『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』 を斬る 《跡地》



解決編 1 日本の法的責任

 - 1 東京裁判とBC級戦犯裁判 を斬る

2014.11.06 兵に占めるB・C項戦争犯罪者の割合は朝鮮人が多かった、を追加


 引用元URL → http://fightforjustice.info/?page_id=417 (なお魚拓は無効な構造です)

   ↓ ↓ ↓

 発覚したのは、平成25年12月03日ですが、webサイト 『 Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却 への抵抗・未来の責任 』 の構造が変更になり、魚拓の取得が可能になりました ( 一部で取得エラー が出ますが ) 。 さっと目を通した限りで文章の変更は無い様に思われます。


 1-1 東京裁判とBC級戦犯裁判
 http://fightforjustice.info/?page_id=2483 ( 魚拓 )


 以下、青い色の文字がwebサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責 任』からの“引用”です。


 解決編 1 日本の法的責任

 1 東京裁判とBC級戦犯裁判


   [ 画像:1-1画像1 東京裁判 省略、(引用元アドレスをご参照ください)

   東京裁判


 まず、A級戦犯を裁いた東京裁判とBC級戦犯裁判という
 二種類の戦争犯罪裁判(戦犯裁判)について、説明していきましょう。

 「戦争犯罪」には大きく言って二つの内容が含まれています。
 一つは戦争をおこなう際のルールを決めそれに反する行為を戦争犯罪とする考え方であり、
 もう一つは戦争自体あるいは戦争を起こすこと自体を犯罪とする考え方です。

 前者については、傷病兵の保護を定めた第一回赤十字条約(1864年)が最初の条約といえます。
 その後、ジュネーブ条約(1929年)や「陸戦の法規慣例に関する条約(通称ハーグ条約)」と
 その付属規則(1907年)など戦時国際法が制定され、捕虜の保護、毒ガスや不必要に
 苦痛を与える兵器の使用禁止、占領地での住民の生命財産の保護、略奪の禁止などが
 定められ、それらを侵犯することは戦争犯罪とされるようになりました。

 後者の考え方は、第一次世界大戦後のヴェルサイユ平和条約で、
 この戦争を開始したドイツ皇帝の「戦争開始者責任」が問われたことが始まりです。
 ドイツ皇帝は亡命したために裁判にかけられませんでしたが、不正な戦争をおこしたこと自体を
 戦争犯罪として裁こうとした最初の例です。
 侵略戦争は違法であるという考え(戦争違法化)は国際連盟の規約(1919年)や
 「戦争放棄に関する条約(パリ不戦条約)」(1928年)などによって発展していきました。

 その後、前者を「戦争の法規または慣例の違反(通例の戦争犯罪)」、
 後者を「平和に対する罪」と呼ぶようになりました。
 さらに第二次世界大戦中のナチスドイツによるユダヤ人に対するホロコーストという
 想像を絶する犯罪を念頭において「人道に対する罪」という概念も誕生しました。

 

 ナチスドイツのホロコーストは、日本の南京害虐殺や従軍慰安婦問題,軍命に拠る沖縄集団自決問 題と同じく捏造史である。 しかも、なまじっか物証が残っている所為で、基本的に証言しかない日本の WGIPと違って、相手の意見を聞かない者同士の堂々巡りになりません。 確たる物証である絶望収容 所を科学的に否定した段階で完全論破が終了となります。

 前のページにも貼ったお馴染みのコピペです。

 どうぞ反駁してご覧あそばせ。 おほほほほ。

   ◆ホロコースト論争III 〜ホロコースト神話の黄昏〜 より

   http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/1646/1172717120/661
   >
   > 661 :juno213:2008/02/13(水) 11:05:33 ID:lsJG9Lpg
   > そろそろこのサイトも畳むそうですね。
   > 私もこれまでの議論を総括しようと思います。こんなものを作ってみました。
   >
   > 「現在までの修正派の論拠を崩し、ホロコーストを立証するためのロードマップ」
   >
   > @ 焼却棟の「基本設計」の面から、果たして初めから「絶滅施設」として設計されたもの
   >   なのか否かを検証する。
   >
   >   仮に、初めから「絶滅施設」としての設計であるとするのなら
   >    ↓
   >   ・ クレマW/Xの焼却炉は「ガス室」からは正反対の位置、ドアを五つも隔てた所にある。
   >    死体を運搬するためには、犠牲者達が移動してきたルートをそっくり引き返して、
   >    元にいた脱衣室を通過して焼却炉に到達しなければならない。
   >    極めて非合理的である。
   >    何故にこんな間取りにしたのかについて説明する。
   >    (一方で、石炭貯蔵庫と死体安置室は焼却炉と隣り合わせであり、全く合理的である)
   >
   >   ・ クレマW/Xのガス室はそれぞれに三つあることになっているが、
   >    出入り口は一箇所しかない。 犠牲者が入るにも、死体を運び出すにも不便である。
   >    何故にこんな間取りになっているのかを説明する。
   >
   >   ・ さらに、クレマW/Xの「ガス室」には、何と「屋外へ出るためのドア」がある。
   >    しかも、このドアは外開きである。
   >    よほどの強度を持っていないと、大量の囚人の圧力で
   >    内側から簡単に破られてしまうのではないのか?。
   >    そもそも何でこんなドアが必要なのかを説明する。
   >
   >   ・ クレマU/Vの「ガス室」は何故に地下にあり、地上の炉室へのアクセスが
   >    エレベーター1基しかないのかについて説明する。
   >    わざわざ建設コストを上げてまで、死体の運搬を著しく不便にしてしまった
   >    のではないのか。
   >
   >   ・ クレマU/Vの「ガス室」の排気口は床と同じ高さにある。
   >    すし詰めになった囚人の死体が山になって、排気口を塞ぐのは必至ではないのか?
   >    明らかに設計ミスと思われるが、これについて改善策が取られた形跡は無い。
   >    これについて説明する。
   >
   >   ・ クレマU/Vの設計図によると、半地下室の天井には土が盛られている。
   >    これはやはり、低温を保つ必要がある死体安置室に
   >    熱が伝わらないようにするための処置ではないのか。
   >    仮に天井にガス投入口が開いていたのだとすると、
   >    土が穴から下へ落ちてしまうことになる。
   >    これを防ぐには、煙突状の構造物で盛り土と同じ高さだけ、
   >    開口部を延長しなければならない。
   >    それでは手間と予算が余分にかかるだけである。
   >    一体何のために土が盛られていたのか?。
   >
   >   ・ クレマT〜X、さらにマイダネクのガス室にも言えることだが、
   >    チクロンBは「屋外から」ガス室内部に投入することになっている。
   >    雨の日は傘をさして作業したとでもいうのだろうか。
   >    また、作業員が建つ場所は、収容所の外れにあり、遮蔽物が一切無いために
   >    フェンスの外や隣の運動場などから丸見えである。
   >    ガス殺は証拠を一切残してはいけない究極の秘密だったのに、
   >    これではあまりに無防備ではないのか。
   >    マウトハウゼン収容所などは絶滅収容所ではなかったことになっているが、
   >    むしろこちらの方が堅牢な外壁で内部が隠蔽されており、
   >    遥かにガス処刑室を設置するのに適していたのではないのか。

   http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/1646/1172717120/662
   >
   > 662 :juno213:2008/02/13(水) 11:06:32 ID:lsJG9Lpg
   >    ↑
   >   ペルトのように上記の疑問に答えられずに、
   >   「通常の焼却棟を絶滅施設として改造、流用した」
   >   という説を採るのであれば…
   >
   >   ・ 改造はいつの時点から決定されたのかを説明する。
   >
   >    プレサック&ペルトは改造が決定された時期を「42年夏」だとしている。
   >    因みに、彼らはこの説を採るために、ビルケナウを絶滅収容所として改造せよと
   >    「41年夏」に命令を受けたとするヘスの自白が「記憶違い」であったという前提に
   >    立っている。
   >
   >    仮に、この「ご都合主義な前提」を正しいと認めたとしても…
   >
   >    @ クレマV〜Xの建設が開始されたのは、42年秋以降であり、
   >       ペルト&プレサック説による「42年夏の改造命令」よりもさらに後である。
   >      そして、クレマUと同一設計のクレマVは設計の変更を行われないまま、
   >      完成している。
   >
   >      しかし、ペルトの主張では、クレマUは通常の施設として設計されたため、
   >      殺人ガス室が地下にあるなど、絶滅施設としては基本構造が不適切だった
   >      ということになっている。
   >      となれば、クレマVは、絶滅施設への改造命令よりも後なのに
   >      「絶滅施設として不適切な設計のまま着工し、完成した」こととなる。(公文書より)
   >
   >    A クレマU/Vのガス投入口は天井の完成後(43年1月以降)に空けられたこと
   >      になっている。(証言より)
   >
   >    B クレマU/V用のガス投入装置の完成は「43年5月21日」となっており、
   >      なぜかガス室の稼動よりも後である。(証言より)
   >
   >    C クレマW/Xの換気設備は設計段階では存在しておらず、
   >      「43年4〜5月」に施設が完成した後で輸送されてきた。(公文書より)
   >
   >    …等といったことを考えると、改造の決定がなされた時期は、
   >    プレサック&ペルトが唱える「42年夏」でも、なおも矛盾が多過ぎる。
   >
   >    論理的説得力を持つには、もっと遅い時期、すなわち「焼却棟が基本的に完成した
   >    43年春以降」であったと仮定しなければならない。
   >
   >    しかししかし…
   >
   >    @ 前述した通り、ヘスの自白では、
   >      ヒムラーからビルケナウをユダヤ絶滅施設とするように命令を受けたのは
   >      「41年夏」となっている。
   >
   >    A ユダヤ絶滅が決定された時期は、正史においても意見が定まっていないが、
   >      最も遅い説でも「42年前半」である。
   >
   >    B また、正史においては、他の「純粋な絶滅収容所」が
   >      建設を終えて稼動していたとされる時期は以下の通りである。
   >
   >      ソビボル強制収容所 42/5〜43/10
   >      トレブリンカ強制収容所 42/7〜43/11
   >      ベルゼク強制収容所 42/3〜42/12
   >      マイダネク強制収容所 41/7〜44/7
   >
   >      いずれも、クレマU〜Xの完成はおろか、建設開始よりも前である。
   >      これでは「時系列」が無茶苦茶である。
   >      ユダヤ絶滅計画が発動し、他の絶滅収容所が全て稼動していており、
   >      ビルケナウも同様の絶滅収容所に改造するように命令を受けた後の時期に、
   >      クレマU〜Xは、囚人のチフスを予防する、
   >      すなわち「命を救う施設として」建設されていたことになる。
   >      正史の立場から、これらの論理的不整合を説明する。
   >
   >   ・ さらに「本来は通常の用途で設計された」となれば、
   >    焼却炉の能力は「チフスの病死者数を想定したものであった」ことを認めることになる。
   >    すると、10倍〜20倍は多かったガス処刑の死体を焼却するには、
   >    決定的に能力が不足していたはずである。
   >    ビルケナウの収容人数が大幅な定員割れを起こしていたため、
   >    想定していたよりもチフス患者が増えなかったことは事実である。
   >    しかし、それを考慮しても尚、正史派が主張するガス処刑の被害者数は
   >    余りに多すぎて焼却できない。
   >    ところが、クレマU&Xの着工後、焼却炉の能力に変更が加えられた形跡は無い。
   >    これは何故か。
   >
   >   ・ またプレサック&ペルト説では、クレマU/Vは通常の用途から絶滅用に改造、
   >    クレマW/Xは初めから絶滅用に設計されたことになっている。
   >    しかし、実際にはクレマU/Vの炉室の数は30あるのに対し、
   >    クレマW/Xのそれは16しかない。
   >    つまり、チフスの病死者を焼却するために設計された物と比べて、
   >    ユダヤ絶滅用の焼却炉は半分の能力しか無いことになる。
   >    この大いなる矛盾についても説明する。

   http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/1646/1172717120/663
   >
   > 663 :juno213:2008/02/13(水) 11:08:23 ID:lsJG9Lpg
   > A 技術的な側面から、証言どおりにガス処刑を行えるのかを検証する。
   >   ↓
   >   ・ ビルケナウの焼却炉が、100〜150万体の死体を焼却するためには、
   >    耐用寿命と石炭が無限にあると仮定しても、一体あたり12〜18分以下で処理する
   >    必要がある。 果たしてこの数字が科学的、技術的に可能なのかを証明する。
   >
   >    ただし、修正派が主張する焼却炉の稼働日数を論破すれば、
   >    この時間は21〜30分までは長くなり得る。
   >    それ以上は「数学的」に無理。(「物理的」にではない)
   >
   >    そして、ビルケナウのものよりも遥かに大きなスペックを持つ
   >    テレジエンシュタット収容所の焼却炉でさえも
   >    「カタログ上の最大能力が」一体当たり35分である。
   >    焼却炉の製造元の主任技師は戦後
   >    「一体当たり『60分』で民間の焼却炉よりもゆっくりだった」
   >    と証言しており、修正派が、焼却技師の協力によって計算した結果も
   >    一体当たり「60分」である。
   >    ↓
   >   ・ 焼却炉の耐用寿命は、製造メーカー自身が「数千回」と言っており、
   >    実際グーゼン収容所のものは1600回の使用で耐火壁を交換したのに、
   >    はたしてビルケナウのものは「3万回」使用していながら、
   >    一つ残らず耐火壁を交換しないで済んだのか?
   >    他の故障については詳細な記録が残っているのに、
   >    耐火壁のオーバーホールの記録はなぜ一切残っていないのか。
   >    これについて合理的な説明をする。
   >    ↓
   >   ・ 何故、残っている石炭搬入の記録は自然死体の数と一致しているのか
   >    (果たして、この文書は修正派の捏造なのかw)
   >    それよりも10〜20倍は多いはずのガス死体を焼却するための石炭の記録は
   >    一体何故見つからないのかについて説明する。
   >    ↓
   >   ・ 「穴が無ければホロコーストも無い」に対して反論する。
   >
   >    1.亀裂こそ入っているが、クレマUの天井は端から端までつながっている。
   >      しかし、ガス投入口の痕跡は現存していない。
   >      一辺70cmの正方形に切断された穴の痕跡が、4つが4つとも無いというのは
   >      あり得ないのではないのか?
   >      さらに、前述したような「盛り土の表面まで投入口を延長する煙突状の構造物」の
   >      痕跡も現存していない。
   >      防水シャッターの痕跡も無い。
   >      痕跡が無いことは肯定派のペルトも認めている。
   >      一体これは何故なのかについて合理的な説明をする。
   >      果たして、ペルトの主張どおり、痕跡も残さずコンクリートで埋めることは
   >      可能なのか。
   >      そもそも、そんなことをせずに「クレマVの天井が事実そうなっているように」完全に
   >      爆破すればよかったのではないか。
   >
   >    2.クレマTに現存する穴は、当時の「ガス室」の「実際のサイズ」からは
   >      配置が著しく偏っている。
   >      なぜか、戦後に改造された後の「偽りのサイズ」に対して配置が整っている。
   >      これは一体何故か、果たして当時にそれらの穴はあったのかについて説明をする。
   >
   >    3.クレマW/Xはどのようにしてガスを投入したのか。
   >      果たして、プレサックが主張したように壁についている窓から放り込んだ(!)のか
   >      について説明する。
   >      この窓は地上から170cmの位置にある。 内部から容易に妨害できる高さである。

   http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/1646/1172717120/664
   >
   > 664 :juno213:2008/02/13(水) 11:09:46 ID:lsJG9Lpg
   >   ↓
   >   ・ 何故に「ガス室」の壁からは、害虫駆除室のように
   >    プロシアンブルーが検出されないのか。
   >    何故に、正史派の立場に立っている94年クラクフ報告は、
   >    殆ど検出されえない非鉄シアン化合物を検出の対象にし、
   >    安定性の高いプロシアンブルーを除外したのか。
   >    その後13年間も経つが、何故に正史派はプロシアンブルーを検出対象にした調査を
   >    再度行わないのか。
   >    これらについて説明する。
   >   ↓
   >   ・ クレマU/Vの「ガス室」の換気設備は何故に、
   >    その施設内では単位体積あたりの能力が最弱で、害虫駆除室の1/7しかないのか。
   >    この能力は計画段階において、上げられたどころかむしろ下げられている。
   >    ナチスは、囚人を殺すための「ガス室」よりも、
   >    命を救うための害虫駆除室を換気することに熱心だったのか。
   >    修正派の計算では、「ガス室」が作業員が汗をかいても安全なレベルにまで
   >    シアンガスが排気されるまでに数時間かかるという。
   >    これについての化学的、技術的な反論をする。
   >   ↓
   >   ・ クレマW/Xのための換気装置が移送されてきたのは、完成後である。
   >    しかも、それを取り付けた記録は無い。 本当に「ガス室」として設計されたのか?
   >    これについての合理的説明をする。
   > ↓
   > B 以上で、物理的、化学的見地からのガス室の立証完了。
   >   他の文書資料を元にした立証に移行
   >   ↓
   >   ・ 焼却棟の「死体安置室」は焼却棟完成後も、
   >    文字通り「死体安置室」として継続して使用されていたことを示す決定的文書がある。
   >    一時的に、これらの死体安置室が使用できないという状況については
   >    一切言及されていない。
   >    ところが、正史派によれば、これらは全て「ガス室」や「脱衣室」として
   >    一貫して使用されていたことになっている。
   >    これについての合理的説明をする。
   >   ↓
   >   ・ 「脱衣室」は焼却棟の完成間際にSS医師によって設置を提案されている。
   >    この「脱衣室」は果たして、「ガス室」に入る囚人が自ら服を脱ぐための
   >    「いわゆる脱衣室」なのだろうか。
   >    まさか、ガス処刑はヒトラーやヒムラーではなく、
   >    医師の発想で行われたとでも言うのだろうか?
   >
   >   ・ 正史では、アウシュヴィッツの死亡者リストは、通常の死因の死者しか記録されず、
   >    ガス処刑された犠牲者は記録に残されていないことになっている。
   >    しかし、実際には死亡者リストには何故か労働不適格な
   >    子供や老人まで含まれている。
   >    何故に彼らは「ガス室」送りになり、死者のリストから外されなかったのか。
   >    また、収容所内の病院から、労働出来ないチフス患者が大勢退院した記録もある。
   >    一方で、正史においては外部から移送されてきたユダヤ人は
   >    「大半が労働不適格」として「ガス室」に直行したことになっている。
   >    彼らの大半が「チフス患者以上に労働不適格」であったのか?
   >    そんなことはとても考えられない。
   >    因みに15歳の少女アンネ・フランクとその親族は
   >    「全員が労働不適格者 で は な い 側」に選ばれている。
   >
   >    しかも、軍需工場での労働力を大量に欲していたビルケナウは
   >    慢性的に大幅な定員割れをおこしていた。
   >    計画では定員13万人なのに43年3月の時点で収容数はわずか3万人である。
   >    すなわち労働力となる新しい囚人は幾らでも収容できる余裕があった。
   >    となると、ナチスは軍需工場の貴重な労働力となり得たであろう、移送者の大半を
   >    むざむざ殺す一方で、労働できないチフス患者を治療していたのか?。
   >    この巨大なる矛盾を解消する。

   http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/1646/1172717120/665
   >
   > 665 :juno213:2008/02/13(水) 11:11:52 ID:lsJG9Lpg
   > ↓
   > C この時点で、アウシュヴィッツの「ガス室」の立証完了。
   >   他の収容所の「ガス室」の立証に移行
   >   ↓
   >   ・ 同じように科学的、技術的見地からマイダネクのガス室「部屋T〜W」の立証をする。
   >
   >    1.部屋T/Uには換気設備がない
   >
   >    2.部屋Vはガス投入口がない
   >
   >    3.部屋Wの「ガス投入口とされるもの」は、戦争当時は排気ダクトで
   >      煙突と繋がっていたため、チクロンBを投下することはできなかった。
   >      仮に現在の状態が戦後の捏造ではなく、「戦中に改造されたもの」だと仮定すると、
   >      今度は換気設備が無くなってしまうこととなる。
   >
   >    結局、どの部屋がどのような手段でガス処刑を行った部屋なのか。 それを立証する。
   >   ↓
   >   ・ トレブリンカなどの、ディーゼルエンジンによる「ガス室」の立証をする。
   >
   >    ナチスは何故に一酸化炭素の発生が極めて困難なディーゼルを使用したのか。
   >    適しているのはせめてガソリンエンジンではないのか。
   >    明らかに最適なのは木材を燃料とする可燃ガス発生器ではないのか。
   >    ガス発生器は、実際にネズミ、害虫駆除に使われていた。
   >    ガス室を設計した技術者は歴史上まれに見る間抜け集団だったのか。
   >   これについて合理的な説明をする。
   > ↓
   > (これでようやく収容所における無差別虐殺の立証完了)
   >
   > D 特別行動部隊などによる屋外での射殺は、
   >   ユダヤ人をユダヤ人であるという理由だけで無差別に行われたものである
   >   ことを証明する。
   > ↓
   > E 上記において、射殺された人数が水増しであるという、修正派の説を論破する。
   >   殺害の事実自体は、膨大な文書のコピーが作成され、現存もしているのに、
   >   大量の遺体を埋葬する作戦については、徹底的な証拠隠滅がなされたという。
   >   この極めて不可解な事態に対し説明をする。
   >
   > ↓
   > ホロコースト立証完了。 ご苦労様でした。

 ちなみに、まとめサイトのコメント欄でホロコーストは史実とするキムチ臭い書き込みを見つける度 に、このURLを貼ってあるんですが、いまだかつてタダの一度も回答を貰った事がありません。

 どんな屁理屈でも結構ですので、反駁して下さいな♪

 返答は、私宛にメールで下さるよりも、まだ閉鎖されていない掲示板へ書き込んでくださる方が宜しい かと存じます。 私なんかと違って頭脳明晰な maaと愉快な仲間たち 様がコテンパンにのしてくださる でしょうからw

   したらば掲示板「ホロコースト論争III 〜ホロコースト神話の黄昏〜」
   http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/1646/1172717120/l50 (消えました)

 すみません。 2008年02月13日の時点で 「 そろそろこのサイトも畳むそうですね。」 と書かれていた だけにその後、7年間以上も存続していたこと自体が異常なのでしょう。 当該する掲示板は消えてしま いました。

 申し訳ありませんが、異議の方はこちらへお願いします。

   



 A級戦犯を裁いたニュルンベルク裁判と東京裁判〜BC級犯罪も同時に訴追〜

 ナチスドイツを裁くために連合国によって作成された国際軍事裁判条例
 (ニュルンベルク裁判の根拠、1945.8)の第6条において、犯罪のタイプとして
 A項「平和に対する罪」、B項「通例の戦争犯罪」、C項「人道に対する罪」と
 三つに区分したことから、侵略戦争をおこして「平和に対する罪」に問われた国家指導者たちを
 A級戦犯、それ以外のB項とC項の犯罪を犯した者をBC級戦犯と呼ぶようになりました。
 ただこれはアメリカ式の呼び方であり、イギリスは主要major戦犯と軽minor戦犯と呼んで
 区別しています。 なおA級の方がBC級より重い罪という意味はありません。

 このA級戦犯を裁く法廷としては国際法廷としてニュルンベルク裁判と東京裁判の2つが
 開設されました。

 

 だから法治国家では許されない [ 事後法による遡及判決 ] だと言うておる。

 近い未来に買春行為が死罪になった際に、大昔のソープ通いやちょんの間通いを理由に圭 坊「だ け」が死刑になるのと同じ位に理不尽な処罰の何が有効なものか。

 そんなWGIPの呪縛はもう効かなくなったんだよ。 理解しろ。



 ただしA級戦犯と言っても、BC級犯罪も同時に訴追されるのが一般的だったので、
 「平和に対する罪」だけが裁かれたわけではありません。
 BC級裁判は戦争犯罪の被害を受けた国が開設する権利を有していたので、
 各国ごとに開設されています。

 なおB級とC級犯罪は重なる部分が多いのですが、
 B級が戦時における敵国民への犯罪であるのに対して、
 C級は戦時だけでなく平時も含み、自国民への犯罪も対象としていることに
 大きな違いがあります。
 たとえばドイツ国民であるユダヤ人を戦争前から迫害したケースは、B級には該当しません。
 そういう問題があったのでC級が考えられました。
 たとえば、カンボジアのポルポト派の犯罪は自国民を虐殺したわけだから
 B級ではなくC級犯罪です。
 日本についてはC級が適用されませんでしたが、それは植民地民衆(当時は日本国籍)に対する
 犯罪(強制連行や慰安婦の強制など)が裁かれなかったことと関係しています。

 

 逆だ逆。

 

   「A級戦犯とは?(マトメ)」2005.7.5
   http://www.asahina.net/kiyotaka/senpan5.html (魚拓

   > 極東国際軍事裁判所条例は戦争犯罪人をA級、B級、C級戦犯(戦争犯罪人)と
   > クラス分けはしていない。
   > 判決に関する資料を読んでみても、A級、B級、C級戦犯といった言葉を見つけることは
   > 出来ない。
   > 極東国際軍事裁判所条例には戦争犯罪人をA項、B項、C項に分類して告訴する
   > と書いてあるだけである。
   > 判決資料には判決結果(絞首刑、無期懲役など)が書いてあるだけで、
   > 誰がA級戦犯だから極刑を受けたなどとはいっさい記述されていないのである。
   >
   《中略》
   >
   > 東京で開かれた極東国際軍事裁判(東京裁判)は
   > いわゆるA級戦犯だけを裁いたのではない。
   > 東京で裁かれたのは、以下の3項目に関してである。
   >
   > (a) Crimes against Peace
   >
   > (b) Conventional War Crimes
   >
   > (c) Crimes against Humanity
   >
   > (a),(b),(c)にまたがる55件の罪で起訴されたのである。
   > そして刑を受けた多くのものは(a)(b)(c)にまたがる複数の罪に問われたのである。
   > しかし松井石根 (判決時71歳)元陸軍大将は(c)項「捕虜及び一般人に対する
   > 国際法違反(南京大虐殺)」の1件だけで裁かれた。

 「 A項で 」 や 「 B項で 」 ,「 C項で 」 と指定して断罪された被告人はいない。 逆に松井石根元陸 軍大将だけは 「 C項で 」 と指定して断罪されたのだ。 
 戦争犯罪人をA項、B項、C項に分類して告訴すると書いてあって、松井石根元陸軍大将だけが 「 C 項で 」 と指定して断罪されたのであるから、

 > 日本についてはC級が適用されませんでした

 ではなく、

 > 日本についてはC級が単独で適用された例が一件だけある

 が正しい。



   [ 画像:1-1画像2東京裁判に提出された証拠書類の一部 省略、
   (引用元アドレスをご参照ください)

   東京裁判に提出された証拠書類の一部


 東京裁判と性暴力

 東京裁判では、女性への性暴力の視点が弱かったことは事実ですが、
 提出された証拠書類のなかで性暴力を取り上げたものは、
 中国関係で39点、東南アジア関係で48点、計87点に及びます。

 そのうち、日本軍「慰安婦」に関係するものも8点あります。
 オランダの検察官は、インドネシアのボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック、モア島、
 ジャワ島マゲラン、ポルトガル領チモール(東チモール)の4か所での事例について
 証拠書類を提出しました。
 そのうちジャワ島のケースはオランダ女性が被害者、
 残り三つは地元の女性が被害者のケースです。
 フランスの検察官はベトナムのランソンと、場所が特定されない「数地方」と記されたケース、
 中国の検察官は桂林のケースを取り上げ証拠書類として提出しています。
 これらはベトナム女性と中国女性が被害者のケースです
 (吉見義明監修『東京裁判―性暴力関係資料』現代史料出版、2011年)。
 これまで日本の戦争責任資料センターの調査により7点としてきたが、
 同書により「数地方」とされた証拠書類が確認されており、計8点になります。


 東京裁判の判決で裁かれた性暴力・「慰安婦」強制事件

 こうした検察団の努力により、東京裁判の判決では強かんについて随所で言及されています。
 また「慰安婦」に関しては、中国についての叙述の中で

   「 桂林を占領している間、日本軍は強かんと掠奪のようなあらゆる種類の残虐行為を犯した。
    工場を設立するという口実で、かれらは女工を募集した。
    こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した 」

 と桂林のケースに言及され、戦争犯罪として認識されていたことがわかります。

 検察が取り上げた「慰安婦」のケースを見ると、第一に、日本人と性的な関係があった女性、
 あるいはその嫌疑をかけた女性を逮捕して裸にし無理やり「慰安婦」にしたケース、
 第二に、部族長に「若い女を出せ」と脅して出させたケース、
 第三に、抗日勢力の討伐に行き男たちは殺害しながら若い女性を連行し
 「慰安婦」にしたケース、
 第四に、女工だと騙して募集して無理矢理「慰安婦」にしたケースなどが取り上げられています。
 つまり日本軍が女性たちを「慰安婦」にした手口の主なパターンが取り上げられていることが
 わかります。

 

 だからどうした。

 そこに 「 旧日本軍や日本政府の命を受けて行ったと推察される犯罪 」 が一件でもあるのか?
 あるなら、その推論の根拠は何だ?
 旧日本軍や日本政府の命を受けて行ったと推察される犯罪が一件も無いのであれば、それは、将兵 が個人の判断で勝手に行った犯罪だ。

 し か も 、 そ ん な に 少 な い 。

 韓国人がベトナム戦争で行った強姦や虐殺に比べたら稚戯未満だわ。

 

   wikipedia「ライダイハン」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/ライダイハン
   > ライダイハン(越:Lai Dai Han、ライ大韓)とは、
   > 大韓民国(以下、韓国)がベトナム戦争に派兵した韓国人兵士による
   > 現地ベトナム人女性に対する強姦などの性的交渉によりもうけられた子供のこと。
   > パリ協定による韓国軍の撤退と、その後の南ベトナム政府の崩壊により取り残され、
   > 「敵軍の子」として迫害された[1]。


   2013/10/08 子供には読ませられないブログGIGO
   ライダイハン Raittaihan 韓国軍の戦争犯罪 大虐殺と強姦
   http://japan4war.blog.fc2.com/blog-entry-858.html
   《前略》
   >
   > 日本軍の兵が米兵を殺したことは誇大に報道するが、実際は米兵が遊び半分で
   > 日本兵を虐殺していた事実がある。
   > たとえば、輸送船が沈められ漂流している武装していない日本兵達に対して、
   > 米軍は艦上からゲームの様に機銃掃射して漂流している日本兵を虐殺した。
   >
   > そして戦闘機も、同様に機銃掃射して、弾が切れると基地に戻り、わざわざ戻ってきて
   > 機銃掃射するといった遊びを繰り返し、日本兵を虐殺した。
   >
   > 「 捕虜に食わせる飯より、弾の方が安い 」 マッカーサー
   >
   > 助けて捕虜にすると、日本軍のように自分達の食料まで削るハメになる
   > 米軍は必要数しか捕虜を取らず、大半は虐殺して食料が減るのを抑えるのだ。
   > 必要数の捕虜というのは、拷問して情報を聞き出す目的である。
   >
   > これは大東亜戦争(太平洋戦争)も越え、ベトナム戦争でも繰り返された。
   > ベトナム戦争ではさらに残忍な民族である韓国人が米軍の同盟として参戦したため
   > 強姦・虐殺・略奪、村の消滅が相次いだ。
   >
   > そう、ココで産まれたのがライタイハン
   > 韓国軍人とベトナムの女性の間に産まれた大量の混血児
   >
   > 多くの女性は強姦した後に虐殺されたが、生き残った女性もいて出産している。
   >
   《中略》
   >
   > Lai Dai Han
   > Raittaihan
   > ライダイハン
   >
   > 韓国軍兵士に強姦されて生まれたベトナムの子供(韓国の精子「敵軍の子」として)
   > 忌み嫌われ迫害される子供たち。
   >
   > その数3万人
   >
   > 韓国内では一時騒ぎになったが、2009年にフィクションドラマを作成し
   > それを機に、忘れ去られた。(終わらせた)
   >
   > 大韓民国(以下、韓国)が米国の同盟軍としてベトナム戦争に参戦した。
   > 彼らは戦後、長年「英雄」として扱われていた。
   >
   > その「英雄」が語ることが出来なかった戦争犯罪がある
   > 「軽蔑(ライ)+大韓民国(タイハン)」という名前を持つベトナムの子供たち。
   > (この造語については、後述します)
   >
   > 韓国人兵士がベトナム人女性を大量に強姦して産まれたり、
   > 韓国軍の従軍慰安婦として強制徴用された美しいベトナム人女性が産んだり、
   > ベトナムで結婚した韓国兵との間に産まれた韓国人との混血児などを総称して
   > 「ライタイハン」といいます。
   >
   > 韓国軍は、強姦した後、女性の容姿で選別を行い、不美人や年寄りの女性は
   > 両手・両足を切断して、火に放り込んで焼き殺したり
   > 殺す前に両手・両足を切断しておいて、死ぬまで強姦する「だるま」と彼らが呼んでいる
   > 強姦・虐殺をしたり、川へ投げ入れて強姦と虐殺の証拠を隠蔽しようと工作したケースも
   > ある。
   >
   > そして容姿が良いベトナム人女性や少女を強制的に従軍慰安婦として
   > 韓国軍は連れ回して、繰り返し強姦を行った。
   > 弱ったり病気になった女性は虐殺して処分した。
   >
   > 韓国人は、ベトナム人「従軍慰安婦を肉便器」と言ったそうだ。
   > これは、出したい時に出せる(射精できる)という意味だとか。
   >
   > その為、ライタイハンはベトナム人の美人女性の遺伝子を受け継ぐ
   > 美人が多く、モデルなどで活躍している子もいる。
   > もちろん、タイハン(大半)が韓国人のブ男の遺伝子を持つ不美人であることは
   > 悲しい事実である。
   >
   《後略》


   【閲覧注意】 ベトナムでの韓国軍の大虐殺とライダイハンを忘れるな!
   https://www.youtube.com/watch?v=2wt9GoLpFu4
   560x315
   


   wikipedia「ライダイハン」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/ライダイハン - 2.1.1 韓国軍の虐殺行為

   > ベトナム戦争が終わり、南北ベトナムが統一して既に四半世紀が通ぎた。
   > そして韓国ではここ数年、あの戦争をめぐり長らくタブーとされてきた過去について、
   > かつてない議論が進められている。
   > その過去とは、ベトナム戦争に参戦した韓国軍によるベトナム民間人の虐殺問題だ。
   > 最初にタブーを破ったのは、韓国のハンギョレ新聞社[12]が発行する週刊誌
   > 『ハンギョレ21』だった。
   > 同誌は1999年、韓国軍がベトナム戦当時に起こした虐殺事件について
   > 記事を掲載したのだ(5月6日号)。
   > この記事を書いたのは、韓国人歴史研究者のク・スジョン。
   > 彼女はベトナム戦争の韓国軍の残虐行為が記されたベトナム側の資科を入手し、
   > 韓国の市民団体の一行とともにベトナム現地で検証を始めたのだ。
   > ある地域で、猛虎部隊(韓国軍部隊)等による1か月間の作戦で
   > 1200名もの住民が虐殺されたという66年当時のベトナム側の報告を紹介しながら、
   > 同時に生存者たちの証言に基づき虐殺の様子を具体的に描いている。
   > 例えば、生存者の証言からは韓国軍による民間人虐殺の方法に
   > いくつか共通した類型があったようだと、同記事には記されている。
   > 以下、その部分を略して引用する。
   >
   >  ・ 大部分が女性や老人、子供たちである住民を一か所に集め、機関銃を乱射。
   >  ・ 子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。
   >  ・ 女性を強姦してから殺害。 強姦しながら拷問。
   >   妊産婦の腹を、胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。
   >  ・ トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺す……等々。
   >
   > 日本の戦争責任を追及してきた韓国の人々にとって、自国軍が虐殺をしていたのだという
   > 告発は、苦いものであったに違いない。
   >
   > 続いて同誌の2000年4月27日号には、住民虐殺を行なったという元軍人による加害証言が
   > 掲載された。
   > 戦争当時、一般住民とゲリラを区別するのは難しく、我が身を守るためには仕方なかった
   > のだとその元軍人は述壊した。
   > しかし同時に、今やその行為に罪の意識をもち、韓国政府がベトナムに謝罪し
   > 被害者に補償することを望むという彼の声も、同誌では伝えられた。
   > これと前後して米誌『ニューズウィーク』が「暴かれた英雄の犯罪」と題して
   > ベトナム戦争での韓国軍の虐殺問題を取り上げた(2000年4月21日号)。
   > ク・スジョンらの調査を紹介しつつ、「 8000人以上の民間人を殺した韓国軍の虐殺行為
   > の数々 」 が明らかにされつつあると、7ページにわたり大々的に報じたのだ。
   > タブーであった虐殺事件についてのこれらの報道に対し、韓国国内では激しい反撃が
   > 起きた。
   > 同年6月27日には、ベトナム戦に従軍した退役軍人ら2000人余りがハンギョレ新聞社に
   > 乱入しコンピュータなどを破壊した。
   > 彼らは「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバーで、国のために闘った戦友を
   > 冒涜されたと激しく抗議したのだ。
   > ベトナムへの韓国人派兵は64年に始まり、延べで30万人以上の兵士を送り込んだ。
   > 米国に次ぐ大派兵であった。 この戦争で約5000人の韓国人が死んだ。
   > ハンギョレ新聞社に乱入した元兵士たちがそうであったように、アメリカ軍が散布した
   > 枯れ葉剤の被害に苦しむ元兵士らが、今も韓国には多い。
   > ベトナム戦争当時、韓国軍総司令官だった蔡命新は、先の『ニューズウィーク』での
   > インタビューで 「 誰に対しても償う必要はない。 あれは戦争だった 」 と明言している。
   > アメリカ軍によるソンミ事件などの虐殺行為がベトナム戦争当時から国際的に
   > 批判を受け議論の的となったのとは対照的に、韓国軍による虐殺行為については、
   > こと韓国国内では長く沈黙が保たれてきた。
   >
   > (中略)
   >
   > また全斗煥・盧泰愚両大統領がベトナム戦争で武勲を挙げた軍人であったという
   > 政治事情もあり、ベトナム戦での過去は、韓国では幾重にもタブーであり続けた。
   > しかし、冷戦終結と韓国の民主化により、このタブーは破られた。
   >
   > (中略)
   >
   > 韓国の歴史教科書には、ベトナム戦争についてほとんど記述はされていない。
   > 中学生向けの国定教科書に記されているのは
   > 「 そして、共産侵略を受けているベトナムを支援するために国軍を派兵した 」
   > の約1行のみだ。
   > (佐藤和 「被害者史観韓国を揺るがすベトナム民間人虐殺の加害責任」
   > 『SAPIO』 2001年9月26日号)


   wikipedia「ライダイハン」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/ライダイハン - 2.1.2 虐殺行為の詳細

   > 1965年から1966年の間、プウエン省のタオ村で、
   > 韓国軍は、ほとんど大部分が婦人の村人42人を狩り立て、やがて小火器を浴びせ、
   > 全員を殺害した。
   > 1966年1月11日から19日の間、ジェファーソン作戦の展開されたビンディン省では、
   > 韓国軍は300人以上の住民を捕まえ、拷問を加え、更にまた400人以上のベトナム人を
   > 殺した。
   > 1965年12月から1966年1月の間に、韓国軍は、ビンディン省のプレアン村では
   > 数百戸の家々を炎上させ、一方キンタイ村を完全に掃討した。
   > 同じ省の九つの村々で韓国軍は、民間人に対して化学兵器を使用したのである。
   > 1966年1月1日から同月4日までの間に、ブン・トアフラおよびヨビン・ホアフラ地方で、
   > 韓国軍は、住民たちの所有物を残らず略奪したうえ、住民の家やカオダイ教の聖堂を
   > 焼き、さらに数千頭の家畜を殺した。
   > 彼らは、また仏教寺院から数トンもの貨幣をくすね、それから人民を殺したのである。
   > 「 ある村が、わが軍の支配下に陥ると、その次の仕事はベトコンから
   >  村人たちを分け離すことなのだ 」
   > こう言ってのけたという韓国軍将校の話しが引用された。
   > ナムフュン郡で、韓国軍は4人の老人と3人の妊婦を、防空壕の中へ押し込め、
   > ナパームとガスで殺した。
   > アンヤン省の三つの村では110人を、またポカン村では32人以上を、
   > こうしたやり方で、殺したのである。
   > 1966年2月26日、韓国軍部隊は、137人の婦人、それに40人の老人と76人の子供も一緒に、
   > 防空壕の中へ押し込めて、化学薬で殺したり、全員を盲にさせたりした。
   > 1966年3月26日から28日にかけて、ビンディン省で、韓国軍は、数千におよぶ農家と
   > 古寺院を炎上させ、若い女性や年老いた女性を集団強姦した。
   > 8月までに、勇猛な朝鮮人たちは、ビンディン省における焦土作戦を完了した。
   > フーカット郡(英語版)では、3万5千人の人たちが、死の谷に狩り立てられ、
   > 拷問を完膚なきまで加えられてから全員が殺された。
   > 10月には、メコン河流域では、裸で両手ないしは両足の19人の遺体が川から引揚げられた。
   > これらは、いずれも陵辱された少女たちの遺骸であった。
   > この事件に先立って、同じ地域で共同作戦中の米軍と韓国軍が、昼日中に結婚の行列を
   > 襲い、花嫁を含め7人の女性を強姦した、との報道もあった。
   > かれらは、結婚式に呼ばれた客の宝石を残らず奪ったうえ、3人の女性を川の中へ
   > 投げ込んだ。
   > 放火、銃剣による突き殺し、拷問、強姦、強奪こんな記事は、
   > ほとんど毎日のように続いている。
   > 母親の胸に抱かれたいたいけな乳幼児でさえも、非人間的な殺人行為を免れることが
   > できないのだ。 これは、たった一都市に起きた南京大虐殺どころの話ではないのだ。
   > これこそ、アメリカの新聞の力をもってしても、中国の南京で起こった話を語ることのできない、
   > 今日のベトナム民族大虐殺なのである。
   > つまり今日では米軍および韓国軍の検閲官が全強権を発動し、事実が明るみに出るのを
   > 妨げているのである。
   >
   > (中略)
   >
   > なぜ在ベトナム韓国軍がかくも攻撃的で残酷であるかという理由は、
   > 彼らが、アメリカが与えてくれた援助に対してお返しをするためであり、さらにまた
   > それは韓国民に対して彼らが、アジアにおいて平定の役割を演ずることができるのだ
   > という誇りと確信の感情を与えるためである、と1967年5月、ソウル政府当局は
   > 日本人記者に説明した。(D.W.W.コンデ『朝鮮-新しい危機の内幕-』新時代社、1969年)

 これが人間のやることか。



 こうしたことから、日本軍の性暴力と「慰安婦」強制事件は、不十分であるとはいえ、
 東京裁判において戦争犯罪として裁かれたと言えます。

 

 100%故意に書いているんだと思うけど

 誤: 日本軍の性暴力と「慰安婦」強制事件

 正: 日本軍の将兵が個人的に犯した性暴力と「慰安婦」強制事件

 です。



 BC級戦犯裁判で裁かれたスマラン事件

   [ 画像:1-1画像3BC級裁判 省略、(引用元アドレスをご参照ください)

   BC級裁判


 連合国各国がおこなったBC級戦犯裁判ではオランダが、
 蘭領インド(インドネシア)でのケースをいくつか裁いています。

 有名なスマラン事件は、1944年にジャワ島スマランにおいて抑留所に収容されていた
 オランダ人女性ら約35人(16、17歳から20歳代)を日本軍が強制的に「慰安婦」にした事件です。
 2件13人が起訴され、うち慰安所開設の責任者の少佐が死刑、将校6人と慰安所業者4人が
 2年から20年の禁固刑になりました。

 ほかに慰安所に関連して裁かれたケースは、
 バタビア裁判ではバタビアの慰安所桜倶楽部経営者1人(10年の刑)、
 東ジャワのジョンベル憲兵隊の大尉1人(他の容疑も含めて死刑、逃亡中に射殺される)、
 ポンティアナ裁判で海軍大尉以下13人(不法逮捕虐待殺戮の罪も合わせて全員有罪、
 うち死刑7人)、
 バリクパパン裁判で慰安所経営者の民間人1人(無罪)があります。
 起訴された者は全部で29人となります(34人というデータもある)。

 アメリカ海軍がグアムでおこなった戦犯裁判において、
 在留邦人が、グアム女性を 「 意思に反してかつ同意なしに売春目的で不法に連行した 」 という
 「慰安婦」強制容疑で有罪となりました。
 ほかの容疑も含めて死刑判決が下されましたが、最終的には15年の重労働に減刑されています。
 中華民国がおこなった中国裁判では、強制売春3件と婦女誘拐1件が扱われているが
 詳細は不明です。 資料公開と今後の調査が待たれます。

 このようにBC級裁判では日本軍「慰安婦」への強制事件が戦争犯罪として起訴され
 有罪判決がいくつも下されています。

 

 中国戦線、南方戦線に派遣された将兵はのべ1100万人である。

   → ソース:2007-07-08 にゃんこ先生の学習帳
         ■[防]日本軍は何人いたのか?(瞬間風速/累計)
         http://d.hatena.ne.jp/nyankosensee/20070708/1183879352

 で。

 ・ スマラン事件 → 少佐が死刑、将校6人と慰安所業者4人が禁固刑 → 計11名

 ・ バタビアの慰安所桜倶楽部経営者1人、東ジャワのジョンベル憲兵隊の大尉1人、
  ポンティアナ裁判で海軍大尉以下13人、バリクパパン裁判で慰安所経営者の民間人1人。
  起訴された者は全部で29人となります(34人というデータもある)。 → 多い方を取って34名

 ・ アメリカ海軍がグアムでおこなった戦犯裁判において、在留邦人が有罪 → 1名

 11+34+1=36 合計で36名。

 そうすると、

 36×10万÷1100万=0.327 将兵10万人あたり0.327名が加害容疑者。

 ということになる。

 お分かりになられただろうか。

 ( ゚д゚)はっ! と気付かれた方もおられるだろう。

 そう、少ないのだ。

 [ Q&A編 - 1 「慰安婦」の徴集と連行 - 5 強制を裏付ける文書はないのか? ] に於いて

 > あとで問題になるような文書は作らない

 とか

 > 日本軍や政府の重要な資料は敗戦直後に大量に処分されてしまった

 とか

 > 官僚組織が ― 軍隊というのは典型的な官僚組織ですが ―、あまり表沙汰にしたくないことを
 > やるときには、文書を残さずに口頭で処理するというのは、ごく普通のこと

 とか

 > 都合の悪いことが書いてある場合には、文書があっても公表しない

 とか、必死に妄想しているんだけど、そもそも口頭だろうがコード言語だろうが焚書済みだろうが慰安 婦の強制連行を軍命でやっていたなら、こんなに少ないわけがない。

 基本的に統制のとれていた日本軍の中で、将兵が個人の判断で勝手にやったから、こんなに少ない のである。 もちろん、やったけどバレていないだけというケースもあっただろう。 しかし、それを加え ても尚、軍命で強制連行をしたとは考えられない数である。

 何回でもコピペしちゃうけど

   従軍慰安婦問題に日本政府が有責になるのは、旧日本軍や日本政府の命を受けた
   朝鮮人女衒や漢奸(日本人の手先となった中国人)または日本人将校が、
   買春をする気なんか微塵もない女性を騙す、或いは無理強いをして売春させていた
   場合だけだ。
   日本政府が慰安婦を募集するように業者に依頼して、依頼を受けた業者が
   ―― 日本政府に無断で、独自の判断で ―― 買春をする気なんか微塵もない女性を騙す、
   或いは無理強いをして売春させていたとしたら現日本政府に責を問うことなんか出来ない。

   朝日新聞の社員が罪を犯そうが、NHKの職員が罪を犯そうが、警察官が罪を犯そうが、
   それ自体は、朝日新聞やNHK,警察組織が関与した犯罪ではありません。 
   朝日新聞やNHK,警察組織が犯行 に関与したという明確な証拠が提示されない限り、
   たとえどれほど怪しくても推定無罪。 これと全く同じなのです。

 であり、

   圭坊の正体が悪の軍団『ショッカー』の関西支部に属する下っ端戦闘員だとします。

   今日は圭坊が非番の日ですが、他の戦闘員たちは、世界征服の為に幼稚園バスを襲う
   という重大な任務があり、皆が出払ってしまいました。
   しょうがないので、圭坊は独りで繁華街を彷徨きます。

   ふと見ると、アニメ『氷菓』に登場するヒロイン 千反田える にそっくりな超絶可愛い娘が、
   これまた圭 坊の弩ストライクコスチュームのセーラー服姿で歩いているではありませんかッ!

   もう辛抱堪らん。

   その少女が人が疎らな路地へ入って行ったのを是幸いと、圭坊が後をつけて
   寂れた廃ビルへ連れ 込んで強姦したとしましょう。

   さて、このレイプ事件に関して悪の組織『ショッカー』は有責でしょうか?

   有責ではありません。

   これは非番の日ではなく、仕事の最中にこっそり抜けて(なにせショッカーの戦闘員は
   全員がマスクを 着用していますので、途中で抜けても気付かれませんw)、任務と違う犯罪に
   及んだ場合でも同じです。
   ( ただし、就業中に起こした犯罪であれば、関西支部の支部長あたり迄は責任が及ぶ
    可能性はあり ます。 それでも本部の責任は問えないでしょう。 )

   ショッカーの大幹部であらせられるゾル大佐とか死神博士とか地獄大使の与り知らない所で
   圭坊が犯した罪は、たとえショッカーが悪の軍団であってもショッカーに責はありません。
   もちろん、ショッカー が圭坊のレイプ犯罪の主犯になんか成るワケがありません。

   至極、あたりまえの話です。

 なのです。

 「 日本軍の将兵が悪い事をして裁判で裁かれている。 だから日本軍は有責だ 」 は通りません。

 通るのは

 「 日本軍の将兵が悪い事をして裁判で裁かれている。 つまり悪い将兵が居た 」 だけです。


 しかも、B・C項の戦争犯罪で死刑になった将兵は、日本人だけではありません。

   2014年 5月 28日 あじあにゅーす2ちゃんねる
   【朗報】アメリカ、韓国を第二次大戦の戦争加害者と正式認定!!
   戦争犯罪で死刑になった朝鮮兵は日本兵より多い事が判明!!
   韓国政府、事実をバラされて怒りの猛抗議wwwwww
   http://asianews2ch.jp/archives/39064754.html
   > ■ “テキサス親父”の反日国家に黒船砲をぶち込むぜ!
   >   「韓国は戦争の被害者じゃない、加害者だぜ!」
   >
   > ハ〜イ! 皆さん!
   > 4月25日に訪日して靖国神社に行ったんだ。
   > ここには第二次大戦で戦死したアメリカ兵も祀られているからな。
   > これと前後して、論争が起きてるぜ!
   >
   > 4月21日から、靖国神社で「春季例大祭」が行われたんだ。
   > 安倍総理は慣例にならって真榊(まさかき)を奉納したよな。
   > それに韓国政府と、北京にいる共産主義者の連中が、こう激怒してるんだ。
   >
   > 「 わからないのか?
   >  そこは戦後連合国側より処刑された、A級戦犯の魂が祀られているんだ! 」
   >
   > そこで、俺は考えたんだ。待てよ‥‥ってな。
   > 中国と日本の間では戦争が行われたよな。
   > それなら中国が、当時の敵兵の魂が祀られている靖国神社に対して、怒るのも
   > わからないでもない。 しかし、朝鮮は日本の一部だったんだぜ!
   > 俺は調べたんだが、日本の軍人が朝鮮半島で戦争犯罪を犯し、有罪になったなんて記録は
   > どこにもないぜ。
   >
   > なぜ被害を与えられてもいないのに、韓国は怒るんだ?
   >
   > まずは「A級戦犯」について説明したい。
   > A級、BC級っていうのは、罪の重さのように見えるけど違う。
   > 極東軍事裁判 ─ 東京裁判における戦争犯罪の項目なんだ。
   > A項は「平和に対する罪」、B項は「戦争犯罪」、C項は「人道に対する罪」ってわけだな。
   >
   > 戦争犯罪についての議論は別にしたいが、戦勝国が敗戦国を裁く構造だと俺は考えている。
   > つまり、A級戦犯は敗戦の将としての責任じゃないか?
   > 戦争の名を借りて、民間人や捕虜に強姦や拷問、窃盗などを行ったBC級のほうが
   > 悪質だってことにはならないか?
   >
   > ところで、東京裁判で「有罪」とされた大日本帝国軍に、
   > 志願して従軍した朝鮮人たちがいたんだ。 俺が何を見つけたかわかるか?
   >
   > 日本軍にいた日本人は230万人と言われているが、
   > 約940人が、戦争犯罪人として死刑になっている。
   > それに比べ、日本軍の朝鮮人兵士は約1万7000で、
   > 140人が戦争犯罪人として有罪とされているんだ。
   > 日本人0..04%に対して、朝鮮人は約0.9が有罪とされたんだぜ!
   >
   > 比率から考えれば「戦争犯罪」で死刑になった朝鮮人のほうが、
   > 日本人よりはるかに多かったってことになるよな。 言葉遊びをしてるんじゃないぜ。
   > 俺が言いたいのはココなんだ。
   > 韓国はあの戦争の一方的な被害者じゃない、加害者でもあるんだぜ!
   >
   > 他にも知りたいか?
   > 当時、日本軍で、朝鮮人兵士は捕虜収容所の看守の任務に就くことが多かったんだ。
   > ところが、捕らえられた連合国軍の捕虜たちは、朝鮮人を 「非常に野蛮で残忍だった」 と
   > 書き記しているぜ。…
   >
   > 「捕虜の取り扱いに関しては獣のようだった」
   > 「銃剣に血糊をつけることで、自分たちは有能だとアピールしていた」
   > ってな。 彼らが、BC級戦犯として裁かれた理由は明らかだよな。
   >
   > さて、韓国よ。
   > 誰かが靖国神社に参拝することに怒るのは、
   > 自分たちの汚れた歴史がバレるのがイヤだからなのか?
   > だから「A級戦犯」だけを目の敵にするのか?
   >
   > 日本に対して「歴史を直視しろ!」って言ってるが、俺は「直視」したぜ!
   >
   > 米国と、日本の皆さんに神の祝福を! 
   >
   >
   > トニー・マラーノ
   > ◆ プロフィール ★トニー・マラーノ★
   > 通称「テキサス親父」。 49年生まれ。
   > 動画掲載サイト「ユーチューブ」で、ありとあらゆる悪や不正を軽快なトークでねじ伏せる。
   > 古きよきアメリカ保守派の視点から、極東各国への提言を行っている。
   > 仲間由紀恵のごくせん「ヤンクミ」の大ファンだ!
   >
   >
   > [ アサ芸プラス 2014.5.27 ]
   > http://www.excite.co.jp/News/society_g/20140527/Asagei_23099.html

 > 日本人0..04%に対して、朝鮮人は約0.9が有罪
 > 日本人0..04%に対して、朝鮮人は約0.9が有罪
 > 日本人0..04%に対して、朝鮮人は約0.9が有罪

 極東国際軍事法廷自体が戦勝国によるリンチ裁判ですが、それでもB・C項の戦争犯罪で死刑になっ た将兵の割合は、朝鮮人が日本人の22.5倍も多かったのです。

 日本軍に汚名を着せる目的で極東国際軍事法廷のB・C項戦争犯罪を持ち出すのはブーメランにし かなりませんよw



 戦犯裁判と判決を受諾した日本政府

 これらの戦犯裁判を日本政府は否定することができるのでしょうか。
 日本は、世界を相手におこなった侵略戦争で敗北した結果、
 連合軍による占領下におかれましたが、1951年9月に調印された
 サンフランシスコ平和条約によって、翌年4月に独立を回復した。
 その第11条において日本国は次のように国際社会に約束しました。

   第11条 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の
         他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている
         日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。(以下略)

 ここで単語Judgmentの訳をめぐって「裁判」か「判決」かという議論がありますが、
 東京裁判とBC級裁判において有罪と下された判断を日本国は認めなければならないことに
 違いはありません。 つまりこれらの「判決」(「裁判」)を日本は受諾しています。

  

 受諾しなかったらどうなっていたと思うのか。

 メリケンは1945年8月6日に広島市へ1発目の原爆を投下し、同9日に長崎市へ2発目の原爆を投下 した。

 日本が同14日に降伏通告をださなかったら、同20日前後に3発目の原爆が投下されていたのだ。

      → ソース:
        wikipedia「日本への原子爆弾投下」
        http://ja.wikipedia.org/wiki/日本への原子爆弾投下 - 2.7 第三の原子爆弾投下準備
        > 長崎市への原子爆弾投下後、テニアン島に原子爆弾はなかったが、
        > プルトニウム以外の原子爆弾の部品は用意されており、プルトニウムを
        > アメリカ本土から運んでくれば原子爆弾をすぐに組み立てて完成させることが
        > できる状態であった。
        > 8月14日にロスアラモス基地からプルトニウムが出荷され、8月20日前後には
        > 第三の原子爆弾を投下することが可能であったが、8月14日に日本から降伏通告
        > が来たため、第三の原子爆弾が日本に投下されることはなかった。

 そして、極東国際軍事裁判が行われたのが1946年5月3日から1948年11月12日であり、サンフランシ スコ講和条約が結ばれたのが1951年9月8日である。

 これの意味する事は、極東国際軍事裁判中、日本は依然としてメリケンの敵国だったという事だ。

 

   YAHOO!知恵袋
   「東京裁判は裁判の名を借りたただの茶番劇。連合国によるリンチでしかない」
   http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n96862

   《前略》
   >
   > そもそも、東京裁判が行われたのは、サンフランシスコ講和条約締結以前です。
   > 戦争は、講和条約を締結することで終わります。
   > 事実、その第1条では
   > 「日本と連合国との戦争状態は、この条約が効力を生ずる日に終了する」
   > とあります。
   >
   > ということは、サンフランシスコ講和条約締結までは
   > 日本と連合国とは、戦争状態にあったわけです。
   > つまり、東京裁判とは、裁判の形式をとった戦争だったといえるでしょうね。
   >
   > だから、判事が全員戦勝国の人間だろうと、適正手続きがないがしろにされようと
   > そんなものは全くおかまいなしなんです。
   > あれは、裁判ではなく、戦争だから…

 受諾しなければ、既に威力が実証済みの大量破壊兵器によって日本国民が虐殺されるのだ。

 受諾するしかないではないか。 日本政府は極東国際軍事裁判の判決を 「是 」 として受諾したので はない。 国民の命を守るために断腸の想いで受諾したのだ。 当時の被告たちの血の涙が流れんば かりの悔しさをバカにしないで頂きたい。



 ところが日本政府は、そうした有罪判決を受けた戦争犯罪を反省するどころか、
 その後、死刑になったり獄死した戦犯を靖国神社に合祀しています。
 つまり「慰安婦」強制によって有罪となった者を、それと知りながらも、
 国家の英雄=英霊として称えているのです。
 戦犯合祀の手続きは、厚生省と靖国神社の共同作業としておこなわれており、
 これは十一条の趣旨を公然と踏みにじるものです。

 

 既に2発の原発を落された日本国民に対して、更に原爆を落とされる可能性の中で 「 受諾するか  or 受諾しないか 」 の二者択一を迫られたのだ。 自分と我が子に銃口を向けられて、「 お前が犯罪 者として死ぬ or この子が死ぬ? 」 と問われて 「 私が犯罪者として死ぬ 」 と答えさせられたのだ。

 そんな非業の死を遂げた父親に対して、子がせめてその名誉だけでも回復させたいと願う気持ちの 何処が 「 十一条の趣旨を公然と踏みにじるもの 」 か。

 そもそも

   サンフランシスコ講和条約第11条
   http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1951-60/1951_sanfran_11jo.html
   > 講和成立と同時に、占領中のすべての指令などが効力を失うというのが
   > 国際法上の原則である。
   > これに基づき日本が戦犯を直ちに釈放する可能性があり、まさにこれを防止する目的で
   > 戦勝国は第11条を設定した。
   > その反面、赦免の条件も規定している。
   > 裁判参加11ヶ国の過半数が同意すれば日本政府は受刑者の赦免・減刑ができる
   > と規定している。
   > そして、昭和33年(1958)東京裁判参加11ヶ国から日本政府に対し、戦犯者の刑の残りを
   > 免除する旨の通知があった。

 踏むべき手続きは踏んでいる。

 なにより極東国際軍事裁判は、法治国家では許されない [ 事後法による遡及判決 ] である。

 近い未来に買春行為が死罪になった際に、大昔のソープ通いやちょんの間通いを理由に圭坊「だ け」が死刑になるのと同じ位に理不尽な裁判の何が有効なものか。

 

 ( 前のページからコピペ )

   2006年12月 24日 この国は少し変だよ!よーめんのブログ
   日本にA級戦犯などはいない。
   http://youmenipip.exblog.jp/4139979/
   > 昨日12月23日の天皇誕生日は祝いの日である反面屈辱の日でもあるのです。
   > それは、いわゆるA級戦犯と言われた
   > 東条英機、広田弘毅、板垣征四郎、 松井石根 、土肥原賢二、木村兵太郎、 武藤章さんら
   > 7人が米国などの戦勝国に報復処刑された日でもあるからです。
   >
   > 果たして「A級戦犯に罪はあるのか?ないのか?」という事について言えば、
   > 罪は一切無くそればかりか”感謝状もの”であるわけで
   > 戦犯だとか処刑などと言う事はあまりにも馬鹿げているので、考えられないのです。
   > 左翼論者は
   > 「 では誰が悪いのか? 誰が日本の若者の無駄な死の責任を取るのか? 」
   > などとと言う事を言い”死人が出た責任は誰が取るのか?!” と言う論調を用いますが、
   > それは、「 死人が出た以上は責任のある奴がいるはずだ! 」と 交通事故の責任や
   > テロの責任と同じにしてしまっているのです。
   > クソもミソも同じにして、国民意識を混同させ、いわば”魔女狩り”をしようという次元なのです。
   > ところで責任は誰にあるかとあえて言えば、当時ハルノートなる脅迫状や決闘状の類に入る
   > 文章を日本に突きつけた米国に責任があると言わざるを得ないのです。
   >
   > 後にパール判事は
   > 「 ハルノートのようなものを受け取れば、モナコやルクセンブルクのような国でも
   >  米国に対して武器を持って立ち上がっただろう!」
   > と断言しました。
   >
   > この言葉でも分かるように戦争と言う物は政治上発生した問題の国際紛争であって
   > 最終解決策の一つなのです。
   > 通常社会であってもトラブルの発生している相手に
   > 強引で暴力的な要求と思える文章を送れば相手は怒るのは当たり前で
   > 裁判になった場合でも”合い被疑者”として同罪になってしまう場合もあります。
   >
   > 「 このハルノートの存在をどれほどの日本人が知っているとして
   >  マスコミはA級戦犯や靖国問題を語っているのか? 」
   > という事が重要なのです。
   >
   > 中学高校の社会の授業を思い出して頂きたいのですが、
   > ハルノートの意味合いを詳しく習った記憶はありますでしょうか?
   > 小生はどうも授業中は寝ていたか遊んでいるかしてたのか記憶が無いのですが。
   > 記憶にある方はパール判事の言葉
   > 「 ハルノートのような物を受け取れば、モナコやルクセンブルクのような国でも
   >  米国に対して武器を持って立ち上がっただろう! 」
   > と断言されたという事を知っていましたか?
   > また
   > 「 裁判を主導したマッカーサーですらあの東京裁判は間違いだった!と言っていた事 」
   > を学校で聞いたか?(テレビで言っているのを聞いた人はいますか?)
   >
   > このような政治的な問題を左右両方の見地から多くの国民には教えてある!と言うので
   > あれば、日本のマスコミや左翼・在日団体が何を言っても表現の自由になりましょうが。
   > どちらか一報の立場の思想しか国民に与えず一方的に歴史を作って行くことは許されません!
   >
   > 姜尚中(カンサンジュン)あたりはテレビに登場し、まるで夢遊病者のように
   > 日本の戦争責任!戦争責任!と言う言葉を呪文のように唱え、戦勝国の報復裁判を
   > 「 厳正で静粛な裁判の判決を日本は受け入れたのだから! 」
   > などとNHKやTBSで抜かし、在日や何も知らないウブな日本人を洗脳プロパガンダしまくる
   > のは放送法で違法で撤回またはテロップでの訂正をしてもらわないと困ります。
   >
   > 裁判という名前が付けば全ての裁判の結果が確定したという訳には行きません!
   >
   > それに貴様ら”姜”の国は竹島問題や東海問題では何と抜かしたか!
   >
   > 「 日本は韓国を植民地にしている間に
   >  かってに竹島と日本海の名称を地図に入れたのだ。
   >  当時韓国は日本の植民地中だったので文句を言えず国際舞台で発言出来なかった! 」
   > と言うセリフと同じで、戦後日本は米国進駐軍の支配状態である以上、文句を言えば
   > 殺されるに等しい状態での報復リンチ裁判なのです。
   > そのような結果を決められての裁判は裁判では無いので、戦後米国の撤退後は
   > その判決を受け入れる必要はまったくありません!
   > また60年以上前の中国南京市で行われた、南京百人斬り裁判の判決なども
   > 一切受け入れる必要はありません!
   > これらの戦勝国の歴史作りの為の裁判は
   > 当時は仕方が無いとしても現在に置いては誰がどう考えてもトンデモ裁判なので、
   > 現代の良識人あるいは知識人あるいは文明人であれば分からないはずは無いのです!
   >
   > サンフランシスコ講和(平和)条約(東京裁判の判決)を受け入れる
   > 見返りに日本を国際舞台に復活させるという条件
   >
   > ”姜”なる外国人は、
   > 「 仮に東京裁判が報復裁判であり国際法を無視していたとしても
   >  日本はサンフランシスコ条約を飲んだのだ!」
   > ということをどこかのテレビで言っていました。
   >
   > やたら都合の良い言い分です。
   > まず東京裁判そのものが裁判と言う名が付いた報復リンチショーである以上は
   > 後にその判決を撤回する必要があります。
   > サンフランシスコ講和条約なども、初めの報復リンチ裁判からの延長戦上である以上は
   > 緊急避難というべきでしょう!
   > このサンフランシスコ云々も戦勝国らの支配下と同じ状態と言って良いでしょう!

 A級戦犯なぞ存在しない!



 平和条約は、朝鮮戦争の最中にアメリカの政治的思惑に沿って作られ、
 日本の戦争責任をあいまいにしたという問題があります。
 そうだとしても日本政府が日本軍「慰安婦」強制を否定することは、
 戦後日本の出発となった平和条約での約束を反故にすることです。
 冷戦状況を利用して戦争責任から逃げてきたのが日本でした。
 冷戦が終わった今日、真摯に自らの戦争責任に認め、その責任を果たすことが、
 平和国家をめざす日本の義務でしょう。

 

 証拠が裏付けられない曖昧模糊とした証言しかなく、その証言も織り込まれたキーワードから判断す ると太平洋戦争時ではなくて、朝鮮戦争時であった可能性が高く、しかも、サヨクが今まで拠り所として きた『河野談話』が、愚かでお人好しな日本政府が韓国に配慮して創った嘘だと分かった。 日本の裁 判所で事実認定されたという件も、実は 「 検証のしようがなくて、証言者の婆さんが可哀想に見えたか ら事実ということにしておいた 」 というトンデモ判決だった。

 こんな物で何が戦争責任だ。

 旧日本軍と日本政府に負わなければならない戦争責任なんか無い。

 あるのは個人の判断で罪を犯した将兵の戦争責任であり、それは断罪されて終わっている。
 罪を犯したがバレずに済んだ将兵も居ただろう。 だが今更それを捜査することは不可能だし、戦後 70年近く経っているのだから多くは鬼籍になっている。 だから終わっているのだ。

 戦争責任を云々言うのであれば、同じく個人の判断でベトナム戦争時に罪を犯した韓国人将兵が真 摯に自らの戦争責任に認め、その責任を果たせ!
 それが平和国家をめざす韓国の義務だッ!





 <参考文献>

 ・粟屋憲太郎『東京裁判への道』講談社、2006年

 ・戸谷由麻『東京裁判?第二次大戦後の法と正義の追及』みすず書房、2008年

 ・日暮吉延『東京裁判の国際関係』木鐸社、2002年

 ・日本の戦争責任資料センター、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編
  『ここまでわかった!日本軍「慰安婦」制度』かもがわ出版、2007年

 ・林博史『戦犯裁判の研究―戦犯裁判政策の形成から東京裁判、BC級裁判まで』
  勉誠出版、2010年

 ・林博史『BC級戦犯裁判』岩波新書、2005年

 ・吉見義明監修、内海愛子・宇田川幸大・高橋茂人・土野瑞穂編
  『東京裁判―性暴力関係資料』現代史料出版、2011年





    


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