『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』 を斬る 《跡地》



Q&A - 2 慰安所における実態

 - 7 「慰安婦」は厚遇されていた? を斬る

2014.07.03 「 4 以上、このレポートを読むと 〜 」 に反駁を追加
2014.06.30 帰国できなかったビルマの慰安婦に対する反駁を改稿


 引用元URL → http://fightforjustice.info/?page_id=166 (なお魚拓は無効な構造です)

   ↓ ↓ ↓

 発覚したのは、平成25年12月03日ですが、webサイト 『 Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却 への抵抗・未来の責任 』 の構造が変更になり、魚拓の取得が可能になりました ( 一部で取得エラー が出ますが ) 。 さっと目を通した限りで文章の変更は無い様に思われます。


 2-7 「慰安婦」は厚遇されていた?
 http://fightforjustice.info/?page_id=2393 ( 魚拓 )


 以下、青い色の文字がwebサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責 任』からの“引用”です。


 Q&A編 2 慰安所における実態

 7 「慰安婦」は厚遇されていた?

 日本軍「慰安婦」は厚遇されていたという人たちがあげる文書に
 米戦時情報局のレポートがあります。
 これは、アメリカの戦時情報局Office of War Information(OWI)の
 Report, No.49(日本人捕虜尋問報告)1944.10.1付、のことです。
 このレポートの内容を見ながら、はたして、“厚遇”していた証拠になるものなのかどうか、
 検証してみましょう。


   [ 画像:2-1-12a 史料 省略
   (引用元アドレスをご参照ください)

   (出典)米戦時情報局Office of War Information(OWI)
   のReport, No.49(日本人捕虜尋問報告)1944.10.1付


 1 差別・奴隷制を見るときの留意点

   現在の女性の人身売買・強制売春の犠牲者の中からも、
   ごくわずかであるが成功する者は出ます
   ( たとえば大金をためて郷里に送金する者や、自らが売春宿経営者になる者など )。
   黒人奴隷制においても、成功する黒人がわずかではあるが出ました。
   歴史的に見ても、さまざまな差別・人権侵害の制度の下においても、差別される中から
   わずかな成功者が出てきます。
   しかし、その例をもって差別がなかったとは言えないですし、
   奴隷制はよかったのだと言うことはできないでしょう。
   ある制度や仕組みを正当化しようとする人は、例外的な成功例を持ち出すのですが、
   それにごまかされないような社会の見方が大切です。

 

 では、大金を貯めて郷里に送金する者や、自らが売春宿経営者になる者が紛う事なく、人身売買に よって慰安婦となり、本人は最後の最後まで職業売春婦に染まる事なく、常に嫌々売春をしていたとい う証拠を出しなさい。

 そちらが示せているのは、「 慰安婦になった女性の中に本意ではない売春をしていた人が居た“可 能性がある” 」 だけです。

 ただでさえ全体の数からみて圧倒的に少数派だった被人身売買&被強制売春の被害者が都合良く 大金を貯めて郷里に送金したり、自らが売春宿経営者になったりする“極僅かな成功者”になる理由を 示しなさい。

 貴方の主張は完全に妄想です。



 2 OWIレポートを読むときの注意―レポートの作成のされ方の問題

   ここでは朝鮮人慰安婦20名と日本人の業者2名が捕まり、
   かれらが尋問を受けているのですが、尋問担当者は日本語のできるスタッフです。
   業者は自分たちの行動を正当化しようとする傾向が働いているでしょうし、
   尋問担当者は日本語のスタッフであり、朝鮮語はまず理解できなかったでしょう。
   ですから当然、日本語のできる業者の言い分が強く入っていると見られます。

 

 > Report, No.49(日本人捕虜尋問報告)1944.10.1付 ・・・ すなわち終戦以前です。

 

   日本と愉快な仲間たち
   従軍慰安婦問題の真実!米国報告書で潔白が証明されました
   http://japanandworld.net/archives/683
   《前略》
   >
   > 特筆すべきは、この報告書は1944年のもの、ということです。
   >
   > 日米は激しい戦争真っ只中です。
   > お互い、相手の不利になることなら、何でもやってやろう、という気持ちのはずです。
   >
   > つまり、
   > 「 朝鮮人女性は売春を強要されている 」 「 日本人はとても非人道的なやつらだ! 」
   > ということもできましたが、しませんでした。
   >
   > そうすると、それが、ウソになってしまうからです。

 日本に都合の良い証言が鵜呑みにされる様な状況ではありません。



 3 そうしたレポートであったとしても、よく読むと、次のようなことがわかります
   ( 「 」 の中はレポートからの引用です )。

 @ 女性たちはだまされて募集されていた。つまりうその説明がなされていたことがわかります。

   「 病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、
    そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられてきた。」

   「 楽な仕事と新天地―シンガポール―における新生活という将来性 」

   「 このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、
    200−300円(a few hundred yen)の前渡金を受け取った。」

 

 そもそも常識的に考えて、家族の負債を返済し得る程に多額の報酬が「病院にいる負傷兵を見舞 う」 とか「包帯を巻いてやる」とかって楽な仕事で得られると考える方が阿呆である。

 騙される方が悪いから詐欺師は無罪、って論調に汲みするつもりはないが、十代の子供ならイザ知  らず、大の大人が騙される様な内容だろうか。

 こんなもんで騙される奴は、慰安婦に成らなくても他の ( 本物の ) 詐欺師に騙されて、「 売春婦にな った過去 」 が戯言に思える位の酷い目に遭うのが関の山だ。

 ・・・ というか、自分から望んで売春婦になった事を認めたくなくて嘘を吐いているだけだと思うが。


 A 彼女たちの大部分は、それまで売春には関わっていなかったことがわかります。

   「 大部分は売春について無知、無教育であった。」

   もちろんそれまで売春に関わっていたとしても、
   騙して連れて行ってよいということにはなりません。

 

 [ 大部分が売春について無知、無教養であった ] からといって [ 騙されて連れて来られた ] とは限り ません。

 「 売春について無知、無教養であった 」 が、さすがに居慰安婦という職業が何をするのか位は知っ ていて、それでも郷里に居る飢えた家族のために自ら望んで慰安婦になった人も居たハズです。 なに せ、当時の朝鮮半島や東北の貧困農家は、今の感覚では信じられない位に弩貧乏で、農家が不作続 きになったら過酷な工場勤めや売春宿に子供を売るしか生き残る手段が無かった時代です。 そんな 時代に破格の条件で慰安婦という名の売春婦を募集したのです。 親が売らなくても、自分の腹と家族 の腹を満たすために、自ら望んで慰安婦になろうとするのは極普通の考えです。

 

   2012年02月23日 あがさの一歩
   自らすすんで慰安婦になった女性達
   http://agasatea.seesaa.net/article/253633551.html
   > 山田清吉『武漢兵站』p100より
   >
   > 朝鮮から女をつれて帰った楼主が、まだ17,8歳に見える女の子をつれて兵站にきた。
   > 戸籍謄本を見ると16歳である。これでは営業の許可はできない。
   > 楼主は、貧しい田舎の習慣で出生届がおくれたので、実際は満18歳だという。
   > 「 馬鹿をいうな。 年の足りない者に商売がさせられるか 」
   > とはねつけておいた。
   > すると一ヶ月ほどして、
   > その女の子が自分で兵站へやってきて、ぜひ働かせてくれと言い出した。
   > 「 どんなことをするのか知っているのか? 」
   > 「 知っている 」
   > 「 兵隊さんは乱暴だから辛抱できないぞ。 泣いたって知らないぞ。 」
   > 「 泣かない。 どんなことでも辛抱する 」
   > 「 そうか。 それじゃ軍医さんに証明書を書いてもらって来い 」
   > あるいは事実出生届がおくれたのかも知れないと思い、結局楼主の希望を入れ、
   > 軍医の身体検査をうけた上許可することにした。
   > この妓には美千子という名をつけてやった。
   > また天成の素質があったものか、二、三ヶ月経つと色気のある身のこなしが
   > すっかり板について、いっぱしの女郎タイプになってしまった。

 それまで売春した経験があろうとなかろうと、本人が望んで慰安婦になったなら、業者も旧日本軍も 完全に無罪です。



 B 女性たちは前借金で縛られていたことがわかります。
   つまり人身売買がおこなわれていたことが明らかです。

   「 家族の借金返済に充てるために前渡しされた金額に応じて6ヶ月から1年にわたり、
    彼女たちを軍の規則と“慰安所の楼主”のための役務に束縛した 」

 

 では、親や夫に金を返す方法はあったのか?

 それこそ、たとえ自殺して生命保険金を貰うという最終手段であったとしても、そんな選択肢があれば 親は子を売らない、夫は妻を売らない。 自分が死んで借金をチャラにする。 しかし、当時にそんな選 択肢はない。 移植技術もありませんから、自分の内臓を売るという選択肢もありません。 実際問 題、当時の飢えた貧困層は子供や女房を売る以外に窮地を脱する手段がなかったのです。



C 半数以上は未成年者でした。

   尋問されたのは1944年8-9月です。
   彼女たちがビルマに連れてこられたのが1942年8月、つまりちょうど2年前です。
   20人の慰安婦のなかで、連行された時点において21歳未満の者は、12人います。

   21歳未満の者、つまり国際法との関係で問題になる未成年者は、
   たとえ本人の同意があったとしても、売春目的で勧誘・誘引・誘拐した者は、
   婦人・児童の売買禁止に関する国際条約(1910年条約と1921年条約、日本も加入)に
   違反する犯罪でした。
   どう言い訳しようと、国際条約に違反する犯罪であったことが、この尋問記録からわかります。

   なお日本はこうした国際条約に加盟する際に植民地を除外するという条件を付けていますが、
   だとしても、日本国籍の船舶を使って連れて行った場合は ( ビルマに連れて行ったのは
   船を使っていますので ) この条約が適用されますし、また植民地を除外すること自体が
   必ずしも適法とは言えません。
   かりに植民地だから適用されないという解釈をとるにしても、
   普通であれば犯罪になることを植民地の女性には平気でやるというのは、
   明らかに差別であり、それを正当化するのは自らが民族差別主義者であることを
   自白しているだけでしょう。

 

 散々既出ですが、

 

   2013.02.23 杜父魚文庫ブログ
   世界は売春合法化の流れ   渡部亮次郎
   http://blog.kajika.net/?eid=1002832
   > 何気無し「ウィキペディア」に「売春」と打ち込んでみて驚いた。
   > 世間を知らないとは恐ろしいもの。
   > 近年、世界的に売春は合法化の流れがあるとされる、というのだ。
   >
   > アジアでは、タイで完全に合法化され、台湾でも合法化が検討されている。
   > 欧米では、売春自体は合法である国がほとんどである。
   >
   > ただ、斡旋を違法としている国も多いが、2000年にオランダが斡旋を含む売春行為を
   > 完全に合法化したのを手始めに、ドイツ、オーストラリア、ニュージーランドなども
   > 斡旋合法化に踏み切っている。
   >
   > 何しろ合法化の理由としては、性病対策、性犯罪対策などがあげられる。
   > 出現した恐ろしい性病「エイズ」の伝染力、女性の権利の主張などがからんで、
   > 日本の売春防止法などは時代遅れといわれそうだ。
   >
   > タイや中国などアジアでは、現在でも、特に地方での貧困から、
   > 少女・少年が都市部の闇で売春をするケースが多いといわれ、
   > エイズなどの性病が蔓延し、大きな社会問題となっている。
   >
   > タイでは、性病の蔓延を防ぐため、衛生管理を徹底し、かつ税収を確保する目的で
   > 昨今、国の許可の下での管理売春が合法化された。
   > ドイツでは斡旋を伴う売春を完全に合法化し、売春地帯を一定の場所に隔離し、
   > 政府が性病管理をすることによって性病が減少したとされており、
   > タイはドイツを参考にしたといわれる。
   >
   >
   > ■ ヨーロッパにおける売春合法化と売春の現状
   >
   > デンマークは1999年の刑法改正により、18歳以上の売春は完全に合法化された。
   > もっとも、それ以前も事実上黙認されていたといわれる。
   > いわゆる街娼は少ないとされ、多くはサロンやマッサージ店のような場所で
   > 売春が行われている。 売春婦は約6000人おり、3割が外国人であるといわれている。
   >
   > オランダでは2000年に16歳以上の売春が完全に合法化され、
   > 一般の企業と同様の活動が可能となった。
   > アムステルダムなどの主要都市に売春宿(隠語で「飾り窓」と呼ばれる)や
   > 街娼(隠語で「立ちんぼ」と呼ばれる)が多数存在し、毎日朝から深夜まで
   > 料金等の交渉が行われている。
   >
   > 脅迫などにより売春を強要される女性がいると指摘されていることから、
   > 近年売春強制の罰則が強化されている。
   > これに対し、移民は仕事を確保することが困難であり、自らの意思で売春に従事する人が
   > 多いといわれる。
   >
   > デンマーク、フランス、スイス、ドイツ、ギリシャ、ハンガリー、チェコなどにおいても合法で、
   > オーストリアなどでは外国人が働くために売春ビザで滞在許可を得ることができる。
   >
   > スイスでは売買春は合法で、自治体に登録することで、営業することが可能となる。
   > EUの自由化により、外国人売春婦が増えているとされる。
   >
   > 売春合意年齢は16歳であることから、現在18歳未満であっても売春が可能である。
   > ただ、18歳未満がブランド品を買うために体を売る「ブランドセックス」が問題視されており、
   > 売春合意年齢を18歳に引き上げるべきであるとの議論がなされている。
   >
   > なお、イタリアやフランスの売春合意年齢は18歳、ドイツは21歳であり、
   > スイスは特に若いことが指摘されている。
   >
   > ドイツでは2002年に売春が合法化された。 売春合意年齢は21歳とされている。
   > 現在、ベルリンだけでも700もの売春宿があり、売春婦の数はドイツ全土で40万人と
   > いわれる。
   >
   > 合法化したことにより、「セックス税」が得られるようになったとされる。
   > また、ドイツW杯時には大きな売り上げをあげたとされる。
   >
   > ただ、経済不況の波はドイツの売春産業にも大きな影響をあたえており、
   > 価格が低下しているといわれ、近年では、多様化により、外国に支部を持つオーナーも
   > 多くいる。
   >
   > オーストリアでも売春は合法で、
   > 路上や店舗で活動するためには営業免許証が必要とされる。
   > 海外からの移住性労働者のための滞在ビザ、つまり売春ビザもある。
   > 売春ビザで働いている場合、売春以外の職種(ダンスショーなど)に従事することも
   > 裁判で認められた。
   >
   > チェコでは売春、売春宿の経営は合法である。
   > チェコのEU加盟により、従来最大で24時間近く待たされた国境通過が
   > 容易になったとされる。
   > そのため、トラックドライバーを主な顧客とするオーストリア国境地帯の売春宿の多くが
   > 廃業したといわれる。
   >
   > ベルギーでは従来から売春自体は合法だったが、斡旋行為等は違法とされていた。
   > しかし、ドイツ、オランダの合法化に伴いベルギーにおいても
   > 斡旋行為、売春宿の経営等が合法化された。
   >
   > イタリアでは1958年に売春防止法が施行された。
   > ただ、売春行為自体は適法であり、売春合意年齢は18歳である。
   > 売春の斡旋や売り込みなどは違法とされている。
   >
   > イタリア政府は政府公認の売春公認地域の設置や売春合法化を検討しており、
   > 8割の国民が賛成しているとの世論調査結果が出ている。
   > 現在、イタリアの売春婦は7万人で、多くが外国人とされる。
   >
   > オーストラリアでは売買春そのものは合法である。
   > 組織・施設・勧誘行為の規制は州により異なる。
   > 売春が合法化されている州では、一部上場している売春宿もある。
   >
   > 合法化を推進したのがキャンベラの女性市長である。
   > 売春を違法にしたところで、貧しい人達がいる限り売春は無くならないし、
   > 「モラルを押し付けておきながら、福祉を充実させずに貧しい生活を甘受せよというのは
   > 金持ちの身勝手である」
   > との反発もあり、合法化した。
   >
   > 合法化したことで、売春に従事する女性達は社会保障を受けることができ、
   > また賃金を不当に踏み倒されることもなくなり、また衛生管理も向上する。
   > そういった点で、女性議員達の支持をうけたのが、合法化に成功した理由といわれる。
   >
   > 同様の理由でニュージーランドでも合法化された。
   > ただし、合法的に売春するには、ライセンスを受ける必要があるとされる。
   >
   > イギリスでは売春すなわち「性的なサービスの代価に金銭を受け取る」こと自体は
   > 合法であるという判例がある。
   > しかし法律的には、街娼、ポン引き、売春宿および売春組織の形成は違法である。
   >
   > したがって、個人が新聞やインターネットで広告を出し売春をすること
   > (Independent Escort) は完全に合法である。
   >
   > これに対し、Escort を派遣するいわゆる Escort Agency や、日本のソープランドのように
   > マッサージと称して売春するマッサージパーラー(Massage Parlour)は、違法ではないか
   > との指摘があるが黙認されている。
   >
   > フランスでは売春は合法である。 ただ、斡旋や公道での勧誘は違法である。
   > 売春合意年齢は18歳である。
   > フランス在住のジャーナリストである鎌田聡江によると、
   > 近年、女子学生が生活費を稼ぐために売春するケースが増えているとされ、
   > その数は4万人にのぼるといわれる。
   >
   > 彼女達の多くは貧しい家庭の出身であり、社会的な成功を夢見て勉学に励んでいる。
   > しかし、労働法令により、労働者の解雇が困難なフランスでは、
   > 労務者の数を少なく抑えようとする傾向があり、バイトを探すことが困難となっている。
   >
   > そのため、彼女達が勉学を続けながら収入を得ることは難しい。
   > その上、パリでの生活費は一般的に高いといわれる。
   > それが、インターネットを利用した売春が女子学生の間で流行している原因であるとされる。
   >
   > スペインの売春は合法とされる。
   > 多くは、貧しい移民達が生活費を稼ぐために売春に従事している。
   > ただ、売春宿の経営については、規制が設けられており、新規出店は難しい。
   > そのため、マッサージ店に偽装する店が多いとされる。
   >
   > ギリシャでは売春自体は合法であるものの、街頭での客引き等の行為は違法とされ、
   > 規制も厳しいといわれる。 売春宿を経営するためには、市の許可が必要となる。
   >
   > アテネ五輪の際に、五輪特需を見込んで、アテネ市が230件の売春宿の新規許可を出した
   > ことに対して、北欧諸国から五輪の精神に悖るとして非難が起きた。
   >
   > (頂門の一針)

 売春合意年齢21歳:ドイツ

 売春合意年齢18歳:デンマーク,イタリア,フランス

 売春合意年齢16歳:オランダ,スイス

 近年に於ける売春合法化の波で、1921年の国際条約なんか(記事上では)ドイツしか守っていませ ん。 

 こんなもんで日本政府を犯罪国扱いって、正気ですか? 

 そもそも

 

 Q&A編 - 2 慰安所における実態 - 3 警察は「慰安婦」を保護? よりコピペ。

 「 法律違反で許せない 」 と憤るなら代案を出して下さい。

 慰安婦になってでも家族を救いたいと願う奇特な子供に売春なんかさせないで、家族も飢えずに暮ら せる方法を、大学教授や弁護士になったその素晴らしい頭脳で導き出して下さい。

 できないなら黙っていろ。

 ということです。



 C このレポートとセットの東南アジア翻訳尋問センターSEATIC Report No.2 を読むと、
   前借金を返済すれば帰国できる契約だったが、戦況のためという理由と、説得されて、
   帰国できた者はいませんでした。

 

 ええっと、Dですよね。

 いや、そんなことはどうでもイイや。

 戦争をやってるのです。

 「戦況が変わって帰国できない」 ということは、帰国の途が安全ではなくなったということです。

 ギブミーチョコレート以降に擦り込まれたイメージと異なり、現実の米軍は鬼畜という言葉が非常に適 切な快楽殺人集団でした。

   ( Q&A - 2 慰安所における実態 - 9 一般の女性は守られた? を斬る よりコピペ )

   酒たまねぎや
   連合軍の捕虜虐殺(アメリカ)
   http://www.tamanegiya.com/amerikagyakusatu19.1.16.html
   《前略》
   >
   > 「 我が軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。
   >  日本人を動物以下に取り扱い、それらの行為が大方から大目に見られているのである。
   >  われわれは文明のために戦っているのだと主張されている。
   >  ところが大平洋における戦争をこの目で見れば見るほど、
   >  われわれには文明人を主張せねばならぬ理由がいよいよ無くなるように思う」
   > (七月一三日)
   >
   > 「 安全でかなり贅沢な将校クラブに座しながら、
   >  これらの日本軍を『黄色い奴ばら』と表現するアメリカ軍将校の言に
   >  耳を傾けねばならないのである。
   >  彼らの欲求は日本兵を無慈悲に、惨たらしく皆殺しにすることなのだ。
   >  オウィ島に来て以来、敵に対する畏敬の言葉も同情の言葉も聞いた覚えはまったく無い」
   > (七月二一日)
   >
   > 「 私は突っ立ったまま、密林の焼け焦げた跡や、日本軍が身を隠している洞窟と思しき
   >  断崖の黒点を眺めやる。
   >  あの焼け爛れた地域の地表下に極限の苦悶隠されているのだ
   >  飢餓、絶望、そして死体や死に瀕した男たち。
   >  ただ祖国愛と信ずるもののために耐え、よしんば心底で望んだとしても
   >  敢えて投降しようとしない。
   >  なぜならば両手を挙げて洞窟から出ても、アメリカ兵が見つけ次第、射殺するであろう
   >  ことは火を見るよりも明らかだから 」
   > (七月二一日)
   >
   > 「 われわれがもし日本兵の歯をもぎとったり、ブルドーザーで遺体を穴の中に押しやり、
   >  さらった土をかぶせてやったりする代わりに、人間にふさわしい埋葬を営んでやることが
   >  出来るのであれば、私はわが国民性にもっと敬愛の心を抱けたに相違ない。
   >  ブルドーザーで片付けたあとは墓標も樹てずに、こう言うのである。
   >  『 これが黄色い奴らを始末するたった一つの手さ 』
   >  と」
   > (七月二一日)
   >
   > 「 山道の片側にある爆弾でできた穴の縁を通り過ぎる。
   >  穴の中には五人か六人の日本兵の死体が横たわり、わが軍がその上から放り込んだ
   >  トラック一台分の残飯や廃物で半ば埋もれていた。
   >  わが同胞が拷問によって敵を殺害し、敵の遺体を爆弾でできた穴に投げ込んだうえ、
   >  残飯や廃物を放り込むところまで堕落するとは実に胸糞が悪くなる 」
   > (七月二四日)
   >
   > ( 以上は先に書きましたようにリンドバーグ日記よりの直接の引用では無く、
   >  「 日本の反論 」 米田健三著 p162〜165よりの引用)


   アメリカが日本に対して犯した戦争犯罪。
   http://www.medianetjapan.com/2/20/government/ikenaka/a.html


   2011年08月06日 アンタッチャブル 911
   孤高の鷲 ― リンドバーグ第二次大戦参戦記
   アメリカ軍の日本兵に対する残虐行為に関する記述
   http://untouchable911.seesaa.net/article/218745877.html


   2009.06.15 日本が好きなだけなんだよ
   沖縄の集団自決騒動で語られない真実
   http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-category-20.html

   《前略》
   >
   > サイパンで米軍が行なった民間人虐殺の大蛮行
   >
   
   > 1943年5月号のライフ誌に掲載された有名な写真。
   > アメリカ兵から記念品として恋人に贈られた日本兵の頭蓋骨。
   > 当時のアメリカ白人の日本人観は、日本人=東洋の猿 程度の認識だった。
   > 写真の詳細はこちら http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/c078d2eb9da71fc3ec795bdf25ea0fb8
   >
   >
   > 我ら降伏せず―サイパン玉砕戦の狂気と真実  田中 徳祐著  立風書房
   >
   > 昭和19年6月15日午前8時45分、
   > チランカノアの海岸に、約三個師団と推測される敵兵が上陸してきた。
   > そこからサイパン島の陸上戦が始まった。
   > 当時はサイパン島には砂糖工場があり日本人も居住していた、民間人がいたことで
   > かなり悲惨な結果になってしまった。
   >
   > 7月9日、
   > このころには日本軍の組織的な抵抗は無くなり掃討戦の様相をあらわしてきた。
   > 敵は流ちょうな日本語でジャングル地帯に童謡を流し投降を促す放送を流し始めた。
   > 日本軍は組織的な抵抗は捨て、洞窟に、数人、あるいは数十人ぐらいが生き残り
   > 潜んでいた。
   > 米軍は日本人に対し、戦争が終わりサイパン島は米軍の手に落ちたこと、
   > 隠れている日本人に投降を勧めました。
   >
   > 「 投降すれば、立派な衣服や、美味しい食料も十分に与えます。
   >  もはや犬死にすることはない、今や死んでも花実は咲きません。
   >  みなさんの投降をまっています 」
   >
   > その後に、兎追いしかの山、と続く童謡を流し始めました。
   > これには潜んでいた日本軍も参ってしまつた、その後、桃太郎、天然の美、荒城の月などが
   > ながされたそうです。
   >
   > 「 米軍は虐待しません。 命が大切です。 早く出てきてください 」
   >
   > 投降を勧める放送は再三繰り返されたが日本軍は、その放送を頭から否定した。
   > むしろ敵愾心がわいてきたそうです。
   >
   > 投降呼呼び掛けの放送とはうらはらな、人道上許し難い残虐な行為をしだした。
   > 日本軍はバナデル飛行場を見下ろせる洞窟にいて、その距離1キロ位先で展開された。
   > そこへ、三方から追われた数百の住民が逃げ込み、捕らわれた。
   > 幼い子供と老人が一組にされ、滑走路の奥へ、婦女子が全員、素っ裸にされた。
   > そして、無理矢理トラックに積み込まれた。
   > そして無理矢理積み込まれた順にトラックは走り出した。
   > 婦女子全員が、トラックの上から
   > 「 殺して! 」 「 殺して! 」
   > と絶叫していた。
   >
   > その声がマッピ山にこだまし、次つぎとトラックは走り出し、彼女たちの声は遠ざかっていた。
   > なんたることをするのだ、小銃だけではどうすることもできず、此方の位置もしれてしまう。
   > この悲劇をただ見守るしかなかった。( この婦女子はその後一人として生還しなかつた )
   >
   > 婦女子が連れ去られたあと、こんどは滑走路の方から、子供老人の悲鳴があがった。
   > ガソリンがまかれ、火がつけられた。 飛び出してくる老人子供達。 その悲鳴。
   > 「米軍は虐待しません、命が大切です。早く出てきなさい」の投降勧告の意味は。
   > 幼い子供が泣き叫び、絶叫する、
   >
   > 「 おい、もう我慢ならん。撃て 」
   >
   > 吉田軍曹が一発撃った、何の効果もなく、敵はもはや無関心。
   >
   > 残酷な行為は壮絶をきわめた。
   > 火から逃れ出ようとする子供や老人を、周囲にいる敵兵は、ゲラゲラ笑いながら、
   > 又火のなかへ付き返す。
   > 死に物狂いで飛び出してくる子供を、再び足で蹴り飛したり、銃で突きとばしては
   > 火の海へ投げ込んでいる。
   > 二人の兵隊が滑走路際にいた、泣いている赤ん坊をみつけ、
   > 両足をもって、真二つに引き裂いて火の中へ投げ込んだ。
   > 「 ギャッ 」 という悲鳴。 人間が蛙のようにまたさきにされ殺されてゆく。
   >
   > 彼らは、その行為を平然としてやり、大声で笑い得意げになっていた。
   > 日本軍は手を出せず、ただ合掌し霊をとむらうほかなかつた。
   >
   > 太平洋戦争中にサイパン島での闘いで生き残った田中徳祐大尉の著作だが、
   > 田中大尉は戦後までゲリラとしてサイパンで戦い抜き、その後、武装解除している。
   > 帰国後、本書を執筆するも、GHQの検閲ですぐには出版出来なかった。
   > 雑誌 「 正論 」 などでも引用され、資料として貴重な本だが、現在、絶版になっており、
   > 再版が待たれている。
   > 大東亜戦争中のアメリカ軍の残虐行為が表面化しないのは
   > マスコミの報道管制によるもので、現在でも在日米軍兵士の犯罪の8割が
   > 闇に葬られるのと同様の理由である。
   >
   >
   > アメリカ軍の残虐非道
   >
   
   > 1945年に報道カメラマンのフェンノ・ヤコブスによって撮影された日本兵捕虜に対する虐待写真
   > ( 戦艦ニュージャージー甲板にて。世界写真全集の第3巻『フォトジャーナリズム』に掲載 )
   > しかし、この日本兵はまだ生きているだけ幸運なのかもしれない。
   >
   >
   > 容赦なき戦争 太平洋戦争における人種差別
   > ジョン・ダワー著 平凡社ライブラリー
   >
   > 大平洋地域担当の従軍記者エドガー・ジョーンズが、
   > 46年の『アトランティック・マンスリー』誌に書いている
   > 『 われわれは捕虜を容赦なく撃ち殺し、病院を破壊し、救命ボートを機関銃掃射し、
   >  敵の民間人を虐待、殺害し、傷ついた敵兵を殺し、まだ息のある者を他の死体とともに
   >  穴に投げ入れ、死体を煮て頭蓋骨をとりわけ、それで置物を作るとか、または他の骨で
   >  ペーパーナイフを作るとかしてきたのだ 』。
   > ジョーンズはさらに、標的の日本兵がすぐに死ぬことがないように、
   > 火炎放射機の炎を調整するというような行為にまで言及している
   >
   > 1942年の末に出版されベストセラーとなった『ガダルカナル日記』のなかで、
   > ジャーナリストのリチャード・トレガスキスは、日本軍との戦いを前にして
   > 武勇自慢をし合う若い兵士たちの会話を挿入している。
   > 『 ジャップは金歯をたくさん入れてるんだってな。
   >  それをいただいてネックレスでも作るかな 』
   > と一人がいう。
   > 『 おれは奴らの耳を持って帰るよ 』 ともう一人が宣言する
   >
   > リンドバーグがついに大平洋諸島を離れ、ハワイで税関検査を受けたときには、
   > 荷物に骨が入っているかどうか聞かれた。 それは決まりきった質問だと言われたという
   >
   >
   > 孤高の鷲 リンドバーク第二次大戦参戦記 学研M文庫
   >
   > 以下抜粋
   >
   > * 各地の太平洋戦線で日本人捕虜の数が欧州戦線に比し異常に少ないのは
   >   捕虜にしたければいくらでも捕虜に出来るが、米兵が捕虜を取りたがらないから。
   >   手を上げて投降してきても皆殺しにするから。
   >
   > * あるところでは2,000人ほど捕虜にしたが本部に引きたてられたのは
   >   たった100か200だった。 残りのの連中にはちょっとした出来事があった。
   >   それを知った戦友は投降したがらないだろう。
   >
   > * 捕虜を取らないことを自慢する部隊がいる。
   >
   > * 将校連は尋問の為捕虜を欲しがる。
   >   捕虜1名に付きシドニーへの2週間の休暇を出すとお触れが出た途端に
   >   持て余すほどの捕虜が手に入る。
   >   懸賞を取り消すと一人も手に入らなくなり、つかまらなかったと嘯くだけ。
   >
   > * 一旦捕虜にしても英語が分かる者は尋問のため連行され、
   >   出来ない者は捕虜にされなかった、即ち殺された。
   >
   > * 捕虜を飛行機で運ぶ途中機上から山中に突き落とし、
   >   ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告。
   >   ある日本軍の野戦病院をある部隊が通過したら生存者は一人もいなかった。
   >
   > * 2年以上実戦に参加した経験がない兵が
   >   帰国前にせめて一人くらい日本兵を殺したいと希望し、
   >   偵察任務に誘われたが撃つべき日本兵を見つけられず捕虜一人だけ得た。
   >   捕虜は殺せないと嫌がるくだんの兵の面前で軍曹がナイフで首を切り裂く手本を示した。
   >
   > * 爆弾で出来た穴の中に皆四肢バラバラの状態の日本兵の死体を投げ込み
   >   その後でトラック1台分の残飯や廃物を投げ込む。
   >
   > * 捕虜にしたがらない理由は殺す楽しみもさる事ながらお土産を取る目的。
   >   金歯、軍刀はもとより、大腿骨を持ち帰りそれでペン・ホルダーとかペーパーナイフを
   >   造る、耳や鼻を切り取り面白半分に見せびらかすか乾燥させて持ちかえる、
   >   中には頭蓋骨まで持ちかえる者もいる。
   >
   > * 日本人を動物以下に取扱いそれが大目に見られている。
   >   我々は文明のために戦っているのだと主張しているが、太平洋戦線を見れば見るほど、
   >   文明人を主張せねばならない理由がなくなるように思える。
   >   事実この点に関する成績が日本人のそれより遥かに高いという確信は持てないのだ。
   >
   > 参考サイト
   > http://www.tamanegiya.com/yuusyokujinnsyubetsi.html
   > http://ameblo.jp/nyaonnyaon/entry-10049567897.html
   >
   > 『孤高の鷲』は残念ながら絶版になってしまったが、
   > 紹介した記事の他にもひどい捕虜虐待の様子が書かれている。
   > 日本の都市への無差別爆撃や広島・長崎への原子爆弾の投下などは、
   > 当時のアメリカ白人の一般的な有色人種観から導き出された結果でしかない。
   > 原爆投下が戦争を終わらせるためというのは単なる後付の理由であり、
   > 大戦末期の日本に既に反撃する能力はないのだから、ポツダム宣言より条件を緩和した
   > 講和条件を出せば、すぐに日本は飛びついただろうが、それをしなかったのは、
   > 戦争を早期に終わらせること自体が目的ではなかったからだろう。
   > 小生意気な日本人を奴隷のように膝下に屈服させたかった、というのが本音では
   > ないだろうか。
   >
   >
   > 日本軍に対する誤解はなぜ生まれたのか
   >
   > 旧軍に対する誤解を解く  2005年4月23日 徒然なるままにエッSAY!
   > http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/cat_951925.html
   >
   > 我々が旧軍を批判するときによく言われるのが、
   > 日本の軍人は 「 捕虜になるぐらいだったら死ね! 」 と言われ、多くの軍人が無駄死をした
   > ということがある。
   >
   > 今回は何故そのようなことになったのか検証する。
   >
   > 昭和16年1月に東条英機が出した戦陣訓がある。
   >
   > この中の本訓其の二の第8「名を惜しむ」に
   > 「 生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ 」
   > と言う一節があり、この「生きて虜囚の辱めを受けず」だけをとらえ拡大解釈をして、
   > 敵の手に落ちるときは死ねということが強調されてしまったのである。
   >
   > では、なぜ戦陣訓というのが出たかというその背景を考えてみる。
   >
   > 日本軍が、世界的に評価されたのは、1900年の北清事変(義和団の乱)に
   > 義和団を制圧するために出兵したときのことである。
   >
   > このとき日本と欧米の8カ国が出兵し、欧米の兵隊が略奪行為や泥棒みたいなことをして、
   > 北京市内を荒らし回っていた。
   >
   > 日本軍は、近代国家として始まったばかりということもあり、
   > 国際条約にも、軍律も非常に厳しかった。
   > それによって、イギリスの新聞で
   > 「 日本軍はすばらしい。 これだけ軍律を守れる国は世界にも数えるぐらいしかない 」
   > などと書かれ、このときの日本軍の軍律が一級品と評価され、日英同盟の締結の大きな
   > 要因ともなり、世界中からも高い評価を受けた。
   >
   > しかし、支那事変が起きて長期化していくうちに、段々と軍律は乱れてきたので
   > 引き締めの意味も込めて戦陣訓が出された。
   > また、支那軍(中国軍)は、昔から民族性もあり、残虐な行為をする軍隊である。
   > 日本軍と支那軍が戦っているときに、日本軍の捕虜は、かなり無茶苦茶なことを
   > やられたのである。
   > 学校の教科書に載せられていた支那婦人に対する残虐な処刑は
   > 陵遅の刑(りょうちのけい)と言って伝統的な中国の処刑のやり方であり、
   > 日本兵がやったことにすり替えた。 日本人には乳房をえぐり取る発想はない。
   > 『支那民族性の解明』池田正之輔著に詳しい。
   >
   > また『ワイルド・スワン』に共産党員が地主の女性達を強姦したあげくに
   > 乳房を切り落とす場面が出てくる。
   >
   > 彼らのやり方は生きたまま顔の皮をはがされたり、耳を削がれたり、目を刳り貫かれたり、
   > 鼻を削がれたり、手足を切断されたりしていたのである。
   > もっとひどいのは首かせをされて宙づりにされ、自分の体重で首から抜け落ちるまで
   > ぶら下げられたりした。
   >
   > 支那軍が日本人街を襲った通州事件では、束にして鼻や手をぶち抜いて針金を通したり、
   > 女性を逆さ吊りにして股間に異物を突っ込んだり、妊婦は腹を裂いて赤ん坊を出したり
   > したという証言もある。 支那大陸ではこれらが通常の姿であった。
   >
   > それで日本軍としては、あまりにも残虐すぎる支那軍のやり方を見て、
   > 捕虜になってあんな無惨な殺されかたをされるのだったら、いっそうのこと腹を切ってでも
   > その場で死んだ方がましだというところから 「 生きて虜囚の辱めを受けず 」 が
   > 強調されたのである。
   >
   > 軍人として人間としての尊厳を守るための教えでもあったわけです。
   > 戦陣訓は、戦場道徳を守りなさいというのが本来の趣旨だったのが、
   > その一部分だけが突っ走ったのが現実である。
   > その一部分だけを捉えて戦陣訓はどうだったとか、軍人勅諭はどうだとかの批判を
   > すべきではないのである。
   > 我々が日本の色々な問題を考えるときに、とかく言葉じりだけを捉え批判する傾向が
   > あるが、本来何を言いたいのか、本質的なことは何だろうということを
   > しっかりと読みとることが大事だと思う。
   >
   《以下略》


 こんな米海軍が手ぐすねを引いて待ち構えている海域へ、どうして帰国の船が出せるでしょうか。

   wikipedia「阿波丸事件」

   > 阿波丸事件(あわまるじけん)とは、太平洋戦争中の1945年(昭和20年)4月1日に
   > シンガポールから日本へ向けて航行中であった貨客船「阿波丸」が、
   > アメリカ海軍の潜水艦「クイーンフィッシュ (USS Queenfish, SS-393)」により撃沈され、
   > 2000人以上の乗船者のほとんどが死亡した事件。
   > 「阿波丸」は日米間の協定で安全航行を保障されていたはずであった。


   wikipedia「対馬丸」

   > 太平洋戦争中の1944年(昭和19年)8月22日、政府命令による学童疎開輸送中に
   > アメリカ海軍の潜水艦の攻撃を受け沈没し、犠牲者数1,476名を出した。

 日本政府は、悪逆卑劣な米軍の攻撃に遭って↑こういう悲惨な末路を辿らないようにしただけ。

 慰安婦を守っただけです。

 そして、米軍がアンケートを取る以前は、ビルマの慰安所から帰国できた慰安婦はいました。

 

   葦書房 「従軍慰安所日記」関連報道記事 + 陸海軍人給与一覧
   http://www1.ocn.ne.jp/~ashi/iansyo-nikki.htm
   > 慰安所従業員:日記発見 慰安婦の日常、淡々と 募集の時期は欠落
   >
   >毎日新聞 2013年08月07日 東京朝刊
   >
   > 【ソウル澤田克己】
   > ビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で働き、日記を残した朝鮮人男性は、
   > 1942年夏から44年末までの東南アジア滞在中に慰安所3カ所の帳場で働いた。
   > 日記には、慰安婦の管理や、軍や役所との折衝といった日常生活が淡々とつづられている。
   >
   > 慰安所が旧日本軍の管理下にあったことは、軍の文書でも確認されている。
   > 日記にも
   > 「 慰安婦を連れて連隊本部とその他3、4カ所に新年のあいさつに行ってきた 」(43年1月1日)
   > や、連隊本部などから定期的に避妊具を受け取ったりしたという記述が、頻繁に見られる。
   >
   > 軍から移転命令があり
   > 「慰安婦一同は絶対反対」 (同3月10日)
   > したが、結局は
   > 「 司令部命令に勝てず移すことになった」(同14日)
   > などの記述から、軍との密接な関係をうかがわせる。
   >
   > 日記の著者は、ビルマ西部の要衝アキャブ(現シットウェ)からラングーン(現ヤンゴン)へ
   > 移った。
   > その際、軍から宿舎の提供を受け
   > 「 火村小隊の車に火村小隊長少尉らと7人で乗って 」(同年1月21日)
   > もいる。
   >
   > 日記を発見した安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授は
   > 「 軍属に準じる扱いを受けていたようだ 」
   > と話す。
   >
   > 日記からは、前線であるビルマと後方地域のシンガポールとの違いもうかがえる。
   > シンガポールでの日記には、慰安婦の「廃業」や「帰国」に関する記述が多く出てくるが、
   > ビルマではそうした記述は見られない。
   >
   > 著者はシンガポール在住時の44年10月25日、元慰安婦が結婚したので
   > 「 知己の人を呼んで祝賀の酒を飲むと誘われた 」
   > という。
   >
   > ビルマでは既に日本軍が敗走を重ねていた時期で、連合軍の尋問調書などによると、
   > 多くの慰安婦が巻き添えで犠牲になっていた。
   >
   > 一方、日本軍は、定期的に慰安婦を検診し、性病にかかった場合は入院させた。
   > 日記にも
   > 「 検査不合格者が6人も入院した 」(44年5月12日)
   > などという記述が多く見られる。
   > 「 妊娠7カ月なので、休業届を提出した 」(同7月4日)
   > というケースや、慰安婦の出産(同9月5日)もあった。
   >
   > 日記には、朝鮮における慰安婦募集に関する記述はない。
   > 日韓両国では朝鮮半島で慰安婦を集めるときに強制連行があったかどうかに
   > 強い関心が持たれているだけに、安名誉教授は
   > 「 この時期の日記が欠落しているのは残念だ 」
   > と話す。
   >
   > ただ、米外交問題評議会のジェイムス・リンゼイ上級副会長は毎日新聞に対し、
   > 米国で慰安婦問題への批判が強い理由について
   > 「 女性への性暴力が大きな政治的関心を呼ぶようになった世界的な流れが背景にある 」
   > と指摘。
   > 強制連行の有無は大きな論点ではなく、慰安婦という制度そのものへの向き合い方が
   > 問題視されているとの認識を示した。
   >
   > ==============
   >
   > ◆ 慰安所従業員の日記 抜粋
   >
   > ◇ 1943年
   >
   > 1月 1日 ビルマ国アキャブ市(現シットウェ)の慰安所、勘八倶楽部(くらぶ)で起きて、
   >       宮城(皇居)に向かって遥拝(ようはい)した。
   >       家内の弟と○桓君は、
   >       < 慰安婦を連れて連隊本部とその他3、4カ所に新年のあいさつに行ってきた>
   >
   > 1月 2日 昨日は元日で休業し、今日から慰安業を始める。
   >
   > 1月 9日 今日の検査の結果、病気だった○千代と○子の2人が不合格で、
   >       その他16人はみんな合格だった。
   >
   > 1月12日 連隊本部へ行き、慰安婦の収入報告書を提出した。
   >
   > 1月13日 連隊本部医務室から衛生サック(コンドーム)1000個を持ってきた。
   >
   > 1月16日 午後6時ごろ連隊本部事務室で、数日前に頼んだラングーン(現ヤンゴン)への
   >       出張証明書をもらった。
   >
   > 1月18日 同行の友となった中村上等兵と兵站(へいたん)へ行って朝飯を食べ、
   >       某少尉の案内で彼の部隊へ行って寝食をすることにする。
   >       某少尉も同行してラングーンまで行くという。
   >
   > 1月21日 ビルマ国タンガップの<火村小隊の車に火村小隊長少尉らと7人で乗って、
   >       午前11時にタンガップを出発した。>
   >
   > 1月25日 横浜正金銀行ラングーン支店で3万2,000円を貯金した。
   >
   > 1月29日 朝鮮から一緒に来た野沢氏に会った。
   >       マンダレーの方で慰安所をしていたが、今は、部隊の移動に従って
   >       プロメーに移り、営業しているという。
   >
   > 3月10日 <55師団から、マンダレーに近いイェウーに移転しろという命令が
   >       (ビルマ国ペグー市の)金川氏の慰安所にあった。
   >       慰安婦一同は絶対反対ということだった。>
   >
   > 3月14日 <金川氏は司令部命令に勝てず、慰安所をイェウーへ移すことになった。>
   >
   > 3月16日 金川氏は、師団連絡所からイェウー方面への移動を
   >       当分の間、中止すると言われた。
   >
   > 4月 5日 桜倶楽部の慰安婦、○子は腹部がとても痛み、午後、開腹手術をするのだという。
   >       ○子は昨年、マンダレーにいた時も盲腸炎で手術をした。
   >
   > 6月 2日 (ラングーン市外)インセインの宿舎で起き、村山氏宅で朝飯を食べた。
   >       正金銀行に行って、村山氏の慰安所の慰安婦2人の貯金をした。
   >
   > 6月20日 光山氏は、今回の慰安婦再編で、夫人を連れて帰国するそうだ。
   >
   > 6月25日 大石氏も今般、慰安婦募集のため帰国するという。
   >
   > 7月10日 <昨年の今日、釜山埠頭(ふとう)で乗船し、南方行きの第一歩を踏み出した日だ。
   >       もう1年になった。>
   >
   > 7月16日 村山氏の慰安所の慰安婦だった○子は妊娠7カ月で、胎動異常があり、
   >       今日、鈴木病院に入院したが流産だった。
   >
   > 7月17日 昨日、鈴木病院に入院した○子は流産後の経過が良好で、
   >       今日、車で帰ってきた。
   >
   > 7月19日 <インセインにいる高部隊すなわち航空隊所属の慰安所2カ所が、
   >       兵站管理に委譲された。>
   >
   > 7月20日 村山氏経営の慰安所、一富士楼が兵站管理となり、村山氏と新井氏は
   >       兵站司令部に行ってきた。
   >
   > 7月26日 インセインの慰安所2カ所が兵站管理になった後、慰安婦の検査も
   >       兵站の軍医がすることになった。
   >
   > 7月29日 <村山氏の慰安所の慰安婦だったが、夫婦生活をするために
   >       (慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として
   >       金泉館に戻ることになったという。>
   >
   > 7月30日 村山氏は8月中に帰郷する考えなのだが、
   >       もち屋と慰安所を私に引き受けろという。 承諾した。
   >
   > 8月 8日 金川氏も慰安所を他人に譲渡して帰国するという。
   >
   > 8月10日 ラングーンの翠香園で慰安所組合会議に出席した。
   >       組合費として経営者は30円、慰安婦は1人2円で計62円を払った。
   >
   > 8月11日 近日は慰安所に来る客が少なく収入もとても減少した。
   >
   > 8月12日 兵站司令部に行って営業日報を提出し、サック400個を受け取った。
   >
   > 8月13日 <鉄道部隊で映画があるといって、慰安婦たちが見物に行ってきた。>
   >
   > 8月19日 兵站司令部で、サックを600個受け取った。
   >
   > 8月24日 村山氏が、一富士楼慰安所を9月まで自分が経営して
   >       10月初めに引き渡すというので、それではだめだと言った。
   >
   > 8月26日 兵站司令部で5日間の日報を提出し、サック800個を受け取った。
   >
   > 9月 9日 ペグーの金川氏も今日、慰安所を他人に譲渡する契約を締結した。
   >
   > (この後、筆者はシンガポールへ移動する)
   >
   > 12月 3日 ラングーンで慰安所を経営していた金田氏は
   >       去る7月初めに慰安婦を募集するため朝鮮に行った。
   >       そして今回、慰安婦25人を連れてビルマへ行く途中でシンガポールに到着した。
   >
   >
   > ◇ 1944年
   >
   > 2月 1日 今日出発する帰国慰安婦5人を送り出した。
   >
   > 3月 3日 慰安婦、○子とお○が廃業した。
   >
   > 3月31日 慰安婦、真○を連れて特別市保安課旅行証明係に行き、
   >       内地帰還旅行証明願を提出させた。
   >
   > 4月 5日 帰郷する慰安婦、お○と○子は明日の乗船券を買った。
   >       共栄倶楽部の慰安婦、尹○重(○子)も明日出発だ。
   >
   > 4月 6日 <生鮮組合に行ったところ一昨年に慰安隊が釜山から出発した時、
   >       第4次慰安団の団長として来た津村氏が働いていた。
   >       お○と○子、共栄倶楽部の○子を見送ってきた。>
   >
   > 4月12日 特別市支部へ行って、金川○玉と島田○玉の2人についての
   >       内地帰還旅行証明書を受け取った。
   >
   > 4月13日 特別市警務課に行き、真○の内地帰還についての移動届を提出した。
   >       南方運航会社に行って、真○、島田○玉の2人の乗船を申し込んだ。
   >
   > 4月14日 西原君と横浜正金銀行の支店に行き、
   >       今般帰郷した李○玉と郭○順への送金をした。
   >
   > 4月15日 慰安婦募集のため朝鮮に帰った大洋倶楽部の主人は
   >       来る7月に京城(現ソウル)から出発する予定だと西原君に電報が来た。
   >
   > 4月18日 スマトラ・パレンバンからシンガポールに来て、
   >       菊水倶楽部が慰安婦として抱え入れることになった金○順の就業許可のため
   >       特別市警務部保安課に行ってきた。
   >
   > 4月30日 今日も軍人の外出が多く、昨日の最高収入をはるかに超過し、
   >       2,590円余りの最高記録だった。
   >
   > 5月 9日 金○順と崔○玉の稼業婦としての就業が許可された。
   >
   > 5月12日 <今日、検査不合格者が6人も入院した。>
   >
   > 5月26日 昨年9月ごろ、菊水倶楽部からティモール島方面へ行った李○梅という女が
   >       今日、シンガポールに帰ってきたと訪ねてきた。
   >
   > 5月31日 正金銀行に行き、金川○玉の送金許可申請を提出した。
   >
   > 5月 1日 中央電信局に行って、金本○愛と李○梅の2人に頼まれた電報を出した。
   >
   > 6月 2日 今日の検査で2人が不合格となって入院したので、
   >       今までの入院者まで入れて計5人が入院中だ。
   >
   > 6月 5日 金川○玉と島田○玉の2人は、今朝8時に出発した。
   >
   > 6月 9日 今日の検査結果は、入院中の2人が退院し、2人はそのまま入院。
   >       店にいた女たちは全員合格した。
   >       今月から女子はたばこ配給がないのだが、稼業婦に対しては接待用として
   >       特別に毎日10本の配給がある。
   >
   > 6月13日 4月に帰還した郭○順にすぐ送金したのだが、まだ受け取れていないと
   >       2回も電報が来た。
   >
   > 6月17日 新しく入った宋○玉のことで特別市保安課営業係、坂口氏のところに行ってきた。
   >       稼業婦特配米を受け取った。
   >
   > 6月23日 帰郷した金川○玉から到着したから送金しろという電報が来た。
   >
   > 7月 4日 <慰安稼業婦、許○祥(○江)は妊娠7カ月なので、休業届を提出した。>
   >
   > 7月27日 正金銀行に行って、慰安婦の貯金をした。
   >
   > 8月31日 今年4月初めに帰郷した共栄倶楽部の稼業婦、尹○重から無事帰還したという
   >       はがきが届いた。
   >
   > 9月 5日 <倶楽部の稼業婦、許○祥(○江)は妊娠中だったのだが、
   >       中央病院に今夜入院し、23時半ごろ男児を無事に出産した。>
   >
   > 9月 6日 保安課営業係に金○愛の廃業同意書を提出し、証明を受け取った。
   >
   > 9月28日 正金銀行に行って、稼業婦の貯金をし、南方運航会社に行って
   >       金○先と金○愛の2人の内地便船の申し込みをした。
   >
   > 10月14日 病弱のため帰郷を決心した。
   >
   > 10月25日 スマトラのパレンバンから
   >       シンガポールに来た宮本と<第一白牡丹で前は慰安婦をしていた今の仲居が
   >       今般結婚した。
   >       今夜、両国食堂で知己の人を呼んで祝賀の酒を飲むと誘われたので行った。>
   >
   > 10月26日 今般帰郷する金○愛の送金許可申請書を提出した。
   >
   > 10月27日 <慰安婦、金○先に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して、
   >       中央郵便局から送った。>
   >
   > 11月 9日 横浜正金銀行シンガポール支店に行って、慰安婦の貯金をした。
   >
   > 11月15日 稼業婦、金○愛は今日、内地に帰還する船に乗った。
   >
   > 11月16日 特別市保安課営業係に行き、帰国した金○愛の酌婦認可書を納付した。
   >
   > 11月22日 仲居、李○鳳と稼業婦、金○守の2人の旅行証明をもらってきた。
   >       南方運航会社で2人の乗船申し込みをした。
   >
   > 11月24日 正金銀行に金○守の送金許可を申請し、中央郵便局で李○鳳の送金をした。
   >
   > 12月 4日 正金銀行に行き、送金許可された金○守の1万1,000円を送金してあげた。
   >
   > 12月16日 横浜正金銀行に行き、許可された3万9,000円を送金し、
   >       検疫所に行って検疫証明書をもらった。
   >       13時ごろ稼業婦のみんなと別れのあいさつをして停泊場に行き、
   >       手荷物検査を終えて17時ごろ乗船した。
   >
   > (注) 日記は、慰安婦のことを「稼業婦」「酌婦」などとも記している。
   >     慰安婦らの名前の一部を伏せ字とした。
   >     「横浜正金銀行」 は、1880年開業の外国為替取扱銀行。
   >     日記では単に「正金銀行」とも書かれている。
   >     東京銀行の前身で、現在は三菱東京UFJ銀行となっている。
   >     <>は記事と関連する部分。

    3月31日 慰安婦、真○を連れて特別市保安課旅行証明係に行き、
          内地帰還旅行証明願を提出させた。

    4月 5日 帰郷する慰安婦、お○と○子は明日の乗船券を買った。
         共栄倶楽部の慰安婦、尹○重(○子)も明日出発だ。

    4月12日 特別市支部へ行って、金川○玉と島田○玉の2人についての
          内地帰還旅行証明書を受け取った。

    8月31日 今年4月初めに帰郷した共栄倶楽部の稼業婦、尹○重から無事帰還したという
          はがきが届いた。

    9月28日 正金銀行に行って、稼業婦の貯金をし、南方運航会社に行って
          金○先と金○愛の2人の内地便船の申し込みをした。

   11月22日 仲居、李○鳳と稼業婦、金○守の2人の旅行証明をもらってきた。
          南方運航会社で2人の乗船申し込みをした。

 ・・・ シーレーンを米軍に襲われる危険性がなかった頃は、ちゃんと内地へ帰っていました。

   前借金を返済すれば帰国できる契約だったが、戦況のためという理由と、説得されて、
   帰国できた者はいませんでした。

 というのは、あくまで米軍が尋問した慰安婦の中に、帰国できた者が居なかったというだけの話です。

 よく考えて下さい。 帰国した者は米軍に尋問されることが有り得ません。 あたりまえですね。
 米軍がビルマで慰安婦を尋問したということは、その時点で日本軍はビルマから敗退しています。
 つまり
 [ 米軍尋問を受けた慰安婦 ] = [ 米軍が迫ってくるまで売春を続けていた売春婦 ]
 という意味しか持ちません。

 「 日本軍が慰安婦を内地に返さなかった 」
 のではありません。
 「 内地に帰りたい慰安婦は、借金を返したらさっさと帰った。
  借金を返して尚も売春し続けた者や
  借金を返し切る前に、米軍が迫ってきて帰路の安全が保障されなくなった者が
  残された 」
 のです。

 これの何処に 「 日本が悪い 」 があるのでしょうか?

 ありませんね。



 4 以上、このレポートを読むと、売春をしていなかった女性たちが、騙されて(詐欺)、
   前借金で縛られて(人身売買)、連れてこられたことがわかります。

 

 そのレポートには貴方たちサヨクにとって都合の良い事が書かれている反面、貴方たちサヨクにとっ て不都合な事も書かれていました。

 都合の良い事も都合の悪い事も通して読めば、全体としてサヨクにとって不都合なレポートであった ことが理解できます。

 ( Q&A - 2 慰安所における実態 - 5 「従軍慰安婦」というのは存在しない? を斬る よりコピ ペ )

   日本と愉快な仲間たち
   従軍慰安婦問題の真実!米国報告書で潔白が証明されました
   http://japanandworld.net/archives/683

   《前略》
   >
   > 強制連行はなかった!
   >
   > テキサス親父さんの快挙
   >
   > 上記の問題の米国の報告書ですが、テキサス親父さんという方が、
   > 発見し紹介してくれたことで広まりました。
   >
   > テキサス親父さんとは、トニー・マラーノさんという、アメリカのテキサス州に住む62歳の、
   > 義理と人情に厚いナイスガイです(^▽^)
   >
   > テキサス親父さんHP http://texas-daddy.com/
   >
   > 最初、報告書をネット上で発見されたそうです。
   >
   > そこで、この興味深い報告書の真偽はどうなのか?
   > テキサス親父さんは、アメリカのワシントン郊外にある、国立公文書館へ
   > 問い合わせを行います。

   

   > 国立公文書館の回答は、「本物」でした( ´∀`)
   >
   > 米国が1944年に、ビルマで日本軍の慰安婦を捕まえて、取り調べを行った時の
   > 「 調査報告書 」 でした。
   >
   > 全文はこちらです。 http://texas-daddy.com/comfortwomen.html
   >              ※ htmlファイルがダウンロードされます。 ファイルを開くとページが見れます。
   >
   > 内容を一部抜粋します。 日本語訳に、誤字もありますが、そのまま掲載します。
   >
   >  〜引用ここから〜
   >
   >  この報告は、1944年8月10日ごろ、ビルマのミッチナ陥落後の掃討作戦において
   >  捕らえられた20名の朝鮮人「慰安婦」と2名の日本の民間人に対する尋問から得た
   >  情報に基づくものである。
   >
   >  (中略)
   >
   >  多くの女性が海外勤務に応募し、2〜3百円の前渡金を受け取った。
   >
   >  (中略)
   >
   >  彼女たちが結んだ契約は、家族の借金返済に充てるために前渡された金額に応じて
   >  6ヵ月から1年にわたり、彼女たちを軍の規則と「慰安所の楼主」のための役務に
   >  束縛した。
   >
   >  (中略)
   >
   >  ビルマでの彼女たちの暮らしぶりは、
   >  ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。
   >
   >  (中略)
   >
   >  欲しい物品を購入するお金はたっぷりもらっていたので、
   >  彼女たちの暮らし向きはよかった
   >
   >  (中略)
   >
   >  彼女たちは、ビルマ滞在中、将兵と一緒にスポーツ行事に参加して楽しく過ごし、
   >  また、ピクニック、演奏会、夕食会に出席した。
   >  彼女たちは蓄音機をもっていたし、都会では買い物に出かけることが許された。
   >
   >  (中略)
   >
   >  慰安婦は接客を断る権利を認められていた。
   >  接客拒否 は、客が泥酔している場合にしばしば起こることであった。
   >
   >  (中略)
   >
   >  1943年の後期に、軍は、借金を返済し終わった特定の慰安婦には
   >  帰国を認める胸の指示を出した。
   >  その結果、一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。
   >
   >  (中略)
   >
   >  これらの慰安婦の健康状態は良好であった。
   >  彼女たちは、あらゆるタイプの避妊具を十分に支給されており、
   >  また、兵士たちも、軍から支給された避妊具を
   >  自分のほうからもって来る場合が多かった。
   >
   >  〜引用ここまで〜
   >
   > 彼女らは大金を持っていた・・・
   > 彼女らは街で遊んでいた・・・
   > 彼女らは借金を返し終わったら家に帰った・・・
   > 彼女らは将兵とスポーツや・・・
   > 彼女らは接客を断る権利を持っていた・・・
   >
   > 性奴隷はこんな事できませんよね(^_^;
   >
   > ・・・
   >
   > 特筆すべきは、この報告書は1944年のもの、ということです。
   >
   > 日米は激しい戦争真っ只中です。
   > お互い、相手の不利になることなら、何でもやってやろう、という気持ちのはずです。
   >
   > つまり、
   > 「 朝鮮人女性は売春を強要されている 」 「 日本人はとても非人道的なやつらだ! 」
   > ということもできましたが、しませんでした。
   >
   > そうすると、それが、ウソになってしまうからです。
   >
   > テキサス親父さんのアップされた動画です。
   > 日本語の字幕がありますのでさくっと観れます^^

   字幕【テキサス親父】慰安婦は売春婦!証拠はコレだ!と親父ブチギレの巻!
   http://youtu.be/ggQaYD37Jm4
   560x315
   

 売春をしていなかった女性たちが、騙されて(詐欺)、前借金で縛られて(人身売買)、連れてこられた 例が載っていることは事実です。

 しかし、日本政府 ( と日本政府の傀儡政権であった朝鮮総督府 ) は、そうした ( 管理売春が合法 であった当時に於いても非合法であった ) 手段を用いて慰安婦を集めてはイケナイと御触れを出して 取り締まっていました。

 売春をしていなかった女性たちが、騙されて(詐欺)、前借金で縛られて(人身売買)、連れてこられた のだとしても、その犯行者は、当時に新生日本人として扱われた朝鮮人の女衒でした。

 そして、そうして慰安婦に成った女性たちは

   > 彼女らは大金を持っていた・・・
   > 彼女らは街で遊んでいた・・・
   > 彼女らは借金を返し終わったら家に帰った・・・
   > 彼女らは将兵とスポーツや・・・
   > 彼女らは接客を断る権利を持っていた・・・

 のです。

 更に言えば、日本政府や朝鮮総督府の取り締まりを掻い潜って朝鮮人の女衒に彼女達を売った親 や夫もまた、飢え死にすることなく、命を未来に繋ぐことができました。

 これで結果を 「 日本が悪い 」 とするサヨクの思考は異常です。



   騙して、あるいは人身売買によって女性を海外に連行したことがはっきりとわかり、
   これは当時の日本の刑法226条に違反する犯罪でした。
   しかも半数以上の女性は未成年であり、たとえ本人が同意していても
   国際条約にも違反する犯罪でした。

 

 はい、もう一回。

 

   2013.02.23 杜父魚文庫ブログ
   世界は売春合法化の流れ   渡部亮次郎
   http://blog.kajika.net/?eid=1002832
   > 何気無し「ウィキペディア」に「売春」と打ち込んでみて驚いた。
   > 世間を知らないとは恐ろしいもの。
   > 近年、世界的に売春は合法化の流れがあるとされる、というのだ。
   >
   > アジアでは、タイで完全に合法化され、台湾でも合法化が検討されている。
   > 欧米では、売春自体は合法である国がほとんどである。
   >
   > ただ、斡旋を違法としている国も多いが、2000年にオランダが斡旋を含む売春行為を
   > 完全に合法化したのを手始めに、ドイツ、オーストラリア、ニュージーランドなども
   > 斡旋合法化に踏み切っている。
   >
   > 何しろ合法化の理由としては、性病対策、性犯罪対策などがあげられる。
   > 出現した恐ろしい性病「エイズ」の伝染力、女性の権利の主張などがからんで、
   > 日本の売春防止法などは時代遅れといわれそうだ。
   >
   > タイや中国などアジアでは、現在でも、特に地方での貧困から、
   > 少女・少年が都市部の闇で売春をするケースが多いといわれ、
   > エイズなどの性病が蔓延し、大きな社会問題となっている。
   >
   > タイでは、性病の蔓延を防ぐため、衛生管理を徹底し、かつ税収を確保する目的で
   > 昨今、国の許可の下での管理売春が合法化された。
   > ドイツでは斡旋を伴う売春を完全に合法化し、売春地帯を一定の場所に隔離し、
   > 政府が性病管理をすることによって性病が減少したとされており、
   > タイはドイツを参考にしたといわれる。
   >
   >
   > ■ ヨーロッパにおける売春合法化と売春の現状
   >
   > デンマークは1999年の刑法改正により、18歳以上の売春は完全に合法化された。
   > もっとも、それ以前も事実上黙認されていたといわれる。
   > いわゆる街娼は少ないとされ、多くはサロンやマッサージ店のような場所で
   > 売春が行われている。 売春婦は約6000人おり、3割が外国人であるといわれている。
   >
   > オランダでは2000年に16歳以上の売春が完全に合法化され、
   > 一般の企業と同様の活動が可能となった。
   > アムステルダムなどの主要都市に売春宿(隠語で「飾り窓」と呼ばれる)や
   > 街娼(隠語で「立ちんぼ」と呼ばれる)が多数存在し、毎日朝から深夜まで
   > 料金等の交渉が行われている。
   >
   > 脅迫などにより売春を強要される女性がいると指摘されていることから、
   > 近年売春強制の罰則が強化されている。
   > これに対し、移民は仕事を確保することが困難であり、自らの意思で売春に従事する人が
   > 多いといわれる。
   >
   > デンマーク、フランス、スイス、ドイツ、ギリシャ、ハンガリー、チェコなどにおいても合法で、
   > オーストリアなどでは外国人が働くために売春ビザで滞在許可を得ることができる。
   >
   > スイスでは売買春は合法で、自治体に登録することで、営業することが可能となる。
   > EUの自由化により、外国人売春婦が増えているとされる。
   >
   > 売春合意年齢は16歳であることから、現在18歳未満であっても売春が可能である。
   > ただ、18歳未満がブランド品を買うために体を売る「ブランドセックス」が問題視されており、
   > 売春合意年齢を18歳に引き上げるべきであるとの議論がなされている。
   >
   > なお、イタリアやフランスの売春合意年齢は18歳、ドイツは21歳であり、
   > スイスは特に若いことが指摘されている。
   >
   > ドイツでは2002年に売春が合法化された。 売春合意年齢は21歳とされている。
   > 現在、ベルリンだけでも700もの売春宿があり、売春婦の数はドイツ全土で40万人と
   > いわれる。
   >
   > 合法化したことにより、「セックス税」が得られるようになったとされる。
   > また、ドイツW杯時には大きな売り上げをあげたとされる。
   >
   > ただ、経済不況の波はドイツの売春産業にも大きな影響をあたえており、
   > 価格が低下しているといわれ、近年では、多様化により、外国に支部を持つオーナーも
   > 多くいる。
   >
   > オーストリアでも売春は合法で、
   > 路上や店舗で活動するためには営業免許証が必要とされる。
   > 海外からの移住性労働者のための滞在ビザ、つまり売春ビザもある。
   > 売春ビザで働いている場合、売春以外の職種(ダンスショーなど)に従事することも
   > 裁判で認められた。
   >
   > チェコでは売春、売春宿の経営は合法である。
   > チェコのEU加盟により、従来最大で24時間近く待たされた国境通過が
   > 容易になったとされる。
   > そのため、トラックドライバーを主な顧客とするオーストリア国境地帯の売春宿の多くが
   > 廃業したといわれる。
   >
   > ベルギーでは従来から売春自体は合法だったが、斡旋行為等は違法とされていた。
   > しかし、ドイツ、オランダの合法化に伴いベルギーにおいても
   > 斡旋行為、売春宿の経営等が合法化された。
   >
   > イタリアでは1958年に売春防止法が施行された。
   > ただ、売春行為自体は適法であり、売春合意年齢は18歳である。
   > 売春の斡旋や売り込みなどは違法とされている。
   >
   > イタリア政府は政府公認の売春公認地域の設置や売春合法化を検討しており、
   > 8割の国民が賛成しているとの世論調査結果が出ている。
   > 現在、イタリアの売春婦は7万人で、多くが外国人とされる。
   >
   > オーストラリアでは売買春そのものは合法である。
   > 組織・施設・勧誘行為の規制は州により異なる。
   > 売春が合法化されている州では、一部上場している売春宿もある。
   >
   > 合法化を推進したのがキャンベラの女性市長である。
   > 売春を違法にしたところで、貧しい人達がいる限り売春は無くならないし、
   > 「モラルを押し付けておきながら、福祉を充実させずに貧しい生活を甘受せよというのは
   > 金持ちの身勝手である」
   > との反発もあり、合法化した。
   >
   > 合法化したことで、売春に従事する女性達は社会保障を受けることができ、
   > また賃金を不当に踏み倒されることもなくなり、また衛生管理も向上する。
   > そういった点で、女性議員達の支持をうけたのが、合法化に成功した理由といわれる。
   >
   > 同様の理由でニュージーランドでも合法化された。
   > ただし、合法的に売春するには、ライセンスを受ける必要があるとされる。
   >
   > イギリスでは売春すなわち「性的なサービスの代価に金銭を受け取る」こと自体は
   > 合法であるという判例がある。
   > しかし法律的には、街娼、ポン引き、売春宿および売春組織の形成は違法である。
   >
   > したがって、個人が新聞やインターネットで広告を出し売春をすること
   > (Independent Escort) は完全に合法である。
   >
   > これに対し、Escort を派遣するいわゆる Escort Agency や、日本のソープランドのように
   > マッサージと称して売春するマッサージパーラー(Massage Parlour)は、違法ではないか
   > との指摘があるが黙認されている。
   >
   > フランスでは売春は合法である。 ただ、斡旋や公道での勧誘は違法である。
   > 売春合意年齢は18歳である。
   > フランス在住のジャーナリストである鎌田聡江によると、
   > 近年、女子学生が生活費を稼ぐために売春するケースが増えているとされ、
   > その数は4万人にのぼるといわれる。
   >
   > 彼女達の多くは貧しい家庭の出身であり、社会的な成功を夢見て勉学に励んでいる。
   > しかし、労働法令により、労働者の解雇が困難なフランスでは、
   > 労務者の数を少なく抑えようとする傾向があり、バイトを探すことが困難となっている。
   >
   > そのため、彼女達が勉学を続けながら収入を得ることは難しい。
   > その上、パリでの生活費は一般的に高いといわれる。
   > それが、インターネットを利用した売春が女子学生の間で流行している原因であるとされる。
   >
   > スペインの売春は合法とされる。
   > 多くは、貧しい移民達が生活費を稼ぐために売春に従事している。
   > ただ、売春宿の経営については、規制が設けられており、新規出店は難しい。
   > そのため、マッサージ店に偽装する店が多いとされる。
   >
   > ギリシャでは売春自体は合法であるものの、街頭での客引き等の行為は違法とされ、
   > 規制も厳しいといわれる。 売春宿を経営するためには、市の許可が必要となる。
   >
   > アテネ五輪の際に、五輪特需を見込んで、アテネ市が230件の売春宿の新規許可を出した
   > ことに対して、北欧諸国から五輪の精神に悖るとして非難が起きた。
   >
   > (頂門の一針)

 売春合意年齢21歳:ドイツ

 売春合意年齢18歳:デンマーク,イタリア,フランス

 売春合意年齢16歳:オランダ,スイス

 近年に於ける売春合法化の波で、1921年の国際条約なんか(記事上では)ドイツしか守っていませ ん。 

 こんなもんで日本政府を犯罪国扱いって、正気ですか? 

 そして、

 Q&A編 - 2 慰安所における実態 - 3 警察は「慰安婦」を保護? よりコピペ。

 「 法律違反で許せない 」 と憤るなら代案を出して下さい。

 慰安婦になってでも家族を救いたいと願う奇特な子供に売春なんかさせないで、家族も飢えずに暮ら せる方法を、大学教授や弁護士になったその素晴らしい頭脳で導き出して下さい。

 できないなら黙っていろ。

 そういう時代だったんだ。 いい加減に理解しろ!


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