『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』 を斬る 《跡地》



入門編 - 7 女性たちは戦後どのように生きてきた? を斬る

 引用元URL → http://fightforjustice.info/?page_id=301 (なお魚拓は無効な構造です)

   ↓ ↓ ↓

 発覚したのは、平成25年12月03日ですが、webサイト 『 Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却 への抵抗・未来の責任 』 の構造が変更になり、魚拓の取得が可能になりました ( 一部で取得エラー が出ますが ) 。 さっと目を通した限りで文章の変更は無い様に思われます。


 7 女性たちは戦後どのように生きてきた?
 http://fightforjustice.info/?page_id=2344 ( 魚拓 )


 以下、青い色の文字がwebサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責 任』からの“引用”です。


 入門編 7 女性たちは戦後どのように生きてきた?

 韓国人元「慰安婦」の証言を数多く聞き取った研究者は、
 「『慰安婦』女性の被害は慰安所で終わるのではなく、そこからはじまる」(梁鉉娥)
 と指摘しています。
 これは中国人女性・フィリピン人女性・オランダ人女性など、
 アジア各国・地域の元「慰安婦」や性暴力被害者にも当てはまります。

 女性たちの戦後の処遇(→入門編6)は民族の違いがありますが、
 彼女たちの戦後の人生は、民族の違いを越えて、よく似ています。
 現在でも性暴力被害者がその被害を訴えることは大変ですが、
 現在とは比べものにならないほど女性に「貞操」や「純潔」が求められる時代に生きてきた
 「慰安婦」被害女性たちは、

 

 日本が併合するまで、500年間以上も朝鮮半島は日本の士農工商よりはるかに厳しい、身分制度に 縛られていました。

   2005年07月22日 徒然なるままにエッSAY!
   「チャングムの誓い」と李朝520年の身分制度
   http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/28635881.html

   《前略》
   >
   > いまや比較文化論で確固たる名声をはくした呉 善花(オ・ソンファ)を
   > 口汚く評論している記事を読んで、なぜこれほどまで酷評するのかと
   > 不信感を持ったことがある。
   >
   > 田氏はソウル出身で呉氏は済州島出身これだけで納得した。
   > 済州島は昔は「元」の直轄地で軍馬の放牧地であり、流人の島であった。
   > 華夷秩序から言えば小中華の中心はソウルであり、遠く離れるほど軽視されるのである。
   > 特に済州島やウツリョウ島なんかはその典型である。
   >
   > 昔の百済(今の全羅北・南道)は金大中大統領が出るまで長いこと差別されてきた。
   >
   > あまり知られていないことであるが
   > 那覇に対する石垣島も儒教的意識の強い沖縄人の心の中にあると
   > 沖縄出身の恵 隆之介氏がいっている。
   > ロスの黒人によるリトルソウル暴動の原因は
   > 韓国人による黒人に対する差別意識だったということである。
   > もっとも彼らは韓国内では最下層の白丁(ベクチョン)出身者が多かったというのも
   > 皮肉なものである。
   > このように世界で一番身分差別の激しい民族はといえば韓国・朝鮮人というのが定番である。
   >
   > 何が彼らをこうさせたかというと李朝時代の厳しい身分制度にあったのではないかと思う。
   >
   >
   > ● 李氏朝鮮時代の身分制度
   >
   > この時代(1392年〜1910年 ただし、1897年からは「大韓帝国」であったが、
   > 実体は李氏朝鮮時代))の身分制度も高麗時代のものを継承した。
   >
   > 身分は、大きく「良民」と「賤民」に分かれる。
   >
   > ◎ 「良民」自由民であり、納税、国役の義務を負う
   > │
   > ├○ 両班(文班、武班)
   > │
   > ├○ 中人(下級役人、技術官など)
   > │
   > └○ 常民(農民、商人、職人)
   >
   >
   > ◎「賤民」
   > │
   > └○ 奴隷 ―┬─ 奴婢 売買、贈与、相続の対象
   >         │
   >          ├─ 公奴婢 ― 国家に所属 
   >         │
   >         └─ 私奴婢 ― 個人に所属
   >
   >         「入役奴婢」は、国の労役や主人の雑役に従事しなければならない
   >
   >         「納貢奴婢」は国や主人から独立の生計を営みながら一定の身貢をする義務
   >
   >
   > ● 白丁(べクチョン)(動物の屠殺に従事する者)
   >
   > ● 才人(広大ともいう)(芸人)
   >
   > ● 官妓(役所に所属する酌婦)
   >
   > ● 牽令(キュンエン)(牛・馬を引く者)
   >
   > ● 砲手(猟師)
   >
   > ● 水尺(スチョク)(狩猟民)
   >
   > ● 駅卒(駅の使用人)
   >
   > ● 巫女
   >
   > ● 僧侶
   >
   《中略》
   >
   > 奴婢制度は、1894年の甲午改革(日本の強力な指導)で廃止されるまで続いた。
   > しかし、なかなかその偏見は収まらず、
   > 現在でも「五姓」といって賎民の子孫とされる「姓」があり、
   > 結婚・就職などの障害が見られる。
   >
   >
   > ■ 李氏朝鮮時代には、どのくらいの「奴隷―奴婢」がいたのであろうか。
   >
   > これについては、現存する李氏朝鮮時代の「戸籍帳籍」は
   > 「山陰帳籍 1603 年、1630 年」と「大邸帳籍 1690 年-1849年」を分析すればわかる。
   > これらの「戸籍帳籍」は日本人研究者に公開されていないと聞くから
   > (次に韓国に行ったら確認してみる)、専ら、四方博京城大学教授(執筆当時)の
   > 「朝鮮社会経済史研究(中)」から引用する。
   >
   > ┌──────┬─────┬─────┐
   > │      │1690年│1858年│
   > ├──────┼─────┼─────┤
   > │ 両  班 │  7.6%│  48.6%│
   > ├──────┼─────┼─────┤
   > │ 常  民 │  51.0%│  20.2%│
   > ├──────┼─────┼─────┤
   > │奴婢(奴隷)│  41.2%│  31.3%│
   > └──────┴─────┴─────┘
   >
   > 人口はあまり変わっていないのに
   > 支配層の両班が1割程度から5割にまで増えているのは官職の売買があり、
   > 三代にわたって ≪ 良人(両班も含まれる) ≫ を冒称する者は
   > これが認められるという規定があったためとも言われている。
   >
   >
   >  *********************************************
   >
   >   「立ち直れない韓国」 黄文雄 1998年 光文社
   >
   >  朝鮮の社会革命の難しさの根源は、その伝統的な身分階級制度にある。
   >  甲申改革当時の金玉均ら改革派たちの主張によれば、
   >  朝鮮社会の門閥や封建的身分制度こそ不平等の根源、
   >  国政腐敗、国力衰弱の主因と指摘している。
   >  両班階級は、その能力や才能とは無縁な生まれつきの血縁関係によって規定される
   >  伝統的な身分制度であった。
   >  朝鮮半島は、1894年になって、ようやく「四民平等」を宣言した。
   >  そのときから、賎民(奴婢など)もやっと両班や良人と同じように戸籍を持つように
   >  戸籍法が改正された。
   >  しかし、甲午改革は「三日天下」ですぐに失敗した。
   >  朝鮮総督府は、実質的に法律によって階級差別廃止を行なったのであった。
   >
   >  李朝末期には、
   >  奴婢が公賎(官庁に所属した奴婢)と私賎(両班などに所有された奴婢)に分けられ、
   >  私賎は男子が少なく、女子がほとんどであった。
   >  婢(女の奴隷)は日韓併合当時、まだ一人三十円で売られていた。
   >  婢に特定の夫はおらず、
   >  何人かの間で替えていくのが風習であった。
   >  しかし、婢は主人の所有物であったから、その生まれた子供もまた主人の所有に属し、
   >  その子もまた転売されていくので、婢の子孫は、女子であれば、ほとんど世々代々
   >  奴隷として浮かぶ瀬あらんやといわれた(まさしく性奴隷)
   >  (『朝鮮農業発達史』『同・政策編』小早川九郎編著、友邦協会)。
   >
   >  朝鮮農民は、両班に差別され、白丁(被差別民)がまた農民に差別された。
   >  この階級社会ではトラブルが絶えなかった。
   >  このような朝鮮社会の病弊は、けっして一朝一夕で克服できる問題ではない。
   >  今日の韓国社会に至ってもそういえる。
   >
   《中略》
   >
   >  いずれにしても近代国家としての本格的社会改革は、
   >  朝鮮総督府からであったというべきだろう。
   >
   >  また、李朝時代の地域的差別は、
   >  西北地方と東北地方の出身者が、完全に官界から排除され、
   >  官吏は中央だけから送られた。
   >  もちろん、国家による地方差別は公然と制度化された。
   >  『経国大典』には、咸鏡道、平安道、黄海道の人は、官憲への登用はもちろん、
   >  鷹師への起用さえ禁止する条項があったほどだ。
   >  平安道人は、平安道奴、西漢、平漢、平奴、避郷奴と蔑視されていた。
   >  朝鮮総督府はこれらの差別を廃止したが、
   >  残念ながら、今日の韓国社会では、
   >  地域的な差別が厳然として存在している。
   >  それは朝鮮半島の永遠なる民族的課題とさえいわれている。
   >
   >  このような見捨てられた地方民、つまり東北、西北朝鮮の地方民は、被差別民だから、
   >  門閥を重んじる京城の両班たちは、ほとんど西北地方の人との婚姻を禁止し、
   >  つき合いさえなかった。
   >  というのは、東北、西北の地方民は、ほとんど任官を受けられなかったので、
   >  婚戚関係を持ったところで何の役にも立たないからである。
   >  ましてや京城の人間から見れば、
   >  東北、西北地方は、重罪人の禁固や流配の地にすぎなかった。
   >  咸鏡道人を「水売り」、「咸鏡道奴」、「咸鏡ネギ」と軽蔑し、敬遠するのは、
   >  伝統的な差別意識からくるものであった。
   >
   >  人種差別や地域差別は、朝鮮半島だけではなく、日本人社会にもある。
   >  韓国人、朝鮮人に対して、優越意識を持っている日本人のいるのは確かであろう。
   >  しかし、李朝社会ほどの人種差別と地方差別を持つ民族は、ほとんど考えられない。
   >  朝鮮総督府は、日韓合邦後、「内地延長主義」の原則をずっと堅持しつづけていた。
   >  それは朝鮮半島にとって、まさしく破天荒な政治原則であった。
   >  仮りにそれがしばしば有名無実であっても、少なくとも李朝以来、あるいは遠く溯れば
   >  三韓、三国時代以来の地域差別、さらに李朝以来の階級差別の歪みを是正する、
   >  一つの大きな契機となっていた。
   >  今日の韓国社会は人種差別にも、地域差別にも、悩みつづけている。
   >  しかし、階級差別を法的に禁止したのは朝鮮総督府時代からである。
   >  朝鮮総督府の時代は、多くの失政もあったことは確かであろうが、
   >  政治的変革以上に大きな社会変革を完遂した。
   >  この事実については、李朝体制を視野に、その延長としての朝鮮総督府とは何かを
   >  その原点から見ることが必要ではないだろうか。

 両班に於いては、現在とは比べものにならないほど女性に「貞操」や「純潔」が求められる時代だった のかも知れませんが、身分の低い者達にとっては、そうではなかったのです。 特定の夫が居らず、何 人かの間で替えられていた婢(女の奴隷)に「純潔」は勿論、「貞操」など求められようがありません。  人口の3割を占めていた奴隷の半数が女性として、低く見積もって(当時は長生きできなかったので、全婢(女 の奴隷)に占める性交可能な年齢は50%よりも遥かに多かったと推測されます)その更に半分が性交可能な年齢の 婢だったでしょう。 

 朝鮮半島併合当時の半島人口は、

   すがすが日記「統計嘘つかない、朝鮮半島の人口推移」
   http://temple.iza.ne.jp/blog/entry/163466/

   

 上のブログに拠れば、1313万人だったらしいので、ざっと1313万人×0.3÷2≒197万人で、実に200 万人近くも性交可能な年齢の婢(女の奴隷)が居た勘定になります。

 もちろん、この数字は併合直後の数字であり、朝鮮総督府は「内地延長主義」の原則を以て身分制 度の破壊に努めたのですが、併合が1910年であり、自称『従軍』慰安婦たちが強制連行されたとする 時期は1930年代後半。 とうぜんのことながら、1930年代後半では元婢(女の奴隷)に対する差別が強 く残っており、元婢(女の奴隷)の子が「私は清純にして貞操観念が強い」と吹聴しても一笑に付された ことでしょう。

 なにせ、今以て尚も韓国人は、自国内で自国民同士が蔑み合っているのですから

   2013.07.12 News U.S.
   韓国は世界最低の差別大国!!!! 同じ韓国内でも強烈に差別される地域が存在!!!!
   http://www.news-us.jp/article/369081495.html
   > 韓国とは「人間差別」があふれた国だ。
   > ここで「人種差別」と言わないのは、韓国人同士にも激しい差別があるし、
   > 別の国に住む韓民族も差別の対象になっているからだ。
   >
   > 全羅道(旧百済地域=朝鮮半島南西端の地方)出身者に対する差別は
   > 高麗時代から始まった。
   > 朴正煕大統領から金泳三大統領に至る政権は、
   > 慶尚道(旧新羅地域=朝鮮半島の南東部の地方)人脈を中枢に据え、
   > 「中央省庁の標準語は慶尚道方言だ」とされるほどだった。
   >
   《中略》
   >
   > 韓国人同士の間にも、異様な学歴崇拝癖と、職業に対する伝統的にして
   > 病的な貴賤意識とが絡み合い、李王朝時代と同じような事実上の身分制度がある。
   > さしずめ財閥系大手の管理職は両班(ヤンバン=貴族)であり、
   > 町工場のブルーカラーの人々はひどく差別されている。
   > 李王朝時代の身分制度には法的根拠があったが、現代の両班は故なく威張りちらしている。
   >
   > 今日の韓国では、外国から就労目的で来た人々がひどい差別の対象になっている。
   >
   《以下略》

 つまり、サヨクの主張する慰安婦20万人説すら可能なほどに、「純潔」も「貞操」も求められない朝鮮 人女性が大勢いたのです。

 というか、こんなことは私の様な市井のオッサンが指摘するまでもなく、webサイト『Fight for Justice  日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』に関わる様な朝鮮半島の歴史に詳しい人なら重々 周知だった筈です。

 どうしてこんな姑息な嘘で、予備知識のない人を騙そうとするのでしょう。

 正々堂々と闘って欲しいものです。



 戦後に性被害を訴えることができないまま、苦難にみちた歳月を送ってきたからです。

 

 [ 慰安婦の募集に応じた ] = [ 女性に「純潔」と「貞操」が求められていた両班ではない ]

 すなわち、自分が卑しい身分だと知られなくて性被害を訴えなかったという話なら、それは理解できま す。

 しかし、それは朝鮮総督府が「内地延長主義」の原則を以て身分制度の破壊に努めたにも拘らず、 尚も身分制度に基く差別を止めなかった韓国国民の問題であって、日本政府の所為ではありません。



 ただしそのあり方は、まったく同じではありません。
 「トラウマ」「PTSD」を通して、彼女たちの戦後の人生をみてみましょう。


 性暴力被害者に高いPTSD発症率

 「トラウマ」「PTSD」という言葉を聞いたことがあると思います。
 トラウマとは命の危険にさらされたり、性的な侵害をうけたりといった
 「衝撃的な出来事にあったときに生じる心の傷(心的外傷)」のことです。
 あまりの衝撃に「言葉を失う」経験なので、「言葉になりにくい」「言えなくなる」というのが
 トラウマなのです。
 そのトラウマ反応の1つが
 「PTSD」(心的外傷後ストレス障害、Post traumatic stress disorder)です。
 PTSD症状には、極度の緊張や警戒が続いたり、フラッシュバックや悪夢などで
 とつぜん記憶がよみがえったり、トラウマ体験を思い起こさせるものを避けたり、
 感情反応がなくなったり、自責の念にとらわれたりする、などがあります。

 トラウマ体験にはジェンダー(社会的につくられた性別)の違いがあり、
 男性は災害・事故・暴力・戦闘、武器による脅迫などでPTSDが発症しますが、
 女性に圧倒的に多いのは性暴力被害です。
 しかも性暴力被害は、ほかのトラウマ体験よりもPTSDの発生率が高いといわれています
 (宮地尚子による)。
 「慰安婦」被害や戦時性暴力被害は、精神科医により「PTSD」あるいは「複雑性PTSD」と
 診断されています。
 ここでは、朝鮮人元「慰安婦」、中国人元「慰安婦」・性暴力被害者のケースをみていきましょう。


 PTSDと家族・社会からの疎外:朝鮮人女性の場合

 韓国の被害者は慢性のPTSDが多いと診断されていますが、その根拠は次のようなものでした
 (梁鉉娥による。 2000年韓国仁川サラン病院での被害者14人中11人)。

 

 > 2000年韓国仁川サラン病院での被害者14人中11人

 なんで戦後60年も経ってるんだよ。

 そもそもトラウマ性鬱病:PSTDの治療はゴールが完治ではなく寛解だ。

   2011/3/23 YAHOO!知恵袋「PTSD症状って治癒可能なのでしょうか?」
   http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1058397905
   > motohiro456さん
   >
   > PTSD症状って治癒可能なのでしょうか?
   >
   > どの辺で治癒というのか難しそうですが、かなり軽減するものなのでしょうか?
   >
   >
   > kmeson915さん
   >
   > 完治したという話も聞きますが、
   > さまざまな療法を試みて長い期間をかける方が大半ですね。
   > 多くは何十年レベルの話です。
   >
   > 完治ではなく、寛解という状態があります。
   > 完全に解決はしていないけど、
   > 現状として問題ないレベル、苦痛がなく、生活に支障のない状態に落ち着いている状態。
   > 治療法の確立していない病気の場合、この言葉が使われます。
   > 私もこの先長い人生を思うと完治したと言い切っていいのか疑わしいですが、
   > 寛解状態にあると自負しています。


   10.うつ病への対処B:トラウマ性うつ病・PTSD
   http://www.ijime-trauma.com/topic7-10.htm
   > トラウマ性うつ病の原因となるトラウマとしては、
   > よく知られているものとしては、
   > 戦争・戦場体験トラウマ、虐待体験トラウマ(児童虐待、性虐待、拷問、いじめ)、
   > 被災体験トラウマ、などがあげられます。
   > これらのトラウマ性うつ病(PTSD)の大きな特徴は、次の2つになります。
   >
   > @ 薬が効かない
   > A 回復(病気の寛解)までに非常に時間がかかる
   >
   > @に関しては、どんなに抗うつ薬を大量に服用しても、種類を増やしても、
   > うつ状態の軽快になかなかつながらないということです
   > (わたしの場合は、軽快までに服用してから7年かかりました)。
   > 薬による症状の軽減が難しいこと、
   > つまり精神的に破たんした後、再び以前の生活を取り戻すまで回復させるのが
   > すごく難しいのです。 今のところ特効薬はありません。
   > Aに関して言うと、@とも関連することではありますが、
   > 長期化するとは、症状が慢性化・遷延化することが非常に多く、
   > 例えば3年、5年、10年、位のスパンで回復してゆくという感じです。

 エロゲ [ 君が望む永遠 ] の名セリフ「時が全てを解決してくれる」ではありませんが、基本的に心の病を治すのは“時間”です。 もちろん、例外はあるでしょうが、経年と共に寛解へ向かうものです。

 つまり、戦後60年も経って尚も重症のPSTDに悩まされているなら、その何十年も前は精神崩壊を起 こす重篤な患者だったいうことになります。 その段階で治療を受けずに居たなら、疾うの昔に高いビ ルから飛び降りてアスファルトのシミになっていますよ。



 @ 「慰安婦」時代に自分や仲間が銃剣をもった軍人に殴られたりして死の脅威を感じ、
   無力感と恐怖を経験した。

 A その後の人生で、男性、とくに軍人を見ると恐怖を感じたり避けたりした。

 B 当時の経験を考えまいと努力し、それらを思い起こさせるため、
   男性との接触を避け恋愛や結婚をしなかったりした。

 C よく眠れない日が多い。

 D これらの症状が数十年間反復し持続し、自ら命を絶ちたいと思うことが多い。

 韓国挺身隊問題対策協議会が「慰安婦」申告被害者 192人を調査した結果によれば、
 被害者のほとんどが対人恐怖症、精神不安、鬱火(怒りを押さえすぎて起こる病気)、
 羞恥心、罪悪感、怒りと恨み、自己卑下、諦め、うつ病、孤独感など、
 深刻な精神的障害をもっていました。

 

 朝鮮半島の女性にとって『慰安婦』は大東亜戦争で終わりではない。

 1950年に朝鮮戦争が勃発する。

 1948年にアメリカ合衆国の支援を受けて建国した韓国は、朝鮮戦争中に慰安婦を募集した。
 韓国政府が「特殊慰安隊」と呼ぶ、韓国軍・米軍向けの慰安婦である。

 従軍慰安婦問題に於ける自称慰安婦の証言で1930年代後半に親に売られ、または儲け話に騙され て売春婦に成った人の多くは若かった。 その若い女が、実際に居るのか居ないのかわからない架空 の『本人の意思に反して売春をさせられた可哀想な娘』であっても、日本が敗戦する頃には一端のプロ 売春婦である。 大東亜戦争の時からプロの売春婦だった筋金入りのプロと一緒に新しい職場に赴い たとしても誰も驚かないだろう。

 しかし、「特殊慰安隊」は日本帝国軍の慰安所の様な甘っちょろい売春宿ではなかった。

 

   2013/07/10 歩かない旅人
   特亜に捏造史観を認めさせ、謝罪させよう。(2)
   http://ippeke.de-blog.jp/blog/2013/07/post_465f.html
   > ( 雑誌 『WiLL』 2013年 8月号より )
   >  《 総力大特集 「性奴隷」 捏造を許すな! 》
   >  【 世界一の 「性奴隷大国」 韓国 】  二回目
   >          ジャーナリスト     山際 澄夫
   > **********
   >
   > 〔 韓国軍も 「同じ穴のムジナ」 〕
   >
   > 米軍は先の大戦で、日本本土に進駐後の最初の十日間、神奈川県だけで
   > 一千三百件の強姦事件を起こしたと記録に残っているが、
   > 朝鮮戦争でも同じことを行っていたのである。
   > 米軍はやがて韓国軍に交代した。
   >
   > 〈 韓国軍は我々の村が北朝鮮の支配下にあったということで、
   >  北朝鮮の協力者の摘発を始めたんです。
   >
   > **********
   >
   > 北朝鮮の内務省の事務をやっていた女性を、
   > 40日間というもの強制売春みたいなことをやらされたのです。
   > いや、売春ではないですね。不特定多数者による性暴行です。
   > 婚約者のいる処女ですよ。
   > しかも彼女は、そのために子供を産めない身体になってしまったのです。
   > 韓国軍がこんなひどい事をしたのは私の村ではこの一件ですが、
   > 他の村でも同じようなことがたくさんあったのです 〉。
   >
   > **********
   >
   > そこに、韓国軍が送り込んできたのが、「慰安婦」だった。
   > 三十人ほどで、それぞれの家に一人ずつ民宿させていたという。
   > 小さな最前線の村の話だが、大変な慰安婦密度だったのだ。
   >
   > 〈 私たちの村では、売春婦を歓迎したんですね。
   >  彼女たちが村に来てから、村の女性に対する性暴力は無くなったんです。
   >
   > **********
   >
   > 雨が降るとコンドームがあちこちから流れて来るんですよ。
   > 子供には何かわからないので、それに水を入れて遊んだりしたものです 〉。
   > という。
   > 崔氏は自らの体験を踏まえ、なぜ戦前の日本の、「従軍慰安婦」問題だけが
   > 取り上げられて、自らが体験した米軍や、韓国軍の、「性暴力」が問題にならないのかと
   > 批判している。
   >
   > **********
   >
   > 〈 慰安婦制度が好いというわけじゃないんですが、
   >  なぜ明らかな犯罪である性暴力が問題にならないのでしょうか。
   >  こっちの方がより大きな問題だと思うんです〉
   > という。
   > 日本と違って痛ましい、「慰安婦」が韓国にもいたことは、別に秘密でもなんでもない。
   > ただ政府が調べようとせず、「慰安婦」」も名乗り出ないだけでだ。
   > しかも問題は韓国軍の、「慰安婦」が日本と違って、
   > それこそ性奴隷同然の痛ましい境遇にあったことだ。
   >
   > **********
   >
   > 韓国で、「韓国軍慰安婦がいた」と最初に告発した漢城大学教授、金貴玉氏も、
   > 『軍隊と性暴力ー朝鮮半島の二〇世紀』(2010年現代史料出版)で
   > 韓国軍、「慰安婦」は性奴隷であったと論じている。
   > 金氏も朝鮮戦争ではさまざまな国家暴力が行われたとして、
   > 陸軍本部が運営した、慰安所(「特殊慰安隊」)について説明している。
   > それによると、慰安所を設けたのは、
   > 〈 軍人の士気昂揚、性欲抑制から来る欲求不満の解消、性病対策 〉
   > からという。
   >
   > **********
   >
   > 〔 女性をドラム缶に 〕
   >
   > 資料から分かっているだけで、一九五一年から一九五四年ごろまで、
   > 〈 ソウルの三か所と江陵、その他 〉 に特殊慰安隊が設置され、
   > このうちソウルと江陵に収容された慰安婦は八十九名。
   > 一九五二年にそこを訪れた兵士の総数は二十万四千人あまり、
   > (特殊慰安隊の「実績統計表」から)。
   >
   > **********
   >
   > 金氏は、
   > 〈 一人の「慰安婦」が一日に六回以上、「慰安」を強要されていたことがわかる。
   >  また、「出勤慰安」の場合、日に、二、三十回の「慰安」を強要されたものと考えられる 〉
   > と述べている。
   > そのうえで、
   > 〈 「慰安婦」として働くことになった女性たちは、「自発的動機」がほとんどなかった。
   >  ある女性は十代後半の未婚女性で、ある日、韓国軍情報機関員に拉致され一日で、
   >  「韓国軍慰安婦へと転落した。
   >
   > **********
   >
   > 彼女はこのことの証言を拒んだが、拉致した工作員二名によりこの事実が証言された。
   > すべての「慰安婦」がこのようであったと推定することは難しい。
   > だが、ほかの「慰安婦」にされそうになった女性の証言からは、
   > いわゆる、「アカ」と呼ばれた状況におかれたため、軍人に殺されるかも知れない
   > という恐怖心から、「慰安婦」となることを阻めなかったことがわかる。
   >
   > **********
   >
   > また、強姦の結果、「慰安婦」とならざるを得なくなったケースもある〉。
   >
   > 〈 国家の立場からみれば公娼であっても、韓国軍、「慰安婦」制度は
   >  あくまで軍による性奴隷制度であり、女性自身は性奴隷であったと言えるだろう〉。
   >
   > この論文には慰安の対価については言及されていないが、性奴隷だったというのだから
   > 話にならないレベルだったかもしれない。
   >
   > **********
   >
   > この「特殊慰安隊」については、李榮薫ソウル大学教授の『大韓民国物語』(2009年
   > 文芸春秋)でも悲惨な現実が綴られている。
   > 〈 (特殊慰安隊は)ソウル。春川、原州、江陵、束草などに設置されていました。
   >  私が合うことが出来たある従軍経験者によれば、春川の昭陽江の川辺には
   > いくつもの天幕が張られており兵士たちがずらっと列をなして順番を待っていた
   > といいます。
   >
   > **********
   >
   > 日本軍が慰安所の前で列をなしていた光景と少しも変わるところがないと思われます。
   > これ以外にも各部隊は部隊長の裁量で、周辺の私娼窟から女性を調達し、
   > 兵士たちに、「補給」したのです。
   > 私はその「補給品」をトラックに積んで前線を移動して回った元特務上等兵にあったことが
   > あります。 彼によれば、ドラム缶に女性を一人ずつ入れて最前線まで行ったといいます 〉。
   >
   > **********
   >
   > 〔 政府自ら 「女衒」 に 〕
   >
   > 韓国の週刊誌、『 ハンギョレ21 』(2011年11月28日号)は、
   > 売春政策で韓国政府は、
   > 〈 一方では違法の烙印を押しながら他方では放任し、
   >  時には積極的に “女衒”の役割までした 〉。
   > として、こう報じている。
   > 〈 『釜山日報』の1950年9月の記事によれば、
   >  馬山市が連合軍の労苦に報いるため慰安所五か所を設置することになり、
   > これらの許可証をすでに発行した 〉。
   >
   > **********
   >
   > 米軍専用の慰安所もあったのだ。 朝鮮戦争後も、「慰安婦」は維持された。
   > 1960〜80年代、韓国では国を挙げてのキーセン観光が行われた。
   > そのために売春は国策とされた。
   > 『ハンギョレ21』は、ダンスホールやキャバレーなどでのサービスガールは、
   > ソウルだけで四千人、全国百九十か所の国連軍専用ホールだけで稼ぐ外貨は
   > 年一千万ドル(1966年)に達したと報じている。
   >
   > **********
   >
   > ところが、「慰安婦」に関する政府による詳細な調査は行われることなく、
   > 韓国内では相も変わらず日本の「慰安婦」制度だけがやり玉にあがるのである。
   >
   > そのことを象徴するかのように、金貴玉氏の告発は、
   > 「身内の恥を晒すもの、日本の極右に利用される」
   > などの非難に晒されたという。
   > 国防部の関連史料は、閲覧を禁止され、「韓国軍慰安婦」の証言も得られなかった。
   > 「韓国軍慰安婦」は民族の英雄扱いされる、「日本軍慰安婦」とちがって、
   > 韓国ではカミングアウトすらできない女性たちだということだろう。
   >
   > **********
   >
   > 〔 ライダイハンの子供たち 〕
   >
   > 韓国軍の性暴力で忘れてならないのが、ベトナム戦争である。
   > ベトナムで韓国軍は、米軍のソンミ虐殺も真っ青な三十万人の虐殺を行ったとされるが、
   > 性暴力も凄まじかったのである。
   > その何よりの証拠が、ベトナム女性への強姦などによって誕生した、
   > 「ライダイハン」と呼ばれる混血児である。
   > その数は、韓国の報道でも三万人とも言われる。
   >
   > *********
   >
   > わずか五年、述べ三十二万人の派兵で、
   > 米兵との混血アメラジアン一万五千人〜二万人を上回る数だった。
   > 日本軍は軍規が厳しく強姦は許さなかったのと大変な違いだ。
   > ライダイハンは、「敵軍の子」として迫害された。
   > そして韓国は今に至るまで一切の補償を行っていない。
   > 〈 韓国人の誤った歴史認識は何としても正さなければならない 〉
   > と訴える金完燮氏は、『親日派のための弁明』(2002年草思社)で
   > ベトナム戦争での韓国軍の行為を激しく糾弾している。
   >
   > **********
   >
   > 〈 韓国の場合、アメリカからいくばくかのお金を与えると言われて、
   >  何の関係もないベトナムに軍隊を送ったあげく、無辜の良民を見分けることが出来ず
   >  虐殺したのは、わずか三十年前のことだ。 当時の韓国軍がいかに残酷だったことか。
   >  ベトナムではダイハン(韓国軍のこと)が来たといえば
   >  泣いていた赤ん坊もぴたりと泣きやんで恐怖に震えたという話が伝わっている 。
   >
   > **********
   >
   > また、韓国兵は幼いこどもらにアメをやると言って呼び寄せ
   > 悪戯半分で撃ち殺したとも言われている 〉。
   > 国内で同胞を性奴隷とし、ベトナムでは夥しい数の混血児を遺した。
   > そんな国が、世界中で日本の「慰安婦」を叩く。
   > 女性の尊厳どころか、その目的は日本の信用失墜を図り、
   > あわよくば何がしかの金をむしりとろうという魂胆であろう。
   > それなのになぜ、日本は反論を躊躇するのか。
   >
   > ????   ????   ????   ????

 さて、朝鮮戦争時代の「特殊慰安隊」が、如何に悲惨にして過酷であったかを知って頂けたなら、更 に次の記事にお目通し頂きたい。

   2013年7月8日 ニュー速をまとめてみた
   【東京】通学途中、警察官にジープに乗るように強要され、インドの慰安所に送られた
   …92歳元慰安婦が証言
   http://blog.livedoor.jp/nakamulatakasi103/archives/30214176.html
   > 今年92歳になる台湾人元「従軍慰安婦」の鄭陳桃さんは
   > 日本の人々に過去の歴史を忘れないでほしい、
   > 戦時中の慰安婦の存在を二度と否定しないでほしい
   > とはるばる日本に赴き人々に訴えかけた。
   >
   > 今月6日から東京都新宿区の「戦争と平和女性博物館」で
   > 台湾慰安婦についての特別展が日本の団体と台湾のNPO、婦女救援基金会によって
   > 共催されるが、鄭陳さんはその高齢にもかかわらず、歴史の生き証人として名乗りを挙げ、
   > 同日午後都内で行われたオープニング・シンポジウムに出席、自身の悲しい過去について
   > 涙ながらに語った。
   >
   > この特別展は「台湾人『慰安婦』の証言 日本人にされた阿媽たち」と題されるもの。
   > 「阿媽」、台湾語の「阿[女へんに麼]」(アマー)は「おばあちゃん」の意。
   > シンポジウムの会場には大学生など若者を含む日本人が100人以上集まり、
   > まず先日亡くなった台湾人元慰安婦の冥福を祈って1分間の黙祷が行われた。
   >
   > 鄭陳さんは壇上に立つと日本語で自己紹介、当時、高校への通学途中、
   > 突然警察官に ジ ー プ に乗るよう強要され、
   > その後海外に連れて行かれたと語り始めたが、
   > 何度ものどをつまらせ泣き出し、話を続けることができなくなってしまった。
   >
   > 19歳で イ ン ド の「慰安所」に送られた鄭陳さんは
   > その後生きた心地のしない悲しい5年間を送る。
   > 自殺をはかり流産し、終戦後ようやく台湾に戻った時にはすでに妊娠できる体ではなかった。
   > 一生消えることのない心と体の傷を抱えながら鄭陳さんは、
   > 当時の被害者が今まだここにいる、歴史の否定や抹消は許されないのだということを
   > 日本の当局に知らせたいと今回の日本行きを自ら希望したという。
   >
   > この20年来おばあさんたちに寄り添ってきた婦女基金会幹部の康淑華さんは
   > シンポジウムの席上、アマーが自分について語るのは大変勇気の要ることで、
   > 日本側が不当な言論でアマーたちを苦しめ傷つけ、歴史の教科書では
   > 戦時中の慰安婦制度についての記述をなくして日本の若い世代に事実を知らせず
   > 過去の記憶を消そうとしていると指摘、人々の無関心に憂慮を示した。
   >
   > 同基金会ではアマーたちのドキュメンタリーを今年9月に公開することにしている。(終)
   >
   >
   > ソース
   > フォーカス台湾92歳の台湾女性、日本で講演 「慰安婦の歴史忘れないでほしい」
   > (楊明珠、陳至中/編集:谷口一康)【社会】 2013/07/07 13:19
   > http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201307070001.aspx

 もうひとつ、こういうのもある。

   従軍慰安婦問題は問題ではない 〜ありえない強制連行説、日本軍に罪はなし〜
   http://www.geocities.jp/vivelejapon1945/jugun.html
   
   《前略》
   >
   > 黄錦周(ファン・クムジュ)という人がいるが、
   > この人は自らは強制連行の被害にあったと証言する有名な人であるが、
   > この人の証言が実は有効な証言ではない。 それは証言内容がころころ変わるからである。
   > 例えば高木健一著『従軍慰安婦と戦後賠償』では
   >
   >  「生家が貧しく12歳の時100円で売られてソウルの金持ちの家で小間使い、
   >   1938年に咸鏡南道ハムン郡で女中をしていた時その家の娘の身代わりとなって
   >   満州に連行され慰安婦となる」
   >
   > と証言しているのに、1995年7月24日から27日夕刊の朝日新聞のインタビューでは
   >
   >  「咸興の女学校在学中の17歳の時、1939年に国民徴用令で動員され
   >   軍需工場に行くと思っていたが着いたところは吉林の慰安所だった」
   >
   > と証言が一貫しない、
   >
   > しかもそのうえに朝鮮人女性に国民徴用令が出たのは1944年であるから
   > 1939年に徴用されること自体ありえない話である。
   > しかも吉林には朝鮮人経営の妓桜が5件も営業していたこともあり
   > 吉林には慰安婦を置いていなかった。
   > しかもこの黄錦周はその朝日新聞のインタビューの中で
   >
   >  「最初の一年はその将校専属で昼間は兵卒の看病もした。
   >   三年目からは部隊内の慰安所で兵卒の相手、クリスマス には
   >   特に相手が多かった。
   >   カネは受け取っていない。
   >   そのまま部隊で終戦を迎えた日本兵は軍服を脱ぎ捨てて逃げいった。」
   >
   > とも証言しているがこれもありえない話である。
   > 軍医も衛生兵もいる部隊でなぜ慰安婦が兵卒の看病をするのか?
   > 日本軍にクリスマスなどなかったはずなのになぜクリスマスの時に客が増えるのか?
   > なぜ日本軍は私服を持参していないのに軍服を捨てて逃げていったのか、
   > また何を着て逃げて言ったのかまったくわからない(*5)。
   > このような嘘を歴史的証言としては価値がゼロである。
   > ただし、この黄錦周という人はある意味でかわいそうである、なぜなら
   > 嘘とわかっている証言をしないと韓国世論が許さないから
   > 死ぬまで嘘をつき続けなければならないからである。

 さらに、もう一つ行っておこうか。

   東ティモールにおける日本軍性奴隷制
   http://www.asahi-net.or.jp/~ak4a-mtn/news/quarterly/number3/sexslavery3.html
   
   《前略》
   >
   > ◇リム・ファ・ニエさんの話
   >
   > 私はアイリウの出身だ。 アイリウには日本軍の中枢があった。
   > ある日、中国人のポンベラが家にやってきて日本軍のために働けといった。
   > 14歳か15歳の頃だった。 母親が死んでから父親は病気がちだった。
   > それから二年間は飯炊きとして働かされた。
   > この時未婚の少女が3人とティモール人の男性3名がいっしょに働いていた。
   > ポンベラが来た時自分はまだ幼かったが、ポンベラたちは
   > 「しばらくすれば使いものになるだろう」
   > と言った。
   >
   > 二年たつと、慰安所(小さなホテル)に移された。
   > その慰安所には中国人の少女だけが集められていた。
   > アイナロやボボナロ出身の女性もいた。
   > アイナロ出身のある女性は、日本軍によって夫を殺された後、連行されたと言っていた。
   > 慰安所で私はハナコと呼ばれた。
   >
   > アイリウは軍事拠点でアイリウの兵営にはヘリコプター、タンクその他様々な
   > 兵器・機器が置かれており、兵士は夜間それらの警備を行なうため、私たちが慰安所で
   > 兵士の相手をさせられたのは朝から夜までだった。
   >
   > 相手をさせられた兵士の数は1日20人ぐらいだったと思う。
   > 仕事が終わると立って歩くこともできなかった。
   > 兵士はコンドームを着用していた。 性病検査はなかった。
   > 賃金は一切支払われなかった。 すごくつらかったが逃げようとは思わなかった。
   > そんなことをしたら親が殺されると思った。
   > ある中国人(英国人との混血)は娘を差出すのを拒んだため殺された
   > という話を聞いていた。 私が解放されたのは日本軍が撤退する時だった。
   > その後結婚したが、ある時夫は娘と自分をおいて逃げた。
   > 夫には自分が慰安婦にされたことを話していないが、夫はそのことを誰からか聞いて
   > 知っていたのかもしれない。
   > 夫が逃げたのは自分が慰安婦だったことを知ったためだと思う。
   > 何か、あんたの祖父(だったかもしれない男たち)が戦争中ここでひどいことをして、
   > その孫がその話を聞きに来ているっている感じだね。(2001年3月27日談)

 ジープでインドの次はクリスマス,そしてヘリコプターだ。

 小学生でも判るだろう。 朝鮮戦争時に於ける特殊慰安隊の話であると。

 この一件を以て「自称『従軍』慰安婦は全部コイツと同じに違いない」などとは言わないが、少なくとも この自称『従軍』慰安婦は、日本人相手に売春した後に、朝鮮戦争で米軍相手に売春をやっている。

 この慰安婦達は、キーワードをポロっとクチに出してしまった所為でバレてしまったが、日本兵相手の 商売が終わった後に、朝鮮戦争において、米兵相手で商売をした自称『従軍』慰安婦はさぞかし多か ったことだろう。 もちろん、日本兵相手の慰安所で酷い目に遭わされて、トラウマ性鬱病:PSTDを病 んだというなら米兵相手に売春なんか出来っこない。

 つまり、日本政府に向かって、
 「日本政府は、『日本軍兵士が軍命に従って慰安婦を強制連行した事実は無い』と言い張るが、
  それでも、このように、お婆さん達がトラウマ性鬱病:PSTDに罹っているんだ。 謝罪と賠償を!」
 と主張したいのであれば、

 まずは、大東亜戦争で日本軍の慰安婦を務めた後に、 朝鮮戦争で韓国軍の慰安婦になった筋金 入りのプロ売春婦を外してくれ。

 その上で、酷い仕打ちをした者が朝鮮人女衒でもなく、また、漢奸(日本人の手先となった中国人)でもな く、日本軍兵士であるという確たる証拠(物証でなくても構わない。裏付けのある証言でも可)を出してくれ。

 トラウマだの、PSTDだの、って話はそれからだ。



 後遺症は、精神だけでなく身体にも及びました。
 「慰安婦」時代に銃剣をもった軍人や業者による日常的な暴力や虐待によって、
 聴覚や視覚を失ったり、刀傷や傷跡、入れ墨がのこったりしました。

 

 当該ページ中央の画像は、『朴永心さんの首筋』という名前で、「抵抗したために軍刀できられた朴永 心さんの首筋の傷跡。」というキャプションが付けられているんだが

 朴永心(パク・ヨンシム)氏ってコレだぞ。

   従軍慰安婦問題を考える「朴永心(パク・ヨンシム)」
   http://sikoken.blog.shinobi.jp/慰安婦証言/朴永心(パク・ヨンシム)

   > 【考察】
   >
   > 同女が、自分であると証言している写真があるのですが、
   > それは、1944年9月3日、松山(※拉孟・中国雲南省)にて
   > アメリカ写真部隊が撮影したもので、
   > 「中国弟8軍の兵士によって捕虜にされた4人の日本人女性」
   > と記されているものです。(※恐らく、日本人と朝鮮人の区別がつかなかったのでしょう)
   >
   > 「雲南・ビルマ最前線における慰安婦達−死者は語る」(浅野豊美)のレポートには
   > 「ラウンドアップ」と言う米兵向け新聞の当該写真の4人に対するインタビューが掲載されています。
   > そのインタビューによると
   >
   > ○ 慰安婦達の年齢は、24歳から27歳
   >
   > → 1944年9月なら同女は満22歳で、数え年なら24歳。
   >   おそらく数え年を申告したのでしょう。
   >   (※他ページで「22歳のはずだからおかしい」と指摘している所があったので敢えて記載)
   >
   >
   > ○ 1942年に、シンガポールにて基地の世話や病院の手伝いをすると
   >   日本の官憲に騙された
   >
   > → 同女が朝鮮で騙されたのは1939年
   >
   > ○ 4人は「朝鮮(1942年6月発) 〜 シンガポール・ラングーン経由 〜 松山の慰安所」
   >
   > → 同女の証言は、以下の通りでかなり食い違っており、
   >   ビルマへと向かった時期だけは一致しています
   >
   >   「朝鮮(1939年発) 〜 南京の慰安所(1938年着・1942年初夏発) 〜 
   >   上海の港 〜 シンガポール・ラングーン経由 〜 ビルマのラシオの慰安所(1942年着)
   >   〜 松山の慰安所」
   >
   > インタビューでは4人は朝鮮から共に行動してきたことになっていますが、
   > インタビュー時の状況も分からないので、この記事の内容を
   > そのまま同女の証言と捉えることはできません。
   > 当時、身重のまま戦地を逃げ延びてきた同女が疲弊しきっていて、
   > インタビューに参加しなかった可能性も十分あります。
   >
   > また、南京では、同女がいた慰安所の建物も見つかっており、
   > 南京にいたというのも信憑性があります。
   > (ただし、同建物の写真が掲載されている写真を見ましたが、
   > どのくらい証言と一致しているのかは不明)
   >
   >
   > しかし、騙したのが「日本人巡査」で、南京の慰安所に連れていったのが「憲兵」というのは
   > 疑わしいと思っています。
   > 「慰安婦になった経緯」については、
   > 他の多くの元・従軍慰安婦も脚色や捏造を行っている所です。
   >
   >
   > 同女の証言の最大の疑問点は以下の記述です。
   >
   > 「玄関を入ると正面に階段があり、薄暗い階段を上って二階に連れて行かれました。
   > 〜(中略)〜
   > 「キンスイ楼」の女たちを取り仕切っていたのは朝鮮人の夫婦でした。
   > 〜(中略)〜
   > 主人は私に日本の着物に着替えるように言いました。
   > 私は「なんでこんなものを着なければいけないのか」と抵抗したのですが、
   > 主人は大きな声でどなりながら無理やり私が来ている服をはぎ取ったのです。
   > そして、「今日からおまえの名前は『歌丸』だ」と言いました」
   > (「証言 未来への記憶 アジア『慰安婦』証言集T」P.23〜25)
   >
   > 同女は、慰安所についてすぐに、初対面の慰安所の主人から「歌丸」という名前を
   > 付けられています。
   > 「歌丸」は他の慰安婦達のように、思いつきで適当に付けられた名前と違って、
   > 名前の中に「歌」という要素があって、歌が上手いから付けられたと考えるのが
   > 自然な名前です。
   > そんな名前が、初見でろくに話してもいない同女にいきなり付けられるとは思えません。
   > しかも、同女は以下のような記載がある通り、実際に歌がうまいのです。
   >
   > 「私は、気晴らしによく朝鮮の歌を歌いました。
   > そのうち日本兵のあいだで歌がうまいと評判になり、
   > 日本兵の前で歌わされることもありました。」
   > (「証言 未来への記憶 アジア『慰安婦』証言集T」P.32)
   >
   > 「歌丸」は、同女が歌がうまかったから付けられた名前でしょう。
   > 慰安所の主人はこの名前を付ける前に「同女は歌がうまい」ということを
   > 知っていたはずです。
   > しかし、証言にはそんなことは書かれていません。
   > つまり、「歌丸」という名前がつけられる前に、慰安所の主人がいつ、どうやって
   > 「同女は歌がうまい」ということを知ったのかという情報が抜け落ちていて、
   > その代わりに「巡査に騙されて憲兵に連れて来られた」という情報があるわけです。
   >
   > 確たる証拠がありませんので推測の域を出ませんが、
   > 「巡査に騙されて憲兵に連れて来られた」
   > というのは全くの嘘でしょう。
   > 本当は、
   > 「キーセンとして歌を披露していたところを慰安所経営者にスカウトされて、
   > または騙されて慰安婦になった」
   > というところではないでしょうか。
   > 少なくとも慰安所で始めてその主人と会ったと言うのは考えにくい話です。
   >
   >
   > また、同女が自ら証言する時は必ず、連行されたのは「1938年3月」だと証言しています。
   > 下記資料の米陸軍の調査報告には「1939年8月」とあり、
   > また、
   > 「南京に連行される時『暑くて汗びっしょりになった』」
   > (戦場の『慰安婦』−拉孟全滅戦を生き延びた朴永心の軌跡(P.20))
   > とも話しており、真夏であったことは間違いなさそうですが、
   > 何故「3月」にこだわるのか疑問です。
   > 南京に行くことになったのは「8月」で、
   > そもそも慰安婦となったきっかけとなる出来事が「3月」に起こったのではないでしょうか?
   > 「歌丸」と「3月」に慰安所に入れられることになった本当の経緯が隠されていそうです。
   >
   >
   > なお、2005.5.19の朝鮮新報(以下「朝鮮」)と
   > 「戦場の『慰安婦』−拉孟全滅戦を生き延びた朴永心の軌跡」(以下「戦場」)では
   > 下記の通り証言内容に相違点があります。
   >
   > < 連行時の同女の同意の有無 >
   >
   > ○ 「朝鮮」・・・「両親に聞かないといけない」と抵抗したが、無理やり車に乗せられた
   >
   > ○ 「戦場」・・・「お金が稼げる仕事がある」という言葉を信じた
   >
   > 無理やり連れて行かれたのが、無理やりではなくなっています。
   > また、「証言 未来への記憶 アジア『慰安婦』証言集T」では
   > 「お金を稼げるなら親孝行ができると思ってついて行くことにしたのです」(P.21)
   > と、むしろ、同意したことになっています。
   >
   >
   > < 南京の慰安所の様子 >
   >
   > ○ 「朝鮮」・・・3階建てのレンガ造りの建物で、各部屋の大きさは2×2.5メートルくらい。
   >
   > ○ 「戦場」・・・2階建ての大きなレンガ造りの建物で各部屋は6畳ほど。
   >
   > 3階建てが2階建てになり、5uが6畳(約10u)と2倍の広さになっています。
   > 「戦場」には南京で見つかったとされる慰安所の写真が掲載されており、
   > その建物に合わせて証言内容を変更したのでしょう。
   > 見つかったとされる建物が本当に同女がいた慰安所の建物か疑わしいものです。
   >
   >
   > < 女性を殺し鍋で煮たスープ >
   >
   > ○ 「朝鮮」・・・日本人に肉入りのスープをもらい食べたら、
   >         要求に応じなかった朝鮮人の女性の肉で作ったスープだと
   >         笑いながら言われる
   >
   > ○ 「戦場」・・・そのような記述無し
   >
   > あからさまなウソでしょう。
   >
   >
   > 蛇足ですが、上で述べた「ラウンドアップ」にも以下の通り
   > 日本の官憲が陸軍夫人部隊を募集したとの内容が記載されています。
   >
   > ○ 1942年の4月初め、日本の官憲が朝鮮の平壌近くの村に来た。
   >   彼らは、ポスターを貼ったり大会を開くなどして、シンガポールの後方基地勤務で
   >   基地内の世話をしたり病院の手伝いをする挺身隊
   >   (原文では、“WAC” organizations(※陸軍夫人部隊(管理人注)))の募集を始めた。
   >
   > ○ 応募の際に貰った1,500円(米ドルで12ドル:原文)で、治療代を工面した
   >
   > 私は、先に大金を受け取っていることから、
   > 業者が「今、官憲で応募しているアレだ」と騙したのではないかと思っています。
   > (※ 挺身隊や従軍看護婦が応募の時点でお金を受け取ることなどなかっただろうと言う
   >   推測を元にしています。この事実関係については別途調査したいと思います)
   >
   >
   > 【信憑性】
   >
   > 騙したのが「日本人巡査」で「憲兵」に引率されたというのは非常に疑わしいですが、
   > 否定できる確たる証拠はありません。
   > 南京等で慰安婦をしていたのは本当でしょうが、
   > 時に人肉スープを食べさせられたと証言する等、所々、ウソが紛れている可能性大です。

 タダの虚言癖持ち婆さんじゃねぇか。



 また長期にわたって繰り返された強かん経験は、

 

 売春を強姦に置き換えるなよ。

 売春は売春。 強姦は強姦だ。

 売春ではなく、強姦されていたというなら其れは慰安婦ではない。

 慰安婦を強姦の被害者にすりかえるな!



 女性の生殖器に治癒できないほどの傷を残しました。
 慰安所で性病(梅毒など)に感染した場合、戦後も治癒せず、
 性器や子宮異常の後遺症をわずらいました。
 コンドームをつけたがらない軍人がいたため、望まない妊娠をし、無理な中絶をしたりしました
 (出産や死産の例も少なくありませんでした)。
 不妊になった女性、結婚を望まない女性も多く、
 戦後は「結婚が当たり前」「子どもを産むのが女の務め」とされた家父長的な社会で、
 女性として生きる上で苦しみを与えられました。
 性病が次世代に引き継がれ、子どもの精神や肉体に影響が出る場合もありました。

 

 今現在、コンドームを使わない事を「売り」にする売春婦は韓国人です。

   2010/01/10 立ち止まって 慰安婦騒動を考えてみる
   http://hazama.iza.ne.jp/blog/entry/1404430/
   > 台東区鶯谷の名物になった感のある韓|国人売春婦の実態を
   > 韓国人が記事にして嘆いているが、恥じることはない。
   > 日本人女性だって、かつて大勢海外へ春をひさぎに出た。
   > 「からゆきさん」と呼ばれた人達だ。
   > 彼女達は、満州から、東南アジア、オセアニア、カナダ、遠くマダガスカルまで
   > 出かけて行った。
   >
   > 悲惨な話(銭ば返せるわけなかろうが!【慰安婦とからゆきさんA】その実態
   > あまたあるが、いっぽうでオーストラリアでは取り締まろうとする現地側の裏をかいたり、
   > 国外追放の憂き目にあっても執念深く再入国を果たそうとした日本人女性もいた。
   >
   > これは連綿と繰り返されて来た人間の営みの一つに過ぎない。
   > 「日の下に新しき物なし」というわけだ。
   >
   >
   >  日本での韓|国女性たちの売買春が危険水位に至る。
   >  過去日本式ル|ムサロンである「クラブ」や「スナック」などでお酒を売ることを超え、
   >  今では初めからコンドームも使わず「中出し」まで許す売春が日本で盛んになっている。
   >  韓|国女性たちは自発的に、あるいは他意によって日本に渡り、売春生活をし、
   >  ほとんどが「短期間に大金を儲ける」という考えを抱いている。
   >  特に「韓流熱風」と相まって、日本人男性たちが韓国人女性たちを好む事から、
   >  この傾向はさらに加速化されている。
   >  日本での韓国人女性たちの売春の実態を集中取材した。
   >
   >
   >  ■ 「大金儲ける」 玄海灘を越え、売買春現場の韓|国女性たち売春行為
   >     … 慰安婦ハルモニたちの抗言と苦痛を帳消し
   >
   >  実際こんな女性たちの数が、日本国内におよそ3万人余に達している
   >  ことが知られている。
   >  これらの大部分は不法滞留者たちで、日本でもこのような韓国女性たちの
   >  不法滞留問題が深刻な問題と思われている。
   >  韓|国はその間「慰安婦」問題で日本と鋭く対立して来たし、
   >  特に日本の持続的な「歴史的事実に対する否定」によって
   >  多くの慰安婦のお婆さんたちが精神的苦痛にあって来た。
   >  しかし最近になって韓国若い女性たちのこんな売春行為が、
   >  ハルモニたちの抗言と苦痛と面目を失わせていると見られる。
   >
   >
   >  ■ コンドームのないセックスもいくらでも可能なの
   >
   >  日本の売買春形態は多様だ。
   >  もちろん韓国ほど各種変態的な店は多くないが、
   >  性を明らかにする日本人たちの特性を反映したソープランド(本番なしのマッサージ)、
   >  クラブ、スナックを含め、ストリップショーなどがある。
   >  しかし、日本も本番行為は法律で厳格に禁止されている。
   >  したがって過去韓国の弥阿里や清凉里みたいな性売買形態は
   >  ほとんどないと言っても過言ではなかった。
   >
   >  ところで最近日本へ行く多数の若い韓|国女性たちが、
   >  こんな直接的な売買春に携わっていることと知られている。
   >  一番代表的な地域が東京の鶯谷だ。
   >  こちらにはまるで韓国の弥阿里を移したような風景が広がっている。
   >  おおよそ300以上の店が、このような不法な売買春をしているという。
   >
   >  もっと驚くべきなことには、ここの女性たちはコンドームを使用しないことはもちろんのこと、
   >  本番行為も可能だというのだ。
   >  このようなサービスを受ける機会がなかった日本男性たちにとっては、
   >  「型破りなサービス」を受けることのできる絶好の機会だと言える。
   >  実際ここを利用する大多数は日本人男性だ。
   >  ハードコアなサービスを体験すると、ソープランドでマッサージだけ受けていた彼らが
   >  コンドームなしで本番行為を要求できるここで「異常なセックスの味」を覚えることは
   >  恐らく当然であろう。
   >  多くの場合で、女性が一日に10人以上の男性を相手にしている事実に
   >  それが現われている。
   >
   《以下略》

 慰安婦問題という虚構を現実の物にしたいのであれば、韓国国内に居る180万人の被管理売春婦と 韓国国外に居る10万人の被管理売春婦。 そして、その190万人を遥かに上回るであろうと推測される フリーの非管理売春婦(いわゆる“たちんぼ”)を浄化するのが先だ。

 これを見給え。

   >  日韓間の過去の歴史を念頭に置いてこれを「21世紀版新慰安婦」と
   >  解釈する向きもある。
   >  自営業者パク某(42) さんは
   >  「率直に言って、これが慰安婦ではなくて何だ。
   >   過去には銃剣で脅されたとしても、今は韓|国女性たちが自発的に
   >   お金のため日本に渡って日本男性の精液受けになるということではないか」
   >  と力説した。

 この七行は、上の記事で 《以下略》 と省略した部分にあった文章ですが、幾ら可哀想な自称『従軍』 慰安婦が「銃剣で脅されてしかたなく」と言った所で、普通の傍観者は「今も昔も同じだよ。 あのお婆さ んもお金に股を開いたんだ」としか受け取らないでしょう。

 本当に本気で『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』に書かれている “慰安婦”を史実にしたいのであれば、何よりも先に今現在、世界中に蔓延っている「金さえ払えば生 姦・中出しOK」な韓国人売春婦をこの世から消し去るべきです。

 そうしなければ、自称『従軍』慰安婦が幾ら必死に訴えても、100%混じりっ気なしの作り話にしか見え ません。



 社会的なレベルでも後遺症は残りました。
 戦後もつづく、女性に「貞操」「純潔」を求める家父長的な社会のなかで、
 これを内面化した女性たちは家族やコミュニティーに過去を知られまいと沈黙しました。

 

 既に述べた通り、女性に「貞操」「純潔」を求める家父長的な社会は、基本的に両班と其れに続く選 民達の物であって賤民達の物ではない。 併合当時に一人30円で売買されており、特定の夫はおら ず、何人かの間で替えていく婢(女の奴隷)が単純計算で200万人(性交対象に成り得る年代のみの人数)近く も居たんだから、常識的に考えて慰安婦の出自はそちらであろう。 であるならば、自称『従軍』慰安婦 なる人物は、最初から「女性に貞操や純潔を求める家父長的な社会」に無縁な人達なんだから、これ は言い掛かり以外の何物でもない。



 自分を責めて、故郷に帰ることができなかったり、結婚が難しかったり(拒否したり)、
 男性と結婚・同棲しても不妊だったり、元「慰安婦」という噂で追い出されたり、
 貧困に陥ったりして、不安定な生活を送りました。 自殺をはかった人もいました。
 日本政府が不法行為を認め償わなかったことが、これらを悪化させました。

 

 不法行為を認めろというなら東京裁判の時点で訴えれば良かっただけじゃないか。

 勝者による敗者へのリンチでしかなかった(だから、その気になれば何でも有罪にできた)東京裁判 だったら、日本軍兵士の悪逆非道を訴えれば100%勝てただろう。 羞恥心だか罪悪感だか知らない が、訴えて勝てる時に訴えなかったんだ。

 それに、慰安婦を強制連行したことに対してではなかったにせよ、日本政府は個別補償の金を韓国 政府に渡している。

 「お金がなかったので十分な治療を受けることが出来なくて悪化しました」というなら、訴える先は日本 政府ではありません。 韓国政府です。

 ちゃんと韓国政府を訴えなさい。



 PTSDと「針のむしろ」の孤独:中国人被害者たち

 中国人など占領地の被害者はどうでしょうか。
 たとえば、中国山西省の被害女性たちは、日本人や植民地出身者と違って、
 これまで暮らしてきた地元で被害を受けました。
 そのため、家族・身内や身近な村人が被害者の性被害を知っていて、
 「針のむしろ」にすわる状態(つらい場所や境遇)におかれ、
 自分の被害を公に訴えることができませんでした。

 万愛花さんは、日本軍に拉致され、繰り返し強かんされ、拷問により骨折したため身長が縮まり、
 右耳も聞こえなくなりましたが、戦後は知り合いの目を避けるためほかの地域に移りました。

 

 はい、『万愛花(ヴァン・アイファ)』さん、入りましたw

   従軍慰安婦問題を考える「万愛花(ヴァン・アイファ)」
   http://sikoken.blog.shinobi.jp/慰安婦証言/万愛花(ヴァン・アイファ)

   > 【考察】
   >
   > 「写真記録 破られた沈黙」(以下、「写真」)によると
   > 同女が日本兵に捕まったのは以下の通りとなります。
   >
   > 1回目・・・満14歳(数え16歳)・1943年6月7日(6月28日脱出)
   > 2回目・・・満14歳(数え16歳)・1943年8月18日(9月16日脱出)
   > 3回目・・・満14歳(数え16歳)・1943年12月8日(1944年1月28日生還)
   > ※ 全て旧暦。 「数え」は生まれた時に1歳で1月1日を越える毎に1歳を加算する方法。
   >   つまり、同女の場合、12月12日〜31日は満年齢+1歳となり、その他は+2歳となります。
   >
   > しかし、
   > 「日本軍による中国女性への性暴力を明らかにする証言集会 in 神戸」(以下「神戸」)
   > では、日本兵に捕まったのは1943年と、西暦は一致しているものの、
   > 「15歳の6月のはじめ」と証言しており、1943年6月なら同女は
   > 満年齢でも数え年でも15歳ではありません。
   >
   >
   > さらに、「写真」、「神戸」、「黄土の村の性暴力」(以下「黄土」)、
   > 「ガイサンシーとその姉妹たち」(以下「ガイ」)と比べると
   > 以下の通り証言内容に相違点があります。
   >
   > < 生まれた年 >
   >
   > ○ 「写真」・・・1929年12月12日生まれ
   >
   > ○ 「神戸」・・・1929年
   >
   > ○ 「黄土」・・・1930年1月11日
   >
   > ○「ガイ」・・・1930年1月
   >
   > → おそらく、旧暦と新暦の違いでしょう。
   >
   >
   > < 1回目の監禁 >
   >
   > ○ 「写真」・・・1943年6月7日〜28日(※3週間)
   >
   > ○ 「神戸」・・・1943年6月の初めに捕まり、1週間経たないうちに逃走
   >
   > ○ 「黄土」・・・1942年6月半ば頃に捕まり、約1週間後に逃走
   >          (※1943年の可能性があることの記載あり)
   >
   > ○ 「ガイ」・・・6月7日に捕まり、数日後逃走(※西暦の記載なし)
   >
   >
   > < 1回目の監禁時の強姦 >
   >
   > ○ 「写真」・・・「毎日、多くの日本兵に強姦され、私は何度も気を失いました」
   >
   > ○ 「神戸」・・・記載なし
   >
   > ○ 「黄土」・・・「二回目や三回目の拉致の時のようなひどい拷問はありませんでしたし、
   >          強姦も受けませんでした」
   >
   > ○ 「ガイ」・・・「銃尻で殴られたりといった暴行を受け、強姦された」
   >
   > → 強姦されたり、されなかったり
   >
   >
   > < 1回目の逃走 >
   >
   > ○ 「写真」・・・日本兵たちが会議を開いている隙に逃走
   >
   > ○ 「神戸」・・・記載なし
   >
   > ○ 「黄土」・・・日本軍がどこかの村へ掃蕩に行った際に逃走
   >
   > ○ 「ガイ」・・・日本軍が棗園村へ出かけた隙に逃走
   >
   > → 会議だったり、掃討だったり。どこかの村だったり、棗園村だったり。
   >
   > < 2回目の監禁 >
   >
   > ○ 「写真」・・・8月18日〜9月16日(※約1ヵ月)
   >
   > ○ 「神戸」・・・7月に捕まり10日くらいで逃走
   >
   > ○ 「黄土」・・・8月頃。何日監禁されていたか覚えていないが、1週間前後より長かった。
   >
   > ○「ガイ」・・・8月19日に捕まり、約1週間で逃走
   >
   > → 1回目も2回目も、「写真」では異常に細かい日付を証言しておきながら、
   >   監禁されていた期間に統一性がありません。
   >
   >
   > < 3回目の監禁 >
   >
   > ○ 「写真」・・・12月8日〜1月28日
   >
   > ○ 「神戸」・・・記載なし
   >
   > ○ 「黄土」・・・12月8日か1月8日頃(※期間についての記載なし)
   >
   > ○ 「ガイ」・・・12月8日に捕まり、正月になった時に死んだと思われ捨てられる
   >
   >
   > < 3回目の拷問の後 >
   >
   > ○ 「写真」・・・死んだと思われ川に投げ込まれ、お年寄りに助けられる
   >
   > ○ 「神戸」・・・逃走。ただし、その時のことは語りたくないと証言。
   >
   > ○ 「黄土」・・・死んだと思われ裸で川辺に捨てられ、老人に助けられる
   >
   > ○ 「ガイ」・・・凍った河に棄てられる。
   >
   > → 「神戸」では、3回目も逃走したことになっています。
   >   また、「写真」では、3回目の拷問の後、
   >   真冬の川に裸で投げ込まれたことになっていますが、
   >   「黄土」では、川辺に捨てられただけになっています。
   >   そりゃ、瀕死の状態で真冬の川に投げ込まれたら生きているはずがないでしょう。
   >
   >
   > < 3回目に解放された後 >
   >
   > ○ 「写真」・・・「丸3年もの間は動くこともできずに寝ていました」
   >
   > ○ 「神戸」・・・「4回目はどうしても捕まりたくないと、
   >          中国のほぼ半分を逃げまわる生活を送った」
   >
   > ○ 「黄土」・・・自分で少し動けるようになったのは1947年のこととある。
   >
   > ○ 「ガイ」・・・記載なし
   >
   > → 「写真」では、動くこともできずに寝ていたはずが、「ガイ」では、逃げ回っています。
   >
   >
   > < 耳たぶが引きちぎられた時とその状況 >
   >
   > ○ 「写真」・・・1回目の監禁時。
   >         共産党員の名前を聞かれても黙っていたので、ひどく殴られる。
   >         その時に、右耳の肉の一部がイヤリングと共に引きちぎられた
   >
   > ○ 「神戸」・・・記載なし
   >
   > ○ 「黄土」・・・3回目の監禁時。
   >         「耳にしていたイヤリングが強姦した日本兵の指輪に引っかかり、
   >          その兵隊が思い切り引っ張ったので、耳たぶが引きちぎられました」
   >
   > ○ 「ガイ」・・・記載なし
   >
   > → 尋問時だったり、強姦時だったり。 1回目だったり3回目だったり。
   >
   >
   > その他、同女の証言の疑問点は以下の通りです。(「写真」の証言より)
   >
   > < 三光作戦で隣村は全滅 >
   >
   > ・・・何故、同女の村は三光作戦で殺し尽くされなかったのでしょうか。
   > そもそも、「三光作戦」は中国側のプロパガンダで人民に徹底抗戦を呼びかけ、
   > 士気高揚を図るためのもの。
   > 実際に日本側でそのような作戦が取られていたわけではなく、
   > 太平洋戦争時に日本が「鬼畜米英」と言っていたのと同レベルのものです。
   > もし、本当にそのような作戦が取られていたなら、
   > 同女の村がその作戦のえじきにならなかったのはおかしな話です。
   >
   >
   > < 副村長がキリストのように壁に手足を釘で打ち付けられ何日間も血を流し続けて死んだ >
   >
   > ・・・詳しい描写が無いので何とも言えませんが、手足を釘で打ちつけただけでは
   > 体の重みで肉が裂けて、磔状態を保つことは不可能です。 如何にも創作臭い内容です。
   > なお、同女と同じ羊泉村で日本兵の犠牲になった劉面換や陳林桃の証言では
   > このような副村長の話や全滅させられた隣村の話は出てきません。
   >
   >
   > < 強姦中にわき毛と陰毛を全て抜き取られる >
   >
   > ・・・私には、わき毛と陰毛を抜き取ることに何の意味があるのか全く分かりません。
   > しかも、他の兵隊が強姦している最中にです。 マニアックな日本兵もいたものです。
   > また、「ガイサンシーとその姉妹たち」によるとこの行為には中国人も加わっており、
   > さらに、それが原因で腋がつるつるになってしまったそうです。
   > 毛を抜いたぐらいで永久脱毛にならないと思うのですが。
   >
   >
   > 【信憑性】
   >
   > 信憑性なし。
   >
   > 同村で同じように日本兵の被害者となった劉面換や陳林桃の証言と比べても
   > 明らかに異色で突出した内容です。
   >
   > 恐らく同女が日本兵と漢奸(※日本人の手先となった中国人)に
   > 酷い暴行を受けたことがあるのは事実だと思いますが、
   > あまりにも誇張や創作を挿入し過ぎです。

 これは酷い。 もうちょっとマシな証言者を選ぼうぜ。



 被害事実を知った上で結婚し、夫婦仲がよかった場合でも、夫まで迫害をうけ、
 さらに日本兵から受けた被害の後遺症である婦人病が悪化して自殺した女性もいます。

 

 そりゃあ、日本に善くした者に対する歪な差別が蔓延る韓国社会の問題であって、日本政府の与り 知る所ではないぞ。

 というか、正直な話。

 儒教の考えを国家間に当て嵌めて考える韓国人にとって、日本というのは弟の分際でありながら、兄 である韓国を当時の経済力と軍事力によって併合し、お情けを与える様に上から目線でインフラ整備 を行って近代化させた憎き宿敵です。 だから、日本は千年、万年絶えることなく恨まれ続ける対象で す。 そんな日本に生まれた日本人に対して、股を開いて性を売るという汚らわしい方法で金を稼いで いた戦時売春婦が、韓国社会から許されるハズがありません。

 だ か ら 嘘 を 吐 い て い る ん で し ょ う 。

 日 本 軍 に 騙 さ れ た 。  性 暴 力 だ け 受 け て お 金 は 貰 え な か っ た 。  と。

 当時は管理売春が合法でしたし、儒教の影響が強い朝鮮半島で売春婦になる女性は、男性から「貞 操」や「純潔」を求められない賤民でした。 ですから、売春をしたということが社会的に大きなネガティ ブになるとは考えられません。 しかし、ここに“日本”というキーワードが加わる事で、自称『従軍』慰安 婦の言動に納得が行く様になります。

 彼女らにとって、「騙された」「性暴力だけ受けてお金は貰えなかった」というのは、謝罪と賠償を求め ているのではなく(裏でネジを巻いている日本の反日サヨクと反日弁護士は、「アジア女性基金」のような莫大な運営費が 目的なのだと思いますが)、純粋に差別社会韓国に於ける免罪符が欲しいのではないでしょうか。

 つまり、「私は騙されて、対価も貰えずに性暴力を受けた被害者。 だから親日法で裁いたり、非国 民として差別したりしないで」という心の底から出る悲鳴なのだと思われます。

 私は、実際に日本軍に直接騙された(或いは拉致・誘拐された)ワケでもないのに、殊更に日本軍の 犯罪であると喧伝して止まない自称『従軍』慰安婦に対して、軽蔑と憤りの念しか湧きませんが、それ でも、当時は合法であったにも拘らず、日本人に股を開いて金儲けをしただけの老婆に対して(今なお、 若い韓国人が日本で日本人相手に股を開いて、非合法にお金儲けをしているのに)差別しようとする韓国の人達に対 しても、同等以上の憤りを感じずにはいられません。

 そういう時代だったのです。

 日本に寄生するというチート技を使っているとはいえ、今は韓国も豊かになりました。 それでも、海 外で8万人もの任意売春婦が性を売っていて、その内、5万人が日本で性を売っています(ちなみに、この 数は管理売春の数だけですので、いわゆる“たちんぼ”と呼ばれるストリートガールは含まれていません。 含めれば、おそらく 数倍に膨らむでしょう)。 そんな韓国に、どうして朝鮮半島が丸ごと貧困に喘いでいた時代の売春を責め ることができましょう。

 韓国は、「日本が悪い」という前に、そういう時代ゆえにやむを得ず、日本人相手に股を開いた当時 の売春婦を赦すべきです。

 それが、“一等国”と呼ばれる為に超えなければならない一つ目のハードルだと私は思います。



 6人の中国人被害者を診断したある精神科医は、
 被害女性は1つ1つの被害の記憶はありありとよみがえる(外傷性記憶)のに、
 その前後のつながりがはっきりしないというPTSDに特有な症状(「記憶の断片化」)を示した
 と診断しています。

 なるほど。

 だから、韓国軍慰安婦として働いていた時に受けた性暴行をありありと蘇る程鮮明に覚えていて、そ の前後の繋がりがはっきりしないから、日本軍の慰安所で働いていた時に受けた暴行だと記憶違いし ているのか。

 なるほど。 なるほど。 成歩堂。



 また、被害当時、年齢が10代だった女性もおり、児童虐待の側面が強く、
 「戦後50数年の月日を経ていてもPTSDは存在する」こと、「不安」と「抑うつ」(落ち込み)を
 もっていることを明らかにしています(桑山紀彦による)。

 このように、日本軍による「慰安婦」制度や、組織的な強かんからはじまった性被害や、
 戦後につづく精神的・肉体的な後遺症や、社会的な烙印などのために、
 自分の過去や被害を訴えることができないまま、1990年代にはいって
 「慰安婦」問題を解決する運動(→入門編9)がはじまるまで、
 孤独と沈黙のうちに長い歳月を過ごさざるをえませんでした。

 別に、「慰安婦」問題を解決する運動(→入門編9)が始まるまで待たなくても、もっと早く始めりゃ良 かったんじゃん。

 ちょっとネタの先取りになっちゃうけど、(→入門編9)ってのを読んじゃおうか。

   入門編 - 9 解決のために、どうすればいいの?

   元「慰安婦」や性暴力をうけた女性たちは、日本軍・政府が放置(→入門編6)したこと、
   本人たちが過去のトラウマ体験によるPTSD(→入門編7)に苦しみ、性被害を訴えることが
   できず、沈黙をつづけました。
   また日本軍の侵略をうけたアジア諸国・地域には、戦後の冷戦体制のもとで
   強権的な政権が長くつづき、民衆が日本軍による戦争被害を訴えること自体が
   できませんでした。

   一方、日本では、1970年代から千田夏光『従軍慰安婦』(73年)など一連の著作や、
   沖縄在住の被害者・「奉奇(ペ・ポンギ)さんを扱ったドキュメンタリー映画
   (『沖縄のハルモニ』)、「アジアの女たちの会」の会報『アジアと女性解放』などを通じて、
   「慰安婦」の存在は一部に知られていましたが、
   解決すべき運動の課題とはみなされませんでした。

   しかし、1990年代に転機が訪れました。
   1980年代に民主化運動を担ってきた韓国の女性団体は、
   日本政府が「(「慰安婦」は)民間業者が勝手につれ歩いた」(1990年6月)
   などと「慰安婦」問題への軍の関与を否定したことに抗議するなかで、
   解決を求めて1990年11月に韓国挺身隊問題対策協議会を結成したのです。

 は?

 日本政府が軍の関与を否定したから、慰安婦問題を大騒ぎしたの?

 ということは、1990年6月まで日本政府が「日本軍が慰安婦を直接的に強制連行した」って公言してい たの?

 少なくとも、そっちの団体が提示した資料にそんな記述はありませんよ。

   wam 女たちの戦争と平和資料館
   http://wam-peace.org/ianfu-mondai/ianfu-doc/ianfu-doc-2/

    → 政府調査で見つかった「慰安婦」問題関連資料

     ・ 「従軍慰安婦」関係資料集成(1)
       http://www.awf.or.jp/pdf/0051_1.pdf

     ・ 「従軍慰安婦」関係資料集成(2)
       http://www.awf.or.jp/pdf/0051_2.pdf

     ・ 「従軍慰安婦」関係資料集成(3)
       http://www.awf.or.jp/pdf/0051_3.pdf

     ・ 「従軍慰安婦」関係資料集成(4)
       http://www.awf.or.jp/pdf/0051_4.pdf

     ・ 「従軍慰安婦」関係資料集成(5)
       http://www.awf.or.jp/pdf/0051_5.pdf

 そもそも戦後から1990年までの間、韓国人は
 「どうやら日本政府は、日本軍が慰安婦を直接的に強制連行したって認めているっぽいよ。 じゃあ、 許しちゃおうか」
 ってポジションだったということにして、本当に良いのか?

 この段までに、そちらが書いてきた文章を読み直して欲しい。

 入門編 - 7 女性たちは戦後どのように生きてきた? の真ん中辺あたりに、

 > 日本政府が不法行為を認め償わなかったことが、これらを悪化させました。

 とありますが、1990年6月に日本政府が慰安婦の強制連行に関して日本軍の直接関与を公式に否 定するまでは、日本政府は認めてもいなければ否定してもいない。 そして、その時点で日本の敗戦か ら実に45年が経過している。

 > 自分を責めて、故郷に帰ることができな

 だの、

 > 結婚が難しかった(拒否した)

 だの、

 > 男性と結婚・同棲しても不妊だった

 だの、

 > 元「慰安婦」という噂で追い出された
 
 だの、

 > 貧困に陥ったりして、不安定な生活を送った

 だの、

 > 自殺をはかった人もい

 だの。

 そんなのは、1945年から1990年までの間に九分九厘が終了している話だろ。

 1990年6月に日本政府が慰安婦の強制連行に関して日本軍の直接関与を公式に否定した事に因っ て、

 > 自分を責めて、故郷に帰ることができなくなった

 とか、

 > 結婚が難しくなった(拒否した)

 とか、

 > 男性と結婚・同棲したが不妊に終わった
 (不妊も何も1990年の段階で、若くても還暦越えで生理は上がってるだろw)

 とか、

 > 元「慰安婦」という噂で追い出された
 
 とか、

 > それまでは普通に生活できていたのに、日本政府の公式な否定以降、
 > 貧困に陥ったりして、不安定な生活を送るようになった

 とか、

 > 新たに自殺をはかった人が出現した

 とか。 そういう話なのか。 違うだろ。 だったら、1990年に日本政府が「日本軍は慰安婦の強制連 行に関与していない」と公式発表したことは、慰安婦の生活環境と何の関係もないよな。 なんでもか んでも「日本が悪い」を前提に思考するな。 普通に考えてくれ、普通に。



 しかしながら、被害者の戦後の人生を検討した梁鉉娥は、
 「慰安婦」被害女性を「かわいそうで無力な被害者」とみるのではなく、
 証言をすること自体が大変な勇気を要すること、証言が自らの治癒につながることに
 注意を促しています。
 そのうえで、「慰安婦」被害を、
 精神的・肉体的・社会的なレベルにわたる「複合的なもの(complexity)」、
 「慰安婦」問題についての正義が樹立されないために苦痛がつづく「持続的なもの(continuity)」、
 被害への無関心・無視・わい曲など現在の社会との関係のなかで苦痛が再生産される
 「現在的なもの(contemporarily)」
 と分析しました。

  被害者が名誉を回復するために重要なことは、まず私たちが
 「自分や姉妹・恋人・友人が被害にあったら(被害者だったら)」
 などの想像力をもって、彼女たちの被害や苦痛に対して関心をもち、共感すること
 ではないでしょうか。

 

 いやいやいや。

 自分のお婆ちゃんが若かりし頃に、家族が貧困に喘いで、それこそ飢え死にしそうになってた時に、 売春婦という女性にとって最終手段中の最終手段を用いることで、家族が飢え死にすることなく、自分 の父が(あるいは自分の母が)生き抜いて、そうして今の自分が在るのだと知ったら、私は売春婦に成 ったお婆ちゃんを誇りに思うでしょう。

 「よくぞ、プライドを捨て、蔑まれる対象となってまで、私のおとうさん(あるいは、おかあさん)を助けて 下さいました」と。

 それが普通の日本人の感性です。

 売春婦になることが罪なのではありません。

 なぜ売春婦になったのか、というバックグラウンドを無視して、戦時売春婦を「憎き日本人(ただし、自称 『従軍』慰安婦を煽動して駆り立てているのは、韓国人ではなくて日本人の反日サヨクと同反日弁護士なんですよ。不思議で すねぇw)に股を開いて金儲けをした非国民 / 売国奴」と捉えてしまう、その狭量な負け犬根性が罪なの です。

 そして、その狭量な負け犬がギャンギャンと吼える声に根負けして(あるいは、洗脳されて)作り物の 記憶を呼び覚まして涙する自称『従軍』慰安婦のお婆さんは、本当に色々な意味で可哀想な人達だと 思います。

 願わくば、日本の反日サヨクと同反日弁護士に正義の鉄槌が下されて、そういう時代であったが故 に、親に売られるなどして売春婦となった自称『従軍』売春婦のお婆さん達に、名誉の回復と幸せな老 後、そして日韓基本条約締結の際に日本政府から韓国政府に払われた個人賠償分のお金がちゃんと 行き渡りますように。

 願って、このページを終わりにしたいと思います。


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