『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』 を斬る 《跡地》



解決編 4 国際社会の声

 - 3 女性国際戦犯法廷と最終判決文 を斬る

2015.05.23 参戦軍人団体がベトナム戦虐殺被害者の遺族に行った非道を紹介
2014.05.21 「無抵抗のまま妻や娘を拉致されるヘタレ村民なんか居ない」を追加。


 引用元URL → http://fightforjustice.info/?page_id=2465 ( 魚拓 )


 以下、青い色の文字がwebサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責 任』からの“引用”です。


 解決編 4 国際社会の声

 - 3 女性国際戦犯法廷と最終判決文


   [ 画像:P24 省略、(引用元アドレスをご参照ください)


 女性国際戦犯法廷とは


   [ 画像:1-8 書映2法廷 省略、(引用元アドレスをご参照ください)


 2000年12月、東京・九段会館で「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」が、
 被害女性六四人を招いて開廷されました。

 

 2015年04月06日にソウルで行われる予定だった写真展記憶」 のレセプション行事に於いて、戦争犯 罪の数々を演劇で再現しようとした時、お前らの祖国の連中がどう反応したのか教えてやるよ。

 

   2015年04月07日 正義の味方
   【韓国】ベトナム戦虐殺被害者が訪韓、行事参加へ
   ⇒ 参戦軍人団体 「証言という根拠もない演劇。捏造・歪曲、反民族的行為。開催するな」
   ⇒ 開催中止
   http://www.honmotakeshi.com/archives/44164406.html
   > 枯れ葉剤戦友会 「行事を完全封鎖」 と警告
   >
   > 曹渓宗は安全上の理由でレセプション取り消し
   > 「歴史歪曲の二重定規」 と批判相次ぐ
   >
   > 「 私たちがベトナム戦問題を解決できなければ日本との過去の歴史も解決されない 」
   > 専門家は参戦軍人団体に苦言
   > 「 感情的対応は問題解決の助けにならない 」
   > 「 合理的な考えの人たちが組織文化を変えねば 」
   >
   > ベトナム戦当時の韓国軍駐屯地域で発生した民間人虐殺被害者が参加する行事が、
   > 参戦軍人団体などの激しい反発で会場の予約が取り消されるなど、異常な事態となっている。
   > 参戦軍人団体は
   > 「 歴史を歪曲する不純勢力の反民族的行為 」
   > と主張し、行事を大規模集会で 「完全に封鎖」 すると警告した。
   > 歴史と領土を歪曲した日本の中学校教科書検定結果をめぐり韓国社会が騒然とした6日、
   > その韓国社会の一部の二重の歴史認識が露わになったとも指摘される。
   >
   > 平和博物館は7日午後7時、ソウル堅志(キョンジ)洞の曹渓寺内にある
   > 韓国仏教歴史文化記念館国際会議場でベトナム戦を扱ったイ・ジェガプ写真展
   > 「一つの戦争、二つの記憶」 のレセプション行事を行う予定だった。
   > 先月6日に手続きを終えていたが、曹渓宗財務部は3日になり突然、申請を取り消すと
   > 平和博物館に通知した。
   > 曹渓宗はハンギョレとの通話で
   > 「 理念葛藤と安全上の問題で行事を取り消すことにした 」
   > と明らかにした。
   >
   > レセプションには、4日にベトナム戦終戦40年目にして初めて韓国の土を踏んだ
   > ベトナム戦民間人虐殺被害者ウンウイェントルロン氏(64)とウンウイェンティタン氏(55)が
   > 参加する予定だった。
   > 曹渓宗が突如行事を取り消したのは 「大韓民国ベトナム戦参戦者会」 や
   > 「大韓民国枯れ葉剤戦友会」 などのベトナム戦参戦軍人団体の反発を憂慮したためだ。
   > ベトナム戦参戦者会は2日、曹渓宗に行事手続きの取り消しを求める公文書を送り付けた。
   > シン・ホチョルベトナム戦参戦者会事務総長は
   > 「 捏造された(内容の)行事なので開催してはならない。 座視しない 」
   > と主張した。
   > ベトナム戦参戦者会は会員たちに
   > 「 左傾化した反国家的な一部勢力が民間人虐殺被害者の証言という、
   >  根拠も証拠もない演劇を行おうとしている。 命を縮める覚悟で彼らの陰謀を粉砕する 」
   > と公示した。
   >
   > キム・ソンウク枯れ葉剤戦友会事務総長は
   > 「 (私たちの)名誉にかかわる行為だ。
   >  行事を完全に封鎖するため7日に1000人が曹渓寺前に集まることにした 」
   > と話した。
   > キム事務総長は
   > 「 過去にもハンギョレが書いた虚偽記事で集会をした。 今回もなにが起きるかわからない 」
   > とした。
   > 枯れ葉剤戦友会はベトナム戦民間人虐殺を最初に報道した
   > 時事週刊誌ハンギョレ21の記事に抗議し
   > 2000年6月、ソウル麻浦(マポ)区 孔徳(コンドク)洞のハンギョレ本社に乱入して
   > 放火を試み、印刷施設、自動車、コンピュータなどを壊した。
   > 関連者が拘束されると枯れ葉剤戦友会役員がハンギョレを訪ねて謝罪している。
   >
   > 鍾路(チョンノ)警察署は
   > 「 衝突の恐れがあり曹渓宗側に枯れ葉剤戦友会の集会事実を知らせた。
   >  その後、曹渓宗で判断し手続きを取り消したと理解している 」
   > と話した。
   >
   > ファン・チュンギ曹渓宗財務チーム長は
   > 「 ベトナム戦関連団体の抗議などで
   >  施設破損および正常業務に重大な支障が予想されるため、
   >  やむをえず申請を取り消した 」
   > と説明した。
   >
   > 平和博物館は6日、警察にベトナム訪問団などに対する 「身辺保護要請」 をした。
   > これでレセプション行事の開催も不透明になった。
   >
   > ソク・ミファ平和博物館事務局長は
   > 「 民間人虐殺被害者は
   >  5日に京畿道広州(クァンジュ)のナムヌの家の慰安婦歴史館を訪問している。
   >  彼らの訪問目的は戦争被害者である韓国とベトナムが共感できることを探そうとするもの 」
   > と語った。
   >
   > 平和博物館側は
   > 「 民間人虐殺被害者の初めての韓国訪問は、
   >  日本軍慰安婦被害者の初めての日本訪問と同じ意味を持つ 」
   > と招請趣旨を説明したことがある。
   >
   > パク・テギュン ソウル大国際大学院教授は
   > 「 私たちがベトナム戦問題を解決できなければ、日本との過去の歴史問題も解決できない。
   >  ベトナムの被害者の話を聞くのは参戦軍人の犠牲を否定するものではない。
   >  彼らも犠牲者と認められるよう国家の謝罪を要求する 」
   > と述べた。
   >
   > パク教授は
   > 「 韓国政府が民間人虐殺に対して謝罪をする瞬間、
   >  参戦軍人も加害者でない国家動員被害者になるという点を認識しなければならない。
   >  感情的対応は問題解決に役立たない 」
   > と指摘した。
   >
   > キム・ドンチュン聖公会大社会学科教授は
   > 「 参戦を名誉と考える人にとり民間人虐殺があったという事実は、
   >  自分の存在の否定になることなのかもしれない。
   >  だとしても合理的な考えの人たちが参戦軍人団体の組織文化を変えていく必要がある 」
   > とした。
   >
   > ベトナム戦当時、韓国軍に家族を奪われ本人も負傷したウンウイェントルロン氏と
   > ウンウイェンティタン氏は、この日、国会正論館で記者会見を開き訪韓の趣旨を明らかにした。
   > 彼らは
   > 「 誤った歴史と戦争を記憶しなければならない理由は、再びそんなことを繰り返させないため だ。
   >  韓国独立70周年、韓国軍ベトナム派兵50年になる今年、韓国とベトナムが相互平和と
   >  協力の道に進むことを祈る。
   >  その道を行くには何より歴史に対する正しい省察が先になされなければならない。
   >  私たちの訪問が韓国社会にベトナム戦に対する深みある議論につながることを期待する 」
   > と話した。
   >
   > キム・ソンファン、キム・キュナム記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
   >
   > 韓国語原文入力:2015-04-07 01:25
   > http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/685782.html 訳Y.B
   >
   > ソース:ハンギョレ 2015.04.07 07:44
   > http://japan.hani.co.kr/arti/politics/20235.html

 2000年12月に東京・九段会館で「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」を上演しておいて

 > 「 捏造された(内容の)行事なので開催してはならない。 座視しない 」
 > 「 捏造された(内容の)行事なので開催してはならない。 座視しない 」
 > 「 捏造された(内容の)行事なので開催してはならない。 座視しない 」

 ↑ これ。

 しかも、殺人や強姦はもちろん、妊婦の腹を裂いて胎児を引き摺り出して軍靴で踏み殺す等の悪逆 非道の限りを尽くしておきながら

 >  参戦軍人も加害者でない国家動員被害者になる
 >  参戦軍人も加害者でない国家動員被害者になる
 >  参戦軍人も加害者でない国家動員被害者になる

 加害者の分際で被害者面。

 これがお前等の同胞の本性だよ。



 3日間の法廷の審理では、首席検事の共通起訴状の朗読、各国ごとの検事団の審理、
 被害者本人・ビデオによる証言、証拠展示、裁判官質問が行われ、
 その合間に専門家証人、日本軍元兵士(金子安次・鈴木良雄さん)証言が盛り込まれました。

 

 インターネットは便利ですねぇ。

 日本軍元兵士2名のお名前で検索すれば、ほ〜ら。

 まずは、金子安次氏から。

 

   ジャパン・タイムズが報じた金子安次証言
   ― KILL ALL、ROB ALL、BURN ALL (三光作戦)―
   http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/others/japan-times-kaneko.html

   > 1996(平成8)年9月26日付の「THE JAPAN TIMES」 は、
   >
   > 〈 " 殺しつくし、奪いつくし、焼きつくせ " 〉
   > 〈 元軍人、支那における残虐行為を後悔 〉
   >
   > というセンセイショナルな見出しのもと、ほぼ1面を使いきった大報道
   > (下写真。下の一部をカット)となりました。
   > ジャパン・タイムズは、発行部数約8万部と聞いています。
   > 部数自体は大したことはないのですが、問題は読者層にあるでしょう。
   > 日本語のわからない英語圏の人たち、わけても日本駐在の海外メディアの記者、
   > 大使館関係者たちは、これら英字新聞を情報源とするはずです。
   > よりによって日本の新聞が、根拠もなく自国軍の残虐行為を告発するとは
   > 考えないでしょうから、事実と受けとって当然でしょう。
   > おそらく喜んで記事なり論文なりに引用し、世界にばらまかれたに違いありません。
   > しかも、ジャパン・タイムズにはこの種の記事が頻繁に現れるのですから、
   > いかに日本軍が残虐な軍隊であったかというイメージが
   > 欧米人や英語のわかる各国の指導層を中心に広まったことでしょう。
   > ですから、われわれから見れば、実にバカバカしいと思うものが、ニュヨーク・タイムズなどに
   > 堂々と記事になって登場します。
   > そして、日本に在住する彼らは、「語り部」 となって
   > 本国やあらたな駐在地に赴くわけですから、日本がうけたダメージは計りしれません。
   >
   >
   > 1 訳文をご覧ください
   >
   > とにかく訳文をご覧にいれます。文中の水色は私がつけたものです。
   > なお、新聞コピーおよび訳文は前田 修氏 から提供いただきました。
   > 氏は東大大学院で数学を専攻、また大学進学予備校で英語の講師を務めるという
   > 異色の才能の持ち主です。
   >
   >  金子 安次 (76歳)は前線の歩兵であった50年以上前に、
   >  自分が支那人に加えた恐ろしい仕打ちを鮮明に憶えている。
   >  金子(東京都東大和市在住)は、1941年10月に山東省にいた。
   >  この地で金子の所属する部隊はある村を襲ったのである。
   >
   >  [ 画像:ジャパン・タイムズ 省略、(引用元アドレスをご参照ください)
   >
   >  金子によると、その村は頑丈な城壁で防御されていたので、
   >  部隊は攻めあぐんでいたという。
   >  そこで帝国陸軍の部隊は秘密兵器毒ガスを取り出した。
   >  部隊は「赤筒」
   >  ( 赤筒というのは、激しいくしゃみや吐き気を生ぜしめるガスが充満した筒を示す
   >   暗号名である )
   >  に火を点けた。
   >  煙がその村に立ちこめると、支那兵および支那民間人は苦痛のあまりよろめきながら
   >  街路へ出てきた。
   >
   >  「 われわれは彼らを撃ちまくりました。 彼らは束になって地面に倒れました。」
   >  と金子は回想している。
   >
   >  かつて支日戦争(訳註、支那事変のこと)に従軍し、
   >  現在は電気部品会社を経営している金子は、最近東京の新宿で開かれた
   >  「毒ガス展示会」 で、化学兵器は「殺しつくし、奪いつくし、焼きつくす」ことを目的とする
   >  「三光」作戦(原文は"sanko" operation) の一環として用いられた 、と語った。
   >  金子によると、多数の兵が赤筒や「緑筒」(催涙ガス弾)を携帯していたという。
   >  支那人の激しい抵抗に遭遇したときに陸軍部隊はガス弾(原文はthe gases)を
   >  よく使った。
   >  1941年のその日、ガス弾が発射され(原文はthe gas was released) 、
   >  ガス弾を受けた人々が倒れた後、金子と金子の上官とが村に入った。
   >
   >  「 生き残っている者は女子供を含めて全員殺すように命ぜられました。
   >   女は子を産むし、女が男の子を産めばその子は将来、
   >   大きくなってわれわれに歯向かうでしょうから。 」
   >  と金子は語った。
   >
   >  金子の記憶によると、中年の女と幼な子とが家のうしろに隠れていたという。
   >  金子の上官が女を辱めた後、金子は女を井戸に投げ入れ、その井戸に手榴弾を投じた。
   >  金子はまた、村の広場に中年の支那人の男が縛りつけられているのを見た。
   >  一人の日本兵が刀をとってその男の首を斬り落とした。
   >  斬られた首は蒼白となって地面に転がった、と金子は回想して言う。
   >  男の娘らしい若い女が駆けだしてその首を持って泣いた。
   >  金子によると、約130人がその作戦で殺されたという。
   >
   > (注) 「アカ筒」の原文は「aka-to(red pipe)」 と記されています。
   >
   >
   > 中国における化学戦に関する陸軍報告書を1984年に発見した
   > 中央大学教授・吉見義明によると、日本政府は昨年11月に
   > 赤筒や緑筒が戦争中に使われたことは認めたものの、
   > 致死性の毒ガスが使われたことを確証するに足る文書はないと主張していること
   > などに触れた後、以下の証言がつづきます。
   >
   >  金子によると、金子自身は致死性薬品が戦闘で使われるのを見たことはなく、
   >  涙やくしゃみを生ぜしめる「非致死性」ガスを使うこともなかなか許されなかった
   >
   >  ― 「非致死性」のガスを使ったら、常にその後で刺したり撃ったりして
   >    支那人を無差別に殺さなければならなかったから ―
   >  という。
   >
   >  「 非致死性ガスを使うことは、マスタードガスを使うことよりも問題がありました。」
   >  と金子は語った。
   >
   >
   >  この後、金子はシベリアに送られたこと、他の日本兵968人とともに撫順に移送され、
   >  6年間の監獄生活を送ったことなどが、簡単に記されています。
   >
   >  金子の回想によると、監獄の看守(彼らの親の多くは日本人に殺された)は、
   >  投獄されている者を極めて寛大に扱い、1日に3度、白飯を食わせた
   >  ― 看守自身は粗食に耐えていたのに ― という。
   >
   >  「 支那の寛大な取り計らいによって、われわれのかたくなな心は
   >   次第に解きほぐされていきました。
   >   われわれは、被害者の感情に思いを巡らし始めました。
   >   われわれは、支那人の寛大さにお返しをしなければと痛切に思いました。」
   >  と金子は語った。
   >
   >  支那の日本人戦犯に対する寛大な姿勢もあって、金子は起訴を免れた。
   >  金子は1956年に故郷に帰った。
   >  帰ってから、金子と他の元戦犯らとが「中国帰還者連絡会」という団体を結成した。
   >  この団体は、日本全国に500名の会員を擁し、
   >  自分たちの犯した残虐行為を戦後世代が繰り返すことのないよう、
   >  一般の人々に自分たちが犯した残虐行為を伝え続けている。
   >
   >  「 銃撃したり拷問したりして100人以上を私は殺しました。
   >   このようなことを決して繰り返してはいけません。」
   >  と金子は語った。
   >
   >
   > 2 考慮すべき事柄
   >
   > 金子安次証言を検証する前に、証言者について次の2点を参考のため記しておきます。
   >
   > (1) 「供述書」の信頼性はゼロだった
   >
   > 金子安次は、中国抑留者(中国戦犯)で、「中帰連」の活動家の一人といって
   > 差し支えありません。 すでに、別項「731部隊とコレラ作戦」 ( ⇒ こちら ) に登場しました。
   > 1943(昭和18)年9月、第59師団独立歩兵第44大隊が実行したという「衛河決壊」と
   > 「コレラ菌散布事件」に関して、他の十余人とともに「供述書」を中国に残してきました。
   > ですが、この事件そのものが、中国側の誘導に呼応して
   > 抑留者たち自らが作り上げた話であったことは、十分立証できていると思います。
   > 金子安次の「供述書」は、金子の私あての「抗議の手紙」などからも、
   > 相手のいうがままに書いたものと断定して間違いないと思います。
   > しかもその供述内容が、金子が機関銃分隊に所属する上等兵であったにもかかわらず、
   > 大隊長から1943年8月27日、
   > 「 衛河堤防を破壊し解放区を埋没させてコレラ菌を散布せよ、との命令を受けた 」
   > というのですから。
   > 詳しくは別項をご覧ください。
   >
   >
   > (2) NHK特集「問われる戦時性暴力」
   >
   > 20011年30日夜に教育テレビで放送された「問われる戦時性暴力」は、
   > 安倍官房副長官(後に首相)をも巻き込み、NHK対朝日の論争に発展しました。
   >
   [ 画像:NHK「問われる戦時性暴力」 裁判長ら 省略、(引用元アドレスをご参照ください)
   >
   > 番組は「戦争をどう裁くか」という4回シリーズの2回目で、
   > 2000年2月に東京で開かれた「女性国際戦犯法廷」なるものを素材にしたもので、
   > 法廷の主催者は松井 やより ・元朝日新聞記者を代表とする「バウネット・ジャパン」でした。
   > 「問題の核心は偏向番組の放映にあり」「朝日VsNHK対立で目奪われるな」
   > (2005年1月28日付、産経新聞)
   > と題した西尾 幹二の論考に、法廷の模様が書かれていますので、その部分を引用します。
   >
   >  その日、会場の九段会館には朝鮮の民族衣装の老女たちが
   >  「昭和天皇に極刑を」のプラカードを押し立てて続々と集合。
   >  最初にビデオが流される。
   >  「日本の責任者を処罰しろ」と老女たちが日本大使館に向かって抗議するシーン。
   >  最後は木に縛りつけられた昭和天皇とおぼしき男性に
   >  朝鮮の民族衣装の女性がピストルを向ける画像で終わる。
   >  それからシンポジウムが開かれる。
   >  日本の従軍慰安婦問題が徹底的に批判されていれば、
   >  ユーゴの殺戮と強姦も起こらなかったろう、とまさに一方的議論。
   >  そして裁判が始まる。
   >  被告人は今や地上にいない昭和天皇、旧日本軍人。弁護人なし、弁護側証人なし。
   >  検察官は2人いたが、いずれも北朝鮮の工作員だと指摘され、
   >  その後入国ビザが発給されていない人物もいる。
   >  かくて裁判官が
   >  「 天皇裕仁には性犯罪と性奴隷強制の責任により有罪の判決を下す」 というと、
   >  場内は拍手のウエーブと興奮の坩堝の中で歓喜に包まれたそうだ。
   >
   > こんな愚にもつかない「裁判ごっこ」をNHKは無修正で放映しようとしたというのですから、
   > いかに左がかった非常識な連中がNHKに巣くい、番組制作にあたっているかがわかります。
   >
   [ 画像:NHKに抗議する中帰連(ホームページより) 省略、(引用元アドレスをご参照ください)
   >
   > 当初、この番組のなかに、2人の加害兵士の証言が収録されていました。
   > 1人が金子 安次 、もう1人が鈴木 良雄でともに中国抑留者。
   > 鈴木良雄も証言者として頻繁に顔を出すおなじみの兵士です。
   > ところが、試写を見たNHK吉岡教養部長が、「違和感がある」 として
   > この2人の証言に疑問を呈したといいます。
   > ですが、制作チームの抵抗で最後まで残りますが、結局、削除され
   > 放映には至りませんでした。
   > これに対し、金子も有力会員である「中帰連」は、
   > 「NHK番組改ざんに抗議する」「政治圧力によって消された戦場の証言」
   > として、法廷での金子証言をホームページで公開しています。
   > 「違和感がある」とされた金子安次証言は「6人の兵士によるくじ引き輪姦」のことで
   > 間違いないでしょうから、その主要部を末尾に記しました。
   > この輪姦証言、信じるに足りるものでしょうか。
   >
   >
   > 3 金子安次「証言」は信じるに値するか
   >
   > ジャパン・タイムズの報道に戻ります。
   >
   > (1) 場所、所属部隊、作戦名などが不明
   >
   > 1941(昭和16)年10月、場所は山東省。金子の所属する部隊が
   > ある村を襲ったというわけですが、これでは、その場にいたであろう
   > 将兵の証言と突き合わせようもなく、事実かどうかの検証がきわめて難しくなります。
   > したがって、この記事は「検証」を封じた一方的な報道といわざるをえません。
   > そもそも、こんなあやふやなな話を、ウラ付けも取らずに 報道すること自体が問題で、
   > 厳しく批判されなければなりません。
   > ですが、ジャパン・タイムズなど英字新聞のウォッチャーほとんどいないでしょうから
   > (本記事提供者の前田氏は例外中の例外)、こういった記事が大手を振って紙面に載り、
   > 日本在住の外国人記者や大使館勤務者、海外の図書館などを通して、
   > 日本軍の残虐ぶりがそのままあった事として 、世界に浸透していくというわけです 。
   >
   >
   > (2) “犯行時”の所属部隊
   >
   > まず、金子の所属部隊ですが、「1940年11月に北支那方面軍入隊」とありますが、
   > 独立混成第10旅団独立歩兵第44大隊 (第12軍)で間違いありません。
   > また、金子が後悔しているという「残虐行為」を行った1941(昭和16)年10月の時点で、
   > 同じ独混10旅第44大隊に所属していたことも間違いありません。
   > こう断定できるのも、金子と同年兵(複数人)から確認が取れているからです。
   > 参考のため、同年兵の染谷 鷹治 の軍歴(一部)を下に記します。
   > 染谷は金子と同じ千葉県出身、2人はソ連に抑留されたものの染谷は中国送りは免れ、
   > 1949(昭和24)年8月に舞鶴港に帰国、国鉄に復職しています。
   > また、別項 〈 「労工狩り」証言―11人の証言者たち 〉 ( ⇒ こちら ) で取り上げた
   > 大木 仲治 も、染谷、金子と同じ独混10旅・第44大隊に所属し、
   > 手記に残した「労工狩り」を行ったとする時期も1941年8〜9月頃と、
   > 金子の「残虐行為」の時期とほぼ一致しています。
   >
   >
   >  染谷 鷹次(金子安次と同年兵)の軍歴
   >
   >  昭和15年12月 3日  独立混成第10旅団、独立歩兵第44大隊要員現役兵として
   >                  東京集合地に入営。
   >   〃    12月 6日  北支派遣のため東京港出発。
   >   〃    12月14日  北支山東省○州着(○は六の下に允)、同日より同地警備。
   >         16年 4月   山東省莱蕪県莱蕪に移駐、同日より同地警備。
   >   〃    11月 7日〜 第2次魯南剿共作戦(560高地攻略)参加(〜12月28日)。
   >         17年 1月   魯中作戦参加。
   >   〃         2月   魯中作戦参加。
   >   〃         4月   第59師団編成、53旅団独立歩兵第44大隊となる。
   >   〃         5月   山東省寿張県に移駐。
   >   〃         5月   冀南作戦に参加。
   >   〃         9月   東平湖西方剿共作戦参加。
   >  ( 以下 略 )
   >
   > 上表にあるように、1942(昭和17)年4月、独混10旅は新設された
   > 第59師団の基幹部隊 となり、大部分の将兵が59師団にそのまま移籍しました。
   > 金子もその1人で、独立歩兵第44大隊(独歩44大隊)の機関銃小隊に
   > 所属後に小隊は中隊に格上げされ機関銃中隊(重機関銃中隊)の所属となりました。
   > ですから「女性国際戦犯法廷」で証言した「くじ引き輪姦」は
   > 59師団独歩44大隊時代のことになります。
   > なお、59師団は終戦間際に朝鮮に移駐、そこで終戦を迎えたため
   > 全員がソ連に抑留され、後に選別された200余人が中国に戦犯として送られました。
   >
   >
   > (3) 「三光作戦」なる言葉を知るわけがない
   >
   > 見出しに「KILL ALL、ROB ALL、BURN ALL」 とあることからも類推できるでしょうが、
   > 金子は記者に対して「三光作戦」なるものを、したり顔で強調したに相違ありません。
   > 「殺しつくし、奪いつくし、焼きつくせ」は実にセンセイショナルな表現ですから、
   > 新聞記者が飛びつくのも無理ないでしょう。
   > そもそも「三光作戦(政策)」というのは、
   > 共産八路軍が組織的に山西省駐留の日本軍(第1軍)ほかを急襲、大きな被害を与えた
   > 百団大戦(1940=昭和15年)に対し、第1軍がとった根拠地掃討作戦を指して
   > 中国が非難したものでした。
   > ですが、第1軍の将兵で「三光」などという言葉を聞き知った人は1、2の例を除いてなく、
   > またいなくて当然なのです。
   > もちろん、「三光作戦」という作戦名を日本軍がつけるわけもありません。
   > それに金子の属した独混10旅は第12軍の隷下にあったわけですから、
   > この掃討作戦とは関係ありませんし、「三光作戦」などという言葉を知っていたわけが
   > ありません。
   > 撫順の戦犯収容所で仕入れた(教えこまれた)知識と断定して間違いないはずです。
   > ですから、
   >
   >  化学兵器は「殺しつくし、奪いつくし、焼きつくす」ことを目的とする
   >  「三光」 の一環として用いられた 、と語った。
   >
   > などという発言は、金子が勝手に作り出したヨタ話か、戦犯管理所内で言われていたことに
   > 尾ひれをつけて話したに違いありません。また、
   >
   >  生き残っている者は女子供を含めて全員殺すように命ぜられました。
   >  女は子を産むし、女が男の子を産めばその子は将来、
   >  大きくなってわれわれに歯向かうでしょうから。
   >
   > という話も、別項の城野 宏証言 ( ⇒ こちら  ) ほか、何度か読んだ記憶がありますが、
   > いずれも中国抑留者でした。
   > 女子供を含めて全員殺害する、などということは、
   > 特別な状況下ではありえたかもしれませんが、
   > 独混10旅の在隊者に聞いたところ、ただ首を振って苦笑いするばかりでした。
   > これも「三光」の一つ「殺光」 (殺しつくす)と話が合うように、
   > 収容者の一部で言われていたことなのでしょう。
   >
   > (4) 同年兵が否定
   >
   > 「アカ筒」 (通称アカ)はクシャミ性、「ミドリ筒」(通称ミドリ)は催涙性のもので、
   > 500ミリリットルのビール缶より少し細く、長めのものと考えれば大差ないでしょう。
   > 上部のフタを開け、このフタで中のマッチのようなものを擦ると発火すると聞いています。
   > 「アカ筒」 は「ミドリ筒」 より毒性が強いと聞いていますが詳しく調べたことはありません。
   > これらが「化学兵器」かどうかの議論もありますが、
   > どちらも人命にかかわるものではないこと、つまり「致死性」でないことは確実です。
   > 今も多くの国の警察は治安のために使用していますので。
   >
   > 金子の証言を聞きとった記者は、以下のように記します。
   >
   >  その村は頑丈な城壁で防御されていたので、部隊は攻めあぐんでいたという。
   >  そこで帝国陸軍の部隊は秘密兵器毒ガスを取り出した。
   >  ・・・ 煙がその村に立ちこめると、支那兵および支那民間人は苦痛のあまり
   >  よろめきながら街路へ出てきた。
   >
   > 金子証言のように、部隊が攻めあぐみ、あげくに「秘密兵器」であるアカ筒を使用するような
   > 規模の大きい作戦が事実とすれば、独歩44大隊、とくに金子と同じ機関銃中隊に所属する
   > 兵士、情報が集まる大隊本部の人事室の誰かが聞いたり、記憶しているでしょうが、
   > 一人にも出会えませんでした。
   >
   > 同年兵の染谷(歩兵中隊所属)は、
   >
   > 「 金子安次氏の証言・ジャパンタイムズの翻訳記事を読ませていただきました。
   >  初耳で面喰らうばかりです 」
   > と私の問い合わせに対し、こう書き出します。
   > 多くの作戦に参加した染谷は、
   > 「 私が参加した討伐、旅団、師団の大作戦にも、アカ・ミドリなるものを携行したことは
   >  ありません 」
   > とし、
   > 「 尚、アカ・ミドリの存在すら知リませんでした 」
   > 「 アカ・ミドリを使用した例など聞いたことはありません 」
   > と答えます。
   > 染谷は念のため、同年兵(佐藤 信治)に電話で問い合わせたところ、
   > 「 アカ、ミドりは聞いたことがない 」
   > との返事だったとし、次のように記します。
   >
   >  「 金子安次氏が言われる作戦中、アカ・ミドリを使用した証言する以上、
   >   彼と行動を共にした人の証言なしには容易に信じ難いです。
   >   一人芝居では答えようがありません 」
   >
   > 私自身、独歩44大隊の会合(戦友会など)の折に確かめたのですが、
   > 「アカ、ミドリ」という言葉が通じず、私が説明しなければなりませんでした。
   > 金子と同じ機関銃中隊所属の兵士も同じで、キョトンとした感じだったのです。
   >
   >
   > (5) 秘密兵器「アカ筒」の使用について
   >
   > 華北におけるアカ筒の使用例を27師団を中心に2、3聞きとってあります。
   > 華北ではアカ、ミドリ筒は穴や塹壕などに隠れた敵を追い出す、つまり「いぶり出す」ために
   > 使用するのが普通だったようです。
   > というのも、アカ筒、ミドリ筒の有効範囲は狭く、煙は風しだいで拡散しますので、
   > なかば閉鎖された空間でないと効果があがりません。 煙が味方に向かう例もありました。
   > ただ、穴といっても、地下に張り巡らされた通り抜けの道だったり、
   > なかには人が居住できるほどの広さがあり、8畳くらいの「部屋」に
   > 兵器が保管されている例もありました。
   > アカ筒が「秘密兵器」というのは笑わせますが、日本軍がこの兵器を日常的に使用したと
   > 考えるのは誤解で、そんなことはありませんでした。
   > 八路軍(はちろぐん、またはパーロ)、つまりゲリラ作戦で立ち向かってくる八路に対して、
   > 通常の中隊、小隊規模の警備・討伐行動では、「アカ筒」は所持しなかったと聞いています。
   > 所持する場合でも1中隊で1〜3人程度の教育を受けた兵が持つ程度で、
   > 使うことはめったになかったとも。
   > 訓練を受けている兵が少なかったことも理由だったようです
   > (その教育も名ばかりだったといいます)。
   >
   > (6) 中国軍も使用した
   >
   > 中国軍もこの種のものを日本軍に使用しています。
   > 1例をあげれば、1941(昭和16)年発行の
   > 『富金山・八〇〇高地 死闘6日間』(片山聞造・陸軍中尉)
   > の中にガスを仕込んだ手榴弾攻撃を受ける場面が描かれています。
   > 富金山攻略は漢口に向かう第13師団が担当し、
   > 以下の描写は1938(昭和13)年9月11日のものです。
   >
   >  ボーンボーン炸裂する手榴弾から、何だか変な臭いの煙が立ち始めた。
   >  嫌な臭いだと思っていると、涙がとめどなく流れてくる。 呼吸がつまってくる。 苦しい。
   >  瓦斯(ガス)だ。敵は卑怯にも瓦斯入りの手榴弾を使ったのだ。
   >  「 瓦斯だぞ。瓦斯だぞ。 マスクをかむれ 」
   >  私は喚くように叫んだ。
   >  兵隊も、
   >  「 ガスだ。ガスだ。」
   >  と、言い合って地に伏し、防毒面を着装している。
   >  私は一寸ガスを吸い込んだが漸く装面した。
   >  上陸以来最初のマスク装面である。 かねて承知していたものの、とても苦しい。
   >  深い呼吸は出来ないし、眼の処の窓が曇ってよく見えないし、大きい声も出来ない、
   >  佐藤慶次郎軍曹は、マスクに弾痕があって用をなさないらしく、冠ったり外したりして
   >  苦しんでいる。
   >
   > というような次第で、ガス使用は日本軍の専売特許ではありませんでした。
   >
   >
   > 「女性国際戦犯法廷」での金子安次証言
   >
   > 検 事  金子安次さんは1920年1月28日生まれ、80歳ですね。
   >       あなたは1940年11月に北支那方面軍に入隊されたのですね。
   >
   > 金 子  はい。
   >
   > 検 事  それ以後、中国山東省などを転戦されて終戦を迎えられたのですね。
   >
   > 金 子  はい。
   >
   > 検 事  あなたの軍隊における最後の地位は何でしたか。
   >
   > 金 子  伍長です。
   >
   >       (中 略)
   >
   [ 画像:法廷の金子安次元伍長(手前) 省略、(引用元アドレスをご参照ください)
   > 
   > 検 事  あなたが見た「慰安所」というのは、
   >       女性たちは自分たちの意志できていた人たちですか。
   >
   > 金 子  違います。 日本には公娼制度というのがあり、それは営業であり金儲けです。
   >       しかし、そこで働いている人は、みんな苦しいから働いているんです。
   >       金で縛られているから自由に行動できない。
   >       そこに「慰安婦」の「慰安婦」らしいところがあるんです。
   >
   > 検 事  自由がないということですね。
   >       こうした「慰安所」があることは、強姦の防止に役立ったと思いますか。
   >
   > 金 子  役立っていません。
   >
   > 検 事  それは何故でしょうか。
   >
   > 金 子  「慰安所」にいって1円50銭払うんだったら、強姦だったらただです。
   >       我々の月給というのは、だいたい一等兵で8円80銭くらい、上等兵で11円くらい。
   >       その中から強制的に貯金をとられるんです。
   >       ですから金があまりありませんから、1円50銭払うくらいだったら、
   >       作戦にいって強姦をした方がただだというような考えがありました。
   >
   > 検 事  あなた自身も、そういう考えの中で強姦に加わったことがありますか。
   >
   > 金 子  あります。 昭和18年、作戦にまいりました。
   >       その時にある部落で若い兵隊が一人の若い女性を連れてきました。
   >       21、2歳でしょうか。
   >       それを、6人の兵隊でくじ引きをひいて順番を決めて、
   >       ひとりひとりその女を輪姦しました。 こういう事実がございます。
   >
   > 検 事  そういった強姦をすることについて、あなたの所属していた軍隊は、
   >       どのような指示が出ていたのでしょうか。
   >
   > 金 子  昭和14年から15年、当時日本では「生めよ増やせよ」という
   >       スローガンがありました。男の子がうまれたなら、労働力にも戦力にもなる。
   >       女の子だったら、将来のいわゆる再生産になる。
   >       だから子どもをどんどん産みなさい。 そうすれば日本はどんどん栄える、
   >       こういうスローガンがありました。
   >       だからそのつもりで戦地に行きました。 そうしますと命令がくるっと変わりました。
   >       女は殺せ。 子どもを産むから殺せ。
   >       子どもが大きくなったら我々に反抗するから子どもも殺せ、というように
   >       上官の命令がくるりと変わったんです。
   >       そういうことですから、私たちたちはどうせ殺すのならどんどん強姦してもいい、
   >       そういう考えで私たちは強姦しました 。
   >
   > 検 事  くり返しますが、上官は女を見たら殺せという指示が出ており、
   >       どうせ殺すのなら強姦してもよい、このような考えでいたわけですね。
   >
   > 金 子  そうです。
   >
   > 検 事  このような証言をするのは楽なことではないと思いますが、
   >       あなたはなぜこのような場で証言をする気になったのですか。
   >
   > 金 子  はい。
   >       これは正直なことをいいますと、私も自分の妻や娘にこういうことは
   >       いっさい話しておりません。 実際できないんです。
   >       しかしながら、私たちがやったことについて
   >       どれだけ中国人民が泣いていたのかということを、
   >       私たちは撫順の戦犯管理所でしみじみとわかったんです。
   >       これは二度とこういうことを起こしてはならない。
   >       これを止めるのは、現在残されている私たちしかないんだ、こういうことから
   >       この問題を皆さんに聞いてもらいたい。 こういう気持ちです。
   >
   >       (拍手)
   >
   > 金 子  先ほど強姦の問題がありましたが、陸軍刑法では強姦をすると7年以上、
   >       現場にいただけでも4年以上という刑罰があります。
   >       しかしながらなぜ私たちが強姦したかというと、確かに金の問題もありますが、
   >       現在では私たちは中国人といっていますが、しかし当時は支那人、あるいは
   >       差別的に「チャンコロ」といっていました。
   >       「チャンコロ」の女を強姦して何が悪いんだ、どっちみち殺すんじゃないか、
   >       こういうような気持ちをもって強姦したわけです。
   >       従いまして、中隊長あるいは大隊長でも自分の部下がたとえ強姦罪を犯しても
   >       陸軍刑法を出さない。 自分の功績に関係するんです。
   >       そしてもう一つは、チャンコロだという劣等視があるんです。
   >       だから、われわれ兵隊は強姦をしたんです。
   >       以上です。
   >
   > 検事 これで質問を終わります。
   >
   > (「中帰連」のホームページより)
   >
   > (注) この証言の解釈にあたって、金子安次の所属部隊は
   >     機関銃小隊(後に中隊に格上げ)で、重機関銃の射手であったこと、
   >     直属上官は終始、小島隆男で小島の少尉時代(機関銃小隊長)、
   >     中尉時代(機関銃中隊長)を通じて一貫していたことを考えなければなりません。
   >     ですから、
   >     「 女は殺せ。 子どもを産むから殺せ。
   >      子どもが大きくなったら我々に反抗するから子どもも殺せ 」
   >     と金子に命令した上官、
   >     「 上官は女を見たら殺せという指示が出ており、どうせ殺すのなら強姦してもよい 」
   >     とした上官が、いずれも小島隆男中尉の可能性が極めて高いことになります。
   >     ですが、強制連行、運河を決壊させたなど、いろいろな証言をしている小島中尉も、
   >     「強姦、輪姦」についての証言をした事実を私は知りません。
   >     それに、金子証言が小島中尉の死後というのも引っかかります。
   >     分隊で構成される重機関銃隊は必要に応じて歩兵中隊、歩兵小隊の討伐、
   >     警備出動に同道しますので、機関銃隊が単独で出動することはないのです。
   >     したがって、「くじ引き輪姦」が事実とすれば、そこには歩兵隊の兵、下士官
   >     (それに将校)も一緒にいたことになります。
   >     大体、兵の序列(階級と招集年次)は厳しいものですから、「くじ引き」が事実とすれば、
   >     金子と同年兵、同階級に相当する者6人が少なくともその場にいたことになり、
   >     こんな人数が集まるなど不自然もいいところです。
   >     機関銃の扱いは砲と同じで、『歩兵操典』に
   >     「 最後の一兵となるも飽く迄奮闘し、銃、砲と運命を倶(とも)にすべし 」
   >     とあるように、行動中、銃を離れることは許されませんでした。
   >     後はどう判断するか、常識の問題だと思います。
   >
   >
   > ■ 追記 ■
   >
   > 金子安次について、英文Wikipediaにも項目があります。
   > 参考のためにアクセスしては如何ですか。
   >
   > http://en.wikipedia.org/wiki/Yasuji_Kaneko
   >
   > この冒頭、上記日付のジャパンタイムズを引き合いに以下の記述がでてきます。
   >
   >  In an interview with the Japan Times on September 26, 1996,
   >  Yasuji stated "I murdered 100 people or more by torture."[citation needed]
   >  He also claimed that he joined the Nanking Massacre and murdered
   >   and raped many Chinese people.[citation needed]
   >  He testified during a private trial Yun Chung-Ok sponsored in December 2000:
   >  "Comfort women were expensive. Therefore, I kidnapped, raped,
   >   and killed the Chinese woman." [4]
   >  Kaneko has also admitted to participating in the use of chemical
   >  and biological weapons against Chinese as part of Unit 731.[5]
   >
   > 金子の入隊年次を見れば南京戦に参加しているはずがありませんから、
   > 「南京虐殺」とは無論、関係がありません。
   > いくらなんでも金子が南京戦に参加したと証言するとは思えませんので、
   > どのような人が書いたかわかりませんが、「Wikipedia」の信頼度はこの程度のものと
   > 証明しているとも言えます。
   > だからと言って、アクセス数から考えても影響力が減じることもないでしょうが。
   >
   > それにしても、100人以上の殺害とそれ以上の人数を拷問、
   > また慰安婦の値段が高いからといって誘拐するやら、強姦するやら、果ては殺害。
   > また南京虐殺にもかかわり、731部隊に関連して化学兵器、生化学兵器を使用したなど、
   > たった一人ですべての「悪行」をしでかしたという日本兵の「生き証人」。
   > いいかげんな証言を繰り返したのですから、こう書かれるのもいわば自業自得なのですが、
   > われわれ日本人にとっては大迷惑です。
   >
   >
   > ― 2006年10月18日より掲載 ―
   > ( 2012年3月24日加筆掲載 )

 はい、中帰連という名の支那中共の狗でした。

 では、次に鈴木良雄氏。

 と言いたいのですが、次に鈴木良雄氏は金子安次氏ほど詳細な情報にHITすることが出来ませんで した。

 

 ですが、「 もしかしたら、コイツも中帰連の狗なんじゃ?」 と思って検索したらビンゴでした。

 
 

   Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任
   証言 - 元日本兵証言 - 【元日本兵】鈴木良雄
   http://fightforjustice.info/?page_id=453
   > 1920年7月11日生まれ
   > 1940年   独立混成第10旅団独立歩兵第四三大隊。
   >        隊第二中隊に入隊。中国山東省に駐屯1942年〜
   >         第五九師団第五四旅団第110大隊歩兵砲中隊に転属。
   >        山東省菜蕪県、章邱県、兎城県を転戦。最終の地位は曹長。
   > 1945年7月 北朝鮮に移動 10月 シベリアに抑留
   > 1950年7月 中国の撫順戦犯管理所に収容
   > 1956年7月 不起訴で帰国

 案の定、支那中共の狗でした。

 もっとも、この人の証言に関しては

   Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任
   証言 - 元日本兵証言 - 【元日本兵】鈴木良雄
   http://fightforjustice.info/?page_id=453
   > ・ 証言概要
   >
   > * 鈴木良雄氏は、2000年に開かれた女性国際戦犯法廷で証言した。
   >   以下はその時の証言概要を整理したものである。 映像はこちら
   >
   > 慰安所体験
   >
   > 私が1940年に入隊した時は、すでに慰安所は各地に敷設されていました。
   > 4箇所を回りましたが、一個大隊が駐屯する時は必ず2箇所以上の慰安所があり、
   > そこには朝鮮の人たちがいました。たいてい、1軒に5人〜6人の「慰安婦」がおりました。
   > 慰安所の管理についてははっきりしたことは分かりませんが、
   > 週に一回、軍医が身体検査を行っていました。 それは性病の検査でした。
   > そして検査の結果を会報で兵隊に知らせていましたので、管理は軍隊がやっていたものと
   > 思います。 私はその慰安所に行ったことがあります。
   >
   > ―― 女性たちはどのような経緯で連れてこられたか聞いたことがあるか?
   >
   > 私は最初のうち、彼女たちは金儲けのために自分の意思で、好きで商売のために
   > やっているものと考えておりました。 私が慰安所に通うようになったのは1944年頃です。
   > 戦況が不利になって、どうせ生きては帰れない。
   > それだったら、男として生まれた以上、一通り、女遊びもやっておこうと考えが変わりまして、
   > 慰安所に行くようになったのです。
   > その頃私は下士官になっており、補充兵を教える立場でした。
   > 彼らはみな妻帯者で30歳以上の兵隊ですので、教育期間であっても
   > 慰安所に行くことを奨励していました。 そこには2軒の慰安所がありました。
   > 私は下士官になってから、兵営の土塀に穴を開けまして、昼間は草かなんかで隠しておいて、
   > 夜になるとそこから毎晩慰安所に通うようになりました。
   > ある特定の1人の女性のところに行くようになったのです。
   > その人は朝鮮の方で、日本名を「みさお」と言っていました。
   > 彼女から身の上話を聞きました。
   > 彼女は、従軍看護婦になると聞いて応募してきたのですが、
   > 最初から「従軍慰安婦」にさせられたということでした。 悲しくて悔しくて泣いていました。
   > どんなことがあっても逃げて帰れるものなら帰りたいと、泣きながら話しました。
   > その時私は好きでやっているのではない、強制的に連れてこられたのだということを
   > 認識したのです。
   >
   > ―― 強かんを目撃、あるいは関わったことがあるか?
   >
   > 軍隊では、戦場で強かんはつきものでした。 日常茶飯事というくらいでした。
   > 日本軍は中国の地域を、治安地区・準治安地区・敵性地区と3つに分けていました。
   > 治安地区はうるさいので強かんはできませんでしたが、八路軍が沢山いる適性地区では、
   > 強かんはやりたい放題でした。
   > というのは、適性地区に入った時、指揮官が
   > ここは適性地区だから何をやってもよろしい、
   > という指示を出したのです。
   > 何をやってもよろしいということは、強かんしても良いということでしたので、
   > 兵隊は誰もかれも女性を見つければ強かんしました。
   >
   > 私自身もその体験があります。
   > 1944年、部落の名前は忘れましたが、作戦中、一日近くある部落に滞在したことがあります。
   > その時私は分隊長をしていましたが、
   > 全部解放して、何をやってもよい
   > という指示を出しました。 彼らはそれぞれの家に入り、強かんをしてきました。
   > 私も単独で女を探し回って、30歳くらいの女性を見つけました。
   > その女性を、7、8人の老婆が取り囲んでいたので、老婆を追い出して
   > その女性を強かんしようとしたところ、その女性は隠れてしまい、見つかりませんでした。
   > 一生懸命に探したところ、豚小屋に隠れていました。
   > 中国では豚小屋は便所を兼ねており、その女性はそこに隠れて
   > 汚物をたくさん身体につけて、そばに近寄れないような格好をしていたのです。
   >
   > 私はそれを見た時に、その衣服を全部脱がせて
   > 全身裸体にして納屋に押し込めて強かんしました。
   > その時の状況ですが、私は拳銃で女性を脅迫していたので、
   > 彼女は逃げることも抵抗することもできず、わなわなと震えて、
   > 身体には血の気は一切ありませんでした。
   > 口をきくこともできない。 ただ、私の言うままに身体を任せるだけでした。
   > だから戦場における強かんは、絶対に抵抗できない人を無理やり強かんし、
   > しかもその後、殺したというのが実情だと思います。
   >
   > ―― なぜ、証言する気持ちになったのか?
   >
   > 性暴力の問題については、なかなか言えないものです。
   > したがって、証言する人も非常に少ないのです。
   > しかし、この問題を抜きにしては戦争の実態は出てこない、伝わらないと思います。
   > 本当の戦争の実態はこういうものだということをはっきり残さないといけない、
   > そういう気持ちがありますので、私は恥を忍んで証言しております。

  金子安次氏の証言と違い、内容が曖昧模糊としていて、証言を肯定する為にも否定する為にも必要 な 「 当事者でなければ知り得ない事 」 が全くありません。 これでは反駁するにしても精々、

 ・ 反駁1: 偶さか付いた嬢が 「 甘言に騙された 」 と言っただけで、
       その慰安所に居た慰安婦全員が甘言に騙されて
       (広義の)強制連行に遭っているとは限らない。

 ・ 反駁2:そんなに見境なくレイプしまくったのであれば、韓国がベトナム戦争でやらかした
       ライダイハン問題のような私生児がいっぱい生まれていなきゃおかしい。

       もちろん、その為の伏線として 「 しかもその後、殺した 」 って言ってるんだろうけど、
       もしそんなことをしたら、生き残った者たちが戦後に裁判を起こしている。
       「 起こしていないが、それでも本当に強姦して殺した 」
       と言い張るのであれば、部落を丸ごと鏖殺しにしなきゃならなくなる。
       そんなことをあちこちでやっていたら、それこそ南京大虐殺どころのじゃ済まなくなる。
       だから、この強姦して殺したは嘘。 そして殺していないのに、私生児が生まれなかった
       のだから、強姦した、も嘘。

 位が関の山でしょう。

 個人的には、これでも論破できているような気がするけど、息を吐く様に嘘を吐く相手を ぎゃふん と 言わせるには、これじゃ駄目なんだろう。

 難しいね。


 ・・・ なんて書いていたら、私の反駁を裏付けるようなニュースが入って来ました。

   2014年05月16日 ガハろく
   イスラム過激派「ボコ・ハラム」、村人に虐殺される
   http://gahalog.2chblog.jp/archives/52281003.html
   > ナイジェリア北部の村人 「ボコ・ハラム」の戦闘員およそ200人を殺害
   >
   > ナイジェリア北部のボルノ州で、「ボコ・ハラム」とみられる武装集団の襲撃が撃退され、
   > 「ボコ・ハラム」の戦闘員およそ200人が殺害された。
   >
   > イスラム・テロリスト 拉致した女子中学生200人以上を売りとばすと脅迫
   > カメルーンと国境を接するボルノ州にある3つの村の住民たちは、
   > 「ボコ・ハラム」とみられる武装集団の襲撃を撃退した。
   > リア・ノーヴォスチ通信によると、村人によって結成されたゲリラ隊が、
   > 少なくとも200人の戦闘員を殺害した。
   >
   >
   > http://japanese.ruvr.ru/news/2014_05_15/272396971/

 これが現実です。 娘や妻を略奪されて泣き寝入りするヘタレ村民なんか、サヨクの脳内にしか存在 しません。



 招請を無視した日本政府の見解は、アミカス・キュリエ(法廷助言者)が陳述しました。

 

 こんな“最初から判決内容が決まっている”三文芝居に日本政府が公式に参加するわけないだろ。

 

   2009-05-02 銀色の侍魂
   所謂「女性国際戦犯法廷」その異常性と賛同団体・個人
   http://omoixtukiritekitou.blog79.fc2.com/blog-entry-123.html
   > 所謂「女性国際戦犯法廷」
   > その異常性と賛同団体・個人
   >
   > 前々回のエントリーで取り上げたNHKの2001年の「戦争をどう裁くか」における
   > 女性国際戦犯法廷につての意見?コメントがありましたので
   > これについてお答えしようと思います。
   >
   >
   > それでは、naokoraさんからのコメント
   >
   >  被害者の言葉
   >
   >  > 先帝陛下を一方的に裁く
   >
   >  あれは一方的に裁いたのではありません。
   >  民衆裁判の主催者はあらかじめ、日本政府に裁判(イベント)に政府として出席するよう、
   >  すなわち日本政府として弁明の機会を与えるように、要請をしています。
   >
   >  それを日本政府は断ったという事ですね。
   >  勿論、もし弁明があっても昭和天皇の有罪は免れなかったでしょう。
   >
   >  なぜなら被害者自身が出廷し、その苦しみを訴えていた訳ですから。
   >  それを否定できる、根拠は日本政府にはないでしょう。
   >
   >  これは河野談話が出る前の、日本政府による韓国の元慰安婦の方への事情聴取でも
   >  起きていることですね。
   >  実際に被害者に会い、調べた当事者はみなさん、ちゃんと酷い事実を認めている。
   >
   >  あなたもこんな馬鹿なブログで独り言を書いていないで、少しは勉強すべきですね。
   >
   >  2009-05-02 03:26 naokora URL
   >
   > 以上がコメントです。
   >
   > はい、ではまず。
   >
   > だいたいの事は崗上虜囚さんがお答えになっているので重複するかも知れませんが・・
   >
   > > あれは一方的に裁いたのではありません。
   > > 民衆裁判の主催者はあらかじめ、日本政府に裁判(イベント)に政府として出席するよう、
   > > すなわち日本政府として弁明の機会を与えるように、要請をしています。
   >
   > まず、詳しくは他のサイトなどが詳細で分かりやすいので
   > そちらを参照する方が早いのですが。
   >
   >  女性国際戦犯法廷の愚かさ
   >  http://datas.w-jp.net/WomensTribunal2000.html ( 消えています )
   >
   > 一部引用
   >
   >  日本政府に弁護人を要望したが、相手にされなかった法廷
   >
   >  法廷の主催者は弁護人を要求したが、上のように、事実認識すらままならない
   >  左翼たちに囲まれて、何を弁護すると言うのであろうか。
   >  結局、誰も相手にすることはなかった。
   >
   >  女性国際戦犯法廷は、「日本国家の責任」を問うため、
   >  開催2ヶ月前に全裁判官の名前で、当時首相であった森嘉朗氏に
   >  被告側弁護人(被告代理人)の出廷を要請した。
   >  しかし、開催直前になっても何の応答もなかった。[8]
   >
   >  よって、「被告と被告側の弁護人がいない」という問題が生じることとなった。
   >
   >  そこで、主催者側はイギリスの制度である「アミカス・キュリー(法廷助言人)」という
   >  仕組みを持ち出した。
   >  このように、後付けで理由をこじつけるところが人民裁判的である。
   >  主催者側は、この事実をもって「きちんと反論は行われた」としているが、
   >  「法は遡らない」及び「同意のない法は無効」の原則通り、
   >  このようなこじつけは一方的な詭弁に過ぎない。
   >
   >  結果、主催者側としては「弁護を付けたつもり」になって、裁判が行われたのだ。
   >  まさに茶番である。
   >
   > 引用終わり。
   >
   > つまり、端的に言えば何を言っても聞き入れられない、自分の意見のみが絶対正しくて
   > これを批判するものは間違いかまるで愚か者だと言わんばかりの、
   > まるで「たかじんのそこまで言って委員会」の田嶋氏のような左翼にとり囲まれたところで
   > 何をどう弁護したところで結論は決まっている正に”人民裁判”だから誰も相手にしなかった
   > ということです。
   >
   > その証拠にnaokoraさん自身が
   >
   > > 勿論、もし弁明があっても昭和天皇の有罪は免れなかったでしょう。
   >
   > がものがたっています。

 「 招請を無視した 」 も何も自分が日本政府の立場だったら出“廷”するかい?

 国の司法が関わっているワケでもなければ、正規の裁判所で行われた“裁判”ですらない“裁判形式 のお芝居”に。



 東ティモール法廷には膨大な証拠(書証と人証)が提出されましたが、
 法廷当日に、各国の被害者が貴重な証言(ビデオ証言含む)しました。
 証言をしたのは、朴永心、河床淑、金英淑、文必、金福童、安法順(以上、南北コリア)・・・

 

 んなこと言ってると、各個撃破しちゃうぞ ( ^ω^ )

 

 朴永心

   http://sikoken.blog.shinobi.jp//慰安婦証言/朴永心(パク・ヨンシム)

   > 【考察】
   >
   > 同女が、自分であると証言している写真があるのですが、
   > それは、1944年9月3日、松山(※拉孟・中国雲南省)にてアメリカ写真部隊が撮影したもので、
   > 「中国弟8軍の兵士によって捕虜にされた4人の日本人女性」と記されているものです。
   > (※恐らく、日本人と朝鮮人の区別がつかなかったのでしょう)
   >
   > 「雲南・ビルマ最前線における慰安婦達−死者は語る」(浅野豊美)のレポートには
   > 「ラウンドアップ」と言う米兵向け新聞の当該写真の4人に対するインタビューが掲載されています。
   > そのインタビューによると
   >
   >  ○ 慰安婦達の年齢は、24歳から27歳
   >
   >  → 1944年9月なら同女は満22歳で、数え年なら24歳。
   >     おそらく数え年を申告したのでしょう。
   >     ( ※ 他ページで「22歳のはずだからおかしい」と指摘している所があったので
   >        敢えて記載 )
   >
   >  ○ 1942年に、シンガポールにて基地の世話や病院の手伝いをすると日本の官憲に騙された
   >
   >  → 同女が朝鮮で騙されたのは1939年
   >
   >  ○ 4人は「朝鮮(1942年6月発) → シンガポール・ラングーン経由 → 松山の慰安所」
   >
   >  → 同女の証言は、以下の通りでかなり食い違っており、
   >     ビルマへと向かった時期だけは一致しています
   >
   >     「 朝鮮(1939年発) → 南京の慰安所(1938年着・1942年初夏発) → 
   >      上海の港 → シンガポール・ラングーン経由 → ビルマのラシオの慰安所(1942年着)
   >      → 松山の慰安所」
   >
   > インタビューでは4人は朝鮮から共に行動してきたことになっていますが、
   > インタビュー時の状況も分からないので、この記事の内容をそのまま同女の証言と
   > 捉えることはできません。
   > 当時、身重のまま戦地を逃げ延びてきた同女が疲弊しきっていて、
   > インタビューに参加しなかった可能性も十分あります。
   >
   > また、南京では、同女がいた慰安所の建物も見つかっており、
   > 南京にいたというのも信憑性があります。
   > ( ただし、同建物の写真が掲載されている写真を見ましたが、
   >  どのくらい証言と一致しているのかは不明 )
   >
   > しかし、騙したのが「日本人巡査」で、南京の慰安所に連れていったのが「憲兵」というのは
   > 疑わしいと思っています。
   > 「慰安婦になった経緯」については、他の多くの元・従軍慰安婦も脚色や捏造を行っている
   > 所です。
   >
   > 同女の証言の最大の疑問点は以下の記述です。
   >
   > 「 玄関を入ると正面に階段があり、薄暗い階段を上って二階に連れて行かれました。
   >  〜(中略)〜
   >  「キンスイ楼」の女たちを取り仕切っていたのは朝鮮人の夫婦でした。
   >  〜(中略)〜
   >  主人は私に日本の着物に着替えるように言いました。
   >  私は「なんでこんなものを着なければいけないのか」と抵抗したのですが、
   >  主人は大きな声でどなりながら無理やり私が来ている服をはぎ取ったのです。
   >  そして、「今日からおまえの名前は『歌丸』だ」と言いました 」
   > ( 「 証言 未来への記憶 アジア『慰安婦』証言集T」 P.23〜25 )
   >
   > 同女は、慰安所についてすぐに、初対面の慰安所の主人から「歌丸」という名前を
   > 付けられています。
   > 「歌丸」は他の慰安婦達のように、思いつきで適当に付けられた名前と違って、
   > 名前の中に「歌」という要素があって、歌が上手いから付けられたと考えるのが自然な
   > 名前です。
   > そんな名前が、初見でろくに話してもいない同女にいきなり付けられるとは思えません。
   > しかも、同女は以下のような記載がある通り、実際に歌がうまいのです。
   >
   >  「 私は、気晴らしによく朝鮮の歌を歌いました。
   >   そのうち日本兵のあいだで歌がうまいと評判になり、
   >   日本兵の前で歌わされることもありました。」
   >  ( 「 証言 未来への記憶 アジア『慰安婦』証言集T」 P.32 )
   >
   > 「歌丸」は、同女が歌がうまかったから付けられた名前でしょう。
   > 慰安所の主人はこの名前を付ける前に「同女は歌がうまい」ということを知っていたはずです。
   > しかし、証言にはそんなことは書かれていません。
   > つまり、「歌丸」という名前がつけられる前に、慰安所の主人がいつ、どうやって
   > 「同女は歌がうまい」ということを知ったのかという情報が抜け落ちていて、
   > その代わりに「巡査に騙されて憲兵に連れて来られた」という情報があるわけです。
   >
   > 確たる証拠がありませんので推測の域を出ませんが、
   > 「巡査に騙されて憲兵に連れて来られた」というのは全くの嘘でしょう。
   > 本当は、「キーセンとして歌を披露していたところを慰安所経営者にスカウトされて、
   > または騙されて慰安婦になった」というところではないでしょうか。
   > 少なくとも慰安所で始めてその主人と会ったと言うのは考えにくい話です。
   >
   > -------------以下 2007.4.3追加---------------------------------------------
   >
   > また、同女が自ら証言する時は必ず、連行されたのは「1938年3月」だと証言しています。
   > 下記資料の米陸軍の調査報告には「1939年8月」とあり、また、
   > 「 南京に連行される時『暑くて汗びっしょりになった』 」
   > ( 戦場の『慰安婦』−拉孟全滅戦を生き延びた朴永心の軌跡 ( P.20 ) )
   > とも話しており、真夏であったことは間違いなさそうですが、何故「3月」にこだわるのか
   > 疑問です。
   > 南京に行くことになったのは「8月」で、そもそも慰安婦となったきっかけとなる出来事が
   > 「3月」に起こったのではないでしょうか?
   > 「歌丸」と「3月」に慰安所に入れられることになった本当の経緯が隠されていそうです。
   >
   > なお、2005.5.19の朝鮮新報(以下「朝鮮」)と「戦場の『慰安婦』−拉孟全滅戦を生き延びた
   > 朴永心の軌跡」(以下「戦場」)では下記の通り証言内容に相違点があります。
   >
   > < 連行時の同女の同意の有無 >
   >
   > ○ 「朝鮮」・・・「両親に聞かないといけない」と抵抗したが、無理やり車に乗せられた
   >
   > ○ 「戦場」・・・「お金が稼げる仕事がある」という言葉を信じた
   >
   > 無理やり連れて行かれたのが、無理やりではなくなっています。
   > また、「証言 未来への記憶 アジア『慰安婦』証言集T」では
   > 「お金を稼げるなら親孝行ができると思ってついて行くことにしたのです」(P211)と、
   > むしろ、同意したことになっています。
   >
   >
   > < 南京の慰安所の様子 >
   >
   > ○ 「朝鮮」・・・3階建てのレンガ造りの建物で、各部屋の大きさは2×2.5メートルくらい。
   >
   > ○ 「戦場」・・・2階建ての大きなレンガ造りの建物で各部屋は6畳ほど。
   >
   > 3階建てが2階建てになり、5uが6畳(約10u)と2倍の広さになっています。
   > 「戦場」には南京で見つかったとされる慰安所の写真が掲載されており、
   > その建物に合わせて証言内容を変更したのでしょう。
   > 見つかったとされる建物が本当に同女がいた慰安所の建物か疑わしいものです。
   >
   >
   > < 女性を殺し鍋で煮たスープ >
   >
   > ○ 「朝鮮」・・・日本人に肉入りのスープをもらい食べたら、要求に応じなかった
   >         朝鮮人の女性の肉で作ったスープだと笑いながら言われる
   > ○ 「戦場」・・・そのような記述無し
   >
   > あからさまなウソでしょう。
   >
   > -------------以上 2007.4.3追加--------------------------------------------
   >
   > 蛇足ですが、上で述べた「ラウンドアップ」にも以下の通り
   > 日本の官憲が陸軍夫人部隊を募集したとの内容が記載されています。
   >
   > ○ 1942年の4月初め、日本の官憲が朝鮮の平壌近くの村に来た。
   >   彼らは、ポスターを貼ったり大会を開くなどして、シンガポールの後方基地勤務で
   >   基地内の世話をしたり病院の手伝いをする挺身隊
   >   ( 原文では、“WAC” organizations(※陸軍夫人部隊(管理人注)) )
   > の募集を始めた。
   >
   > ○ 応募の際に貰った1,500円(米ドルで12ドル:原文)で、治療代を工面した
   >
   > 私は、先に大金を受け取っていることから、業者が「今、官憲で応募しているアレだ」と
   > 騙したのではないかと思っています。
   > ( ※ 挺身隊や従軍看護婦が応募の時点でお金を受け取ることなどなかっただろうと言う
   >    推測を元にしています。 この事実関係については別途調査したいと思います )
   >
   >
   > 【信憑性】
   >
   > 騙したのが「日本人巡査」で「憲兵」に引率されたというのは非常に疑わしいですが、
   > 否定できる確たる証拠はありません。
   > 南京等で慰安婦をしていたのは本当でしょうが、時に人肉スープを食べさせられたと
   > 証言する等、所々、ウソが紛れている可能性大です。

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 河床淑

   韓流研究室
   朝鮮人2人に騙された元慰安婦「日本人に騙された。謝れ」国際シンポで訴え
   http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-2600.html

   > 河床淑さん、どうして嘘を付くかなあ・・・
   >
   >  ★ 日本軍「慰安婦」制度について
   >  「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター
   >  http://vawwrac.org/?page_id=436
   >  ■ 徴集方法
   >  *2 < 朝鮮人女性の連行事例 >
   >  ・ 河床淑(ハ・サンスク)・・・
   >   2人の朝鮮人男性に騙され、漢口の積慶里の慰安所に連れて行かれた。

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 金英淑

   http://sikoken.blog.shinobi.jp/慰安婦証言/
   李桂月(イ・ゲウォル)-郭金女(カク・クムニョ)-金英淑(キム・ヨンスク)

   > 李桂月、郭金女、金英淑の3名は、北朝鮮の元・従軍慰安婦で、
   > 「証言 未来への記憶 アジア『慰安婦』証言集T」に収録されているのですが、
   > 以下の通り、共通点があるのでまとめて掲載します。
   >
   > < 共通点 >
   >
   > 1.公権力・日本軍に連行されたことが明白
   > 2.慰安所の場所は中国の東北部(北朝鮮に比較的近い場所)。
   > 3.慰安婦の日本名は必ず「〜コ」 (ex.マツコ、エイコ)
   >   ( ※ ただし苗字しか出てこないケースもあり )
   > 4.慰安所での内容があまりに希薄。軍人と慰安婦以外の人間は出てこない。
   > 5.日本兵の非道さが他の証言よりも突出している
   > 6.良い、又は、まともな日本兵は出てこない
   > 7.慰安所を脱走時、助けてくれるのは必ず朝鮮人
   >
   > さらに、最大の共通点は、これらの証言をとったのが全て
    > 「朝鮮 日本軍『慰安婦』・強制連行被害者補償対策委員会」という組織だということです。
   > 北朝鮮では、1992年に「従軍慰安婦・太平洋戦争被害者補償対策委員会」が発足し、
   > ラジオなどを通して元従軍慰安婦の申告を呼びかけ、219名が申告、
   > 内45名が公開証言を行っています。
   > そして、現在、従軍慰安婦関連の調査を行っているのが、
   > この「朝鮮 日本軍『慰安婦』・強制連行被害者補償対策委員会」なのです。
   >
   > なお、「証言 未来への記憶 アジア『慰安婦』証言集T」で、この委員会のとった証言が
   > 載っているのは今回あげている3名のみです。
   >
   >
   > 【信憑性】
   >
   > 先に結論を述べます。
   > この3人の証言には、信憑性は全くありません。
   > 南北分裂前に慰安婦を強いられたのですから、
   > 韓国と北朝鮮の元・従軍慰安婦の証言に異なる特色などあろうはずがありません。
   >
   > 典型的な「従軍慰安婦・日本兵」のイメージで作られた創作でしょう。
   > 証言内容には、「悪=日本人」、「善・被害者=朝鮮人」という一部の人達が大好きな
   > 世界観が色濃く顕現しています。
   >
   > また、上にあげた共通点の一部の理由を推測してあげておきます。
   >
   > ○慰安所の場所が中国の東北部
   >  → ゴーストライターが、東南アジア等の他の土地には土地勘がなく、
   >    また、ヘタに書くと歴史的事実に反する内容になってしまう恐れがあるから
   >
   > ○慰安婦の日本名が必ず「〜コ」
   >  → ゴーストライターが、日本の女性名は「〜コ」が多いというぐらいの知識しかなかったから
   >
   > 確かに、たった三人を比べただけなので、上であげた共通点の中には
   > 「偶然の一致」のものもあるでしょう。
   > しかし、他の北朝鮮の証言者の証言を見てみても、政治的意図をもって
   > 情報を歪曲・捏造しているのは確かのようです。

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 文必

   http://sikoken.blog.shinobi.jp/慰安婦証言/文必ギ-王+基-(ムン・ピルギ)

   > 【考察】
   >
   > 同女の証言は、以下の通り「従軍慰安婦」を意識し過ぎた内容になっていて、
   > 私は逆に胡散臭さを感じます。
   > 以下、「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」に記載されている証言。
   >
   > ○「日本人の手先として働いていた五〇代くらいの男の人がいました。
   >   ある日その人が私に、勉強もできてお金も儲かる所に行かせてあげると言いました。
   >   (P.119)」
   >
   > ・・・騙したのはあくまで日本人の手先 
   >
   >
   > ○「そこには村の派出所に勤務する日本人巡査のタナカという人も来ていました。(P.119)」
   >   ( ※ 「そこ」とは、同女を連行する為のトラックが停められていた場所 )
   >
   > ・・・日本の公権力の関与を匂わす記述
   >
   >
   > ○「私たちが乗った汽車には民間人用の車両と軍人用の車両がありましたが、
   >   私たちは軍人用の車両の方に乗りました。
   >   日本の軍人が私たちを引率していましたが、軍人たちは私たちを別々に座らせて
   >   互いに話もできないようにしました。(P.120)」
   >
   > ・・・日本の軍人たちが引率
   >
   >
   > ○「慰安所にいた朝鮮人男性が、女を連れて来いという日本の軍人の依頼を受けて、
   >   故郷に行ってキヨコを騙して連れて来たのだと言っていました。(P.121)」
   >
   > ・・・主犯格が日本の軍人であったことを明示
   >
   > ○「慰安所から近い部隊に所属する軍人たちが交替で派遣されて歩哨に立ちました。
   >   (P.121)」
   >
   > ○「歩哨兵がいつも私たちをいつも監視していました。(P.126)」
   >
   > ・・・ここでも軍の関与を示唆。
   >   慰安所に歩哨を置いて監視する程、暇ではないと思うのですが
   >
   >
   > ○「軍人は全員日本人です。
   >   もし、朝鮮人が入って来たなら思いっきり泣きつくこともできたでしょうが、
   >   三年間、朝鮮人の軍人は一人も見ることがありませんでした。
   >   ほかの「慰安婦」の中には朝鮮人を見たと言っていた人もいました。(P.123)」
   >
   > ・・・女性を性奴隷として扱うのは日本人だけで、
   >   朝鮮人はいてもホンのわずかと言うことでしょうか
   >
   > 以上、恣意的な感じ(※あくまで「感じ」)がする記述が多数見受けられます。
   > また、同女は
   >
   > 「慰安所に送られて三年目の二十歳のとき終戦を迎えました。(P.127)」
   >
   > と、「終戦」という言葉を使用しています。
   > 8月15日は日本人にとっては終戦記念日でも、
   > 韓国人にとっては植民地支配から解放された「光復節」です。
   > 他の元・従軍慰安婦の方々も「終戦」ではなく「解放」という言葉を使用しています。
   > 裏に日本人のゴーストライターがいたのではと疑いたくなります。
   >
   >
   > 【信憑性】
   >
   > このパターンの証言をする人は、複数の証言を突き合わせると
   > 必ずと言っていいほどボロが出てくるものですが、現在、突き合せるべき資料がない為、
   > 現段階では信憑性の判断は保留します。

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 金福童

   NAVERまとめ 【動画付き】来日した自称「慰安婦」金福童氏の矛盾だらけの証言を徹底分析
   http://matome.naver.jp/odai/2136984960259646401

   戦後も「従軍慰安婦」していた金福童(キムボクトン)さん
   
   > ■ ポイント1 韓国は当時は日本であり、日本と韓国は戦争をしていない。
   >         女子挺身隊で工場動員されたのは1944年9月から
   >
   >  1944年8月    女子挺身勤労令を公布。
   >             同令により、14歳から40歳までの女性が
   >             軍需工場などの戦争遂行体制に動員された。
   >
   >  1945年8月15日 第二次世界大戦で日本が連合国に降伏。
   >             この時点ですでに朝鮮半島北部にはソ連軍(赤軍)が侵攻中であった。
   >
   >  1948年8月13日 ソウルで李承晩が大韓民国の成立を宣言。
   >
   >  1948年9月 9日 金日成はこれに対抗してソ連の後援を得て
   >             朝鮮民主主義人民共和国を成立。
   >
   >  1950年6月25日 朝鮮戦争はじまる。
   >
   >
   > ■ポイント2 韓国軍による慰安婦制度
   >
   > 顧客の日本軍がいなくなった後、朝鮮人事業者は日本軍に代わる顧客を探したはずである。
   >
   >  1945年 - 1990年 韓国軍と在韓米軍によって慰安婦に動員された韓国人女性たちを
   >              韓国軍慰安婦または大韓民国軍慰安婦と呼ぶ。
   >
   >  1951年 - 1954年 韓国軍が「特殊慰安隊」という名前で、
   >              固定式あるいは移動式慰安婦制度を取り入れて運用した。
   >
   > 朝鮮戦争当時の韓国軍の公式・非公式慰安婦の規模に関する明確な情報はないが、
   > 金貴玉教授は朝鮮戦争直前の私娼の数5万人を下ることはないと見ている。
   > なお、朝鮮戦争後には性売買をする女性は30万人余りに達したと推測されている。"
   >
   > 「慰安(婦)」という言葉が共通していることなどから
   > 韓国軍慰安婦は旧日本軍慰安婦にならってつくられたと考えられている。
   > しかしながら、旧日本軍の慰安婦が民営であったのに対し、
   > 韓国軍の慰安婦は軍直営を超えて「慰安隊」として正規の軍組織となっていた点で
   > 大きく異なる。
   >
   >  韓国政府は、韓国軍だけではなく国連軍のための慰安所も運営した。
   >  朝鮮戦争が始まってほどない1950年9月、釜山近くの馬山市に
   >  国連軍用の慰安所を5ヶ所設けたことが「釜山日報」に掲載されている。
   >
   >
   > 大韓民国政府がポン引きだった 
   > [薦887硲] 企廃肯厩 舛採亜 匂爽心陥 : 妊走戚醤奄 :
   > 敢什 : : 企廃肯厩 失古古 左壱辞 : 廃移傾21
   > http://h21.hani.co.kr/arti/cover/cover_general/30838.html
   >
   > http://img.hani.co.kr/imgdb/resize/2011/1128/1321926229_7000816981_20111128.JPG
   >
   > 性売買取り締まりのふりをして女性を外貨稼ぎの手段として考えていた韓国政府...
   > 韓国戦争の時に慰安所設置し、独裁政権は在韓米軍・日本人対象の性売買助長
   >
   >
   > ■ 朝日新聞社と提携関係にあるニューヨークタイムズ
   >
   > ニューヨークタイムズで活躍する謎の「日本人」記者・田淵広子さん
   > http://japa.la/?p=15470
   >
   > http://japa.la/wp-content/uploads/2013/04/f08ov45le0rbqqb0hsmj.jpeg
   >
   >  まず日本人のみなさんは、ニューヨークタイムズという新聞社が
   >  これまで「沖縄米兵少女暴行事件」「捕鯨問題」「尖閣諸島問題」「従軍慰安婦問題」
   >  「教科書問題」「北朝鮮日本人拉致問題」などに関して、長年のあいだ、多岐に渡って
   >  日本に対する批判的な報道を繰り返してきた新聞社であること、
   >  そしてニューヨークタイムズと朝日新聞社は提携関係にあること、
   >  ニューヨークタイムズの東京支局が、東京都中央区築地の朝日新聞本社内にあることを
   >  知っておくべきだと思います。
   >
   > 出典ニューヨークタイムズで活躍する謎の「日本人」記者・田淵広子さん
   >
   >
   > ■ NYタイムズの田渕記者などは、いまだに記者会見で橋下徹氏に
   >   「慰安婦が嘘つきだというんですか!」
   >   などと詰問しているので、彼女たちが嘘つきであることを証明しておこう
   >
   > 自称「慰安婦」の矛盾だらけの証言 : 池田信夫 blog
   > http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51858988.html
   >
   > 「 広東から香港、マレーシア、スマトラ、インドネシア、ジャワ、シンガポール…、
   >  前線地帯の戦地を日本軍と共に転々とした 」
   > という。
   > 日本軍の部隊でも、このように太平洋を数千kmも移動した将兵はなく、
   > まして慰安婦がそれに随行することはありえない。
   >
   > 「 アジア各地の前線を転々とし、8年間、慰安婦を強いられた 」
   > という。
   > 慰安婦になったのが1939年だったとしても、8年たったら1947年。
   > そのころ日本軍は存在しない。
   >
   >
   >  御伽小春@otogi586 フォローする
   >
   >  橋元市長に会いたいと言ったのにドタキャンした自称慰安婦って
   >  ジープ(当時ありません)に乗った日本兵に連行されて
   >  ヘリ(民間人を乗せれるほどのものはなかった)で移送されて
   >  クリスマス(キリスト教は…)はすごく忙しかったって言ってたうそつきですよね。
   >
   >  返信 リツイート お気に入りに登録 2013.05.28 18:30
   >
   >  アメリカ軍用ジープは1941年から本格生産されている。
   >  日本では1953年より新三菱重工がウィリス社のジープをノックダウン生産している。
   >
   《以下略》

 そういえば、↓コレの自称元従軍慰安婦2人組み婆ってのが、吉元玉氏と金福童氏だったな。

   2013年05月15日 ネトウヨ☆速報
   【慰安婦問題】「強制連行の証拠を示す、謝罪しろ」韓国の元慰安婦ら橋下市長に面会要求
   http://uyosoku.com/archives/26987863.html
   > 第二次大戦中の慰安婦制度を容認する発言をした
   > 日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長に対し、
   > 訪日する韓国の元慰安婦の女性が面会を求めたと、
   > 元慰安婦を支援している韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が15日に明らかにした。
   >
   > 大阪市側は「日程を確認する」と返答しているという。

   

   2013年05月16日 ネトウヨ☆速報
   【慰安婦問題】 橋下市長、元慰安婦と24日に面会
   ・・・フルオープンで白黒はっきりつけちゃうぜwwwwwwwwwwwwwwwww
   http://uyosoku.com/archives/27025741.html
   > 日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)の従軍慰安婦を巡る発言を巡り、
   > 韓国の元慰安婦の女性2人が来日し、24日に橋下氏と面会することが16日、分かった。
   > 大阪市役所内で報道陣に公開で行う予定。

   

   2013年05月18日 ネトウヨ☆速報
   【社会】11歳から慰安婦をしていた吉元玉「暴言を吐いてはいけない」 橋下氏を批判
   http://uyosoku.com/archives/27138183.html
   > 吉さんは、元慰安婦の金福童(キムポットン)さん(87)とともに、
   > 広島市で19日、岡山市で23日にある証言集会で話をし、
   > 24日に大阪市役所で橋下氏に面会する予定。

   

   2013年05月24日 ネトウヨ☆速報
   【慰安婦問題】橋下氏と元慰安婦の面談、中止へ
   元売春婦「会いたくない」wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
   http://uyosoku.com/archives/27391186.html
   > 旧日本軍の「慰安婦」だった韓国女性2人と支援団体は、
   > いったん申し入れていた橋下徹日本維新の会共同代表と面談しないことを決めた。
   > 面談は24日午前に予定されていた。
   > 支援団体関係者は、理由について
   > 「(2女性とも)橋下氏とは会いたくないと言っている」 「政治利用される心配もある」
   > と話した。

 逃げてやんのw

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 安法順

 この人は検索しても出ないね。

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 万愛花

   従軍慰安婦問題を考える「万愛花(ヴァン・アイファ)」
   http://sikoken.blog.shinobi.jp/慰安婦証言/万愛花(ヴァン・アイファ)

   > 【考察】
   >
   > 「写真記録 破られた沈黙」(以下、「写真」)によると
   > 同女が日本兵に捕まったのは以下の通りとなります。
   >
   > 1回目・・・満14歳(数え16歳)・1943年6月7日(6月28日脱出)
   > 2回目・・・満14歳(数え16歳)・1943年8月18日(9月16日脱出)
   > 3回目・・・満14歳(数え16歳)・1943年12月8日(1944年1月28日生還)
   > ※ 全て旧暦。 「数え」は生まれた時に1歳で1月1日を越える毎に1歳を加算する方法。
   >   つまり、同女の場合、12月12日〜31日は満年齢+1歳となり、その他は+2歳となります。
   >
   > しかし、
   > 「日本軍による中国女性への性暴力を明らかにする証言集会 in 神戸」(以下「神戸」)
   > では、日本兵に捕まったのは1943年と、西暦は一致しているものの、
   > 「15歳の6月のはじめ」と証言しており、1943年6月なら同女は
   > 満年齢でも数え年でも15歳ではありません。
   >
   >
   > さらに、「写真」、「神戸」、「黄土の村の性暴力」(以下「黄土」)、
   > 「ガイサンシーとその姉妹たち」(以下「ガイ」)と比べると
   > 以下の通り証言内容に相違点があります。
   >
   > < 生まれた年 >
   >
   > ○ 「写真」・・・1929年12月12日生まれ
   >
   > ○ 「神戸」・・・1929年
   >
   > ○ 「黄土」・・・1930年1月11日
   >
   > ○「ガイ」・・・1930年1月
   >
   > → おそらく、旧暦と新暦の違いでしょう。
   >
   >
   > < 1回目の監禁 >
   >
   > ○ 「写真」・・・1943年6月7日〜28日(※3週間)
   >
   > ○ 「神戸」・・・1943年6月の初めに捕まり、1週間経たないうちに逃走
   >
   > ○ 「黄土」・・・1942年6月半ば頃に捕まり、約1週間後に逃走
   >          (※1943年の可能性があることの記載あり)
   >
   > ○ 「ガイ」・・・6月7日に捕まり、数日後逃走(※西暦の記載なし)
   >
   >
   > < 1回目の監禁時の強姦 >
   >
   > ○ 「写真」・・・「毎日、多くの日本兵に強姦され、私は何度も気を失いました」
   >
   > ○ 「神戸」・・・記載なし
   >
   > ○ 「黄土」・・・「二回目や三回目の拉致の時のようなひどい拷問はありませんでしたし、
   >          強姦も受けませんでした」
   >
   > ○ 「ガイ」・・・「銃尻で殴られたりといった暴行を受け、強姦された」
   >
   > → 強姦されたり、されなかったり
   >
   >
   > < 1回目の逃走 >
   >
   > ○ 「写真」・・・日本兵たちが会議を開いている隙に逃走
   >
   > ○ 「神戸」・・・記載なし
   >
   > ○ 「黄土」・・・日本軍がどこかの村へ掃蕩に行った際に逃走
   >
   > ○ 「ガイ」・・・日本軍が棗園村へ出かけた隙に逃走
   >
   > → 会議だったり、掃討だったり。どこかの村だったり、棗園村だったり。
   >
   > < 2回目の監禁 >
   >
   > ○ 「写真」・・・8月18日〜9月16日(※約1ヵ月)
   >
   > ○ 「神戸」・・・7月に捕まり10日くらいで逃走
   >
   > ○ 「黄土」・・・8月頃。何日監禁されていたか覚えていないが、1週間前後より長かった。
   >
   > ○「ガイ」・・・8月19日に捕まり、約1週間で逃走
   >
   > → 1回目も2回目も、「写真」では異常に細かい日付を証言しておきながら、
   >   監禁されていた期間に統一性がありません。
   >
   >
   > < 3回目の監禁 >
   >
   > ○ 「写真」・・・12月8日〜1月28日
   >
   > ○ 「神戸」・・・記載なし
   >
   > ○ 「黄土」・・・12月8日か1月8日頃(※期間についての記載なし)
   >
   > ○ 「ガイ」・・・12月8日に捕まり、正月になった時に死んだと思われ捨てられる
   >
   >
   > < 3回目の拷問の後 >
   >
   > ○ 「写真」・・・死んだと思われ川に投げ込まれ、お年寄りに助けられる
   >
   > ○ 「神戸」・・・逃走。ただし、その時のことは語りたくないと証言。
   >
   > ○ 「黄土」・・・死んだと思われ裸で川辺に捨てられ、老人に助けられる
   >
   > ○ 「ガイ」・・・凍った河に棄てられる。
   >
   > → 「神戸」では、3回目も逃走したことになっています。
   >   また、「写真」では、3回目の拷問の後、
   >   真冬の川に裸で投げ込まれたことになっていますが、
   >   「黄土」では、川辺に捨てられただけになっています。
   >   そりゃ、瀕死の状態で真冬の川に投げ込まれたら生きているはずがないでしょう。
   >
   >
   > < 3回目に解放された後 >
   >
   > ○ 「写真」・・・「丸3年もの間は動くこともできずに寝ていました」
   >
   > ○ 「神戸」・・・「4回目はどうしても捕まりたくないと、
   >          中国のほぼ半分を逃げまわる生活を送った」
   >
   > ○ 「黄土」・・・自分で少し動けるようになったのは1947年のこととある。
   >
   > ○ 「ガイ」・・・記載なし
   >
   > → 「写真」では、動くこともできずに寝ていたはずが、「ガイ」では、逃げ回っています。
   >
   >
   > < 耳たぶが引きちぎられた時とその状況 >
   >
   > ○ 「写真」・・・1回目の監禁時。
   >         共産党員の名前を聞かれても黙っていたので、ひどく殴られる。
   >         その時に、右耳の肉の一部がイヤリングと共に引きちぎられた
   >
   > ○ 「神戸」・・・記載なし
   >
   > ○ 「黄土」・・・3回目の監禁時。
   >         「耳にしていたイヤリングが強姦した日本兵の指輪に引っかかり、
   >          その兵隊が思い切り引っ張ったので、耳たぶが引きちぎられました」
   >
   > ○ 「ガイ」・・・記載なし
   >
   > → 尋問時だったり、強姦時だったり。 1回目だったり3回目だったり。
   >
   >
   > その他、同女の証言の疑問点は以下の通りです。(「写真」の証言より)
   >
   > < 三光作戦で隣村は全滅 >
   >
   > ・・・何故、同女の村は三光作戦で殺し尽くされなかったのでしょうか。
   > そもそも、「三光作戦」は中国側のプロパガンダで人民に徹底抗戦を呼びかけ、
   > 士気高揚を図るためのもの。
   > 実際に日本側でそのような作戦が取られていたわけではなく、
   > 太平洋戦争時に日本が「鬼畜米英」と言っていたのと同レベルのものです。
   > もし、本当にそのような作戦が取られていたなら、
   > 同女の村がその作戦のえじきにならなかったのはおかしな話です。
   >
   >
   > < 副村長がキリストのように壁に手足を釘で打ち付けられ何日間も血を流し続けて死んだ >
   >
   > ・・・詳しい描写が無いので何とも言えませんが、手足を釘で打ちつけただけでは
   > 体の重みで肉が裂けて、磔状態を保つことは不可能です。 如何にも創作臭い内容です。
   > なお、同女と同じ羊泉村で日本兵の犠牲になった劉面換や陳林桃の証言では
   > このような副村長の話や全滅させられた隣村の話は出てきません。
   >
   >
   > < 強姦中にわき毛と陰毛を全て抜き取られる >
   >
   > ・・・私には、わき毛と陰毛を抜き取ることに何の意味があるのか全く分かりません。
   > しかも、他の兵隊が強姦している最中にです。 マニアックな日本兵もいたものです。
   > また、「ガイサンシーとその姉妹たち」によるとこの行為には中国人も加わっており、
   > さらに、それが原因で腋がつるつるになってしまったそうです。
   > 毛を抜いたぐらいで永久脱毛にならないと思うのですが。
   >
   >
   > 【信憑性】
   >
   > 信憑性なし。
   >
   > 同村で同じように日本兵の被害者となった劉面換や陳林桃の証言と比べても
   > 明らかに異色で突出した内容です。
   >
   > 恐らく同女が日本兵と漢奸(※日本人の手先となった中国人)に
   > 酷い暴行を受けたことがあるのは事実だと思いますが、
   > あまりにも誇張や創作を挿入し過ぎです。

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 袁竹林(中国)

 この人も検索しても出ないね。

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 楊明貞(中国)

 この人は、慰安婦と違うやん。

   (第2部)被害と加害の証言 T;南京大虐殺における性暴力被害者の証言
   http://www.jca.apc.org/nmnankin/yangmingzhen%20women.html
   > 次の日、日本軍がまたやって来ました。
   > 母は、強姦されないように顔に墨をいっぱい塗っていました。
   > 日本軍は母が汚いと言って、母を酷く殴って拳銃で母の下半身に拳銃を刺し込んでいました。
   > その後、私のズボンを乱暴に外して、その場で私は日本軍に強姦されました。
   > その時私はたったの7歳でした。
   > 日本軍は私の頭を刀で何回も何回も切っていました。
   > この様にして私の父と、母が相次いで亡くなりました。 私は孤児になりました。

 母親は自分が強姦から逃れたい一心で顔に墨を塗り、七歳の娘はそのままにした所為で娘が強姦 されたのかよ。 事実だとしても母親が酷くね?w

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 トマサ・サリノグ(フィリピン)

   http://sikoken.blog.shinobi.jp/慰安婦証言/トマサ・サリノグ(tomasa salinog)

   > 【考察】
   >
   > 集めることのできた資料は全て、全体的に漠然とした内容。
   > 1年間過ごした慰安所の建物や部屋の様子、そして、そこでの生活の様子も出てきません。
   >
   > また、下記資料の「破られた沈黙」(以下、「沈黙」)と「フィリピンの日本軍『慰安婦』」
   > (以下、「フィ」)を比較すると以下の通り相違点があります。
   >
   > < 連行された夜に強姦された人数 >
   >
   > ○ 「沈黙」・・・5人に強姦される
   >
   > ○ 「フィ」・・・ヒロオカ大尉に強姦された後、別の兵士に強姦される際、
   >        抵抗して頭を殴られ気絶する。
   >        意識が戻った時は誰かが私の頭の傷をお湯で拭っていた。
   >
   > → 「沈黙」では5人と明記されていますが、「フィ」では2人目に殴られて
   >   気絶してしまっています。
   >   気絶したのでは、その間も強姦され続けたのかどうかも分からないでしょう。
   >   意識を取り戻した後のことは何も記述されていませんが、その後、強姦されたのでしょうか。
   >
   >
   > < 最初に強姦された時間帯 >
   >
   > ○ 「沈黙」・・・「夜中まで次々と強姦された」
   >
   > ○ 「フィ」・・・「夜中に私は父のことを思い、泣き続けました」とあり、
   >        その後、夜明け前に兵士達が入ってきて強姦される。
   >
   > ・・・時間帯が全く異なっています。
   >
   >
   > < 監禁状態から逃げ出せたきっかけ >
   >
   > ○ 「沈黙」・・・上官から急がされた兵隊が、部屋に鍵の入ったズボンを置き忘れていった
   >
   > ○ 「フィ」・・・兵士が部屋のテーブルの上に鍵を忘れていった
   >
   > → 微妙に違っています。
   >   「沈黙」ではズボンを忘れていったことになっていますが、ズボンなんか忘れたら
   >   すぐに気付くでしょう。
   >
   >
   > < 一回目の監禁の期間 >
   >
   > ○ 「沈黙」・・・約1年間
   >
   > ○ 「フィ」・・・・「どのくらいその家にいたかは覚えていません」と記載されている
   >
   > → 一方では凡その期間を証言しているのに、一方では覚えていないことになっています。
   >
   >
   > なお、「沈黙」、「フィ」共に、
   >
   >  @ 日本兵に駐屯地へ連行され、強姦される日々が続く(「沈黙」によると約1年間)
   >
   >  A 脱走して、ある夫婦にかくまわれる
   >
   >  B オクムラという日本兵に捕まり、強姦され、洗濯や掃除をさせられる。
   >    ( 「沈黙」によると一年以内 )
   >
   > という内容で一致していますが、NGO「LOOB」のホームページによると
   >
   > 「 翌日から約3年間もの間、その将校はロラに掃除洗濯などをさせ、
   >  夜は性奴隷としてロラを扱った 」
   >
   > となっており、Bのオクムラ関連の情報が無くなって、
   > 全て、日本軍の駐屯地での話に統合されています。単に省略しただけでしょうか。
   > さらに、「沈黙」では、@〜Bが約2年間のはずですが、何故か3年間、性奴隷として
   > 扱われたことになっています。
   >
   > ( ※ 「トマサ・サリノグの請願」でも
   >    「 それから約2年間、わたしは日本兵士たちによって奴隷として監禁され、
   >      強かん、虐待されました 」 と記載されている )
   >
   > ( ※ そもそも、このNGOの情報がどのくらいあてになるものかは不明ですが )
   >
   >
   > また、同女の証言の疑問点は以下の通りです。
   >
   > < 部屋に鍵を忘れていったくらいで逃げ出せるのか >
   >
   > ・・・同女は、兵士が鍵の入ったズボンを忘れていった為に逃げ出すことができます。
   > ズボンなんか忘れたたらすぐに取りに来るでしょうし、また、仮に、同女が鍵を抜き取ったと
   > しても、鍵をかけられないままで済むとは思えません。
   > 部屋にズボンを忘れた日本兵が鍵の管理をしていたのか、
   > それとも、最後の部屋を使用した者が鍵をかけることになっていたのか。
   > 鍵かけのルールがどのように決められたのかは分かりませんが、どちらにしても
   > 鍵をかける際に鍵がないことに気づくでしょう。
   >
   > 現状の証言だけでは、逃げ出せる機会になり得たということが理解できません。
   > また、NGO「LOOB」の記事によると、
   > 「 近所のフィリピン人が脱走を手伝ってくれた 」 ことになっています。
   > さらにワケが分かりません。
   >
   >
   > < オクムラという大佐の家で監禁される >
   >
   > ・・・同女は、一回目の監禁から脱走した後、オクムラという大佐に捕まって
   > その自宅に連れていかれ、強姦されたり、洗濯や掃除をさせられ、
   > また、来客があるとその者との性交渉を強要されることもあったと証言しています。
   > 当時の状況はよく分からないのですが、大佐にもなると、個別に住居を構えることが
   > あったのでしょうか?
   >
   >
   > < 2回目の監禁から解放されたのは日本軍が完全にいなくなってから >
   >
   > ・・・「フィ」には「日本軍がサンホセから完全にいなくなって私はオクムラから解放されました」と
   > あります。
   > この記述だけで、解放された時の状況も不明確なのですが、アメリカ軍の侵攻に伴って
   > 日本軍が撤退し解放されたということでしょう。
   > 言葉尻の問題かも知れませんが、「完全にいなくなって」という表現が気になります。
   > オクムラは日本軍全員の撤退を待ってから自分も撤退したのでしょうか。
   >
   > 自宅を持っていたことと言い、オクムラはただの民間人ではないかと疑いたくなります。
   > そう仮定して、
   > 「 日本軍が撤退して危険になったので自分も移動するなり日本に帰るなりした 」
   > と考えれば、上の証言も納得がいきます。
   >
   >
   > 【信憑性】
   >
   > 上であげた証言の相違点や疑問点だけでは
   > 信憑性を完全に否定できるものとは思いませんので、
   > 現状では、「疑わしい」という判断で留めたいと思います。
   >
   > もっと詳細な証言を入手できたら、疑問点等も解消出来るかも知れません。
   >
   > ただし、個人的には、「単に、オクムラという民間人の家に住み込みで働いていた際、
   > 無理やり妾状態にされただけではないか」と推測していますが。

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 マキシマ・デラ・クルス、エステル・デラ・クルス・バリンギット、レオノラ・ヘルナンンデス・スマワン
 (フィリピン)

 この3人は検索しても出ないね。

 ちなみに、起稿中にタイミング良く遭遇したフィリピンの記事。

   2013年12月05日 笑 韓 ブログ
   【フィリピン】米議員「台風禍で韓国などへ性的な人身売買拡大の恐れ。
                この世の地獄への招待だ」
   http://www.wara2ch.com/archives/7439867.html
   > 先月上旬に猛烈な台風30号(アジア名:ハイエン、Haiyan)の直撃を受けたフィリピンを
   > 先週訪問した米国の下院議員と米国際開発局(USAID)は3日、
   > 多くの女性や子どもたちが人身売買の被害に遭う可能性が高まっていると警告した。
   >
   > 米議員2人と共に台風被災地の視察を終えて帰国した共和党のクリス・スミス下院議員は
   > 下院外交委の小委員会で、フィリピン当局と米軍が多数の被災者の支援にあたっている
   > 状況を報告するとともに、
   > 「 災害発生時に最も被害を被るのは常に、最も影響を受けやすい人たち、
   >  つまり女性や子ども、高齢者、特別な支援が必要な人たちだ 」
   > と述べて、被災後の混乱に乗じた犯罪を防ぐため、より注意深く見守る必要があると指摘した。
   >
   > スミス議員はまた、性的な目的での人身売買の被害に遭いやすいのは特に、
   > 「 長期間にわたって希望を失っていたような人たちだ 」
   > と述べ、被災地から首都マニラ(Manila)などの都市に避難した大勢の人たちの中には、
   > このような人が多いと説明。
   > サウジアラビアや韓国などでの仕事があると言われて人身売買の被害に遭うと、
   > 「 この世の地獄への招待状 」
   > を受け取ってしまうことになると述べた。
   >
   > 米政府はフィリピンを、「人身売買撲滅のための最低基準」を満たしていない国と
   > 位置づけている。
   > 米国務省が発表した「2013年人身売買年次報告書」では、
   > フィリピンは性的搾取や強制労働を目的とした人身売買の「供給国」であり、
   > 「子どもを対象とする買春観光が依然、深刻な問題になっている」とされている。
   >
   > フィリピンを直撃し、観測史上最大規模となった台風30号は、
   > 7400人以上の死者・行方不明者を出した。
   >
   > 【翻訳編集】 AFPBB News
   >
   >
   > http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131204-00000028-jij_afp-int

 慰安婦問題で日本を訴えている場合じゃないように思うんですがねぇ。

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 盧満妹(台湾)

   検索すれば出て来るけど

   > 2007年7月5日(木)「しんぶん赤旗」 台湾の元「従軍慰安婦」被害者証言
   >
   > 「看護婦に」とだまし連行
   >
   > 養母と茶摘みをして生計を立てていた盧満妹さん(80)は、
   > 「 十七歳のとき、看護婦にならないかとだまされて中国の海南島へ連れて行かれた 」。
   > 台湾より給料がいいともいわれました。
   >
   > 盧さんは日本兵の相手をさせられ、妊娠。
   > 八カ月の身重になるまで解放されませんでした。
   >
   > 台湾に帰り、男の子を出産しましたが、
   > マラリアにかかり、三十八日目に子どもは亡くなりました。
   >
   > 「 十七歳だった私が本当に自分の意思で行ったのでしょうか 」
   > と盧さんは訴えます。

 これじゃ“軍命による日本兵士が甘言を用いて(広義の)強制連行”どころか、
 甘言を用いて騙したのが日本兵かどうかも分からないよね。

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 イアン・アパイ(台湾)

 イアン・アパイ氏は、件のサイトにも証言が載っている位の有名人みたいですが、
 インターネット上に反駁したサイトは見受けられませんでした。

   Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任
   証言 - 被害者証言 - 【被害者証言】イアン・アパイ(台湾)
   http://fightforjustice.info/?page_id=1200

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 高寶珠(台湾)

   2012-12-11 15年戦争史
   高寶珠の証言
   http://d.hatena.ne.jp/MARC73/20121211/1373465483

   > 一 原告 高寶珠
   >
   > 1 招集される前の生活
   >
   > 一九二一年九月一七日に台湾省台北県淡水鎮で生まれ
   > 三歳の時に父が、一五歳の時に母が亡くなっている。
   > そのため、原告高は幼い頃から母の洗濯や裁縫の仕事を手伝っていたので
   > 学校にはいっていない。
   > 一五歳のころから江山楼という店で歌を歌う仕事をしながら、
   > 結婚していた姉夫婦と一緒に生活し、姉の夫から実の妹のようにかわいがられて
   > 平穏な生活をしていた。
   >
   >
   > 2 徴集時の状況
   >
   > (1) 一九三八年一七歳になったとき原告高は、将来のことを考え養女をとったが、
   >   養女をとって間もないころ役所から原告高への招集の通知がきた。
   >   その通知には広東に行って日本軍のために働くようにという指示と、
   >   集合場所と集合の日付が記載されてあるだけだった。
   >   原告高は、どんな仕事をするのか役所に聞いたが、
   >   広東にいけばわかると言われたのみで仕事の内容は教えられなかった。
   >   通知を持ってきたのは以前から役所にいた「ほくろに毛」と呼ばれる人物で
   >   集合場所の台北に原告高を送り届けている。
   >
   > (2) 台北の駅には一八人くらいの女性が召集されており「ほくろに毛」の役所の人は
   >   隆まで汽車に同行している。基隆からはは船に乗って広東に送られた。
   >   この頃、広東は第一回の戦闘が終わったばかりで原告高らが船から外を覗くと
   >   死んだ人が海の中に浮かび、また広東についた後トラックに乗せられ
   >   仏山というところに連れて行かれる間も道に死体がたくさんあるのが見える状況で
   >   あった。
   >
   >
   > 3 「慰安婦」とされた時の状況
   >
   > (1) 広東からトラックで到着したところは金山寺という場所で、
   >   その場所には「慰安所」と書いた看板が掲げられてあった。
   >   この看板を見て原告高ら女性たちは何をするのかわかり、泣き悲しだが、
   >   故郷から遠く引き離されかえる方法もなく頼る先もなかったためにどうすることもできず、
   >   性行為を強制されるという苦役に服さざるを得なかった。
   >
   > (2) その後、軍隊の移動に伴われ、香港から陸軍の船でシンガポールを経て
   >   ビルマに連れて行かれた。
   >   途中原告高の乗った船が潜水艦の攻撃を受け、原告高はその轟音で右の耳の聴力を
   >   失っている。 ビルマまでは三ヵ月ぐらいかかっている。
   >
   >
   > 4 ビルマの「慰安所」での生活
   >
   > (1) ビルマに着いてからは、軍隊のトラックに乗せられ山奥まで連れて行かれた。
   >   そこには真新しい「慰安所」の建物が二棟建てられてあった。
   >   台北に招集された一八人はここまでずっと一緒であったが、原告高らの後から
   >   朝鮮から連れてこられた女性たちも着いて、もう一棟の「慰安所」の建物で
   >   性行為を強制されいていた。
   >   「慰安所」があった場所は、原始林の中で、兵隊たちは三〇分かけて
   >   徒歩で通って来ていたが、原告高らは、女性であり身支度もなく、
   >   戦争中で安全な道などないことから、柵が無くとも逃げ出すことはできなかった。
   >   食事も、軍隊から米・野菜を支給されて、原告高ら女性たちが自分たちで作り、
   >   必要な買い物も兵隊に頼んでラシオやランカンで買ってきてもらうしかないという、
   >   外部とは隔絶された監禁状態で、全生活を軍隊に支配されていた。
   >   この「慰安所」を利用した部隊の名前はタツ部隊であった。
   >
   > (2) 「慰安所」は、台湾のおばさんとお姉さんと呼んだ女性二人と
   >   九州から来た日本人のおばさんと呼ばれる女性の三人で管理していた。
   >   兵隊は二元、将校は四元払っていたが、女性たちには一〇日に一度清算して
   >   支払われていたが、原告高が留守宅に送金した金銭は届いていなかった。
   >   身体検査は、日本の軍医が月に三回位来ている。
   >   土曜日曜は大勢の兵隊が来て特に酷使されていた。
   >   将校が夜宴会を開くときにも動員されている。
   >
   >
   > 5 ラングーンへの移動と慰安所での生活
   >
   > 更に、何年かして戦況が厳しくなった中、日本軍の駐屯地からの撤退に伴い
   > 女性たちは幾つかのグループに分けられて、軍隊の車に乗って移動し、
   > 原告高は約一日かかってラングーンに移された。
   > 賑やかな町であったが、新しく「慰安所」の建物が作られ、原告高らはここでも
   > 日本人軍の兵隊の性処理の道具という苦役につかされている。
   > この場所も、日本軍専用の「慰安所」として運営されていた。
   > ここには一年から二年拘束されている。
   > この「慰安所」に移されたころには台湾から一緒だった一八人は七人か八人になっていた。
   > 分かれた女性のなかには「タツ」部隊と一緒に山奥に移動した者もいた。
   >
   >
   > 6 敗戦と帰郷
   >
   > 原告高らは戦争が終わった後、憲兵にベトナムに行って船を待てと指示され、
   > 憲兵隊の高官の指示でベトナムに移動している。
   > 憲兵から通行許可証と腕章を与えられている。
   > 原告高らはベトナムで船を待っている間に日本の許可証を持っていたことから
   > 日本人と思われ抑留されそうになったが、台湾の高官が中国人であることを説明したので
   > 抑留はされずに済んだ。
   > しかし、帰還船に乗船する際、西洋人が来て検査し、金や荷物を取り上げたために
   > 原告高は、この時手元に五元だけ残して全財産を失っている。
   > 台湾には一九四七年に帰っている。
   > 原告高が召集の通知で台湾を出てから八年も経っていた。
   > 台北に集められた一八人のうち帰ったのは四人のみであった。
   > 一四人が命を失ったり、故郷に戻れないままになっている。
   >
   >
   > 7 帰郷後の生活
   >
   > 原告高は台湾に帰ったが、送金した金銭が留守宅に届いていなかったりしたこともあり、
   > また、せっかく縁組みをした養子も幼いときに別れ、育てていないので
   > 親子の情がわかないままであった。
   > 原告高は、酒家で働いたりした後、生活のために九人の子供のいる男性と結婚したが、
   > 悲惨な体験を癒すすべもないまま今日に至っている。
   >
   >
   > http://www.awf.or.jp/pdf/194-t1.pdf

 学校に行っていない高寶珠氏が、客に分かる様に ( ということは日本語で ) 書かれた“慰安所”の 文字を見て泣き出したって、何の冗談だよw

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 ロザリン・ソウ(マレーシア)

   Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任
   証言 - 被害者証言 - 【被害者証言】ヤン・ラフ=オハーン(オランダ)
   http://fightforjustice.info/?page_id=975

 『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』以外には碌すっぽありません ね。

 強いて言うなら、

   2010/06/07 授業の内容
   6月7日・3年ゼミ−「慰安婦」問題の概要を読む
   http://walumono.typepad.jp/6/2010/06/6月7日3年ゼミ慰安婦.html

   《前略》
   >
   > ロザリン・ソウさんの証言に「英字新聞で読み」(32ページ)とあるが、読めたのか。
   >
   《以下略》


   デスクトップ2ch
   日本は大日本帝国を復活させるべき (994)
   http://desktop2ch.tv/china/1287826866/

   > 925 名無的発言者[] 投稿日:2011/11/03 19:42:05
   >
   > (Kim Yong-sukさん)
   > 1940年、13歳の時に日本人の巡査に騙され中国の瀋陽の慰安所へ連行。
   > 体が未成熟だったため日本兵に性器を切り開かれた。
   >
   > (ロザリン・ソウさん)
   > 1941年、25歳の時に2人の子供から離され目隠しされて慰安所へ。
   > 服を着る間もなく1日60人に強かんされ、日本兵の子を出産。

 60人/dayか。 名器やったんやね。

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 エリー・ヴァン・デル・プローグ(オランダ)

 この人の証言を暴いたサイトは検索で普通にHITしました。

   2012/11/05 真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史
   10「売春婦」を貫いたオランダ人女性こそが「思いやり基金」真の受領者
   http://sinzitusikan.iza.ne.jp/blog/entry/2921506/
   > キャロル(末娘)とヘラルドを両横にして席につくと、わたしは証言しました。
   > 陳述の一部として、日本人がわたしにしたしうちは許すけれども、
   > 決して忘れることはできない、という意見を述べました。
   >
   >  ※ 「許す」としているの言葉のみで、行動は「捏造難癖金盗り」で、明白な言行不一致。
   >
   > その日、あとで日本人の人権問題弁護士のひとりが近づいてきて言いました。
   > 「 わたしにはわかりませんね。 なぜ、あなたは許したいのですか? 」
   > この人は、それではわたしたちの申し立てが先に進まないと思っていました。
   >
   >  ※ 日本人の人権問題弁護士が「許すな!と、けしかけた」とジャンは書いている。
   >
   > ネッドは聴衆席に出て、ジャーナリストにまじって、わたしの証言をビデオにおさめていました。
   >
   > 韓国女性の一人が一瞬その場にとどまって、苦しげに叫びました。
   >
   > 「 どういうわけで朝鮮の女たちはあんな恐ろしい目にあわされたのか?
   >  なぜ、わたしたちの青春は花の盛りで引きむしられたのか?・・・人をないがしろにして!」
   >
   > 聴衆席には同じオーストラリアから来た人がいました。
   > オーストラリア・ブロードキャスティングコーポレーションの〈7・30リポート〉の若い記者で、
   > このところ「慰安婦」問題についてリポートをまとめていました。
   > 公聴会の直後、わたしはこの人のインタビューを受けました。
   > いつ放映されるのかと聞きますと、「明日です」という返事。
   >
   > となると、わたしがアデレードで飛行機を降りるときには、
   > 地元の教区の人たち、わたしの友人全員がこの話を知っているのです。
   > どんな反応を見せるでしょう。
   >
   > その夜キャロルとわたしはホテルの着物を着て、ベッドに体を横たえ、
   > 公聴会の前に収録されたテレビ番組を見ました。
   > そこではジャワ時代のわたしの家族の写真が映し出されました。
   > 母も父も、バンドゥガンにあった祖父の美しい家も。
   >
   > これらのいとしい人たちと大切な過去を、東京最大の報道時事番組で見るのは
   > とても奇妙な気分でした。
   > 個人のものだったこれらの時は、今では歴史の一部になっていました。 わたしは泣きました。
   >
   > その夜は眠れませんでした。
   > わたしの顔は、わたしの心は、際限のない苦悩でいっぱいでした。
   >
   > よく10日、戦争と人権に関するシンポジュウムが催されました。
   > シンポジュウムのさなか、ヘルドからファックスを手渡されました。
   > 当日のオランダの新聞の切り抜きです。 それは一面記事でした。
   >
   > スマラン市でわたしと高校がいっしょだった、そしてやはり日本軍によって娼館に入れられた
   > エレン・ファン・デル・プルーフが、報道機関の求めに応じて名乗り上げていて、
   > その記事がわたしのとならんでいるのです。
   > わたしはとてもうれしくて、シンポジュウムの出席者にそのいい知らせを教えてあげました。
   >
   > 「 いいこと、どうなるかわかる?みんなが名乗りを上げると思うのよ。
   >  そうなったら、わたしたち、強いわよ!」
   >
   >  ※ ジャンと新たな証言者(エレン・ファン・デル・プルーフ)は、高校はいっしょだったが
   >    抑留所は、ジャンがアンバラワ(スマランの南40キロ)の第六収容所で、
   >    プローグはスマランのハルマヘラ抑留所、その後クラマット収容所で異なり、
   >    『七海館(ショーコー(将校)クラブ=将校倶楽部)』では一緒ではなかった。
   >    「従軍慰安婦 吉見義明 岩波書店 1995」の(P184)に、
   >    「 オフェルネ(ジャン・ラフ・オハーン)とプローグ゙(エレン・ファン・デル・プルーフ)の
   >     証言は、事件後、ほぼ50年たってからのものである。
   >     この証言内容は、いくつかのくいちがいをのぞけば、敗戦直後になされた裁判での
   >     証言とおどろくほど共通している 」
   >   とあるが、なんと
   >   「 3ヵ月後(実際は2ヵ月未満)に解放される 」
   >   と証言まで捏造で、同じなのだ?
   >
   《中略》
   >
   > オランダ人もう一人の証言者プローグ(エレン・ファン・デル・プルーフ=エリー・プローグ)
   >
   > 「 慰安婦と戦場の性 217p 」
   >
   > 豪州テレビの番組(NHKが1996年8月16日放映)などから要約紹介。
   >
   > エリー・プローグの証言
   >
   > 1923年オランダに生まれ、父母とともに東部ジャワへ移住、
   > 母、姉弟とともにスマランのハルマヘラ抑留所へ入った。
   >
   > 1944年2月、15〜35歳の女性達が集められ、5〜7人の日本軍人の前を歩かされ、
   > 3日目に私を含む15人が選び出された。
   > バスで慰安所に着いて、はじめて「日本兵に喜びを与えるのだ」と知らされ、
   > 逃げると家族に危害が加わるとおどされた。
   >
   > 2月26日クラブがオープンし、軍人達は写真で好きな女を決め、切符を買って
   > 私たちに性サービスをさせた。 カネはもらっていない。 3ヵ月後に解放される。
   > 戦後に結婚したが離婚。

 日本のサヨクが用意したシナリオを棒読みした自称被害者ですか、そうですか。

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 ヤン・ラフ=オハーン(オランダ)

 この人の証言を暴いたサイトは見つかりませんでしたが、サヨクのサイトに証言が置いてありました。  ちょっと読んでみましょう。

   日本軍の性奴隷とされたオランダ人女性の証言
   バタビア臨時軍法会議
   http://ww6.tiki.ne.jp/~funabashi/netherlands.html

   > 2000年12月に東京で行われた女性国際戦犯法廷で証言された
   > オランダ人女性ヤン・ラフ=オハーンさんの証言を「女性国際戦犯法廷の全記録」から
   > 転載したい。
   >
   《中略》
   >
   > ニーマン検事:あなたのフルネームはヤン・ラフ=オハーンですね。
   >
   > オハーン証人:はい、私の名前はヤン・ラフ=オハーンです。
   >
   > ニーマン検事:あなたはジャワで生まれたのですね。
   >
   > オハーン証人:私はジャワで生まれました。
   >
   > ニーマン検事:判事に、日本が侵略する前のジャワでの暮らしを、
   >          できるだけ簡単に説明していただけますか。
   >
   > オハーン証人:ジャワでの暮らしは大変すばらしいものでした。
   >          私はすばらしい子供時代を送り、家族はとても 愛情に満ちていました。
   >          大変宗教的にしつけられ、日本が侵攻してきたとき、
   >          私はスマランにある、フランシスコ 修道会の教員養成大学の最終学年でした。
   >
   > ニーマン検事:では、侵略そのものについて何かおぼえていますか。
   >
   > オハーン証人:(1942年)3月1日、日本軍が上陸しました。
   >          その日を境に私の人生は粉々に打ち砕かれました。
   >          2月8日 に、オランダ人は降伏させられ、
   >          その後すぐ、日本軍が侵攻してきたのです。
   >          まもなくすべてのオランダ人、そして 子供は、
   >          日本軍の収容所に入れられました。 男女別々の収容所に入れられました。
   >          女と子供です。 そして私はアンバラワの収容所に入れられました。
   >          中部ジャワのアンバラワ第六収容所です。
   >
   > ニーマン検事:アンバラワ第六として知られているものですね。
   >          では、捕らえられて収容所に連行されたのは、 兵士たちだけではなく、
   >          一般の人々もですか。
   >
   > オハーン証人:はい、私たちは家から連れ出され、トラックに乗せられました。
   >          軍のトラックでした。
   >          私たちは軍の トラックでアンバラワの収容所に連れて行かれました。
   >          そこにつくと、私たちは貴重品をすべて出さなければなりませんでした。
   >          そして、もう使われなくなった兵舎に連れて行かれました。
   >          とても住める様な所ではありませんでした。
   >          2、300人用の兵舎に数千人の女と子供が住んでいました。
   >          私たちは床の上に寝なければなりませんで した。
   >          床は、ねずみやしらみ、南京虫でいっぱいでした。
   >          屋根は雨漏りがしました。
   >          食事は大変貧しく、衛生状態 はまったくひどいものでした。
   >          トイレはすぐにいっぱいになり、私たちはバケツでくみ出し、
   >          捨てに行かなければなりませんでした。
   >          収容所はまわりをすっかり有刺鉄線で囲まれ、
   >          日本人の歩哨が立っていました。
   >          逃げることもできず、多くの 女と子供が飢えのため、
   >          あるいはマラリア、赤痢などさまざまな病気で死にました。
   >          薬もなく、本当に、私たちは 皆、日本軍の収容所で
   >          苦しい3年間を過ごしました。
   >
   > ニーマン検事:では、女性と一緒に、子供たちもいたのですか。
   >
   > オハーン証人:はい、子供たちもいました。
   >          それに、日本人はあらゆる方法で私たちを苦しめようとしました。
   >          私たちはいつも、頭を大変深く下げてお辞儀をしなければなりませんでした。
   >          もし十分に頭を下げないと殴られました。
   >          点呼のときには、何時間も直射日光のもとに、立たなければなりませんでした。
   >          背の低い子供たちはとても暑くなって、母親の足の上に乗って、
   >          熱をしのぐほかありませんでした。 女たちは実に残酷な扱いを受けました。
   >          殴られ、拷問されました。
   >
   > ニーマン検事:では、1944年2月に、あることが起きました。
   >          そのとき何が起こったか話していただけますか。
   >
   > オハーン証人:はい。 収容所に入ったとき、私は19歳でした。
   >          その2年後の1944年2月、日本人の役人が私たちのいる収容所にきて、
   >          名簿をつくり、17から28歳の女は皆登録されました。
   >
   > ニーマン検事:その役人たちはあなた方に、なぜ登録するのかを話しましたか。
   >
   > オハーン証人:いいえ、私たちは非常に怪しみました。
   >          なぜこのような若い女たちばかりなのか。
   >          すると2、3日 たって、位の高い(陸軍の)将校を乗せた軍の車が、
   >          私たちの収容所にやってきました。
   >          歩哨たちが気をつけを し、敬礼したので、彼らが身分の高い役人、
   >          日本の軍人だとわかりました。
   >          それから、私たちはこう言われました、命令が下ったのです。
   >          私たちは皆広場に行かなければならない、17から28歳までの女は
   >          皆そのフェンスを めぐらせた広場に整列しなければならないと。
   >          もちろん、私たちは、そのような命令はどうしてもいやでした。
   >          それから選別作業のようなものが行われました。
   >
   > ニーマン検事:もう一度うかがいます。
   >          彼らは何をしているのか、このときあなた方に言いましたか。
   >
   > オハーン証人:いいえ、なぜ私たちは並ばなければならないのか、
   >          一度も言われませんでした。
   >          それに、彼らは明らかに一番かわいい女性を選ぼうとしていました。
   >          彼らはいやらしい目で私たちを見ました。
   >          私たちの脚を見ました。
   >          私たちの顔を見るために棒で私たちのあごを突き上げました。
   >          彼らは互いにくすくす笑ったり、あざ笑ったりしていました。
   >          何人かが列から外れるように言われ、列に残っているものは
   >          次第に少なくなり、最後には10人ほどの女性が残されました。
   >          私はその10人のなかにいました。
   >          このとき、私たちは全身が恐怖感でいっぱい でした。
   >          それから私たちはわずかな持ち物をまとめるよう言われました。
   >          トラックで、収容所からどこかへ移されるのでした。
   >          私たちはどこに行くのかわかりませんでした。
   >          母親に別れを告げるひまもほとんどありませんでした。
   >
   > ニーマン検事:あなた方の母親や収容所の誰かが、
   >          あなた方が連行されることに抗議しましたか。
   >
   > オハーン証人:収容所の人は皆抗議しました。
   >          なぜなら私たちは強制的に連れ去られたのですから。
   >          私たちの収容所の司令官、修道女、誰もが、
   >          彼らが私たちに対してしたことに抗議しました。
   >
   > ニーマン検事:あなたは、トラックに乗せられたといいました。
   >          トラックに乗せられた後、あなた方はどこに連れて 行かれたのですか。
   >
   > オハーン証人:トラックはスマランの丘陵地帯を行きました。
   >          その地域を私はよく知っていました。
   >          私はスマランに住んでいたからです。
   >          彼らは私たちをトラックに載せ、スマランのカナリーランド〔通り名〕にある、
   >          トラッフルトレインのある家に連れて行きました。
   >          トラックはオランダ植民地時代の家の前で止まり、7人が降りるよう
   >          いわれま した。
   >
   > ニーマン検事:では、あなたが連れていかれたその家ですが、
   >          どんなところだったか話していただけますか。
   >
   > オハーン証人:その家は周囲を塀と有刺鉄線で囲まれていました。
   >          それでこの家から逃げることはできないと すぐに思いました。
   >          中に入ると、私たちはそれぞれのベッドルームがあるといわれました。
   >          そして、私たちはこの家で日本軍の兵隊たちのために
   >          性的なサービスをするのだと云われました。

 ( ゚д゚)  (つд⊂)ゴシゴシ  (;゚д゚)  (つд⊂)ゴシゴシ  (;゚ Д゚)は?

 ただ単に年齢制限だけで2〜300人もの女性を集めたら、幾ら美人が多いオランダ人だって1割以上 はクリーチャーが混ざるだろ。 そんな化物を慰安婦にしたら兵隊さんが可哀想 ( というか誰も客とし て付かない ) から選別して10人のクリーチャーが外されたんだろうに。
 そのクリーチャーを収容所に戻したら、慰安婦にされた女性の家族から 「 お前らだけ助かりやがっ て 」 と差別されかねないから、クリーチャーもトラックに乗せて搬送した・・・これは判る。

 しかし、

   > 私たちはこの家で日本軍の兵隊たちのために性的なサービスをするのだと云われました。

 はないわ。

 何の為に容姿で選別したんだよ。 もうちょっと考えて嘘を吐けw

   >          これを聞いて、私のこれまでの世界のすべてが足元から崩れてしまったかに
   >          思われました。 私たちは皆抗議しました。
   >          そんなことは絶対にいやだ、そうでしょう、そのように自分自身を与えるのは
   >          どうしてもいやです、あなたたちに、そんなことをする権利はない、
   >          そういいました。
   >          しかし日本人は言いました。
   >          我々は、・・・・・・彼らは私たちを好きなようにできるのだと。
   >          彼らは私たちを捕らえ た人で、私たちを好きなように扱えるのです。
   >          私はジュネーブ条約という言葉も出しました。

 > 私はジュネーブ条約という言葉も出しました
 > 私はジュネーブ条約という言葉も出しました
 > 私はジュネーブ条約という言葉も出しました

 工工工工エエエエェェェェ(゜д゜)ェェェェエエエエ工工工工

 幾ら“法廷”という名の三文芝居の登場人物が全員バカサヨクだったにしても、コレに誰一人突っ込ま ないのか?

 ジュネーブ条約は1906年、1929年、1949年と三度にわたって改訂されていて、『文民の保護』が盛り 込まれたのは、1949年・・・つまり、大東亜戦争で日本が敗北した後だ。

   wikipedia「ジュネーヴ条約」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/ジュネーヴ条約

   > 概要
   >
   > 1864年に赤十字国際委員会 (ICRC) が
   > 「戦争時の捕虜に対する扱いを人道的にする必要がある」
   > として提唱し、スイスのジュネーヴで
   > 「傷病者の状態改善に関する第1回赤十字条約」(1864年8月22日のジュネーヴ条約)
   > が締結された。
   > その後ジュネーヴで締結された以下の諸条約も含めて「ジュネーヴ条約」と呼ぶ。
   >
   >  「傷病者の状態改善に関する第1回赤十字条約」(1864年)
   >  「傷病者の状態改善に関する第2回赤十字条約」(1906年)
   >  「傷病者の状態改善に関する第3回赤十字条約」(1929年)
   >  「俘虜の待遇に関する条約」(1929年)
   >
   > 広義では、同じくジュネーヴで締結された戦争犠牲者保護のための
   > 1949年の戦争犠牲者保護諸条約を含めて「ジュネーヴ諸条約」ともいう。

   

   wikipedia「ジュネーヴ諸条約 (1949年)」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/ジュネーヴ諸条約 (1949年)

   > 第1条約
   >
   > 戦地にある軍隊の傷者及び病者の状態の改善に関する
   > 1949年8月12日のジュネーヴ条約(第一条約)(傷病者保護条約)
   > (Geneva Convention for the Amelioration of the Condition
   > of the Wounded and Sick in Armed Forces in the Field of August 12, 1949)
   >
   > 日本語条文 (防衛省HP)
   > 英語条文(赤十字国際委員会人道法データベース)
   > 署名 1949年8月12日(ジュネーヴ)
   > 効力発生 1950年10月21日
   > 日本国 1953年4月21日内閣決定、加入通告、7月29日国会承認、10月21日効力発生、
   > 公布(条約第23号)
   >
   >
   > 第2条約
   >
   > 海上にある軍隊の傷者、病者及び難船者の状態の改善に関する
   > 1949年8月12日のジュネーヴ条約(第二条約)(難船者保護条約)
   > (Geneva Convention for the Amelioration of the Condition
   > of the Wounded, Sick and Shipwrecked Members of Armed Forces
   > at Sea of August 12, 1949)
   >
   > 日本語条文 (防衛省HP)
   > 英語条文(赤十字国際委員会人道法データベース)
   > 署名 1949年8月12日(ジュネーヴ)
   > 効力発生 1950年10月21日
   > 日本国 1953年4月21日内閣決定、加入通告、7月29日国会承認、10月21日効力発生、
   > 公布(条約第24号)
   >
   >
   > 第3条約
   >
   > 捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約(第三条約)(捕虜条約)
   > (Geneva Convention relative to the Treatment of Prisoners of War of August 12, 1949)
   >
   > 日本語条文 (防衛省HP)
   > 英語条文(赤十字国際委員会人道法データベース)
   > 署名 1949年8月12日(ジュネーヴ)
   > 効力発生 1950年10月21日
   > 日本国 1953年4月21日内閣決定、加入通告、7月29日国会承認、10月21日効力発生、
   > 公布(条約第25号)
   >
   >
   > 第4条約
   >
   > 戦時における文民の保護に関する
   > 1949年8月12日のジュネーヴ条約(第四条約)(文民条約)
   > (Geneva Convention relative to the Protection of Civilian Persons
   > in Time of War of August 12, 1949)
   >
   > 日本語条文 (防衛省HP)
   > 英語条文(赤十字国際委員会人道法データベース)
   > 署名 1949年8月12日(ジュネーヴ)
   > 効力発生 1950年10月21日
   > 日本国 1953年4月21日内閣決定、加入通告、7月29日国会承認、10月21日効力発生、
   > 公布(条約第26号)
   >
   > *4条約の各1 - 3条は共通の規定となっている。
   >  (参照:ジュネーヴ諸条約共通三条ジュネーヴ諸条約共通二条

 なんで、大東亜戦争時代に民間人が捉えられた話にジュネーブ条約が関係あるんだよ。

 戦後に作った話だとバレバレじゃねーか。

   >          彼らは、私たちを好きなようにできるのだと言いました。
   >          彼らは書類を作って私たちにサインさせようとしました。
   >          もちろん私たちはそれを読めませんでした。
   >          日本語で 書いてあったのですから。私たちはサイを拒否しました。
   >
   > ニーマン検事:彼らがあなたたちにサインをさせようとしていた書類がなんであるか、
   >          あなたは感づいていました か。
   >
   > オハーン証人:ええ、おそらくそれは、同意書だと思いました。
   >          私たちは自発的にその家に来たという、そう、そう です、そのためだったので す。
   >
   > ニーマン検事:あなた方は兵隊たちとの性交渉を持つことに同意していると。
   >
   > オハーン証人:ええ、そうです。だから私たちはその書類にサインすることを拒否しました。
   >          私たちは決してサイン しませんでした。
   >
   > ニーマン検事:彼らが示したその書類にサインすることを拒否したとき、どうなりましたか。
   >
   > オハーン証人:ええ、私たちは何度も何度も、頭がくらくらして、立てなくなるまで
   >          何度も殴られました。 それでも 私たちは決してサインしませんでした。

 いやいやいや。 被告は日本語が読めないんだろ。 だったら、仕事の内容が売春であると知らせる 前に、適当な嘘を吐いてサインだけさせりゃイイじゃねーか。 何をバカ正直に 「 お前の仕事は売春 な。 んじゃココにサインして 」 なんて言うんだよ。 そんな阿呆が居るかよ、バカバカしい。

   > ニーマン検事:収容所に入ったとき、あなたはまだ性的なことに関して
   >          まったく知らなかったときいていますが。
   >
   > オハーン証人:はい、私たちはなにも知らない年齢でした。
   >          私たちは皆処女でしたし、私はそのとき信仰における使命も持っていました。
   >          私は修道女になりたいと思っていました。
   >          私はフランシスコ派の修道女に育てられ、
   >          私も修道女になりたいと思っていました。
   >          ですから、このとき、こうなるとは、・・・・・・私には言い表せません。
   >
   > ニーマン検事:カナリーランドのその家がどのように使われていたか、
   >          つまり、兵士たちにはどのように使われ ていたか、
   >          判事に話していただけますか。
   >
   > オハーン証人:はい、その後すぐにその家は、ええ、「売春宿」として使われるように
   >          なりました。
   >          私たちは写真をとられ、それは表のベランダのボードに張り出されました。
   >          私たちは皆日本名を付けられました。どれも花の名で した。
   >          私は自分につけられた名を覚えていません。決して思い出したくありません。
   >          彼らは私たちの写真の下にその名札を張り、日本人が好みの女性を
   >          選べるようにしました。
   >          そして私たちはそれぞれのベッドルームを使うように言われました。
   >          日本人はお金を払わなければなりませんでした。
   >          私たちにではなく、私たちはどんな支払いも受け取っていません。
   >          彼らは、女性を使うために、そうして、どこもかしこもすっかり初日の夜を
   >          迎える準備ができました。 そして、・・・・・・。
   >
   > ニーマン検事:初日の夜のことについて話していただけますか。
   >
   > オハーン証人:ええ、私たちは最初の日の夜に
   >          それぞれのベッドルームにいくよう言われました。
   >          でももちろん 私たちは断りました。

 いやいやいや。

 2〜300人中最醜悪から数えて10位以内に入るクリーチャーが、写真で指名するシステムの売春宿で 初日から客が付くってありえないだろ。

   >          私たちは互いにダイニングテーブルの周りに体を寄せ合っていました。
   >          すると日本人が ますます多くやってきて、下品に笑ったり、
   >          ブーツで床を踏み鳴らすのが聞こえてきました。
   >          私たちは恐ろしさで いっぱいでした。
   >          私たちは全身恐ろしさに打ちのめされました。
   >          私は少女たちに祈るよう言いました。
   >          私たちは一緒 に、いくつか祈りを唱えました。
   >          このとき私たちにできることはこれしかありませんでした。
   >          すると、1人また1人と、もちろん日本人が、やってきました。
   >          私は決して忘れません。
   >          少女らが、無理やり引き ずられるように、
   >          ベッドルームに連れて行かれるときの、彼女たちの叫び声が、
   >          部屋部屋から聞こえました。

 は? 重箱の隅を突く様で悪いが、ベッドルームに連れて行かれる時の声が聞えるのは、廊下や通 路であって、部屋じゃないだろ。

   >          ベッドルームから更に叫び声がして、私は食堂のテーブルの下に隠れました。
   >          しかしやがて私はテーブルの下から引きずり出され、
   >          そして、その将校は日本刀を持っていて、高位の将校のようでした。

 いや、スマン。 変な声で笑ってしまったわ。

 2〜300人中最醜悪から数えて10位以内に入るクリーチャーに高位の将校が客として付くのかよ。

 どんだけブス専なんだよ。

   >          大きく、太って、はげ頭の男でした。
   >          その男は私をテーフルの下から引きずり出しました。
   >          とっさに私は彼を蹴り、抵抗しました。
   >          しかし、男は大変強く、私をベッドルームへ引っぱっていき、
   >          私はどうしたらよいか わかりませんでした。
   >          私はバスルームに駆け込み、すべての汚れを、すべての恥辱を
   >          洗い流そうとしました。 なんとか洗い流そうとしました。
   >          バスルームには他の少女たちも皆いました。
   >          私たちは皆すべての恥辱をすっかり洗い流そうとしました。
   >          いったいどこへいったらいいのでしょう。 なにをしたらいいのでしょう。
   >          私たちは隠れようとしました。
   >          そう、私は 裏のベランダの小さい部屋に隠れようとしました。
   >          しかし、当然、私は見つかりました。 心臓が激しく打ちました。
   >          こんなことは二度とできないと思いました。 彼らがやってくる音がしました。
   >          とうとう、私はまた、当然、引っ張り 出され、ベッドルームに引き戻されました。
   >          日本人たちが列をなして待っていました。 恐怖が再び襲ってきました。
   >          これが一晩中続きました。

 いやいやいや。 不可説不可説転譲って先の高位な将校サマが付き抜けたブス専だったとしよう。

 だとしたら、少なくともその高位な将校サマが客として付いた可能性は否定できなくなる。 だがしか し、写真で嬢を指定できるのに、2〜300人中最醜悪から数えて10位以内に入るクリーチャーを指名す る奴はおらへんぞ。

   >          私は、この最初の夜を決して忘れません。
   >          夜が明け、私たち7人の少女はおびえて、皆 体を寄せ合い、
   >          処女を失ったことに声をあげて泣きました。
   >          その夜、いったい何度強姦されたでしょう。
   >          私たちは なすすべがありませんでした。 なにができたでしょう。
   >          どこへいけたでしょう。 そしてこれは、まだほんの一日目のことでした。
   >          昼間は安全だと思っていました。
   >          けれども、日本人は、もちろん昼間もよくきました。
   >          つまり私たちは 夜だけではなく昼間も同じように強姦されました。
   >          それに、ああ、当時、週に一度、医者が私たちを検査するためにきました。
   >          そうです、性病を調べるためです。
   >          位の高い将校がきたときは、私はいつも訴えました。
   >          私たちは自分の意思でここにいるのではない、あなたは何とかするべきだ、
   >          と訴えました。
   >          医者がきたとき、私はこう思いました、道徳のある医者がいる、彼に話そう。
   >          しかしこの医者までもがこれを笑い、最後には私を強かんしました。
   >          その上、私たちが検査されている間、その部屋 のドアはわざと空けたままに
   >          され、そのドアや窓から、他の兵隊たちは検査の様子を見ていました。
   >          このような 検査はまったく屈辱的でした。
   >          強かんと同じくらいひどいものでした。
   >
   > ニーマン検事:では、そのカナリーランドの収容所に、あなたはどのくらいの間いましたか。
   >
   > オハーン証人:3カ月です。
   >
   > ニーマン検事:では、そのような強かんはどのくらいのあいだ続きましたか。
   >          そこにいるあいだずっとですか。
   >
   > オハーン証人:はい、いるあいだずっとでした。
   >
   > ・・・・・・中略・・・・・・
   >
   > ニーマン検事:あなたと一緒にそこにいた、ほかの女性たちはどうでしたか。
   >          誰か自分の命を落とそうとする人、
   >          あるいはそのようなことを試みる人はいましたか。
   >
   > オハーン証人:はい、その中の1人の少女が自殺しようとしました。
   >          しかし発見が間に合って、彼女は生き返りました。
   >
   > ニーマン検事:そこには、やはり「慰安婦」として働かされている年上の女性がいましたか。
   >
   > オハーン証人:はい、2人の年配の女性、既婚の女性が2人いました。
   >
   > ニーマン検事:そのうちの1人は、あなた方を助けようとしたことがありましたか。
   >
   > オハーン証人:はい、年配の、既婚の女性が2人いて、私たちは大変助かりました。
   >          というのも、私たちが 「野獣」と呼んでいた、ある男がいました。
   >          大変・・・・・・な男で、・・・・・・
   >
   > ・・・・・・中略・・・・・・
   >
   > ニーマン検事:わかりました。 では、これが終わって、次に何が起こりましたか。
   >          それはどのように起こり、 どのように中断されましたか。
   >
   > オハーン証人:なぜ突然中断されたのか、私たちはまったくわかりませんでした。
   >          3カ月後、私たちは移動 させられることになり、
   >          再び荷物をまとめるよう言われました。
   >
   > ・・・・・・以下略・・・・・・

 後の方は、突っ込みようのない曖昧模糊とした証言だけど、前半の 「 クリーチャーなのに慰安婦にさ れて毎晩毎晩客が付いた 」 とか、「 まだ文民の保護が謳われていなかったジュネーブ条約で慰安婦 にされるのを拒んだ 」 とか、他で発した証言との整合性を調べる以前の段階で破綻しているじゃねー か。 よくこんなのを鵜呑みに出来るモンだな。

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 マルディエム(インドネシア)

   http://sikoken.blog.shinobi.jp/慰安婦証言/マルディエム

   > 【考察】
   >
   > 下記資料の1997年の「元『慰安婦』の証言」(以降「元慰」)、
   > 及び「インドネシアの『慰安婦』」(以降、(イ慰)と
   > 2001年の「インドネシア従軍慰安婦の記録」(以降「イ従」)を比べると
   > 以下の通り証言が異なっています。
   >
   > < 13歳時の生活状況 >
   >
   > ○「元慰」・・・「13歳になっていましたが、〜(中略)〜父も母も貴族の使用人で
   >         経済的に困っているというわけではありませんでした」
   >
   > ○「イ慰」・・・特に、当時の経済的状況等についての記述なし
   >
   > ○「イ従」・・・父も母も死亡しており、他家で住み込みの召使いをしていた。
   >
   > → 「元慰」や「イ慰」では、当時、既に両親が死亡していたことは語られていません。
   >   ただし、「イ従」によると、住み込みの召使いをしていたので
   >   生活には困っていなかったようです。
   >   「元慰」の内容は、ウソとまでは言えないでしょうが、正確ではない証言です。
   >   また、「イ従」によると、父親の死亡後、叔父の養女となりますが、
   >   その叔父はジャワの価値感を強調する人で、同女は家に閉じこめられていたようです。
   >   そのことに耐えられずに、叔父の家を出たようで、明記はされていませんが、
   >   叔父の許可を得て召使いをしていたとは考えられず、おそらくは、当時、同女は
   >   保護者がいない状況だったと思われます。
   >
   >
   > < 募集した人物 >
   >
   > ○「元慰」・・・日本人歯科医の「ソウゲンジ」がカリマンタンからやって来て募集
   >
   > ○「イ慰」・・・日本人歯科医でバンジャルマシン市長の「正源寺」が
   >         舞台役者や歌手等を引き連れてきて募集
   >
   > ○「イ従」・・・徴募人グループのリーダー格はアリ・ブロスで、そのグループには日本人はいなかった。
   >         ただし、その指導をしていたのが「ショーゲンジ」医師。
   >
   > → 「元慰」・「イ慰」と「イ従」では、「正源寺」の役回りが全く異なっています。
   >   「イ慰」によると「正源寺」は当時、バンジャルマシンの市長だったようです。
   >   例え、軍から慰安所設置の要請を受けたとしても、市長自らが募集して回るなど
   >   ありえないでしょう。
   >
   >
   > < 15歳未満で資格のない同女にOKを出した人物 >
   >
   > ○「元慰」・・・インドネシア人医師に13歳で資格がないと言われた際、
   >         「ソウゲンジ」が問題ないと言った。
   >
   > ○「イ慰」・・・「正源寺」が「かまわんだろう」と言った。
   >
   > ○「イ従」・・・募集したインドネシア人グループは、同女が年齢を偽っていることを知っていたが
   >         黙認した。
   >
   > → 「元慰」・「イ慰」では、「正源寺」がわずか13歳の同女に売春行為を許可した
   >   張本人になっていますが、「イ従」では黙認したのはインドネシア人の徴募人グループに
   >   なっています。
   >
   >
   > < 慰安所まで引率した人物 >
   >
   > ○「元慰」・・・明記なし(※前後の内容から「ソウゲンジ」であろうと推測される)
   >
   > ○「イ慰」・・・「正源寺」
   >
   > ○「イ従」・・・インドネシア人の徴募人グループ
   >
   >
   > < 慰安所への移動時の日本軍トラック >
   >
   > ○「元慰」・・・トラワンへの移動時にトラックを使用。 日本軍のトラックとは記載されていない。
   >
   > ○「イ慰」・・・移動時にトラックの記載はない。
   >
   > ○「イ従」・・・スバラヤで軍用トラックを使用。 運転手は軍人。
   >         また、バンジャルマシンでも同じ日本軍のトラックを使用。
   >
   > → 何故か「イ従」だけ、移動時に日本軍のトラックが出てきます。
   >   「正源寺」の関与が薄れた代わりとして、日本軍の関与を追加したのでしょうか。
   >
   >
   > < 慰安所オープンの日に集まった人 >
   >
   > ○「元慰」・・・「たくさんの人」とあるだけで日本兵とは記載されていない。
   >         また、「パンジェルマシン中から人が集まってきていました」とある。
   >
   > ○「イ慰」・・・記載なし
   >
   > ○「イ従」・・・「慰安所はすでに客たちで溢れており、
   >         それは日本人兵士たちに他ならなかった」
   >
   > → 「元慰」では、民間人も含まれていたと解釈するのが自然な記述だったのが
   >   ( ※ 同慰安所は民間人も相手にしていた )、
   >   「イ従」では集まった客の全てが日本人兵士になっています。
   >
   >
   > < 同女の最初の相手 >
   >
   > ○「元慰」・・・単に「医者のアシスタント」としか記載されておらず、
   >         身体検査を受けた病院との関連も記述されていない。
   >
   > ○「イ慰」・・・「最初の日、マルディエムさんは六人の兵士に犯された」とある。
   >
   > ○「イ従」・・・午前中の身体検査の際、同女を調べた医者の助手。
   >         また、検査の際、処女であることを知り、真っ先に買いに来たのだろうという
   >         旨の記述がある。
   >
   > → 「元慰」では語られていない具体的な情報が「イ従」では追加されています。
   >   「イ従」によると、同女が病院から慰安所に戻ったのは午前11時頃で、
   >   その時には既に慰安所の前にたくさんの日本兵がいたようです。
   >   もし、その病院の助手が同女を一番に買うには、同女の検査をした後、
   >   全員の検査終了を待たずに、即座に病院を抜け出して並ばなければ不可能でしょう。
   >   それとも慰安所経営者に金を握らせて一番を取ったのでしょうか。
   >   しかし、高位の将校でもない単なる医者の助手がそんなことをしたら、
   >   並んでいた他の日本兵が黙っていないでしょう。 ウソ臭い証言です。
   >   また、ウソ証言だからか、「イ慰」では医者の助手は登場しません。
   >   もしかすると、軍の病院の助手も「兵士」に含まれているのでしょうか。
   >
   >
   > < 慰安所の客 >
   >
   > ○「元慰」・・・昼の12時から5時までは軍人が利用、
   >         5時から夜の12時までは民間人が利用。
   >
   > ○「イ慰」・・・昼の12時から5時までは軍服を着た軍人が利用、
   >         5時から夜の12時までは私服の軍属が利用
   >
   > ○「イ従」・・・昼の12時から5時までは日本兵が利用、
   >         5時から夜の12時までは日本の民間人が利用
   >
   > → 「イ慰」だけ、午後の利用者が「軍属」になっています。
   >
   >
   > < 中絶手術の際、麻酔・鎮痛剤を使用しなかった理由 >
   >
   > ○「元慰」・・・「彼女(※医師)もやりたくてやったわけではありませんでした。
   >         命令されたのです」とある。
   >
   > ○「イ慰」・・・「麻酔薬も手術に必要な機材も充分になかった。」とある。
   >
   > ○「イ従」・・・「おそらく、日本側としては、
   >         マルディエムさんに、彼女が二度と妊娠することがないよう、
   >         一種のトラウマを植え付けたかったのだろう。」とある。
   >
   > → 「元慰」と「イ従」は、日本人経営者が医師に命令して、
   >   麻酔・鎮痛剤無しでの堕胎処理をさせたことになっているのに対して、
   >   「イ慰」は、単に戦時中で薬等が無かった為になっています。
   >
   >
   > < 堕胎後の胎児 >
   >
   > ○「元慰」・・・「慣習にしたがって名前をつけました。
   >         名前があれば私が死んだ後も拝んでもらえます。
   >         『マルディヤマ』と名付けました。」とある。
   >
   > ○「イ慰」・・・「その子を棄てないよう医師に懇願し、マルディヤマと名付けて埋葬した。」とある。
   >
   > ○「イ従」・・・「しかも、まだ若い娘のマルディエムさんに、
   >         自分の目ですでに形を形成している赤ん坊を見るように強制したのだ。」
   >         とある。
   >
   > → 「イ慰」では、同女自身が胎児を棄てないように懇願して埋葬までしているのに、
   >   「イ従」では、日本人経営者がトラウマを植え付ける為に胎児を見るよう強制しています。
   >
   >
   > 1997年の「元慰」・「イ慰」と2001年の「イ従」で大きく異なっているのは、
   > 日本人歯科医の「正源寺」の役割です。
   > 「元慰」・「イ慰」では、この「正源寺」が虚偽の内容で慰安婦を募集し、
   > 13歳で資格のないの同女を積極的に黙認しています。
   > 完全に本件の主犯格として扱われています。
   > この「正源寺」は、バンジャルマシンの市長をしていたようで、市長自らが慰安婦を募集し、
   > 集まった女性達を慰安所まで引率するなど、おかしな話です。
   >
   > その点を誰かに指摘されたのか、「イ従」では、それまで出てこなかった
   > 「インドネシア人の徴募人グループ」が出てきて、募集、引率は全てそのグループが行っており、
   > そのグループの指導を「正源寺」行っていたことになっています。
   > しかも、それまでは、同女が「正源寺」に直接会っていたのが、結局、一度も姿を見ることが
   > なかったことに変更されています。
   >
   > いい加減な証言です。 本当に市長の「正源寺」が関与していたのかも疑わしいものです。
   >
   > さらに、「イ従」では、
   > 「その船に乗り込んだとき、マルディエムさんは、本能的にいやな予感がした。
   > その船に乗って二日間の航海中に、マルディエムさんは、彼女の仲間たちの一部が
   > 乗組員たちと、あるいはほかの客たちと親密な関係になっていることがわかった。」
   > という記述があります。
   > この記述から、同女たちの一部に娼婦がいたことは明らかでしょう。
   > 「親密な関係」とは単なる恋愛の親密さではありません。
   > そうならば、「いやな予感」などするはずがないからです。
   > ここから分かることは、
   > 「娼婦がいて、恐らく、その娼婦たちは慰安婦をすることを知っていた」
   > と言うことです。
   > もし、娼婦から足を洗って、レストランの給仕や舞台俳優等になろうとしていたのなら、
   > 移動中の船で客をとったりしないでしょう。
   >
   > また、「元慰」・「イ慰」・「イ従」では、同女が妊娠した際、中絶用の薬を飲ませられますが
   > 効き目がなかった為、ウリンの病院に連れて行かれ、ドイツ人の女性医師に
   > 麻酔や鎮痛剤なしで掻爬されて堕胎したと証言しています。
   > しかし、下記資料の「《非戦・平和コンサート》横浜開港記念会館」では、中絶処理をしたのが
   > 慰安所経営者の「チカダ」になっています。
   > 「チカダ」が中絶薬を飲ませたが効き目がなかったので、同女の上に乗って
   > 無理やり中絶させたことになっています。
   > 証言など、いくらで作り変えても構わないとでも考えているのでしょうか。
   >
   >
   > 【信憑性】
   >
   > 「正源寺」に関する証言の変更はひどいものです。
   > おそらく、慰安所で働いていたというのは本当でしょうが、
   > いったい、どこまで本当のことを言っているのか不明です。
   > 信憑性はありません。

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 スハナ(インドネシア)

   2013/01/10 KLCLUB
   No.894  ジープに乗せられて慰安婦にされた
   http://www.kjclub.com/jp/exchange/theme/read.php?tname=exc_board_65&uid=・・・

   > 朝鮮戦争時代の記憶を、日本軍に話をすりかえて被害を訴える慰安婦。
   >
   > 慰安婦の多くは、日本軍にジープに強制的に乗せられたと証言するが、
   > 日本軍はアメリカ製のジープなど使用していない。
   >
   > おそらく、朝鮮戦争時代のアメリカ軍と韓国軍が使用していたのだろう。
   >
   《中略》
   >
   > 「慰安婦」スハナさん(インドネシア出身)
   >
   > 一九四三年、私は一六歳でした。
   > 私が家の道端にいた時、突然「ダイニッポン」(日本軍)のジープがやってきました。
   > ジープには軍人が六人ぐらい乗っていたと思います。
   > その男たちは私に「一緒に来るか?」と訪ねました。 私は「いやだ」と答えました。
   > すると彼らは私に「ジープに乗れ」と命令しました。
   >
   《以下略》

 ああ、朝鮮戦争の時に遠征していたガチの職業売春婦でしたか。 それはそれはw

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 エスメラルダ・ボエ、マルタ・アブ・ベレ、エルメネジルド・ベロ(東ティモール)

 この3名は、

   東ティモールにおける日本軍性奴隷制
   http://www.asahi-net.or.jp/~ak4a-mtn/news/quarterly/number3/sexslavery3.html

 に証言が載っていますが、「 そんな残忍なことやってたら統治でけへんやろ 」 と言いたくなる位に日 本軍の行動が残虐である事以外にツッコミ所がありません。



 また、日本軍元兵士として金子安次・鈴木良雄さんが証言をしました。

 

 はい、上から再度。

   ジャパン・タイムズが報じた金子安次証言
   ― KILL ALL、ROB ALL、BURN ALL (三光作戦)―
   http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/others/japan-times-kaneko.html

   《本文略:上を読んでね》

 以上、各個撃破でした。

 如何でしたか。 私自身、まさか各個撃破しようとして片端から検索に掛けて、こんな結果になろうと は夢にも思いませんでした。

 なにせ

 01:朴永心
 02:河床淑
 03:金英淑
 04:文必
 05:金福童
 06:安法順
 07:万愛花
 08:袁竹林
 09:楊明貞
 10:トマサ・サリノグ
 11:マキシマ・デラ・クルス
 12:エステル・デラ・クルス・バリンギット
 13:レオノラ・ヘルナンンデス・スマワンほか
 14:盧満妹
 15:イアン・アパイ
 16:高寶珠
 17:ロザリン・ソウ(マレーシア)
 18:エリー・ヴァン・デル・プローグ
 19:ヤン・ラフ=オハーン
 20:マルディエム
 21:スハナ
 22:エスメラルダ・ボエ
 23:マルタ・アブ・ベレ
 24:エルメネジルド・ベロ

 25:金子安次
 26:鈴木良雄

 総勢慰安婦(?)24人+元軍人2人の合計26人中、インターネット上の有意義な情報に辿り着けた者 が慰安婦(?)14人+元軍人2人。

 インターネット上の有意義な情報で「実は慰安婦ではなかった」は、14人中1人と判明しました。
 よって、その1人を除外して、インターネット上の有意義な情報に辿り着けたのは、慰安婦が13人と軍 人が2人。
 その内、インターネット上の情報のみで、「そら嘘やろ」と判断できてしまう者が慰安婦7人と軍人の1 人でした。 7+1=合計8人です。

 全体26人中、インターネット上の情報だけで嘘だと看破できてしまう人の割合は、8÷26≒0.307

 実に3割が 《 常識的に考えれば嘘以外の何物でもない 》 と判ってしまうレベルの嘘吐きでした。

 まぁ、初めに結論ありきで、台本を用意した『女性国際戦犯“法廷”』という名の“内輪ウケ三文芝居” なのですから、何処から見ても嘘吐き以外の何者でもない証言者で構わないのでしょうけれど、もうち ょっと台本を工夫するなり、他で違う内容を証言しないように指導するなり、少しはバレないように工夫 をしましょうよ。

 こんな幼稚園児のお芝居にも劣る幼戯を以て、「日本政府は有責である」と言い張るサヨクは滑稽の 極みです。 およそ、恥の概念があったら耐えられないと思います。 私が『女性国際戦犯“法廷”』に 加担したサヨクの一人だったら、恥ずかしさの余りに蒲団に頭を突っ込んで、足をバタバタさせてしまう でしょう。

 ああ、恥ずかしい。 想像しただけで顔が真っ赤になります。 サヨクの方々は良く平気ですねw



 法廷専門家証言としては、山田朗(明治大学教授)が「天皇の戦争責任」を、
 林博史(関東学院大学教授)が「日本軍の構造」を、
 吉見義明(中央大学教授)が「慰安婦制度」に関する証言と証拠展示を行い、
 天皇の戦争責任や「慰安婦」制度への軍及び天皇の関与に関する立証に貢献しました。

 またレパ・ムラジェノヴィッチ(ベオグラード・暴力反対自立センター)がトラウマ・PTSDを、
 フリッツ・カールスホーベン(オランダ・ライデン大学名誉教授)は「国家責任」を、
 藤目ゆき(大阪外国語大学助教授)が「日本人『慰安婦』」について、証言しました。


 国際法で名高い検事団・判事団

 首席検事団は、パトリシア・ビサー・セラーズ(旧ユーゴスラビア国際刑事法廷法律顧問)、
 ウスティニア・ドルゴポル(豪フリンダース大学国際法助教授)がつとめました。

 判事団(裁判官)には、ガブリエル・カーク・マクドナルド(旧ユーゴスラビア国際刑事法廷前所長)や
 クリスチーヌ・チンキン(ロンドン大学国際法教授)、
 カルメン・マリア・アルヒバイ(国際女性法律家連盟会長)、
 ウィリー・ムテゥンガ(ケニア人権委員会委員長)など国際法の名高い専門家が加わりました。

 そのうえで、法廷の判事団は、犯罪が行われた当時の国際法に拠って、
 「昭和天皇の有罪」「日本政府に国家責任」という「認定の概要」を示しました。

 

 > 犯罪が行われた当時の国際法

 他の誰でもない貴方が、 [ 入門編 8 どういう問題がある? 重大な人権侵害、人道に対する罪 ]  において、

   > 国際社会は、「慰安婦」制度という名の性奴隷制が「人道に対する罪」であるという判断を
   > 下しています。 このことを見ていきましょう。
   >
   > 人道に対する罪と性暴力
   >
   > 「人道に対する罪」は19世紀に起源をもち、ユダヤ人に対するナチ犯罪を裁いた
   > ニュルンベルグ裁判、旧日本軍・政府首脳を裁いた東京裁判をつうじて、
   > 国際法として確立されてきました。

 と書いています。

 そのページに私が引用したこちらをご覧ください。

   4.3.3 国際軍事法廷(IMT)とその後のニュルンベルク軍事法廷(NMT)
   http://revisionist.jp/lectures/433.htm
   > R(ルドルフ):
   >
   > 国際軍事法廷は、戦勝4カ国からの検事と判事で構成され、
   > まだ生存していた第三帝国の最重要人物22名を裁きました。
   > この裁判に続いて、第三帝国のさまざまな機関/人物に対する
   > 12の裁判(ニュルンベルク軍事法廷、NMT)が開かれましたが、
   > それは、アメリカ側によってだけ主宰されました。
   > 他の戦勝国は裁判の継続に関心を失っていたからです。
   >
   > 戦勝連合国はいわゆるロンドン協定を定めて、
   > これらの裁判の法的枠組みを設定しました[1]。
   > この協定の第3条は、法廷の管轄権は問題にされえないと定めていますし、
   > 第26条は控訴の可能性をまったく否認し、
   > 第13条は、法廷は独自の裁判審理手続きを定めると決定しています。
   >
   >
   > L(聴衆):
   >
   > 控訴の可能性も閉ざし、恣意的な裁判審理手続きを定めた裁判は、
   > 「法治国家」における裁判とは似ても似つかないですね。
   >
   >
   > R:
   >
   > そのとおりです。起訴状のいくつかの罪状、例えば人道に対する罪とか平和に対する罪は、
   > 法廷が設置される以前には存在しておらず、
   > 間に合わせに作り出され、法的な基準に反して、遡及的に適用されています。
   > このような事実は別としても、協定のこうした条項は、議論の余地のあるもの
   > とみなされてきました。
   >
   >
   > L:
   >
   > しかも、起訴状の中のこのような罪状は、
   > 連合国もドイツと同じような罪を犯しているにもかかわらず、
   > ドイツ人だけに適用されたのですね。
   > ソ連は、フィンランドとポーランドに対して侵略戦争を行なっています。
   > また 西側連合国は、テロル的空爆を行い、その恐怖はドレスデン、長崎、広島で
   > 頂点に達しています。
   >
   > ニュルンベルクにおいて、人道に対する罪という罪状から、
   > ドイツの実際の犯罪、憶測上の犯罪を裁こうとするのなら、
   > 4つの占領国ならびにその同盟国(ポーランド、チェコスロヴァキア、ユーゴスラヴィア)も、
   > 史上最大の民族浄化、すなわち、東ドイツと中央ドイツからの民族ドイツ人の追放を
   > 行なったことを指摘しておかなくてはなりません。
   > これが「人道に対する罪」ではないとすれば、何を「人道に対する罪」と呼べば
   > よいのでしょうか。
   >
   《以下略》


   東京裁判が茶番劇の理由
   http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/yougo/
   tokyo_saiban_chabangeki.html

   > 東京裁判を一言で簡単に説明するとすれば
   > 「戦勝国による復讐の儀式、茶番劇、インチキ劇、リンチ」
   > あたりの表現が最適で、詳しく学ぶ時間のない人は
   > そう覚えておけば世間で赤っ恥をかくことはない。
   > 「東京裁判」が「裁判」とは言えない茶番劇にすぎなかった理由は
   > 以下の通り(それぞれの理由の詳細をさらに下に列挙)。
   >
   >
   > 1.事後法
   >
   > そもそも裁くための根拠となる法律がなかった。
   > 英語の正式名称が
   > The International Military Tribunal for the Far Eeat
   > でありInternationalなので国際法が根拠となっている裁判だと思われがちだが、
   > まったく無関係である。
   > この「裁判」の根拠となったのは、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの参謀部が
   > 中心となり、そこに検事などが加わって作り上げた東京裁判所条例(憲章)なる代物であった。
   >
   > 裁かれる事案が起こった時点で存在した法律に基づいて裁判が行なわれたわけではない
   > のである。
   > これは「法は遡らない」という大原則に違反している事後法であり、国際法上違法である。
   >
   > 清瀬一郎弁護士(東条英機被告担当)は裁判冒頭、原告側を代表して
   > 「当裁判所の管轄に関する動議」
   > という陳述をした。
   > 清瀬弁護人は、世界の文明国が理解している戦争犯罪人の定義とは、
   >
   > @ 戦闘者の不法行為、
   > A 非戦闘者の戦闘行為、
   > B 掠奪行為、
   > C スパイ行為
   >
   > - のおおむね4つであり、ポツダム宣言受諾当時、戦争犯罪という概念の中には、
   > 「平和に対する罪」「戦争を計画・準備・実行した罪」といった類の罪は、
   > 国際法にも先進国の法律にもなかったと訴え、裁判の管轄権(jurisdiction)を問題にした。
   > 裁判所がいくら設置されても、そもそもポツダム宣言の時点で国際法にない
   > 戦争犯罪を裁くことなどできるはずもない。
   > スミス弁護人も管轄については速やかにこの場で明らかにできなくてはならず、
   > それができないのであれば、ただちに控訴棄却すべきであると訴えたが、
   > そうした抗弁は一切無視されて裁判は進められた。
   >
   >
   > 2.戦争そのものの裁判
   >
   > 戦争を始めること、それを遂行することは犯罪ではない。
   > ポツダム宣言が出された時点であろうが、現在であろうが、
   > 国際法でも、いかなる文明国の法律でも、それは犯罪とはされていない。
   > にもかかわらず、「東京裁判」ではそれが裁かれた。
   > 「東京裁判」では、清瀬一郎弁護人がそのインチキを突いたが、
   > アメリカの弁護人も、戦争を犯罪とする学説はどこにもないと指摘した。
   > 戦争では人殺しをしても罪は問われないことになっている。
   > 宣戦布告をした途端に通常の倫理は通用しなくなり、戦争のルールが適用されることになる。
   > そのために戦時国際法がわざわざ定められている。
   > この国際法に則っている限り、戦争は犯罪ではない。
   > 国家は開戦と交戦の権利を持っており、その行使は国際法的に合法なのである。
   > これに対しては、マッカーサーの右腕とも言われたウイロビー将軍までもが
   > 「こんなことが犯罪なら、子供を軍人にすることはできない」
   > と言って東京裁判を批判した。
   > 清瀬弁護人は、戦争を始めるかどうかを検討したり、
   > その準備をすることは犯罪ではないのに、それを裁く権利は誰にもないのに、
   > もしあるというなら裁判管轄権はどこから及ぶのか、何をもって裁くのか
   > とウェッブを問い詰めたが、ウェッブは後で答えるとほざいて裁判を進めてしまった。
   > それに答えたのは判決の際で、
   > 「東京裁判の管轄権は東京裁判条例(憲章)にある」
   > というまったく答えになっていない馬鹿らしいものだった。
   >
   > 大東亜戦争後には数多くの戦争があったが、責任者が裁かれた例はない。
   > もしも戦争が犯罪だったら、イラク戦争を始めたブッシュは間違いなく犯罪者であろう。
   >
   《以下略》

 19世紀に起源を持とうが持つまいが、「 人道に対する罪 」 も 「 平和に対する罪 」 もニュルンベルク 裁判と極東国際軍事裁判(≒東京裁判)以前には存在しておらず、かつ、ニュルンベルク裁判と極東 国際軍事裁判(≒東京裁判)に於いて、ドイツと日本に ( 法治国家なら絶対に許されない「事後法によ る遡及判決」として ) 適用されて以降、戦後に発生した数多くの戦争に対してタダの一度も適用されて いません。
 あの残虐を極めた韓国軍によるベトナム民間人虐殺でさえ、「 人道に関する罪 」 の適用を受けてい ないのです。

 つまり、「 人道に対する罪 」 も 「 平和に対する罪 」 もWWUの戦勝国が敗戦国 ―― とりわけ、も し、物量が同レベルであったなら確実に立場が逆になったであろう日本とドイツ ―― を完膚無き迄に 叩きのめして、敗戦国国民に犯罪者意識を植え込むため 「 だけ 」 に存在した『国際法モドキ』なので す。

 決してマトモな“国際法”ではありません。



   判決概要 [女性国際戦犯法廷 証言]
   http://youtu.be/43XiavoPaI4
   


 最終判決文が下した有罪判決 ― 「慰安婦」制度は「人道に対する罪」

 法廷の証言者?被害女性・元兵士・専門家約1年を経て翌年12月4日に、
 オランダ・ハーグで下された最終判決文では、
 「慰安所」制度に対する詳しい事実認定と法的分析を行い、
 「日本軍と政府当局は第二次大戦中に、『慰安婦』制度の一環として
 日本軍への性的隷属を強要された数万人の女性と少女に対して、
 人道に対する罪としての強かんと性奴隷制を実行した」(666項)
 と有罪を認定しました。

 

 そうです。

 だから、ヴァタビア臨時軍法会議で裁かれた白馬事件は、旧日本軍と日本政府が強制連行によって 慰安婦を集めることを容認していなかった証拠であると再三述べておる。

 

   2013年07月11日
   慰安婦強制連行−否定派の根拠揺らぐ(11日の日記)
   http://plaza.rakuten.co.jp/bluestone998/diary/201307110000/
   > 「スマラン事件」は最近になって発覚した事件ではなく、
   > 日本の敗戦直後に裁判が行われて判決も出ている事件であるが、
   > それを安倍首相はどのような巧妙な詭弁を弄して「強制連行した証拠はない」などという
   > デタラメな閣議決定をしたのか、6月25日の東京新聞は、次のように解説している;
   >
   《以下本スレ略》

   > まさかとは思うけど・・・・ Voss さん
   >
   > えーと、一応の確認ですけどね?
   >
   > 白馬事件=スマラン事件(別名)
   >
   > ・・・・っていう、基本的な事すら知らないってオチはあるまいな?(汗)
   >
   >
   > そもそも白馬事件は「政府・軍の主導」においては「強制連行を禁じていた」ことを示す事例。
   > これらの事件を起こしたのは現地部隊の一つに過ぎず、
   > 上級司令部の視察で強制連行された人がいた
   > (勘違いされがちだが、オランダ人慰安婦の7割くらいは同意の上で慰安所に居た)
   > ことが判った後は、即座に全てのオランダ人慰安所が閉鎖され、慰安婦は解放されている。
   >
   > つまり、日本軍において「強制的に連行して慰安所に放り込む」行為は、
   > 軍団レベル(一方面軍の更に下)でダウトである旨が認識されていた。
   >
   > 要するに、これは日本軍の許されざる蛮行の記録であると同時に、
   > 軍が組織的な強制連行を「不可」であるとしていた、有力な物証の一つでもある。
   >
   >
   > この時点で、責任者が日本軍内部で処罰されていないことを以て
   > 「上級司令部も同意していた」という無茶な解釈をするバカも多いが、
   > 当時のインドネシアは南方戦線における最前線であり、
   > 後送も処分も最前線部隊の戦力低下に直結するという、純軍事的な理由も存在する。
   >
   > 無論、この処分留保は後々問題となり、他の部隊からの抗議もあった。
   > また、戦後これらの事件に関わった者は戦犯裁判にて極刑に処されている。
   >
   > 軍が問題視し、慰安所を閉鎖した事実がある以上、白馬事件は
   > 「強制的に拉致された」
   > という物証にはなっても、
   > 「日本政府・日本軍が組織的に女性を拉致した」
   > という、『狭義の強制連行』の物証には該当しない。
   >
   >
   > そして、白馬事件は最前線における軍政下によって発生した事例であり、
   > 朝鮮半島全域にて同様の事例は一切発生していない。
   >
   > そもそも、最前線であるインドネシアですら、同事件の命令書や調査資料、
   > 閉鎖命令に至る経緯の報告書が残っているというのに、銃後である朝鮮半島において
   > そういった物証が一切残っていないのでしょうな?
   >
   > 普通、どう考えても逆になるだろ。

 これじゃダメなんです。 ちゃんと 「 旧日本軍と日本政府が悪逆卑劣であった証拠 」 を持って来なさ い。



 「性奴隷制」こそが適切な用語

 最終判決文は、「慰安婦」制度を「制度化された強かん、すなわち性奴隷制」(583項)としました。
 「性奴隷制」は、歴史的に「強制売春」と呼ばれていた犯罪名を改める、より適切な用語であると
 付言しています。
 「強制売春は性奴隷制と本質的に同じ行為を伴うにもかかわらず、
 同程度に悪質な行為であることを伝える言葉ではない」
 として、「強制売春」はこの制度を利用する側の男性の見方ですが、
 「性奴隷制」は被害者の立場から、「被害者の受ける従属と苦悩をより適切に捉えている」(636項)
 としています。

 また
 「一部の「慰安婦」が日本軍から支払いを受けていたとしても、
 性行為を拒否する自由な意志が奪われていた以上は、彼女たちの状態は性奴隷制であった」
 (656〜660項)
 と的確に指摘しています。

 

 はいはい。

 [ 入門編 5 軍慰安所で強制はなかった? を斬る ] よりコピペ。

   > 慰安所での強制
   >
   > 日本軍「慰安婦」問題で最大の問題は、慰安所で強制があったかどうかです。
   > 女性たちがどんな形で連れて来られたにしても、たとえば豪華客船に乗せられて、
   > 陸上に上がっては高級車に乗せられて連れてこられたとしても、
   > また、自由意思でやって来た場合でも、軍の施設である慰安所で軍人・軍属の性の相手を
   > 強制されれば、軍の責任は免れません。
   >
   [ 画像:異議あり!  
   >
   > 今現在のソープですら拒否権は無いぞ。
   >
   > 暴力を振るうとか、変態行為を強要する客は、黒服に襟首を掴まれて
   > 店外へ放り出されるが、普通 にマナーを守る限りはキモヲタもアトピーも拒否はされない。
   >
   > 接吻に関しては、唾液を介して性病等が感染する可能性があるので、
   > 安い大衆ソープなんかだと拒 否されることもあるけどな。
   > 入り口で黒服に追い返されない限り、拒否されることはないわ。

 そして、慰安婦にも現在のソープ嬢と同程度の拒否権があったことが分かっています。

   http://texas-daddy.com/comfortwomen.html

   > The girls were allowed the prerogative of refusing a customer.
   > This was often done if the person were too drunk.

   > 慰安婦は接客を断る権利を認められていた。
   > 接客拒否 は、客が泥酔している場合にしばしば起こることであった。

 これが性奴隷なら、現在の風俗嬢も性奴隷です。

 証拠となる物が、クチを開く度に二転三転してマトモな神経をしている聞き手なら信用する事が不可 能な証言しかない慰安婦に関わっている暇があるなら、今現在リアルタイムで性奴隷の立場に在る風 俗嬢を ―― とりわけ、韓国から日本へ違法入国して売春している被管理売春婦5万人―― を救って やるべきだ。

 彼女達は、自称元従軍慰安婦と違って紛う事なき“被害者”なのだから。

 それとも何か? 今現在、性風俗に就いている風俗嬢よりも、70年近く前に風俗嬢に就いていた(と いっても、本当かどうかわからない)自称元従軍慰安婦婆の人権の方が価値が高いというのか。

 だとしたら、とんでもない差別主義者ではないか。

 このまま、今現在の風俗嬢を置き去りにして、自称元従軍慰安婦の主張だけを扱い続けるというの であれば、それは差別主義者ということだ。

 人権を重んじるサヨクとして、それは相当にマズイと思うんだが、如何な物だろうか。



 被害者の救済を求める権利は国家間条約で消滅できない

 さらに最終判決文は、被害者個人への補償は「国家間条約で解決済み」の根拠とされる
 サンフランシスコ平和条約(1951年)に対して、次のような判断を示しました。

 「ある国家が他の国家の人道に対する罪の責任を放棄することはありえない。
 …サンフランシスコ平和条約に含まれる放棄条項は、連合国も、同条約の条件を
 何らかの形で受け入れた被害諸国も、人道に対する罪...に対する日本の責任を
 放棄するような法的能力や権利を有しなかったという理由で、無効である。」(1036項)

 即ち、
 「人道に対する罪」の被害者が救済を求める権利は、
 国家間条約で消滅することはできないとしています。
 また判決は、平和条約締結時にジェンダー偏見が内在するとした
 首席検事の主張に説得力を認め、次の指摘をしました。

 「我々は、女性が、個人・集団として、
 平和条約締結時に男性と同等の発言権や地位を有しておらず、
 その直接の結果として、軍性奴隷制と強かんの問題は、当時取り上げられずに終わり、
 平和条約の交渉や締結の背景とはならなかったことに注目する。
 本法廷は、国際的和平プロセスでこのようにジェンダーが無視されることは、
 武力紛争下の女性に対する犯罪の不処罰の文化を継続させることになると考える。」(1051項)

 

 こんなのは、 [ 解決編 1 日本の法的責任 - 3 日韓請求権協定と「慰安婦」問題 を斬る ] で既 に論破済みです。

   > 論議されなかった「慰安婦」被害
   >
   > なお、日韓請求権協定が締結されるまでの交渉では、「慰安婦」問題は
   > ほとんど議論されませんでした。
   > 外交文書で一度だけ確認できますが、それは韓国側の代表が
   > 「 日本あるいはその占領地から引揚げた韓国人の預託金 」
   > を議論する文脈で、「慰安婦」の事例を出したに過ぎず、「慰安婦」の被害に関する内容を
   > 含まないものでした。
   >
   > 日韓請求権協定では、日本の朝鮮植民地支配とアジア侵略戦争によって引き起こされた
   > 「慰安婦」の被害に対する歴史的責任の問題が解決されたと言うことはできません。
   >
   [ 画像:異議あり! ] 
   >
   > アメリカの戦時情報局Office of War Information(OWI)のレポート第49号(1944.10.1)に
   >
   >  http://texas-daddy.com/comfortwomen.html
   >
   >  > RECRUITING;
   >  >
   >  > Early in May of 1942 Japanese agents arrived in Korea for the purpose
   >  > of enlisting Korean girls for "comfort service" in newly conquered Japanese
   >  > territories in Southeast Asia.
   >  > The nature of this "service" was not specified but it was assumed to be work
   >  > connected
   >  > with visiting the wounded in hospitals, rolling bandages,
   >  > and generally making the soldiers happy.
   >  > The inducement used by these agents was plenty of money,
   >  > an opportunity to pay off the family debts, easy work,
   >  > and the prospect of a new life in a new land,
   >  > Singapore. On the basis of these false representations many girls enlisted
   >  > for overseas duty and were rewarded with an advance of a few hundred yen.
   >  >
   >  > The majority of the girls were ignorant and uneducated,
   >  > although a few had been connected with "oldest profession on earth" before.
   >  > The contract they signed bound them to Army regulations and to war for
   >  > the "house master " for a period of from six months to a year depending
   >  > on the family debt for which they were advanced ...
   >
   >  募 集;
   >
   >  1942年5月初旬、日本の斡旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された
   >  東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮;人女性を募集するため、
   >  朝鮮に到着した。
   >  この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、
   >  包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると
   >  考えられていた。
   >  これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する
   >  好機、それに、楽な仕事と新天地シンガポールにおける新生活という将来性であった。
   >  このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、
   >  2〜3百円の前渡金を受け取った。
   >
   >  これらの女性のうちには、「地上で最も古い職業」に以前からかかわっていた者も
   >  若干いたが、大部分は売春について無知、無教育であった。
   >  彼女たちが結んだ契約は、家族の借金返済に充てるために前渡された金額に応じて
   >  6ヵ月から1年にわたり、彼女たちを軍の規則と「慰安所の楼主」のための役務に束縛した。
   >
   > とあります。
   >
   > 旧日本軍及び日本政府の命 ( 或いは旧日本軍及び日本政府の強い依頼によって ) で
   > あったの か、それとも旧日本軍及び日本政府の与り知らなかったのか、それは定かでは
   > ありませんが、少なくと も1944年10月の時点で、一部の将兵や慰安所に関わる業者が、
   > 甘言を用いて騙して慰安婦にしてい た事実が暴露されています。
   >
   > そして、日韓請求権協定が1951年10月頃から交渉が開始されました。
   >
   >  → ソース:wikipedia「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」
   >         http://ja.wikipedia.org/wiki/日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約
   >                          - 2 条約交渉の経緯
   >
   >         > この交渉の背後には1951年7月頃からアメリカ政府の主導があったことが
   >         > 知られており、当時の李承晩大統領が韓国を「戦勝国」として
   >         > サンフランシスコ講和条約に参加することを求めたものの、
   >         > 第二次世界大戦当時には既に朝鮮半島が日本の統治下にあり、
   >         > 日本と交戦する関係になかったために「戦勝国」して扱う根拠がないことから
   >         > アメリカやイギリスをはじめとした連合国側から拒絶され、
   >         > 「当事国」になることができず、李大統領が日本政府との直接対話を希望し
   >         > 東京の連合軍最高司令部(SCAP)でシーボルド外交局長の立会いのもとに
   >         > 会談(予備会談が1951年10月20日から)が開始された経緯がある[2]。
   >
   > つまり、交渉段階で、一部の将兵や慰安所に関わる業者が、甘言を用いて騙して
   > 慰安婦にしていた という事は分かっていたのです。
   >
   > にも拘らず、強制連行の被害としての「慰安婦」問題はほとんど議論されませんでした。
   >
   > なぜ知っていたのに議題にしなかったのでしょうか。
   > 常識的に考えれば、そんなしょうもない些細な事件に拘っていられないほど、
   > 検討すべき議題が山積 みだったからです。
   >
   >  → ソース:wikipedia「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」
   >         http://ja.wikipedia.org/wiki/日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約
   >                          - 条約交渉の経緯
   >
   >         > 交渉では、「李承晩ライン」以降韓国が不法占拠を続けていた
   >         > 竹島(独島)をめぐる漁業権の問題、戦後補償(賠償)の問題、
   >         > 日本在留の韓国人の在留資格問題や北朝鮮への帰国支援事業の問題、
   >         > 歴史認識を含めた謝罪の問題など当初から多くの問題を含んでおり
   >
   > 日本軍兵士が直接に拉致・監禁して慰安婦にしたというならマダしも、甘言を用いて
   > 騙して慰安婦に した、なんて次元の話では付き合っていられる時間がありません。
   > そもそも、韓国では
   >
   >  2012年01月06日 黒マッチョニュース
   >  【話題】 韓国芸能界の闇、“性奴隷”
   >  ・・契約と同時に事務所の人間が強姦的にセックスビデオを撮影。
   >  それで逃げないようにする
   >  http://kuromacyo.livedoor.biz/archives/1594499.html
   >  > 「 韓国では事務所主導で性接待させるのは当たり前。
   >  > 整形はもちろん、ギャラだってデビュー当時の契約が10年単位で続くなんてのは、
   >  > よくある話。
   >  > 紅白に出る『KARA』にしても今年、ギャラをめぐって解散危機に遭ったことは
   >  > 日本のマスコミでも大きく取り上げられました」 (芸能ライター・蝦名康雄氏)
   >  >
   >  > とくに今年3月には、'09年に29歳で自殺した女優のチャン・ジャヨンさんが
   >  > SEX接待を強要されたという話が浮上。 警察も捜査する事態に発展した。
   >  >
   >  > 「 結果的にはそのような事実はないということで落着しましたが、
   >  >  では韓国で性接待がないかというと、誰もそう思っていない。
   >  >  有名になるため、体で仕事を取るのは仕方がないという風潮もあります 」 (蝦名氏)
   >  >
   >  > 6、7年前には、歌手のペク・チヨンとマネジャーとのセックス映像がネットに流出し、
   >  > 大騒ぎになったこともある。
   >  > 「 韓国では契約と同時に事務所の人間が強姦的にセックスビデオを撮影。
   >  >  それで逃げないようにすることもある。
   >  >  このセックスビデオの存在で、人気女優のOやFが引退することになったのです 」
   >  > (韓国系ジャーナリスト)
   >  >
   >  > だから『KARA』にしろ、同じく紅白に出場する『少女時代』にしろ、
   >  > どのような扱いを受けてきたか気になるところでもある。
   >  >
   >  > 「 韓国の芸能人は、みんな日本進出を狙っている。
   >  >  そもそも韓国の芸能界のギャラは、日本に比べて10分の1程度。
   >  >  アイドルでも年収1000万円、2000万円という日本の芸能界のようなことは絶対ない。
   >  > けっこうな人気女優でもファストフードの食事しかできないほど 」 (同)
   >  >
   >  > となると、やはり体を使ってでも仕事をするしかないのか。
   >  > そう思わせる衝撃的な情報も本誌は入手した。
   >  > そこから得た答えは、やはり韓国には“性奴隷化”が存在するのではないかということ。
   >
   > という風に今も“甘言を用いて騙して”なんてレベルを超越した広義の強制連行が
   > 行われており、大 東亜戦争時代に於ける広義の強制連行レベルなら
   >
   >  2012年10月04日 ネトウヨにゅーす。
   >  韓国 「慰安婦も韓国風俗嬢も
   >      ・・・ 日本は悪の巣窟。 日本による最大の被害者は韓国女性だ」
   >  http://netouyonews.net/archives/7490140.html
   >  《前略》
   >  >
   >  > 韓国はあれだけ“日本嫌い”をアピールしておきながら、
   >  > 不思議なことにスカウトされてやってくる女性が後を絶たない。
   >  > しかも韓国の国会議員によると、国外で売春をしている韓国女性は10万人以上おり、
   >  > 関係者によると、そのうち「5万人が日本にいるとされる」というから、
   >  > もはやあきれるほかない。
   >  > だが、その裏にはこんな事情があった。
   >  >
   >  > 「 韓国では2004年、性売買特別法が施行され、風俗への取り締まりが厳しい。
   >  >  風俗街の摘発がすさまじく、客が激減し風俗店も半減した。
   >  >  風俗嬢は日本の鶯谷に流れ込んでいるのです 」( ある韓国人ジャーナリスト )
   >  >
   >  > それでいて、韓国内では「日本は悪の巣窟」と報道されている。
   >  > 「 韓国では
   >  >  『 日本の人身売買対策が不十分で、日本による最大の被害者は韓国女性だ 』
   >  >  という内容です 」 ( 同 )
   >  >
   >  > 今回の逮捕劇を見ても、実際に韓国人ブローカーが動き、
   >  > 韓国人経営者が韓国女性をカネでスカウトして売春させていたのは明白だ。
   >  > それなのに、客としてカネを払っている日本人だけを「加害者だ」と
   >  > 言い張っているわけだ。
   >  >
   >  > 従軍慰安婦問題にも共通しているというのは、事情に詳しいジャーナリストだ。
   >  >
   >  > 「 戦中に朝鮮半島から従軍慰安婦を募集した多くは朝鮮人ブローカー。
   >  >  新聞広告などで破格の高給をエサに女性を集めた。 その構図は今回と同じ 」
   >  > と説明。
   >  > ただし根本的に違う点は当時、公娼がれっきとした職業で、
   >  > 募集活動も法にのっとったものだったこと。
   >  >
   >  > 「 その慰安婦について、韓国は今になって
   >  >  『日本軍は強制的に連れ去り、性奴隷にした』
   >  >  と歴史的証拠がないにもかかわらず、捏造証言を引っ張り出して言い張るんですから、
   >  >  ほとほとあきれます 」 ( 同ジャーナリスト )
   >  >
   >  > 風俗ライターは
   >  > 「 鶯谷の韓国デリヘルといえば、昔はぼったくりでしたが、
   >  >  今は20代の整形美女で外見的なハズレが少なく、本番アリが基本。
   >  >  そもそも韓国では日本のヘルスやピンサロのようなライト風俗はなく、
   >  > 生かゴムかなどの違いはあっても必ず本番がある 」
   >  > と指摘する。
   >  >
   >  > 法律違反と知りながら他国で売春行為を繰り返し大金を稼ぎ、
   >  > 「そっちが悪い」と言い張っているのだから、つくづく奇妙な国だ。
   >
   >  > 16: ソマリ(チベット自治区):2012/10/04(木) 16:34:05.07 ID:dZU+Ywo90
   >  > <丶`∀´> 指紋を偽造してまで入国しようとする韓国人女性、それでも被害者ニダ!
   >
   >  > 35: ライオン(大阪府):2012/10/04(木) 16:39:42.82 ID:LkxpPcu/0
   >  > やっぱ、現代の風俗嬢も日本のせいになってんのなw
   >  > もう、自ら、戦時中の慰安婦が強制じゃなかったって証明してるようなもんだろw
   >
   >
   >  2013.08.18 ちょっとアレなニュース
   >  【やっぱり言い出したw】 多くの韓国女性が今も強制的に風俗嬢にされてる
   >                  従軍慰安婦の動かぬ証拠だ
   >  http://aresoku.blog42.fc2.com/blog-entry-3379.html
   >  > 人身取引は「現代の奴隷制度」 日本の性風俗産業に厳しい視線
   >  >
   >  > 「現代の奴隷制」ともいわれる人身取引。
   >  > 特に日本人の女性が性風俗産業で強制的に働かされるケースが増えている。
   >  > 人身取引は過去の話でも外国の出来事でも決してない−。
   >  > 被害者支援に取り組む関係者は
   >  > 「 身近な問題として考えてほしい 」
   >  > と訴えている。
   >  >
   >  > 「 国籍を問わず、性風俗産業に身を置く多くの女性は、
   >  >  決して自由な意思で働いているわけではない 」
   >  >
   >  > そう強調する藤原代表が問題視するのは、
   >  > 女性や子どもの性をめぐる日本社会の意識の低さだ。
   >  >
   >  > 性的サービスに従事する女性が被害者だとの認識がなく、逆に根強い偏見を持つ。
   >  > 女性を性の商品とみる傾向が強く、人権侵害との視点を欠く
   >  >
   >  > 藤原代表は性的描写が目に余る雑誌やラブホテル、繁華街の客引きや性風俗店
   >  > といった
   >  > 「 性的搾取を誘発する要素が身近な場所で氾濫する状況にメスを入れるべき 」
   >  > と訴える。
   >
   >  > 8: タイガースープレックス(長屋) 2013/08/18(日) 10:25:07.09 ID:R5FnjSJ00
   >  > 自主的に強制連行されるのか
   >  > 新しいなw
   >
   >  > 19: キャプチュード(東日本) 2013/08/18(日) 10:31:06.89 ID:PazzuJGT0
   >  > チョンが勝手に入ってきて売春してるのにこれだもんな。
   >  > どうかんがえても当時も同じだろw
   >
   > 韓国中の至る所で大絶賛継続中です。
   >
   > 日本に武力がないのをこれ幸いと、独断で公海上に「李承晩ライン」を引いた
   > 李承晩大統領でさえ も、まさかこんなしょーもない(韓国なら)どこにでもある
   > 広義の強制連行で日本を強請れるなんて思い もしなかったことでしょう。
   >
   > そもそも、李承晩大統領が
   > 「 狭義は勿論、広義の強制連行も許されない非人道的行為である 」
   > と 認識していたら、戦後すぐに今世紀最悪の集団性暴力は起こりませんでした。
   >
   > そう。 韓国政府がひた隠しにし続ける今世紀最悪の集団性暴力 “ 韓国軍慰安婦 ” です。
   >
   [ 画像:くらえ! ]
   >
   >  http://ja.wikipedia「韓国軍慰安婦」
   >  http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦
   >  > 連合軍軍政期の朝鮮における慰安婦
   >  >
   >  > 第二次世界大戦で大日本帝国が連合軍に敗北したため、
   >  > 朝鮮半島は1945年9月2日から、日本統治期より連合軍軍政期に移った。
   >  >
   >  > 朝鮮半島においては、連合軍による軍政が敷かれ日本軍将兵を相手にした
   >  > 慰安所、慰安婦ともにアメリカ軍に引き継がれた[12][16][9]。
   >  > 1945年9月には、日本軍兵站基地があった富平に米軍基地が居抜きで建設され、
   >  > 基地周辺にあった公娼地域も引き継がれた[9]。
   >  > 富平基地はキャンプ・グラント(Camp Grant)、キャンプ・マーケット(Camp Market)、
   >  > キャンプ・タイラー(Camp Tyler)、キャンプ・へイズ(Camp Hayes)を網羅する広大な基地
   >  > だった[9]。
   >  >
   >  > 第8軍の龍山基地周辺には梨泰院があり、
   >  > これも日本軍将兵も利用した公娼地域であった[9]。
   >  > ほかにも釜山、玩月洞、凡田洞(ハヤリア隊基地入り口)、
   >  > 大邱の桃源洞(チャガルマダン)、大田の中央洞などの公娼地域も
   >  > 同様に引き継がれた[9]。
   >  >
   >  > 1947年11月には公娼制が廃止されたが、1948年に米軍は公娼制廃止によって
   >  > 性病が蔓延したと主張し、娼婦の性病検査は1949年まで続けられた[9]。
   >  >
   >  >
   >  > 朝鮮戦争と特殊慰安隊
   >  >
   >  > 1948年8月15日にはアメリカ合衆国の支援を受けて大韓民国が建国された。
   >  > 同年9月9日には朝鮮民主主義人民共和国が独立する。
   >  > しかし、1950年より南北朝鮮の間で朝鮮戦争が勃発、1953年7月27日に休戦する。
   >  >
   >  > 朝鮮戦争中に韓国軍は慰安婦を募集した。
   >  > 韓国政府は、韓国軍・米軍向けの慰安婦を「特殊慰安隊」と呼び、設立した[7][2][17]。
   >  >
   >  > 大韓民国政府は、韓国軍と国連軍のための慰安所を運営した[18]。
   >  > 韓国軍は直接慰安所を経営することもあり、韓国陸軍本部は
   >  > 特殊慰安隊実績統計表を作成していた[2][3]。
   >  > 部隊長の裁量で周辺の私娼窟から女性を調達し、兵士達に補給した[6]。
   >  > 韓国軍によりトラックで最前線まで補給された女性達は、夜になると開店し
   >  > アメリカ兵も利用した[6]。
   >  >
   >  > 韓国戦争以降1990年代まで在韓米軍の韓国駐留時[19]に
   >  > 大韓民国の国軍によって強行され、大韓民国の国軍と在韓米軍の性的欲求を
   >  > 解消する目的で強制的に集団的性行為を強要された事例もある。
   >  >
   >  >
   >  > 「特殊慰安隊」
   >  >
   >  > 韓国軍が1951年-1954年まで「特殊慰安隊」という名前で、
   >  > 固定式あるいは移動式慰安婦制度を取り入れて運用したことは
   >  > 韓国陸軍本部が1956年に編纂した公式記録である『後方戦史』の人事編と
   >  > 目撃者たちの証言によって裏付けられた[20]。
   >  >
   >  > 韓国軍は慰安婦を「特殊慰安隊」と名付け、慰安所を設置し、
   >  > 組織的体系的に慰安婦制度をつくった[21][22]。
   >  >
   >  >
   >  > 第五種補給品
   >  >
   >  > 尉官将校だった金喜午の証言では、
   >  > 陸軍内部の文書では慰安婦は「第五種補給品」とよばれた[21][23]。
   >  >
   >  > 軍補給品は1種から4種までだったため、そのように呼ばれた[21][23]。
   >  >
   >  >
   >  > 韓国軍慰安婦の類型
   >  >
   >  > 金貴玉によれば、韓国軍慰安婦の類型には、軍人の拉致、強制結婚、性的奴隷型、
   >  > 昼は下女として働き、夜には慰安を強要されたり、また慰安婦が軍部隊へ出張する
   >  > 事例もあった[21]。
   >  >
   >  > また、正規の「慰安隊」とは別に部隊長裁量で慰安婦を抱えた部隊もあった[24]。
   >  >
   >  >
   >  > 設置理由
   >  >
   >  > 特殊慰安隊の設置理由は、兵士の士気高揚、性犯罪予防であり、
   >  > これは日本軍慰安婦と同様のものであった[21]。
   >  > 計画は陸軍本部恤兵監室が行い[21]、1950年7月には韓国政府は軍作戦識見を
   >  > 米軍を中心とした国連軍に譲渡しており、最終的な承認は連合軍が行ったとされる[21]。
   >  > 韓国政府・軍は慰安婦に対して
   >  > 「あなたたちはドルを得る愛国者」
   >  > として「称賛」されたという[25][9]。
   >  >
   >  >
   >  > 慰安婦の輸送方法
   >  >
   >  > 慰安婦は前線に送られる際には、ドラム缶にひとりづつ押し込めて
   >  > トラックで移送し前線を移動して回り、米兵も利用した[22][6][26]。
   >
   > 少なくとも日本の敗戦から僅か4年後に勃発した朝鮮戦争において、
   > 米軍は韓国という優秀な下僕を 得て、下僕に追軍売春婦の管理を
   > 投げしていたのです。
   > 旧日本軍だって朝鮮人女衒に丸投げすることは可能でした。
   > だけど、朝鮮人に丸投げしたら、集ま ってくれた慰安婦の方々に
   > どんな酷い仕打ちをするか分かったもんじゃない。
   > だから『軍の善い管理』 を行ったのです。
   >
   > 実際問題、朝鮮人に丸投げした為に、朝鮮戦争時の特殊慰安隊は
   > 本当に酷い事になりました。
   >
   >  2013-05-22 中国の歴史歪曲、韓国の歴史捏造
   >  特殊慰安隊 〜韓国の「従軍」慰安婦〜
   >  http://ameblo.jp/yamasiro04/entry-11535923536.html
   >  > 前回、韓国軍がベトナム人約30万人を虐殺し、虐殺を免れたベトナム人女性を
   >  > 強制連行して慰安婦として韓国兵や米兵の相手をさせた ことについて触れたが、
   >  > 韓国の慰安婦はこれだけではない。
   >  >
   >  > 朝鮮戦争当時、韓国は慰安婦を徴集して、これを「特殊慰安隊」と名付け、
   >  > 組織的に軍の管理下に置いた。
   >  > 米兵や韓国兵による婦女暴行事件が多発したため、これを阻止することを目的とした
   >  > ものであった。
   >  >
   >  > さてこの慰安婦、徴集に自発的に応じた者もいたが、
   >  > 北朝鮮軍看護婦や北朝鮮の一般人で、韓国軍によって
   >  > 捕えられ、強制されて慰安婦にされた者もいた。
   >  > これこそ正に韓国の正規軍による強制連行であり、
   >  > 性奴隷(sex slave)の名に相応しい。
   >  >
   >  > 韓国軍慰安婦は、1996年に韓国内で明るみに出たが、韓国内では
   >  > 「 身内の恥を晒すな 」、「 日本極右の弁明の材料になる 」
   >  > として、韓国国防部所属資料室の慰安婦資料の閲覧が禁止されるなど、
   >  > 国を挙げて事実の隠蔽に邁進している。
   >
   >
   >  Hatena::keyword「特殊慰安隊」
   >  http://d.hatena.ne.jp/keyword/特殊慰安隊
   >  > 1951年頃から1954年まで運用した韓国軍慰安婦の呼称。
   >  > 固定式施設だけではなく、移動式運用の「従軍慰安婦」の仕組みもあった。
   >  > 捕虜となった朝鮮人民軍女軍、女性パルチザンゲリラ、
   >  > その他に朝鮮人民軍や中国の人民志願軍の
   >  > 占領地内の住民である朝鮮人女性のうち
   >  > まだ疎開しなかった女性などは、共産主義者を助けた
   >  > の名目で強制的に性奴隷にした。
   >
   > サヨクが人道に反する罪と弾劾して憚らない日本軍の慰安婦問題において、
   > このような酷い人権蹂躙はありません。
   >
   > 時系列が
   >
   >  1948年8月15日 大韓民国 建国
   >
   >  1950年6月25日 朝鮮戦争 勃発、
   >    ↑
   >  この間に『韓国軍慰安婦』が生き地獄を味わう
   >    ↓
   >  1951年10月20日から日韓基本条約の予備会談が開始、以降内容を煮詰めて行く
   >    ↑
   >  この間も朝鮮戦争は継続し、『韓国軍慰安婦』の生き地獄も継続する
   >    ↓
   >  1953年7月27日 朝鮮戦争 休戦
   >
   >  1965年6月22日 日韓基本条約 締結
   >
   > なのですから、日韓基本条約に慰安婦問題を盛り込めるワケがないのです。

 文句があるなら、朝鮮戦争に韓国軍慰安婦を遣わして、外貨をガッポガッポと稼ぐ為に敢えて日韓請 求権協定に慰安婦問題を織り込まなかった李承晩に言え。



 日本政府への勧告

   [ 画像:4-3 画像wam法廷カタログ 省略、(引用元アドレスをご参照ください)
 

 最終判決文は、日本政府に対して、次のような勧告をしました(1086項)。

 (旧連合国、国連及び加盟国への勧告もありますが、略します)

 1.「 慰安婦」制度の設立に責任と義務があること、
   この制度が国際法に違反するものであることを全面的に認めること。

 

 先にも述べた通り、少なくともニュルンベルク裁判と極東国際軍事裁判(≒東京裁判)に於いてドイツ と日本を断罪した 「 人道に対する罪 」 も 「 平和に対する罪 」 もマトモな国際法ではありません。
 「 人道に対する罪 」 も 「 平和に対する罪 」 もュルンベルク裁判と極東国際軍事裁判(≒東京裁判) 以前には存在しておらず、かつ、戦後に発生した数多くの戦争に対してタダの一度も適用されていませ ん。
 あの残虐を極めた韓国軍によるベトナム民間人虐殺でさえ、「 人道に関する罪 」 の適用を受けてい ないのです。

 こんな物が正当な“国際法”であろう道理がありません。



 2.法的責任をとり、二度と繰り返さないと保証し、完全で誠実な謝罪を行うこと。

 

 ではまず、日本政府が有責である事を証明しなさい。

 日本軍兵士が酷い事をしたとか、日本軍に雇われた業者が酷い事をしたとか、それは個人の犯罪で あって日本政府の責ではありません。

 他の誰でもない慰安婦問題で日本を批難する韓国が、自国の女性が日本軍兵士に酷い目に遭わさ れた、その数年後にやらかした戦争犯罪が朝鮮戦争時の『韓国軍慰安婦』であり、ベトナム戦争時の 『民間人虐殺』とその後に遺した『ライダイハン問題』です。

 旧日本軍の慰安婦が民営であったのに対し、韓国軍の慰安婦は軍直営を超えて「慰安隊」として正 規の軍組織となっていましたから、特殊慰安隊が受けた仕打ちは紛う事無く韓国政府の責任です。
 ベトナム戦争時の『民間人虐殺』とその後に遺した『ライダイハン問題』は、韓国軍兵士が個人的に起 こした戦争犯罪ですが、大東亜戦争時代に日本軍兵士が行った ( と韓国政府と日本のサヨクが主張 する ) 戦争犯罪とは規模も残虐性も桁違いです。

 諸外国が戦争の度に再々 ( それが当然の権利の様に ) 行ってしまう数多の戦争犯罪を無視して、 ( 諸外国の戦争犯罪に比べれば稚戯にも等しい ) 日本の戦争犯罪「だけ」を断罪する事は許されま せん。



 3.ここで宣言された違反の結果として、
   犠牲者、サバイバーおよび回復を受ける権利がある者に対し、
   政府として、被害を救済し将来の再発を防ぐのに適切な金額の、損害賠償を行うこと。

 

 ではまず、宣言された違反とやらを証明しなさい。

 日本軍兵士が酷い事をしたとか、日本軍に雇われた業者が酷い事をしたとか、それは個人の犯罪で あって日本政府の責ではありません。

 他の誰でもない慰安婦問題で日本を批難する韓国が、自国の女性が日本軍兵士に酷い目に遭わさ れた、その数年後にやらかした戦争犯罪が朝鮮戦争時の『韓国軍慰安婦』であり、ベトナム戦争時の 『民間人虐殺』とその後に遺した『ライダイハン問題』です。

 旧日本軍の慰安婦が民営であったのに対し、韓国軍の慰安婦は軍直営を超えて「慰安隊」として正 規の軍組織となっていましたから、特殊慰安隊が受けた仕打ちは紛う事無く韓国政府の責任です。
 ベトナム戦争時の『民間人虐殺』とその後に遺した『ライダイハン問題』は、韓国軍兵士が個人的に起 こした戦争犯罪ですが、大東亜戦争時代に日本軍兵士が行った ( と韓国政府と日本のサヨクが主張 する ) 戦争犯罪とは規模も残虐性も桁違いです。

 諸外国が戦争の度に再々 ( それが当然の権利の様に ) 行ってしまう数多の戦争犯罪を無視して、 ( 諸外国の戦争犯罪に比べれば稚戯にも等しい ) 日本の戦争犯罪「だけ」を断罪する事は許されま せん。



 4.軍性奴隷制について徹底的な調査を実施する機構を設立し、
   資料を公開し、歴史に残すことを可能にすること。

 

 だから、容疑者に向かって、「 犯行の証拠はお前が出せ 」 と言うな。 よく恥ずかしくないな。



 5.サバイバーたちと協議の上で、戦時中、過渡期、占領期および植民地時代に犯された
   ジェンダーに関わる犯罪の歴史的記録を作成する「真実和解委員会」の設立を検討すること。

 

 『韓国軍慰安婦』を無かった事にしようとしているお前が言うな。

 

 いつも同じのを貼って厭きたので、新着の奴を貼るよ♪

   2013年12月06日 長文乙!
   【週刊新潮】朴槿恵大統領の父・朴正煕元大統領は「米軍慰安婦」管理者だった!
          朝鮮戦争時には強制連行も行った韓国★2
   http://blog.livedoor.jp/yohoo123matome/archives/7441449.html
   > 【 相手には口を極めて罪を問い、自らの罪には目を瞑(つむ)る。
   >  これこそ、韓国の朴槿恵(パククネ)大統領(61)の政治姿勢である。
   >  実は大新聞は報じないものの、彼女の父親が“米軍慰安婦”を管理していたという
   >  驚嘆の事実が露見したのだ。 なのになぜ、日本に歴史認識を問えるのか。】
   >
   > ことあるごとに、韓国の朴槿恵大統領は、世界各国の指導者に対して、
   > “慰安婦問題”を持ち出し、日本の不行状をアピールしてきた。
   >
   > 今年5月、就任後初の訪米では、わざわざオバマ大統領に
   > 「 日本は正しい歴史認識を持つべき 」
   > と訴え、さらに中国の習近平国家主席には
   > 共同声明に日本批判の文言を盛り込むことを提案し、
   > 11月にはファンロンパイEU大統領に、
   > 「 日本には後ろ向きの政治家がいる 」
   > と反日感情を露にした。
   >
   > 史実に基づかない真っ赤なウソだらけの主張を唱えながら、
   > わが国をここぞとばかりに辱(はずかし)めてきたわけだが、
   > 実は、朴大統領にとって、天に唾する行為ではなかったか。
   > それは、韓国の国会の場で白日の下に晒された。
   >
   > 11月6日に開かれた国会の女性家族委員会で、
   > 野党・民主党の兪承希(ユスンヒ)という女性議員が質疑に立ち、
   >
   > 「 “米軍慰安婦” という言葉、聞いたことがありますか? 」
   >
   > 女性家族部の趙允旋(チョユンソン)長官にそう切り出すと、
   >
   > 「 ここに、“基地村”の性売買が合法的なレベルを超え、
   >  非常に組織的に国家が主導したという証言と証拠があります 」
   >
   > と述べ、その場で国家記録院から取り寄せたという文書を公開したのである。
   >
   > 「 それには、“基地村浄化対策” というタイトルが付けられていました 」
   >
   > と解説するのは、ソウル特派員だ。
   >
   > 「 韓国でも、日本で言うところの売春防止法である “淪落行為等防止法” で
   >  性売買は禁止されていた。
   >  ところが、米軍相手の売春婦の場合、政府にお墨付きを与えられたのです。
   >  1977年作成のその文書には、全国62カ所の“基地村”に9935人の売春婦が生活していた
   >  と記され、彼女たちの性病対策や専用アパートの建設など周辺整備の方針が示されていた。
   >  なにより問題なのは、文書に署名しているのが朴大統領の父親、
   >  朴正煕(パクチョンヒ)元大統領だったことです 」
   >
   > 16年もの長きにわたって独裁政権を率いた元大統領であり、
   > なおかつ、現職大統領の父親は売春宿の親玉とでも言うべき存在だったのだ。
   > しかし、韓国では、兪議員が公開した文書については、ほとんど報じられていない。
   > なぜなのか。
   >
   > 「 こちらでは、左派系の『ハンギョレ新聞』や『京郷新聞』がわずかに触れた程度。
   >  日本の首相は元慰安婦に土下座すべきとまで書き立てる最大手の『朝鮮日報』などは、
   >  日本という敵に塩を送ることになりかねないからか、一切記事にしていない。
   >  一方、政治の世界では、反日に関して与野党一枚岩。
   >  ただ、兪議員の所属する民主党には人権活動家やフェミニストが少なくないので、
   >  女性の人権問題として捉え、あえてこれを取り上げたのです 」(同)
   >
   > ともあれ、あらためて韓国の慰安婦の歴史を繙(ひもと)くと、
   > わが国を批判する資格があるのかと首を傾げざるを得なくなる。
   >
   > そもそも、“米軍慰安婦”の前には、朝鮮戦争時、“韓国軍慰安婦”が存在していた。
   > それは、02年、立命館大学の国際シンポジウムで、
   > 韓国の金貴玉(キムギオク)慶南大客員教授(当時)によって初めて明らかにされた。
   > 韓国陸軍本部が56年に編纂した『後方戦史(人事篇)』のなかに、“特殊慰安隊”と呼ばれた
   > 軍慰安所の存在を裏付ける記述を見つけたのだ。
   > その後、金教授は『軍隊と性暴力』に収録された論文において、
   >
   > 〈 設置時期は不明確だが、一九五一年夏ごろに戦線が現在の休戦ライン付近で
   >  膠着状態に入ってからと思われる。
   >  閉鎖されたのは一九五四年三月である。
   >  (略)
   >  陸軍本部はまる四年近く軍「慰安所」を運営したのだ 〉
   >
   > とし、
   >
   > 〈 (『後方戦史』の)実績統計表によれば、
   >  一人の「慰安婦」が一日に六回以上「慰安」を強要されていたことがわかる。
   >  また、「出動慰安」の場合、一日二〇〜三〇回の「慰安」を強要されたものと考えられる。
   >  (略)
   >  前線での「慰安部隊」の利用はチケット制であった。
   >  しかし誰にでもチケットが配られたわけではない。
   >  戦場で勇敢に戦い、功を挙げた順番に配られる 〉
   >
   > 要するに軍直轄の慰安所だったのだが、前線に慰安婦を送るときには
   > 1人ずつドラム缶に押し込み、“補給品”名目でトラックに積んでいたという。
   >
   > もとより韓国政府や朝日新聞などは“日本軍慰安婦”の強制連行を騒ぎ立てているものの、
   > 未だにその証拠はなんら見つかっていない。
   > 翻って、“韓国軍慰安婦”の場合はどうだったのか。
   >
   > 聞き取り調査の結果として、金教授は、
   >
   > 〈 十代後半の未婚女性で、一九五一年春まで咸鏡(ハムギョン)南道永興(ヨンフン)郡に
   >  住んでいた。
   >  ある日、韓国軍情報機関員、いわゆる北派工作員たちにより拉致され、
   >  一日で韓国軍の軍「慰安婦」へと転落した。
   >  (略)
   >  また、強姦の結果、「慰安婦」とならざるを得なくなったケースもある。
   >  (略)
   >  韓国軍「慰安婦」制度はあくまで軍による性奴隷制度であり、
   >  女性自身は性奴隷であったといえる 〉
   >
   > と明らかにしている。
   >
   > すなわち、口を極めて日本を批判しながら、当の韓国が強制連行という罪を犯していたのだ。
   > にもかかわらず、韓国国内ではこれらの事実はほぼ黙殺され、
   > 『後方戦史』は現在、閲覧不可の状態になっているという。
   >
   《以下略》

   http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131205-00010001-shincho-kr ( 魚拓 )
   http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131205-00010001-shincho-kr&p=2 ( 魚拓 )
   http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131205-00010001-shincho-kr&p=3 (魚拓 )

 > 『後方戦史』は現在、閲覧不可の状態
 > 『後方戦史』は現在、閲覧不可の状態
 > 『後方戦史』は現在、閲覧不可の状態

  向き合わなきゃ、現実と。w



 6.記憶にとどめ、「二度と繰り返さない」と約束するために、
   記念館、博物館、図書館を設立することで、犠牲者とサバイバーたちを認知し、
   名誉を称えること。

 

 であるならば、証言が事実である事を証明しなさい。

 現段階で、自称元従軍慰安婦の“証言”は、何一つ裏付けられていません。 それどころか、その気 になれば、予め示し合わせることが可能にも拘らず、証言者同士の証言内容を突き合わせる事さえ出 来ません。
 正直言って、被害妄想を持つ精神病患者の妄言と何一つ違いはありません。

 こんな物に対して

 > 記念館、博物館、図書館を設立する

 ことは不可能です。



 7.あらゆるレベルでの教科書に意味のある記述を行い、
   また、研究者および執筆者に助成するなど、公式、非公式の教育施策を行うこと。
   違反行為や将来の世代を教育する努力が行われること。
   犯罪の原因、犯罪を無視する社会、再発を防止するための手段などを調査する
   努力をすること。

 

 お前が言うな。

 

   2013年12月06日 長文乙!
   【週刊新潮】朴槿恵大統領の父・朴正煕元大統領は「米軍慰安婦」管理者だった!
          朝鮮戦争時には強制連行も行った韓国★2
   http://blog.livedoor.jp/yohoo123matome/archives/7441449.html
   《前略》
   >
   > 史実に基づかない真っ赤なウソだらけの主張を唱えながら、
   > わが国をここぞとばかりに辱(はずかし)めてきたわけだが、
   > 実は、朴大統領にとって、天に唾する行為ではなかったか。
   > それは、韓国の国会の場で白日の下に晒された。
   >
   《中略》
   >
   > ともあれ、あらためて韓国の慰安婦の歴史を繙(ひもと)くと、
   > わが国を批判する資格があるのかと首を傾げざるを得なくなる。
   >
   > そもそも、“米軍慰安婦”の前には、朝鮮戦争時、“韓国軍慰安婦”が存在していた。
   > それは、02年、立命館大学の国際シンポジウムで、
   > 韓国の金貴玉(キムギオク)慶南大客員教授(当時)によって初めて明らかにされた。
   > 韓国陸軍本部が56年に編纂した『後方戦史(人事篇)』のなかに、“特殊慰安隊”と呼ばれた
   > 軍慰安所の存在を裏付ける記述を見つけたのだ。
   > その後、金教授は『軍隊と性暴力』に収録された論文において、
   >
   > 〈 設置時期は不明確だが、一九五一年夏ごろに戦線が現在の休戦ライン付近で
   >  膠着状態に入ってからと思われる。
   >  閉鎖されたのは一九五四年三月である。
   >  (略)
   >  陸軍本部はまる四年近く軍「慰安所」を運営したのだ 〉
   >
   > とし、
   >
   > 〈 (『後方戦史』の)実績統計表によれば、
   >  一人の「慰安婦」が一日に六回以上「慰安」を強要されていたことがわかる。
   >  また、「出動慰安」の場合、一日二〇〜三〇回の「慰安」を強要されたものと考えられる。
   >  (略)
   >  前線での「慰安部隊」の利用はチケット制であった。
   >  しかし誰にでもチケットが配られたわけではない。
   >  戦場で勇敢に戦い、功を挙げた順番に配られる 〉
   >
   > 要するに軍直轄の慰安所だったのだが、前線に慰安婦を送るときには
   > 1人ずつドラム缶に押し込み、“補給品”名目でトラックに積んでいたという。
   >
   > もとより韓国政府や朝日新聞などは“日本軍慰安婦”の強制連行を騒ぎ立てているものの、
   > 未だにその証拠はなんら見つかっていない。
   > 翻って、“韓国軍慰安婦”の場合はどうだったのか。
   >
   > 聞き取り調査の結果として、金教授は、
   >
   > 〈 十代後半の未婚女性で、一九五一年春まで咸鏡(ハムギョン)南道永興(ヨンフン)郡に
   >  住んでいた。
   >  ある日、韓国軍情報機関員、いわゆる北派工作員たちにより拉致され、
   >  一日で韓国軍の軍「慰安婦」へと転落した。
   >  (略)
   >  また、強姦の結果、「慰安婦」とならざるを得なくなったケースもある。
   >  (略)
   >  韓国軍「慰安婦」制度はあくまで軍による性奴隷制度であり、
   >  女性自身は性奴隷であったといえる 〉
   >
   > と明らかにしている。
   >
   > すなわち、口を極めて日本を批判しながら、当の韓国が強制連行という罪を犯していたのだ。
   > にもかかわらず、韓国国内ではこれらの事実はほぼ黙殺され、
   > 『後方戦史』は現在、閲覧不可の状態になっているという。
   >
   《以下略》

 先ずは魁より始めなさい。



 8.軍隊とジェンダー不平等との関係について、
   また、性の平等と地域のすべての人々の尊重を実現するための必要条件について、
   教育を支援すること。

 

 いかんなぁ、これじゃ連呼厨ならぬ連貼厨になっちゃうよw

 

 でも貼るw

   2013年12月06日 長文乙!
   【週刊新潮】朴槿恵大統領の父・朴正煕元大統領は「米軍慰安婦」管理者だった!
          朝鮮戦争時には強制連行も行った韓国★2
   http://blog.livedoor.jp/yohoo123matome/archives/7441449.html
   《前略》
   >
   > 史実に基づかない真っ赤なウソだらけの主張を唱えながら、
   > わが国をここぞとばかりに辱(はずかし)めてきたわけだが、
   > 実は、朴大統領にとって、天に唾する行為ではなかったか。
   > それは、韓国の国会の場で白日の下に晒された。
   >
   《中略》
   >
   > ともあれ、あらためて韓国の慰安婦の歴史を繙(ひもと)くと、
   > わが国を批判する資格があるのかと首を傾げざるを得なくなる。
   >
   > そもそも、“米軍慰安婦”の前には、朝鮮戦争時、“韓国軍慰安婦”が存在していた。
   > それは、02年、立命館大学の国際シンポジウムで、
   > 韓国の金貴玉(キムギオク)慶南大客員教授(当時)によって初めて明らかにされた。
   > 韓国陸軍本部が56年に編纂した『後方戦史(人事篇)』のなかに、“特殊慰安隊”と呼ばれた
   > 軍慰安所の存在を裏付ける記述を見つけたのだ。
   > その後、金教授は『軍隊と性暴力』に収録された論文において、
   >
   > 〈 設置時期は不明確だが、一九五一年夏ごろに戦線が現在の休戦ライン付近で
   >  膠着状態に入ってからと思われる。
   >  閉鎖されたのは一九五四年三月である。
   >  (略)
   >  陸軍本部はまる四年近く軍「慰安所」を運営したのだ 〉
   >
   > とし、
   >
   > 〈 (『後方戦史』の)実績統計表によれば、
   >  一人の「慰安婦」が一日に六回以上「慰安」を強要されていたことがわかる。
   >  また、「出動慰安」の場合、一日二〇〜三〇回の「慰安」を強要されたものと考えられる。
   >  (略)
   >  前線での「慰安部隊」の利用はチケット制であった。
   >  しかし誰にでもチケットが配られたわけではない。
   >  戦場で勇敢に戦い、功を挙げた順番に配られる 〉
   >
   > 要するに軍直轄の慰安所だったのだが、前線に慰安婦を送るときには
   > 1人ずつドラム缶に押し込み、“補給品”名目でトラックに積んでいたという。
   >
   > もとより韓国政府や朝日新聞などは“日本軍慰安婦”の強制連行を騒ぎ立てているものの、
   > 未だにその証拠はなんら見つかっていない。
   > 翻って、“韓国軍慰安婦”の場合はどうだったのか。
   >
   > 聞き取り調査の結果として、金教授は、
   >
   > 〈 十代後半の未婚女性で、一九五一年春まで咸鏡(ハムギョン)南道永興(ヨンフン)郡に
   >  住んでいた。
   >  ある日、韓国軍情報機関員、いわゆる北派工作員たちにより拉致され、
   >  一日で韓国軍の軍「慰安婦」へと転落した。
   >  (略)
   >  また、強姦の結果、「慰安婦」とならざるを得なくなったケースもある。
   >  (略)
   >  韓国軍「慰安婦」制度はあくまで軍による性奴隷制度であり、
   >  女性自身は性奴隷であったといえる 〉
   >
   > と明らかにしている。
   >
   > すなわち、口を極めて日本を批判しながら、当の韓国が強制連行という罪を犯していたのだ。
   > にもかかわらず、韓国国内ではこれらの事実はほぼ黙殺され、
   > 『後方戦史』は現在、閲覧不可の状態になっているという。
   >
   《以下略》

 お前が言うな。



 9.帰国を望むサバイバーを帰国させること。

 

 戦後55年 (※ 『女性国際戦犯“法廷”』という三文芝居が演じられたのは2000年であり、1945年の大東亜戦争の日本敗 北から55年間が経過していた ) も帰って来ないんだから、そんなもん帰りたくないから帰らないんだっちゅう の。

 そんな奴を帰らせる位なら、日本国内に居る 「 強制連行された朝鮮人の末裔 」 だと言って憚らない 在日朝鮮人を引き取ってやれ。

 そういう目的に使われるなら我々納税者も、血税の使われ方に納得するし、保守与党政府が呼び掛 けてくれるなら募金だってしちゃうぞ。

 今、ここ ( ※ 日本 ) に居る“サバイバー”を何より優先して帰国させろ!

 他の奴の話は、その後だ!



 10.政府が所有する「慰安所」に関するあらゆる文書とその他の資料を公開すること。

 

 だからそんなもんはないっちゅうねん。

 日本政府の主張は、「 慰安婦に対する戦争犯罪が仮に事実であったとしても、それは旧日本軍や日 本政府の直接な関与に因る物ではない 」 である。

 だから、もし、慰安婦に対する戦争犯罪が、旧日本軍や日本政府の直接な関与に因る物であったと いうヤバイ証拠が存在したとしても、ガチ保守が与党だった時に隠滅されている。
 もし、隠滅されずに残っていたとしたら、連立した相手がサヨク政党だった時に、サヨク政党が公表し ている。 つい数年前の民主党政権なんか政権を連立している政党の全てがサヨク政党だったじゃな いか。
 そんなトンデモ政権だった時に公表されなかった 「 日本政府にとって致命的な打撃を与えられる文 書や資料 」 なんか存在するワケがないじゃないか。
 普通に思考すれば小学生でも判るぞ。

 大丈夫か?



 11.「慰安所」の設置とそのための徴集に関与した主要な実行行為者をつきとめ、
   処罰すること。

 

 だったら、茶番劇で加害証言をした 自称元日本兵の 金子安次氏 と 同 鈴木良雄氏を訴えろ。

   Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任
   証言 - 金子安次
   http://fightforjustice.info/?page_id=458

   > 私も強かんに加わったことがあります。
   > 昭和18年に作戦にまいりましたが、その時にある部落で若い兵隊が
   > 1人の若い女性を連れてきました。 21、22歳くらいでしょうか。
   > それを、6人の兵隊でくじ引きで順番を決めて、1人1人、その女を強かんしました。
   > こういう事実がございました。


   Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任
   証言 - 鈴木良雄
   http://fightforjustice.info/?page_id=453

   > 軍隊では、戦場で強かんはつきものでした。 日常茶飯事というくらいでした。
   >
   《中略》
   >
   > 兵隊は誰もかれも女性を見つければ強かんしました。
   >
   > 私自身もその体験があります。
   > 1944年、部落の名前は忘れましたが、作戦中、一日近くある部落に滞在したことがあります。
   > その時私は分隊長をしていましたが、全部解放して、何をやってもよいという指示を出しました。
   > 彼らはそれぞれの家に入り、強かんをしてきました。
   >
   > 私も単独で女を探し回って、30歳くらいの女性を見つけました。
   > その女性を、7、8人の老婆が取り囲んでいたので、老婆を追い出して
   > その女性を強かんしようとしたところ、その女性は隠れてしまい、見つかりませんでした。
   > 一生懸命に探したところ、豚小屋に隠れていました。中国では豚小屋は便所を兼ねており、
   > その女性はそこに隠れて汚物をたくさん身体につけて、そばに近寄れないような格好を
   > していたのです。
   >
   > 私はそれを見た時に、その衣服を全部脱がせて全身裸体にして納屋に押し込めて
   > 強かんしました。

 折角、その場で加害証言してくれているんだ。 さっさと吊るせよ。

 それと、こいつも!

   2011年09月22日 黒マッチョニュース
   【社会】旧日本軍が各国で女性を連行し、性行為を強制した「慰安婦」問題解決急げ
        市民団体や個 人が国会で集い
   http://kuromacyo.livedoor.biz/archives/1566690.html
   > 第2次世界大戦で旧日本軍が各国で女性を連行し、性行為を強制した
   > 「慰安婦」問題の早期解決を求める集いが21日、衆議院第2議員会館内で開かれ、
   > 約80人が参加しました。
   > 早期解決を求めて運動してきた市民団体や個人がよびかけました。
   >
   > 韓国の憲法裁判所は8月30日、韓国政府に対し、
   > 「慰安婦」問題は1965年の日韓請求権協定の対象外であり、
   > 韓国政府は日本政府と外交交渉すべきである、との決定を下しました。
   > この決定を受け、戦時性的強制被害者問題解決促進法の成立などの
   > 野田新政権の「慰安婦」問題早期解決への対応が注目されるなか、開いたもの。
   >
   > 女たちの戦争と平和資料館(wam)の池田恵理子館長が、
   > 高齢となり次々と亡くなっている中国山西省の元「慰安婦」の現状を報告。
   > 元日本軍衛生兵で、同省孟県で、集落の女性を「慰安婦」にした
   > 松本栄好(まさよし)さん(89)が、加害体験を語りました。

 > 元日本軍衛生兵で、同省孟県で、集落の女性を「慰安婦」にした松本栄好(まさよし)さん(89)
 > 元日本軍衛生兵で、同省孟県で、集落の女性を「慰安婦」にした松本栄好(まさよし)さん(89)
 > 元日本軍衛生兵で、同省孟県で、集落の女性を「慰安婦」にした松本栄好(まさよし)さん(89)

 血祭りにしていいぞw



 12.家族や近親者から要望があれば、亡くなった犠牲者の遺骨を探して返還すること。

 

 今、韓国で喚いている韓国籍を始めとする日本国籍以外の自称元従軍慰安婦の婆サマ達は、 ( オ ランダ人など、一部の自称被害者を除いて ) 当時は日本国民だった。
 したがって、 慰安婦問題とは、旧日本軍と日本政府が日本国民に対して行った戦争犯罪という事に なる。
 であるならば、当然の事ながら、その死に関してより日本政府の責任が重大であった死者の遺骨を 優先するべきである。

 たとえ日本軍将兵が甘言を用いて騙して慰安婦にしたとしても、慰安婦に成ったことが死因ではな い。 日本が直接殺したに等しい被害者が他にもっと大勢居る。
 爺さん達は、召集令状一枚で徴兵され、今の脆弱な日本人男子なら数日で死んでしまうような拷問  に近い訓練を受けさせられ、なんとか訓練を生き延びても最前線に送られて、米軍の圧倒的な物資と  強力な兵器に対してゴミみたいな物資と貧弱な兵器しか与えられずに、殺し合いをさせられて死んだ。
 その多くは、遺骨が現地に眠ったままだ。

 何が悲しゅうて、そんな英霊達の遺骨を後回しにして、( 中には騙されて慰安婦に成った人が居たか も知れないが ) 基本的に金が欲しくて自分から股を開いただけの慰安婦の遺骨を優先して捜さなきゃ ならなんだ。 ふざけるな。


 最後に、『女性国際戦犯“法廷”』という名の三文芝について語られたブログを幾つか紹介して、この 長文を終わりにしたいと思います。

 では、また次ページで逢いましょう。 


   2009-05-02 銀色の侍魂
   所謂「女性国際戦犯法廷」その異常性と賛同団体・個人
   http://omoixtukiritekitou.blog79.fc2.com/blog-entry-123.html
   > 所謂「女性国際戦犯法廷」
   > その異常性と賛同団体・個人
   >
   > 前々回のエントリーで取り上げたNHKの2001年の「戦争をどう裁くか」における
   > 女性国際戦犯法廷につての意見?コメントがありましたので
   > これについてお答えしようと思います。
   >
   >
   > それでは、naokoraさんからのコメント
   >
   >  被害者の言葉
   >
   >  > 先帝陛下を一方的に裁く
   >
   >  あれは一方的に裁いたのではありません。
   >  民衆裁判の主催者はあらかじめ、日本政府に裁判(イベント)に政府として出席するよう、
   >  すなわち日本政府として弁明の機会を与えるように、要請をしています。
   >
   >  それを日本政府は断ったという事ですね。
   >  勿論、もし弁明があっても昭和天皇の有罪は免れなかったでしょう。
   >
   >  なぜなら被害者自身が出廷し、その苦しみを訴えていた訳ですから。
   >  それを否定できる、根拠は日本政府にはないでしょう。
   >
   >  これは河野談話が出る前の、日本政府による韓国の元慰安婦の方への事情聴取でも
   >  起きていることですね。
   >  実際に被害者に会い、調べた当事者はみなさん、ちゃんと酷い事実を認めている。
   >
   >  あなたもこんな馬鹿なブログで独り言を書いていないで、少しは勉強すべきですね。
   >
   >  2009-05-02 03:26 naokora URL
   >
   > 以上がコメントです。
   >
   > はい、ではまず。
   >
   > だいたいの事は崗上虜囚さんがお答えになっているので重複するかも知れませんが・・
   >
   > > あれは一方的に裁いたのではありません。
   > > 民衆裁判の主催者はあらかじめ、日本政府に裁判(イベント)に政府として出席するよう、
   > > すなわち日本政府として弁明の機会を与えるように、要請をしています。
   >
   > まず、詳しくは他のサイトなどが詳細で分かりやすいので
   > そちらを参照する方が早いのですが。
   >
   >  女性国際戦犯法廷の愚かさ
   >  http://datas.w-jp.net/WomensTribunal2000.html ( 消えています )
   >
   > 一部引用
   >
   >  日本政府に弁護人を要望したが、相手にされなかった法廷
   >
   >  法廷の主催者は弁護人を要求したが、上のように、事実認識すらままならない
   >  左翼たちに囲まれて、何を弁護すると言うのであろうか。
   >  結局、誰も相手にすることはなかった。
   >
   >  女性国際戦犯法廷は、「日本国家の責任」を問うため、
   >  開催2ヶ月前に全裁判官の名前で、当時首相であった森嘉朗氏に
   >  被告側弁護人(被告代理人)の出廷を要請した。
   >  しかし、開催直前になっても何の応答もなかった。[8]
   >
   >  よって、「被告と被告側の弁護人がいない」という問題が生じることとなった。
   >
   >  そこで、主催者側はイギリスの制度である「アミカス・キュリー(法廷助言人)」という
   >  仕組みを持ち出した。
   >  このように、後付けで理由をこじつけるところが人民裁判的である。
   >  主催者側は、この事実をもって「きちんと反論は行われた」としているが、
   >  「法は遡らない」及び「同意のない法は無効」の原則通り、
   >  このようなこじつけは一方的な詭弁に過ぎない。
   >
   >  結果、主催者側としては「弁護を付けたつもり」になって、裁判が行われたのだ。
   >  まさに茶番である。
   >
   > 引用終わり。
   >
   > つまり、端的に言えば何を言っても聞き入れられない、自分の意見のみが絶対正しくて
   > これを批判するものは間違いかまるで愚か者だと言わんばかりの、
   > まるで「たかじんのそこまで言って委員会」の田嶋氏のような左翼にとり囲まれたところで
   > 何をどう弁護したところで結論は決まっている正に”人民裁判”だから誰も相手にしなかった
   > ということです。
   >
   > その証拠にnaokoraさん自身が
   >
   > > 勿論、もし弁明があっても昭和天皇の有罪は免れなかったでしょう。
   >
   > がものがたっています。
   >
   >
   > 次に
   >
   > > なぜなら被害者自身が出廷し、その苦しみを訴えていた訳ですから。
   > > それを否定できる、根拠は日本政府にはないでしょう。
   >
   > ですが、これもよく左翼が言う事なのですが
   > 「 被害者自身が出廷し、その苦しみを訴えていた訳 」
   > などといいますがまずこの証言が信用できない。
   >
   > 有名な「黄錦周」(ファン・クムジュ)さんの証言だけでも
   > 聞くたびに内容や年齢がころころ変わり全く信用できません。
   >
   > 参考
   >
   >  「従軍慰安婦の証言」はデタラメ
   >  http://makizushi77.hp.infoseek.co.jp/ianhu.htm
   >
   >  被害者証言の検証
   >  http://www.asyura.com/07/asia7/msg/309.html
   >
   > 一部引用
   >
   >  黄錦周(ファンクムジュ)
   >
   >  1912年生まれ。 1941年に慰安婦にさせられる。
   >  出典 ) 元日本軍「慰安婦」の証言を聞く集会
   >       1997年12月5日 福岡市都久志会館ホ−ル
   >
   >  1922年生まれ。17歳の時に(1938~39年)慰安婦にさせられる。
   >  出典 ) 朝日新聞 1995年7月24日夕刊
   >
   >  1927年生まれ。 シンガポール陥落の年(1942)に慰安婦にさせられる。
   >  出典 ) 「証言 従軍慰安婦女子勤労挺身隊」伊藤孝司氏編著 風媒社 1992
   >
   >
   >  1) 高木健一著書「従軍慰安婦と戦後補償」(三一書房 1992年出版)に記載された証言
   >
   >  生活は貧しく、12歳の時100円で売られた。
   >  ソウルの金持ちの家で小間使い。
   >  1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、その家の娘の身代わりとなって
   >  満州に連行され慰安婦となった
   >
   >
   >  2) 1995年7月24~27日(夕刊)に、朝日新聞に四回に渡って掲載された証言の矛盾点と嘘
   >
   >  @ 1922年生まれと証言。 しかし、彼女は過去に1927年生まれと称していた。
   >
   >  A 17歳(1938〜39年)の時に、“国民徴用令”で軍事工場に動員され、
   >     慰安婦にさせられたと証言。
   >     しかし、朝鮮で、国民徴用令がしかれたのは 1944年であり、ありえない。
   >
   >  B 中国の吉林で軍の慰安婦にされたと証言。
   >     しかし、吉林は戦場ではなく、公娼制度が導入された歓楽街。
   >     わざわざ軍が慰安婦を設ける必要はない。
   >
   >  C クリスマスの日は、一番客が多かったと証言。
   >     しかし、日本軍にクリスマスを祝う習慣はない。
   >
   >  参考 ) 「戦争論2」 小林よしのり著書 幻冬舎出版 2001 第12章
   >
   >
   >  3) 1996年1月4日、国連・経済社会理事会クマラスワミ報告
   >
   >  17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に
   >  日本軍の工場に働きに行くように命じました。
   >  そのとき私は労働者として徴用されたのだと思い ました。
   >  3年も働いたころ、ある日一人の日本兵が自分のテントについてこいと要求 しました。
   >  かれは着物を脱げと私にいいました。 たいへん怖かったので抵抗しまし た。
   >  私はまだ処女でした。
   >
   >
   >  4) 日韓社会科教育交流団韓国を訪問 1997夏期
   >     京都福天草の根反核平和運動のwebサイト
   >     http://www2.nkansai.ne.jp/users/peace/heiwanews%EF% BC%95.htm#1(リンク切れ)
   >     に記載されていた黄錦周の証言
   >
   >  満18歳になった時のある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言いました。
   >
   >
   >  5) 1997年12月5日、元日本軍「慰安婦」の証言を聞く集会(福岡市都久志会館ホ−ル)
   >     での証言
   >
   >  1912年扶餘生まれ。父の発病後家運が傾き、13歳のとき家をでて、奉公に出ました。
   >  村の班長(日本人)に
   >  「 日本の軍需工場に行けば、お金がもうかる。 一家に一人 は行かなくては 」
   >  と脅かされ、奉公先の娘たちにかわって1941年、二十歳で国を離れましたが、
   >  ついた所は慰安所でした。
   >
   >
   >  6) 2001年5月17日、TBS「ここがヘンだよ日本人」で放送
   >
   >  私は19歳で学校を卒業する25日前に日本軍に引っ張りだされ
   >  仕方なく慰安所に 行ったんだ!
   >
   >
   >  7) 2001年07月17日、黄錦周さんの証言を聞く会(東京大学にて)
   >
   >  14歳のとき、いわゆる「少女供出」で満州に連行され、
   >  皇軍兵士のセックスの道具にされた。
   >  つらい体験だった。
   >
   >
   >  * 証言の度に、内容はおろか、年齢や生まれた年まで変わっている。
   >
   >
   > 引用終わり
   >
   > 以上の他に主なものでも金学順と文玉珠、金順徳(キムスンドク)、李容洙(イヨンス)など
   > その証言の矛盾が指摘されています。
   >
   > このような状態で証言の信用性があるわけがありません。
   >
   > また、仮にも”裁判”と銘打って行うのであれば証言のみでなく
   > 確実な資料、証拠を提出しなければならないがそれが見られない。
   >
   > 最近でも痴漢えん罪で最高裁にて逆転無罪の判決がでたばかりですが
   > 被害者の証言だけでは不十分で少なくとも第三者の目撃、DNA鑑定や微物採取
   > (これは今となっては難しい)といった物的証拠の収集
   > ( 仮に日本軍が組織的にやったというのであれば必ず文書が残っているはず )
   > など証言のみで裁判、有罪判決などおよそ民主国家では信じられない事です。
   >
   > そのやり口は正に中国共産党などの共産国のやり方!
   >
   > > これは河野談話が出る前の、日本政府による韓国の元慰安婦の方への事情聴取でも
   > > 起きていることですね。
   > > 実際に被害者に会い、調べた当事者はみなさん、ちゃんと酷い事実を認めている。
   >
   > ??????
   >
   > はたしてそうでしょうか?
   >
   > 上記に上げているサイトなどや調べてみれば分かりますがそのような事は無いですが。
   >
   > その一部を紹介します。
   >
   >  被害者は、どういう人たちか。
   >  http://motosuke.net/jhistd/jhist3_2_2.htm
   >
   > 一部抜粋
   >
   >  吉田証言は朝日新聞やテレビ朝日にたびたび登場したが、
   >  内容に疑問を持った方々(中村粲氏、板倉由明氏、上杉千年氏ら)の検証によって、
   >  軍の命令系統から本人の経歴まで全てが嘘であることが判明した。
   >  秦郁彦氏は、唯一場所と時間が特定されている済州島へ現地調査に出かけたが
   >  老人たちに聞いても完全否定され、すでに調査を行っていた『済州島新聞』の女性記者
   >  にも 「 何が目的でこんな作り話を書くのか? 」 と聞かれる始末であった。
   >  この問題には、第三者としての証言者がいないということである。
   >
   > 引用終わり
   >
   > 以上のように強制連行の証言がでるどころか 『 何が目的でこんな作り話を書くのか? 』 と
   > 聞かれる始末です。
   >
   > このような状態で本当に信用できますか?
   >
   > そして最後に。
   >
   > > あなたもこんな馬鹿なブログで独り言を書いていないで、少しは勉強すべきですね。
   >
   > ブログでウェブページのURLとともに自身の論評などを書くのは当たり前の事です。
   >
   > また、勉強が足りないのは果たしてどちらでしょうか?
   >
   > naokoraさんが左翼的考えをお持ちであるのは結構ですが
   > それを他人のブログで誹謗中傷に近いコメントをするぐらいなら
   > ( ねずきちさんのところでもコメントしてますね )
   >  ※ http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-485.html
   > 自分でブログを開いて自分の意見を発表してみてはどうですか?
   >
   《以下略》


   教科書が教えない歴史
   自由主義史観研究会(代表 藤岡信勝)公式サイト
   ETV2001「女性国際戦犯法廷」についての朝日新聞虚偽捏造記事を論破する
   グレアム・グリーン(法学士)
   http://www.jiyuushikan.org/rekishi/rekishi6.html
   > NHKのETV2001が松井やより達が主催した「女性国際戦犯法廷」なる
   > 人権蹂躙の似非法廷を特集しました。
   > しかしこれに対して市民からの抗議が殺到し、当然ながらNHKが抗議を受けて、
   > 内容をチェックし適正化したことに対して、3月2日付け朝日新聞にとんでもない記事が
   > 掲載されました。
   >
   > 「NHK、戦時検証及び腰、右翼の抗議殺到 / 相次ぐ削除、幹部が試写・企画案、
   >  骨抜きに 」
   > と大々的見出しで記事にしています。
   >
   > ETV2001の「女性国際戦犯法廷」の放送に関しては
   > 雑誌「諸君」や「正論」で投稿者の皆様が繰り返し指摘されているように、
   > 削除訂正されて当然の極めて悪質かつ唾棄すべき人権蹂躙内容です。
   > 寧ろ、公共放送NHKに取り上げられたこと自体が異常であるというのが正しいでしょう。
   > 公共放送では絶対に取り上げられるべきではない程、悪質かつ下劣極まりない内容です。
   >
   > 高級オピニオン雑誌「正論」の桑原 聡氏はこれを「暗黒裁判」と評し更に、
   > 「 詰まるところこの「法廷」は、「元従軍慰安婦」をさらに傷つけ、
   >  人間同士、国家同士の憎しみを増幅させるだけではなかろうか。
   >  はっきり言おう。 「女性国際戦犯法廷」は人類に対する犯罪である。」
   > とまで言いきっておられます。
   >
   > 外交評論家の加瀬英明氏は、
   > 「 NHKよそれを売国行為と呼ぶのです。」
   > とNHKを厳しく批判している。
   >
   > 朝日新聞は自分たちは教科書問題に関しては平気で、言論弾圧攻撃を繰り返す一方で、
   > 左翼的活動への抗議に関しては、全てを「右翼活動」とレッテルを貼って「言論弾圧だ」等と
   > 妄言を繰り返しているのです。
   >
   > NHKのETV2001がこのおぞましい人権破壊行為を特集すると言う情報が流れた時点で、
   > 多くの市民からの抗議がNHKに寄せられたのです。
   > 多くの大学教授や「女性国際戦犯法廷」を憂慮する市民団体、個人からの抗議が
   > 山ほどNHKに届き、そのためNHKの海老沢会長自らが番組のビデオを見たところ、
   > そのあまりの反日偏向とおぞましい内容に腰を抜かさんばかりに驚き慌てて
   > 結果として内容が修正されたのです。
   > ( この経緯は獨協大学中村教授論文:雑誌「正論」4月号209頁に詳しい )
   >
   > この番組は正常な人権感覚を持つ良識ある日本人ならば誰でも抗議する内容であり、
   > 「抗議者の一部に右翼」が含まれていたという事実を、「右翼による抗議」などと
   > 事実をすり変える汚いトリックこそ朝日新聞や左翼全体主義者が常用する
   > 言論弾圧手段です。
   >
   > こう言った捏造報道を垂れ流し、正常な言論報道を破壊しつづけている朝日新聞は、
   > やはり正常な言論維持の観点からは
   > 朝日新聞は徹底的に合法的ボイコットで叩き潰す以外には方法はないように思われます。
   >
   > 以下に似非法廷「女性国際戦犯法廷」への完全批判を詳細に論証いたします。
   >
   > (1) いわゆる『女性国際戦犯法廷』の非正統性
   >
   >    1)存立に関わる合法性の欠如
   >
   >    1.存在自体に関して何ら法的裏付けが存在しない。
   >      単なる任意団体による任意的示威活動に過ぎない。 
   >
   >    2.それゆえ「判決」や「判断」は何ら法的権威ならびに拘束力を有さない。
   >
   >    (結論) いわゆる『女性国際戦犯法廷』の法廷としての存在ならびに判決は
   >         何ら法的執行可能な権威並びに合法性を有しない。
   >
   >
   >    2)裁判形式上の重大な瑕疵
   >
   >    1.一切の弁護活動が許されていない。
   >      したがって西欧近代法上の法廷成立要件を 全く満たしていない。
   >
   >    2.証言や証拠と称するものに客観的検証と裏づけがなされていない。
   >      したがって証言、証拠と称するものに何ら法的効力は生じない。
   >
   >    3.第二次世界大戦の事案を法的に裁けるのは、
   >      当時存在した国際法によってのみであり、
   >      現在存在し当時存在しなかった如何なる「事後法の適用」も法的には無効である。
   >
   >    (結論) いわゆる『女性国際戦犯法廷』は裁判形式上も法廷としての体裁を
   >         全く満たしていない。
   >
   >    (総括) 1.2.の決論においていわゆる『女性国際戦犯法廷』は
   >         存立根拠上も裁判形式上も、法廷としての根拠を有していない。
   >         それは法廷ではなく前近代的な私刑(リンチ行為)、
   >         あるいは欠席裁判(カンガルーコート)に該当するものである。
   >
   >
   >    3)いわゆる『女性国際戦犯法廷』が近代的民主主義に与える侵害行為
   >
   >    1.上記のように法的根拠の存在しない特定の集会での結論を、
   >      あたかも正当な裁判におけるかのように主張する行為は、
   >      明かに人権と民主主義に対する重大な敵対行為を構成する。
   >      かかる、私的私刑的な一方的な「法廷」は明かに全体主義国家...ナチスドイツや
   >      北朝鮮や共産主義中国の法廷と同一のものであり、西欧民主主義国家に対する
   >      脅威である。
   >      個人が何ら法的根拠の無い機関に「法廷」として召集され弁護士も許されず、
   >      相手方の一方的な「証言」のみに基づき「有罪」と宣告され
   >      新聞やマスコミに 大々的に名誉を辱められる記事を掲載されるがごときに等しい
   >      ものである。
   >
   >    2.名誉毀損行為(Defaming Activity)の構成
   >
   >      何ら法的根拠の無い「法廷」と並びに検証の無い一方的な「証言」のみに基づく
   >      「有罪」宣告をあたかも「合法的な法廷の判決」の如く主張する行為は
   >      明白な名誉毀損(Defaming Activity)を構成する。
   >
   >    3.人種差別的行為(Hate Crime)の構成
   >
   >      特定の人種(Race)、国籍(Nationality)個人、国家、組織を
   >      上記の如く何ら合法性正当性を有さない根拠で明白且つ大々的に批判することは、
   >      明らかに人種差別犯罪を構成する 
   >
   >
   > (2)これを公共放送NHKが報道することの不当性
   >
   >    1)法的裏づけの無い「法廷」「判決」と称するものを報道することは、
   >      あたかも他の正当な法的機関並びに その判決のごとくに視聴者に
   >      重大な誤解を生ぜしめる。
   >
   >
   >    2)事実検証の成されていない証言や弁護人の反証も無い結論を
   >      一方的にあたかも合法的かつ事実の如く報道する行為は
   >      下記の2つの犯罪行為を構成する。
   >
   >      1.名誉毀損(Defaming Crime)
   >      2.人種差別(Hate Crime) 
   >
   >
   >    3)昭和天皇に関しての責任や日本についての法的問題は
   >      東京裁判(その合法性には多々問題はあるが)とサンフランシスコ講和条約で
   >      国際法上の全ての決着がなされており、このような国家元首を表題にした報道は
   >      特定個人の人権への侵害であり、 国民および国家の名誉への侵害行為であり、
   >      報道活動上の冒涜行為である。
   >
   >      裁判は「一事不再理」が原則であり、法的に決着された事案を再度審理することは
   >      認められない。
   >
   >      またいわゆる「慰安婦問題」と全く因果関係を有さない日本国家の象徴、
   >      昭和天皇を報道の対象とする行為はあからさまな人権侵害に留まらず、
   >      人種差別行為、誹謗中傷行為、日本国民および国家に対する
   >      明白な敵対、冒涜行為を構成するものである。
   >
   >
   > (注) 法的に責任が追及されるのは
   >     明白に原因と結果の「直接的因果関係」が立件されねばならない。
   >     例えばある犯罪行為が構成された場合、有罪と認定されるには
   >     「行為そのものに荷担したか」「行為自体を指示、教唆したか」
   >     という直接的な因果関係が立証されねばならない。
   >
   > (注) この点に関しては、米国政府は日本企業の強制労働問題で、
   >     「こうした国と日本との賠償問題は二国間条約で解決済み」
   >     として、原告らの訴えを認めない旨の意見書を同地裁に提出していたことを
   >     米国政府は2000年12月16日明かにした。
   >     日本企業の強制労働問題で、同地裁は今年九月、やはり米政府が提出した
   >     意見書などに沿って、元米兵捕虜ら連合国国民の訴えを棄却しており、
   >     今回の意見書は、連合国以外の国民が原告となっている訴訟の司法判断にも、
   >     大きな影響を与えそうだ。
   >    米政府は、中国や韓国の国民が石川島播磨重工業、新日鉄、三井、三菱グループを
   >     訴えている六件の訴訟に絡み、今月十三日に意見書を提出。
   >     その中で、同大戦期の強制労働について米国の法廷で賠償を求める道を開いた
   >     カリフォルニア州の法律(昨年七月制定)を、
   >     「 外交政策策定に関する連邦政府の権限を侵し、日米関係を混乱させるもの 」
   >     と断じた。
   >     そのうえで、サンフランシスコ講和条約に加わっていない
   >     中国や韓国の国民の請求について、
   >     「 サンフランシスコ講和条約は日本に対し、
   >      中国や韓国からの賠償をめぐる問題についても
   >      各国政府との二国間条約で解決するよう求めており、日本はそれを果たした」
   >     とし、
   >     「 こうした各条約の枠組みが崩れた場合、
   >      日本と米国および他国との関係に重大な結果をもたらす 」
   >     との見解を示した。
   >     最近の研究では日中戦争のそもそもの発端は「盧溝橋事件事件」における、
   >     中国共産党による挑発謀略による可能性が高くなっており、戦争犯罪と責任所在は
   >     日本軍ならびに蒋介石軍ではなく中国共産党にある可能性が高まっている。
   >
   >
   >    4)いわゆる「慰安婦問題」に関しては、
   >      公文書の調査の結果では何ら日本軍による強制的連行が実行された確証が
   >      見出されていない。
   >      したがってそれ自体、単なる商行為であった。
   >      これを強制連行などと捏造したのは朝日新聞の責任である。
   >      何ら根拠のないものへの報道は報道の真実性と客観性を蹂躙する行為である。
   >
   >      ( 韓国のソウル大学の安垂直教授は、
   >       彼がコンタクト出来た40人以上の女性の証言を検討した所、
   >       半数以上の証言は矛盾していたり、時代背景と違っていたり、
   >       事実を歪められていたと言っています。
   >       彼はそのうち19人の証言をまとめて発表していますが、
   >       その内日本軍に強制されて慰安婦にさせられたと言っているのは、
   >       僅か4人に過ぎません。
   >       しかもその内の一人は釜山で働いたと言い、
   >       他の一人は富山で働いた、と言っていますが、
   >       釜山にも富山にも軍の慰安所はなかったのです。
   >       残る2人の内一人は前述の金学順であり、今一人は文玉珠です。
   >       文玉珠は日本政府に対する訴訟で、当初は娼婦として売られたと言っています。
   >       日本政府はこの問題について厳密な調査や適切な裏付け捜査を行わず、
   >       日本の伝統的な手法と「NO」と言えない性格により、
   >       「政治的」に丸く収めようとし、恥ずべき河野声明を出したのです。
   >       それは軍に責任をかぶせる、信じられない程の官僚的な、無責任なものでした。
   >       左翼新聞の朝日新聞は事態を悪化させる重要な役割を果たしました。
   >       というのは彼女らの最初の証言である「娼婦として売られた」といった、
   >       大変重要な証言を報道しなかったのです。
   >       慰安婦問題は貧困と悪徳業者による悲劇でした。
   >       軍には何の責任もありません。
   >       この問題における朝日新聞の責任は極めて重大です。)
   >
   >      またわが国最大の新聞、読売新聞も3月1日付け社説で明白に
   >      いわゆる従軍慰安婦問題がマスコミによる明白に「捏造」であったことを宣言した。
   >
   >      ( 以下読売社説引用 )
   >
   >      「 過去、何度となく、同じような現象があった。
   >       例えば、いわゆる従軍慰安婦問題。
   >       これは、そうした特定マスコミが、戦時の勤労動員だった女子挺身隊を、
   >       強制的な“慰安婦狩り”制度だったと歴史を捏造した結果、
   >       一時、日韓関係を極度に悪化させた。
   >       歴史を捏造してまで、日本を比類のない悪の権化に貶めようなどというのは、
   >       「自虐史観」の極みである。」
   >
   >
   >    5)報道の偏向性
   >
   >      中国や北朝鮮などの虐殺行為(文化大革命、大躍進における数千万人の人民
   >      虐殺、ポルポト政権の犯罪支援行為、チベット侵略とチベット人民虐殺行為、
   >      天安門大虐殺事件etc...)には一切言及せず、上記の如く
   >      既に国際法的に決着ずみの事案をことさら大々的に報道することは、
   >      マスコミとし本来負わねばならない「公平性」ならびに「正当性」を大きく逸脱する
   >      行為であり、日本国民の歴史認識と国際認識において極めて重大な悪影響を
   >      及ぼす反社会的な行為である。
   >
   >      確かに大規模な戦争行為においてレイプ事件などが戦闘国双方において
   >      行われた 事実はあるだろうしそれは当時の軍法に照らして違法行為であったと
   >      するのが正当であろう。
   >      しかしそれを非難するのであれば特定国のみの行為を一方的につるし上げ、
   >      攻撃するのは明かに不正義であり人種差別的な行為である。
   >      中国軍、ソ連軍、米国軍双方における残虐行為を総合的に検証、報道すべきである。
   >
   >      ( 連合軍の犯罪例 )
   >
   >      1.旧ソ連共産軍が国際法に違反して満州に進行した際に
   >        日本人の婦女子が大量に共産兵にレイプされたり虐殺された。
   >        更に戦後も約30万人の日本兵がシベリアに強制連行され
   >        長期間強制労働に従事された。
   >
   >      2.中国軍による日本人虐殺事件 「通州虐殺事件」
   >        中国人による日本人虐殺事件「通州事件(Tong zhou Incident) 」が
   >        発生している。
   >        盧溝橋事件から三週間後の7月29日、
   >        通州の中国人保安隊が当時通州にいた日本人・朝鮮人居留民を
   >        一軒残らず襲撃し、結果この事件で居留民380人の大半が虐殺され、
   >        婦女子はレイプされた上で虐殺された事件が存在している。
   >
   >        「1937年の中国軍による上海での日本人捕虜虐殺事件」
   >        上海において中国兵による日本人や市民虐殺が実行された。
   >
   >      【資料】 
   >      ( 上海における中国人の日本人捕虜虐殺行為に関するCNNレポート )
   >      http://www.cnn.com/WORLD/9609/23/rare.photos/index.html
   >
   >      ● ( CNN紙に掲載された虐殺光景 )
   >        http://www.cnn.com/WORLD/9609/23/rare.photos/image1.lg.jpg
   >        http://www.cnn.com/WORLD/9609/23/rare.photos/image2.lg.jpg
   >
   >      3.米国に関しては、広島への原爆投下や東京大空襲は、
   >        一般市民を明白に大量虐殺することを戦略的に目標としたしたものであり、
   >        当時の戦時国際法に照らして重大な戦争犯罪であった疑いが濃厚であると
   >        国際法学者の間で論議されている。
   >
   >      4.米軍による占領時代に占領米軍により
   >        日本国内で多数のレイプ犯罪が行われ、
   >        しかも、犯人は軍法会議や米国での司法訴追などを免れていた歴史的事実が
   >        明らかである。
   >        例えば終戦直後8月30日にマッカーサーに率いられたアメリカ軍が、
   >        神奈川県の横須賀に上陸した。
   >        その日に神奈川県だけでアメリカ兵による強姦事件が315件も報告されている。
   >        8月31日の強姦事件は228件である。 9月10日までには1,326件にも達した。
   >        軍規の弛緩がこれらの強姦事件や多数の殺人事件を招いた。
   >        しかし大半のケースでは罰せられていない
   >
   > (参考文献)
   > ■ 雑誌「正論」4月号 加瀬英明論文、中村あきら論文、
   > ■ 雑誌「諸君」3月号 秦郁彦論文


   2009年6月27日 NETTAROノート
   女性国際戦犯法廷の愚かさ(記事スクラップ)
   http://nettaro-note.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-9d02.html
   > はじめに
   >
   > 女性国際戦犯法廷とは、2000年12月7日から12日にかけ、
   > 東京・千代田区の九段会館で行われた集会のことである。
   > これは、左翼による謀略であった。
   >
   > 以下は、主催者である「VAWW-NETジャパン」による
   > 「女性法廷の目的」の説明である。
   >
   >  「慰安婦」制度という日本軍性奴隷制が女性に対する戦争犯罪であった真相を
   >  明らかにします。
   >  被害女性たちの尊厳を回復し、日本政府に戦争責任・戦後責任をとらせる手がかりとし、
   >  性奴隷制や強かんなどの戦時・性暴力が今後世界各地で繰り返されないよう、
   >  女性の人権が尊重される平和な新世紀を創ることです。 [6]
   >
   > そして、同団体はこの法廷には以下の意義があると主張している。[6]
   >
   > 1.日本軍性奴隷被害者に正義と尊厳を
   > 2.戦時・性暴力不処罰の循環を断ち切る
   > 3.国境を越えた女性の力で開く民間法廷
   >
   > 以下は、法廷で規定している「加害国」と「被害国」のリストである。[6]
   >
   >  加害国 日本 VAWW-NETジャパン (代表 松井やより)
   >
   >  被害国 韓国       挺身隊問題対策協議会 (代表 尹貞玉)
   >         フィリピン    女性の人権アジアセンター
   >        中国       上海慰安婦研究センター
   >        台湾       台北市婦女救援社会福利事業基金会
   >        北朝鮮     「従軍慰安婦」太平洋戦争補償対策委員会
   >        インドネシア  インドネシア女性連合
   >
   > 当然加害者に加わるべき中国が被害者リストにのみ載っているところからしても、
   > この法廷は偏っていると言える。
   > 又、日本人女性を散々レイプしたソ連兵が加害国にないことも不思議である。
   >
   > 以下、この法廷に関して、実際はどうであったのか見ていくことにしたい。
   >
   > 日本軍に性奴隷制度は存在せず
   >
   > 法廷の趣旨とは反して、日本軍には、一部で非難されているような「性の奴隷」は
   > 存在しなかった。
   > 外地において軍人を相手にした商売女は、業者によって引き連れられていた。
   > その業者の中には、女性や親を騙して慰安婦にしていた業者もいた。
   > だが、軍や警察といった公権力機関が、女性を拉致して慰安婦にしたという証拠は、
   > 今日まで一つも発見されていない。
   >
   > 「国際戦犯法廷」を催した女性たちが指す「日本軍性奴隷制」というのは、
   > 民間の業者が軍隊の近くに遊郭を設け、軍がそれを歓迎したということにすぎなかった。
   >
   > (中略)
   >
   > 高い収入によって魅せられたのであれ、業者によって騙されて慰安婦になったのであれ、
   > その不幸な境遇には同情させられる。
   > だが、慰安婦となることを強いられたという元慰安婦が、全員そうだった、ということは
   > 信用できない。[3, P58]
   >
   >
   > 女性国際戦犯法廷の開催理由
   >
   > 以下は、法廷の開催理由を示すものである。
   > これは、法廷に先立って行われた
   > 「 日本軍性奴隷制を裁く - 『女性国際戦犯法廷』に向けて 」
   > というシンポジウムにおける発言である。
   >
   >  (前略)
   >
   >  この法廷は、誰がどこで何をしたかを明らかにし、
   >  慰安婦制度について決定権を持って関わった人を対象に、
   >  その責任の重要性について問うものだ。
   >
   >  (中略)
   >
   >  現在も、女性に対する組織的性暴力は武力紛争下などで行われているが、
   >  もし、第二次世界大戦後、徹底的に日本が審判を受けていたら、
   >  現在、組織的性暴力はなくなっていたのではないか。
   >
   >  (中略)
   >
   >  アジアの多くの国々が憂慮するのは、
   >  日本が日中戦争及び太平洋戦争を起こしたことに反省する気配がない点だ。
   >
   >  (中略)
   >
   >  日本政府は、50年前、肉体を犯し、50年後の今は、精神を侵している。[1, P123]
   >
   > 徹底的に「自虐史観」である。
   > 「 日本が審判を受けていたら、現在、組織的性暴力はなくなっていたのではないか。」
   > という言葉には正気を疑うものがある。
   >
   > 理屈をつけてはいるが、要は「憎い日本を断罪したい」ということであろう。
   > 自虐史観による法廷の完結は、以下の、とある方の発言に凝縮されている。
   >
   >  千人以上もあつまった会場で
   >  国際的に著名な法律家4人が天皇ヒロヒトを有罪と判断した。
   >
   >  (中略)
   >
   >  判決のこの部分が読み上げられた瞬間はなんと晴れ晴れしいものであったか。
   >  もしその場にいなければ想像できない喜びだと思ってしまう。
   >  あぁ、あの人、昭和天皇の存命中にこのことばが発せられたなら![5, P29]
   >
   > 「結論ありき」の法廷が、ここに予定調和され、完結された。
   > 日本を断罪できた人々は、さぞかし「晴れ晴れ」とした気分になったことだろう。
   >
   > 女性国際戦犯法廷とは、(主催者の主張はどうであれ)昭和天皇を断罪することを目的
   > として行われた裁判(もどき)であったのだ。
   >
   >
   > 人民裁判と同質の女性国際戦犯法廷
   >
   > 辞書によると、人民裁判とは以下のようなものである。
   >
   >  【人民裁判】 じんみん-さいばん [7]
   >
   >  (1) 社会主義国家などで、人民の中から選ばれた代表が行う裁判。
   >
   >  (2) 多数者が少数者を私的に断罪すること。 つるしあげ。
   >
   > 社会主義国においては、結論ありきで、
   > そこに至るまでの過程を予定調和的に裁く裁判が行われている。
   > 反論は許されず、裁く側は「絶対に間違いを犯さない」という建前の元に行われている
   > 裁判のことを、一般に「人民裁判」と呼ぶのだ。
   >
   > 今回の法廷は、
   >
   > 1.会場に言論統制が敷かれていたこと。(後述)
   > 2.予定調和的に裁かれている。
   >
   > の2点から、人民裁判であったと結論付けることができる。
   >
   >
   > 東チモール、グアマテラ、ユーゴスラビアと同一にしか描けない人々
   >
   > 主催者は、日本を断罪するために新たな「道具」を用意した。
   > 東チモール、グアマテラ、ユーゴスラビアにおける内乱で発生した性犯罪への断罪である。
   >
   > このように、結論だけを結びつけて主目的の断罪へと結びつける手法は、
   > 左翼にとってお手の物である。
   > まさに「情報戦」であり「イメージ戦略」であり、「法廷」の名に恥じたやり方を
   > この法廷は行っているのだ。
   >
   > 東チモール、グアマテラ、ユーゴスラビアにおける内乱で発生した性犯罪は、
   > それはそれは痛ましい事だろう。 それに対して反対する者もそうはいないだろう。
   > だが、頭の中が倒錯している左翼たちは、大東亜戦争における慰安婦問題に対して
   > 反論する者たちを、これらの性犯罪をも正当化していると非難するのだ。
   > 当然、それぞれは別の問題である。
   > 左翼たちが段々「相手にされなくなる」状況の一端をここに垣間見ることができる。
   >
   >
   > プロパガンダでしか自説を正当化出来ない裁判、
   > それが女性国際戦犯法廷であった。
   >
   > 日本政府に弁護人を要望したが、相手にされなかった法廷
   >
   > 法廷の主催者は弁護人を要求したが、
   > 上のように、事実認識すらままならない左翼たちに囲まれて、
   > 何を弁護すると言うのであろうか。 結局、誰も相手にすることはなかった。
   >
   > 女性国際戦犯法廷は、「日本国家の責任」を問うため、開催2ヶ月前に全裁判官の名前で、
   > 当時首相であった森嘉朗氏に被告側弁護人(被告代理人)の出廷を要請した。
   > しかし、開催直前になっても何の応答もなかった。[8]
   >
   > よって、「被告と被告側の弁護人がいない」という問題が生じることとなった。
   >
   > そこで、主催者側はイギリスの制度である「アミカス・キュリー(法廷助言人)」という仕組みを
   > 持ち出した。 このように、後付けで理由をこじつけるところが人民裁判的である。
   > 主催者側は、この事実をもって「きちんと反論は行われた」としているが、
   > 「法は遡らない」及び「同意のない法は無効」の原則通り、このようなこじつけは
   > 一方的な詭弁に過ぎない。
   >
   > 結果、主催者側としては「弁護を付けたつもり」になって、裁判が行われたのだ。
   > まさに茶番である。
   >
   >
   > 傍聴に必要な「署名」
   >
   > 傍聴には、以下の内容に署名する必要があった。
   >
   >   「 私は『女性国際戦犯法廷』の趣旨に賛同し、傍聴を希望します。
   >    傍聴に際しては、主催者の許可なく写真撮影、ビデオ録画、録音をしません。
   >    また、『女性国際戦犯法廷』を妨害したり、出席者や傍聴者の権利を侵害する行為を
   >    しないことを約束します。」[1, P121]
   >
   > 考え方の違う者を排除して開く裁判を「暗黒裁判」と言う。
   >
   > このようなものに、健全たる人々が注意を裂く必要は全くない。
   > やがては消え行く、左翼たちの残影である。
   >
   >
   > 売春問題とレイプ問題は異なる
   >
   > 以下の視点は、参考になる。
   >
   >  慰安婦問題を、ユーゴスラビアや東チモールにおいて起こったレイプ事件と結びつけて、
   >  同じ線上で論じるには、無理がある。
   >  第一、慰安所はそのようなことが起こらないように、設けられたものだった。
   >  この意味では、軍が関与していたものだった。
   >  しかし、もし慰安婦問題と結びつけるのであれば、吉原の遊郭や、今日でも賑わっている
   >  アムステルダムの公娼街のほうが、東チモールや、ユーゴスラビアで起こった事態よりも、
   >  適切である。
   >  「女性国際戦犯法廷」の主催者たちは、大きな勘違いをしているのではないか。
   >  東南アジアでは、独立後に政府の高官や、軍の幹部をつとめた人々の間で、
   >  戦時中、日本軍が駐留していた間、慰安所が設けられていたために、
   >  日本将兵による現地女性を対象とした性犯罪が少なかったことを、
   >  評価する声が少なくない。[3, P64]
   >
   > 売春問題とレイプ問題とは異なるのであるが、左翼はこの両者を同一のものと見ている。
   > そこに、話のズレがあるのだ。
   > 左翼の証言
   > 「 強制されて慰安婦になった人も、貧困の理由により慰安婦になった人も同じ 」
   > という言葉からは、女性ならではの「情緒的な判断」が見て伺える。
   >
   > このあたりは左翼によっても認識が異なっており、
   > 「全員強制的に連行された」と考える人と、「強制連行と貧困の理由とがあった」と考える人が
   > いる。
   >
   >
   > チベットを軽視する主催者
   >
   > 旧日本軍が性犯罪を犯したと問題提起するならば、
   > まさに今、チベットにおいて支那軍が行っている「組織的な軍隊による虐待行為」こそ、
   > 主催者が最も取り上げるべき関連事項なのではないか。
   >
   > だが、チベットのレポートが法廷に提出されてはいるものの、その扱いは、
   > 問題の大きさとは比べ物にならないほど小さい。
   > 以下に、「軽視されたレポート」の一部を掲載したい。
   >
   >  「 一日中拷問を受け、飲み物も食べ物もまったく与えられずに過ぎ、
   >    夕方の6時になると、尋問者の食事の時間になりました。
   >    そのとき、捕まった尼僧たちがひとつの部屋に集められ、服を調べられました。
   >    顔を伏せたままでいると、服を一枚一枚脱がされ、裸にされました。
   >    その部屋は窓が多く、外には大勢の一般囚が見ていました。
   >    そして、大勢の見るなか、警官のひとりが頭を、もうひとりがお尻を
   >    棒で殴りつ