『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』 を斬る 《跡地》



入門編 - 2 なぜ日本軍は「慰安婦」制度をつくった? を斬る

 引用元URL → http://fightforjustice.info/?page_id=301 (なお魚拓は無効な構造です)

   ↓ ↓ ↓

 発覚したのは、平成25年12月03日ですが、webサイト 『 Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却 への抵抗・未来の責任 』 の構造が変更になり、魚拓の取得が可能になりました ( 一部で取得エラー が出ますが ) 。 さっと目を通した限りで文章の変更は無い様に思われます。


 2 なぜ日本軍は「慰安婦」制度をつくった?
 http://fightforjustice.info/?page_id=2354 ( 魚拓 )


 以下、青い色の文字がwebサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責 任』からの“引用”です。


 入門編 2 なぜ日本軍は「慰安婦」制度をつくった?

 なぜ日本軍は「慰安婦」制度をつくったのでしょうか。
 日本軍の公文書に書かれている、日本軍が慰安所をつくる理由はつぎの4つです。

 強姦防止のためにつくったが、失敗だった

 1つは、戦地で日本軍人が住民を強かんするので、その強かんを防止するためにつくるという
 動機です。 これは軍の施設として作る必要があるという発想になります。
 北支那派遣軍参謀長の岡部直三郎中将は、日本軍人の強かん事件が頻発し、
 中国人の怒りをかっているので、いそいで性的慰安施設をつくれ、と命令しています。

 こういう話をすると、それは良かったんじゃないかという人が出てきますが、
 これは実際には失敗します。
 軍「慰安婦」制度を作ったにもかかわらず、日本軍人による戦地での強かん事件は
 いっこうになくならなかったのです。
 慰安所で性暴力を公認し、性的欲求をあおっておいて、強かん防止に役立てようということが
 そもそも無理だったのです。
 また、慰安所に入れられた女性たちは日々性暴力を受けることになります。

 

 さすがサヨクの親玉。

 これを言葉巧みと言わずして何を言葉巧みと言うのか、と言いたくなる位の「言葉巧み」です。

 > こういう話をすると、それは良かったんじゃないかという人が出てきますが、
 > これは実際には失敗します。
 > 軍「慰安婦」制度を作ったにもかかわらず、日本軍人による戦地での強かん事件は
 > いっこうになくならなかったのです。

 > いっこうになくならなかった
 > いっこうになくならなかった
 > いっこうになくならなかった

 「いっこうになくならなかった」であって「いっこうに減らなかった」ではありません。

 “なくなる”とは発生件数がゼロになるということです。
 慰安所開設前の日本兵10万人あたり年間強姦発生数が百件とか千件とか、そういう大きな数であっ たと仮定して、慰安所を開設した後に同発生数が一件になれば、“減ったか減らなかったか”という基 準なら大激減ですが、それでも“なくなったかなくならなかったか”という基準ならなくなっていません。

 これは『慰安婦』のwikipediaに書かれています。

   慰安所の設置

   上海事変-慰安所創設

   上海事変の時、岡村寧次大将は強姦対策として慰安所創設した[259]。
   しかし慰安所を造っても強姦は跡を絶たなかった[260][261][262][263]。

     昔の戦役時代には慰安婦などは無かったものである。
     斯く申す私は恥かしながら慰安婦案の創設者である。
     昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので、
     派遣軍参謀副長であった私は、同地海軍に倣い、長崎県知事に要請して
     慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである。
     現在の各兵団は、殆んどみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。
     第六師団の如きは慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である。[264]

 岡村寧次大将サマは、僅か2〜3件の強姦罪に嘆いていて、慰安婦の導入後に「慰安婦団が随行し てくれたおかげでゼロに成った」と歓喜したものの、「第六師団に於いてはゼロにならなかった」と再び 嘆いているのである。

 それが

 > いっこうになくならなかった
 > いっこうになくならなかった
 > いっこうになくならなかった

 の正体です。

 もっとも、私も全部で2〜3件しかなかったなんて妄言は吐きません。

 あくまで岡村寧次大将が上海事変の際に2〜3件あったと認識できただけで、もっと長期にもっと広 範囲に渡って調べれば何十倍になるでしょう。

 さすがに中帰連のアレはアレだとしても

   参考資料一覧・2 従軍慰安婦関連
   http://www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei/DATA02.html
   >
   > 次に強姦事件の実例を列挙する。
   >
   > 1.或る兵は兵站病院を退院、原隊へ復帰の途次、飲酒酩酊の上、
   >   所属隊宿舎の付近の支那家屋へ侵入し、同家二階に居合わせた
   >   支那婦女(当時21歳)を強姦した。
   >
   > 2.二人(A・B)の兵は他の一人(C)を誘いて外出した。
   >   Aは支那婦人(当20年)を見ると劣情を起し、強姦を志し、
   >   Cをして同女を附近の空家へ連れ行かしめ、Cをして所携の小銃を一発発射せしめ、
   >   更に(小銃に銃剣を?)着剣の上、剣先を同女に突付けて脅迫せしめ、
   >   同女が恐怖するを見ると附近の民家内へ引き入れ強姦した。
   >   BはAの目的を達したのを知るとAの立ち出た後へ入り込んで同女を強姦した。
   >
   > 3.或る兵は或る支那民家へ立ち寄ると、同家の娘(当16年)が兵を見て
   >   怖れ逃げ去ろうとすると、是を捕えて強姦したばかりでなく、
   >   翌日も到って再び強姦した。
   >
   > 4.或る兵は飲酒酩酊の上、無断外出をし、支那婦人某(当49年)方へ侵入し、
   >   所携の軍刀を引き抜いて、脅迫した上、強姦した。
   >
   > 5.或る兵は加給の酒に酔い、戦友と共に外出し、支那婦人某(当42年)を認め、
   >   是を姦淫せんと思い、同家内に侵入して同女に性交を要求した。
   >   同女は日本兵を怖れて抵抗の出来ないのに乗じて姦淫した。
   >
   > 6.或る兵は支那酒に酔いつつ、支那店に立ち寄り、焼き鳥を食する時、
   >   傍らに居た支那少女(当6年)を見ると、同女が13歳未満の少女であることを
   >   認識しながら姦淫せんと思い、同女を抱きながら室内へ入り、
   >   同女の父に銃剣を突き付けて退去を命じ置き、同女を姦淫せんとせしも、少女の為
   >   目的を達しかね、指頭を以て(性器を)押し開かんとして負傷せしめた。
   >
   > 7.或る兵は武装(の上)、街頭に出て支那民家の表戸を蹴外し、家内へ侵入し、
   >   隠れていた支那女(当16年)を発見し、同女に銃口を差向け脅迫の上、強姦した。
   >   次に同女を宿舎へ連れ行き、「帰宅すれば殺すぞ」と脅迫して不法監禁した。
   >   其の間、無抵抗なのに乗じて姦淫した。
   >   其の翌々日、同女の宅へ侵入し怖れ、隠れ居るを発見し強姦した。
   >
   > 8.或る兵は戦友二人と支那酒や「ビール」を飲んだ上、支那婦人を捜し求めた上、
   > 輪姦した。
   >
   > 9.或る兵は(が証言するには)、歯科治療に行った帰途に「ビール」を飲み、
   >   酔いに乗じ支那家屋へ「ノック」して入った。 男が茶を出してくれた。
   >   外に話し声がするので着剣で警戒に出ようとする時にすべった。
   >   其の折りに支那女に触れたかもしれぬと話したが、
   >   是は偽りで強姦未遂であった
   >   (女の匂いがするのを咎められて言い訳をしたのかもしれない)。
   >
   > 10.或る兵は街上の支那家屋へ入ると母親と娘とが居た。
   >   娘へ(性交を)要求をすると、承知した母親は是を見て出ていったので
   >   其の娘を姦淫せんとしたが発育しておらなく出来なかった。 (娘は10歳位)。
   >   其のまま帰った。
   >   娘へ隊へ来れば残飯をやるからと隊名を書き置いたことから憲兵に捕らえられた。
   >
   > 以上の述べた様な例は尚沢山に挙げることができる。
   > 強姦をやっても容易に発覚しないだろうと考えることは大変な誤りで、
   > こんなに知れやすい事柄はないのであると、法務部当局は兵達を戒めて居ったが、
   > 全く其の通りである。
   >
   >
   >                「従軍慰安婦資料集」(吉見義明・編集解説 大月書店)より

 なんて資料もあるワケですから(これはこれで出典が超胡散臭いけど)。

 延べ全件数で数百件程度はあったと思いますよ。

 なにせ、明日は(あるいは昨日は)殺し殺される(されかけた)環境に居るのですからね。



 性病まんえん防止のためにつくったが、失敗だった

 2つ目は、性病まんえん防止という理由です。
 日本軍の将兵が戦地にある売春宿に通うと、
 そこは衛生状態が悪くて性病がひろまっているので、
 そこに通うことを禁止して、軍が完全に管理できる慰安所をつくろうという発想です。
 外部との接触を絶って、慰安所を軍の中に抱えこめば性病防止ができるというのが
 軍医たちの発想でした。しかし、 これも失敗してしまいます。

 戦地で性病に新たに感染した人数は、軍中央が把握した数によれば、
 1942年に1万1983人、1943年に1万2557人、1944年に1万2587人と、少しずつ増えています。
 後になるにつれて動員兵力は増えますので、比率としては減っているかもしれませんが、
 新規感染者の絶対数は増えている、ということになります。

 

 いやいやいや。 減ってますやん。 統計的有意に減ってます。

   2007-07-08 にゃんこ先生の学習帳
   [防]日本軍は何人いたのか?(瞬間風速/累計)
   http://d.hatena.ne.jp/nyankosensee/20070708/1183879352
   >
   > (再録:海外派遣軍)
   >
   >     支那+南方
   >
   > 1937:  25 +  0  = 25
   >
   > 1938:  65 +  0  = 65
   >
   > 1939:  65 +  0  = 65
   >
   > 1940:   65 +  0  =  65
   >
   > 1941:   60 + 30  = 110
   >
   > 1942:   60 + 50  = 140
   >
   > 1943:   60 + 50  = 160
   >
   > 1944:  100 + 80 = 230
   >
   > 1945:  100 + 80 = 230

 1942年 1万1983人 / 110万人 = 1.089%

 1943年 1万2557人 / 160万人 = 0.766%

 1944年 1万2587人 / 230万人 = 0.547%

 半分になってるやん。

 さらに突っ込ませて貰うと

 > 後になるにつれて動員兵力は増えますので、比率としては減っているかもしれませんが、
 > 新規感染者の絶対数は増えている、ということになります。

 なにこれ? もしかしてギャグで言ってるの?

 比較をする場合に分母を揃えるのは統計学の基本中の基本。 中学で習う算数の話だよ。

 たとえば、日本と韓国を比べる場合に、それが強姦の発生数にしろ交通事故死亡者数にしろ数をそ のまま数えたら人口が3分の1しかない韓国は不名誉な数の比較で3倍も有利になる。 だから統計上 の数値には『人口10万人あたり』という但し書きが付くんだ。

 数が二倍になったのに、発生件数が横ばい…これ、即ち発生率が半減です。

 こんな簡単な理屈が分からないなら、小学校1年からやりなおしなさい!



 もう1つの問題は、戦場で性病に感染するというのは非常に不名誉なことなので、
 みんな隠すことです。
 隠してひそかに自分で治療しようとしますのでその実数はなかなか把握できない。
 実際はこれよりはるかに多かったと思いますが、

 

 いやいやいや。

 どの程度徹底できたかは不明ながら、性病の蔓延を防止する目的で慰安所を建てた以上、慰安婦 の健康診断が行われている(概ね週一程度)。

 にも拘らず、兵士の健康診断を行わなかったと主張するのか?

 んな片手落ちな事するワケないじゃん。

 そんなことをしたら、慰安婦の健康診断をしている意味がない。



 軍「慰安婦」制度を作って性病を防止しようとしても失敗してしまうのです。
 軍人の中にすでに性病に感染している人が非常にたくさんいますので、
 それが慰安所を介して拡大していくことになります。

 

 これも上に同じ。

 慰安婦の健康診断をしているんだから、兵士の健康診断もしている(していなきゃオカシイ)。

 ただ、上級将校に於いては、この限りではなかったかも知れない。

 だから上級将校間で性病が蔓延した可能性は捨てきれない。

 しかし、それは慰安婦問題全体を語る話とは別の話だ。

 上級将校に充てられた慰安婦は、下級兵士が抱く慰安婦と別だったのだから。

   平和関連資料室1 元日本軍衛生兵M氏の語る「慰安所」
   http://www.d3.dion.ne.jp/~okakinen/siryousitu/siryou1.html
   > ── Mさんがいらした石門子の「慰安所」についてお話しして下さい。
   >
   > 石門子には、慰安所が5軒ぐらいありました。
   > そのうち1軒は日本人の慰安婦で、あとは朝鮮人でした。
   > 将校や幹部相手は日本人の慰安婦がし、一般兵は朝鮮人慰安婦。



 ちなみに、朝鮮戦争で韓国政府が設営した軍属売春婦『韓国軍慰安婦』は、性病が蔓延してトンデモ ナイ事態になっていました。

   【洋公主】 韓国軍特殊慰安隊の真実 (朝鮮戦争時の奴隷売春婦)
   http://youtu.be/KZ2d1bqycmw
   560x315
   

 

 

 

 

 

 

 酷いモンですねぇ。

 というわけで、

  > 軍「慰安婦」制度を作って性病を防止しようとしても失敗してしまうのです。

 というのは、朝鮮戦争に於いて韓国政府が設営した軍属売春婦『韓国軍慰安婦』の話でした。 ちゃ んちゃん。



 「慰安」の提供:人権無視の措置。

 強かん防止にも、性病感染防止にも役立たない慰安所がなぜ増えていくのでしょうか。
 戦場で劣悪な状況に置かれている兵士たちの不満を解消するために
 「慰安」の提供が必要だというのが第3の、そして最大の動機だと思います。
 戦前の日本の男性文化の中では、「慰安」として最初に思いつくのは酒、それから買春でした。
 女を提供すればいいという軍による安易な、人権無視の発想の中で
 この制度がつくられていくのです。

 ま、これは否定せんわ。



 スパイ防止:女性はモノ扱い

 第4の理由として「防諜」というのがあります。 スパイ防止ということです。
 これは、日本の軍人が戦地・占領地の民間の売春宿に通うと、
 その女性たちと深い関係になる可能性がある。
 もしそこにスパイが入っていると軍の機密が筒抜けになる。
 そこで、戦地・占領地にある民間の売春宿に通うことを禁止して、
 その代わりにスパイが入り込まないような、完全に軍の監督・統制下におかれた
 慰安所をつくろうとするのです。
 これが、日本軍が「慰安婦」制度をつくり、軍の中に抱えこんでいく、
 もうひとつの理由になっていました。

 これも否定する理由なし。



 いずれにしても、慰安所に入れられる女性たちは
 軍のための単なるモノとしか考えられていませんでした。

 

 2ちゃんねるまとめブログに見る従軍慰安婦問題 より

   2013.08.07 ネトウヨにゅーす。
   慰安所で勤務し、その様子をつづった朝鮮人男性の日記が発見される
   慰安婦の日常生活がうか がえる内容も
   http://netouyonews.net/archives/7997367.html

   > 13:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/07(水) 17:49:08.78 ID:b22u73U/
   > 今回わかったこと
   >
   > ・ 正月休みだけど奴隷
   > ・ 病院から車で帰ってくるけど奴隷
   > ・ 映画観に出かけるけど奴隷
   > ・ 辞職して雇い主が帰郷をお見送りするけど奴隷
   > ・ 無事に帰れましたとハガキを出すけど奴隷
   > ・ 帰郷後送金してもらえるけど奴隷
   > ・ 金が届かないと電報で催促するけど奴隷
   > ・ 身重で休業できるけど奴隷
   > ・ 入院して出産できるけど奴隷
   > ・ 中居に転職して結婚をみんなで祝うけど奴隷
   > ・ 旅行できるけど奴隷

   > 43:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/08/07(水) 18:04:03.61 ID:Ma+tIfeN
   > >>13
   >
   > USAFのレポートでも韓国側の嘘が分かってたことだけど
   > もうね、完全に職業として売春してただけって分かるよね

 はい論破。



 また、日本軍の兵士たちも、性的欲望をあおられ、愛のないセックスをさせられるという意味で、
 人権を無視されていたことになるのではないでしょうか。

 

 セックス云々以前に、志願兵以外の日本兵は召集令状一枚で人狩りされて、軍へ強制連行。 殴る 蹴るの暴行を伴った過酷な訓練を受けさせられ、訓練を生き延びても次は前線へ強制連行されて、憎 くも無い,いやそれ以前に見たことも無い相手と殺し合いをさせられて、消耗品の様に殺されているん だ。
 そういう過酷な人権無視の前には、「性的欲望をあおられ、愛のないセックスをさせられる」如きはど うでもイイわ。

 愛のないセックスが、強制徴兵&前線投入よりも酷い人権無視だと思ってるなら、こんな捏造まみれ の糞サイトなんか創ってないで、さっさと病院へ行って頭を看て貰え。


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