 組織的体系的に慰安婦制度をつくった[21][22]。


   wikipedia「韓国軍慰安婦」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊 - 3.2 第五種補給品

   > 尉官将校だった金喜午の証言では、陸軍内部の文書では慰安婦は「第五種補給品」と
   > よばれた[21][23]。
   >
   > 軍補給品は1種から4種までだったため、そのように呼ばれた[21][23]。


   wikipedia「韓国軍慰安婦」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊
                             - 3.3 韓国軍慰安婦の類型

   > 金貴玉によれば、韓国軍慰安婦の類型には、軍人の拉致、強制結婚、性的奴隷型、
   > 昼は下女として働き、夜には慰安を強要されたり、また慰安婦が軍部隊へ出張する事例も
   > あった[21]。
   >
   > また、正規の「慰安隊」とは別に部隊長裁量で慰安婦を抱えた部隊もあった[24]。


   wikipedia「韓国軍慰安婦」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊 - 3.4 設置理由

   > 特殊慰安隊の設置理由は、兵士の士気高揚、性犯罪予防であり、
   > これは日本軍慰安婦と同様のものであった[21]。
   > 計画は陸軍本部恤兵監室が行い[21]、1950年7月には韓国政府は軍作戦識見を
   > 米軍を中心とした国連軍に譲渡しており、最終的な承認は連合軍が行ったとされる[21]。
   > 韓国政府・軍は慰安婦に対して
   > 「 あなたたちはドルを得る愛国者 」
   > として「称賛」されたという[25][9]。


   wikipedia「韓国軍慰安婦」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊
                             - 3.5 慰安婦の輸送方法

   > 慰安婦は前線に送られる際には、ドラム缶にひとりづつ押し込めて
   > トラックで移送し前線を移動して回り、米兵も利用した[22][6][26]。


   wikipedia「韓国軍慰安婦」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊 - 3.6 設置時期と場所

   > 韓国政府は、韓国軍だけではなく国連軍のための慰安所も運営した。


   wikipedia「韓国軍慰安婦」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊
                             - 3.8 朝鮮戦争時の慰安婦の数

   > 総数は不明。 金貴玉教授は朝鮮戦争直前の私娼の数5万人を下ることはないと見ている。
   > なお、朝鮮戦争後には性売買をする女性は30万人余りに達したと推測されている。[20]
   > 韓国陸軍本部が1956年に編さんした公文書『後方戦史(人事編)』によると
   > 韓国軍慰安婦は1952年における4小隊に限ったケースだけでも
   > 89人の慰安婦が204,560回の行為を行わされた[2][3]。


   wikipedia「韓国軍慰安婦」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊 - 3.9 強制連行

   > 韓国軍慰安婦のケースでは
   > 韓国政府やアメリカ政府による強制があったとされている[25][2][3][30]。
   > 韓国における慰安婦はアメリカ兵に残忍に殺害されることや、アメリカ兵によるとされる
   > 放火で命を落とすこともあった[30]。


   wikipedia「韓国軍慰安婦」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊
                             - 3.10 国連軍による性暴力と強制連行

   > 崔吉城は論文「朝鮮戦争における国連軍の性暴行と売春」において、
   > 朝鮮戦争時には敵国ではない韓国において国連軍がソウル市北部の村で
   > 日中、シェパードを連れて女性を捜索し、発見後に強姦に及んだり、
   > またジープにのって民家を訪れ女性を強制連行して性暴力をはたらいたことや、
   > 韓国人兵士が韓国人女性に性暴力や性拷問をはたらいたことを紹介している[31]。
   > 性暴力をうけたのは女性だけでなく、10歳位の男子がフェラチオを強要され
   > 喉が破裂したこともあった[31]。


   wikipedia「韓国軍慰安婦」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊
                             - 3.10.1 北朝鮮人女性の強制連行

   > 朝鮮戦争中に韓国軍に逮捕された北朝鮮人女性は
   > 強制的に慰安婦にされることもあった[5]。
   >
   > 韓国軍の北派工作員は北朝鮮で拉致と強姦により慰安婦をおいていた[3]。
   >
   > 捕虜となった朝鮮人民軍女軍[32]、女性パルチザンゲリラ、そのほかに朝鮮人民軍や
   > 中国の人民志願軍の占領地内の住民である朝鮮人女性のうち
   > まだ疎開しなかった女性などが、共産主義者を助けたとの名目で強制的に性奴隷にされた。


   wikipedia「韓国軍慰安婦」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 4.朝鮮戦争休戦からベトナム戦争まで
                             - 4.6 モンキーハウス

   > 韓国での慰安婦たちの写真や個人情報などはアメリカ軍も管理しており[14]、
   > 韓国におけるアメリカ軍相手の慰安婦は性病の疑いをもたれると
   > 韓国警察によりモンキーハウスと呼ばれる窓に柵のされた施設に、
   > ジープやトラックにのせられ[9]、留置され強制的に薬を完治するまで飲まされること
   > となっていた[25]。
   > また、性病に罹患した女性達は治るまでの間は強制的に拘置所に隔離されていたと
   > 在韓米軍の性病報告に記録されている[36][9]。
   > また、病気ではないと証明された場合には犬のようにタグを付けることを強制された[30]。
   >
   > 韓国におけるアメリカ軍相手の慰安婦達は容易に行為の相手から見分けがつき易いように
   > 番号札をつけることを強制されていた[25]。
   > また、韓国政府は女性達に韓国を助けるために来た兵士達が満足するように
   > 清潔にしなさいと指導した[30]。

 想像を絶する生き地獄。

 そりゃあ、PSTDにもなりますわw



 ベトナム戦争については、橋下氏はどの軍隊のことを言っているのか、はっきりしませんが、
 米軍のことのようです。

 

 貴方の『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』というwebサイトを、閲 覧者はインターネットで見ているのですよ。 分かっていますか? マウスの左ボタンでキーワードを選 んで右クリック,メニューバーの中から「googleで検索“〜」を選んで左クリックするだけで目的の情報に 辿り着いてしまうのです。

 講演のように、その場で直ちに検証することが出来ない様な場所で吐くならマダしも、インターネット 上のwebサイトという即時検証可能な場で、どうしてそんなスグにバレる嘘を吐くのでしょうか。

 その神経が理解できません。

 

   2013/05/21 サーチナ
   橋下市長がまた妄言「韓国軍もベトナム戦争で女性を利用」=韓国
   http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0521&f=politics_0521_001.shtml
   > 橋下徹大阪市長が20日、
   > 「韓国軍もベトナムで性的な問題に女性を利用した」
   > と発言したことに対して、韓国メディアは「また妄言」などと批判した。
   >
   > 橋下市長は20日、堺市内で行われた大阪維新の会のパーティーに出席し、
   > 慰安婦問題に関して
   > 「 日本も悪かった。 戦場の性の問題として女性を利用していたのは間違いない。
   >  その代わりアメリカだってイギリスだってドイツだってフランスだって、
   >  もっと言えば第2次世界大戦後のベトナムでは韓国軍だって、
   >  みんな戦場の性の問題として女性を利用していたんじゃないんですか 」 と述べた。
   >
   《後略》

 > 第2次世界大戦後のベトナムでは韓国軍
 > 第2次世界大戦後のベトナムでは韓国軍
 > 第2次世界大戦後のベトナムでは韓国軍

 はい、韓国軍です。

 そしてベトナムで韓国軍がやらかしたのは、慰安所に慰安婦を買いに行くという ―― サヨクが言うト コロの強姦行為 ―― ではありませんでした。

 正真正銘、本物の強姦。 それも生姦・中出しで望まれない子供を世に産み出させて、現地へ捨て去 るという悪魔の所業を行ったのです。

 

   wikipedia「ライダイハン」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/ライダイハン
   > ライダイハン(越:Lai Dai Han、ライ大韓)とは、
   > 大韓民国(以下、韓国)がベトナム戦争に派兵した韓国人兵士による
   > 現地ベトナム人女性に対する強姦などの性的交渉によりもうけられた子供のこと。
   > パリ協定による韓国軍の撤退と、その後の南ベトナム政府の崩壊により取り残され、
   > 「敵軍の子」として迫害された[1]。


   2013/10/08 子供には読ませられないブログGIGO
   ライダイハン Raittaihan 韓国軍の戦争犯罪 大虐殺と強姦
   http://japan4war.blog.fc2.com/blog-entry-858.html
   《前略》
   >
   > 日本軍の兵が米兵を殺したことは誇大に報道するが、実際は米兵が遊び半分で
   > 日本兵を虐殺していた事実がある。
   > たとえば、輸送船が沈められ漂流している武装していない日本兵達に対して、
   > 米軍は艦上からゲームの様に機銃掃射して漂流している日本兵を虐殺した。
   >
   > そして戦闘機も、同様に機銃掃射して、弾が切れると基地に戻り、わざわざ戻ってきて
   > 機銃掃射するといった遊びを繰り返し、日本兵を虐殺した。
   >
   > 「 捕虜に食わせる飯より、弾の方が安い 」 マッカーサー
   >
   > 助けて捕虜にすると、日本軍のように自分達の食料まで削るハメになる
   > 米軍は必要数しか捕虜を取らず、大半は虐殺して食料が減るのを抑えるのだ。
   > 必要数の捕虜というのは、拷問して情報を聞き出す目的である。
   >
   > これは大東亜戦争(太平洋戦争)も越え、ベトナム戦争でも繰り返された。
   > ベトナム戦争ではさらに残忍な民族である韓国人が米軍の同盟として参戦したため
   > 強姦・虐殺・略奪、村の消滅が相次いだ。
   >
   > そう、ココで産まれたのがライタイハン
   > 韓国軍人とベトナムの女性の間に産まれた大量の混血児
   >
   > 多くの女性は強姦した後に虐殺されたが、生き残った女性もいて出産している。
   >
   《中略》
   >
   > Lai Dai Han
   > Raittaihan
   > ライダイハン
   >
   > 韓国軍兵士に強姦されて生まれたベトナムの子供(韓国の精子「敵軍の子」として)
   > 忌み嫌われ迫害される子供たち。
   >
   > その数3万人
   >
   > 韓国内では一時騒ぎになったが、2009年にフィクションドラマを作成し
   > それを機に、忘れ去られた。(終わらせた)
   >
   > 大韓民国(以下、韓国)が米国の同盟軍としてベトナム戦争に参戦した。
   > 彼らは戦後、長年「英雄」として扱われていた。
   >
   > その「英雄」が語ることが出来なかった戦争犯罪がある
   > 「軽蔑(ライ)+大韓民国(タイハン)」という名前を持つベトナムの子供たち。
   > (この造語については、後述します)
   >
   > 韓国人兵士がベトナム人女性を大量に強姦して産まれたり、
   > 韓国軍の従軍慰安婦として強制徴用された美しいベトナム人女性が産んだり、
   > ベトナムで結婚した韓国兵との間に産まれた韓国人との混血児などを総称して
   > 「ライタイハン」といいます。
   >
   > 韓国軍は、強姦した後、女性の容姿で選別を行い、不美人や年寄りの女性は
   > 両手・両足を切断して、火に放り込んで焼き殺したり
   > 殺す前に両手・両足を切断しておいて、死ぬまで強姦する「だるま」と彼らが呼んでいる
   > 強姦・虐殺をしたり、川へ投げ入れて強姦と虐殺の証拠を隠蔽しようと工作したケースも
   > ある。
   >
   > そして容姿が良いベトナム人女性や少女を強制的に従軍慰安婦として
   > 韓国軍は連れ回して、繰り返し強姦を行った。
   > 弱ったり病気になった女性は虐殺して処分した。
   >
   > 韓国人は、ベトナム人「従軍慰安婦を肉便器」と言ったそうだ。
   > これは、出したい時に出せる(射精できる)という意味だとか。
   >
   > その為、ライタイハンはベトナム人の美人女性の遺伝子を受け継ぐ
   > 美人が多く、モデルなどで活躍している子もいる。
   > もちろん、タイハン(大半)が韓国人のブ男の遺伝子を持つ不美人であることは
   > 悲しい事実である。
   >
   《後略》


   【閲覧注意】 ベトナムでの韓国軍の大虐殺とライダイハンを忘れるな!
   https://www.youtube.com/watch?v=2wt9GoLpFu4
   560x315
   


   wikipedia「ライダイハン」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/ライダイハン - 2.1.1 韓国軍の虐殺行為

   > ベトナム戦争が終わり、南北ベトナムが統一して既に四半世紀が通ぎた。
   > そして韓国ではここ数年、あの戦争をめぐり長らくタブーとされてきた過去について、
   > かつてない議論が進められている。
   > その過去とは、ベトナム戦争に参戦した韓国軍によるベトナム民間人の虐殺問題だ。
   > 最初にタブーを破ったのは、韓国のハンギョレ新聞社[12]が発行する週刊誌
   > 『ハンギョレ21』だった。
   > 同誌は1999年、韓国軍がベトナム戦当時に起こした虐殺事件について
   > 記事を掲載したのだ(5月6日号)。
   > この記事を書いたのは、韓国人歴史研究者のク・スジョン。
   > 彼女はベトナム戦争の韓国軍の残虐行為が記されたベトナム側の資科を入手し、
   > 韓国の市民団体の一行とともにベトナム現地で検証を始めたのだ。
   > ある地域で、猛虎部隊(韓国軍部隊)等による1か月間の作戦で
   > 1200名もの住民が虐殺されたという66年当時のベトナム側の報告を紹介しながら、
   > 同時に生存者たちの証言に基づき虐殺の様子を具体的に描いている。
   > 例えば、生存者の証言からは韓国軍による民間人虐殺の方法に
   > いくつか共通した類型があったようだと、同記事には記されている。
   > 以下、その部分を略して引用する。
   >
   >  ・ 大部分が女性や老人、子供たちである住民を一か所に集め、機関銃を乱射。
   >  ・ 子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。
   >  ・ 女性を強姦してから殺害。 強姦しながら拷問。
   >   妊産婦の腹を、胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。
   >  ・ トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺す……等々。
   >
   > 日本の戦争責任を追及してきた韓国の人々にとって、自国軍が虐殺をしていたのだという
   > 告発は、苦いものであったに違いない。
   >
   > 続いて同誌の2000年4月27日号には、住民虐殺を行なったという元軍人による加害証言が
   > 掲載された。
   > 戦争当時、一般住民とゲリラを区別するのは難しく、我が身を守るためには仕方なかった
   > のだとその元軍人は述壊した。
   > しかし同時に、今やその行為に罪の意識をもち、韓国政府がベトナムに謝罪し
   > 被害者に補償することを望むという彼の声も、同誌では伝えられた。
   > これと前後して米誌『ニューズウィーク』が「暴かれた英雄の犯罪」と題して
   > ベトナム戦争での韓国軍の虐殺問題を取り上げた(2000年4月21日号)。
   > ク・スジョンらの調査を紹介しつつ、「 8000人以上の民間人を殺した韓国軍の虐殺行為
   > の数々 」 が明らかにされつつあると、7ページにわたり大々的に報じたのだ。
   > タブーであった虐殺事件についてのこれらの報道に対し、韓国国内では激しい反撃が
   > 起きた。
   > 同年6月27日には、ベトナム戦に従軍した退役軍人ら2000人余りがハンギョレ新聞社に
   > 乱入しコンピュータなどを破壊した。
   > 彼らは「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバーで、国のために闘った戦友を
   > 冒涜されたと激しく抗議したのだ。
   > ベトナムへの韓国人派兵は64年に始まり、延べで30万人以上の兵士を送り込んだ。
   > 米国に次ぐ大派兵であった。 この戦争で約5000人の韓国人が死んだ。
   > ハンギョレ新聞社に乱入した元兵士たちがそうであったように、アメリカ軍が散布した
   > 枯れ葉剤の被害に苦しむ元兵士らが、今も韓国には多い。
   > ベトナム戦争当時、韓国軍総司令官だった蔡命新は、先の『ニューズウィーク』での
   > インタビューで 「 誰に対しても償う必要はない。 あれは戦争だった 」 と明言している。
   > アメリカ軍によるソンミ事件などの虐殺行為がベトナム戦争当時から国際的に
   > 批判を受け議論の的となったのとは対照的に、韓国軍による虐殺行為については、
   > こと韓国国内では長く沈黙が保たれてきた。
   >
   > (中略)
   >
   > また全斗煥・盧泰愚両大統領がベトナム戦争で武勲を挙げた軍人であったという
   > 政治事情もあり、ベトナム戦での過去は、韓国では幾重にもタブーであり続けた。
   > しかし、冷戦終結と韓国の民主化により、このタブーは破られた。
   >
   > (中略)
   >
   > 韓国の歴史教科書には、ベトナム戦争についてほとんど記述はされていない。
   > 中学生向けの国定教科書に記されているのは
   > 「 そして、共産侵略を受けているベトナムを支援するために国軍を派兵した 」
   > の約1行のみだ。
   > (佐藤和 「被害者史観韓国を揺るがすベトナム民間人虐殺の加害責任」
   > 『SAPIO』 2001年9月26日号)


   wikipedia「ライダイハン」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/ライダイハン - 2.1.2 虐殺行為の詳細

   > 1965年から1966年の間、プウエン省のタオ村で、
   > 韓国軍は、ほとんど大部分が婦人の村人42人を狩り立て、やがて小火器を浴びせ、
   > 全員を殺害した。
   > 1966年1月11日から19日の間、ジェファーソン作戦の展開されたビンディン省では、
   > 韓国軍は300人以上の住民を捕まえ、拷問を加え、更にまた400人以上のベトナム人を
   > 殺した。
   > 1965年12月から1966年1月の間に、韓国軍は、ビンディン省のプレアン村では
   > 数百戸の家々を炎上させ、一方キンタイ村を完全に掃討した。
   > 同じ省の九つの村々で韓国軍は、民間人に対して化学兵器を使用したのである。
   > 1966年1月1日から同月4日までの間に、ブン・トアフラおよびヨビン・ホアフラ地方で、
   > 韓国軍は、住民たちの所有物を残らず略奪したうえ、住民の家やカオダイ教の聖堂を
   > 焼き、さらに数千頭の家畜を殺した。
   > 彼らは、また仏教寺院から数トンもの貨幣をくすね、それから人民を殺したのである。
   > 「 ある村が、わが軍の支配下に陥ると、その次の仕事はベトコンから
   >  村人たちを分け離すことなのだ 」
   > こう言ってのけたという韓国軍将校の話しが引用された。
   > ナムフュン郡で、韓国軍は4人の老人と3人の妊婦を、防空壕の中へ押し込め、
   > ナパームとガスで殺した。
   > アンヤン省の三つの村では110人を、またポカン村では32人以上を、
   > こうしたやり方で、殺したのである。
   > 1966年2月26日、韓国軍部隊は、137人の婦人、それに40人の老人と76人の子供も一緒に、
   > 防空壕の中へ押し込めて、化学薬で殺したり、全員を盲にさせたりした。
   > 1966年3月26日から28日にかけて、ビンディン省で、韓国軍は、数千におよぶ農家と
   > 古寺院を炎上させ、若い女性や年老いた女性を集団強姦した。
   > 8月までに、勇猛な朝鮮人たちは、ビンディン省における焦土作戦を完了した。
   > フーカット郡(英語版)では、3万5千人の人たちが、死の谷に狩り立てられ、
   > 拷問を完膚なきまで加えられてから全員が殺された。
   > 10月には、メコン河流域では、裸で両手ないしは両足の19人の遺体が川から引揚げられた。
   > これらは、いずれも陵辱された少女たちの遺骸であった。
   > この事件に先立って、同じ地域で共同作戦中の米軍と韓国軍が、昼日中に結婚の行列を
   > 襲い、花嫁を含め7人の女性を強姦した、との報道もあった。
   > かれらは、結婚式に呼ばれた客の宝石を残らず奪ったうえ、3人の女性を川の中へ
   > 投げ込んだ。
   > 放火、銃剣による突き殺し、拷問、強姦、強奪こんな記事は、
   > ほとんど毎日のように続いている。
   > 母親の胸に抱かれたいたいけな乳幼児でさえも、非人間的な殺人行為を免れることが
   > できないのだ。 これは、たった一都市に起きた南京大虐殺どころの話ではないのだ。
   > これこそ、アメリカの新聞の力をもってしても、中国の南京で起こった話を語ることのできない、
   > 今日のベトナム民族大虐殺なのである。
   > つまり今日では米軍および韓国軍の検閲官が全強権を発動し、事実が明るみに出るのを
   > 妨げているのである。
   >
   > (中略)
   >
   > なぜ在ベトナム韓国軍がかくも攻撃的で残酷であるかという理由は、
   > 彼らが、アメリカが与えてくれた援助に対してお返しをするためであり、さらにまた
   > それは韓国民に対して彼らが、アジアにおいて平定の役割を演ずることができるのだ
   > という誇りと確信の感情を与えるためである、と1967年5月、ソウル政府当局は
   > 日本人記者に説明した。(D.W.W.コンデ『朝鮮-新しい危機の内幕-』新時代社、1969年)

 これが人間のやることか。



 南ベトナムに派遣された米軍の前線基地では事実上、売春婦を囲い込むようにした事例が
 わかっています。

 これは米軍が侵略者だったことと関連があり、

 

 ベトナム戦争に於いて、韓国軍は米軍側として参戦したのですから、米軍が侵略者であるなら韓国軍 も侵略者です。 そしてベトナムの兵士と民間人にとって、韓国軍は米軍とは違う意味で恐れられてい ました。

 それは、残虐性が桁違いだったからです。

 

   wikipedia「ライダイハン - 2.1.2 虐殺行為の詳細」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/ライダイハン - 2.1.2 虐殺行為の詳細
   > 虐殺行為の詳細
   >
   > 1965年から1966年の間、プウエン省のタオ村で、
   > 韓国軍は、ほとんど大部分が婦人の村人42人を狩り立て、やがて小火器を浴びせ、
   > 全員を殺害した。
   > 1966年1月11日から19日の間、ジェファーソン作戦の展開されたビンディン省では、
   > 韓国軍は300人以上の住民を捕まえ、拷問を加え、更にまた400人以上のベトナム人を
   > 殺した。
   > 1965年12月から1966年1月の間に、韓国軍は、ビンディン省のプレアン村では
   > 数百戸の家々を炎上させ、一方キンタイ村を完全に掃討した。
   > 同じ省の九つの村々で韓国軍は、民間人に対して化学兵器を使用したのである。
   > 1966年1月1日から同月4日までの間に、ブン・トアフラおよびヨビン・ホアフラ地方で、
   > 韓国軍は、住民たちの所有物を残らず略奪したうえ、住民の家やカオダイ教の聖堂を
   > 焼き、さらに数千頭の家畜を殺した。
   > 彼らは、また仏教寺院から数トンもの貨幣をくすね、それから人民を殺したのである。
   > 「 ある村が、わが軍の支配下に陥ると、
   >  その次の仕事はベトコンから村人たちを分け離すことなのだ 」
   > こう言ってのけたという韓国軍将校の話しが引用された。
   > ナムフュン郡で、韓国軍は4人の老人と3人の妊婦を、防空壕の中へ押し込め、
   > ナパームとガスで殺した。
   > アンヤン省の三つの村では110人を、またポカン村では32人以上を、
   > こうしたやり方で、殺したのである。
   > 1966年2月26日、韓国軍部隊は、137人の婦人、それに40人の老人と76人の子供も一緒に、
   > 防空壕の中へ押し込めて、化学薬で殺したり、全員を盲にさせたりした。
   > 1966年3月26日から28日にかけて、ビンディン省で、韓国軍は、
   > 数千におよぶ農家と古寺院を炎上させ、若い女性や年老いた女性を集団強姦した。
   > 8月までに、勇猛な朝鮮人たちは、ビンディン省における焦土作戦を完了した。
   > フーカット郡(英語版)では、3万5千人の人たちが、死の谷に狩り立てられ、
   > 拷問を完膚なきまで加えられてから全員が殺された。
   > 10月には、メコン河流域では、裸で両手ないしは両足の19人の遺体が川から引揚げられた。
   > これらは、いずれも陵辱された少女たちの遺骸であった。
   > この事件に先立って、同じ地域で共同作戦中の米軍と韓国軍が、
   > 昼日中に結婚の行列を襲い、花嫁を含め7人の女性を強姦した、との報道もあった。
   > かれらは、結婚式に呼ばれた客の宝石を残らず奪ったうえ、
   > 3人の女性を川の中へ投げ込んだ。
   > 放火、銃剣による突き殺し、拷問、強姦、強奪こんな記事は、
   > ほとんど毎日のように続いている。
   > 母親の胸に抱かれたいたいけな乳幼児でさえも、非人間的な殺人行為を免れることが
   > できないのだ。 これは、たった一都市に起きた南京大虐殺どころの話ではないのだ。
   > これこそ、アメリカの新聞の力をもってしても、
   > 中国の南京で起こった話を語ることのできない、今日のベトナム民族大虐殺なのである。
   > つまり今日では米軍および韓国軍の検閲官が全強権を発動し、
   > 事実が明るみに出るのを妨げているのである。
   > (中略)
   > なぜ在ベトナム韓国軍がかくも攻撃的で残酷であるかという理由は、
   > 彼らが、アメリカが与えてくれた援助に対してお返しをするためであり、
   > さらにまたそれは韓国民に対して彼らが、アジアにおいて平定の役割を演ずることができる
   > のだという誇りと確信の感情を与えるためである、と1967年5月、ソウル政府当局は
   > 日本人記者に説明した。
   > (D.W.W.コンデ『朝鮮-新しい危機の内幕-』新時代社、1969年)

 これが、米軍を侵略者と罵れる過去ですか。



 周囲を住民に囲まれて外出も自由にできない状況でのことです。
 中国などの前線に慰安所を設置した日本軍も侵略者であり、
 周囲の住民に取り囲まれていました。
 うかつに外出できない状況下では軍陣地のそば(あるいはその中の一角)に慰安所を設ける
 というのは日本軍もそうでした。

 

   2013.08.07 時は来た!それだけだ
   安秉直ソウル大名誉教授「軍や警察の強制連行は無かった!」
   朝鮮人慰安所業者の日記発 見!!!
   http://tokihakita.blog91.fc2.com/blog-entry-7381.html

   > 163: ダイビングヘッドバット(新疆ウイグル自治区) 2013/08/07 16:58:33 ID:P5UhJgS40
   > それに慰安婦問題にしても戦地で営業しているのだから
   > 安全上の問題で移動の自由を制限するのは当たり前の事。
   > イラクで自由に移動の自由を与えるような馬鹿な政府はいないだろ。
   > 移動の自由を与えればそれこそ逆に問題となる。
   >
   > それをあたかも悪いような事を言っているが批判が的外れで
   > 批判が社会にとって何の役にもたたないどころか逆に有害である事を自覚すべき。

 戦争をやっているんだから外出の自由がないのはアタリマエです。

 そして、慰安婦が安全に仕事をする為に用意された仕事場が慰安所なのですから、慰安所が軍基地 の傍や軍基地の一角に設けられているのもアタリマエです。 軍基地から離れた場所に設置されてい たとしたら、それはよほど安全な場所だったというだけの話に過ぎません。



 日本軍やナチスドイツ、さらにベトナム戦争の米軍の事例から言えることは、
 いずれも侵略者だったことです。
 侵略者から郷土を守る防衛のための戦いであれば、慰安所などなくても、
 郷土の人びとを守ろうと将兵たちの士気が高く、かつモラルも高い軍隊だったでしょう。
 何のために戦争をやっているのか、
 なぜ郷里を遠く離れて外国で戦争をやらなければならないのか、
 つまり戦争をおこなう理由がわからないからこそ、士気や軍紀が乱れてくるのです。

 

 男性サヨクの陰茎がどのような構造になっているのか寡聞にして知らないのですが、普通の男性は、 近日中に死ななければならないと覚悟した際に、子孫を遺そうとする本能が強くなります。
 戦地に於いて起こり易い現地人女性に対する強姦行為は、気が立っているとか、戦闘の報酬として 女性の肉体を求めるとか、そういう次元ではなくて、もっと単純に死を覚悟した生物の本能が根底にあ ります。 これは精神論で収めることの出来ない物だと思います。 もちろん、かつて侍と呼ばれたもの のふの者達や特攻隊に志願して散った英霊達の話を聞く限りに於いて、そういうった生物の本能を押 し殺して行動したと思しき凄い逸話が幾つもあります。
 しかし、大多数の男性はそうではないでしょう。 とりわけ、志願などしていないのに、理不尽にも赤紙 一枚で召集され、ヒノキの棒みたいな貧弱な兵装で物量で押す米軍と戦わされる男性達の心情を思い 遣るや、その忍び難さと耐え難さは容易に察し得るモノです。

 ですから、何の為に戦争をやっているのか、が分かれば慰安所なんか要らないとか
 郷里を離れて戦争をする理由が分かれば慰安所なんか要らないとか、
 そういうのはサヨクの妄想であってリアルではありません。


 また、事のついでなので触れておきますが、べトナム戦争は米軍の侵略戦争ではありません。

   YAHOO!知恵袋「ベトナム戦争について」
   http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1439478219
   > アメリカは当初ベトナム共和国が名実共に独立できるよう支援しており、
   > 軍部に顧問団を派遣はしていましたが駐留は行っていませんでした。
   > だがその政府は選挙で選ばれたにもかかわらず
   > 市民の利益より自分達の権力を優先させ、それ故にクーデターやデモが多発し
   > 内政が非常に混乱したのです。
   > そこでフランスの独立戦争で戦った戦士達が反政府ゲリラ、民族解放戦線NLFを組織し
   > 改めて南ベトナムの独立を目指して立ち上がります。
   >
   > アメリカは当初、南ベトナム政府に対しては冷淡でした。
   > だがそのNLFが北ベトナムと接触し、その下層組織として取り込まれてしまうと
   > いつまでも対岸の火事とばかりに遠望してるわけにもいかず戦略村構想を起ち上げ
   > 支援するようになります。
   >
   > これは各農村をブロック化して登録し、どこに何人の村民がいるのか絶えずチェックする
   > という地道な政策です。
   > これによってNLFの構成員はたちどころに燻り出されるハズでした。
   > ところがNLFは戦略村そのもの、政府の登録を申請する農村を裏切り者として
   > 粛正の対象としテロの標的にしたのです。
   > そこに至って米軍もついに重い腰を上げ、国連に多国籍軍を申請し
   > ベトナムの治安を守るための戦いを始めたのです。
   >
   > ソンミ村については非常に怪しげな話が錯綜しています。
   > 当初、この虐殺は万単位の殺害が行われたと報道されたのです。
   > 非武装の中立的な村だとの報道もされました。
   > だがこのサイトにも書かれていますが
   > 「 死者を埋葬し、負傷者の手当てにあたり、破壊しつくされた村を建て直した。」
   > のは「民族解放戦線の幹部」だった。
   > つまりこの村はテロリスト達と親しい関係にある中立とはほど遠い勢力だったのです。
   >
   > 戦略村に登録されていたのならNLFの幹部が立ち寄るなどあり得ませんし、
   > まして復興の手伝いをするなどという事もあり得ません。
   > ましてソンミ村の事件を当初発表したのが「南ベトナム民族解放戦線の常設代表部」だった
   > というなら論外です。
   >
   > 当時、世界のマスコミは共産主義に好意的であり、スターリンや毛沢東、ホーチミンや
   > 金日成を偉大な英雄であると称えていました。
   > 当然その報道も親共的な、非常に偏ったモノだった。
   > 数千万の虐殺が起こった文化大革命を素晴らしい改革と称えた朝日新聞のような報道が、
   > 日本はもちろんアメリカでも行われていたのです。
   >
   > 米軍はマスコミの袋叩きに遭い、政府はソンミ村事件の首謀者を引き出して
   > 生け贄に差し出します。
   > そして法廷で首謀者とされたウィリアム・カリーは独断で虐殺を行ったとされ
   > 終身刑となったのです。
   > この判決は後に撤回され10年の懲役刑に減刑され3年後には釈放されます。
   > 法廷自体がマスコミの報道を納得させるためにショーでしかなかった。
   > つまりこの事件がどこまで本当だったかは、未だに謎なのです。
   >
   > 1973年、アメリカは両ベトナムの和平を実現させ撤退するに至りました。
   > マスコミの偏った報道により完全に侵略者にされたアメリカは
   > ベトナム戦争から引き下がらざるを得なくなったのです。
   > もし本当にアメリカが侵略者でありNLFが独立のために戦っていたのであれば、
   > これで戦争は終わるはずでした。
   >
   > だが終わらなかったのです。
   > NLFはテロを再開し北ベトナムは和平協定を平然と破り、武力侵攻が始まったのです。
   > 世界から見捨てられたベトナム共和国は侵略者によってわずか2年後に武力併合されました。
   >
   > これによって30万以上の民衆が虐殺され数十万の人々が追放されます。
   > ボートピープルと呼ばれるベトナム難民は、未だに近隣諸国の大きな問題として
   > 扱われています。

 アメリカは中国と同様に、第二次世界大戦以降も他国を侵攻し続けている侵略国家の一つですが、 ことベトナム戦争に関して言えば、侵略戦争ではありませんでした。 米軍兵士の残虐な行為はありま したが、アメリカが侵略したというのは間違いです。



 侵略者だったことの認識も反省もない橋下氏は、
 侵略者の例を出してきて、ごまかそうとしているにすぎません。

 

 日韓併合は侵略ではありません。

 日本は朝鮮に懇願されて已む無く朝鮮半島を日本の土地にしたのです。

   日本の誇るべき韓国併合
   http://www.yamato.x1.bz/Nippon/baka-korea.html
   《前略》
   >
   > 韓国併合は実は韓国人も望んだこと
   >
   > 参考資料 : 「李完用侯の心事と日韓和合」 朝鮮全権大使 李成玉
   >
   > 「 現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面をもつことは
   >  できない。 亡国は必死である。 亡国を救う道は併合しかない。
   >  そして併合相手は日本しかない。
   >  欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。
   >  日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、
   >  これは朝鮮人を同類視しているからである。
   >  そして、日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる
   >  唯一の適任者である。
   >  それ以外に我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道は
   >  ない。 日韓併合が問題になるのは、変な話だ。
   >  我輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したのだ。 」
   >
   >
   > 参考資料: 日韓併合時の韓国首相 李完用
   >
   > 私がもう一言いいたいのは、独立説が空しいものであることを私たちがしっかり悟り、
   > 朝鮮民族の将来の幸福を祈ることにある。
   > 現在のように国際競争が熾烈な時代にこの3000里にすぎない領土と、
   > あらゆるものが不足している1100余万の人口をもつ私たちが独立を唱えることが
   > いかに空しいことか、日韓併合からこの10年間、総督政治の実績をみれば、
   > 人民が享受した福祉が多大なものであることは内外が公認するところだ。
   > 地方自治、参政権、集会と言論については、朝鮮人の生活と知識に応じて、
   > 正当な方法で要求するなら同情を受けることができる。
   > 今私たちに迫られているのは独立ではなく実力を養うことだ。
   >
   >
   > 参考資料: 1909年 12月4日  一進会(公称百万の朝鮮人会員)
   >
   > 日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を
   > 救ってくれた。
   > それでも韓国はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、
   > 結局は外交権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。
   > 丁未条約を締結することになったのも、やはりハーグ事件をおこした我々に責任がある。
   > 伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにご苦労された
   > ことは忘れられない。
   > にもかかわらずハルピンの事件がおきてしまった以上、
   > こんごいかなる危険が到来するのかわからない。
   > これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。
   > (中略)
   > それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国をつくって
   > 世界の1等国民として日本人とまったくおなじ待遇をうけながら暮らしてみよう。

 では、もし日本が朝鮮半島を併合していなかったらどうなっていたでしょうか。

   日本の誇るべき韓国併合
   日本人よ、もっと誇りを持て!!韓国、北朝鮮の横暴を許すな!!
   http://www.yamato.x1.bz/Nippon/baka-korea.html
   《前略》
   >
   > もし日本の韓国併合がなかったら
   >
   > まず初めに、もし日本が韓国を併合しなかったら、
   > 現在の朝鮮半島は、どうなっていたかを考察してみていたいと思います。
   > 結論から申しますと、それは悲惨な状態になっているであろうと考えられます。
   > 現在の北朝鮮よりも悲惨な状態であったと考えられます。
   > 現在の北朝鮮も決して良いとは言えませんが独立国家であるだけまだましと言えるでしょう。
   > では、日本が韓国併合を行っていなければ、どうなっていたのでしょうか?
   > 第1に考えられるのは、ソ連の植民地となり、今尚ロシアの植民地であるか、
   >   ソ連の植民地支配が続いた後ソ連崩壊時に一緒に独立していたかのどちらかで
   >   あったと考えられます。
   > 第2に考えられるのは、清の支配下が続き現在の中華人民共和国の一部であった
   >   可能性です。
   > 第3に考えられるのが、ソ連、中国以外のドイツ、フランス、イギリス、アメリカ等による
   >   植民地支配、それも1国による単独統治でなく、列強各国による朝鮮半島争奪戦の
   >   結果による、地域によって支配国が異なる分割統治であった可能性あります。
   > 第1の可能性のソ連の植民地となった場合、朝鮮半島は、今尚、相当酷い状態に
   > なっていたことでしょう。 ソ連の極悪な政策、崩壊寸前の貧しさ、そして崩壊後の混乱に、
   > 朝鮮半島も巻き込まれたことでしょう。
   > その上、白人の国の植民地ということで、黄色人種である韓国人は
   > 人種差別にも苦しめられたことでしょう。 ソ連に搾り取られるだけ取られ、差別も受け、
   > このような状況中で、現在の韓国の発展の基礎ができたとは絶対とは考えられません。
   > 第2、第3の可能性にしても、決してよい結果となったとは考えられません。
   > 日本以外の国が、日本の植民地政策のように韓国へ投資を行うとは考えられません
   > (詳しくは後で説明)。
   > どの可能性にしろ、朝鮮半島は、一度は、独立を失い、どこかからの植民地支配を受ける
   > 運命にあったと考えられます。
   > それ程、当時、朝鮮半島を支配していた李氏朝鮮(後の大韓帝国)に、力が無く、
   > 無能で時代遅れでした。
   > そもそも、朝鮮半島を統治して李氏朝鮮は、大日本帝国に併合される約15年前までも
   > 清を宗主国として冊封体制下にあり属国状態で独立状態ではありませんでした。
   > そして、清の属国から解放の手助けを行ったのが、日本です。
   > 鎖国状態の李氏朝鮮に開国させ、日清戦争の勝利により清に朝鮮への宗主権を放棄させ
   > ました。 そして、1897年には、李氏朝鮮は国号を大韓帝国と改め近代化を進めました。
   > そして、韓国人の中からも望まれて、日本は韓国を併合しました。

 日本が韓国人に感謝される謂れはあっても、恨まれる謂れは何処にもありません。

 また、日本が侵略したとされる支那に対しても、侵略は事実ではありません。

   キリスト教読み物サイト Remonant
   日本近代史 - 日中戦争の真実
   http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/rekishi05.htm

   > 前項「中国の『正しい歴史認識』の正体」では、「夷(い 外国)をもって夷を制す」の
   > 中国政治家の考え方により、日本が中国の内戦に引き込まれていったことをみました。
   > この項では、中国における日本の軍隊の行動について、もう少しみてみましょう。
   >
   >
   > 中国民衆を虫けらのように殺した中国軍
   >
   > 中国軍と、日本軍の間には、大きな質的差異がありました。
   > それは、中国軍は同胞である中国民衆を行く先々で強奪し、また大量殺害したのに対し、
   > 日本軍は行く先々で彼らを救済しようとしたことです。
   > 中国では伝統的に、民衆とは、戦乱で虫けらのように殺される存在であり、
   > 少なくとも権力者から愛護を受ける対象とはなっていませんでした。
   > 梁啓超は、中国の民衆を「戮民」(りくみん 殺戮される民)と呼んでいます。
   > たとえば、「国共合作」により共産軍と組んで日本との戦いを始めた蒋介石の軍隊は、
   > 1938年、日本軍の進撃の道をはばもうと、黄河の堤防を爆破しました。
   > このとき、大雨が降ったこともあって11の都市と、四千の村が水没し、水死者100万人、
   > その他の被害者600万人という大惨事となりました。
   > しかも、それだけでは終わりませんでした。
   > この人為的水害の結果、黄河の水路が変わり、周辺に大飢饉が広がったのです。
   > そして、被災地で食糧不足に悩んだ中国軍部隊は、民衆から食糧の強奪を始めたため、
   > 飢饉はさらに深刻化しました。
   > その惨状をみた当時のアメリカ人記者は、
   > 「 道ばたには凍死者と餓死者があふれ、飢えた人々は屍肉を食べていた 」
   > と報じています。
   > 中国側はまた、事件直後から、堤防決壊を日本軍のしわざとして宣伝もしていました。
   > しかし中国側のこの自作自演は、のちに外国人記者に見破られています。
   > この堤防決壊のとき、日本軍兵士は一人も死にませんでした。
   > それはただ、中国人を大量殺戮しただけで終わったのです。
   > 堤防決壊の直後、日本軍は堤防の修復作業を行なっただけでなく、
   > 被災した民衆の救助と、防疫作業を行ないました。
   > 日本軍は、中国軍から虫けらのように扱われた中国民衆を、必死になって救済したのです。
   > こうした中国軍の性格は、蒋介石の軍だけでなく、毛沢東の共産軍でも同様でした。
   > いや、共産軍はもっとひどいものでした。
   > 共産軍は、民衆から「共匪」(きょうひ)すなわち共産主義の匪賊と呼ばれていました。
   > それは彼らが行く先々で、民衆に略奪、殺人、強姦を働いたからです。
   > 中国の軍隊は、共産軍でも国民党軍でも、基本的に軍隊というより、
   > ルンペンを寄せ集めたような集団にすぎなかったのです。
   > 彼らが軍隊に入ったのは、占領地区で略奪が出来るため、
   > 食いっぱぐれがなかったからです。
   > ですから中国の司令官は、ある土地を占領すると、最低一週間は兵士たちの好きなように
   > 略奪や強姦をさせました。 また、そうしないと司令官が殺されてしまったからです。
   > 日中戦争における戦闘は、たいていの場合、日本軍が攻めると中国軍が撤退し
   > 敗走する、という形で進みました。
   > ですから、激戦地を除けば、中国側が宣伝するほど日本軍に殺された中国兵の死者は
   > 多くはありませんでした。
   > むしろ中国兵の死者の多くは、中国人が中国人を殺したものでした。
   > 中国の軍隊というのは、兵士たちの後ろに「督戦隊」(とくせんたい)がいたのです。
   > 督戦隊とは、後ろで「敵を殺せ、殺せ」と叫びながら兵士たちを戦わせ、
   > 逃げる兵士がいると、その兵士を撃ち殺す中国兵です。
   > つまり中国兵が中国兵を殺したのです。
   > 中国史家・黄文雄氏によれば、日中戦争時の死傷者は、日本軍によって殺された
   > 中国兵よりも、そうやって督戦隊に殺された中国兵たちのほうが多かったくらいだといいます。
   > また、中国兵は負傷すると、置き去りにされました。
   > ある戦場で、中国兵の一団が塹壕の中で戦死していました。
   > それを発見した日本兵たちは、思わず涙を流したといいます。
   > なぜなら彼らの足には、逃亡防止のための鉄の鎖がつけられていたからです。
   > 日本軍と中国軍とでは、質の上でそれほどの差があったのです。
   >
   >
   > 本当の人民解放軍は日本軍だった
   >
   > また中国軍と日本軍の性格を大ざっぱにみるなら、次のように言うことができます。
   > 中国軍が通った地は至る所、はげたかの大軍が通ったように略奪されました。
   > さらに彼らは占領地域を去るとき、日本軍に何も残さないようにするため、
   > 「焦土(しょうど)作戦」を取りました。
   > つまり退却のたびに、道路や工場、橋、潅漑施設、その他の施設を次々に破壊したのです。
   > そのため中国軍が通るところすべてが荒廃していきました。
   > 彼らの行動の特徴は、略奪と破壊だったのです。
   > それによって中国経済は破壊され、農業も工業も壊滅的被害を受け、
   > 人民は苦しむばかりとなっていました。
   > とくに悲惨だったのは、民衆の大半を占める農民たちでした。
   > 一方、そのあとにやって来た日本軍は、当初から農民たちの救済と、
   > 中国経済の再建に取り組んだのです。
   > 日本軍が占領した地域は、中国本土の人口の約40%、
   > また耕地面積の54%に及びましたが、日本はすぐにその地域での農業再建、
   > 道路や潅漑施設の復興、工場の再建などに取り組みました。
   > 日本は中国の住民の救済、治安維持、戦災復興などに取り組んだので、
   > それまで軍隊とは匪賊にすぎないと思っていた中国民衆は驚き、
   > 日本軍を熱烈に歓迎しました。
   > 統率がとれ、略奪や悪事を働かず、民衆を救う軍隊というものを、
   > 彼らは生まれて初めて見たからです。
   > 本当の「人民解放軍」は中国軍ではなく、日本軍だったのです。
   > 日本が占領地域でとくに力を入れたのは、農民の救済でした。
   > 日本政府はすでに1938年に中国での農業復興の計画を発表し、実行に移しています。
   > それは日本・満州・支那(中国)の三国が相携えて、互助関係を築くことを目的とした
   > ものでした。
   > それにより、日本の占領地域での農業は飛躍的に増大しました。
   > 日本人技術者が中国農民に、日本の農業技術を提供していったからです。
   > もちろん戦時下のため、悪戦苦闘はありましたが、それでも日本の努力は多くのところで
   > 実を結んでいました。
   >
   > 農業だけでなく、軽工業、重工業などの再建にも取り組みました。
   > 日本はまた中国に鉄道を敷き、病院を建てました。
   > 疫病の多かった中国の衛生事情の改善にも努めました。
   > さらに、絶望視されていた中国の製糸業を復興させたのも、
   > 日本の対中国投資によるものです。
   > 日本は、満州や、朝鮮、台湾などで行なっていた近代化建設事業を、
   > 中国でも、すでに日中戦争のさなかから始めていたのです。
   > それによって占領地域のインフラ整備、産業の復興が行なわれました。
   > 日本政府の推計によると、1938年から終戦の45年までの日本の対中国投資の累計は、
   > 約47億円にも達していました。
   > 当時の日本の国家予算は約20億円ですから、どれだけ巨額かわかるでしょう。
   > これは戦争に使ったお金ではありません。
   > 中国の国土と経済の復興に使ったお金なのです。
   > このように、中国軍が各地を焦土化し、同胞を虫けらのように殺していたときに、
   > 日本は中国民衆の救済と、中国の近代化のために働き続けていました。
   > 中国人民の本当の敵は、日本軍ではなく、中国軍だったのです。
   > 中国軍は、蒋介石の国民党軍も、毛沢東の共産軍も、その頭の中にあったのは
   > 中国人民のことではなく、権力奪取のみでした。
   > しかし日本は、なんとか中国を救おうと奔走していたのです。
   > ですから、中国の老人でこの時代のことを体験した人々の中には、
   > 親日的な人々が大勢います。
   > ふだんは中国政府の叫ぶ反日イデオロギーの中で大きな声では発言できませんが、
   > 彼らは当時の日本人が中国人にしてくれたことを知っているのです。
   > 戦後、日本人が中国大陸から引き揚げてくるとき、多くの日本人が帰りそこなって、
   > そこに取り残されました(いわゆる中国残留孤児)。
   > しかしそのとき、残留日本人を助けてくれた中国人たちがかなりいました。
   > そうした中国人の多くは、戦時中の中国兵がいかに悪かったか、また日本軍が
   > 中国の民衆を助けたことを、よく知っていたので、日本人を助けてくれたのです。
   >
   >
   > ローマ法王は日本の行動を支持した
   >
   > もともと、中国の内戦に巻き込まれたかたちで、中国内部に足を踏み入れた日本軍でした。
   > しかし踏み入れた以上、日本は、そこが共産主義国家になってしまうのを防ぐため、
   > 多大な尽力をなしました。
   > またそこに、欧米の侵略や搾取の餌食とならない自立した民主的国家が誕生するよう、
   > 手を差し伸べたのです。
   > 日本は中国を「自分の領土」とするために戦っていたのではありません。
   > 日本は中国の「領土保全」をかかげ、誰からも侵略されない、中国人による中国人のための
   > 安定した国家がそこに誕生することを目指したのです。
   > そして日本と手をたずさえて、アジアを共産主義から守る防波堤になること、
   > そこに一大経済圏が生まれることを目指しました。
   > ですから、日中戦争(支那事変)が始まった年である1937年、10月に、
   > 当時のローマ法王、平和主義者として知られるピオ11世(在位1922-39)は、
   > この日本の行動に理解を示し、全世界のカトリック教徒に対して
   > 日本軍への協力を呼びかけました。
   > 法王は、
   > 「 日本の行動は、侵略ではない。 日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。
   >  日本は共産主義を排除するために戦っている。
   >  共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ 」
   > といった内容の声明を出しています。
   >
   > この声明は当時の日本でも報道されました
   > (「東京朝日新聞」夕刊、昭和12年10月16日および17日)。
   > 新聞は、
   > 「 これこそは、わが国の対支那政策の根本を諒解するものであり、
   >  知己(ちき。事情をよく理解している人)の言葉として、百万の援兵にも比すべきである。
   >  英米諸国における認識不足の反日論を相殺して、なお余りあるというべきである 」
   > と歓迎の意を表しています。
   > ローマ法王がこのように日本の行動に賛意を表してくれたことは、
   > 欧米の誤解や反日主義に悩まされてきた日本にとって、非常にうれしいことでした。
   > けれども、そのピオ11世も、やがて1939年には世を去ってしまいます。
   > そのため欧米の反日主義や、日米戦争勃発を防ぐまでには至らなかったのです。
   >
   >
   > 共栄圏をつくろうとした日本
   >
   > 1937年から始まった日中戦争でしたが、日本はすでに1940年には、
   > すでに中国の華北と、華中の一部を支配下におき、その統治を親日政権である
   > 汪兆銘(おうちょうめい)の南京政府にゆだねていました。
   > 日中戦争は八年間続いたと一般にいわれますが、実際には日中の戦闘は
   > 一年半あまりで終結し、あとは日本軍はそれ以上領地を広げようとせず、
   > 占領地域でのインフラ建設や、経済建設に集中したのです。
   > その支配地域では、経済、財政、物価、治安が安定し、民衆の生活は
   > 他と比べると天国と地獄ほどの差がありました。
   > 鉄道もつくられ、人々や物資の移動が容易になりました。
   > よく「日本軍は一方的に略奪と破壊をした」かのように語られることがありますが、
   > 実際は全く逆だったのです。
   > だからこそ、汪兆銘の南京政府や、そのもとにいる多くの中国人は日本を支持し、
   > 日本と共同して、その地域の発展のために働いたのでした。
   > 汪兆銘の南京政府が支配する地域では、戦前にも増して平和と繁栄を謳歌していました。
   > その象徴が上海です。
   > 日中戦争中ですら、そのダンスホールや映画館はどこも満員という活況を呈していました。
   > ロシアから逃げてきたユダヤ人たちの居住区も、この上海に設けられ、彼らはそこで
   > 安全に暮らしていました。
   > 一方、蒋介石や毛沢東が支配していた地域は、悲惨でした。
   > ただでさえ彼らの軍隊が入ってきたので食糧が不足したばかりか、
   > 略奪、搾取が横行したため、たちまち住民は地獄の生活へと転落したのです。
   > もっとも蒋介石は、日本人のような規律ある生活習慣を目指した「新生活運動」を実施し、
   > 中国兵の乱れた規律を正そうと努力はしましたが、それでもなかなか実を結ぶことは
   > できませんでした。
   > 日中戦争中、アメリカがいわゆる「援蒋ルート」を通して、重慶にいる蒋介石軍に
   > 様々な物資を送り届けていたことは、よく知られています。
   > 兵器、弾薬、医薬品、食糧などですが、しかし山を越え、川を越えているうちに、
   > 重慶まで届いた物資は多くても当初の何分の一かに減っていました。
   > それらの地域を支配する匪賊や、他の武装勢力に、通行料として
   > 一部物資を渡していたからです。
   > 当時、日本の支配地域以外の中国大陸には、匪賊が約2000万人もいたといいます。
   > それは中国軍の約10倍に相当します。 彼らは略奪で生計をたてていたのです。
   > また無事に重慶に届いた物資も、国民党幹部のポケットに入ってしまい、
   > 他の者には行き渡りませんでした。
   > このように当時の蒋介石の政府が、米国の支援を食い物にしていたことは有名です。
   > このように、日本の支配地域と、そうでない地域とでは中国民衆の生活に
   > 格段の差があったのです。
   > 日本はすでに日中戦争のさなかから、中国を近代的民主国家として自立させ、
   > アジアの同胞として共に相携えて共栄圏をつくるために、非常な努力を積んでいたからです。
   > しかしその望みも、やがて日本が日米戦争で敗戦を迎えたことにより、挫折しました。
   > そのとき、日本は中国につくった工場や施設、インフラなどを破壊することなく、
   > すべて正確な資産リストを添えて、中国の未来のためにそのまま置いてきました。
   > それらは戦後の中国経済の発展の基礎となったものです。
   > 日本が去ったとき、中国では再び「国共内戦」、すなわち国民党軍と共産軍の内戦が
   > 勃発しました。 これは実質的に、日本が残した遺産の奪い合いでした。
   > そしてこの内戦での死者は、日中戦争中の死者よりも多かったのです。
   > またこの国共内戦に共産軍が勝利し、中国を統一したとき、共産党は
   > かつて自分たちがなした中国民衆への殺戮、略奪、搾取などを、
   > すべて日本軍の悪行と宣伝して若者たちに教える教育を始めました。
   >
   《中略》
   >
   >
   > 日本の道義的行動
   >
   > 今までみてきたように、日中戦争とは、中国人からの度重なる戦争への挑発を受けた
   > 日本が、やむなく中国の内戦を平定するために乗り出していった行動でした。
   > 日本はその中国内戦に終止符を打ち、そこに、中国人による近代的国家をつくることを
   > 支援したいと考えていたのです。
   > 日本は中国を「侵略」したというより、同じアジアの同胞である中国の再生を願い、
   > 手を差し伸べたのです。
   > 日本の進出は、中国の国民党軍や共産軍からみれば「侵略」だったとしても、
   > 中国の民衆からみれば「救済」だったのです。
   > 日本の願いは、自立した近代的民主国家となった中国と共同して、
   > この東アジアに、共存共栄の経済圏をつくり出すことでした。
   > また共に、西欧やロシアによるアジア侵略に対する防波堤となることだったのです。
   > それは、実際もう少しで可能だったでしょう。
   > しかし、日米戦争で力をそがれた日本は、やがて敗戦を迎え、
   > その願いも中途で挫折してしまいます。
   > 日中戦争において日本は決して負けてはいませんでした。
   > ただ日米戦争で敗戦となったがゆえに、日本の努力は挫折したのです。
   > それでも、日本がアジア各国に与えた独立心は、やがて育ち、実を結んでいきました。
   > 黄文雄氏はこう述べます。
   > 「 大日本帝国は、80年にして人類史に計り知れない貢献を行ない、遺産をもたらした。
   >  負の遺産はほとんどない。
   >  『過去の一時期』に問題があるとすれば、それはただ日米戦争に負けたことだ 」
   > 日本ほど、アジアの独立と繁栄のために貢献した国は、他にありません。
   > 日本がなければ、今日のアジアの独立と繁栄はなかったでしょう。
   > その過程で、悪戦苦闘はありました。
   > 日本は中国において一番苦労しました。
   > なぜこれほどまでに中国で苦労しなければならなかったのか。
   > その一つに、日本人と中国人の気質の違いがあげられます。
   > かつて日本の明治維新を成功させたのは、武士たちの力でした。
   > 彼らは「至誠」を美徳と考える人々で、「私」に仕えず「公」に仕える者でした。
   > そして彼らは、維新が成功すると、士農工商の階級制度を廃止し、自分たちも刀を置き、
   > 町民となっていったのです。
   > 誰もが「国民」という平等の世界に、甘んじて身を投じていきました。
   > 一方、中国の革命家たちに共通するのは、すさまじいばかりの「保身」
   > すなわち「生き残りの哲学」です。
   > 「夷をもって夷を制し」、他を蹴落として何としてでも自分が生き残る、という
   > 権力への強烈な願望です。
   > これは5,000年間、ずっと戦乱の世に生きなければならなかった中国人の身に
   > しみついた性質なのでしょう。
   > このとき、自分が生き残るためには民衆の命さえも顧みません。
   > 中国の内戦では、おびただしい民間人が虐殺されました。
   > 民間人に対する略奪、強姦も至るところで行なわれ、
   > 彼らは人々から、軍隊というより「匪賊」と呼ばれていたほどです。
   > これは、日本の武士たちの戦いの様子とは大きく違います。
   > 日本の戦国時代は、武士同士が戦ったものであり、民間人は殺しませんでした。
   > あの関ヶ原の戦いでも、百姓たちは弁当をもって山の上から戦闘を見物していたほどです。
   > しかし中国の内戦では、革命家は民間人の死体を山ほどつくるのが常でした。
   > 共産党の毛沢東は、日中戦争および戦後の文化大革命、その他を通し、
   > 中国人同胞を数千万人殺しました。
   > 蒋介石も、先に述べたように数多くの民間人を犠牲にしています。
   > 蒋介石といえば、戦後、連合国の会議において、列強による日本の分割統治に反対し、
   > 天皇制存続を訴え、また日本への賠償請求権を放棄するなどをしてくれた人です。
   > そこには、西安事件以来、彼が不本意にも共産党の意向にそって
   > 日本軍と戦争をしたことに対する後悔もあったのかもしれません。
   > 賠償請求権を放棄してくれたことは、日本にとってありがたいことではありました。
   > しかし、中国を焦土にしたのは日本軍ではなく、蒋介石であり、また毛沢東なのですから、
   > 日本に賠償請求する権利はもともと彼らにはないのです。
   > また、日本は戦後台湾に莫大な資産をそのまま残し、蒋介石はそれを受け継ぎました。
   > その結果、彼は賠償以上の莫大な富を手に入れているのです。
   > 蒋介石は戦後、共産軍に負けて台湾にのがれたとき、そこで「白色テロ」と呼ばれる
   > 恐怖政治を行ない、多くの台湾人を犠牲にしました。
   > このように中国では、伝統的に「誠」よりも「生き残り」が強く優先されたのです。
   >
   《後略》
   >
   >
   > 久保有政著

 日本軍は、中国大陸に於いても八紘一宇の精神を発揮して、大地を実り豊かな農作物で満たし、イ ンフラ整備を施して、中国大陸を繁栄させようと尽力したのです。 それは決して侵略のための侵攻で はありません。 いつも通りのバカ正直で勤勉で勤労でお人好しの日本人が其処に居ただけです。





   [ 画像:朝鮮戦争時の韓国軍の慰安所について記している文書 省略
   (引用元アドレスをご参照ください)

   朝鮮戦争時の韓国軍の慰安所について記している文書


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