『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』 を斬る 《跡地》



Q&A - 1 「慰安婦」の徴集と連行

 - 6 自発的に「慰安婦」になったのか? を斬る

 引用元URL → http://fightforjustice.info/?page_id=166 (なお魚拓は無効な構造です)

   ↓ ↓ ↓

 発覚したのは、平成25年12月03日ですが、webサイト 『 Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却 への抵抗・未来の責任 』 の構造が変更になり、魚拓の取得が可能になりました ( 一部で取得エラー が出ますが ) 。 さっと目を通した限りで文章の変更は無い様に思われます。


 1-6 自発的に「慰安婦」になったのか?
 http://fightforjustice.info/?page_id=2407 ( 魚拓 )


 以下、青い色の文字がwebサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責 任』からの“引用”です。


 Q&A編 1 「慰安婦」の徴集と連行

 6 自発的に「慰安婦」になったのか?

 「慰安婦」被害者の女性たちは、自発的に「慰安婦」になったのではありません。
 日本軍に直接連行されたケース、日本軍が占領した村の代表者に女性を差し出すよう
 命令した結果、差し出されて「慰安婦」にさせられてしまったケース、
 「工場で働かないか」などという,うその勧誘にだまされて「慰安婦」にさせられてしまったケース、
 貧乏だったため、親に売られて「慰安婦」にさせられてしまったケースなどがほとんどです。

 

 自称従軍慰安婦の言う事を丸ごと全部盲信したとしても、証言者の数は五十数名である。 その証 言を以て、(韓国側が主張する)既に死せし20万人の従軍慰安婦全員が揃って同じ境遇であると主張 する根拠は何か?

 そもそも(証言が真実であると仮定して)、自分が被害者であると自覚していない者は、「自分は被害 者」と名乗り出ない。

 20万個を販売した製品に不具合が生じて、五十数人がメーカーへ被害を訴えた際に、20万個全部に 不具合が生じたと判断するのか?

 YESというなら、マトモじゃない。 病院へ行け。



 そして、いずれのケースにしても、慰安所では軍の許可なく慰安所を抜け出すことはできず、
 本人の意思に反して性奴隷状態を強いられました。

 

 何度も何度も何度も同じネタを。 一回書けば分かるわ。

 

   2013.08.07 時は来た!それだけだ
   安秉直ソウル大名誉教授「軍や警察の強制連行は無かった!」
   朝鮮人慰安所業者の日記発 見!!!
   http://tokihakita.blog91.fc2.com/blog-entry-7381.html

   > 163: ダイビングヘッドバット(新疆ウイグル自治区) 2013/08/07 16:58:33 ID:P5UhJgS40
   > それに慰安婦問題にしても戦地で営業しているのだから
   > 安全上の問題で移動の自由を制限するのは当たり前の事。
   > イラクで自由に移動の自由を与えるような馬鹿な政府はいないだろ。
   > 移動の自由を与えればそれこそ逆に問題となる。
   >
   > それをあたかも悪いような事を言っているが批判が的外れで
   > 批判が社会にとって何の役にもたたないどころか逆に有害である事を自覚すべき。

 戦争をやっているんだから外出の自由がないのはアタリマエです。



   [ 画像:城田すず子『マリヤの賛歌』、 省略 (引用元アドレスをご参照ください)

   城田すず子『マリヤの賛歌』


 貧乏のため、親に売られて芸妓や娼妓や芸妓となり、その後、借金が増額してしまったところを、
 店主や、軍の命令を受けた業者たちの勧誘を受けて日本軍「慰安婦」になった女性たちもいます。
 つまり、もともと売春をしていた女性たちが、「慰安婦」になるとわかっていて
 日本軍「慰安婦」になったケースです。
 日本人の「慰安婦」被害者にしばしばみられることがわかっています。
 しかし、このケースの場合も、「自発的に「慰安婦」になった」と言うことはできません。
 なぜならば、当時の売春する女性たち、つまり娼妓や芸妓、酌婦たちは皆、前借金にしばられて
 廃業の自由のない状態で売春を強要され続けていたからです。
 もともと奴隷的状態にいた女性たちが、他に借金を返済する道がなく、
 しかたなく「慰安婦」になる道を選んだに過ぎないからです。

 

 Q&A編 - 0 何が問題か 「慰安婦」制度と公娼制 - 4 公娼制度は世界でも当たり前? を斬る  より、コピペ

   女性を遊郭へ斡旋する業種を日本政府が公認したことも、
   そこに『人買い』さえ介在しなけ れば問題はありません。
   貧困農家の親が子を売る行為を見て見ぬ振りしていたという点に於いて
   日本政府を有責にすることは可能ですが、八紘一宇を目指して
   広げた国土に資金を注入して富国していた日本政府にとって、
   東北の貧しい農家に回せるお金はありません。
   資源に乏しい日本国にとって、領土の拡大は欧米と渡り合える経済力を確保するために
   必要でし た。
   もし、国土拡大等と云う不相応な野望を捨てて貧困層の救済に努めていれば、
   東北の貧困農家が子供を売る悲劇は起こらなかったかも知れません。
   しかし、そんなことをしたら、欧米と渡り合える経済 力や軍事力を手にすることは叶わなくて、
   他のアジア諸国と同様に日本も欧米の植民地になっていたでしょう。

   歴史に i f は厳禁ですが、それでも『善い管理』を行う事で売春婦に衛生的で安全な仕事場と
   適切な報酬を確保させ、親が子を売る人身売買に対して、見て見ぬ振りをすることで
   売った親も売られた子も飢え死にする事無く、命を未来に紡ぐことが出来たのです。

   凡そベストな選択だったと思います。

 朝鮮半島へ施したインフラ整備を止めることなく、日本国に欧米が侵略し辛い程の国力を維持させ て、かつ、貧しい農村の人達が飢饉の時にさえ、子供を売らずに済む社会保障を早急に整備する政策 があるなら挙げてみろ。

 できないなら黙ってろ。



 いくつかの事例を見てみましょう。

 @ 1925年に夕張に生まれた山内馨子(菊丸)さんは
   父の仕事の失敗による貧困のなか、10歳で東京の芸妓置屋に
   300円の前借金で売られました。
   借金は増え続け、1942年、「慰安婦」になれば軍が前借金の肩代わりをしてくれると聞き、
   4000円の借金返済目的と「死ねば靖国神社に入れてもらえる」との思いの中
   「慰安婦」に応募、「トラック島」で将校専用の「慰安婦」にさせられました

   ( 『週刊アサヒ芸能』1971年8月12日、
    1973年8月2日、『別冊歴史読本 戦記シリーズ 第25巻 女性たちの太平洋戦争』
    新人物往来社、
    広田和子『証言記録 従軍慰安婦・看護婦 戦場に生きた女の慟哭』同上、1975年 )。

 

 その人は、慰安婦に成る事で助かった人じゃないか。

 肝心の事を書かない事で印象操作するのは悪質極まるぞ。

 

   日本人慰安婦の証言
   http://www.tamanegiya.com/nihonnjinnniannfu20.8.27.html

   《前略》
   >
   > 以下、その「証言記録 従軍慰安婦・看護婦 戦場に生きた女の慟哭」より、
   > 芸者菊丸さん、本名山内馨子さん(大正14年青森県生まれ)についてです。
   > 山内さんは、10歳のときに芸者置屋の仕込っ子として東京に売られ、
   > 1942年3月、満18歳の時に、西小山で芸者をしているとき、
   > 置き屋の借金を肩代わりしてくれるということで、朋輩と二人でトラック島に渡る。
   > その山内馨子さんの証言として
   >
   > 「あの当時で四千円近い借金があったの(葉書が二銭のころ)。
   > 芸者というのはお金がかかるのよ。 着物一枚買うにも借金だし、
   > 踊りや三味線も習わなきゃならないでしょ。 お座敷に出るときには島田に結うの。
   > 蕕つけだとか、元結、たて長など使うので、結う旅に一円近くかかってしまう。
   > だから借金は増えるばかりだったわ」p19
   >
   > 「契約は一年半。
   > (略)
   > 働いたお金は四分六分で四分が自分のもの、
   > (略)
   > 帰国したときに、借金を返したあと一万円くらい残ったかしら」p24
   >
   > つまり、この山内馨子さんという慰安婦は当時で四千円近い借金があったが、
   > 一年半働いたのち、借金を返したあと一万円くらい残った。
   > そして、野口幸一氏という日本兵だった方の証言として、
   > 百円の前借金が抜けないでトラックに来た慰安婦が、その金を三カ月で返した
   > という証言や、仮名ながら、一年で前借金の2300円を返しただけでなく、
   > 一万円の貯金ができていたという証言が掲載されている。

 慰安婦に於いては、前借金の返済が極めて容易だったのだ。 

 もし、慰安婦制度が無かったら、この人は年老いて客が取れなくなる迄ずーっとタダ働きに近い売春 をさせられ続けただろう。

 この人を救ったのは慰安婦制度である。



 A 鈴本文さんは1924年に志摩半島の村で生まれ、7歳で身売りされて芸者として働きましたが、
   2000円の借金を解消するため、18歳のとき1年契約で「トラック島」の慰安所に行きました

   ( 「 告白!戦争慰安婦が生きてきた忍従の28年 長く暑い夏に放つ三代ドキュメント
     いまだ“後遺症”を背負い報われることのない戦争犠牲者たち 」
    『週刊アサヒ芸能』1973年8月12日、
    前掲『証言記録 従軍慰安婦・看護婦 戦場に生きた女の慟哭』)。

 

 この人の借金がどうなったのか書け!



 B 1921年に東京で生まれた城田すず子さんは、
   父親の事業の失敗で女学校時代に芸者屋に売られました。
   借金返済のため、17歳で台湾の膨湖島へ渡り、
   その後、サイパン、「トラック島」、パラオなどへ行き、慰安所で働いたのです

   ( 城田すず子『マリヤの賛歌』日本キリスト教団出版部、1971年7月 )。

 

 この人に関しても同じだ。 借金がどうなったかを書け。 それこそが肝心要だ。

 自称従軍慰安婦やサヨク達のターゲットは慰安婦制度であり、妓生制度ではない。

 したがって、妓生制度の下で借金を膨らましてタダ働きに近い売春を強要されていた娼妓が、慰安婦 になることによって短期間で借金を完済し、それどころか大金を手にして帰国したという事実は、ブーメ ラン以外の何物でもない。

 あたりまえだが、「私は慰安婦制度の被害者」と訴えていない19万9千9百数十名の外国人慰安婦た ち(まぁ、慰安婦が20万人も居たという主張自体が性質の悪い冗談なんですけどね)は、山内馨子さん と同様に借金を完済して、大金を手にしてホクホク顔で国へ帰ったとしか考えられないからである。

 慰安婦制度は、借金を抱えて売春をし続けなければならなかった“可哀想な売春婦達”を救ったの だ。

 恩に着て頂く謂れはあっても、憎しみの対象にされる謂れはありません。



 いずれのケースも、前借金に縛られて廃業の見込みのない売春生活を強いられているところへ、
 日本軍「慰安婦」になると、借金返済できて自由になれると勧誘され、
 「慰安婦」になるしか選択の余地がないと思わされたなかで「慰安婦」となったことが
 見て取れます。
 また、
 「 死んだら靖国神社へ入れてもらえる 」 「 お国の役にたてる 」
 といったナショナリズムを喚起されたことも原因であることがわかります。

 芸者や娼妓・酌婦の女性たちは、苦しい仕事をさせられただけでなく、
 世間から厳しい差別を被っていたために、国の役にたてる、国に認められるということは、
 人一倍魅力的に感じられたことでしょう。

 

 これも既出なので、Q&A編 - 0 何が問題か 「慰安婦」制度と公娼制 - 2 「慰安婦」は「公娼」だっ たか? を斬る よりコピペ。

   軍人が軍組織の指導に基づいて、
   「慰安婦に成れば御国のお役に立てて、死んでも靖国に祀って貰える」
   と言ったという証拠を出せ!

   “軍人が個人の判断で勝手に言った可能性がある記録”

   ではなく、

   “軍人が軍組織の指導に基づいて言ったと書かれた記録”

   を出せ。

   え?だせない?

   じゃあ、教えてあげようね。 そういうのを世間一般では“妄想”と言うんだよ。



 日本軍は、このように社会の底辺にいた女性たちの苦しみにつけこんで
 「慰安婦」に徴集したのです。
 それを自発的に「慰安婦」になったとみることはできません。

 

 芸妓や娼妓や芸妓が職業売春婦であった以上、同じこと(セックス)をやって報酬が桁違いの募集が あったなら、それに応募するのは当たり前です。

 日本人の芸妓や娼妓や芸妓が慰安婦に成った例に於いて
 「 私は慰安婦になんか成りたくなかった。
  売春を伴う芸妓や娼妓や芸妓でタダ働きしたかった」
 という証言があるなら出しなさい。

 証言そのものに証拠能力はありませんが、日本人に股を開いて金儲けをしたなんてクチが裂けても 言えない韓国で叫ばれる自称従軍慰安婦の不幸話よりは百万倍信憑性があります。

 え?だせない?

 じゃあ、教えてあげようね。 そういうのを世間一般では“妄想”と言うんだよ。



 しかも、強調しておかなければならないことは、「慰安婦」になる前に彼女たちが強いられていた
 廃業の見込みのない売春生活(事実上の性奴隷状態)とそれを認めていた公娼制度は、
 当時の日本においても、また国際社会の基準においては一層、すでに許されないものに
 なっていたのです。
 つまり、公娼制度下の身売りの慣習が禁止されており、
 別の職業選択の道が存在していたならば、彼女たちは「慰安婦」になることもなかったでしょう。

 

 おいおい。 振り上げた大鉈で自分の頭がカチ割れているのに気付かないのか?(笑)

 > 別の職業選択の道が存在していたならば、彼女たちは「慰安婦」になることもなかったでしょう

 ということは、

  別の職業選択の道が存在していない

 ということだ。

 国際社会が許そうが許すまいが、不作に襲われた貧しい農村は子供を売る以外に生きる手段がな かった。 売られた子供が産業技術を教えられて習得すれば、売春婦になんか成らずに済んだと考え ているのかも知れないが、そんな職に女性の席が沢山あるような時代ではなかった。 男児でさえも、 一から技術を教えられて事務職や技能職に就けるのはホンの一握り。 大多数は炭坑のような危険な 単純労働しか就けなかった。  いや、炭坑なら高給なので勝ち組だ。 大多数は、炭坑並みの危険度 にも拘らず薄給しか貰えない肉体労働で体を壊して、使い捨てられてていたんだ。
 女児が芸妓や娼妓や芸妓にならない選択肢は、精々が女工哀史で知られる様な、辛い単純労働し かありません。 それさえも手先が器用で、かつ、単純労働をマシンの様に繰り返す能力がなければ勤 まりません。 また、不作の年はあたり一帯の農家が全部不作になりますので、危険で辛い仕事であっ ても極端な買い手市場になり、まっとうな仕事にありつくのが困難になります。

 そうなると、手先が不器用だったり、同じ作業を何万回もミスなく繰り返すことが出来ない女児の売ら れる先は自動的に決まってしまいます。

 成り手が多いということは給与を安くしても文句を言われ難いということですので、女工の給与では農 家の借金が返せないこともあったでしょう。

 そんな場合にも、女児の売られる先が自動的に決まります。

 まさに、「別の職業選択の道が存在していなかった」のです。

 それを「悪い」といってしまうことは容易いでしょう。

 しかし、そういってしまうなら、そもそも農地に使える土地が極端に少ない日本列島に於いて、西洋の 列強国と渡り合えるだけの人口を養いつつ、産業を興して富国しようと企んだ明治政府の野望自体が 間違いだったということになります。

 そして明治政府の野望を間違いだったとして、歴史をやり直してしまうなら、今尚世界は西欧の列強 国が支配する(有色人種にとって)暗黒の時代であり、我々のような黄色人種に人権など決して認めら れてはいないでしょう。

 こんなアジアの片隅にあるちっぽけな島国。 農地として使える土地が極端に狭くて、麦で澱粉を摂 り、家畜の肉で蛋白質を摂る食生活に向かない島国。 そんな島国で少しでも多くの人が食べて行け る様に、と選択された稲作。 ・・・これが、彼女達を不幸にした元凶であり、今の日本を世界第3位の 経済大国に押し上げている原因なのです。

 どうして今の我々が明治政府の野望に「No!」と言えるでしょうか。

 老後の心配や結婚生活,子供の養育費まで視野に入れなければ、人が独りでアルバイトに就くだけ で、好き嫌いで食べ物を選んで空腹を満たし、住民票の取れる住居で雨露を凌ぎ、季節によって着る 服を変え、飲める水で糞を流し、暖かな蒲団に包まって寝る事が出来るのです。

 これは紛れもなく、明治政府が野望を抱いて富国させてくれたおかげです。

 「不幸があった。 ただ、その時点では誰にもどうしようも出来ない不幸だった」

 ただ、それだけの話です。



 国際的に禁止されていたにもかかわらず,普段から,貧困な女性たちを性奴隷状態に
 置いていた日本社会と,それを黙認し続け,戦時に利用した日本軍と日本政府の
 責任が問われているのです。

 

 百歩譲って日本人の芸妓や娼妓や芸妓が国際社会から責められる存在だったと仮定しよう。

 だがしかし。

   日本人慰安婦の証言
   http://www.tamanegiya.com/nihonnjinnniannfu20.8.27.html

   《前略》
   >
   > 以下、その「証言記録 従軍慰安婦・看護婦 戦場に生きた女の慟哭」より、
   > 芸者菊丸さん、本名山内馨子さん(大正14年青森県生まれ)についてです。
   > 山内さんは、10歳のときに芸者置屋の仕込っ子として東京に売られ、
   > 1942年3月、満18歳の時に、西小山で芸者をしているとき、
   > 置き屋の借金を肩代わりしてくれるということで、朋輩と二人でトラック島に渡る。
   > その山内馨子さんの証言として
   >
   > 「あの当時で四千円近い借金があったの(葉書が二銭のころ)。
   > 芸者というのはお金がかかるのよ。 着物一枚買うにも借金だし、
   > 踊りや三味線も習わなきゃならないでしょ。 お座敷に出るときには島田に結うの。
   > 蕕つけだとか、元結、たて長など使うので、結う旅に一円近くかかってしまう。
   > だから借金は増えるばかりだったわ」p19
   >
   > 「契約は一年半。
   > (略)
   > 働いたお金は四分六分で四分が自分のもの、
   > (略)
   > 帰国したときに、借金を返したあと一万円くらい残ったかしら」p24
   >
   > つまり、この山内馨子さんという慰安婦は当時で四千円近い借金があったが、
   > 一年半働いたのち、借金を返したあと一万円くらい残った。
   > そして、野口幸一氏という日本兵だった方の証言として、
   > 百円の前借金が抜けないでトラックに来た慰安婦が、その金を三カ月で返した
   > という証言や、仮名ながら、一年で前借金の2300円を返しただけでなく、
   > 一万円の貯金ができていたという証言が掲載されている。

 お座敷に出る為に必要なコストが賃金と相殺してしまうために、働いても働いても借金が減らない。  そんな可哀想な日本人の芸妓や娼妓や芸妓は、慰安婦に成る事で借金地獄から逃れて、新生活をス タートさせられる大金を得たのである(実際に新生活をスタートさせたかどうかは分からない。十中八九 は売春婦であり続けただろうと思われるが、そんな事はまた別の話である)。

 自発的に慰安婦に成ったにせよ、已む無く慰安婦になったにせよ、嫌だったのに慰安婦にさせられ たにせよ、借金で縛られた日本人の芸妓や娼妓や芸妓にとって慰安婦制度は救世主だったのであ る。

 恩に着て頂く謂れはあっても、憎しみの対象にされる謂れは、全く、全然、皆目、ありません。





 というか、下ネタで恐縮なんだけどさ。

 芸妓や娼妓の売春相手 → 加齢臭漂う禿デブ爺

 慰安婦の相手 → 筋骨逞しい若者(しかも、少なからず童貞)

 ・・・普通の性欲がある女性なら、芸妓や娼妓や芸妓として加齢臭漂う禿デブ爺に抱かれるよりは、慰 安婦として筋骨逞しい若者(しかも、少なからず童貞)に抱かれる方が嬉しいんじゃないの?

 少なくとも私が女性相手の男娼だったら、と妄想した際に、加齢臭漂うしなびた婆よりもピチピチの若 い娘(しかも、少なからず処女)の方が断然嬉しいのと同じ様に。

 違うのかね(笑)。


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