『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』 を斬る 《跡地》



解決編 5 世界の植民地責任・戦争責任

 - 2 戦後補償日本とドイツ を斬る

 引用元URL → http://fightforjustice.info/?page_id=2457 ( 魚拓 )


 以下、青い色の文字がwebサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責 任』からの“引用”です。


 戦後補償-日本とドイツ

 日本は、サン・フランシスコ平和条約の賠償規定を基に、
 個々の求償国との個別国家間交渉による相互協定に委ね、
 経済援助・協力の意味合いで賠償を実践してきました。
 その中に個人補償なども含め、補償問題も「解決済み」としました。

 一方(西)ドイツ政府は「ロンドン債務協定」で、戦前の債務を受入れる代わりに
 戦争損害への賠償を平和条約締結後に先送り、実質的に賠償をせずに済みました。
 これは、経済援助・協力の意味合いでの賠償が認めらなかったことと関係します。
 それに対し個人補償は実施され、2000年には強制労働補償基金が創設されて
 現在にいたります。


 ドイツの戦後補償の開始と展開

 日本の戦後補償を考える上で、ドイツの戦後補償がいかなる意味で参考になるのかを
 検討しましょう。
 ドイツは、何を根拠に、どのような被害に対して、補償したのでしょうか? かなり複雑です。

 補償の開始時期から整理すると、まずはイスラエル・ユダヤ人組織との協定(1952年9月)。
 ドイツからイスラエルへのユダヤ人移住への援助と連邦補償法制定の約束からなります。
 次に、「ナチ被迫害者連邦補償法」(1956年6月)
 ( 前身の「連邦補足法」実施の53年10月に遡って施行 )。
 これが補償総額からして約8割を占め最も重要です。
 第三に、1957年以降、化学企業IGファルベン社をはじめとする個別企業による補償。
 強制収容所に収容され、なおかつ強制労働をさせられたユダヤ人に限定しての補償です。

 

 ユダヤ人に対する補償は、捏造史ホロコーストに対する個人補償であって、戦後補償ではありませ ん。

   数えられなかった羊
   『ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』
   ノーマン・G・フィンケルスタイン
   http://arabic.kharuuf.net/archives/285



   [ 画像:本表紙 ヴァイツゼッカー演説 縮小版 省略 (引用元アドレスをご参照ください)

   [ 画像:書映3 ヴァイツゼッカー 省略 (引用元アドレスをご参照ください)


 以上から、「補償」概念が「政治的・人種的・宗教的な理由による迫害」という
 狭義の「ナチ不正」の被害(「ナチ被迫害者」)を意味し、
 かつ対象はドイツ国籍ないし居住者への限定(「属地原則」)という特徴が確認できます。
 これによって排除された西側諸国11カ国は「ナチ不正」の非ドイツ人被害者への補償を求めて
 「補償外交」を展開しました。
 ドイツは1959年から60年代前半にかけて西側諸国とそれぞれ個別に
 包括的補償協定を締結しています。

 こうして強制労働は一般的な戦争の結果に属し、賠償の枠内でのみ扱われるとされ、
 外国人強制労働者の補償請求権は否定されることになりました。

 ヴァイツゼッカー大統領が1985年5月、第二次世界大戦終結・ドイツ無条件降伏40周年を記念して、
 「 いやしくもあの過去に対して眼を閉ざす者は、結局は現在に対しても盲目となります 」
 という演説をしたことは日本でも良く知られています。
 その際に想起されていた被害者の中には、この間補償対象が拡大された人たち
 ( たとえばシンティ、ロマ、ホモセクシュアル、精神障碍者など )
 は含まれていましたが、外国人強制労働者は想起の対象とはなっていませんでした。

 ドイツ統一後の戦後補償


   [ 画像:書映1過去の克服 省略 (引用元アドレスをご参照ください)


 1990年のドイツ統一に際し、強制労働者の補償問題が解決される余地もありましたが
 ( 「二+四条約」 )、強制労働者の補償問題は条約から排除されました。
 その一方でドイツは、東欧諸国のナチ迫害被害者に「和解基金」を設立させました
 ( ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、ロシア )。
 しかし強制労働などに対する補償責任を認めたものではなく、
 経済的困窮者に対する人道的給付でした。
 一時金を支給された被害者は補償とみなさず、その後もドイツ政府への圧力はつづきました。

 日本で強制連行・強制労働、「従軍慰安婦」に対する補償要求の運動が開始された時期に、
 ドイツでの未解決の問題は民間人と戦時捕虜の強制労働でした。
 強制収容所に収容されても補償対象からは排除されていました。
 政府・企業が一体となって、強制労働はナチ不正の被害ではないという論理を貫徹しました。


 ドイツ補償基金「記憶・責任・未来」創設

 それに対して被害者組織は補償問題を積極的に提起し、裁判に訴える道をとりはじめました。
 1996年の連邦憲法裁判所の判決によって、強制労働の被害に対する個人的補償請求の可能性が
 開かれましたが、地裁レベルで勝訴した訴えも控訴審では敗北しました。

 大きな転換点は1998年3月のアメリカでのフォード本社とドイツ・フォード社に対する
 集団提訴です。
 同年9月の連邦議会選挙で社会民主党と90年連合・緑の党が勝利し、「ナチ強制労働補償」へと
 動きました。
 翌年2月に「ドイツ経済の基金イニシアティヴ<記憶・責任・未来>」が設立されました。
 被害者側も補償基金設立へ向けた交渉のテーブルにつき、99年12月に合意して、
 ラウ大統領が「赦しを請う」演説を行いました。

 こうして、ドイツ企業の不正への「関与」、企業の「歴史的責任」と
 連邦議会の「政治的・道義的責任」を認める内容の強制労働補償基金が、
 2000年7月に連邦議会で可決されました。
 2004年3月末までに170万人の資格保持者のうち150万人が
 補償の最初の給付金を受け取りました。


 ドイツの戦後補償の特徴

 ドイツ戦後補償の経緯の特徴を挙げますと、

 @ 特殊な「ナチ不正」概念を基礎とし、
   「ナチ不正」以外の「戦争犯罪」と「人道に対する罪」の被害者への補償を排除したこと。

 A 外国からの圧力によって補償が開始され展開したこと。
   この外圧に対応して補償のユダヤ人・非ユダヤ人の差別化、東西差別化が行われてきました。

 B 1990年代末にはアメリカがこの問題で再登場したこと。

 C ドイツ国内では、補償問題に関わってきた90年連合・緑の党と社会民主党の
   革新連立政権の成立したこと、

 があげられます。

 

 B をもっとちゃんと書け!

 強制労働補償基金は、ドイツ政府が過去の過ちを真摯に反省して賠償に応じた物ではありません。

   wikipedia「ドイツの歴史認識」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/ドイツの歴史認識 - 戦争犯罪の補償
   《前略》
   >
   > 1998年アメリカで「強制労働」被害者から補償の訴えが起こされた。
   > 裁判そのものは時効であったが、強制労働に携わったとして
   > いくつものドイツ企業が訴えられることとなり、製品不買運動にまで発展したことから、
   > 訴えられたドイツ企業団は、ナチスの強制労働政策に参加してしまったことによる
   > 「歴史的責任」を、連邦議会は「政治的道義的責任」を認め、
   > 2000年ナチスによる「強制労働」の被害者への補償のために
   > 「記憶・責任・未来」基金の設置がドイツ連邦議会で可決された。
   > この基金は総額100億マルクにのぼる膨大なもので、
   > ドイツ企業団と国が折半して拠出している。
   > この基金に参加することで、ドイツ企業は
   > アメリカから、ナチスの犯罪に関わっていないという
   > 「法的安定性」の保証を見返りとして獲得し、アメリカで経済活動の自由を得た。

 ドイツ企業がアメリカで商売をするために払った“免罪符”代です。



 戦後補償の日独の差異は1990年代半ば以降顕在化しましたが、
 過去を想起する日独の姿勢の違いは、1960年代後半以降から1980年代前半までの時期に
 おける日独の異なった歩みに根源を見出すことができます。
 一つは、学問・教育レベルでの批判的歴史学の成立と展開、医学界や司法界などでの
 過去への批判的まなざしの醸成。
 もう一つは、法的責任を追及した被害者の運動体が強制労働補償基金成立交渉の一主体として
 位置づけられたことです。
 ここに日本の「アジア女性基金」(国民基金)との基本的な違いがあります。

 

 どれだけレベルが低かろうが一応は歴史の専門家だろうに。

 google検索で0.24秒で出てくる情報すら知らないとは言わせないぞ。

 

   OKweb「ドイツによるホロコーストに対する個人補償は
        世界的にはどのように評価されているのでしょうか?」
   http://okwave.jp/qa/q4047705.html

   回答No.2 Yelm
   > > 個人補償は世界からはどのように評価されているのでしょうか
   >
   > ドイツの「個人補償」に対する誤解がおありのようですが、
   > ドイツ政府・司法は一貫して「戦争被害の補償請求は自国政府に対してのみ行える」という
   > 立場をとっており、21世紀に入ってからの旧ユーゴにおける誤爆訴訟などでも
   > この立場は再確認されています。
   > つまり第二次大戦の戦争被害に関する補償は原則的にドイツ人、ないし当時は
   > ドイツ人だった人々の為に行われたものです。
   > またイスラエルに対してもルクセンブルク協定で
   > 「 故郷や資産を失ったユダヤ人難民・犠牲者をイスラエル、
   >  ないしは新たな祖国に受け入れさせていくための編入費用 」
   > を援助するとなっており補償や賠償ではありません。
   >
   > 「戦後のタブーを清算するドイツ」(亜紀書房)によるとドイツの戦後処理は
   >
   > ・ ドイツ国民の戦争被害に対する補償(約28兆円)
   >
   > ・ ホロコーストなどナチスの迫害に対する補償(約7兆円)(大部分はドイツ人)
   >
   > ・ 他国の戦争被害に対する補償(手つかず)
   >  ( ソ連に対しては東ドイツが占領地からの略奪を「賠償」という形で追認しています )
   >
   > と言うもので、要するに侵略して焼け野原にした相手国の戦争被害については
   > 手つかずに近いままなのです。
   > このため2004年にはポーランド議会がドイツに対し「戦争被害賠償請求決議」を行いましたし、
   > チェコ政府も未だ補償を請求しています。
   > また講和条約が結ばれていないため、日本ではとっくに解決済みの請求権問題が
   > 法的にちゅうぶらりんの状態で、このためドイツ側からポーランドやチェコに対し
   > 接収された財産返還・補償請求を行う動きがあり、2006年にドイツ人が欧州人権裁判所に
   > 提訴したことをきっかけにドイツ・ポーランド関係は一時期「戦後最悪」と言われるほど
   > 険悪になりました。
   >
   > 現実問題としてドイツにしろ、ポーランドにしろこれらの補償請求に応える可能性は
   > 限りなくゼロに近く、60年以上を経ながらにしてただ不毛な対立を招いているだけに
   > 過ぎません。
   > 講和条約を結ばず国家単位で解決しなかったツケが未だに残っていると言えるでしょう。
   >
   > 投稿日時 - 2008-05-25 21:59:22

 日韓関係は『日韓基本条約』によって戦争責任と補償を明確にしました。

 ですから、『財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間 の協定』に於いて、

   wikipedia「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約
                    - 4.1 財産及び請求権に関する問題の解決並び ・・・
   > ・ 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに
   >  両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日に
   >  サン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを
   >  含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する(個別請求権の問題解決)。
   >
   > ・ 一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益において、
   >  一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対する
   >  すべての請求権であって1945年8月15日以前に生じた事由に基づくものに関しては、
   >  いかなる主張もすることができないものとする(相手国家に対する個別請求権の放棄)。

 と「最終的かつ完全に完了」していることが明文化されています。

 特に従軍慰安婦問題に関しては、時の韓国政府が慰安婦問題を掌握していればこそ、朝鮮戦争に 於いて『韓国軍慰安婦』を設置して運営していたという実績があります。
 したがって、「 日韓基本条約の締結時点では、従軍慰安婦問題が分かっていなかった 」 という詭弁 は通用しません。

 日本の「アジア女性基金」(国民基金)がドイツの強制労働補償基金と根本的に違うのは、日韓の場 合は『日韓基本条約』によって縛られているために、条約違反となるような形での“賠償金おかわり”が 許されなかったからです。

 「 学問・教育レベルでの批判的歴史学の成立と展開 」 だの 「 医学界や司法界などでの過去への批 判的まなざしの醸成 」 だの 「法的責任を追及した被害者の運動体 」 だのはドイツのお家事情に過ぎ ません。 そういうのが無いから、日本が「アジア女性基金」(国民基金)に逃げたワケでは無いので す。

 サヨクの巧妙な誘導に惑わされないようにチュウイしましょう。



 日本がドイツの「過去の克服」を乗り越える可能性


   [ 画像:書映4 歴史と責任 省略 (引用元アドレスをご参照ください)


 しかしドイツでは、戦時捕虜は強制労働補償基金の対象にならず、
 戦時「性的強制」(収容所で女性たちが性的な相手をさせられたこと)は問題にもされていません。
 強制労働も「ナチ不正」の一つとみなされてはじめて戦後補償の対象となりました。
 それゆえ、強制連行・強制労働、「従軍慰安婦」など日本の過去を克服するには、
 ドイツの戦後補償の論理、とりわけ「ナチ不正」概念を克服することが急務となります。
 こうした一連の日本の過去の問題は、ドイツの戦後補償の論理では排除されるからです。
 しかしこの克服作業は2000年に「女性国際戦犯法廷」が開始しています。
 これは、「過去の克服」の先進国とされているドイツを乗り越える可能をもつものと考えられます。

 

 『財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定』 に於いて、

   wikipedia「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約
                    - 4.1 財産及び請求権に関する問題の解決並び ・・・
   > ・ 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに
   >  両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日に
   >  サン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを
   >  含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する(個別請求権の問題解決)。
   >
   > ・ 一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益において、
   >  一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対する
   >  すべての請求権であって1945年8月15日以前に生じた事由に基づくものに関しては、
   >  いかなる主張もすることができないものとする(相手国家に対する個別請求権の放棄)。

 と「最終的かつ完全に完了」していることが明文化されています。
 したがって、日韓基本条約が存在する以上、賠償金のお代わりは国際法的に許されません。

 ということは、『財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国と の間の協定』で総額11億ドルもの大金 ( と労役 ) に内包されている従軍慰安婦への賠償金は韓国政 府から貰うしかありません。

 どうしても日本から貰おうとするのであれば、それは『アジア女性基金』のような形 ― 民間の任意団 体の善意と云う形 ― を装うしかありません。

 しかし、『アジア女性基金』は韓国政府と韓国の団体が潰してしまいました。

   wikipedia「慰安婦 ― 8.慰安婦問題 ― 8.7 アジア女性基金と韓国政府による受領拒否」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/慰安婦 8.7 アジア女性基金と韓国政府による受領拒否
   > しかし、韓国では日本政府に対し
   > 「法的責任を認め、国家補償を行なえ」
   > と主張する運動が強く、アジア女性基金を受け取ろうとする元慰安婦に対して、
   > 受け取るべきでないと圧力が加えられた。
   > 韓国政府や運動団体は
   > 「基金を受け取らないと誓約すれば300万円・200万円を支給する」
   > と表明し、韓国では半数以上の元慰安婦が受け取りを拒否した。

 韓国政府と運動団体が金の力で捻じ伏せて『アジア女性基金』を妨害しました。

 しかも

   wikipedia「慰安婦 ― 10.6 「慰安婦問題」の政治的な背景
         ― 10.6.4 償い金受給に対する韓国運動団体による反発」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/慰安婦 10.6.4 償い金受給に対する韓国運動団体による反発
   > 1997年5月28日、同市民連帯は目標の約30億ウォン(約4億円)には及ばなかったが、
   > 日本の市民運動から9731万ウォン(約1500万円)、全体で5億5000万ウォンの募金が
   > 集まったとして、必要経費を除き、一人当たり約350万ウォン(約46万6000円)を
   > 元慰安婦151人に配布すると発表した[813]。
   > しかし、
   > 「日本からの一時金200万円と医療福祉事業としての300万円の計500万円を受け取った
   > 7人の元「慰安婦」に対しては配布しない」
   > とした[813]。
   > さらに、他の運動関係者らが償い金を受け取った7人の慰安婦に対して
   > 「いくら受け取った?」「通帳を見せろ!」
   > と脅迫したり、
   > 「日本からの汚れた金を受け取れば、本当の娼婦になる。 7人は娼婦だ!」
   > と中傷したり、韓国政府の生活援助金を7人に対し打ち切るように働きかけた[814][813]。

 『アジア女性基金』を受け取った7人に対して、韓国政府と運動団体が嫌がらせと誹謗中傷の圧力を 掛けて他の自称従軍慰安婦を牽制しました。

 和解する気のある自称被害者に嫌がらせまでして、日本は賠償していないことにしたかったのです。 

 こんな風に、善意に後ろ足で砂を掛けるような真似をしておいて、今更持ち上げようってどういう神経 してるんだ?

 まぁ、言ってるのが韓国人じゃなくて日本のサヨクだから
 ↓コイツ↓の おかわり が欲しいだけなんだろうけど。

   2011年10月12日 せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』
   新たな「慰安婦基金」創出の愚策
   http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52782370.html

   > 前原誠司に告ぐ!
   >
   > 新たなアジア女性基金創設の前にこの事を明らかにせよ!

   せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:村山亡国政権・慰安婦基金問題
   http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/51656940.html

   > この問題の核心は歴史の捏造と賠償問題だけではありません。
   > この時に取り上げたのが、自社さきがけ亡国村山政権時代に設立された
   > 『財団法人・女性のためのアジア平和国民基金』なるものでした。
   >
   > 女性のためのアジア平和国民基金とは、
   > 旧日本軍による慰安婦強制連行を日本政府として認めた「河野談話」、
   > そして第二次世界大戦において日本がアジアの国々を侵略したことを
   > 日本政府として謝罪した「村山談話」を根拠として設立され、
   > 元慰安婦と称する各国の女性らに国費を使った多額の保証金を拠出したものでした。
   >
   > 日本人元慰安婦以外の外国の慰安婦と称する人たち285人に対して、
   > 何の裏付けも取らず、何の検証もせずに、
   > その時々のわが国首相のお詫びの手紙まで添えて、
   > 約5億6,500万円を支払ったのみならず、何と、それらのお金を支払う為の組織として
   > 村山富市が代表となってつくった本裁判の被控訴人たる
   > 所謂「アジア女性基金」を維持・運営する為に、
   > 約50億円もの国費(国民の血税)を濫用した。
   >
   > この50億円からの国民の血税が、
   > この慰安婦問題を取り上げてきた反日左翼団体に流れ費消されたのです。
   > つまりは反日左翼の資金に使われたというわけです。
   >
   > どこにどのように巨額なカネが流れて消えたのか?
   > その徹底調査こそやらねばならないことなのです。
   > 国民に増税を強いながらまたもや使途不明金を生み出すことなど
   > 絶対に許されることではありません。
   >
   >
   > 当時、下記のようなコメントも頂いておりました。
   >
   > 2008/12/02 (火) 【アジア女性基金】の使途不明金31億はいずこへ
   > 山椒小粒氏より
   > http://www.kamimoto-mieko.net/doc/gijiroku/2005/04_25_kessan.pdf
   >
   > 随分古い話で恐縮ですが、
   > 上記pdfで【アジア女性基金】の使途不明金が31億以上に上る指摘がされています。
   > (今読んで面白いのは神本美恵子氏が突ついている点)
   >
   > 償い金総額7億2800万。 政府から基金へは合計41億。
   > では残りの30億はどこへやら??
   >
   > 「アジア女性基金」1995年に設立。
   > これまで364人の元私娼婦の女性に対し、
   > 基金から1人あたり200万円の「償い金」と
   > 時の「総理大臣の手紙」を送付。
   >
   > この基金は有耶無耶のまま(収支報告は検索では出てこない)2007年3月末日をもって
   > 解散。
   >
   > Posted by kuroneko at 2008年12月02日 19:17
   >
   >
   > 戦地売春でしかない朝鮮人慰安婦を人道上の問題として捉える人がいますが、
   > この裏には国民の血税を自分たちの運動の為に利用した、このような反日左翼の
   > 汚い実態があることも我々は忘れてはならないと思います。

 なにもかもがバレているのに、よくやるよ。





 <参考文献>

 ・ 粟屋憲太郎他『戦争責任・戦後責任―日本とドイツはどう違うか』朝日新聞社、1994年

 ・ 石田勇治『過去の克服―ヒトラー後のドイツ』白水社、2002年

 ・ 倉沢愛子ほか編集『20世紀の中のアジア・太平洋戦争(岩波講座アジア・太平洋戦争8)』
  岩波書店、2006年

 ・ 佐藤健生・N.フライ編『過ぎ去らぬ過去との取り組み―日本とドイツ』岩波書店、2011年

 ・ ペーター・ライヒェル『ドイツ 過去の克服』小川保博・芝野由和訳、八朔社、2006年

 ・ ベンジャミン・B・フェレンツ(住岡良明・凱風社編集部訳)『奴隷以下―ドイツ企業の戦後責任』
  凱風社、1993年

 ・ 松村高夫・矢野久編『裁判と歴史学―七三一部隊を法廷からみる』現代書館、2007年

 ・ 望田幸男編『近代日本とドイツ―比較と関係の歴史学』ミネルヴァ書房、2007年

 ・ 矢野久「ドイツの過去の責任」金富子・中野敏男編『歴史と責任−「慰安婦」問題と1990年代』
  青弓社、2008年

 ・ R.v.ヴァイツゼッカー(山本務訳)『過去の克服・二つの戦後』NHKブックス、1994年

 ・ R.v.ヴァイツゼッカー(永井清彦訳)『荒れ野の40年』岩波ブックレット、1986年、2009年(新判)


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