『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』 を斬る 《跡地》



2017.02.19
【追加】 Q&A 5 アメリカの「慰安婦」問題
 -4 アメリカで「慰安婦」少女像のせいで、日系人や在米日本人の子どもがいじめられてい る? を斬る

 引用元URL → http://fightforjustice.info/?page_id=4023 ( 魚拓 )

 このページは、webサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』が開  設された2013年08月01日時点で存在しなかったページです。

 追加されたのは ・・・ 残念ながら不明です。

 以下、青い色の文字がwebサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責 任』からの“引用”です。



 日本の保守系メディアが言い出した日系人・在米日本人「いじめ」説

 

 本文に差し掛からず、いきなりの [ 異議あり! ] お許し頂きたい。

 要するに本文に書かれているのは、

   アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス近郊のグレンデール市に於いて
   日系人・在米日本人の子どもに対するいじめや、
   日系人・在米日本人に対する攻撃が頻発しているというのは右翼の捏造である。

 と主張しているのである。

 抽出する。


 日系人・在米日本人「いじめ」説には根拠がない

 しかしながら、現地を取材した記者らに対して、
 現地の日系人や日系団体はそうした話は聞いたことがない、と答えています。
 また、グレンデール市警察およびグレンデール市教育委員会に問い合せても、
 そのような相談は一件も受けていないという返答だったということです。

 在ワシントンDCの日本大使館及びロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴなどの
 日本総領事館は、
 「 いわゆる歴史問題を背景とした、いやがらせ、暴言等の被害に遭われた方、
  具体的な被害情報をお持ちの方 」 に領事館に連絡をするようにという
 趣旨の案内をサイトに掲載しています。
 しかし東京新聞の報道 (2014年8月29日) によれば、
 悪質な実例は寄せられていないと外務省は述べており、
 それ以降も具体的な被害が報告されたという報道はありません。

 現地を視察した、次世代の党の衆議院議員 (当時) の杉田水脈氏も、
 「 また、日本人の子どもたちが虐めに遭っているという話も伝わってきていたので、
  現地の保護者の方に会って、直接話を聞きたかったんですが、
  残念ながら面会には応じてはもらえませんでした。
  だから子どもたちが具体的にどんな被害に遭っているのかはわかりません。
  しかし、現地のほかの方々から聞いた話によると、やはり何かしらの虐めに遭っていることは
  事実のようです。」
 と述べていますが、具体性のない曖昧な話にとどまっています。
 上記の 「地方議員の会」 についても、報告はすべて当事者やその家族の訴えではなく、
 噂話のレベルにとどまっています。


 日系人・在米日本人「いじめ」の公的な報告もない

 GAHTの 「慰安婦」 碑訴訟の訴状にも、
 日系人・在米日本人の子どもに対するいじめについては一切記載されていません。
 また、日本で朝日新聞社を相手に在米日本人原告らが提訴した
 「朝日グレンデール裁判」 においても、具体的ないじめの事例について
 訴状には記載されていません。

 また、グレンデール市のみならず、他の都市や全米でも「慰安婦」問題をきっかけとして
 日系人や在米日本人へのいじめが起きているなどと報道する保守系メディアもあります。
 例えばジャーナリストの青山繁晴氏は、
 カリフォルニア州サンノゼで日本人の子どもたちがいじめを受けているという趣旨の発言を、
 2014年5月に関西テレビの番組で行っています。
 しかしながら、これについては青山氏の講演会を開催した主催団体が、
 サンノゼでのいじめの実態はないと否定しています。

 今まで公的機関も一切いじめがあったする報告はしていません。
 訴えや報告がないから、日系人や在米日本人へのいじめが全く起きていないと
 断定はできませんが、少なくとも保守系メディアなどで言われているような、
 「慰安婦」 像の設置を契機とした深刻ないじめが広範囲に広がっているという事例は
 ありえないといえるでしょう。

 

 では問う。

 貴方達が在米日本人だとして、在米韓国人告発する被害届 ―― 個人情報を記入せざるを得ない 被害届 ―― を出せるのか?と。

 日本国内でさえも何処で誰が聞き耳を立てているのか分からない場所で、韓国の悪口を言う人はま ずいない。 だからといって韓国を良く思っているなんてことはまったくない。 家族同士の会話はもちろ ん、出自の分かっている者同士しかいない場所 ( たとえば、来客の無い事務室など ) では、嫌韓を標 榜する私でさえも眉を顰める様な悪口が飛び交う。 「 え? ガチの韓国嫌いって俺だけじゃねーの か?」 と正直言って驚くほどだ。

 なぜ、誰も公の場で韓国の悪口を言わないのか。

 それは怖いからだ。

 発言した後で、ひとけのない暗い夜道で暴漢に襲われたり ( 女性なら強姦されたり ) 尾行されて自 宅がバレれば放火されるリスクさえある。 そんな危険を背負ってまで、あえて韓国の悪口をクチにす る勇者はいない。

 学校等でコレを教えてくれる教師はいませんが、何処まで詳しく教えるかの差異はあれども、日本人 の各家庭で教えている歴史の事実が↓これ↓です。

   2010年01月04日 ねずさんのひとりごと
   拡散希望 : 「朝鮮進駐軍の非道を忘れるな」
   http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-748.html
   > 以下は、Youtubuにアップされている動画にあるテキストです。
   > このことは日本人全員が過去の事実として知っておくべきことです。
   > みなさんの手による拡散を希望します。
   >
   > 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   >
   > 「在日のタブー、朝鮮進駐軍」
   >
   > ※ 「朝鮮進駐軍(ちょうせんしんちゅうぐん)」 とは。
   >
   >   在日朝鮮人は
   >   日本と戦争をした事実は無いにもかかわらず、終戦と同時に 「朝鮮進駐軍」 を自称し、
   >   日本各地において婦女暴行、暴行、略奪、警察署の襲撃、土地・建物の不法占拠、
   >   鉄道の不法乗車等、横暴の限りを尽くした。
   >
   >
   > ● 終戦後 「朝鮮進駐軍」武装部隊が首相官邸襲撃●
   >
   >   「朝鮮進駐軍」 部隊2000人による 「首相官邸襲撃事件」 が1946年起きた。
   >
   >   約2000人 の在日朝鮮人 「朝鮮進駐軍」 部隊が完全武装して首相官邸に突入。
   >   日本の警官隊は当時武器の所持は禁じられていため、米軍憲兵隊に応援を頼んだ。
   >   そこで米軍憲兵隊と 「朝鮮進駐軍」 との間で大銃撃戦闘へと発展した。
   >
   >
   > 戦後の在日朝鮮人は、なんの国際法上の地位もないにも関わらず、
   > 勝手に自分たちを 「戦勝国民である朝鮮進駐軍」 であると詐称し、
   > 三万人もの武装集団となって全国主要都市に出現し暴れまくった。
   >
   > 在日朝鮮人集団は、武装解除された日本軍の武器と軍服を盗用して武装し、
   > 勝手に 「朝鮮進駐軍」 と名乗り、無差別に多くの日本人市民を殺害した。
   > GHQの記録に残っているだけでも四千人以上の殺害記録が残されている。
   >
   > 戦後の治安が整っていない空白を良いことに、
   > 「朝鮮進駐軍」 と名乗った在日朝鮮人は、
   > 土地の不法略奪、金品略奪、強姦、銀行襲撃、殺略、警察襲撃など
   > 暴れ放題の限りを尽くした。
   >
   > 「朝鮮進駐軍」 と名乗る暴徒たちは、個々に部隊名を名乗り、
   > 各地で縄張りを作り暴れた。
   > これら 「朝鮮進駐軍」 元締め組織が 「朝鮮総連」、ヤクザなどになっていった。
   >
   > 国有地も、都心駅前一等地周辺も、軒並み不法占拠した。
   > そしてそのまま、パチ ンコ屋、飲み屋、風俗店等々が出現し、
   > そのまま彼らの土地として登記され現在に至っている。
   >
   > 農家、農協倉庫を襲い、貨車を襲撃、商店街、国の食料倉庫も襲い、
   > 食料や商品を根こそぎ 奪って行き、それらは全て戦後の闇市で売りさばき、
   > 暴利で財を成したのは彼らであった。
   >
   > 財を成したのは彼らは分派し、政治組織として社会主義、共産主義組織へと発展し、
   > 政界にも進んだ。
   >
   > 「朝鮮進駐軍」 と名乗る在日朝鮮人暴徒たちは、
   > 通りすがりの市民に言いがかりをつけ集団暴行をはたらく。
   > 無銭飲食は当たり前、白昼に目に付いた婦女子を路上で集団強姦するなどを、
   > 日常茶飯事に繰り返した。
   >
   > 在日朝鮮人は 「朝鮮進駐軍」 部隊と名乗り、武装して、町をのし歩いた。
   > 彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を
   > 闊歩した。
   >
   > 腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を振り回しては、
   > 手当たり次第に日本人を殺傷、暴行し、略奪の限りを尽くした。
   >
   > 通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、
   > 無銭飲食をし、白昼の路上で婦女子にいたずらをした。
   >
   > 善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。
   >
   > こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。
   > 袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、
   > 肩で風を切って街をのし歩いた。
   >
   > 警官が駆けつけても手も足もでない。
   > 終戦後の警官が、一切の銃器の所持が許されていなかったのをよいことにして、
   >
   > 「 おれたちは戦勝国民だ。 敗戦国の日本人がなにをいうか 」
   >
   > と、丸腰警官を殴り、ド突き回し、警備用の木刀や飾りのサーベルをヘシ曲げた。
   >
   > 戦後当時の 「朝鮮進駐軍」 は今日の朝鮮総連本部である。
   >
   >
   >   http://blog-imgs-41.fc2.com/n/e/z/nezu621/201001021511488e1.png
   >   ▲ 今の朝鮮総連となる「在日朝鮮人連盟中央総本部」
   >
   >
   > 【 昭和26年03月22日衆議院法務委員会 】
   >
   > 押谷委員
   > 「 お尋ねをいたしますことは、
   >  昨朝起りました朝鮮人による米兵に対する暴行事件であります。
   >  昨日21日の午前3時半ごろに、浅草の千束町の朝鮮マーケット附近におきまして、
   >  6名の米兵が多数の鮮人に取囲まれまして、集団的に暴力を加えられて、
   >  1名は死亡する、2名は負傷する、自動車も破壞されるというような
   >  不祥事を起したのでありますが、わが国の講和を前に控えて、
   >  今日日本の置かれたる国際的地位などから考え、この時期を思いまするときに、
   >  まことに遺憾しごくな事件だと考えます。」
   >
   > 終戦後の第三国人どもは本当に酷かった。
   > 軍の兵器を盗んで来たらしく、三八式歩兵銃や南部式拳銃で武装し、
   > 小銃には着剣して強盗強姦傷害恐喝脅迫不動産窃盗、時には殺人まで、
   > 経済犯、実力犯を中心にあらゆる悪事を重ねていた。
   >
   > 銀座、浅草、新宿は朝鮮人、新橋、渋谷は台湾人に支配され、
   > 政府も警察も動揺し、手を拱いていた。戦勝国民は治外法権だったのである。
   > だから食管法に限らず、戦勝国民には日本法を適用出来なかった。
   > 服部時計店や白木屋も米軍の酒歩 (PX) に接収され、そこへ行けば食料に限らず物資は
   > 山ほどあった。 日本人は買えなかったが。
   >
   > そうした情勢に便乗し、朝鮮人は戦勝国民だの 「朝鮮進駐軍」 を僭称して
   > 堂々と闇商売を行い、派手に稼いでいた。
   >
   > そりゃ儲かるだろう。
   > 警察の検問を竹槍日本刀を振り回して強行突破したのだから
   > ( さすがに銃撃戦は挑まなかった模様 )。
   >
   > 当時は物不足で、売る方は素人でも出来た。 仕入れこそ難しかった。
   >
   > 彼等は日本人露天商を襲って商品を奪う。
   >
   > それで警察が黙認して捕まえないのだから、こりゃあ損のしようが無い。
   > 警察が襲撃されることしきりで、署長が叩きのめされたり、
   > 捜査主任が手錠を掛けられ半殺しにされるぐらいは珍しからず。
   >
   > 上野で朝鮮人経営の焼肉屋へ国税局査察部が査察に行った際、
   > 大金庫を開けて手を入れた瞬間を狙って20人ぐらいで一斉に金庫の扉を押したものだから
   > 査察官は腕を切断されてしまった。
   >
   > 当時は警察署が襲撃される事が珍しくなく、第三国人の襲来によって犯人を奪還された
   > 富坂警察署事件、ついでに警官が殺された渋谷警察署事件
   > 共産党が大群で警察署を包囲し外部との連絡を遮断 「攻城戦」 に出た平警察署事件等、
   > 枚挙に暇有りませんでした。
   >
   > 東京東部 (すなはち大東京の中心地) 北郊の荒川、古利根−中川、江戸川、
   > 利根川流域の牛は皆いなくなった。
   >
   > 当時、あの辺は畜力として農耕牛を使っていたが、
   > 深夜、不良朝鮮人が侵入して来て盗み出し、河原へひいて行って屠殺した。
   > 牛はモウと言って泣いたので皆気付いたが、銃砲刀剣で武装しているので
   > 追う訳には行かなかった。
   >
   > 永年愛育し、慈しんで来た牛が悲しそうに泣きながらズルズル引き出され殺されるのを
   > 傍観するのは無念で耐え難かったが、手向へば殺されるのでどうにも出来なかった。
   >
   > そうして利根川水系流域一帯の牛は皆、不良朝鮮人に盗まれ、殺され、闇市で売られた。
   >
   > この辺へも、新聞紙に包んだ肉塊を売りに来たものだ。
   > 上流で屠殺した牛を、そのまま下流へ売りに来たのだろう。
   > かくて南関東から、牛はいなくなった。
   >
   > 家畜相手ならまだしも、人間に対しても、関東以西の大都市を中心に、
   > 日本中に灰神楽が立つような勢で数多犯罪を重ねた。
   > 川崎、浜松、大阪、神戸などが酷かった。
   > その最も著しい象徴的事例に、元文部大臣、後の首相・鳩山一郎氏に対する
   > 集団暴行・傷害事件がある。
   >
   > 翁が軽井沢の静養先から帰京しようとして信越本線の汽車に乗っていたら、
   > 例の 「朝鮮進駐軍」 が後から大勢、切符も買はず、鉄道員を突き飛ばし押入って来て、
   >
   > 「 俺達は戦勝国民だ、おまえら被支配者の敗戦国民が座って
   >  支配者様を立たせるとは生意気だ、この車両は朝鮮進駐軍が接収するから
   >  全員立って他の車両へ移動しろ、愚図愚図するな! 」
   >
   > と追い立てた。
   >
   > それで鳩山氏が、我々はきちんと切符を買って座っているのにそりゃおかしい、と
   > 一乗客として穏やかに抗議したら、たちまち大勢飛び掛かって袋叩きにし、
   > 鳩山翁を半殺しにした。
   > 幸にして重体にも重傷にも至らなかったが、頭部裂傷だか顔面挫傷だか忘れたが、
   > 血に塗れ腫れ上がった痛々しい顔で帰京した。
   >
   > 年老いた祖父を理不尽に叩きのめされて怨まぬ孫も有るまい、いかに不出来な孫にせよ。
   > 孫共はこれを知らんのだろう。
   >
   > 直後に総理大臣に成る程の大物でもかくのごとし。
   > いわんや庶民におては 土地も屋敷も物資も操も、奪い放題であった。
   >
   > 闇、賭博、傷害、強盗事件が多く、ことには、空襲や疎開で一時的に空いている土地が
   > 片端から強奪された。
   >
   > 今、朝鮮人が駅前の一等地でパチ/ンコ屋や焼肉屋を営業しているのは、
   > 皆、あの時奪った被災者の土地だ。
   >
   > それでも警察は手が出せなかった。
   > 歴代首相大臣等が絞首刑になって行く状況で、警察ごときに何が出来よう。
   >
   > ある日、警察は何月何日を以て廃止す、再び登庁するを許さず、と命ぜられれば、
   > それ切り警察は消滅する。
   >
   > 七百万の大軍を擁した彼の帝国陸海軍ですら、左様にして
   > 両総長 両大臣以下、自然廃官になった。 まこと敗戦は悲しからずや。
   >
   > たまりかねた警察が密かにやくざに頼み込み 「浜松大戦争」 になった訳だが、「小戦争」 は日 本中に頻発した。
   >
   > 最後の頼みの綱は連合国軍であったが、遂にはその憲兵隊でも手に負へぬ
   > 非常事態に立ち至った。
   >
   > それでさすがに米軍も腹に据えかね、日本本土全域の占領を担当していた
   > 米第八軍司令官アイケルバーガー中将が、関東と言はず関西と言はず、
   > はたまた北九州と言はず、不良朝鮮人活動地域に正規戦闘部隊の大軍を出動させ、
   > 街頭に布陣して簡易陣地を築き、重装甲車両を並べ、
   > 人の背丈程に大きな重機関銃を構へて不良朝鮮人共にピタリと狙いをつけ、
   > ようやく鎮圧した。 我々はその火器のきらめきを間近に見た。
   >
   >
   《圭坊・中略 : 「三国人」 の由来》
   >
   >
   >1950年にGHQは日本占領を終結し、解放し、実質的に戦後は終わったとされています。
   >
   > その際に朝鮮人は日本籍を剥奪され、韓国籍として朝鮮に帰れと命令しました。
   > 不要の朝鮮学校と民団総連も廃止し解散請求しました。
   >
   > すると在日朝鮮人は、なにを履き違えたか
   > 「 我々は先勝国民であり日本を統治する立場だ 」
   > と叫びだし、革命を叫んで、公共施設の不法占拠し火炎瓶や武器で武装して決起したのです。
   >
   > 警察も拳銃で対抗し射殺された人もでました
   >
   > 警察では対処できなくなり、GHQは軍隊の動員をして戦後初の戒厳令を敷いて
   > 朝鮮人による暴動を平定しました。
   >
   > この戦後初の戒厳令が敷かれた朝鮮人動乱 (正式名がない) 事件は、
   > 日本の歴史からスッポリ抜けています。
   >
   > 死人も出ている事件なのに、日本の教科書には掲載されたことはありません。
   > ( 日本各地で勃発しました、栃木や浅草などは戦場状態です )
   >
   >
   《圭坊・後略 : 今現在の在日朝鮮人》

 もしかしたら顔を覚えられるかも知れない公の場で韓国人の悪口を言う事は↑こういう不逞朝鮮人か ら恨みを買う虞があります。 だから誰もそんなことはしません。

 これは在米日本人にしても同じです。

 いいえ、周りが日本人だらけの日本列島に於いてさえ、こうも警戒して生きなければ身の安全が確保 できないというのに、どうして異国の地で、少数民族である在米韓国人よりも更に少数でしかない在米 日本人が、在米韓国人から受けた虐めの被害を無警戒に訴えることが出来るでしょうか? 出来るワ ケがありません。

 グレンデール市警察やグレンデール市教育委員会に相談をしたとして、その際に記入した個人情報 が在米韓国人に漏れないという保証はない。 というか、在米日本人の反対を圧して慰安婦像の設置 を決めたグレンデール市である。 疑心暗鬼にならざるを得ない身にしてみれば、「積極的に情報を流 すに違いない」 と考えて当然である。

 「領事館に連絡をするように」 と言われたって、それで日本政府が重い腰を上げてくれる保証がない 限り、報復を恐れてクチを噤むのは当然だろう。

 ですから、現地を視察した、次世代の党の衆議院議員 (当時) の杉田水脈氏が相手でさえも

   現地の保護者の方に会って、直接話を聞きたかったんですが、
   残念ながら面会には応じてはもらえませんでした。

 とクチを閉じるのです。

 だってそうでしょう。

 杉田水脈氏が公の場で、

 「 グレンデール市にお住いの○○さんという方から
  慰安婦像に関連した虐めの報告を受けました 」

 なんて発言した日には人生が詰みます。

 暴漢に襲われたり、強姦されたり、家に火を放たれたりする前に、仕事先を辞め、引っ越しして行方 をくらませなければなりません。 そんなリスクを負ってまで告発する度胸のある人は稀だと思います。  だから [ 被害報告がない=被害がない ] ではありません。 こんなサイトを書いている私でさえも、イ ンターネットが実名化されればクチを噤みます。 私がこんなサイトを書けるのは、インターネットが匿 名だからです。

 それでなくても日本人には 『大袈裟にして他の日本人に不利益を齎したくない』 という習性があり、 『自分達(=親)が子供を護れないのは自分達の責任』 という侍根性みたいな習性もある。 加えて、 『朝鮮人を責めると後で暴漢に襲われたり、強姦されたり、自宅に火を放たれかねない、朝鮮人相手 に事を構えるのは非常に危険』 というのは、日本人に共通する恐怖の概念です。

 だから、海外で朝鮮人に虐められている日本人の報告がないのはアタリマエなのです。

 虐めの実態がないから報告が上がらないのではない。

 『他の日本人に迷惑を掛けたくない』 とか 『虐められることを恥だと思う』 とか、そういう日本人特有 の特性があって、さらに、『朝鮮人を敵に回すと、後で暴漢に襲われたり、強姦されたり、自宅に火を放 たれかねない』 という戦後から連綿と続いてきた三国人の横暴に対する学習から、ことを荒立てない だけだ。

   2010年01月04日 ねずさんのひとりごと
   拡散希望 : 「朝鮮進駐軍の非道を忘れるな」
   http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-748.html

 こんな民族を相手に、異国の地で少数民族でしかない日本人移民がどうして朝鮮人に立ち向かえる でしょうか。 繰り返します。 朝鮮人とは、自分達の方が立場が上だとか、数が多いと分れば際限なく 増長して、日本人だったらやらないようなことを平気でやる民族です。 そんな民族に立ち向かわなけ ればならない日本人に対して 「 ちゃんと告発しろ。 公式に告発しない被害報告は事実だとは認めな い 」 なんてのは、「 劣等倭猿は虐め殺されろ 」 と言っているのと何も変わりません。

 まぁ、彼らは、そんなことは重々承知の上で、

 [ 被害報告がない ] = [ 「慰安婦」 像の設置を契機とした深刻ないじめが
                広範囲に広がっているという事例はありえない ]

 と主張しているのだと邪推しますがね。


トップへ
戻る
前へ