サヨクの単発妄言をブッタ斬る! 《跡地》

日本は南方地域から内地(日本国内)へ向けて送金することを禁じていた。
したがって文玉珠が5,000円を送金できたというのは出鱈目だ。

 とあるまとめサイトのコメント欄に

   > 143. 名前 名無しさん@まとめたニュース 2014年10月05日 22:38 ID:hYJB.U6T0
   > ※140
   > 南方経済処理に関する件 昭和十七年一月二十日 閣議決定
   > 占領地と本邦間の資金移動を禁止 大阪朝日新聞 1942.1.23
   > 中外商業新報 1942.4.18の記事
   > 等などに明示されています。意図としては現地でのインフレの影響を
   > 日本円に与えたくなかったのでは?

   > 172. 名前 名無しさん@まとめたニュース 2014年10月06日 00:36 ID:SINeO.PG0
   > ※165、166、167
   > 彼女がビルマに行ったのが1942年です。
   > だから何度も説明しているように、南方開発金庫設立当初から
   > 換金も送金も制限されていました

 とありましたので、キーワード「南方開発金庫」でググってみたところ、こんなのが。

   facebook 泥 憲和
   【従軍慰安婦の真実】10
   慰安婦の働き方と報酬額C 文玉珠(ムン オクス)さんの貯金通帳【写真】
   https://www.facebook.com/norikadzu.doro/posts/345906078893563
   > 慰安婦は高給取りだったとのデマが右派から流されていて、
   > その証拠として元慰安婦の文玉珠(ムン オクス)さんの貯金通帳が引き合いにだされます。
   >
   > 元慰安婦の文さんが戦時中に軍事郵便貯金として26,145円を貯めていた通帳の原簿が
   > 日本に残っていたのです。
   > 小野田少尉の話では、当時の大卒初任給が40円だったというので、
   > その54年分にあたるそうです。
   > そこで、「そんなに稼いでおきながら、何が性奴隷だ」 という意見になります。
   > だけど、その意見は間違っているのです。
   >
   >
   > ◇ 軍事郵便貯金の正体
   >
   > まず 「軍事郵便貯金」 というのが何かの説明をしておきましょう。
   > これは郵便貯金と名がついていても、郵便局の貯金ではありません。
   > 軍事郵便局というのは軍の機関です。
   > 預ける通貨は軍票でした。
   > 文さんのいたビルマではルピーの軍票が発行されていました。(写真)
   >
   > 1ルピーは1円と数えました。
   > しかし本当の円ではなく、ルピーを円に替えることは禁じられていました。
   >
   >
   > ◇ 軍事郵便貯金は日本円に替えられなかった
   >
   > 軍事郵便貯金が交換できたのは軍人・軍属だけで、それも現地で交換できたのではなく
   > 内地への電信送金に限られていました。
   > 金額も月額100円まででした。 つまり生活費相当です。
   > 民間人の交換は禁じられていました。
   > なぜなら、軍人・軍属の給料は戦時予算で手当されていたので、
   > 円の裏付けがあったけれど、日本軍が物資を調達するために大量発行した軍票には、
   > 円の裏付けがなかったからです。
   > 円の裏付けのない軍票を大量発行したので、現地はインフレになりました。
   > このインフレが日本国内に波及しないように、政府は軍票と円の交換を禁じていたのです。
   >
   >  資料1「南方経済処理ニ関スル件」】
   >  昭和17年1月20日 閣議決定
   >  https://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00374.php
   >
   >  資料2 大阪毎日新聞「南方へ邦貨携帯 現地軍で厳重に処罰」1942.7.16(昭和17)
   >  http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00841450&TYPE=・・・
   >
   > 現地がどれほどインフレで苦しもうと、日本だけは安泰という
   > 身勝手なシステムを作っていたわけです。
   > この操作には横浜正金銀行が使われました。

 なるほど。

 この情報を以て、

   南方開発金庫設立当初から換金も送金も制限されていた。
   だから、文玉珠が5,000円を送金できたというのは出鱈目だ。

 と主張している様子です。

 しかし、コレが事実なら自他共に認める専門家軍団が総力を挙げて作り上げたwebサイト『Fight for  Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』 に何で載っていないの?と疑問に思うワケ ですよ。

 『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』に載っているのは、

   6 ビルマで貯金したお金は?

   占領地での通貨は、当初、円と等価とされていましたが、
   東南アジアなどインフレが進んだ地域のお金を等価で円に換えると
   為替差益で大もうけしてしまうので、それを規制するために、1945年2月に外資金庫を設立、
   東南アジアのインフレが日本国内に波及しないための措置がとられていました。
   つまりビルマで貯金をして、額面では多額になったとしても、日本円には交換できなかったし、
   しかも日本が負けると、軍票も南発券もただの紙切れになってしまいました。

 だけ。

 1945年2月に外資金庫を設立されて初めて送金が禁止されたとしか読めません。

 もし、1942の南方開発金庫設立当初から換金も送金も制限されていたことが事実なら、文玉珠が5, 000円を送金できたというのが出鱈目になってしまうのみならず、この情報に対しても齟齬が生じてしま います。

 ( blog - 旧日本軍が組織的に慰安所を管理 韓国で新資料公開(20130808) を斬る より )

 − − コピペ此処から − − − − − − − − − − − − − − − − − − − − − − − −

   葦書房 「従軍慰安所日記」関連報道記事 + 陸海軍人給与一覧
   http://www1.ocn.ne.jp/~ashi/iansyo-nikki.htm
   > 慰安所従業員:日記発見 慰安婦の日常、淡々と 募集の時期は欠落
   >
   >毎日新聞 2013年08月07日 東京朝刊
   >
   > 【ソウル澤田克己】
   > ビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で働き、日記を残した朝鮮人男性は、
   > 1942年夏から44年末までの東南アジア滞在中に慰安所3カ所の帳場で働いた。
   > 日記には、慰安婦の管理や、軍や役所との折衝といった日常生活が淡々とつづられている。
   >
   > 慰安所が旧日本軍の管理下にあったことは、軍の文書でも確認されている。
   > 日記にも
   > 「 慰安婦を連れて連隊本部とその他3、4カ所に新年のあいさつに行ってきた 」(43年1月1日)
   > や、連隊本部などから定期的に避妊具を受け取ったりしたという記述が、頻繁に見られる。
   >
   > 軍から移転命令があり
   > 「慰安婦一同は絶対反対」 (同3月10日)
   > したが、結局は
   > 「 司令部命令に勝てず移すことになった」(同14日)
   > などの記述から、軍との密接な関係をうかがわせる。
   >
   > 日記の著者は、ビルマ西部の要衝アキャブ(現シットウェ)からラングーン(現ヤンゴン)へ
   > 移った。
   > その際、軍から宿舎の提供を受け
   > 「 火村小隊の車に火村小隊長少尉らと7人で乗って 」(同年1月21日)
   > もいる。
   >
   > 日記を発見した安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授は
   > 「 軍属に準じる扱いを受けていたようだ 」
   > と話す。
   >
   > 日記からは、前線であるビルマと後方地域のシンガポールとの違いもうかがえる。
   > シンガポールでの日記には、慰安婦の「廃業」や「帰国」に関する記述が多く出てくるが、
   > ビルマではそうした記述は見られない。
   >
   > 著者はシンガポール在住時の44年10月25日、元慰安婦が結婚したので
   > 「 知己の人を呼んで祝賀の酒を飲むと誘われた 」
   > という。
   >
   > ビルマでは既に日本軍が敗走を重ねていた時期で、連合軍の尋問調書などによると、
   > 多くの慰安婦が巻き添えで犠牲になっていた。
   >
   > 一方、日本軍は、定期的に慰安婦を検診し、性病にかかった場合は入院させた。
   > 日記にも
   > 「 検査不合格者が6人も入院した 」(44年5月12日)
   > などという記述が多く見られる。
   > 「 妊娠7カ月なので、休業届を提出した 」(同7月4日)
   > というケースや、慰安婦の出産(同9月5日)もあった。
   >
   > 日記には、朝鮮における慰安婦募集に関する記述はない。
   > 日韓両国では朝鮮半島で慰安婦を集めるときに強制連行があったかどうかに
   > 強い関心が持たれているだけに、安名誉教授は
   > 「 この時期の日記が欠落しているのは残念だ 」
   > と話す。
   >
   > ただ、米外交問題評議会のジェイムス・リンゼイ上級副会長は毎日新聞に対し、
   > 米国で慰安婦問題への批判が強い理由について
   > 「 女性への性暴力が大きな政治的関心を呼ぶようになった世界的な流れが背景にある 」
   > と指摘。
   > 強制連行の有無は大きな論点ではなく、慰安婦という制度そのものへの向き合い方が
   > 問題視されているとの認識を示した。
   >
   > ==============
   >
   > ◆ 慰安所従業員の日記 抜粋
   >
   > ◇ 1943年
   >
   > 1月 1日 ビルマ国アキャブ市(現シットウェ)の慰安所、勘八倶楽部(くらぶ)で起きて、
   >       宮城(皇居)に向かって遥拝(ようはい)した。
   >       家内の弟と○桓君は、
   >       < 慰安婦を連れて連隊本部とその他3、4カ所に新年のあいさつに行ってきた>
   >
   > 1月 2日 昨日は元日で休業し、今日から慰安業を始める。
   >
   > 1月 9日 今日の検査の結果、病気だった○千代と○子の2人が不合格で、
   >       その他16人はみんな合格だった。
   >
   > 1月12日 連隊本部へ行き、慰安婦の収入報告書を提出した。
   >
   > 1月13日 連隊本部医務室から衛生サック(コンドーム)1000個を持ってきた。
   >
   > 1月16日 午後6時ごろ連隊本部事務室で、数日前に頼んだラングーン(現ヤンゴン)への
   >       出張証明書をもらった。
   >
   > 1月18日 同行の友となった中村上等兵と兵站(へいたん)へ行って朝飯を食べ、
   >       某少尉の案内で彼の部隊へ行って寝食をすることにする。
   >       某少尉も同行してラングーンまで行くという。
   >
   > 1月21日 ビルマ国タンガップの<火村小隊の車に火村小隊長少尉らと7人で乗って、
   >       午前11時にタンガップを出発した。>
   >
   > 1月25日 横浜正金銀行ラングーン支店で3万2,000円を貯金した。
   >
   > 1月29日 朝鮮から一緒に来た野沢氏に会った。
   >       マンダレーの方で慰安所をしていたが、今は、部隊の移動に従って
   >       プロメーに移り、営業しているという。
   >
   > 3月10日 <55師団から、マンダレーに近いイェウーに移転しろという命令が
   >       (ビルマ国ペグー市の)金川氏の慰安所にあった。
   >       慰安婦一同は絶対反対ということだった。>
   >
   > 3月14日 <金川氏は司令部命令に勝てず、慰安所をイェウーへ移すことになった。>
   >
   > 3月16日 金川氏は、師団連絡所からイェウー方面への移動を
   >       当分の間、中止すると言われた。
   >
   > 4月 5日 桜倶楽部の慰安婦、○子は腹部がとても痛み、午後、開腹手術をするのだという。
   >       ○子は昨年、マンダレーにいた時も盲腸炎で手術をした。
   >
   > 6月 2日 (ラングーン市外)インセインの宿舎で起き、村山氏宅で朝飯を食べた。
   >       正金銀行に行って、村山氏の慰安所の慰安婦2人の貯金をした。
   >
   > 6月20日 光山氏は、今回の慰安婦再編で、夫人を連れて帰国するそうだ。
   >
   > 6月25日 大石氏も今般、慰安婦募集のため帰国するという。
   >
   > 7月10日 <昨年の今日、釜山埠頭(ふとう)で乗船し、南方行きの第一歩を踏み出した日だ。
   >       もう1年になった。>
   >
   > 7月16日 村山氏の慰安所の慰安婦だった○子は妊娠7カ月で、胎動異常があり、
   >       今日、鈴木病院に入院したが流産だった。
   >
   > 7月17日 昨日、鈴木病院に入院した○子は流産後の経過が良好で、
   >       今日、車で帰ってきた。
   >
   > 7月19日 <インセインにいる高部隊すなわち航空隊所属の慰安所2カ所が、
   >       兵站管理に委譲された。>
   >
   > 7月20日 村山氏経営の慰安所、一富士楼が兵站管理となり、村山氏と新井氏は
   >       兵站司令部に行ってきた。
   >
   > 7月26日 インセインの慰安所2カ所が兵站管理になった後、慰安婦の検査も
   >       兵站の軍医がすることになった。
   >
   > 7月29日 <村山氏の慰安所の慰安婦だったが、夫婦生活をするために
   >       (慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として
   >       金泉館に戻ることになったという。>
   >
   > 7月30日 村山氏は8月中に帰郷する考えなのだが、
   >       もち屋と慰安所を私に引き受けろという。 承諾した。
   >
   > 8月 8日 金川氏も慰安所を他人に譲渡して帰国するという。
   >
   > 8月10日 ラングーンの翠香園で慰安所組合会議に出席した。
   >       組合費として経営者は30円、慰安婦は1人2円で計62円を払った。
   >
   > 8月11日 近日は慰安所に来る客が少なく収入もとても減少した。
   >
   > 8月12日 兵站司令部に行って営業日報を提出し、サック400個を受け取った。
   >
   > 8月13日 <鉄道部隊で映画があるといって、慰安婦たちが見物に行ってきた。>
   >
   > 8月19日 兵站司令部で、サックを600個受け取った。
   >
   > 8月24日 村山氏が、一富士楼慰安所を9月まで自分が経営して
   >       10月初めに引き渡すというので、それではだめだと言った。
   >
   > 8月26日 兵站司令部で5日間の日報を提出し、サック800個を受け取った。
   >
   > 9月 9日 ペグーの金川氏も今日、慰安所を他人に譲渡する契約を締結した。
   >
   > (この後、筆者はシンガポールへ移動する)
   >
   > 12月 3日 ラングーンで慰安所を経営していた金田氏は
   >       去る7月初めに慰安婦を募集するため朝鮮に行った。
   >       そして今回、慰安婦25人を連れてビルマへ行く途中でシンガポールに到着した。
   >
   >
   > ◇ 1944年
   >
   > 2月 1日 今日出発する帰国慰安婦5人を送り出した。
   >
   > 3月 3日 慰安婦、○子とお○が廃業した。
   >
   > 3月31日 慰安婦、真○を連れて特別市保安課旅行証明係に行き、
   >       内地帰還旅行証明願を提出させた。
   >
   > 4月 5日 帰郷する慰安婦、お○と○子は明日の乗船券を買った。
   >       共栄倶楽部の慰安婦、尹○重(○子)も明日出発だ。
   >
   > 4月 6日 <生鮮組合に行ったところ一昨年に慰安隊が釜山から出発した時、
   >       第4次慰安団の団長として来た津村氏が働いていた。
   >       お○と○子、共栄倶楽部の○子を見送ってきた。>
   >
   > 4月12日 特別市支部へ行って、金川○玉と島田○玉の2人についての
   >       内地帰還旅行証明書を受け取った。
   >
   > 4月13日 特別市警務課に行き、真○の内地帰還についての移動届を提出した。
   >       南方運航会社に行って、真○、島田○玉の2人の乗船を申し込んだ。
   >
   > 4月14日 西原君と横浜正金銀行の支店に行き、
   >       今般帰郷した李○玉と郭○順への送金をした。
   >
   > 4月15日 慰安婦募集のため朝鮮に帰った大洋倶楽部の主人は
   >       来る7月に京城(現ソウル)から出発する予定だと西原君に電報が来た。
   >
   > 4月18日 スマトラ・パレンバンからシンガポールに来て、
   >       菊水倶楽部が慰安婦として抱え入れることになった金○順の就業許可のため
   >       特別市警務部保安課に行ってきた。
   >
   > 4月30日 今日も軍人の外出が多く、昨日の最高収入をはるかに超過し、
   >       2,590円余りの最高記録だった。
   >
   > 5月 9日 金○順と崔○玉の稼業婦としての就業が許可された。
   >
   > 5月12日 <今日、検査不合格者が6人も入院した。>
   >
   > 5月26日 昨年9月ごろ、菊水倶楽部からティモール島方面へ行った李○梅という女が
   >       今日、シンガポールに帰ってきたと訪ねてきた。
   >
   > 5月31日 正金銀行に行き、金川○玉の送金許可申請を提出した。
   >
   > 5月 1日 中央電信局に行って、金本○愛と李○梅の2人に頼まれた電報を出した。
   >
   > 6月 2日 今日の検査で2人が不合格となって入院したので、
   >       今までの入院者まで入れて計5人が入院中だ。
   >
   > 6月 5日 金川○玉と島田○玉の2人は、今朝8時に出発した。
   >
   > 6月 9日 今日の検査結果は、入院中の2人が退院し、2人はそのまま入院。
   >       店にいた女たちは全員合格した。
   >       今月から女子はたばこ配給がないのだが、稼業婦に対しては接待用として
   >       特別に毎日10本の配給がある。
   >
   > 6月13日 4月に帰還した郭○順にすぐ送金したのだが、まだ受け取れていないと
   >       2回も電報が来た。
   >
   > 6月17日 新しく入った宋○玉のことで特別市保安課営業係、坂口氏のところに行ってきた。
   >       稼業婦特配米を受け取った。
   >
   > 6月23日 帰郷した金川○玉から到着したから送金しろという電報が来た。
   >
   > 7月 4日 <慰安稼業婦、許○祥(○江)は妊娠7カ月なので、休業届を提出した。>
   >
   > 7月27日 正金銀行に行って、慰安婦の貯金をした。
   >
   > 8月31日 今年4月初めに帰郷した共栄倶楽部の稼業婦、尹○重から無事帰還したという
   >       はがきが届いた。
   >
   > 9月 5日 <倶楽部の稼業婦、許○祥(○江)は妊娠中だったのだが、
   >       中央病院に今夜入院し、23時半ごろ男児を無事に出産した。>
   >
   > 9月 6日 保安課営業係に金○愛の廃業同意書を提出し、証明を受け取った。
   >
   > 9月28日 正金銀行に行って、稼業婦の貯金をし、南方運航会社に行って
   >       金○先と金○愛の2人の内地便船の申し込みをした。
   >
   > 10月14日 病弱のため帰郷を決心した。
   >
   > 10月25日 スマトラのパレンバンから
   >       シンガポールに来た宮本と<第一白牡丹で前は慰安婦をしていた今の仲居が
   >       今般結婚した。
   >       今夜、両国食堂で知己の人を呼んで祝賀の酒を飲むと誘われたので行った。>
   >
   > 10月26日 今般帰郷する金○愛の送金許可申請書を提出した。
   >
   > 10月27日 <慰安婦、金○先に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して、
   >       中央郵便局から送った。>
   >
   > 11月 9日 横浜正金銀行シンガポール支店に行って、慰安婦の貯金をした。
   >
   > 11月15日 稼業婦、金○愛は今日、内地に帰還する船に乗った。
   >
   > 11月16日 特別市保安課営業係に行き、帰国した金○愛の酌婦認可書を納付した。
   >
   > 11月22日 仲居、李○鳳と稼業婦、金○守の2人の旅行証明をもらってきた。
   >       南方運航会社で2人の乗船申し込みをした。
   >
   > 11月24日 正金銀行に金○守の送金許可を申請し、中央郵便局で李○鳳の送金をした。
   >
   > 12月 4日 正金銀行に行き、送金許可された金○守の1万1,000円を送金してあげた。
   >
   > 12月16日 横浜正金銀行に行き、許可された3万9,000円を送金し、
   >       検疫所に行って検疫証明書をもらった。
   >       13時ごろ稼業婦のみんなと別れのあいさつをして停泊場に行き、
   >       手荷物検査を終えて17時ごろ乗船した。
   >
   > (注) 日記は、慰安婦のことを「稼業婦」「酌婦」などとも記している。
   >     慰安婦らの名前の一部を伏せ字とした。
   >     「横浜正金銀行」 は、1880年開業の外国為替取扱銀行。
   >     日記では単に「正金銀行」とも書かれている。
   >     東京銀行の前身で、現在は三菱東京UFJ銀行となっている。
   >     <>は記事と関連する部分。

   《中略》

 ↓お金を受け取れずに毎日朝から晩まで輪姦され続けた性奴隷なのに貯金&送金↓

    6月 2日 (ラングーン市外)インセインの宿舎で起き、村山氏宅で朝飯を食べた。
          正金銀行に行って、村山氏の慰安所の慰安婦2人の貯金をした。

    4月14日 西原君と横浜正金銀行の支店に行き、
          今般帰郷した李○玉と郭○順への送金をした。

    5月31日 正金銀行に行き、金川○玉の送金許可申請を提出した。

    6月13日 4月に帰還した郭○順にすぐ送金したのだが、まだ受け取れていないと
          2回も電報が来た。

    6月23日 帰郷した金川○玉から到着したから送金しろという電報が来た。

    7月27日 正金銀行に行って、慰安婦の貯金をした。

   10月26日 今般帰郷する金○愛の送金許可申請書を提出した。

   10月27日 <慰安婦、金○先に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して、
          中央郵便局から送った。>

   11月 9日 横浜正金銀行シンガポール支店に行って、慰安婦の貯金をした。

   11月24日 正金銀行に金○守の送金許可を申請し、中央郵便局で李○鳳の送金をした。

   12月 4日 正金銀行に行き、送金許可された金○守の1万1,000円を送金してあげた。

 − − − − − − − − − − − − − − − − − − − − − − − − コピペ此処まで − −
 
 まさに

   > この操作には横浜正金銀行が使われました。

 の正金銀行から1万1,000円 ( 2,000倍で今の価値に換算できるとして、今の2千2百万円 ) が送金さ れています。

 オカシイですね。

 どうして齟齬が出るのか?と推理して、

       |
   \  __  /
   _ (m) _ピコーン
      |ミ|
   /  .`´
     ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄
    (・∀・∩< 閃いた!
    (つ  丿 \____
    ⊂_ ノ
      (_)

 いや、閃いたんじゃなくて、

   facebook 泥 憲和
   【従軍慰安婦の真実】10
   慰安婦の働き方と報酬額C 文玉珠(ムン オクス)さんの貯金通帳【写真】
   https://www.facebook.com/norikadzu.doro/posts/345906078893563

 の引用記事

   >  資料2 大阪毎日新聞「南方へ邦貨携帯 現地軍で厳重に処罰」1942.7.16(昭和17)
   >  http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00841450&TYPE=・・・

 を読んだ「だけ」なんですけどね。

   > 新聞記事文庫 通貨問題(1-056)
   > 大阪毎日新聞 1942.7.16(昭和17)
   > 南方へ邦貨携帯
   >
   > 現地軍で厳重に処罰
   >
   > 南方建設の逞しき進展とともに最近南方諸地域への渡航者が漸次増加を示しているが
   > これらの渡航者の中には邦貨をそのまま携帯して現地で使用するため
   > 現地の通貨工作に重大な支障を来しつつある現状にかんがみ、今回現地軍では
   > 邦貨使用者を発見次第厳重に処罰するとともに携帯邦貨を没収することに決定した、
   > もともと邦貨の海外携帯は為替管理法で原則として禁止され、違反者は処罰されることに
   > なっていたものである
   > 今後南方占領地域に渡航するものはかならず内地の港湾あるいは飛行場出発に際し
   > その地の日本銀行 (代理店および軍票引換所を含む) で現金を所要の軍票と交換することが
   > 必要である、
   > なお携行が許される金額は千円までで、二百円までは大蔵大臣の許可を要しないが
   > 二百円を超過する金額は大蔵大臣の携帯許可書がなければ交換しない
   >
   > データ作成:2007.3 神戸大学附属図書館

   > 邦貨使用者を発見次第厳重に処罰
   > 邦貨使用者を発見次第厳重に処罰
   > 邦貨使用者を発見次第厳重に処罰

 はい。 日本 → 南方諸地域へ邦貨(日本円)を持って行くことが禁じられたというニュースであって、 南方諸地域 → 日本へ送金が出来なくなったという記事ではありません。

 念の為、もうひとつの

   >  資料1「南方経済処理ニ関スル件」】
   >  昭和17年1月20日 閣議決定
   >  https://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00374.php

 も中を読んでおきましょう。

 ( 漢字仮名交じり文の仮名がカタカナなのは恐ろしく読み難いので平仮名に改めました )

   > 南方経済処理に関する件 ( 議会に於て必要ある場合進んで説明する要旨 )
   > 更新日:2012年12月20日
   > 昭和前半期閣議決定等凡例
   >
   > 収載資料:国家総動員史 資料編 第8 石川準吉著 国家総動員史刊行会 1979
   >       pp.528-529 当館請求記号:AZ-668-5
   >
   > --------
   >
   > 南方経済処理に関する件( 議会に於て必要ある場合進んで説明する要旨 )
   > 昭和17年1月20日 閣議決定
   >
   > 現下の戦争段階に於て発表を許しまする程度に於て南方経済処理に関して説明致します
   >
   >
   > 一、対南方経済対策の方針は重要資源の需要を充足して当面の戦争遂行に
   >   遺憾なからしむることを主眼とし併せて大東亜自給自足体制を確立せんとすることに在る
   >
   >
   > 二、対策ノ対象とする南方地域は頗る広汎に亘るも之を先方の敵性ある主権を排除して
   >   差当リ陸海軍の占領地行政を行うべき地域と泰国や仏印の如く先方の我方に対するい
   >   誠意ある協力を期待し其の自発的協力に待つ地域とに分ち夫々に対するに対する方針を
   >   決定した
   >
   >
   > 三、陸海軍占領地域に於ける当面の施策の根本方針は
   >
   >   (イ) 資源獲得、特に戦争遂行上緊要なる資源の確保
   >
   >   (ロ) 南方資源の敵性国家に対する流出阻止
   >
   >   (ハ) 作戦軍の現地自活確保
   >
   >   (ニ) 在来企業の我方に対する協力誘導
   >
   >   の四点を主眼とするものである
   >
   >   之が為
   >
   >   (一) 南方資源に付ては急速開発を要するものあり、我方の需要に応じ漸進的に
   >      開発すべきものあり、又過剰生産の為開発を抑制すべきものある処之等
   >      資源の開発の順位は戦局の推移に応じ当該資源需要の緩急度並に輸送の状況等を
   >      勘案して其の大綱を中央に於て決定する。
   >      既に各種資源取得の基準並に将来の資源取得目標に付ても一応之を決定し
   >      各地域に於ける差当りの開発施策の目標を明らかにしている。
   >      而して各地域に於て取得又は開発したる重要物資は凡て物資動員計画に組入れ
   >      一元的に之が用途を規制して国家的に最高度の効率を発揮せしむるものである
   >
   >   (二) 石油、鉱産、農林等の開発に付ては差当り新たなる総合会社共同企業等の形態を
   >      避け経験能力ある企業者の熱意と創意とを充分に発揮せしめて能率的生産を
   >      為さしむることを原則とし該企業者が真に国家の代行機関的使命に徹底し
   >      衷心より国家的に活動することを期待している。
   >      重要なる開発企業の担当者の決定に当りては政府の適当と認むる
   >      民間統制団体の意見を充分に参酌したる上関係官庁間の慎重なる審議を経て
   >      決定することとし適任者の選定に遺憾なきを期することとなつている
   >      尚其の際現地に於て多年辛苦経営せる邦人企業者や邦人たらざる者と
   >      雖我方に協力の誠意を示したる在来の企業者に付ては其の活用の途が
   >      講ぜらるべきことは云ふ迄もない
   >
   >   (三) 通貨に付ては当初は現地通貨標示の軍票を使用し現地通貨と等価に流通せしめ、
   >      情勢に応し逐次現地通貨と軍票との機能を調整し其の統一に進む方針である
   >      従つて当分の間は本邦と現地との間に特殊の場合を除き原則として資金の移動を
   >      認めざることとすると共に資源開発等に要する資金は現地に於て南方開発金庫より
   >      円滑に之を融通することとなつている
   >
   >   (四) 物資交易は主として物資動員計画に基き予め計画的に予定せられたる品目
   >      及数量に付行はれるのであるが右は戦争と云ふ特殊な状態の下に実施せられる
   >      こととなるので其の機構上特殊の考慮が払はれている。
   >      即ち交易の実施に当りては現地よりの対日供給は差当り政府の会計に於て
   >      買取輸入を為、又本邦よりの対現地供給は同様に買取輸出を為すこととなる
   >      のである。
   >      固より交易の実際の運営に付ては業務遂行の円滑及簡易を旨とし民間商社の活動
   >      待つ所あるは当然にして又政府は右輸出入を為すに際して本邦統制機関や現地に
   >      於ける輸出入組合等とも緊密なる連繋を保持することとなつている。
   >      尚現地に於ける物資の蒐荷及配給に付ては我方に協力の誠意を示したる現地商人
   >      華僑等の組織や信用をも極力活用する方針である
   >
   >   (五) 南方物資の輸送に付ては需要の緩急に応じて輸送の順序、数量が定められ
   >      陸海軍の統制の下に船腹の最も有効なる活用が計られることとなつている
   >
   >   (六) 南方地域には護謨、錫、「マニラ」麻、其の他幾多の特産資源があるのであるが
   >      我方としては此等資源の敵性国家に対する流出を極力防止し米英に対して
   >      資源に依る経済圧迫を実施せねばならぬ
   >      右南方特産資源の世界総産額中に於ける生産割合は極めて高度のものであるから
   >      之に依る米英の打撃は蓋し甚大なるものと云はざるを得ない
   >
   >   (七) 南方の陸海軍占領地域に対する渡航に付ては帝国を核心とする
   >      日満支の経済建設の急務なる等に鑑み此の際一般人に付ては差当り
   >      差止むることとなつているが右は現状に於ては固より当然のことと云はねばならぬ。
   >      政府に於ては情勢の展開に応じ厳選の上再渡航者及必要と認むる者より逐次
   >      其の進出を計る方針である

 ああ、なるほど。

 どうも、この泥憲和という人は聊か日本語が不自由みたいで

   (一) 南方資源に付ては急速開発を要するものあり、我方の需要に応じ漸進的に
       開発すべきものあり、又過剰生産の為開発を抑制すべきものある処之等
       資源の開発の順位は戦局の推移に応じ当該資源需要の緩急度並に輸送の状況等を
       勘案して其の大綱を中央に於て決定する。
       既に各種資源取得の基準並に将来の資源取得目標に付ても一応之を決定し
       各地域に於ける差当りの開発施策の目標を明らかにしている。
       而して各地域に於て取得又は開発したる重要物資は凡て物資動員計画に組入れ
       一元的に之が用途を規制して国家的に最高度の効率を発揮せしむるものである

 内の

   当分の間は本邦と現地との間に特殊の場合を除き
   原則として資金の移動を認めざることとする

 を読んで 「 そうかお金のやり取りが禁止されていたのか 」 と思い込んじゃったんですね。

 だけどさ。

   当分の間は本邦と現地との間に特殊の場合を除き
   原則として “ 資金 ” の移動を認めざることとする

 “資金” なんだよ “資金”。 そして、誰の資金か?と言えば “軍の” だ。

 だからコレは

   当分の間は本邦と現地との間に特殊の場合を除き
   原則として “ 軍の資金 ” の移動を認めざることとする

 であって、民間人のお金が送金禁止だったという意味ではありません。

 だから、昭和17年1月20日に閣議決定された 「南方経済処理ニ関スル件」 で、

   当分の間は本邦と現地との間に特殊の場合を除き
   原則として “ 軍の資金 ” の移動を認めざることと

 とされているのです。

 同様に

   (三) 通貨に付ては当初は現地通貨標示の軍票を使用し現地通貨と等価に流通せしめ、
       情勢に応し逐次現地通貨と軍票との機能を調整し其の統一に進む方針である
       従つて当分の間は本邦と現地との間に特殊の場合を除き原則として資金の移動を
       認めざることとすると共に資源開発等に要する資金は現地に於て南方開発金庫より
       円滑に之を融通することとなつている

 も

   従つて当分の間は本邦と現地との間に特殊の場合を除き原則として
   “ 軍の資金 ”の移動を認めざることとすると共に
   資源開発等に要する “ 軍の資金 ”は現地に於て南方開発金庫より
   円滑に之を融通することとなつている

 に過ぎません。


 これ等に対して、大阪毎日新聞「南方へ邦貨携帯 現地軍で厳重に処罰」 という記事では

   南方諸地域への渡航者の中には邦貨をそのまま携帯して
   現地で使用するため、現地の通貨工作に重大な支障を来しつつある

   ↓

   今回現地軍では、邦貨使用者を発見次第厳重に処罰する

 となっているのです。

 ですから、

   南方開発金庫設立当初から換金も送金も制限されていました

 というのは嘘 ( 嘘というより日本語の不自由な人の誤解 ) ですね。

 正しくは

   軍の資金は、南方開発金庫設立当初から送金が制限されていました

 です。


 まぁ、webサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』 を斬るで散々 バカにして来ましたが、腐っても吉見義明中央大教授や林博史関東学院大教授は“専門家” なワケで すよ。
 その “専門家” が自分達の主張に有利な証拠であり、かつ、ちょっとやそっとじゃ見つからないような 資料じゃなくて、ネットで検索して簡単にHITするような資料を利用しない理由が無い。

 せめて、“資金” じゃなくて “預金” だったら、「個人の送金が禁止されていた」 と読めるけど、 “資 金” と書かれているのに 「 これが送金が制限されていた証拠だッ! 」 は無理。

 それに、これから戦場へ赴いて恐らくは生きて還っては来られないという将兵が、故郷に残して来た 家族にお金を送ってあげることすら叶わないとなったら暴動が起こりかねないわ。
 レートが確定できないから送金を制限するというのは理に適っているけれど、死地に赴く者の心境を 考えたらレートが変化しない程度の額は送れる様になっていた、と考えるのが普通の思考だと思う。

 この点に関しては、慰安婦の送金も同じ。

 慰安婦は飼い殺しにされていたワケじゃなくて、任期縛りなら任期(2年間)が経てば内地に帰る事が 出来たし、前借金縛りなら前借金を完済すれば内地に帰る事が出来た。 だから、慰安所の従業員か ら慰安婦の金を送金するように言われても、郵便局の職員が処理しなかったり、ポッケナイナイしてい たら、内地に帰った慰安婦が郵便局の窓口で暴れて大騒ぎになってしまう。
 そういう事件は起こっていないのだから、慰安婦の送金もちゃんと処理されていたと捉えるべきだ。

 そう捉えるなら “ 軍の資金 ” が移動できなくて、かつ、南方諸地域へ渡航する人が邦貨を使ったら 厳重処罰するというだけの話ですから、

   1990/03/14 従軍慰安婦問題を考える
   「元・従軍慰安婦」証言者 - 文玉珠(ムン・オクチュ)
   http://sikoken.blog.shinobi.jp/慰安婦証言/文玉珠(ムン・オクチュ)

   > 【生い立ち・慰安婦になった経緯等】
   >
   > 1924.4.3大邱(テグ)生まれ。
   > 9歳の時、独立運動をしていた父が帰宅し長患いの後、死亡。
   > 暮らし向きは楽ではなかった。
   > 1940年16歳の時、帰宅途中に軍服を着た日本人に連行され、
   > 満州にて慰安婦生活を強いられる。 約1年後、将校を騙して朝鮮に帰る。
   > 1942年、女中をしている時に友人から「食堂で働かないか」と誘われ、
   > 1942年にビルマ(現ミャンマー)にて慰安婦となる。
   > 慰安婦時に軍事郵便貯蓄にて26,145円の貯蓄をし、また、別途、5,000円を実家に送金。
   > ( 「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」その他より )

 も、

   葦書房 「従軍慰安所日記」関連報道記事 + 陸海軍人給与一覧
   http://www1.ocn.ne.jp/~ashi/iansyo-nikki.htm

 の

   > 4月14日 西原君と横浜正金銀行の支店に行き、
   >       今般帰郷した李○玉と郭○順への送金をした。
   >
   > 5月31日 正金銀行に行き、金川○玉の送金許可申請を提出した。
   >
   > 6月13日 4月に帰還した郭○順にすぐ送金したのだが、まだ受け取れていないと
   >       2回も電報が来た。
   >
   > 6月23日 帰郷した金川○玉から到着したから送金しろという電報が来た。
   >
   > 10月26日 今般帰郷する金○愛の送金許可申請書を提出した。
   >
   > 10月27日 < 慰安婦、金○先に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して、
   >         中央郵便局から送った。>
   >
   > 11月24日 正金銀行に金○守の送金許可を申請し、中央郵便局で李○鳳の送金をした。
   >
   > 12月 4日 正金銀行に行き、送金許可された金○守の1万1,000円を送金してあげた。

 も、全部を事実認定して何も矛盾はなかったわけです。

 南方地域に於ける慰安婦の送金に関しては、
 webサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』 の
 Q&A - 2 慰安所における実態 - 文玉珠(ムン・オクチュ)さんはビルマで大金持ちになった?
 に書かれている

   6 ビルマで貯金したお金は?

   占領地での通貨は、当初、円と等価とされていましたが、
   東南アジアなどインフレが進んだ地域のお金を等価で円に換えると
   為替差益で大もうけしてしまうので、それを規制するために、1945年2月に外資金庫を設立、
   東南アジアのインフレが日本国内に波及しないための措置がとられていました。
   つまりビルマで貯金をして、額面では多額になったとしても、日本円には交換できなかったし、
   しかも日本が負けると、軍票も南発券もただの紙切れになってしまいました。

 が正解の様です。

 さすが自他共に認める専門家が総力を挙げて作ったサイトですね。

 ちょっち見直しました。



 ■ 追伸 ■

   facebook 泥 憲和
   【従軍慰安婦の真実】10
   慰安婦の働き方と報酬額C 文玉珠(ムン オクス)さんの貯金通帳【写真】
   https://www.facebook.com/norikadzu.doro/posts/345906078893563

 に

   金額も月額100円まででした。 つまり生活費相当です

 とあるのは、根拠を示すソースが何処にもありませんので、いつものようなサヨクの妄想だと考えて良 いでしょう。


トップへ
戻る
前へ
次へ