『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』 を斬る 《跡地》



解決編 4 国際社会の声

 - 5 国連人権理事会普遍的定期審査(UPR) を斬る

2016.11.20 日本の『法的責任』について加筆 2016.11.22 補完
2014.05.28 米軍の蛮行に「日本人婦女子凌辱事件」を追加


 引用元URL → http://fightforjustice.info/?page_id=2461 ( 魚拓 )


 以下、青い色の文字がwebサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責 任』からの“引用”です。

 おことわり : 今回はマジで長いです。 推敲するのが辛いレベルですw お時間のある方のみお付き 合いくださいませ。


 解決編 4 国際社会の声

 - 5 国連人権理事会普遍的定期審査(UPR)


   [ 画像:Human Rights Council 省略(引用元アドレスをご参照ください)


 国連人権理事会(United Nations Human Rights Council , 略称UNHRC)は、
 2006年の創設以来毎年、すべての国連加盟国の人権状況を順次審査する
 普遍的定期審査(Universal Periodic Review, 略称UPR)制度を採用しました。
 日本政府も、2008年と2012年に審査対象となりました。
 日本の人権状況に関して諸外国から様々な是正勧告が出されています。
 日本軍性奴隷制に関しても勧告が出されています。

 

 だから、国連はWWU時に枢軸国だった国々を虐める機関だっちゅうの。

 

   2013-06-09 クニモニノラのブログ
   【国連人権委員会の実態】【国連の正体】
   http://ameblo.jp/siitoruke/entry-11548653965.html
   > 【国連人権委員会の実態】
   >
   > ・ 国連人権委員会とは、加盟国の各国からの政府代表ではなく
   >  個人が勝手に、ボランティアとして手を挙げて参加するメンバーで構成されている
   >
   > ・ 従って、委員会の決議等には拘束力は全く無い
   >
   > ・ 議題は、各国のNPOが持ち込んだものである。
   >  従って、中国や北朝鮮、韓国などのNPOが盛んに“問題”を持ち込んでいる。
   >
   > ・ 日本は左翼がほとんどである。 保守のNPOはほとんでない。
   >  従って、日本から持ち出される問題も、トンデモ議題がほとんどである。
   >
   > ・ 委員会の議長や委員も、中国人や北朝鮮人が多い
   >
   > ・ 従って、中国のチベット殲滅などの途方もない人権侵害や非人道的行為は
   >  全く議題になることなく、日本のアイヌ問題や差別が議題となる。
   >
   > ・ このような馬鹿げた実態にも拘わらず、日本で報道される時は、
   >  「国連人権員会」が「日本批判の決議」、とか、「日本政府へ改善勧告」などと、
   >  いかにも権威あるものであるかのように報道されている。
   >
   > 要するに、こうしたところでも反日左翼と中韓などが結託して、
   > 日本と日本人を貶める場所として利用しているのです。
   >
   > 日本のマスコミはそうした事情を知っていながら、さも権威ありげに利用します。


   2010-04-05 日本人へ
   国連の正体
   http://nipponjine.exblog.jp/14099872
   > http://74.125.153.132/search?q=cache:NvWXeHwqYY0J:nf.ch-sakura.jp/modules/newbb/
   > viewtopic.php%3Ftopic_id%3D2024%26forum%3D1%26viewmode%3Dflat%26order%3DASC%
   > 26start%3D380+%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E6%A1%9C%E3%
   > 80%80%E5%9B%BD%E9%80%A3%E3%80%80%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB&
   > cd=3&hl=ja&ct=clnk&gl=jp ( 消えています )
   >
   > 1945年に、陰謀家たちは、ついに世界統一政府の土台となる国連を設立した。
   > 驚くべきことに、アメリカ人はみな、この汚れた組織を至聖所のように崇め奉った。
   > 国連の創設に関する事実が明らかになった後ですら、アメリカ人はこの邪悪な組織を
   > 崇拝し続けた。
   > アルジャー・ヒスがソ連のスパイであり、裏切り者であると分かっても、アメリカ人は
   > 国連に信頼を寄せ続けた。
   >
   > [国連]軍の事務局長と国連の真の支配者の座に常にロシア人を据えるという約束が
   > ヒスとムラトフの間で交わされたことを私が明らかにした後ですら、ほとんどのアメリカ人は、
   > 国連が間違いを犯すはずがないと信じ続けた。
   >
   > 初代国連事務総長トリグ・D・リーが自著ForTheCauseofPeaceの中で
   > ヒスとムラトフのこの秘密協定を確認した後、国連はヴァシャリアを休職させた。
   > それによって、ヴァシャリアは、マッカーサー将軍の指揮のもとにあった
   > いわゆる国連警察活動隊と戦っていた北朝鮮軍と共産中国軍を指揮することが可能になった。
   > 国連軍を勝たせないために、小心な大統領トルーマンは、国連による指令のもとで
   > マッカーサーを解任した。
   >
   > アメリカ人は、あの戦争で15万人もの息子たちを殺されたり、
   > 不具にされたりしたにもかかわらず、なおも国連を信じつづけた。
   >
   > アメリカの完全支配を実現するために国連がカリフォルニアとテキサスの多くの都市を
   > ( 国連の指揮下にあるアメリカ人兵士を使って、国連の旗のもと、アメリカの背信的な
   >  国務省と国防総省との共謀により ) 侵略していたということが1951年に暴露された後でも
   > なお、アメリカ人は、国連こそ平和を達成するための確実な方法であると信じ続けた。
   > 彼らのほとんどは、以上の事実を無視し、国連こそ至聖所であるとの信念を保った。
   >
   > 読者は、国連憲章が、裏切り者アルジャー・ヒスとムラトフ、ヴィシンスキーによって書かれた
   > ということをご存知だろうか。
   > ヒスとムラトフは、あの秘密協定の中で
   > 「 国連軍のトップは常に、モスクワが決めたロシア人でなければならない 」
   > と決定した。
   > 読者は、ヤルタでの秘密会談において、
   > ルーズベルトとスターリンが、イルミナティの組織であるCFRの指令により、
   > 国連をアメリカに設置すると決定したことをご存知だろうか。
   >
   > 国連憲章の大部分がマルクスの『共産党宣言』とロシアのいわゆる憲法からの丸写しだ
   > ということをご存知だろうか。
   > 上院議員のうちで、国連憲章に反対票を投じた2人しかそれを読んでいなかった
   > ということをご存知だろうか。
   >
   > 国連が設立されてから共産主義により奴隷に貶められた人々の数が
   > 25万人から10億人に膨れ上がったことをご存知だろうか。
   >
   > 平和を目的とする国連が創設されてから、少なくとも国連が煽動して起きた大戦争が
   > 20もあるということをご存知だろうか。
   > 国連は、ローデシアやクウェートといった小国に対する戦争を煽動した。
   > 国連体制のもと、ロシアの分担金支払い拒否のために生じた国連の財政赤字の穴埋めに、
   > 米国国民の税金から国連に対して数百万ドルが強制的に支払われたことをご存知だろうか。
   > 国連は、ロシアやその衛星国に対して非難決議を一度も下したことがなく、非難されるのは
   > いつも米国の同盟国であったということをご存知だろうか。
   >
   > エドガー・フーバーが
   > 「 国連への共産主義国の代表者たちの圧倒的大多数はスパイだ 」
   > という発言をしたことをご存知だろうか。
   > 66人の上院議員が「領事館契約」に賛成票を投じたために、
   > ロシアのスパイと破壊活動家たちに米国への門戸がすべて開け放たれたことを
   > ご存知だろうか。
   > 国連は、総会において新たな脅威について議論する以外の自由世界側のあらゆる活動を
   > 妨害することによって、ソ連の世界征服を助けていることをご存知だろうか。
   >
   > --------------------
   >
   > 中共を糾弾すると同時に国連を糾弾していますか?
   > 国連は共産主義者の巣窟です。
   >
   > 第一次世界大戦でソ連と国際連盟が誕生し、
   > 第二次世界大戦で国際連合と共産国・中国が誕生しました。
   > この世界大戦で二つの大国がまるごと共産主義者に乗っ取られ、
   > 大戦に対する反省と称して国連が設立されました。
   >
   >
   > マッチポンプ
   >
   > 二つの大戦は共産主義者(イルミナティ)によって画策されたものです。
   >
   > 国連は世界政府(人類支配)の土台となる組織です。
   >
   > 天安門事件で国連は動きましたか?
   > 中共だけに目を奪われていては日本解体を阻止することは出来ません。
   >
   >
   > 地球温暖化詐欺
   > 男女平等=家族制度の解体、各国の伝統的秩序の破壊。
   > 人権を守ると称して、少数民族、貧困者を利用した大多数の人々への逆差別、権利の剥奪。
   > 国連の要請による自衛隊の平和維持活動。(実質国連軍!)
   >
   >
   > 日本人へ
   > 国連の正体に気付いてください。


   H14.01.13 Japan On the Globe(223) 国際派日本人養成講座
   Common Sense: 国際連合、3つの幻想
   第2次大戦の戦勝国が作った国連を徳川幕府に例えれば、わが国は旧敵国の外様大名。
   http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog223.html
   > ■1.隠された「国連」の生い立ち■
   >
   > 国際連合は、英語で The United Nations と言う。
   > ちなみに第二次大戦中、日独伊の枢軸国と戦った「連合国」も、The United Nations である。
   > 中国語では「連合国」も「国連」も「聯合國」である。 なぜか?
   >
   > 答えは簡単、「国連」は「連合国」という軍事同盟から生まれたからである。
   > 日本語で「国際連合」と「連合国」とにわざわざ訳しわけていることは、
   > 国連の生い立ちを隠していることになる。
   >
   > わが国では「国連」を世界連邦をめざし恒久平和をもたらすという
   > 理想的なイメージで捉える向きが多いが、それは国連の生い立ちを知らないことから
   > 生まれた幻想である。
   >
   >
   > ■2.「国連」は「連合国」の軍事同盟関係を発展させたもの■
   >
   > 幻想の正体を明かす前に、まず国連の生い立ちを見ておこう。
   >
   > 1945(昭和20)年4月25日、第2次大戦末期に 「 国際連合(と言うより、連合国)憲章 」 作成
   > のためのサンフランシスコ会議が開催された。
   > 参加招請状を出したのは、連合国の中心として戦った米ソ英中4カ国であった。
   >
   > 参加招請状の送付先選定には、
   > 「 1945年3月1日までに枢軸国に宣戦布告をした国 」
   > という条件がつけられていた。
   > 結果として総計50カ国が参加したが、会議に参加したいがために、あわてて枢軸国に対して
   > 宣戦布告した国も少なくない。
   > この条件からスイスのような中立国や、スペインのような非交戦国は排除された。
   > ちなみにドイツ国防軍が無条件降伏をしたのはこの後の5月7日であるから、
   > この時点では日独が枢軸国として戦っていた。
   >
   > サンフランシスコ会議の参加国の合意により、国連憲章の最終案が成立したのが6月26日。
   > 日本はまだ戦っていた。
   > 過半数の参加国が批准書をアメリカに提出して、国際憲章が発効したのが10月24日。
   > 日本は9月2日に降伏文書に署名している。
   >
   > したがって、「国連」は第2次大戦末期に「連合国」の軍事同盟関係を
   > 国際機関として発展させたものというのが、その生い立ちである。
   > そして大戦中の連合国 The United Nations という名称がそのまま使われた。
   >
   > わが国でも、当初は「連合国」という呼称をそのまま使っていたが、政府の事務方の段階で
   > 「国際連合」という仮称が浮上してきて、だんだん大勢を占めていったようだ。
   > それは、「連合国」という敵陣営が、そのまま戦後の国際機関となるという
   > 冷厳な事実に対する国民の「違和感」を緩和させるための政治的表現であったようだ。
   > しかし、この「真実」を覆い隠した政治的表現が後に国連に対する幻想を生むことになる。
   >
   >
   > ■3.幻想その1「平等主義」■
   >
   > 国連はすべての国に平等に開かれた国際機関である、という認識が根強いが、
   > 決してそうではない。
   > 「連合国」という軍事同盟から発展した、と言う素性がいまだに尾を引いている。
   >
   > 国連は、米英仏中ソの5大国を中心とする「連合国」が、
   > 枢軸国の日独を牽制することを目的として作られたので、
   > 5大国には特権を与え、枢軸国に対しては差別的な扱いをしている。
   >
   > まず5大国は国連の中心的役割を担う安全保障理事会の常任理事国であり、
   > その決定について拒否権を持つ。
   > 5大国の1カ国でも反対したら、安全保障理事会は何事も決定できないのである。
   >
   > 逆に枢軸国に対しては国連憲章の「敵国条項」と呼ばれる第53条と第107条とがある。
   > 後者だけを見ておくと、
   >
   >  第107条
   >  この憲章のいかなる規定も、
   >  第2次世界戦争中にこの憲章の署名国の敵であった国(JOG注:日独)に関する行動で
   >  その行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを
   >  無効にし、又は排除するものではない。
   >
   > 第2条4項には、
   > 「 すべての加盟国は・・・武力による威嚇又は武力の行使を・・・慎まなければならない 」
   > とあるが、たとえば北朝鮮が第2次大戦中の賠償請求と称して、
   > 日本に核ミサイルで威嚇をしても、この107条がある限り、国連憲章違反にならないのである。
   >
   >
   > ■4.国連は徳川幕府、日独は外様■
   >
   > この5大国と旧敵国との差別待遇は、国連を関ヶ原の戦いの後で東軍中心に出来上がった
   > 幕府に例えるとよく分かる。
   > 5大国は東軍として戦った徳川家や譜代大名であり、日独は西軍として負けた薩長のような
   > 外様大名なのだ。
   > 幕府とは徳川家のもとに譜代大名を結集して、再び外様大名が反旗をひるがえさないよう
   > 押さえつける機構であるから、譜代を優遇し、外様を冷遇するのは当然なのである。
   >
   > この構造は、国連憲章と同時期に作成された日本国憲法を見てみるといっそう鮮明になる。
   > 国連憲章第2条の
   >
   >   三 すべての加盟国は、その国際的紛争を平和的手段によって
   >      国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。
   >
   >
   >   四 すべての加盟国は、
   >      ・・・武力による威嚇又は武力の行使を・・・慎まなければならない
   >
   > という一節と、日本国憲法第9条1項の、
   >
   >   ・・・国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力による行使は、
   >   国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄する
   >
   > は、ワンセットとして捉えられる。どちらも米国が作ったのであるから当然であるが。
   > 国連憲章は連合国どうしは平和にやっていこうと誓い合ったものであり、
   > 敵国・日本を再び平和を破らないよう憲法で縛ったという構造になっている。
   >
   >
   > ■5.幻想その2「平和主義」■
   >
   > 国連はすべての争いを話し合いで解決しようとする国際機関であると
   > 思いこんでいる人が多い。
   > 確かに平和の創造が国連の目的ではある。
   > しかし、それは日本国内にあるような話し合いですべてを解決しようという
   > 空想的平和主義ではない。
   > 「連合国」という軍事同盟から生まれただけに、
   > 「 国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍、陸軍の行動をとることができる」
   > ( 第42条 ) と、武力行使を含んだものだ。
   >
   > 国連発足当初は、独自の国連軍を持つことも想定されていた。
   > 1945年10月に国連が正式に発足すると、5大国の参謀総長などから構成される
   > 「軍事参謀委員会」が設置され、独自の交戦権を持つ国連軍の創設が検討されたが、
   > 具体化できなかった。
   > すでに始まっていた米ソ冷戦下では、
   > 両方を含めた国連軍など実現不可能な理想だったのであろう。
   >
   > 朝鮮戦争では、北朝鮮を侵略者と認定して、すでに戦闘を始めていた米軍を
   > 事後的に国連軍として認定した。
   > しかしこれは、ソ連が中華民国の代表する国連をボイコットしていたので、
   > 安全保障理事会も欠席中で、拒否権を行使しなかった、という偶然の賜物である。
   >
   > 軍事力行使の部分的な成功例としては「平和維持活動(PKO)」があげられる。
   > これはすでに停戦を合意している当事者の間で、平和を維持するために
   > 加盟国の兵力を利用することであり、地味ながらも、国連の中立的立場を活用した
   > アプローチであると言える。[a,b]
   >
   > 国連軍にしろ、PKOにしろ、平和の創造・維持には武力が不可欠だという
   > 国際常識に則っており、「 何でも話し合いで解決すべき 」 というような
   > 日本国内の空想的理想を実現するのが国連だと考えるのは、
   > 国連にとっても迷惑な幻想である。
   >
   >
   > ■6.幻想その3「世界連邦政府指向」■
   >
   > 国際社会がいずれ世界政府のもとに一つにまとまるべきだとする考えがある。
   > その理想自体には一理あるものの、現在の国連が来るべき世界政府の萌芽であると
   > 考えるのは、これまた、まったくの幻想である。
   >
   > 国連を世界政府にしようとすれば、各国から国家主権を取り上げなければならない。
   > 国家主権のうち、各国が独自の軍隊を持つ自衛権は最重要なものである。
   > 軍隊の一部を供出しようとする国連軍構想すら失敗した事から見ても、
   > 国家主権をわずかでも国連に移譲しようという国はない。
   >
   > 逆に、国連憲章は各国の個別的自衛権と集団的自衛権を認めている。
   > この集団的自衛権とは、NATOや日米安保条約のように
   > 一部の国家グループでの同盟関係の存在を認めたものだ。
   > 国連は、主権国家の存在を前提として、あくまでその間の調停を目的とした機関なのである。
   >
   > この点で、EU(欧州連合)は国連とは異なり、かつ国連とは関係なく、
   > 一つの共通政府を目指している。
   > 今回、通貨を統合したことは、通貨発行権という国家主権の一部を加盟国が移譲したことを
   > 意味する。
   > やがて徴税権、自衛権と移譲が進めば、ヨーロッパ合衆国という一つの政府にまとまる
   > 可能性がある。
   > それにしても、これはヨーロッパの国々がより大きな一つの国にまとまろうということであり、
   > 国際社会が主権国家の集まりであるというフレームワークを変えるものではない。
   >
   > 国連が世界政府を目指しているという幻想の一因となっているのが
   > 「国連事務総長」という訳語であろう。
   > 来るべき世界連邦の「長」というような誤解を与える。
   > 英語では Secretary General となっており、これは通常「事務局長」と訳される。
   > 国連憲章第15条でも
   > 「 事務総長は国連機構の行政職員の長である 」
   > と定義され、その役割は国連職員を使って理事会や総会での決定を実行し、
   > 結果を報告することである。
   > 職務内容を見てもやはり事務局長に過ぎない。
   >
   > 「総長」というと、大学の総長のように、いかにも絶大な権限を持っているかのような
   > 誤解を与えるが、実態は大学における事務局長と同じである。
   > 意図的かどうかは分からないが、「連合国」と「国連」を訳し分けた事も含め、
   > 日本人に過大な国連幻想を抱かせる曲訳が目につく。
   >
   >
   > ■7.わが国の置かれた不合理な立場■
   >
   > 「国連中心主義」は、わが国外交の原則となっている。
   > 上述の3つの幻想から、国民世論も何となくそれを支持するムードが根強い。
   > 国連分担金でも気前よく大枚を支払っている。
   >
   > 2000年のわが国の分担金は全体の20.573%に達しており、これはアメリカを除く
   > 4大国の合計13.669%をはるかに超えている。
   > 中露に至っては、それぞれ1.077%、0.955%と日本の20分の1ほどでしかない。
   > 1%程度しか負担していない国が安全保障理事会で何でも自分の気に入らない案は
   > 即座につぶせる拒否権を持ちながら、20%を支払っているわが国が「旧敵国」という
   > 不名誉な差別待遇に甘んじているわけである。
   >
   > そしてその理由は半世紀前の戦争でわが国が敗戦国となり、中露は戦勝国だった
   > ( 厳密には戦勝国だった中華民国、および、ソビエト連邦の特権を引き継いだ後継国 )
   > という事に過ぎない。
   > 国連の中でわが国の置かれている立場は、まことに不合理、不名誉、不正義としか
   > 言いようがない。
   >
   > 敵国条項については、わが国は事務方レベルでは何度も削除要求をしており、
   > また国連でもこの条項はすでに過去のもとと見なされているが、わが国の削除要求は
   > まともに相手にされていない。
   > 大多数の日本国民が国連幻想を信じ込んで、わが国の置かれている不合理な立場を
   > 知らないのでは、事務方レベルの修正要求もおざなりなものにならざるをえないだろう。
   >
   > また国連の側でも憲章を一部でも修正しようとすれば、パンドラの箱のように、
   > 各国から他にも様々な修正要求が出されて手がつけられなくなる、というのが真相のようだ。
   > パンドラの箱は開けられず、わが国に対する不合理・不名誉・不正義を包み込んだまま、
   > 化石となりつつある。
   >
   >
   > ■8.何のための常任理事国入りか?■
   >
   > 日本政府は常任理事国を目指しているが、それに対して米国の元国防長官ワインバーガーは
   > 次のような痛烈な批判をしたと伝えられている。
   >
   >  日本における「常任理事国」推進派は、目的指向ではなくて、
   >  見栄っ張りの「ステイタス志向」に過ぎず、他方、消極派は憲法至上主義により
   >  国際社会における応分の責務の履行を拒否している。
   >  いずれも国際社会にとっては迷惑千万としかいいようがない。
   >  なぜ日本は「敵国条項」などに象徴される時代錯誤の国連を痛烈に批判して
   >  「常任理事国」入りなど拒否することにより、国連の抜本的改革を主張しないのか。[1,p200]
   >
   > 常任理事国入りに関する世論調査では67%が「賛成」「どちらかと言えば賛成」と答えている。
   > その主な理由は
   > 「 非核保有国で平和主義を理念としている日本が加わることが世界の平和に役立つ 」
   > 「 日本は経済大国になったのだから,世界の平和の構築のために
   >  積極的に参画していくべきだ 」
   > である。
   > しかし世界平和に対してどのような貢献をするのか、
   > 明確な戦略もシナリオも主張せずに、ただ「常任理事国になりたい」では、
   > 「ステイタス志向」と批判されても仕方がない。
   >
   > また反対11%の主な理由は
   > 「 常任理事国になれば、国連の軍事活動に積極的に参加しなければならなくなる 」
   > と、こちらはまさに「国際社会における応分の責務の履行を拒否」する
   > 一国平和主義である。[3]
   >
   > 国連に対する勝手な幻想を抱いたまま、常任理事国の席について、
   > 求められるまま大金だけ払わされているというのでは、わが国の国益を損なうだけでなく、
   > 国際社会にとっても「迷惑千万」である。
   > 国連をどう改革し、その中でわが国がどういう役割を果たすのか、
   > わが国としての責任ある主張が求められている。
   >
   >                              (文責:伊勢雅臣)

 国連は、WWU時の枢軸国に二度と交戦力を持たせず、迫害し続ける目的で造られた機関です。

 そんな機関が出した勧告 ・・・ その正当性は推して知るべしと言わざるを得ません。



 第1回審査(2008年)

 ジュネーヴの国連欧州本部で開催された国連人権理事会は、
 2008年5月9日、普遍的定期審査作業部会において日本の人権状況について審査を行いました。
 全部で26項目の勧告が出されましたが、日本軍性奴隷制に関する勧告は次の通りです。

 「5 第2次世界大戦中の『慰安婦』問題に関する、国連諸機関(女性に対する暴力に関する
    特別報告者、女性差別撤廃委員会および拷問禁止委員会)による勧告に
    誠実に対応すること(韓国)。」

 

 韓国、先ずは魁より始めろ!

 

 何度も何度も既出ですがw

   http://ja.wikipedia「韓国軍慰安婦」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦
   > 連合軍軍政期の朝鮮における慰安婦
   >
   > 第二次世界大戦で大日本帝国が連合軍に敗北したため、
   > 朝鮮半島は1945年9月2日から、日本統治期より連合軍軍政期に移った。
   >
   > 朝鮮半島においては、連合軍による軍政が敷かれ日本軍将兵を相手にした
   > 慰安所、慰安婦ともにアメリカ軍に引き継がれた[12][16][9]。
   > 1945年9月には、日本軍兵站基地があった富平に米軍基地が居抜きで建設され、
   > 基地周辺にあった公娼地域も引き継がれた[9]。
   > 富平基地はキャンプ・グラント(Camp Grant)、キャンプ・マーケット(Camp Market)、
   > キャンプ・タイラー(Camp Tyler)、キャンプ・へイズ(Camp Hayes)を網羅する広大な基地
   > だった[9]。
   >
   > 第8軍の龍山基地周辺には梨泰院があり、
   > これも日本軍将兵も利用した公娼地域であった[9]。
   > ほかにも釜山、玩月洞、凡田洞(ハヤリア隊基地入り口)、大邱の桃源洞(チャガルマダン)、
   > 大田の中央洞などの公娼地域も同様に引き継がれた[9]。
   >
   > 1947年11月には公娼制が廃止されたが、1948年に米軍は公娼制廃止によって
   > 性病が蔓延したと主張し、娼婦の性病検査は1949年まで続けられた[9]。
   >
   >
   > 朝鮮戦争と特殊慰安隊
   >
   > 1948年8月15日にはアメリカ合衆国の支援を受けて大韓民国が建国された。
   > 同年9月9日には朝鮮民主主義人民共和国が独立する。
   > しかし、1950年より南北朝鮮の間で朝鮮戦争が勃発、1953年7月27日に休戦する。
   >
   > 朝鮮戦争中に韓国軍は慰安婦を募集した。
   > 韓国政府は、韓国軍・米軍向けの慰安婦を「特殊慰安隊」と呼び、設立した[7][2][17]。
   >
   > 大韓民国政府は、韓国軍と国連軍のための慰安所を運営した[18]。
   > 韓国軍は直接慰安所を経営することもあり、韓国陸軍本部は特殊慰安隊実績統計表を
   > 作成していた[2][3]。
   > 部隊長の裁量で周辺の私娼窟から女性を調達し、兵士達に補給した[6]。
   > 韓国軍によりトラックで最前線まで補給された女性達は、夜になると開店し
   > アメリカ兵も利用した[6]。
   >
   > 韓国戦争以降1990年代まで在韓米軍の韓国駐留時[19]に
   > 大韓民国の国軍によって強行され、大韓民国の国軍と在韓米軍の性的欲求を解消する
   > 目的で強制的に集団的性行為を強要された事例もある。
   >
   >
   > 「特殊慰安隊」
   >
   > 韓国軍が1951年-1954年まで「特殊慰安隊」という名前で、
   > 固定式あるいは移動式慰安婦制度を取り入れて運用したことは
   > 韓国陸軍本部が1956年に編纂した公式記録である『後方戦史』の人事編と
   > 目撃者たちの証言によって裏付けられた[20]。
   >
   > 韓国軍は慰安婦を「特殊慰安隊」と名付け、慰安所を設置し、
   > 組織的体系的に慰安婦制度をつくった[21][22]。
   >
   >
   > 第五種補給品
   >
   > 尉官将校だった金喜午の証言では、
   > 陸軍内部の文書では慰安婦は「第五種補給品」とよばれた[21][23]。
   >
   > 軍補給品は1種から4種までだったため、そのように呼ばれた[21][23]。
   >
   >
   > 韓国軍慰安婦の類型
   >
   > 金貴玉によれば、韓国軍慰安婦の類型には、軍人の拉致、強制結婚、性的奴隷型、
   > 昼は下女として働き、夜には慰安を強要されたり、また慰安婦が軍部隊へ出張する事例も
   > あった[21]。
   >
   > また、正規の「慰安隊」とは別に部隊長裁量で慰安婦を抱えた部隊もあった[24]。
   >
   >
   > 設置理由
   >
   > 特殊慰安隊の設置理由は、兵士の士気高揚、性犯罪予防であり、
   > これは日本軍慰安婦と同様のものであった[21]。
   > 計画は陸軍本部恤兵監室が行い[21]、1950年7月には韓国政府は軍作戦識見を
   > 米軍を中心とした国連軍に譲渡しており、最終的な承認は連合軍が行ったとされる[21]。
   > 韓国政府・軍は慰安婦に対して
   > 「あなたたちはドルを得る愛国者」
   > として「称賛」されたという[25][9]。
   >
   >
   > 慰安婦の輸送方法
   >
   > 慰安婦は前線に送られる際には、ドラム缶にひとりづつ押し込めて
   > トラックで移送し前線を移動して回り、米兵も利用した[22][6][26]。

 少なくとも日本の敗戦から僅か4年後に勃発した朝鮮戦争において、米軍は韓国という優秀な下僕を 得て、下僕に追軍売春婦の管理を丸投げしていたのです。
 旧日本軍だって朝鮮人女衒に丸投げすることは可能でした。 だけど、朝鮮人に丸投げしたら、集ま ってくれた慰安婦の方々にどんな酷い仕打ちをするか分かったもんじゃない。 だから『軍の善い管理』 を行ったのです。

 実際問題、朝鮮人に丸投げした為に、朝鮮戦争時の特殊慰安隊は本当に酷い事になりました。

   2013-05-22 中国の歴史歪曲、韓国の歴史捏造
   特殊慰安隊 〜韓国の「従軍」慰安婦〜
   http://ameblo.jp/yamasiro04/entry-11535923536.html
   > 前回、韓国軍がベトナム人約30万人を虐殺し、虐殺を免れたベトナム人女性を
   > 強制連行して慰安婦として韓国兵や米兵の相手をさせた ことについて触れたが、
   > 韓国の慰安婦はこれだけではない。
   >
   > 朝鮮戦争当時、韓国は慰安婦を徴集して、これを「特殊慰安隊」と名付け、
   > 組織的に軍の管理下に置いた。
   > 米兵や韓国兵による婦女暴行事件が多発したため、これを阻止することを目的とした
   > ものであった。
   >
   > さてこの慰安婦、徴集に自発的に応じた者もいたが、
   > 北朝鮮軍看護婦や北朝鮮の一般人で、韓国軍によって
   > 捕えられ、強制されて慰安婦にされた者もいた。
   > これこそ正に韓国の正規軍による強制連行であり、
   > 性奴隷(sex slave)の名に相応しい。
   >
   > 韓国軍慰安婦は、1996年に韓国内で明るみに出たが、韓国内では
   > 「 身内の恥を晒すな 」、「 日本極右の弁明の材料になる 」
   > として、韓国国防部所属資料室の慰安婦資料の閲覧が禁止されるなど、
   > 国を挙げて事実の隠蔽に邁進している。


   Hatena::keyword「特殊慰安隊」
   http://d.hatena.ne.jp/keyword/特殊慰安隊
   > 1951年頃から1954年まで運用した韓国軍慰安婦の呼称。
   > 固定式施設だけではなく、移動式運用の「従軍慰安婦」の仕組みもあった。
   > 捕虜となった朝鮮人民軍女軍、女性パルチザンゲリラ、
   > そのほかに朝鮮人民軍や中国の人民志願軍の
   > 占領地内の住民である朝鮮人女性のうち
   > まだ疎開しなかった女性などは、共産主義者を助けた
   > の名目で強制的に性奴隷にした。

 こんなに悲惨でエゲツなかった“性奴隷”に対して、韓国が真摯に謝罪し、賠償すべきです。

 今の韓国が慰安婦問題で日本政府を責めるのは、前科百犯の強姦殺人犯が、痴漢した(と言われ ているが、どうにも冤罪臭い)圭坊を非難する様なモノ。 そういうことは、せめて刑に服して禊を済ませ てからにするべきです。


 そして、日本の謝罪と賠償は ― 謝罪に関しては、既に捏造であったとバレた『河野談話』や『村山談 話』で
 「 精査したが日本軍が慰安婦の強制連行に関与したという証拠は見つからなかった 」
 と前置きした上で、

 「 旧日本軍や日本政府は、慰安婦の強制連行に関与していない。
  しかし、日本が進軍した所為で、日本の本土以外に慰安所が作られ、
  そこで慰安婦が働かされた。 その点に関して謝罪の意を表する 」

 という 「 なんでそんなことで謝るの? 」 と不思議に感じてしまう謝罪が行われており、
 歴代政権も
 「 精査したが日本軍が慰安婦の強制連行に関与したという証拠は見つからなかった 」
 という前提で、談話を踏襲しています。

 次に、賠償に関しては、日韓基本条約で

   wikipedia「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する
         日本国と大韓民国との間の協定」

   財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する
   日本国と大韓民国との間の協定

   > 2 主な規定
   >
   > 2.2 解決の確認
   >
   >  第二条
   >
   >  1. 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利
   >     及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、
   >     1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約
   >     第四条に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこと
   >     となることを確認する。
   >
   >  3. 2の規定に従うことを条件として、
   >     一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつて
   >     この協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する
   >     措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対する
   >     すべての請求権であつて同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、
   >     いかなる主張もすることができないものとする。

 後出しで、「 実はこんな被害があった 」 「 あんな被害があった 」 → 「 だから賠償金おかわり 」 な ん て言い出さない様に釘を刺してあります。

   > 完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。
   > 完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。
   > 完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。

   > 同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができない
   > 同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができない
   > 同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができない

 日韓基本条約で韓国が手にした金 ( と生産物及び役務 ) は、総額11億ドルにも達する大金 す。 
 その中に条約締結後に発覚するかもしれない、賠償の対象に成り得る小さな犯罪や事故が内包され ているのは当然です。

 ※:当時のレート360円/ドルで3960億円。 初任給の違いから現在の貨幣に換算して約4兆円相当。

 これ以上は、日韓基本条約を破棄しない限り、どうしようもありません。



 「 10 日本における継続的な歴史の歪曲の状況に取り組む緊急措置をとること。
     これは、過去の人権侵害および再発の危険性に取り組むことを拒否している現れである
     ためである。
     また、現代的形態の人種主義に関する特別報告者からも呼びかけられたように、
     この状況に取り組む緊急措置を勧告する(朝鮮民主主義人民共和国)。」

 

 韓国の次は北朝鮮ですか。

 こんな国に言われたくはありませんねぇ。

 

   wikipedia「朝鮮民主主義人民共和国
   http://ja.wikipedia.org/wiki/朝鮮民主主義人民共和国 - 4.4 人権問題
   > 北朝鮮において数多くの人権問題が起きたとして、
   > 人権団体や国際連合(国連)、アメリカ合衆国等の諸外国は、
   > 北朝鮮を強く批判している(ただし日本の人権団体はあまり批判に積極的ではない)。
   > また、多数の国際的人権団体は、北朝鮮の人権は世界で最低レベルと批判している[13]。
   >
   > アムネスティ・インターナショナルは、
   > 表現の自由・集会の自由・移動の自由などへの厳しい規制、死亡や処刑などの結果を含む、
   > 当局による任意の拘束・拷問・虐待などを報告している[14]。
   > また20万人の政治犯や家族を収容しているとされる強制収容所を
   > 「 想像可能な中で最も非人間的な状況 」
   > と呼び、その閉鎖を求めている[15]。
   > ヒューマン・ライツ・ウォッチは北朝鮮の政治的自由や経済的自由への厳しい制約を
   > 「 世界で最も非人道的 」
   > と呼んだ[16]。
   >
   > 2005年、国連総会本会議で「北朝鮮の人権状況」決議が採択された。
   >
   > 脱北者と呼ばれる亡命者が存在しており、
   > 2002年には瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件が発生した。


   wikipedia「北朝鮮人権問題」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/北朝鮮人権問題
   > 北朝鮮人権問題(きたちょうせんじんけんもんだい)とは、
   > 北朝鮮当局による拷問、公開処刑、外国人拉致、意思表示の権利剥奪、強制収容所、
   > 300万人以上と言われる国民の餓死や脱北を始めとする各種の圧政や人権侵害に関する
   > 問題。
   > 北朝鮮には多数の政治犯収容所(強制収容所)が存在し、自国民を殺害し
   > 圧政を引いている他、主としてスパイ養成を目的とした外国人拉致を行い
   > 現在も認めていない拉致被害者がいるとされる。
   >
   > 看守や脱出者の多数の証言によれば、北朝鮮各所にある強制収容所では、
   > 日常的に裁判無きまま収容者が殺害されている他、収容所内での餓死や病死も多い。
   > 北朝鮮政府は収容所の存在を認めていない。
   > また政府幹部が多額の政府予算により贅沢な生活を送る一方、
   > 国民の生活は極度に困窮し現在でも毎年数万人以上の餓死者が出ている。
   > 秘密警察により政府を批判する者や批判的な者、日本からの帰国者など
   > 反政府活動を行う可能性があるとされた国民が数万人以上が収容所に送られ、
   > その多くが正式な手続きはないまま殺害された。
   > 言論の自由や自由な報道、政府批判、自由選挙、信仰の自由、その他の基本的人権の
   > 尊重は、政府幹部を除き一般国民にはほとんどない。
   > 強制収容所に15万〜20万人が拘束されるなど深刻な事態が存在する。


   2012年06月29日 Joongang Ilbo 中央日報
   「北朝鮮、今年も最悪中の最悪の人権弾圧国」
   http://japanese.joins.com/article/618/154618.html 魚拓 )
   > 国際人権団体フリーダムハウスが今年も北朝鮮を
   > 「最悪中の最悪の人権弾圧国」に選んだと、米国の自由アジア放送(RFA)が29日報じた。
   >
   > フリーダムハウスは28日に発表した年次報告書で、
   > 「政治的権利」と「市民の自由」の両部門でともに最下点を受けた
   > 北朝鮮、シリア、ソマリア、ウズベキスタン、サウジアラビアなど9カ国を
   > 「最悪中の最悪の人権弾圧国」に分類した。
   >
   > 報告書は、北朝鮮が40年間、極度に人権を弾圧した国に選ばれたとし、
   > 約20万人が政治犯収容所で人権を蹂りんされていると説明した。
   >
   > フリーダムハウスのクック研究員は
   > 「 昨年、北朝鮮の人権状況に大きな変化はなかった 」
   > とし
   > 「 権力世襲が北朝鮮の人権状況にどんな影響を及ぼすかは不透明 」
   > と述べた。


   2013年10月25日 msn 産経ニュース
   北人権違反「衝撃的な証言だった」 国連調査委が英で会見
   http://sankei.jp.msn.com/world/news/131025/kor13102523120004-n1.htm ( 魚拓 )
   > 【ロンドン=内藤泰朗】
   >
   > 北朝鮮による人権侵害の実態を調査する国連調査委員会のマイケル・カービー委員長は
   > 24日、ロンドンで会見し、前日の公聴会で証言した英国在住の北朝鮮脱出住民(脱北者)
   > たちの体験は 「 衝撃的なものだった 」 と述べ、この事実を世界に知ってもらう必要がある
   > と強調した。
   >
   > カービー氏らは、23日の公聴会で男女4人の脱北者たちから聞き取り調査を実施。
   > 脱北者の証言によると、脱北に失敗した者は尋問所や刑務所に連行されて、男女関係なく、
   > 看守たちに手足を縛られたうえで裸にさせられ、隠し持っている金品を没収するための
   > 「身体検査」 を受ける。
   >
   > さらに、脱北者たちは常に、看守たちによる拷問や性的な暴行といった
   > 屈辱的な扱いの標的となり、高さが50センチしかない入り口の独房に
   > 動物のようにはって入るなど 「耐え難い生活」 を強いられているという。
   >
   > 聞き取り調査では、脱北者の強制送還を続けている中国の対応も指摘された。
   >
   > カービー委員長は
   > 「 北朝鮮での人権違反の全容を知り、その解決に向けた動きは始まったばかりだ 」
   > と述べ、北朝鮮当局にも調査に協力するよう呼びかけた。
   >
   > 調査委は今年3月、日本などが提起して国連人権理事会が設置。
   > これまでにソウルや東京などで調査を実施し、約65人の脱北者らから
   > 直接聞き取り調査を行ったほか、約200人の情報を収集。
   > 今月30、31両日にはワシントンでも公聴会を実施する。
   > 来年3月には最終報告書をまとめる予定。


   2013年10月31日 msn 産経ニュース
   弟2人ら餓死し自身は拷問 北の人権問題で在米脱北女性ら国連で証言
   http://sankei.jp.msn.com/world/news/131031/erp13103111310003-n1.htm ( 魚拓 )
   > 北朝鮮の人権状況を調べている国連の調査委員会は
   > 30日、ワシントンで公聴会を開き、在米の北朝鮮脱出住民(脱北者)らが
   > 当局に拷問を受けた体験などを証言した。
   >
   > 米国在住の脱北者女性、チョ・ジンヘさん(26)は、
   > 1990年代後半の食糧危機で祖母や2人の弟が餓死した様子などを語り
   > 「 数人ならともかく、3万人を超える脱北者が同じような悲惨な体験を証言している 」
   > と指摘。 今も深刻な状況に変わりはないと訴えた。
   >
   > 北朝鮮は29日の国連総会第3委員会(人権)で
   > 「 調査委は謀略だ。 人権はもっとも尊重されている 」
   > などと主張した。
   > これに対し、チョさんは
   > 「 差別を覚悟で、女性として決して話したくないような体験まで話すのは、
   >  真実を知らせるためだ 」
   > と語った。
   >
   > (共同)

 お前に人権を語る資格はない。



 「18 軍隊性奴隷問題、および朝鮮を含む諸国で過去に犯した人権侵害に取り組むため、
     具体的な措置を講じること(朝鮮民主主義人民共和国)。 」

 

 北朝鮮が言うに事欠いて “ 軍隊性奴隷問題 ” って ( 大笑い海水浴場 )w

   wikipedia「北朝鮮における売春」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/北朝鮮における売春 - 2 国家売春

   > 北朝鮮では政府による強制売春が行われている。
   > 売春婦は「満足組」と呼ばれ「喜び組」の一組織である。
   > 「喜び組」とは14歳から20歳までの処女の中から選抜され、
   > 約20カ月間の訓練を受けた者で、25歳になると金正日や政府高官の警備担当者と
   > 結婚させられることが多い。
   > 「喜び組」に選抜されると党幹部の娘であっても拒否することはできない[3]。
   > 「満足組」は労働党の男性高級幹部相手に性行為をさせられる。
   > 一般の北朝鮮男性が「満足組」の奉仕を受けることはない[3]。
   > 売春は成人女性のみなのか、児童売春も行われているのかは不明。
   > 「喜び組」の全員が売春をするわけではなく、マッサージに従事する者、
   > 半裸で歌舞を演じる者もいる。


   2010年01月21日 北朝鮮分析
   前職金正日の喜び組の女性が語る金正日の私生活 #1
   http://plaza.rakuten.co.jp/spada100/diary/201001210000/
   > 今回の内容は、韓国の雑誌「新東亜」に連載された
   > 金正日の「喜び組」(金正日の女性たち)の話を翻訳したものです。
   > 北朝鮮を脱出して韓国に入国して韓国のマスコミで働く記者が、
   > 前職金正日の「喜び組」の女性を直接取材した内容を元に、記事を作成しました。
   >
   > ----------------------------------------------------
   >
   《略》
   >
   > Q ) 今まで私に金正日と関係があったという事実は隠さなかったのに、
   >   敢えて記事にすることを避けてきた理由は何ですか?
   >
   > A ) 理由を敢えて挙げるとしたら、沢山あります。
   >   まずは金正日の「喜び組」にいたと、後ろ指を指されるのが嫌だったからです。
   >   人々が、まるで私を金正日のオモチャだったように見るかと、
   >   心配で恐ろしかったのです。
   >   私は金正日と2年近く一緒にいましたが、彼と寝たことはありません。
   >   そして、実は北朝鮮には「喜び組」とか「満足組」という言葉さえありません。
   >   ここで全て名前を付けたものなのです。
   >
   《以下略》


   2010年01月25日 北朝鮮分析
   前職金正日の喜び組の女性が語る金正日の私生活 #2
   http://plaza.rakuten.co.jp/spada100/diary/201001250000/


   2010年01月26日 北朝鮮分析
   前職金正日の喜び組の女性が語る金正日の私生活 #3
   http://plaza.rakuten.co.jp/spada100/diary/201001260000/


   2010年01月27日 北朝鮮分析
   前職金正日の喜び組の女性が語る金正日の私生活 #4
   金正日と一緒にブルースを踊る
   http://plaza.rakuten.co.jp/spada100/diary/201001270000/

   《略》
   >
   > Q ) 喜び組は元々、外国の歌を沢山歌うと聞いたことがあります。
   >   それで外国の歌を一生懸命に学ばせたのでしょうか?
   >
   > A ) 私たちはその後、金正日に会う時、他の人々がいる前で公演したことはありません。
   >   多分、踊ったり歌ったりする子たちは、別にいたようです。
   >   実は北朝鮮には喜び組という名前がないのです。
   >   私たちも自分たちが何と呼ばれているか、知りませんでした。
   >
   >   マッサージをする女性も別にいました。
   >   これは聞いた話ですが、マッサージも頭を担当する子と、足を担当する子、
   >   体を担当する子が違うとのことでした。
   >   小さな失敗もあってはならないので、そのようにするとのことでした。
   >
   《以下略》


   2010年01月28日 北朝鮮分析
   前職金正日の喜び組の女性が語る金正日の私生活 #5
   地下車道だけで40分、金正日の豪華地下別荘
   http://plaza.rakuten.co.jp/spada100/diary/201001280000/

   《略》
   >
   > Q ) そんな場所を連結する地下道は護衛局で管轄するのですか?
   >
   > A ) はい、地下車道を専担して守る部隊がありました。
   >   そこの軍人たちは、本当に特恵を多く受けていました。
   >   実例ですが、こんなこともあると聞きました。
   >   元々、北朝鮮軍は30歳になると結婚ができます。
   >   ところが、そこの軍人たちは30歳になる前でも、一定の年齢になったら、
   >   1晩ずつ女性と過ごせると聞きました。
   >
   >   もちろん、そのような女性たちも私たちのように5科に選ばれたのに、
   >   最終的に選ばれなかった女性たちでしょう。
   >   ですから、抜群の美人たちだと思います。
   >   彼女たちを別に教育して、ホテルにも常駐させているそうです。
   >   多分、外国から必要な人物が来たら、接待する女性だと思います。
   >   お客さんたちが来なくて待機している女性たちと軍人たちを引き合わせるのです。
   >
   《以下略》


   2010年02月01日 北朝鮮分析
   前職金正日の喜び組の女性が語る金正日の私生活 #6
   金正日好みの理想の女性像は?
   http://plaza.rakuten.co.jp/spada100/diary/201002010000/


   2010年02月04日 北朝鮮分析
   前職金正日の喜び組の女性が語る金正日の私生活 #7
   http://plaza.rakuten.co.jp/spada100/diary/201002040000/

   《略》
   >
   >   エピソードを1つお話します。
   >   中国で北朝鮮料理が食べたくて、北朝鮮食堂へ行った事があります。
   >   自分なりに眼鏡を掛けたりして変装をしました。
   >   でも、その食堂で働いていた1人の女性が、私をしきりに眺めました。
   >   私も彼女をどこかで見たような気がしましたが、思い出せませんでした。
   >   ずいぶん長い間躊躇していましたが、彼女が私が近付いて来て静かに、
   >   「 失礼ですが、もしかして000さんではないですか 」
   >   と聞くのです。 心臓が止まりそうでした。
   >   彼女は5科の試験を受けた時、私と一緒に3次まで行って、最終試験の時に
   >   同じホテルで生活した子でした。 どうして中国にいたのか分かりません。
   >   5科に選ばれても、最終選考まで行けなかった美貌の女の子たちは、
   >   別に教育してホテルに常住させながら、外国からのお客たちの応待をさせるという話を
   >   聞いたことがありました。 しかし、海外にいるとは知りませんでした。
   >   知らないと手を振りながら、料理も全部食べないで、逃げるように出て来ました。
   >   それがもう10数年前のことです。
   >   最近、海外にある北朝鮮食堂の従業員たちは、
   >   権力がある幹部の家庭の子供の中から選抜されると聞いています。
   >
   >
   《略》
   >
   > ( 終わり )


   [喜び組告白弾 ] オーラルセックス手足の位置まで実習 [グッデイ-- :]
   http://blog.daum.net/tklvjmtri60/54
   > 北朝鮮の喜び組実状暴露 弾が出た。
   > 日本の時事週刊誌 週刊現代最新号は、北朝鮮の喜び組出身で脱北した
   > キム・ソンヒさん(・仮名)の喜び組実状暴露内容を詳しく載せた。
   > 先週(本紙月日面報道)金さんが喜び組に抜擢された背景と合宿訓練課程
   > 喜び組から追い出されたきっかけなどを手掛けたのに続き、第弾です。
   > 特に今回は、金氏の実際の顔写真と、北朝鮮で教育を受けたときの姿も一緒に公開した。
   > 金さんは年に韓国に入国し、現在ソウルで会社員として働いている。
   > 喜び組は性の遊戯を担当する満足調、マッサージを専門とする幸せ組、
   > ダンスと歌に精通した歌舞組のつに分かれているが、
   > 今回暴露では、性的な遊戯を担当する 満足組 の訓練課程を扱った。
   > ▲ 酒の接待する時の服装とマナー
   > ▲ 服をむく
   > ▲ 関係しバスせる
   > ▲ キスする
   > ▲ オーラルセックス
   > ▲ 複数のセックス
   > ▲ 避妊
   > などの項目別に分けて訓練する方法を詳細に紹介した。
   > 金さんの証言によると、男性を接待するときにストッキングの着用は絶対に禁物である。
   > 常にパンティーとブラジャーが着用し、その上に伝統的な衣装などをかけたまま介助をする。
   > ほとんどの実習は、同僚と人組されて女 オーラルセックス手足の位置まで実習 ・・・


   2013年04月06日 東アジア・政治経済ニュース
   北朝鮮の闇・・・750円で売春をする生活苦の女性
   http://www.m9l-o-l.com/archives/25390405.html
   > 韓国で北朝鮮情報を発信するデイリーNKがこのほど、
   > 北朝鮮の闇の売春産業の様子を伝えた。
   > 3度目の核実験強行を受け、国連安保理は北朝鮮に対する制裁を一段と強化。
   > 北朝鮮では庶民の暮らしがさらに苦しくなってきた。
   > 生活苦から多くの女性が売春をしているという。 中華網が伝えた。
   >
   > デイリーNK記者が北朝鮮恵山の住宅地で隠し撮りした映像をインターネット上で公開した。
   > 北朝鮮の買春産業の様子が海外で伝えられるのは初めてという。
   > この映像に登場した売春をあっせんしている人物によれば、客の大部分は兵士で、
   > 料金は人民元建てで50〜150元(750〜2,200円)程度だ。
   >
   > 記者はこの人物から買春の場所や売春をする女性の年齢、容姿、料金、常連客などについて
   > 聞き出した。
   >
   > この人物によると、客の多くは兵士だ。
   > 国境地帯に駐屯する兵士たちは密輸業者などから利益を得ており、金を持っているという。
   > 金が手に入れば買春する。 ただ、買春するのは兵士ばかりで、将官や役人はしない。
   >
   > 売春は国境地域でよくみられ、料金は現地で米10キロの価格に相当する
   > 約6万北朝鮮ウォン(約750円)。 女性が若くて美人であれば料金は上がる。
   > 3度目の核実験を強行した北朝鮮で国内経済は一層落ち込み、
   > 売春をする若い女性が増えてきたという。
   >
   > 報道によれば、北朝鮮ではあっせんを通さない個人的な売買春の交渉の際、
   > 「卵を買う」「おけを買う」「花を買う」といった隠語を使う。
   >
   >
   > http://www.xinhua.jp/rss/340058/


   2013/12/13 (´A`)<咳をしてもゆとり
   金正恩「無慈悲に対応しろ」・・音楽家ら9人をガトリング砲で挽肉に、火炎放射器で焼却
   http://yutori2ch.blog67.fc2.com/blog-entry-6224.html
   > 米自由アジア放送(RFA)は
   > 11日、北朝鮮で今年8月、金正恩(キム・ジョンウン)労働党第1書記の妻、
   > 李雪主(リ・ソルジュ)氏が所属していた「銀河水管弦楽団」のメンバーをはじめ
   > 音楽家9人が処刑されていたことが分かったと報じた。
   > 処刑方法は、4つの銃身を備えた機関銃や火炎放射器を使うなど残酷なもので、
   > 処刑されたメンバーには妊婦も含まれていたという。
   >
   > 報道は
   > 「 最近北朝鮮で勝手に振る舞う反対派に対する処刑方法があまりに残酷で、
   >  住民が驚きを禁じ得ずにいる。
   >  妊婦を火炎放射器で処刑する光景を目撃した人は精神状態がおかしくなった 」
   > と伝えた。
   >
   > 中国に滞在中の北朝鮮関係者は、RFAのインタビューに対し、
   > 銀河水管弦楽団、旺載山音楽団の音楽家9人が機関銃の乱射や火炎放射器によって
   > 処刑されたと証言した。
   > それによると、銀河水管弦楽団のトップ歌手であるキム・ギョンホ、ムン・ギョンジンの両氏や
   > サクソフォン奏者ら計9人が射撃場に連行され、簡単な手続きだけで、
   > 上訴期間を与えられずに即決処刑されたという。
   >
   > 同関係者は
   > 「 連行された音楽家の中には、妊婦がいたが、構うことなく処刑した。
   >  機関銃の乱射後は、原形をとどめない遺体を火炎放射器で灰にした。
   >  人権じゅうりんの極致だった 」
   > と話した。
   >
   > 同関係者は
   > 「 その光景を目撃した一部の音楽家はその場で卒倒し、
   >  複数の音楽家が恐れの余り、翌日出勤できなかった。
   >  死刑を執行した国家安全保衛部関係者は
   >  『 処刑された者はこの世に生まれるべきではなかった反逆者だ。
   >   そういうやつらは灰にしなければならない 』
   >  と大言壮語した 」
   > とも語った。
   >
   > http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/12/13/201312130(略

 人権を蹂躙された性奴隷がどうしたって?w



 普遍的定期審査制度が始まって間もないため、各国とも手探り状態でした。
 そのためか日本政府に対する勧告は26項目です。
 他の諸国に対する勧告と比較して特に差があったわけではありませんが、
 後の2回目の審査では大幅に増えたのと比較すると、少なかったと言えます。
 その中で、「慰安婦」問題については当事者である韓国と朝鮮の2カ国が勧告を出しました。
 普遍的定期審査の勧告は、単に韓国と朝鮮がそう主張したというだけではなく、
 審議を経た後に作成される人権理事会普遍的定期審査報告書に記載され、正式文書として
 人権理事会で採択されました。

 

 審議を経た後に作成される人権理事会普遍的定期審査報告書に記載されたというなら、どう審議さ れたのかを述べなさい。

 このページに至るまでに私が綴った反駁を読めば分かる通り、自称元従軍慰安婦の証言は、証言そ れ自体に因って、証言内容が否定されてしまう様なお粗末な証言である。 まともな審議を経たなら ば、まともな報告書に載る可能性はゼロだ。
 詰まる所、『人権理事会普遍的定期審査報告書』ってのも、『国連クマラスワミ報告』や『国連マクドゥ ーガル報告』、そして『女性国際戦犯法廷と最終判決文』と全く同様に、初めから“絶対に正しい”という 大前提に基づいて、証言の内容を一切審議していない。
 そんな報告書に何の意味があるだろうか。
 街頭で、慰安婦像の前で、マスコミの取材で、日本軍兵士による狭義の強制連行被害を滔々と語る クチから出任せ証言をテキスト化しただけの物に過ぎません。
 “正式文書”は“正式文書”でも、“第二次世界大戦に於ける枢軸国であった日本を叩く為に捏造され た正式文書”です。


 第2回審査(2012年)

 ジュネーヴの国連欧州本部で開催された国連人権理事会は、
 2012年10月31日、日本に関する2回目の普遍的定期審査結果を
 作業部会報告書としてまとめ、174項目の勧告を含む報告書を採択しました。

 日本軍性奴隷制に関する勧告は、次の通りです。

  「 いわゆる『慰安婦』問題について法的責任を認め、関連する国際共同体によって勧告された
   ように、被害者が受け入れることのできる適切な措置を講じよ ( 韓国 ) 」

 

 法的責任だと?

 日本が負わねばならないという『法的責任』とやらは、いかなる法律に違反したから生じた責任なの か?

 当時は、買春も合法、売春も合法、あまつさえ管理売春さえも合法であった。

 したがって売買春に関する事は犯罪ではない。

 では、本人が望まぬ職に就かせたことが犯罪か。

 戦時中に自国民を労働力として軍や政府の指示する仕事に就かせることは犯罪ではない。

 そんなことは有史以来世界中の国で行われて来た事だし、それを言い出したら志願兵以外の兵隊が 存在する全ての軍は犯罪集団である。

 ましてや慰安婦は任意の募集である。

 本人または家族が内容に納得して自筆した契約書も存在する。

 戦時中に自国民を労働力として、軍や政府の指示する仕事に就かせることでさえも犯罪ではないと いうのに、五十年以上も後になって 「私はやりたくて慰安婦になったわけではない」 などという戯言に 対して、日本軍や日本政府に負わされなければならない法的責任など存在しない。

 そんなモノで日本政府に法的責任が負わせられるのであれば、日本政府が営業を許可した名古屋 の某製鋼所へ、およそ三十年前に親父のコネで私が就労させられ、今の感覚から言えば月に百時間 以上の残業 (その中で残業代が出るのは最大で30時間だけ。70時間以上がサービス残業) がアタリ マエなんていうブラック企業勤めをさせられた件に関しても、私は日本政府に法的責任を要求すること ができてしまう。 そんなバカな話があって堪るか。 キチガイの屁理屈もいい加減にしていただきた い。

 では、慰安所で起こっていた事の何が犯罪なのか?

 可能性があるのは二つ。

 ひとつは、甘言を用いて騙す等をした不当な人集めであり、もう一つは人身売買だ。

 しかし、この二つに於いて日本政府や日本軍に罪を被せることは出来ない。

 なぜならば、甘言を用いて騙す等の不当な人集めをしたのも、望まない女性を売春業へ堕としたのも 不逞朝鮮人であって、日本政府や日本軍はそういう不逞朝鮮人の取り締まりを朝鮮半島の警察官に 依頼していたからだ。

   2014年08月13日 保守速報
   【証拠画像】 当時の朝鮮人による人身売買、それを止める日本の警察の新聞記事
   http://hosyusokuhou.jp/archives/39612696.html

   > 845:名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/08/11(月) 14:33:05.98 ID:VONjwoWY0.net
   > これを保存してコピペしまくれ
   > 画像もローカルに保存しといて
   >
   > ■ 当時の朝鮮人による人身売買、それを止める日本の警察の新聞記事■
   >
   > 東亜日報(1939.03.28)50人余りの娘が朝鮮人人身売買団に引っかかり、
   > 北支や満州に娼妓として売られるも、日本の警察が救出する
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/0/b/0b66d06b.jpg
   
   >
   > 毎日新報(1936.05.14)農村の婦人を誘引した犯人を検挙 
   > 女性を満州に娼妓として売却しようとしていたところを日本の警察が検挙 
   > 女性を救出する 4人の女性が魔の手を脱する
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/5/8/58cd1bfd.jpg
   
   >
   > 東亜日報(1939.8.31)悪徳紹介業者の横暴 誘拐した農村女子の数は100人以上全員、
   > 日本の警察が救出
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/9/2/92e15abd.jpg
   
   >
   > 毎日新報(1936.07.09)娘を誘引し、売春を強制した行商魔女の罪状 純真な女性を誘引し、
   > 中国人に売春を強要 日本の警察が検挙し、被害女性たちを救出
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/a/3/a302a471.jpg
   
   >
   > 東亜日報(1935.03.07)中国上海暗黒街に朝鮮人女性が約2000人これら、
   > 遠征売春婦のために朝鮮人の威厳が損なわれる しかし、これに対策を打つことは
   > できない なぜなら、経済的な問題で自発的に労働しているから
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/1/a/1a753d9f.jpg
   
   >
   > 東亜日報(1933.07.01)少女誘拐団のトップを逮捕 
   > 主に幼い少女たちを誘い出し、売春宿に売り飛ばしていた
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/3/3/331719e3.jpg
   
   >
   > 毎日新報(1936.02.14)朝鮮人たちが女性を誘拐し、娼妓として売却 
   > 日本の警察が発見し逮捕
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/6/1/610986b1.jpg
   
   >
   > 東亜日報(1939.08.05)処女貿易の誘引魔 日本人女性を誘引し、
   > 中国に売り飛ばそうとしているところを日本の警察が検挙
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/5/b/5bf0aefe.jpg
   
   >
   > 毎日新報(1939 03 28)農村処女を誘引し、100人余りを売り飛ばす朝鮮人拉致団
   > これを日本の警察が検挙し、女性たちを救出
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/5/e/5eba21b2.jpg
   

   > 851:名無しさん@0新周年  2014/08/11(月) 14:34:54.94 ID:gT2OdmPN0.net
   > >>845
   >
   > 日本の軍の関与は、むしろ人権尊重のための関与だったんじゃないか。
   > 今まで左翼に騙されてたよ。 腹立つー

   > 858:名無しさん@0新周年  2014/08/11(月) 14:36:42.77 ID:VONjwoWY0.net
   > >>851
   >
   > 公開で慰安婦募集:強制性無し
   > 違法な人身売買業者:日本国内でも取り締まり
   > 違法な人身売買業者:朝鮮でも取り締まり
   >
   > 三段構えで強制連行を阻止していた

 これで

   いわゆる『慰安婦』問題について法的責任を認め

 ることなんかできません。

 それは、今現在の社会で、今現在の法律に違反している犯罪者を取り締まっている警察や警察が取 り締まる為に必要な法律を作っている日本政府を犯罪者の共犯だと捉えるのと同じだからです。

 「日本が慰安所の運営を決めた所為で慰安所に関わる犯罪が起こってしまった」 というならそれはそ の通りでしょう。

 しかし、それは 「クルマが走る道路を作らなければ (あるいはクルマの製造を認可しなければ) 交通 事故は起こらない」 とか、「家庭に電気を引かなければ、家電が原因となる火災は起こらない」 とか、 そういうのと全く同じキチガイの屁理屈です。

 当時の慰安所は当時の国内法に関して完全無欠に合法でした。

 サヨクの超論法では 「国際法に違反していた」 らしいのですが、そもそも当時に於いて何の拘束力も なければ罰則を科せることさえ出来なかった国際法に違反している事によって、戦後五十年以上も経 ってから法的責任を問う事なんかできません。 それどころか、その国際法とやらは世界中の何処にも 効力を発揮していません。 今の御時勢に売買春が合法な欧州の国々では、売春合意年齢が15歳と か16歳とか、「ロリコン俺歓喜!」 な年齢設定になっています。 「国際法に違反している」 からといっ て法的責任を負わせようというなら半世紀以上も昔の日本じゃなくて、今現在にリアルタイムでその国 際法とやらを蹂躙している国にこそ求めるべきです。

 



 「 過去と現在に向き合い、国際共同体に責任ある調和をとるよう再考し、
   慰安婦問題に関する謝罪を行い、その被害者に補償をせよ ( 中国 ) 」

 「 第2次大戦中に用いられた『慰安婦』問題の責任を認め、被害者の尊厳を回復し、
   適切に補償する措置を講じよ ( コスタリカ ) 」

 「 日本軍性奴隷制及び朝鮮を含むアジア諸国における過去に行ったその他の侵害について
   法的責任を受け入れ、きっぱりと対処せよ ( 朝鮮民主主義人民共和国 ) 」

   

 だから旧日本軍および日本政府の命に基づいて慰安婦を強制連行したとする証拠を出せっての。

 裏付けの無いあやふやな証言以外に証拠が無い以上、推定無罪の原則に基づいて日本は“無実” です。
 そして、“無実”である以上、謝罪も補償も必要ありません。



 さらに、歴史教科書問題に関連して、次の勧告がなされました。

 「 学校教科書に慰安婦問題を盛り込むなどの措置を取ることによって、
  歴史の全側面を将来の世代に伝達し続けよ ( オランダ ) 」

 「 教育課程に過去の犯罪と虐殺を含む歴史の事実を反映させることによって、
  過去の歴史の歪曲を終わらせ、歴史の事実への関心を高めよ ( 朝鮮民主主義人民共和国 ) 」

  

 だから旧日本軍および日本政府の命に基づいて慰安婦を強制連行したとする証拠を出せっての。

 裏付けの無いあやふやな証言以外に証拠が無い以上、推定無罪の原則に基づいて日本は“無実” です。
 そして、“無実”である以上、罪が有るかの如く教科書に書かなければならない道理はありません。



 2008年の第1回審査では、26だった勧告が174と大幅に増えました。
 普遍的定期審査が2順目となり、各国とも精力的に審査に加わるようになったことと、
 人権NGOの活動が活発となったためと思われます。

 このため限られた時間の中で非常に多くの人権問題が語られ、
 「慰安婦」問題が霞んでしまうのではないかと危惧されましたが、
 第1回審査で勧告を出した韓国と朝鮮の2カ国に、中国、オランダ、コスタリカが加わり、
 5カ国になりました。
 中国、オランダも「慰安所」被害者のいる当事国ですが、コスタリカは関係当事国ではありません。
 日本軍性奴隷制度に関する法的責任を否定する日本政府の主張に、
 国際的な支持が得られないことがますます明白になりました。

 

 そちらが下に明記している通り、国際連合人権理事会は47の理事国から成る。

 韓国、北朝鮮、中国、オランダはいずれも反日国家である。

 この4ヶ国を除外した非反日国 ( および、オーストラリアの様な準反日国 ) の理事国は43。

 つまり、反日国家じゃない理事国が43もあって、日本の慰安婦問題を批難したのは、コスタリカ一国 しかない。

 まさに、大山鳴動して鼠一匹である。

 というか、コスタリカが批難側に回ろうが回るまいが、それで日本が有責になるワケでは無い。

 日本以外の理事国が

   2007.6.1初稿、2007,7.6補註 オ ピ ニ オ ン ● 国際関係
   ■ 旧日本軍の慰安婦問題 〜 対日非難決議案を阻止すべし
   http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion12e.htm

   《前略》
   >
   > ● 日本よりひどい諸外国の事例
   >
   > 「史実を世界に発信する会」 は、先に引用したように、ホンダ議員に公開質問状を出した。
   > この質問状に添えた資料は、優れた資料であるが、その中から、世界各国の慰安婦事情を
   > 記した部分を引用する。
   >
   > ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
   >
   > ■世界各国に存在した「慰安所」「慰安婦」
   >
   > そもそも、第2次大戦が行われていた1940年代には、軍隊用の売春施設は
   > 特に珍しいものではなく、世界各国に存在していた。
   > なぜなら、「戦場におけるセックス」の問題は、どの国の軍隊にとっても
   > 重要かつ解決困難な課題だったからである。
   >
   > (1) ソ連
   >
   > 世界難民問題研究会協会のドイツ課長であるライヒリンク博士によれば、
   > ソ連赤軍がベルリンまで侵攻してくる間に、190万人の女性が強姦されたという。
   > そのうち140万人は旧ドイツ東部領など、50万人は後のソ連占領地域において
   > 強姦されたとされる。
   > ライヒリンク博士は、強姦の結果として生まれた子供の数をつかむことは不可能だとしつつ、
   > その数を29万2,000人と推定している。
   > 数値の相当性の問題はおくとしても、
   > こうした戦場の現実が「慰安所」の存在を要求するのである。
   >
   >
   > (2) アメリカ
   >
   > アメリカ軍は1945年5月8日時点で、160万人の兵士がドイツに駐留していた。
   > ハイデルベルクの米軍司令部は、45年3月から4月の間に裁判所で487件の強姦が
   > 扱われたとしている。
   > 1943年のシシリー島占領後、米軍はドイツ・イタリア軍が運営していた慰安所を
   > システムと人員ぐるみ引継ぎ、軍医とMPが規制した。
   > アメリカ軍が日本に進駐したとき、最初の1か月、それも神奈川県下だけで
   > 2,900件の強姦事件が発生した。
   > 7年の占領期間中には2,536件の殺人と3万件の強姦事件を起こした。
   > 事態を憂慮したGHQは、ついに東京都に慰安所の設置を要求した。
   > これはうわさや誇張ではなくれっきとした事実である。
   >
   圭坊注:サヨクに言わせると特殊慰安施設協会は、米軍の要請ではないらしい。
   >     だからどうした?という話だが。
   >
   >
   > (3) フランス
   >
   > フランス軍 は45年4月21日にシュツッツガルトを占領した。
   > 福祉・保険関係の責任者になったガウブ教授はこう報告している。
   > 「 女性住民はこの災難に十分な準備がな く、多くの場所で強姦事件が何百件となく起こった。
   >  60歳以上の女性も16歳以下の少女もこれを逃れることはできなかった 」。
   >
   >
   > (4) ドイツ
   >
   > ソ連に侵攻したドイツ軍は、ソ連ではスターリンが売春を禁じていたので、
   > 慰安所を新設せざるを得ず、慰安婦はしばしば強制徴用された。
   > ドイツ本国への強制労働を拒否した若い女性は、代わりに慰安所で働かされた。
   > ユダヤ人も同様であった。
   > ノルウェー、デンマーク、ベルギー、オランダ、フランスでは
   > ドイツ兵の子供が約20万人生まれたといわれる。
   >
   《中略》

 この有り様で、反日特亜3兄弟に至っては、

  韓国

   Wikipedia「韓国軍慰安婦」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦


   Wikipedia「ライダイハン」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/ライダイハン


   Wikipedia「在韓米軍慰安婦問題」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/在韓米軍慰安婦問題


  韓国と北朝鮮

   正論 2005 年 11 月号
   中国大陸と朝鮮半島から引揚げる日本人を襲ったのは、仲間であったはずの朝鮮人だった。
   http://www010.upp.so-net.ne.jp/japancia/kiji/hikiage.html 魚拓 )

   > 正論 2005 年 11 月号
   >
   > 引揚民間日本人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐
   >
   > 「 満州や北朝鮮からの初期の脱出者は悲惨で、
   >  今も念頭を去らないいくつかのエピソードがある。
   >  北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、辛苦のすえ
   >  やっと38 度線近くの鉄原にたどりついた。
   >  そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、
   >  ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに散々に辱められたうえ、
   >  虐殺されている光景であった。
   >  (中略)
   > 「 吉州や端川の海岸線にでた人たちに対するソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、
   >  残酷をきわめた。
   >  夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17になる娘を
   >  父親からひったくるように連行。
   >  娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。
   >  みなソ連兵を朝鮮人が案内したのだった。
   >  部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、
   >  金や着物や米などが取り上げられた。
   >  靴の底や、女の髪のなかから金を探し出すのはふつう。
   >  一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。
   >
   >  城津での惨状は言語に絶した。
   >  (中略)
   >  朝鮮人の男女が数十人の団体でおしかけ、干してある洗濯物から赤児の着物まで
   >  剥ぎ取って掠奪され、あげくは婦人の“提供”を要求されたという 」
   >
   > 博多港から車で40 分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」である。
   > 強姦によって妊娠させられた女性たちには、堕胎手術が施された。
   > また、性病に感染した女性たちにについても、匿って回復するまで治療が行われた。
   > 昭和21年の春、堕胎のための専門病院設立のきっかけになる出来事があった。
   > 医療救護に従事していた医師・田中正四は、港で引揚船から降りてきた教え子と再会した。
   > (中略)
   > 京城女子師範を卒業して朝鮮北部の田舎の学校に赴任していた彼女は、
   > 進駐してきたソ連兵に暴行されたのだ。
   > しかも一度では済まず、相手も変わった。
   > 兵隊同士が情報交換をしていて、部隊の移動のたびに新しい兵隊に襲われたのである。
   > 救療部の関係者は悩んだあげく堕胎手術に踏み切った。
   > 医療設備や技術の不備、そして何よりも、当時は堕胎を禁ずる法律があったからである。
   > しかし手術は失敗し、娘は命を落としたのである。
   > 「二日市保養所」の産婦人科部長だった橋爪医師の証言が、『水子の譜』に収録されている。
   > 同医師が昭和21年6月10日付で救療部に提出した報告書によれば、
   > 強姦の加害者は韓国人が最も多く、次いでソ連人、中国人、アメリカ人、そして台湾人、
   > フィリピン人も登場する。
   > (中略)
   > 中絶された胎児は、黄色人種もあれば、白人の子もいた。
   > (後略)


   2009-01-30 「通りすがりの三国人」による正しい歴史認識
   私はお布団の中で"朝鮮人"のおじさんに、とても痛くて気持ちの悪い事を
   色々と繰り返しされました。
   http://ameblo.jp/sinesayoku/entry-10200020210.html ( 魚拓 )
   > 私はお布団の中で"朝鮮人"のおじさんに、
   > とても痛くて気持ちの悪い事を色々と繰り返しされました。」
   >
   > おじさんはそのあいだ中 「 この日本人め! 日本人め! 」 と言いながら腰を突いてきました。
   > 翌日、お大事のところから血が止まらずお医者に連れて行かれました。
   > 父と母に 「 陰部及び肛門に裂傷、治るまで同じ事はさせないように 」 と言いました。
   >
   > 小林千登勢 『お星さまのレール』より
   > http://www.uploader.jp/user/F5/images/F5_uljp00018.jpg ( 消えています )
   > http://ameblo.jp/sinesayoku/image-10200020210-10134979916.html
   > http://ameblo.jp/sinesayoku/image-10200020210-10134978106.html
   > http://ameblo.jp/sinesayoku/image-10200020210-10134978109.html
   > http://ameblo.jp/sinesayoku/image-10200020210-10134978112.html
   > http://ameblo.jp/sinesayoku/image-10200020210-10134978113.html


   2012年 06月 30日 メディアをウォッチする
   無理な民族
   http://masugomisa.exblog.jp/15664995/
   > 従軍慰安婦問題?強制徴用問題? 
   >
   > 全く無かったとは言わないよ。 慰安婦は勿論居た。 徴用も有った。
   >
   > しかし、募集をかけて応募してきた人たちの事だ。
   >
   > では、朝鮮人が戦後の混乱に紛れて行った蛮行について知りましょう。
   >
   > 終戦後、朝鮮半島引揚民間人を襲った「朝鮮保安隊」の略奪・暴行・殺戮の嵐
   > (一部抜粋)
   >
   《重複に付き、略》
   >
   Youtube「終戦から62年 日韓それぞれの引揚げ01」
   http://youtu.be/bDjPZXw0yHg
   480x360
   
   >
   Youtube「終戦から62年 日韓それぞれの引揚げ02」
   http://youtu.be/aXPoy_5OFxY
   480x360
   
   >
   > 太平洋戦争後、朝鮮半島から日本人が日本に帰る(引き上げ)時に、
   > 多くの日本人女性がレイプされ、強姦犯の子供を宿しました。
   > 福岡県の二日市保養所は、レイプ被害に遭った日本人女性に堕胎手術や性病の治療を
   > 行った。
   > 当時堕胎は違法行為であったが、厚生省は超法規的措置として黙認した。
   > その病院だけでも数百人の日本人女性が麻酔無しで堕胎手術を受けた。
   >
   >
   > 日本国内では、どうだろうか?
   > 以前にも掲載した動画ですが、再度掲載。
   >
   Youtube「【朝鮮進駐軍】〜あの団体の正体」
   http://youtu.be/bAjM7fw1Ais
   480x360
   
   >
   > 歴史の授業なんか全く本当の事を教えていません。
   > 特に近代史なんて酷いモノです。
   >
   > 自分達のした事を棚に上げて、捏造した歴史を盾に謝罪と賠償を要求するクズどもは
   > 日本から出て行って貰いたい。
   >
   > これは、善良な在日韓国人も同じ意見だと思いますよ。
   > 普通に暮らしたいと願う在日の人だって沢山いるに決まってます。
   >
   >
   > 全ての日本国民が見た方が良いと思う動画です。
   > 特に最近、この手の話題が気になり始めた方には非常に分かり易い動画ですよ。
   >
   Youtube「南京大虐殺&従軍慰安婦の真実★第29回炸裂トーク」
   http://youtu.be/_Ry-3QKosDU
   560x315
   
   >
   > 一見、ふざけた雰囲気もありますが内容は至って真面目。
   > この程度の内容が地上波で堂々と放送出来ない今の日本の現状…
   >
   > いかに今のテレビが面白くないか…
   > お金なんか掛けなくても、面白い番組なんて作れるんですよ。
   > あっ、テレビ関連企業は朝鮮人の巣窟だったか(笑)
   > じゃあ無理か…
   >
   > テレビが嘘を垂れ流すだけの"愚民製造機"や"洗脳装置"である事を
   > 国民全体が気が付かないと日本は良くならないと思いますよ。


   日本人の記憶から特亜工作員により消された事実【朝鮮進駐軍】 @
   http://81.xmbs.jp/piroshigogo-203072-ch.php ( 魚拓 )
   > 日本人なら絶対に忘れてはいけない!
   > 日韓併合後、在日朝鮮人は厳しい身分差別から逃れるため、
   > 自らの意思で朝鮮半島を脱出して日本に渡ってきました。
   > 日本がポツダム宣言を受け入れると在日たちは「戦勝国民」であると主張し、
   > 「朝鮮進駐軍」を名乗り、各地で暴れ始めました。
   >
   > 日本の男たちは戦場に駆り出され、残っていたのは女、子供、老人ばかり。
   > 朝鮮人たちはやりたい放題で、駅前の一等地は朝鮮人に奪い取られ、占領されました。
   > もちろん、そこに住んでいた日本人女性は容赦なく強姦され追放されたのです。
   > 当然、日本人は在日を強く憎むようになりました。
   >
   > そのため、在日朝鮮人たちは日本名『通名』を名乗るようになりました。
   > 朝鮮名を名乗ることは自分が犯罪者だと宣言しているようなものだからである。
   > 朝鮮人たちは共産主義者と組み、マスコミを使って歴史の捏造を始めました。
   >
   > 「 強制連行されて来た 」
   >
   > 「 土地を奪われて仕方なく来た 」 等々。
   >
   > そして強姦犯罪を謝罪せず、土地を占拠し続けながら、
   > 「 俺たちは何も悪いことをしていないのに差別される 」 「 不当な差別を受けている 」
   > 「謂れなき差別を受けている 」 等と宣伝『捏造』しまくりました。
   > 朝鮮進駐軍を知らない世代の日本人は在日に対して罪悪感を持つようになりました。
   > 在日たちは占領した一等地で事業を始めました。
   >
   > それが「パチンコ」です。
   >
   > 今でもパチンコ業者の8割は在日です。 パチンコは30兆円産業。
   > 何と自動車産業よりも規模が大きいのです。
   > パチンコ業界は脱税と、北朝鮮への送金で知られます。
   > 『 日本人がパチンコで負けたお金が年間約700億円、北朝鮮に流れています。』
   > 「 日本のパチンコがある限り、我が国は安泰だ (金正日) 」
   > 日本の政治家にもパチンコの金が流れています。
   >
   > だから 「 パチンコ、パチスロはギャンブルではない、大衆娯楽だ 」 という
   > 馬鹿げた論理がまかり通っているのです。
   > 祖母や曾祖母が朝鮮人に強姦された場所とは知らずに
   > パチンコやスロットを楽しむ、日本人。
   > パチンコで負け続けている人、もうパチンコ屋に通うのは、辞めて下さい。
   > 在日朝鮮人の思う壷、金正日国家、北朝鮮の懐を暖めるだけですよ。

   Youtube「在日のタブー☆朝鮮進駐軍☆について【どうか見てください】 」
   http://youtu.be/dqBZaR_-kac
   480x360
   
   >
   > 自称朝鮮進駐軍の非道
   >
   > 日本の敗戦後なだれ込んで来た朝鮮人の奴らが
   > 一体我々の祖父祖母達に何をしたかは説明した。
   > 次に実際その被害を経験された南十字星氏の手記を紹介する。
   >
   > 南十字星氏手記訳文
   >
   > 「 終戦後の第三国人どもは本当に酷かった。
   >  軍の兵器を盗んできたらしく、三十八式歩兵銃や拳銃で武装し、銃には着剣して
   >  強盗強姦、時には殺人まで重ねていた銀座浅草新宿は朝鮮人、に支配され、
   >  政府も警察も動揺した、
   >  食管法は朝鮮人には適用されなかっただから彼等は堂々と闇商売を行い、
   >  派手に稼いでいた。
   >  そりゃ儲かるだらう 取締を横目に犯罪のし放題なのだから
   >  東京東部(中心地)北郊の荒川、古利根−中川、江戸川、利根川流域の牛は
   >  皆いなくなった
   >  当時、あの辺は畜力として農耕牛を使っていたが、深夜、朝鮮人が侵入して盗み出し、
   >  河原へ連れていって虐殺した。
   >  牛はモウと言って泣いたので皆気付いたが銃砲刀剣で武装しているので
   >  追う訳には行かなかった 
   >  永年愛育し、慈しんだ牛が悲しそうに泣きながら引き出され殺されるのは
   >  無念で耐え難かったがどうにも出來なかった
   >  こうして流域一帯の牛は皆、朝鮮人に盗まれ、殺され、闇市で売られた。
   >  関東から、牛はいなくなった
   >  家畜相手ならまだしも、人間に対しても、関東より西の大都市を中心に、
   >  日本中に灰神楽が立つような勢いで数多の犯罪を重ねた。
   >  川崎、浜松、大阪、神戸などが酷かった。
   >
   >
   > < 対して、浜松 >
   >
   > 其最も著しい、象徴的事例に、元文部大臣、後の首相鳩山一郎氏に対する傷害事件がある
   > 鳩山氏が軽井沢の静養先から帰京しようとして 信越本線の汽車に乗っていたら、
   > 例の「朝鮮進駐軍」が後から大勢、切符も買わず、車掌らを突き飛ばし押入って来て、
   > 『 俺達は戦勝國民だ、 お前ら被支配者の敗戦国民が座って
   >  支配者様を立たせるとは生意氣だ、
   >  この車両は朝鮮進駐軍が接収するから全員立って他の車両へ移動しろ、
   >  ぐずぐずするな! 』
   > と追い立てた。
   >
   >
   > < 軽井沢、鉄道、この >
   >
   > ここで鳩山氏が、
   > 『 我々はきちんと切符を買って座っているのにそりゃおかしい 』
   > と乗客として穏やかに抗議したら、たちまち大勢が飛び掛かって袋叩きにし、
   > 鳩山じいを半殺しにした。幸いにして重体にも重傷にも至らなかったが、
   > 頭部裂傷だか 顔面挫傷だか忘れたが、血に塗れ腫れ上がった痛々しい顔で帰京した。
   >
   >
   > < それ、たちまち >
   >
   > 年老いた祖父を理不尽に叩きのめされて怨まぬ孫もあるまい、
   > 如何に不出来な孫にせよ孫共はこんな出来事を知らんのだろう。
   >
   >
   > < いかに、これ >
   >
   > 庶民はおろか直後に総理大臣になる程の大物でも
   > 土地も屋敷も物資も操も、奪い放題であった 
   > 闇、賭博、傷害、強姦、強盗事件が多く、さらには、空襲や疎開で一時的に空いている土地が
   > 片端から強奪された。
   > 今、朝鮮人が駅前の一等地で【パチンコ屋】や焼肉屋を営業しているのは、
   > 皆、あの時奪った被災者の土地だ。
   >
   >
   > < 総理、かくのごとし、いわんや、おいて、 ことに、り災 >
   >
   > これでも警察は手が出せなかった。
   > 戦勝国に勝手にA級戦犯などと汚名を貼られ
   > 歴代総理大臣等が絞首刑になって行く状況で、警察ごときに何が出来よう?
   > ある日、警察は何月何日をもって廃止す、再び登庁する者を許さず、と命ぜられれば、
   > これっきり警察は消滅する。
   > 七百万の大軍を擁した我が帝國陸海・軍ですら、左様にして両總長 両大臣以下、
   > 自然廃官になった。 まこと、敗戦は悲しからずや
   >
   >
   > < ある日、もって、万 >
   >
   > 今では想像できんな。
   > 一国の総理大臣が処刑されていくなかで、三国人が土地を占拠、軍の銃器を強奪して
   > 暴行、殺人の限りをつくして警察も手をだせない、無法地帯。
   > 警察が思い余ってやくざに助けを求めてる。
   > たまりかねた警察が密かにやくざに頼み込み「浜松大戦争」になった訳だが、
   > 「小戦争」は日本中に頻発した。
   >
   >
   > < たまりかねた、頻発 >
   >
   > 最後の頼みの綱は連合国軍であったが、遂にはその米憲兵隊でも手に負えぬ
   > 非常事態に立ち至った。
   >
   >
   > < 連合国、ついに >
   >
   > これでさすがに米軍も腹にすえかね、日本本土全域の占領を担当していた
   > 米第八軍司令官アイケルバーガー中将が、関東と言わず関西と言わず、
   > はたまた北九州と言わず、朝鮮人活動地域に正規戦闘部隊の大軍を出動させ、
   > 街頭に布陣して簡易陣地を築き、重装甲車両を並べ、
   > 人の身長程に大きな重機關銃を構えて朝鮮人共にピタリと狙いをつけ、
   > またたく間に鎮圧した。 我々はこの兵器のきらめきを間近に見た
   >
   >
   > < 中将、ようやく、きらめき >
   >
   > この時、連合国軍総司令官ダグラスマッカーサー元帥の出した布告が、
   > 「 朝鮮人等は戦勝国民ではない、第三国人なり 」
   >
   >
   > < 発した、あらず >
   >
   > という声明で、これぞ 「第三国人」 なる語の始まりである。
   > だから、外人差別用語なはずが無い。
   > 彼等自身、マッカーサー元帥以下、一人残らず皆、外国人ではないか!
   > 連合国軍総司令官は、本国や同盟国、對日理事會や極東委員会に気を使わねばならぬ
   > 外交センスの要る役職であった。
   > 何人にもせよ、敗戦国民以外を、声名発して迄差別なんぞする筈が無い
   > 「第三国人」 の語は、国際法に則って説いた専門、技術用語に過ぎない
   > 近頃のマスコミは年も若く、当時の経緯や語感がわからないのだろう
   > 知合いのマスコミ幾人かに電話して、テレビにでも新聞にでも出て
   > 歴史の真実を話して進めようと申入れたら、皆、「検討させて下さい、」と逃げてしまった。
   >
   > 真面目に報道する気は無いのかの・・・あんた、パソコン通信を使っているそうじゃが、
   > インターネットとやらは随分と情報発信出来て、数百万人が見ると聞く。
   > 一つ満天下の正義の為に発信して下さらんか 」
   >
   >
   > 朝鮮進駐軍 湊川の戦い
   >
   > 真実はここにある!
   > 戦後日本で暴れ回っていた不良三国人『不逞朝鮮人』にみかねた田岡氏は
   > 自警団を結成して、山口組が犯罪朝鮮人『不良三国人』と戦い日本と一般市民を守った、
   > 日本人、山口組三代目 田岡組長、戦いの記録
   >
   > 終戦当時、国内には強制連行された人を含めて朝鮮人、中国人は200万以上いたが、
   > とくに兵庫に多く、昭和18年に13万5000人、47都道府県の7パーセント強を占め、
   > 大阪、東京につぐ3位という勢力をもっていた。
   > (中略)
   > 彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、
   > 徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩していた。
   > 通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、
   > 白昼の路上で婦女子にいたずらをする。 善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。
   > こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。
   >
   > 袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、肩で風を切って
   > 街をのし歩いた。
   > 腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器をひっさげた彼らの
   > 略奪、暴行には目にあまるものがあった。 警官が駆けつけても手も足もでない。
   > 「 おれたちは戦勝国民だ。 敗戦国の日本人がなにをいうか 」。
   > 警官は小突きまわされ、サーベルはへシ曲げられ、街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。
   > さらにこれにくわえて一部の悪質な米兵の暴行も目にあまった。
   > (中略)
   > 彼らの行為を見聞きするごとにわたしは怒りにふるえていた。
   > 彼らを制止し、阻止する者は一人としていないのだ。
   > 警察は無力化し、やくざは手をこまねいて目をそらす。
   > いったい、だれが街を自衛すればいいのだ。
   >
   >
   > 「 一億人の昭和史 < 日本占領3 ゼロからの出発 > 」 1980年 毎日新聞社
   >
   > 昭和25年当時、国際港神戸はまた日本一の密貿易の根拠地でもあった。
   > 巨大な国際密輸シンジケートがいたるところ張り巡らされ、瀬戸内海へ何十隻もの
   > 密輸船が出航
   > (中略)
   > ところで、当時の神戸の密貿易は、大半が台湾、朝鮮などの旧外地との間で
   > 行なわれていた。
   > 神戸が第三国人の根拠地となっており、東京、横浜に比べ旧外地に近かったこともあり、
   > 密輸量は日本一。
   > (中略)
   > 国際密輸組織の中核は一貫して第三国人だった。
   > 敗戦後、神戸に三宮駅から神戸駅まで約2キロに及ぶ
   > 全国に例をみない大闇市場ができたが、密輸品の多くはここでさばかれた。
   > そこに大きな勢力を張っていたのが数万人の第三国人で、戦勝国意識を誇示するため
   > 腕章をつけ、日本の警察権を一切認めようとしなかった。
   > こうした特権をフルに利用、密輸団を操る黒幕になった三国人もでた。
   > 黒幕だった三国人の中には、密輸の巨利で今は正業につき、実業家として
   > 幅をきかしている者もいるといわれる。
   >
   >
   > 敗戦直後、韓国内に取り残された日本女性に対する朝鮮人、ロシア人の
   > レイプ三昧に関する証言。
   > 証言したのは韓国内に当時あった日本病院に勤務した看護婦。
   > 一説には1200人以上の日本女性がレイプ後に妊娠し、堕罪するために
   > この病院を訪れていました。 何が、強制従軍慰安婦だ。
   > 結局、自分達の悪行を隠すためと無心のための大嘘ではないか。
   > こんな民族に外国人地方参政権を与えたら「日本は滅びます」
   >
   > 日本女性の皆さん。こんな民族でも「好きになれますか?」、
   > それとも「強姦されたいですか?」
   > もし、疑問に思われるなら、報道や事実を基に韓国の実態を鋭く切る
   > コリアウォッチャーの大御所ブログ「こりあうぉっちんぐ」の強姦に関する記事を見て下さい。
   > 大量に出てきますよ。
   >
   > 報道できない強姦事件 ( リンクは消えています )
   >
   > 露ダンサーら「韓国は地獄だった」…レイプ常習の差別大国 ( リンクは消えています )
   >
   Youtube「韓国人によるレイプの歴史 【密入国】」
   http://youtu.be/hRYyVLn-8NM
   480x360
   
   >
   Youtube「女性をトイレの中で襲ってレイプした韓国人の映像  【強姦事件】」
   http://youtu.be/-LtK7c7LYuU
   480x360
   
   >
   ニコニコ動画「和夫一家韓国人が日本人を強姦、虐殺_mpg.avi」
   http://www.nicovideo.jp/watch/sm21922983
   


   日本人の記憶から特亜工作員により消された事実【朝鮮進駐軍】 A
   http://81.xmbs.jp/piroshigogo-232110-ch.php?guid=on 魚拓 )
   > 朝鮮進駐軍
   >
   > 朝鮮進駐軍とは?Weblio辞書
   >
   > ■ 概要
   >
   >   一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、おおむね1945年昭和 20年以後に
   >   現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または
   >   半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。
   >   戦後、日本がポツダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行、窃盗、暴行、殺人、
   >   略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物の不法占拠、鉄道や飲食店での
   >   不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。
   >   自称「戦勝国民」(正しくは戦勝国民ではない)であると主張し、
   >   自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り各地で徒党組んで暴れ事件を起こした。
   >   GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民が朝鮮進駐軍の犠牲となり
   >   殺害されたとされている。
   >
   >
   > ■ 朝鮮進駐軍による朝鮮人犯罪及びテロ行為について
   >
   >   服装・武器及び組織について
   >
   >   戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。
   >   銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。
   >   朝鮮進駐軍では旧日本空軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、
   >   これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。
   >   組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、
   >   個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。
   >   朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日本朝鮮人連盟。
   >   更にこれが在日本大韓民国民団(略称「民団」)と在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、
   >   これが現在の民団と朝鮮総連となる。
   >
   >
   > ■ 時代背景
   >
   >   当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、
   >   また都市部においても疎開や空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。
   >   また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。
   >   戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、このような犯罪に対する
   >   抑止力の空白化が背景にあったとされている。
   >
   >   いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ(現在の指定暴力団)が
   >   朝鮮人から、日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。
   >   この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用しだすのは
   >   朝鮮の姓に対して嫌悪感や犯罪者といったイメージを日本人が抱くようになってから
   >   である。 ただしこれは、朝鮮人側からはもともと差別があったからとされている。
   >
   >
   > ■ 朝鮮人による犯罪
   >
   >   朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。
   >   特に川崎・大阪・神戸・都心等当時朝鮮人が比較的多かった地域で多発した。
   >   特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃・日本刀等で武装した
   >   朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。
   >   市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、
   >   多数の犯罪行為を行った。
   >   拳銃や刃物で武装しており一般市民は無力であり繰り返し行われることも多かったため
   >   被害が拡大した。
   >   またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、
   >   多い説では1万人以上であったとも言われている。
   >
   >   略奪・窃盗・密売・土地の強奪等においても組織的に関与していた。
   >   一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、
   >   さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後の朝鮮人社会の
   >   資金源として利用されてきた。
   >   その他に、戦後土地建物の所有に関する書類の損失や強引な立ち退きにより
   >   土地・建物の収奪も相次いだ。
   >   1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では
   >   武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。
   >   翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が
   >   同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。
   >
   >   46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と
   >   応援出動した武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。
   >   首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。
   >   1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。
   >   これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し
   >   1800名の朝鮮人が検挙された。 戦後はこのような事件が日本各地で続発した。
   >
   >   第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー中将は、正規の大部隊を治安確保のため
   >   朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。
   >   GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は
   >   「 朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり 」
   >   と発表するなど朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。
   >   昭和26年に浅草で朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、
   >   米兵一名が死亡、二名が負傷した。
   >
   >
   > 主な事件一覧
   >
   > 朝鮮総連が、公安警察に監視されたり、公安調査庁の「調査対象団体」に指定されているの は、
   > 過去にこれだけの「実績」があったからです。
   >
   > 何故「三国人」が差別用語になったのか
   >
   > 秋津嶋案内所
   >
   > ▼朝鮮進駐軍及びその後の在日本朝鮮人連盟が関わる事件の一覧である。▼
   >
   > ■ 大阿仁村事件(1945年10月22日)
   >
   >   秋田県北秋田郡阿仁合町(現在の秋田県北秋田郡阿仁町)の阿仁鉱山で働いていた
   >   朝鮮人12名は、1945年10月22日午前9時頃、約16キロ山奥の同郡大阿仁町
   >   (現在の秋田県北秋田郡阿仁町)の集落へ行き、共同管理の栗林に侵入し
   >   栗を拾っていた所を村人に発見され注意したところ乱闘となり、村人3名が重傷を負った。
   >   午後1時になると約40名の朝鮮人が来襲したので、警察と警防団は直ちに現場に急行し
   >   鎮圧した。
   >
   >
   > ■ 生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946 年1月9日)
   >
   >   兵庫県生田警察署では、岡山市内で発生した七人組の拳銃強盗犯人を追って
   >   神戸に出張した岡山県警察部の捜査員に協力した。
   >   その後1945年12月24日午後9時、「岡山の刑事を出せ!」と叫ぶ50人以上の
   >   朝鮮人の集団が署内に乱入して、拳銃・日本刀・匕首を突きつけて
   >   署員を軟禁状態に置き、署内を探し始めた。
   >   岡山県の捜査員たちは署からの脱出に成功したが、暴徒は電話線を切断し、
   >   外部の連絡を絶たせた。
   >   急を聞いた進駐軍憲兵がジープで駆けつけたため、
   >   ようやく事態を収拾させることができた。
   >   また翌年1月9日、生田署が三宮ガード下で賭博団を検挙すると、
   >   30〜40名の朝鮮人たちが再度署内に乱入し、検挙者を奪還しようとしたが、
   >   生田署はこの暴徒を制圧し、進駐軍憲兵と協力して首謀者とみられる3名を検挙した。
   >
   >
   > ■ 直江津駅リンチ殺人事件(1945 年12月29日)
   >
   >   信越線黒井駅でヤミ米ブローカーの朝鮮人3名が列車の窓ガラスを割って
   >   乗り込もうとしたところ、ある日本人乗客に拒まれて乗り込むことができず、
   >   デッキにぶらさがって直江津駅まで行った。
   >   彼らは直江津駅でその日本人乗客に対し、
   >   「 乗降口から乗れないので、仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのになぜ妨害した 」
   >   と詰め寄ったが、日本人乗客が
   >   「 窓から乗り込むという方法はない 」
   >   と反駁したので、
   >   「 朝鮮人に向かって生意気だ!ホームに降りろ!殺してやる!!」
   >   と叫んで、その乗客をホームへ引きずり出して、パイプやスコップで滅多打ちにして
   >   殺害した。
   >   朝鮮人3名はその後逮捕されたが、全員逃走してしまい、結局うやむやのうちに
   >   終わってしまった。
   >   なお余談ではあるが、この種の鉄道内の不法行為を防止するために、
   >   急遽設けられたのが「鉄道公安官」制度である。
   >
   >   【 このような事例は全国各地で続発しており、蔡焜燦氏や北斗星氏の証言が
   >    他のサイトで紹介されています。】
   >
   >
   > ■ 富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日)
   >
   >   1945年末に起きた強盗事件の容疑者として朝鮮人3名が逮捕され、
   >   そのうちの一人が警視庁富坂警察署に留置されていた。
   >   1月3日になって朝鮮人の集団が署内に乱入して、容疑者の釈放を要求したが、
   >   署長が拒否し続けたため、朝鮮人たちが椅子や棍棒で襲いかかるなど暴徒化して、
   >   事実上警察署が占拠された。
   >   そして留置所に留置されていた容疑者を捜しあてて、署外に連れ出して逃走させた。
   >
   >
   > ■ 長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日)
   >
   >   1946年5月13日、長崎県警察部はヤミ市場の取締で、
   >   朝鮮人26名・中国人6名・日本人150名を長崎県長崎警察署に連行した。
   >   朝鮮人・中国人団体が即時釈放を要求したが、聞き入れられなかったため、
   >   在日朝鮮人連盟の青年自治隊員100名とその他中国人など総勢約200名が
   >   同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせた(うち1名は死亡)。
   >   捜査の結果、60名の朝鮮人と7名の中国人を検挙した。
   >
   >
   > ■ 富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日)
   >
   >   1946年8月5日、富山県警察部は富山駅でヤミ米の摘発を行い、
   >   ヤミ米ブローカの朝鮮人3名を検挙したが、それを見ていた自治隊員2名が妨害し、
   >   ヤミ米ブローカを逃走させてしまった。
   >   そこで、その自治隊員を公務執行妨害で逮捕した。
   >   この騒ぎで派出所周辺に30名の朝鮮人が集まり、連絡を取ろうとした警察官が
   >   群集に取り囲まれ、それを救出しようとした他の警察官との間で大乱闘になった。
   >   ついに富山警察署長は富山軍政部を訪れ、軍政部の協力を得ることに成功し、
   >   富山駅前にあった「自治隊出張所(引用者注:朝連の自治隊の「交番」のこと)」を
   >   閉鎖させ、逆に駅前派出所には武装警察官10名を常駐させ、ヤミ米輸送を阻止した。
   >
   >
   > ■ 坂町事件(1946 年9月22日)
   >
   >   羽越線坂町駅において、新潟県村上警察署が主食取締りを行ったところ、
   >   中国人15名・朝鮮人約50名が警察官に襲いかかり、暴行を加えた。
   >   警察官は傷を負いながらも朝鮮人2名を逮捕した。
   >   同日午後、坂町・金屋両駐在所から 「ヤミ米を運搬している」 という報告があったので、
   >   署から私服警察官10名が急行し臨検を行った。
   >   そのとき、約15名の朝鮮人と中国人が襲いかかり、殴る蹴るの暴行を加えた。
   >   さらに駐在所に侵入して器物損壊等を行ったため、警防団、隣接警察署、進駐軍からの
   >   応援により、これを鎮圧し12名を検挙した。
   >
   >
   > ■ 新潟日報社襲撃事件(1946年9月26日〜29 日)
   >   1946年9月26日に、朝鮮人団体の幹部たちが新潟日報社を訪れ、坂町事件を報道した
   >   読売新聞と新潟日報の代表に対し、記事の内容が事実に相違するということで、
   >   記事の取り消しと謝罪を要求した。
   >   読売新聞側は不確実な記事であったことを認め謝罪したが、新潟日報側は社長の不在を
   >   理由として29日まで返答を猶予した。
   >   29日に朝鮮人団体幹部たちは再度新潟日報社を訪れ、話し合いがもたれたが、
   >   納得のいく回答が得られなかったことに腹を立てて、新聞社社員3名に軽症を与え、
   >   窓ガラス、椅子等を破壊したので全員検挙した。
   >
   >
   > ■ 首相官邸デモ事件(1946 年12月20日)
   >
   >   宮城前広場(現在の皇居前広場)において、朝鮮人約2000名が生活権擁護人民大会を
   >   開催し、終了後首相官邸にデモ行進を行った。
   >   このときの一隊が官邸に押し入ろうとしたので、これを阻止しようとした警官隊と衝突して
   >   大乱闘となり、警察官の拳銃2挺、実弾が奪われた。
   >   このため、武装警官358名、進駐軍憲兵20名が応援出動して、拳銃を発射するなどして
   >   制圧し、首謀者15名を検挙して身柄は進駐軍憲兵隊に引き渡された。
   >   彼らは軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。
   >
   >
   > ■ 尾花沢派出所襲撃事件(1947年10月20日)
   >
   >   1947年10月20日午後3時ごろ、米の買出し取締りに不満を持っていた朝鮮人7名が、
   >   山形県楯岡警察署管内の尾花沢派出所に侵入し、警察官が不在であったのを
   >   奇貨として派出所内の器物を破壊し、『尾花沢派出所』の表札を外して一旦逃走した。
   >   その後、警察官が戻って異変に気づき、本署に連絡した。
   >   そのとき、さっきの朝鮮人7名と他の朝鮮人30名が派出所に押しかけ、
   >   警察官3名に重傷を負わせた。 警察は進駐軍憲兵の協力も得て、29名を検挙した。
   >
   >
   > ■ 阪神教育事件(1948 年4月23日〜25 日)
   >
   >   1948年1月、文部省は各都道府県知事に対し、朝鮮人学校に学校教育法を
   >   適用するように通達を出した。
   >   大阪府ではこれを受けて、朝連の幹部や朝鮮人学校の校長を集めて話し合おうとしたが、
   >   朝鮮人側それに応じる気配を見せなかったので、3月15日に閉鎖勧告を行った。
   >   しかし、朝鮮人学校8校が引き続き授業を継続していたので、府教育部は
   >   4月15日限りで閉鎖すると厳命した。
   >
   >   1948年4月23日、これに反対するデモ隊約7000名が府庁前の大手前公園に
   >   集まって気勢を上げた。
   >   朝鮮人代表15名は大阪府庁内で副知事・学務課長と交渉していたが、
   >   主張が容れられなかったので、朝連系の青年行動隊等数百名が府庁に乱入して、
   >   知事室や各階を占拠した。
   >   大阪市警察局と国家地方警察大阪府本部は3000名の警官隊を動員して、
   >   朝鮮人を庁舎から強制排除した。
   >
   >   神戸では、翌24日に朝鮮人学校問題に関する協議会が兵庫県庁で開かれた。
   >   会議には兵庫県知事および副知事、神戸市長、神戸市警察局長、神戸地検検事正など
   >   14名が参加していた。
   >   そこに、青年行動隊数百名がなだれ込み、知事や市長に対して自分たちの要求を
   >   認めさせた。
   >
   >   また、市警察局長や検事正に対しては、検挙者の釈放と今回の行為を処罰しないこと
   >   などを文書で認めさせて解散した。
   >   しかしその夜、進駐軍神戸地区司令官は、協議会の参加者を神戸基地司令部に集めて、
   >   神戸地区に「非常事態宣言」を布告し、24日の文書を無効とし、デモ参加者を
   >   一斉検挙した。
   >   検挙者は1800名におよび、首謀者は軍事裁判に付され、一部は国外追放となった。
   >
   >
   > ■ 評定河原事件(1948 年10月11日〜12 日)
   >
   >   1948年10月11日と12日の両日、宮城県仙台市の評定河原グラウンドにおいて、
   >   朝連と在日本朝鮮民主青年同盟(民青)の主催で、北朝鮮政府樹立祝賀会と運動会が
   >   開催されたが、このときGHQにより禁止されていた北朝鮮国旗を掲揚したため、
   >   仙台市警察と進駐軍憲兵がこれを阻止し、進駐軍憲兵に抵抗した朝鮮人1名が
   >   腹を撃たれて負傷、合計6名が検挙された。
   >
   >
   > ■ 宇部事件(1948 年12月9日)
   >
   >   宇部市民会館において朝連系約200名が参集し、生活擁護人民大会を開催中、
   >   手配中の朝連県本部委員長を進駐軍憲兵および警察隊が逮捕したが、
   >   大会参加者は集団的に同被疑者を奪還しようとして衝突し、双方に多数の負傷者が
   >   出る騒ぎとなり、警察側の発砲によって鎮圧された。
   >
   >
   > ■ 益田事件(1949 年1月25日)
   >
   >   島根県美濃郡益田町(現在の島根県益田市)の朝鮮人集落において
   >   密輸入物資が隠匿されているとの密告に基づき、進駐軍島根軍政部将校2名と
   >   経済調査官2名が同行して摘発に乗り出したが、拒否されたため、
   >   警察官10名が応援して違反物資を押収したが、約100名の朝鮮人に奪還された。
   >   翌日、被疑者9名を検挙したが、夜に入って約200名が警察署に押しかけて
   >   被疑者の釈放を要求し、署内に侵入しようとしたために、警察官と乱闘になり
   >   48名が検挙された。
   >
   >
   > ■ 枝川事件(1949 年4月6〜13日)
   >
   >   東京都江東区枝川町の朝鮮人集落において、刑事3名が窃盗犯人を逮捕し、
   >   連行しようとした時、犯人が逃走したので威嚇発砲をしたところ、集まってきた朝鮮人
   >   約50人が刑事を取り囲み、暴行殴打し瀕死の重傷を負わせ拳銃2丁を奪った。
   >   その後の交渉で、警察は暴行者の引渡しを要求したが、朝鮮人側は刑事の処分と
   >   暴行犯人引渡し拒否の要求をしたため、9日以降枝川町を封鎖し、
   >   13日に一斉検挙を行い被疑者9名を検挙した。
   >
   >
   > ■ 高田ドブロク事件(1949 年4月7日〜11 日)
   >
   >   新潟県中頚城郡新井町(現在の新潟県新井市)と同郡中郷町の朝鮮人集落では
   >   大掛かりな酒の密造をを行っており、警察などの関係当局は1949年4月7日早朝に
   >   一斉取締りを断行し、証拠物件を押収した。
   >   その後、この摘発に抗議する朝鮮人約200名は新潟県高田市(現在の新潟県上越市)
   >   の高田市警察署に押しかけ、警察署庁舎に投石して窓ガラスを割ったので、
   >   4名を検挙した。
   >   翌8日には高田税務署に押しかけ、署内に侵入しようとしたり投石をしたため、
   >   1名を不退去罪で検挙した。
   >   11日になると、朝鮮人約500名は高田市内をデモ行進した。
   >   警察はこれまでの穏健路線を転換し、首謀者12名を検挙した。
   >
   >
   > ■ 本郷村事件(1949 年6月2日〜11 日)
   >
   >   福井県大飯郡本郷村(現在の福井県大飯郡大飯町)の派出所勤務の巡査が
   >   戸口調査をするために、朝鮮人集落に赴いたところ、多数の朝鮮人が
   >   「 我々を差別扱いする 」
   >   と言って戸口調査を妨害し、同巡査に暴行を加えた。
   >   その後連日、派出所や警察署に約200名が押しかけ抗議した。
   >
   >
   > ■ 下関事件(1949 年8月20日)
   >
   >   1949年8月20日早朝、山口県下関市内の民団側朝鮮人家屋を
   >   朝連側朝鮮人約200人が竹槍・棍棒を所持して襲撃し、民団員十数人に傷害を与え、
   >   さらに家屋19戸を次々に破壊して金品を略奪した。
   >   このため市内は一時大混乱になった。
   >   下関市警と国警山口県本部は山口県下の警察官約1000名を動員して、
   >   朝鮮人約200名を騒擾罪で検挙した。
   >
   >
   > ■ 台東会館事件(1950年3月20日)
   >
   >   1949年9月8日、法務府は朝連に対し団体等規正令を適用して解散命令を出した。
   >   東京都は当法令に基づき朝連の台東会館を一時接収したが、
   >   「台東会館防衛闘争委員会」を名乗る旧朝連員によって奪還され、
   >   さらに約400名がバリケードを構築して、小石や鉄片や唐辛子を投げつけるなどの
   >   実力抗争に出たために警察隊と乱闘になり、旧朝連員120名が検挙された。
   >
   >
   > ■ 連島町事件(1950年8月15日)
   >
   >   岡山県浅口郡連島町(現在の岡山県倉敷市)で、朝鮮解放5周年を祝って
   >   約700名の朝鮮人が集まり、集会を強行したので、制止しようとした警察と乱闘になり
   >   8名を検挙した。 この事件で警察官15名が負傷した。
   >
   >
   > ■ 第二神戸事件(1950 年11月20〜27日)
   >
   >   11月20日、約300名の朝鮮人が生活権擁護陳情のため、神戸市の長田区役所に
   >   押しかけ、区長と団体交渉に入ったが、排除にあたった警官隊と揉み合いになり、
   >   兵庫県朝鮮青年団体協議会議長を逮捕した。
   >   24日には、長田警察署と長田区役所にデモ行進し、その際の衝突で
   >   26名の検挙者がでた。
   >
   >   27日になると、旧朝連系約900名は、棍棒・白鉢巻の姿で西神戸朝鮮学校に集合して
   >   不穏な形勢を示し、デモ行進に移ろうとしたので、これを阻止しようとした警官隊と衝突し、
   >   デモ隊の一部は長田区役所、長田税務署に殺到して窓ガラス等を破壊した。
   >   神戸市警察局は、占領目的阻害行為処罰令違反と騒擾罪容疑で188名を検挙した。
   >
   >   【「第一神戸事件」は「阪神教育事件」を指す】
   >
   >
   > ■ 四日市事件(1951年1月23日)
   >
   >   旧朝連四日市支部を接収しようとしたところ、居合わせた朝鮮人約20名が、
   >   器物やガラスの破片を投げつけたり、灰・唐辛子による目潰し攻撃をしたり、
   >   濃硫酸を浴びせて接収の妨害を行った。
   >   そのため、執行係官7名が全治2〜3週間の重軽傷を負った。
   >   警察が出動して公務執行妨害容疑で15名を検挙した。
   >
   >
   > ■ 王子事件(1951 年3月7日)
   >
   >   1951年2月28日、警視庁は占領目的阻害行為処罰令違反容疑として
   >   東京都北区上十条にある東京都立朝鮮人中高等学校(現在の東京朝鮮中高級学校)を
   >   捜索し、多数の印刷物を押収した。
   >   3月7日、これに抗議する約1700名の朝鮮人(うち朝鮮学校生徒1100名)が
   >   同校で「真相発表大会」を開催し気勢をあげ、付近の民家で現場写真を撮影していた
   >   捜査員に対して殴る蹴るの暴行を加えたため、他の警察官が助けようとしたが、
   >   投石その他で拳銃2丁を奪うなど実力で抵抗した。 このとき8名が検挙された。
   >
   >
   > ■ 神奈川事件(1951年6月13日)
   >
   >   横浜市神奈川区にある青木小学校分校において、神奈川県朝鮮人学校PTA連合
   >   運動会が開かれていたが、参加者の一人が警備をしていた警察官に対して暴力を
   >   ふるったため、公務執行妨害で検挙しようとしたところ、これを妨害しようとして
   >   大乱闘となった。 これにより、双方ともに数名の負傷者を出した。
   >   運動会終了後、約500名の朝鮮人が横浜市警察本部に殺到し、
   >   玄関前でスクラムを組んで気勢をあげた。
   >   そのため、横浜市警は約1000名の警察官を動員し、公安条例違反容疑で
   >   28名を検挙した。
   >
   >
   > ■ 下里村役場事件(1951年10月22日)
   >
   >   兵庫県加西郡下里村(現在の兵庫県加西市)において、朝鮮人約200名が、
   >   「生活保護」「強制送還反対」の陳情をするために下里村役場に押しかけ、
   >   村役場職員を吊るし上げ、椅子を振り上げる等の暴挙に出たので、
   >   暴行脅迫・恐喝容疑で15名を検挙した。
   >
   >
   > ■ 福岡事件(1951 年11月21日)
   >
   >   「強制追放反対」を叫ぶ朝鮮人約1500名が、福岡市大浜新校地と西公園に分散して
   >   集合し、そのうち新校地の一隊が同市千代町へ向かってデモ行進したため、
   >   それを阻止しようとした警官隊と乱闘となり、16名が検挙された。
   >   その後、解散に見せかけて、新校地に再結集し集会を開いた。
   >   警官隊が解散を命じたが応じなかったので、再度乱闘となり5名を検挙した。
   >
   >
   > ■ 東成警察署催涙ガス投擲事件(1951年12月1日)
   >
   >   1951年11月10日、泥酔中の朝鮮人を警察が保護したが、容態が急変して
   >   同日夜に死亡した。
   >   乗っていた自転車が転倒して肝臓が破裂したことが原因であった。
   >   ところが、朝鮮人側は警察官の暴行により死亡したとデマを流し、約30名の朝鮮人が
   >   東成警察署へ抗議に訪れ、署員の制止を聞かずに署内に乱入しようとしたので、
   >   これを阻止すると、催涙ガス瓶を投げ入れたり、投石してガラス窓を破壊したので、
   >   被疑者3名を検挙した。
   >
   >
   > ■ 半田一宮事件(1951 年12月3日〜11 日)
   >
   >   1951年12月3日、愛知県の半田税務署に密造酒取締の件で朝鮮人が押しかけ、
   >   署長以下数名を監禁した。
   >   一方、一宮税務署管内でも密造酒取締に対して、約100名の朝鮮人が
   >   捜査の妨害をした。
   >   そのため、半田・一宮両市警及び国警愛知県本部は12月8日に一斉強制捜査を行い、
   >   容疑者27名を検挙した。
   >
   >   12月11日、これに抗議する秋津嶋案内所朝鮮人約150名が半田市役所に押しかけて、
   >   庁舎内に乱入して警備の警察官ともみ合いになった。
   >   また名古屋市港区役所にも約70名が押しかけ、区長が乗っている乗用車を取り囲み、
   >   バックミラーや方向指示器を破壊した。
   >   他にも一宮税務署、一宮市警、名古屋市役所及び千種、北、瑞穂、南の各区役所にも
   >   押しかけた。
   >
   >
   > ■ 軍需品製造工場襲撃事件(1951 年12月16日)
   >
   >   上記の東成警察署で死亡した朝鮮人の追悼式に参加した朝鮮人約110名は、
   >   3班に分かれて、大阪市内四ヶ所の親子爆弾製造工場(民団系)を襲撃し、
   >   製品や窓ガラスを破壊したり、従業員に暴行を加えたりした。
   >
   >
   > ■ 日野事件(1951 年12月18日)
   >
   >   朝鮮人約50名が、自転車隊を編成し、白襷をかけ、「強制送還反対」のプラカードを掲げ、
   >   メガホンやスピーカーを所持し、強制送還反対を叫びつつ滋賀県内を無届デモ行進をした。
   >   警察は公安条例違反として再三中止を警告したが応じなかったので、
   >   滋賀県蒲生郡日野町において実力行使に出たが、石や薪などを持って抵抗したり、
   >   拳銃を奪い取るなどして反抗した。
   >   これにより、警察側に25名の重軽傷者を出したので、拳銃を発砲してこれを鎮圧した。
   >   35名が検挙された。
   >
   >
   > ■ 木造地区警察署襲撃事件(1952年2月21日〜23 日)
   >
   >   1952年2月21日に国家地方警察青森県本部所属の木造地区警察署で
   >   傷害容疑の朝鮮人2名を逮捕したが、朝鮮人数十人が検挙者の即時釈放を要求して
   >   連日署に押しかけた。
   >   23日になると、約70名が署内に侵入しようし、警備の警察官と揉み合いになり、
   >   警察署の玄関のガラス戸が破壊された。
   >
   >
   > ■ 姫路事件(1952 年2月28日)
   >
   >   兵庫県姫路市において、民団広畑分団長ほか3名の民団員宅に旧朝連系約20名が
   >   覆面して押しかけ、器物を破壊して逃走した。
   >   また同時刻に姫路市内の交番4ヶ所に5〜30名の朝鮮人が押しかけて、
   >   警察官を軟禁し、多数の威力を示して脅迫した事件である。
   >   捜査の結果21名を検挙し、竹槍等の凶器を押収した。
   >
   >
   > ■ 八坂神社事件(1952年3月1日)
   >
   >   三・一事件記念の名目で集まった約70名の朝鮮人デモ隊が、
   >   大阪市東成区の八坂神社境内に突入しようとしたため、大阪警視庁機動隊と
   >   大乱闘となり、朝鮮人側に十数名の負傷者を出して解散した。
   >   一時間後、いったん解散させられたデモ隊40名は近くの朝鮮人集落の広場で
   >   ジグザクデモ行進を始めたので、東成署員約50名が現場に急行、解散させた。
   >   この事件で6名が検挙された。
   >
   >
   > ■ 宇治事件(1952 年3月13日)
   >
   >   1952年3月13日午前1時頃、宇治市警小倉派出所・伊勢田臨時派出所及び
   >   警察官宅3ヶ所に、それぞれ5名の朝鮮人が押し入り、表戸などの器物を破壊し、
   >   「殺すぞ」 の暴言を吐いて逃走した。
   >   そのため、宇治市警は国警京都府本部の応援を得て426名の特別検挙隊を編成し、
   >   宇治市ウトロ地区(朝鮮人集落)を捜索、小競り合いなどがあったが、6名を検挙した。
   >   また伏見税務署も密造酒の捜索を行い、密造酒2升を押収した。
   >
   >
   > ■ 多奈川町事件(1952年3月26日〜30 日)
   >
   >   大阪府泉南郡多奈川町(現在の大阪府泉南郡岬町)において、
   >   密造酒取締の結果、9名を検挙し証拠物件をトラック10台に満載して
   >   引き上げようとしたところ、これを奪還するため約500名の朝鮮人が押しかけ、
   >   投石その他によりトラックの進行を阻止して、9台分の押収物件を破棄し、
   >   被疑者を逃走させて運転手に暴行を加えた。 その後の捜査の結果27名を検挙した。
   >
   >
   > ■ 田川事件(1952年4月19日)
   >
   >   1952年4月13日、福岡県の七曲峠で花見をするために集まっていた
   >   日本人グループと朝鮮人グループが喧嘩になり、双方に死傷者が出た。
   >   国家地方警察田川地区警察署は両グループを検挙した。
   >
   >   ところが19日になって、朝鮮人の集団が田川地区警察署に押しかけ、
   >   犯人の即時釈放を要求した。
   >   警察は3名のアリバイを認め釈放したが、朝鮮人たちは引き続き全員の釈放を要求し
   >   続けた。
   >   午後11時になり、警察が排除に乗り出したので、彼らはガラス戸に向かって
   >   投石をし始め、ガラス戸27枚が破損、警察官7名が負傷した。
   >   21日に再度、田川地区警察署に押しかけて署長に面会を求め、
   >   署内に乱入しようとしたため、催涙弾を使用して鎮圧した。
   >
   >
   > ■ 岡山事件(1952 年4月24日〜5月30日)
   >
   >   阪神教育事件の記念日である4月24日に、朝鮮人約200名が
   >   岡山市公安条例に違反する無届デモを敢行し、岡山市役所に突入しようとしたので、
   >   岡山市警が制止しようとしたところ、旗ザオに見せかけた竹槍で警察官2名を刺し、
   >   「プロムアセトン(催涙ガス)」 入り瓶を投げつけたり投石したので乱闘になり
   >   8名を検挙した。
   >
   >   5月1日のメーデーでは、労組による合法デモに入り込んで警察官を追いかけたり、
   >   岡山新聞社の写真部員に投石したりした。
   >   11日に岡山市警は傷害容疑で英賀朝鮮人学校に乗り込んだが、
   >   校内の約300名の朝鮮人の妨害を受けたため、公務執行妨害で8名を検挙した。
   >   その後、朝鮮人約500名は飾磨警察署を包囲して気勢をあげた。
   >
   >
   > ■ 血のメーデー事件(1952年5月1日)
   >
   >   第32回メーデー大会に参加したデモ隊の一部は、日比谷公園前において
   >   「人民広場(引用者注:皇居前広場のこと)に押しかけろ」 を合図に同公園を通過し、
   >   警官隊の警戒線を突破して皇居前広場に殺到したため、警官隊と乱闘になった。
   >   乱闘中、3000〜5000名の旧朝連系(在日朝鮮統一民主戦線・祖国防衛隊)を
   >   先頭とする数万のデモ隊がこれに合流したため、双方の乱闘が一段と激化し
   >   皇居前は一大修羅場と化した。
   >   この事件で2名が死亡し、日本人1078名、朝鮮人131名が検挙された。
   >
   >
   > ■ 上郡事件(1952 年5月8日)
   >
   >   4月10日に左翼系朝鮮人5名は、兵庫県赤穂郡船坂村(現在の兵庫県赤穂郡上郡町)
   >   で、別の朝鮮人3名に対して日本の学校に入学させていたことを理由に
   >   「スパイ」 と難癖を付け、巻き割りで殴打した。
   >   その事件の容疑で5月8日に国警赤穂地区警察署は、朝鮮人8名を検挙した。
   >   その後、容疑者は神戸地検姫路支所に護送されたが、その間朝鮮人の一団が
   >   赤穂地区警察署に押しかけ、容疑者の奪還を図ろうと南へ約50m離れた
   >   小谷薬局前で警察と乱闘になったが、容疑者の身柄は無事護送された。
   >
   >
   > ■ 大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日〜25 日、11月9日〜12 日)
   >
   >   1952年5月12日、韓国に強制送還された朝鮮人のうち、125名が手続不備で
   >   逆送還されて、大村収容所に再収容された。
   >   これに対し、民戦から数回にわたって抗議した後、5月25日になって50名が
   >   抗議に押しかけ、代表が当局と会談中、外部の者は盛んに収容者に対し、
   >   逃走をけしかけた。
   >
   >   そこで約100名は混乱に乗じて逃走を企図し、12名が逮捕されてようやくおさまった。
   >   その後、11月9日〜12日にわたって、また民戦活動家数十名が押しかけ
   >   代表が当局と交渉中、654名の収容者が一斉に脱出を企図したので、
   >   催涙弾と消防車でこれを阻止し、首謀者12名を検挙した。
   >
   >
   > ■ 広島地裁事件(1952 年5月13日)
   >
   >   駐在所と民家に放火した容疑で検挙した朝鮮人4名の裁判が
   >   広島地方裁判所で開かれたが、傍聴していた朝鮮人約200名が柵を乗り越えて
   >   法廷内を占拠、被告4名を奪還して逃走させた。
   >
   >
   > ■ 高田派出所襲撃事件(1952年5月26日)
   >
   >   5月26日早朝、名古屋市瑞穂区にある民団愛知県本部顧問宅へ
   >   旧朝連系の朝鮮人数十人が乱入した。
   >   そのため、顧問は瑞穂警察署高田派出所に助けを求めてきた。
   >   警察官が顧問を助けようとしたところ、追跡してきた一団は火炎瓶や石を投げつけて
   >   派出所を焼き討ちにした。
   >   そして、裏口から逃げようとした顧問を追いかけて暴行を加え、
   >   全治10日間のけがを負わせた。
   >   他にも同時多発ゲリラとして、米軍基地・民団愛知県本部・中村県税事務所に
   >   火炎瓶を投げ込んだり、名古屋簡易裁判所判事宅に投石を行ったりした。
   >   最終的に朝鮮人31名が検挙された。
   >
   >
   > ■ 奈良警察官宅襲撃事件(1952年5月31日)
   >
   >   奈良市警警備課巡査部長宅に約10名の朝鮮人が押しかけ、
   >   戸を開けた巡査部長の父に暴行を加え意識不明の重体にし、
   >   窓ガラスや障子を破壊して逃走した。
   >
   >
   > ■ 万来町事件(1952年5月31日〜6月5日)
   >
   >   山口県宇部市では、生活保護の適用をめぐって朝鮮人と対立していた。
   >   1952年5月31日以来、連日のように宇部市福祉事務所に押しかけていた。
   >   6月3日には約400名が押しかけたので、宇部市警は全署員を非常招集し
   >   解散させたが、留守中の上宇部派出所が襲撃され、投石で窓ガラスが割られた。
   >   6月5日になると、宇部市万来町(現在の宇部市新町9丁目)にある
   >   「朝鮮人解放救援会山口県本部」 が 「民主愛国青年同盟」 の結成式を催すことになり、
   >   県内各地から朝鮮人たちが集まってきた。
   >
   >   その中の中核自衛隊員70名が宇部興産窒素工場に乱入し、阻止しようとした守衛に
   >   暴行を加えた。
   >   その後、民団員宅を襲って傷害を与え、解放救援会山口県本部事務所に引き揚げた。
   >   警察は犯人を逮捕するために解放救援会事務所を包囲し解散を呼びかけたが、
   >   彼らは投石をしたり、棒を振って警官隊に突入を図ったため、遂にガス弾を投入して
   >   鎮圧した。


   日本人の記憶から特亜工作員により消された事実【朝鮮進駐軍】 B
   http://81.xmbs.jp/piroshigogo-232111-ch.php?guid=on ( 魚拓 )

   > 主な事件一覧続き
   >
   > ■ 島津三条工場事件(1952 年6月10日)
   >
   >   1952年6月10日、朝鮮人約50名が、京都市中京区にある島津三条工場に押しかけ、
   >   破防法反対のアジ演説を行ったので、工場側の要請を受けた警察官約15名が
   >   現場に急行、50代くらいの朝鮮人1名を検挙、京都市警南部警邏隊のパトカーに
   >   収容した。
   >   同パトカーが春日通三条にさしかかった際、付近にいた朝鮮人約100名が
   >   前に立ちふさがり、車内に火炎瓶を投げ込み、乗っていた8名の警察官に
   >   重軽傷を負わせ、検挙者を逃走させた。
   >
   >
   > ■ 醒ヶ井村事件(1952年6月13日)
   >
   >   警察は滋賀県坂田郡醒ヶ井村(現在の滋賀県坂田郡米原町)で、
   >   民団系朝鮮人を暴行して全治2ヶ月の重傷を負わせた事件で
   >   容疑者7名を逮捕するために現地に向かったが、朝鮮人は事前に察知して
   >   ピケを張るなどして妨害したため大乱闘となり、公務執行妨害で40人、
   >   検挙予定の7名の内6名を逮捕した。
   >
   >
   > ■ 葺合*長田事件(1952年6月24日)
   >
   >   6月24日に神戸市葺合区(現在の神戸市中央区)の東神小学校に
   >   約50名の朝鮮人が集まり、竹槍を持って無届デモを行ったので、
   >   2名を公安条例違反で検挙した。
   >   これに対して9時半ごろ、葺合警察署に約100名の朝鮮人児童が押しかけて
   >   投石したため、実力で排除したが、別の一団が乱入し乱闘となった。
   >   一方、長田区では、朝鮮人約150名が神楽職業安定所に向かったので
   >   警官隊が追跡したところ、投石したため、デモ隊を包囲して11名を検挙した。
   >
   >
   > ■ 吹田*枚方事件(1952 年6月24日〜25 日)
   >
   >   6・25朝鮮戦争前夜祭として、待兼山に参集した民戦系学生等約1100名は、
   >   山中に竹槍を用意し、二隊に分かれて伊丹駐留軍宿舎を襲撃したが、
   >   警備体制に圧倒されて目標を変更し、一隊は吹田操車場に駐留軍貨車を物色したが
   >   これも発見できなかったため、再び吹田駅に引き返す途中、警官隊と衝突し、
   >   拳銃2丁を奪い、さらに行進中交番2ヶ所および日本国粋党の笹川良一宅を
   >   火炎瓶・竹槍で襲撃した。
   >
   >   そこへたまたま出会わした駐留軍司令官クラーク准将の自動車に火炎瓶を投げ込み、
   >   顔面に火傷を与えた。
   >   また吹田駅周辺においても、デモ隊が停車中の米原発大阪行の通勤電車に飛び乗って
   >   そこから拳銃を発砲したり、火炎瓶・竹槍などをもって抵抗したために、
   >   警察側も応戦し、両方に多数の負傷者を出した。
   >   一方、朝鮮人を含む9人の遊撃隊は、枚方市の旧陸軍枚方工廠のポンプ室に侵入し、
   >   時限爆弾を仕掛けて爆破させた。
   >   これに呼応して、翌日朝、同市の小松正義(旧陸軍枚方工廠払い下げの取りまとめ役)
   >   宅に火炎瓶を投げ入れて放火しようとした。
   >   逃走途中に警官隊に発見され、激しく抵抗したため警官隊は発砲した。
   >   この事件での検挙者は113名であった。
   >
   >
   > ■ 新宿駅事件(1952年6月25日)
   >
   >   国際平和デー閉会後、朝鮮人約3000名が新宿駅東口に到着し、
   >   駅玄関や駅前派出所に向かって火炎瓶を投げ込んで、窓ガラスや電線等を焼失させた。
   >   そのため、警官隊約600名が催涙ガスを使ってデモ隊を押し返した。
   >   また、デモ隊の一部は新宿駅7番線ホームに入って、そこにいたオーストラリア兵4名を
   >   取り囲み、殴打・暴行を加えた。
   >
   >
   > ■ 大須事件(1952 年7月7日)
   >
   >   大須球場で、ソ連・中国を訪問帰国した
   >   帆足計・宮越喜助両代議士の歓迎報告会終了後、
   >   日本共産党系の名古屋大学生に煽動された旧朝連系を含む約1000人が
   >   無届デモを敢行した。
   >   岩井通りをデモ行進しながら、警官隊に硫酸瓶・火炎瓶を投げ、
   >   警察放送車、民間乗用車を燃やしたり、交番詰所に火炎瓶を投げ込んだ。
   >   そのため、遂に警官隊側が発砲する騒乱事件となった。
   >   夜になっても、騒乱の現場から少し離れた鶴舞公園で、駐留軍軍用車を焼いたり、
   >   名古屋東税務署に火炎瓶を投げ込んだ。
   >   その結果、デモ側は死亡1名、重軽傷者19名を出した。
   >   名古屋地方検察庁及び名古屋市警察はこの事件を重視し、
   >   261名(その内朝連系145名)を検挙した。
   >
   >
   > ■ 舞鶴事件(1952 年7月8日)
   >
   >   6月25日、朝鮮人約180名が舞鶴飯野造船所に侵入しようとして、
   >   それを阻止しようとした所員に怪我を負わせた事件が発生した。
   >   7月8日にその事件の容疑者が舞鶴から綾部に逃走しようとしているのを警察が察知し、
   >   先回りして逮捕しようとしたところ、竹槍等で抵抗したため警官が発砲するなど
   >   大乱闘となった。
   >   双方合わせて27名の重軽傷者を出し、12名を逮捕した。
   >   同日午後5時ごろ、朝鮮人数十人が、棍棒、石、ノコギリを持ち
   >   「逮捕者を返せ」 と舞鶴西署に押しかけ同署のガラス数十枚を破り、
   >   警官ともみあいになり、8名を逮捕した。
   >
   >
   > ■ 五所川原税務署襲撃事件(1952年11月19日〜26 日)
   >
   >   1952年11月19日、仙台国税局は青森県内の警察官の協力を得て、
   >   青森県北津軽郡板柳町周辺の朝鮮人が経営する密造酒工場を摘発し、
   >   証拠物件を押収し、酒税法違反として45名を検挙した。
   >   そのとき、激しく妨害したので、朝鮮人7名が公務執行妨害の現行犯で逮捕された。
   >   これに対して朝鮮人は反発し、板柳地区警察署と五所川原税務署に
   >   連日抗議活動を行い、26日には、約60名の朝鮮人が五所川原税務署に押しかけて
   >   署内に乱入し、署内を占拠した。


 北朝鮮

   2002年9月20日 阿修羅
   北朝鮮を脱出した証言者によれば
   http://www.asyura2.com/2002/bd20/msg/191.html
   > 北朝鮮には「胎児生産部隊」というのがあって、彼女らは檻に入れられて
   > 妊娠しては胎児を取り出されるのだそうな。
   > そして胎児は加工されて金日成親子(日成・正日のことだろう)の精力剤になったり
   > 外貨稼ぎのためにこっそり輸出されたりするんだそうな。
   > また、ただの 「生産部隊」 には優れた外国人の子どもを産ませ
   > 子どもの頃に知能テストを行い、優秀なら特別教育を行いそうでない場合は
   > 売り飛ばすのだそうな。
   >
   > 強制収容所のスケッチはおぞましい限りだ。
   > どうも看守の兵隊たちとその士官たちには収容されている人々を
   > どうとでもしてよいことになっているようだ。
   > 食事をさせなかったり殺したりすることもあるようだ。
   > そもそも食事がほとんど出されないところもあるようだ。
   > 豚の糞から未消化のトウモロコシをかき集めて食べたりする人もいるらしい。
   > だから、日本人の考える懲役・禁固刑とは違い収容されること自体が処刑のようなものだ。
   > 私が見たほとんどの収容所のスケッチには下半身裸の兵隊たちが色々な格好や方法で
   > 女性たちを強姦している姿が描かれている。
   > また、収容所の兵隊たちは極めてサディスティックに女性を苦しめたり強姦したりする
   > いろいろな遊び方を開発し楽しんでいるそうで、絵でもいくつか紹介されている。
   > たとえば、極限まで飢えさせたしゃがんだ格好で縛られた全裸の女性の前に釣り糸で
   > カルビを吊るして釣りを楽しむ光景などである。
   > 人を棍棒などでなぐりつけるなど何でもないことのようだ。
   > 逆らえばすぐにでもボコボコにされるらしい。
   > また、軍事訓練のために囚人を森などに放ち狩りをすることもあるようだ。
   >
   > 体験談などの中には歯が抜け落ちてしわだらけになり老婆のようになった
   > 日本人妻の話などもある。
   > 十人くらいが日本人妻を代表して
   > 「 ここはわれわれには合わないので日本に帰して欲しい 」
   > と直訴したらブチこまれたそうな。
   > 70年代は日本人妻たちにとっては受難の時代だったらしい。
   > それが90年代中ごろに日本と北朝鮮の関係が良くなってくると
   > 待遇はよくなったとも言われている。
   > 逆らったか態度が悪かったとかで何かの建物の中で兵隊に棍棒で思い切り
   > ボコボコ殴られ半殺しにされている日本人妻の絵もあったような気がする。
   > 北朝鮮ではこういう感じで人がなぐり殺されることは珍しくないようなことが書いてあった。


   2002 年9月22日 阿修羅
   「インサイド・ノースコリア」-北朝鮮 飢餓の実像-
   http://www.asyura2.com/2002/bd20/msg/210.html
   > 北朝鮮で生まれ育った青年「安哲」は、数年来の飢餓で両親を失い、
   > 止むなく難民として中国に逃れた。
   > 中国では親切な朝鮮族に匿われ、衣食住に困ることはなくなった。
   > だが、安哲は満足できなかった。
   >
   > 「 このままでは『飼い殺し』だ。
   >  北朝鮮が変わらない限り、どのみち俺は大手を振って生きては行けない。
   >  金正日や労働党の幹部たちは人々に餓死を強制しながら、
   >  自分たちは特権に胡座をかいて肥え太っている。
   >  あいつらに一矢報いるまでは、俺は死んでも死にきれない…… 」
   >
   > そんな思いが引き合わせたのか、われわれRENKは彼と出会い、夜を徹して語り合った。
   >
   > 「 北朝鮮の民主化のために、俺は何ができるのか 」
   >
   > 安哲の出した答えは、北朝鮮の民衆生活の実態を有無を言わさない形で明らかにし、
   > 国際的な注目を集めることだった。
   > 彼は自らの信念に従い、身の危険も顧みず、再び北朝鮮へと旅立った。
   >
   > このように、今回RENKが公開した映像、「インサイド・ノースコリア」は、
   > 北朝鮮民主化にかける安哲の信念と行動によってもたらされた。
   > もちろん、その信念や行動は、ひとり安哲だけのものではない。
   > これまで、独裁政権の下で無念の思いを呑み込んで倒れた人々。
   > 今もなお、抑圧と飢餓の中で生きのびようと必死に闘う人々。
   > こうした人々もまた、安哲と思いを同じくし、安哲の快挙を支えたのだ。
   >
   > P H O T O 解説
   >
   > 「インサイド・ノースコリア」-北朝鮮 飢餓の実像-
   >
   > VHS/40分
   >
   > 「チャン・マダン」 にたたずむ少年。 肌寒さをしのぐため、風呂敷をまとっている。
   > すっかり衰弱しきっており、「 年齢はいくつ? 」 との質問にも、こたえる元気すらない。
   > 立っているのがやっとの様子で、映像の中でも、何回もよろけていた。
   > 残念だが、おそらくもう今は生きていないだろう。
   >
   > 「チャン・マダン」 近くのドブで水をすくおうとする少女。
   > 衰弱のあまり、動作さえもぎこちない。
   > 栄養失調ため、髪の毛は色が抜け、パサパサになっていた。
   > 「 この水は飲めないよ。 病気になるからやめなさい 」
   > と言うと、泣きそうな顔で途方に暮れていた。
   >
   > 空腹を満たすため、食べ物を売る出店の前でクルミの殻を漁る少女。
   > 大人たちは長袖なのに、浮浪児たちは着たきりスズメの半袖、しかも裸足である。
   > しかし、食べ物を漁る元気があるのはましな方だ。
   > この直後、店番の大人から 「 あっちへ行け!」 と罵声が飛んだ。
   >
   > 浮浪児の少年の足もと。 やはり裸足である。
   > 靴など、売り喰いのタネはとうになくなってしまったのだろう。
   > 「チャン・マダン」 には、中国製の新品の靴をたくさん並べた出店があるが、
   > 浮浪児たちがその靴を履くことはあり得ない。
   >
   > 人民軍兵士らが出店で小宴を繰り広げるかたわら、兵士たちの食べ残しを口に運ぶ少年。
   > 食べているのはカニの足か。 兵士たちも痩せている。
   > 少年の頭が丸刈りになっているのは、当局が 「 見苦しい 」 と散髪をするためらしい。
   > 少女の場合は 「 おかっぱ 」 に刈られる。
   >
   > 北朝鮮住民の間では、「 チャン・マダンにないものはない 」 と言われている。
   > それを示すように、カラフルな製品を扱う出店がところ狭しと軒を連ねている。
   > しかし、製品のほとんどは中国製だという。
   > それにしても、国際的な援助物資はいったいどこに届いているのだろうか。
   >
   > 「チャン・マダン」 での雨宿りの最中に出会った少年の足元。
   > 彼は両親を飢餓で亡くし、その後兄とともに 「浮浪児(者)収容施設」 に収容された。
   > しかし、そこでも満足な食べ物などあるはずもなく、餓死を恐れ、
   > ふたたび 「チャン・マダン」 に舞い戻ってきた。
   > しかし、兄は依然、その施設にいるという。
   >
   > 先の少年の話では、件の 「浮浪児(者)収容施設」 は浮浪児(者)の激増に頭を痛めた
   > 金正日が 年の9月27日、指令を発して作らたという。
   > そこで、住民たちは通称「9・27施設」とか「9・27」と呼んでいるとのことだ。
   > 基本的には、使い用のなくなった国営の旅館が流用されていようだ。
   > 少年の話では、「9・27」における一日の食事は、朝夕二度のスプーン1〜2杯ほどの
   > トウモロコシ粥だけ。
   > 逃げ出そうと窓から飛び下りて死ぬ子供もいるという。
   > 被収容者にとっては、外出もままならず、また食糧も満足に与えられないと言う意味では、
   > 「絶滅収容所」 と言っても過言ではなかろう。
   >
   > 共同アパートに隣接する倉庫の屋上で日光浴をする大人たち。
   > 食糧がなくカロリーが不足するため、体内で熱を採ることができず、
   > 日光浴によって寒さをしのぐ。 家のある人もいれば、ホームレスの人もいる。
   > 撮影時期は秋口だったので、まだ日光浴も可能だったが、冬に入ればどうなるのか
   > ……


   2012年6月27日 DARKNESS
   北朝鮮が女性の売買を開始。20代美女370万円、追徴で8000万円
   http://www.bllackz.com/2012/06/203708000.html
   > 国が崩壊していけば、女性に人権などない。
   >
   > これは、世界中どこでも見られる原則だ。
   > 国が貧困に落ち、格差が広がり、生活できない国民が増えていけば行くほど、
   > 女性の人権は比例して無くなっていく。
   >
   > 貧困国では、女性は明確に「売り物」になっていくのだ。
   > アメリカは女性の人権が非常に重視されている国だが、そのアメリカでさえ
   > 貧困に落ちた女性を食い物にして人身売買されている。
   >
   > 女性の人権は、まさに平和と比例していて、
   > 平和がなくなれば女性の人権もなくなってしまうのである。
   >
   >
   > 女性を売り始める「事業」
   >
   > 北朝鮮ではもともと人権などない史上最悪の国家、アジアでもっとも存在が許されない
   > 極悪国家である。
   >
   > この国家がいよいよ1つの国家事業として女性を売り始める「事業」を推進しているという
   > 記事が中央日報で報道されていた。
   >
   >  北朝鮮、外貨稼ぎのため美女を国際結婚へ
   >  2012年06月14日15時06分
   >  北朝鮮が外資誘致を名分に、中国に居住する中国人や外国人事業家に
   >  北朝鮮女性との国際結婚を奨励する動きを見せている。
   >  「美人計」を前面に出した国際結婚を国家的な事業として推進しているのだ。
   >  12日のNK知識人連帯によると、北朝鮮の美女との結婚を望む人は、
   >  北朝鮮に結婚承認のための費用を前払いしなければならない。
   >  金額は中国人民元で約30万元(約370万円)だ。
   >  これを入金すれば、北朝鮮国家レベルで選抜されて教育を受けた美女と結婚できる。
   >  中国国籍の事業家や外国人の事業家が北朝鮮女性と姻戚関係になれば、
   >  北朝鮮政府は美女を前面に出しながら大小の事業の提案をする。
   >  事業名目の投資がない場合、100万ドル(約11億ウォン)の追加金額を追徴するという。
   >  北朝鮮と中国の国境地域を行き来しながら国際結婚業を担当しているある関係者は
   >  「 国際結婚をする北朝鮮女性は国と党レベルで選抜される 」
   >  とし
   >  「 主に労働党5課、中央党財政経理部職員選抜、最高司令部交換手選抜などの経路を
   >   通じて選抜募集された20歳代の美貌の女性 」
   >  と伝えた。
   >
   >
   > 美人計。 女を売って金を儲ける「戦法」
   >
   > 上記の記事をまとめると以下のようになる。
   >
   > ・ 北朝鮮の「美女」を売ります。
   > ・ 対象は中国人・外国人実業家。
   > ・ 前払い制。 370万円。
   > ・ 女性は教育を受けた美女。
   > ・ 北朝鮮で事業・投資をすることが必須。
   > ・ 事業がなければ8000万円を追徴。
   >
   > つまり、北朝鮮に投資してくれる中国人、もしくは外国人投資家に対して、
   > 女性を370万円で国家が売るということだ。
   >
   > こういうのを「人身売買」という。
   >
   > 結婚に名を借りた人身売買である。 他の国ではマフィアがやっているビジネスだ。
   >
   > 北朝鮮は偽札作りも麻薬製造も国家がやっているくらいだから、
   > 人身売買ビジネスも国家がやったところで驚きはないのかもしれない。
   >
   > それだけ追い詰められているということになるのだが、
   > 追い詰められれば国家が女性を売ってもいいという話には普通の国ではならないし、
   > そんな案が出た瞬間に政権は崩壊するだろう。
   >
   > 北朝鮮ではそうならない。
   > 国家を挙げて「美人売り」が事業として推進されて、それを「美人計」と称しているのである。
   >
   >
   > 「美人計」 とは何か。
   >
   > これは中国の兵法書である「兵法三十六計」から来ている「兵法=軍事戦略」のひとつだ。
   >
   > Wikipediaでは敗戦計(自国が圧倒的劣勢の場合に用いる奇策)について、
   > このように解説されている。
   >
   >  「 美人計 - 土地や金銀財宝ではなく、あえて美女を献上して敵の力を挫く 」
   >
   > 要するに、北朝鮮はもあまりに自国の窮状が極まってしまって、
   > これ以上どうしようもないから 「敗戦時の戦略」 のひとつとして、
   > 「美女を売り飛ばして金を儲ける」 兵法に出た、ということである。
   >
   >
   > これほどの異常な独裁政権がまだ存続している
   >
   > 北朝鮮の女性が370万円で売り出していて、それが高いか安いかは別に重要ではない。
   > 重要なのは、それは国家がやるべき 「事業」 なのかということだ。
   >
   > 「敗戦計」 だとか 「美人計」 だとか名付けられているが、要するに女性を売り飛ばすほど
   > 困っているというのが実態だ。
   >
   > 韓国も中国もアメリカも日本も、本当に北朝鮮の人たちのことを考えているのであれば、
   > もっと早く政権を打倒して国民を救済しなければならないはずだった。
   >
   > これほどの異常な独裁政権がまだ存続しているということがおかしい。
   >
   > しかし、北朝鮮が崩壊して東アジアが平和になってしまうと、アメリカは日韓に兵器を売る
   > 口実がなくなってしまう上に、「 誰が北朝鮮の国民の面倒を見るのか 」 という
   > 厄介な問題が発生する。
   >
   > 中国はあからさまに北朝鮮とは関わりたくない態度を見せているし、日本やアメリカに
   > 北朝鮮の面倒を見る義理はまったくない。
   >
   > それならば韓国が同じ民族として北朝鮮の国民を受け入れて支えるべきなのだろうが、
   > 経済優先や思想の相違があまりに違いすぎることからして、
   > まったく南北統一に乗り気ではない。
   >
   > 結局、国際政治の中で北朝鮮はゾンビのように生かされ続けて、
   > 国民だけが、真綿で首を絞められるように緩慢な死に向かっているのである。
   >
   > あげくの果てに、女性が売り物にされるようになった。
   >
   > しかし、中国と北朝鮮の国境では脱北した北朝鮮の女性が
   > 二束三文で中国農村に売り飛ばされているのだから、別に370万円を出して買う必要は
   > さらさらない。
   >
   > まして、その北朝鮮の「美女」はスパイではないという保証もないし、
   > 整形美女でないという保証もない。
   >
   > そして、そんな女性と関わったことで、あとから
   > 「強制売春だ、賠償だ」「謝罪と賠償を要求する」
   > という話にもなりかねない。
   >
   >
   > 北朝鮮だけではない
   >
   > 北朝鮮の人身売買はそれだけではない。 男も中国に強制労働者として派遣されている。
   >
   > 中朝国境に近い図們、琿春、丹東などが中心だが、
   > 中にはシベリア送りにされている労働者もいる。
   >
   > 中国に強制労働に派遣された北朝鮮労働者は12万人にもなるということだが、
   > その賃金の7割は国家が収奪しているのだという。
   >
   > もっとも、この他にも現場のボスにも搾取されているようで、きつい強制収容で手に入るのは
   > ほんの1割の賃金でしかないとも言われている。
   >
   > まさに人権も何もない猛烈な強制労働・搾取国家である。
   > しかし、それが北朝鮮の重要な外貨獲得の資金源になっており、
   > 今後も是正されることは100%あり得ない。
   >
   > 北朝鮮の金正恩政権は、そうやって獲得した資金で何をしているのかというと、
   > 敵国に「無慈悲な攻撃」をするために、ミサイルを作っているのである。
   >
   > そして、打ち上げに失敗して関連費合わせて約1600億円を吹っ飛ばした。
   >
   > それでも金正恩政権は、まだ吹き飛んでいない。 反省すらない。
   >
   > そんな国家なのだから、男性女性を問わず自国の国民を人身売買するくらいは
   > 恐らく何ともないのだろう。
   >
   > これからさらに北朝鮮は追い詰められるのだから、北朝鮮の女性は「国家戦略」として、
   > 堂々と売られていく。
   >
   > 国家が売るのか、マフィアが売るのかは別にして、女性はそうやって「売り物」になって、
   > マグロの切り身のように流通していく。
   >
   > 女性にとって、これほど悲惨なことがあるだろうか……。
   >
   > 繰り返すが、国家が崩壊していけば、どこの国でも国民は
   > このような事態に巻き込まれていく。 北朝鮮だけではない。
   >
   > 人間社会の普遍の法則でもあるかのように、
   > 女性は貧困社会・無法社会・崩壊社会の中では、売り物にされる。
   >
   > 国が崩壊していけば、女性に人権などない。
   >
   > 今回の北朝鮮の「美女売り」も、新しい例としてそれを証明したということだ。
   >
   《以下略》


  中国

   偽中華人民共和国の暴行展覧
   【戦時共軍の強姦、略奪および虐殺の行為】
   http://www.destroy-china.jp/index55j.htm

   《略》
   >
   > ソ連軍は中共軍とともに満州や北朝鮮の人々を強姦、略奪および虐殺の行為が始まった
   >
   > その後、中共はソ連に媚びへつらうた目に、ソ連軍の命令を従り、ソ連の「義挙」を賛成した。
   > 彼らはソ連軍とともに満州や北朝鮮の人々を強姦しまくっていた。
   >
   > 日本の連合軍への降伏により、日本軍は38度線を境に、
   > 南鮮はアメリカ軍、北鮮はソ連軍へ降伏するように指令された。
   > 南鮮の日本人は終戦の年の暮れまでにほとんどすべて引き揚げたが、
   > 北鮮では約31〜2万の日本人がそのまま残っていた。
   >
   > もともと北鮮に住んでいた27〜8万と、満州から戦火をさけて逃げてきた4万人である。
   > 北鮮にはいってきたソ連軍と中共軍は、満州におけると同様、略奪、放火、殺人、暴行、
   > 強姦をほしいままにし、在留日本人は一瞬にして奈落の底に投じられることになった。
   > 白昼、妻は夫の前で犯され、泣き叫ぶセーラー服の女学生は
   > ソ連軍と中共軍のトラックで集団的にら致された。
   > 反抗したもの、暴行を阻止しようとしたものは容赦なく射殺された。
   >
   > 満州奥地から引き揚げて来た人、ソ連軍と中共軍の侵攻と引き揚げが重なった人たちは
   > 悲惨だった。
   > ソ連兵、中共軍や現地の中国人は無抵抗の日本の民間人に掠奪と暴行の限りを加えた。
   > 集団は散り散りになり、飢えと疾病で多くの人の命が失われた。
   > 中でも日本人婦女子の惨状は想像を絶するものがあった。
   > 特にソ連兵は日本人の女性とみれば見さかいなく襲いかかった。
   > 殆どが銃口を突きつけての強姦、輪姦であり、その実態についての記録は
   > 数多く残されている。
   > ソ連兵は満州だけでなく欧州においても、現地の住民を対象にしたレイプで
   > 性欲を処理するのが慣行であった。
   >
   > ようやく満州から陸路朝鮮に入り、半島を南下するに際し
   > ここで再び現地人男性による凌辱が繰り返されたのである。
   > 不法妊娠者の数から医師の試算するところでは、被害者は少女から中年婦人に至るまで
   > 約5,000人に及んだと推定される。
   >
   [ 画像:中共軍に殺された一家 (略)
   >
   >
   > 福岡の旧二日市保養所、看護婦が体験を証言
   >
   > 終戦直後、中国大陸から引き揚げ途中に旧ソ連軍と中共軍から暴行を受け
   > 妊娠した女性の堕胎処置が行われた福岡県筑紫野市武蔵の「旧二日市保養所」跡地で
   > 十二日、供養が行われた。
   > 当時、看護婦として同保養所で働いた村石正子さん(71)が初めて参列し、
   > 自らの体験を涙ながらに語り、隠れた引き揚げ史を証言した。
   >
   > 「博多引揚援護局史」 などによると、旧二日市保養所は一九四六年三月に開設。
   > 患者総数は三百八十人、閉鎖までの治療日数は延べ七千九百八十一日を数えた。
   > 堕胎は、当時非合法だったこともあり、保養所の歴史はあまり語られず、
   > 引き揚げ史の中でも実態は詳しく分かっていない。
   >
   > 日赤看護婦だった村石さんは、四六年、同保養所で約三カ月勤務。
   > 「 堕胎は違法と知っていたが、心ならず妊娠した女性は故郷にも帰れなかった。
   >  ただ救いたい、という一心だった 」
   > と当時の様子を証言した。
   >
   > 処置後、「悔しい」という言葉を残して亡くなった十七歳の師範学校女生徒のことなどを
   > 思いだすにつけ、村石さんは自分の過去に苦しめられたが、五十年余りがたち
   > 「 歴史の一ページとして証言しなければならない 」
   > と思ったという。
   >
   > 現在特別養護老人ホームがある同保養所跡には八一年、福岡市の医師が石碑を建立。
   > 以来、ホーム側が毎年、供養を続けている。
   > 証言を聞いた住民グループ「戦後五十年筑紫野語ろう会」の田辺幸子代表は
   > 「 万感迫るものを感じた。 ほかの引き揚げ地でも同じことがあったはず 」
   > と指摘。
   >
   > 供養を主催した一人の済生会二日市病院の水田耕二院長らは
   > 「 悲惨な歴史を明らかにすることが、生まれてこなかった子供たちのためにもなる 」
   > として、旧二日市保養所の実態解明を続けることにしている。
   >
   >
   > 尼港(ニコライエフスク港)事件について
   >
   > (前略)
   > ところが結局この121名は投獄され、食事もろくに与えられず日本の救援軍に対する
   > 防御陣地構築に駆り出された後、零下30度のアドミラル河岸で両手を針金で後ろ手に
   > 縛られたまま共産軍によって次々と虐殺された。
   > 残された在留日本人も(この人達は当時商社などに勤めていた一般市民である)、
   > 多くが共産パルチザンの手で惨殺された。
   > この惨殺には、中国人と朝鮮人も加わり、日本人の死体の指を切り落として指輪を奪い、
   > 斧を振るって頭部を砕き金歯を奪って行ったと言う。
   > 以上は、中国人の妻となっていたため難を逃れた日本女性など生き残った人の証言、及び
   > 救援軍によって掘り出された
   > 戦没将兵の手帳にある戦闘記録による。
   >
   > また誌面に限りがあるので書ききれないが、満州から引き上げてくる無防備な
   > 日本開拓団の人々に対し、ロシア兵も八路軍(中国共産党軍)も朝鮮八路軍(注)も
   > 暴虐の限りを尽くしている。
   > 後からやって来た国民党の正規軍も格好は良かったが、賄賂や婦女暴行は
   > 日常茶飯事だったという。
   > 筆者の親戚に何度か捕らえられたが脱走し、最後には親切な中国人にかくまわれて
   > 奇跡的に一命を取り留めた人がおり、詳しい手記を残している。
   >
   > 日本女性を連れ去って強姦する、それから中国残留孤児には 「 父親とはぐれ 」 と言うのが
   > 良くあるが、これははぐれたのではない。 父親は連行されて虐殺されたのである。
   > この親戚は、中国共産党軍が、開拓団の団長や日本の官吏であった人々を、
   > 川原に引き出して銃で撃った上、銃剣で蜂の巣のように突き刺したり、
   > 首だけ出して生き埋めにしておいて、死ぬまで軍靴で顔面を蹴り、なぶり殺しにする所を
   > その目で見たと書いている (原文には犠牲者の名前も書いてある)。
   >
   >
   > 中共兵に強姦された女性
   >
   > 「 敗戦の翌年の2月、ソ連兵が日本軍の捕虜を連れて引き上げると、
   >  入れ代わりに国民党が共産軍と戦うために入ってきて、またしても戦争です。
   >  大勢の日本女性が殴られ、仕方なく妓女にされました。
   >  私は国民党軍の師団長に脅迫されてとらわれの身となり、乱暴されました。」
   > ( 「女たちの太平洋戦争T」 朝日新聞社 )
   >
   > 「 列車は臨時停車し、そのたびに八路軍兵士が復員者の携帯している貴重品などを
   >  強奪する。
   >  ・・・そして、彼女らは兵士に列車から引き降ろされて、
   >  ・・・連行されたところは元の天津で、『妓女戸』と呼ばれる慰安所であった。
   >  彼女たちはここで約2年、八路軍兵士のために、日夜働かされた・」
   > ( 富沢繁編 「女たちの戦争よもやま物語」 光人社 )
   >
   > 「 応城でのこと、一人の慰安婦が新四軍(中共軍)に拉致された。
   >  だが、運よく、日本憲兵隊で抑留していた新四軍の中隊長の妹と、
   >  その慰安婦を交換する交渉がまとまり、新溝かどこかの橋の上で相互に引き渡された。
   >  その折、慰安婦の話によると、向こう側でもやはり慰安婦をやらされたそうである。
   >  中共兵は行列を作って順番を待っているので一体、何人やらされるのかと勘定したが、
   >  30人ほど教えて面倒臭くなってよしたそうだ。
   >  中共兵は切符制なのに比べて、日本兵の場合はお金がないと遊べないから可哀想だと
   >  思ったという 」
   > ( 長沢健一著 「漢口慰安所」 )
   >
   [ 画像:中共軍に強姦された女性 (略)
   >
   >
   > 長春包囲戦
   >
   > 長春包囲戦とは、中国国民党軍によって守られた長春市(新京)に対して
   > 中共軍によって行われた包囲作戦(兵糧攻め)のことである。
   > 1947年5月23日から10月19日までの150日間続いた。
   > 長春包囲戦は遼瀋戦役の一部であり、長春の陥落は遼瀋戦役の第一段階の終了を
   > 意味していた。
   >
   > 1947年5月23日、中共軍は国民党軍に守られた長春に対して包囲を敷き始め、
   > 空輸を停止した。
   > 包囲の間、中共軍は林彪によって指揮されていた。
   > 林ははじめ、4月に長春を攻撃するつもりであったが
   > 包囲が完成した後は彼の注意は他の都市へと移った。
   > 林は最終的に10月には長春を陥落させるつもりだった。
   > 毛沢東は林に先の都市では5カ月もかからなかったと林を嘲笑する電報を送り、
   > 林に錦州を攻めるよう命令した。
   >
   > その後錦州陥落の情報が長春に届き、国民党軍の指揮官の鄭洞国は
   > 大部分の幹部と共に中共軍に投降した。
   > この国民党軍第60軍および新第7軍の投降によって
   > 1947年10月19日に中共軍が長春に入り、150日に及ぶ包囲戦は終了した。
   > 鄭洞国らは毛個人の命令で中共軍のポストが与えられた。
   >
   > 包囲の間、中共軍は役に立つ人以外は一切外に出さず、密輸者は即座に銃殺するほど
   > 徹底的に兵糧攻め作戦を行い、その結果市内では餓死者が続出した。
   > 最終的な餓死者は33万人に達し、国民党軍が降伏する間の5か月間に
   > 50万人だった市内の人口は17万人にまで減少した。
   > 共産党の軍隊が市内に初めて入って見た光景は餓死者の死体の山だったという。
   >
   > 1989年8月、六四天安門事件の2カ月後に張正隆中佐が執筆した雪白血紅という本が
   > 「中国人民解放軍出版社」 によって出版された。
   > この本によると、長春包囲戦の間に150,000人の一般市民が餓死し、
   > 市から脱出しようとした一般人は国民党軍への食糧供給に圧力をかけるために
   > 追い返されたと記している。
   > 張中佐は中国革命が 「 コストに見合う価値がない 」 と考え、林彪軍の技術を
   > 毛沢東よりも優れていると称賛した。
   > 彼はまた、中国共産党幹部は国共内戦の間にアヘン取引で私腹を肥やしたと主張した。
   > 楊尚昆は雪白血紅が 「 共産党を侮辱している 」 と述べ、1990年の春に
   > 雪白血紅を発禁とした。
   >
   >
   > 結論
   >
   > 統計による、強姦された中国人、日本人、満洲人と朝鮮人女性は三十万以上に至った。
   > 内戦のとき、共産党軍に残害された中国人は一億以上にいたったかもしれない。
   > しかし、これは共産党山積の暴行の一部だけです。


   2011年10月14日 真実が知りたい、真実を知って欲しい
   当時の中国兵の実態は、国際法なんて概念を持たない匪賊
   http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-244.html
   > 「満州国」 見聞録リットン調査団同行記/ハインリッヒ・シュネーより
   >
   > 『ハルビンでは次のような話が信用できるものとして流布していた。
   >  すなわち兵士の多くは、いつでも変えられる2種の腕章を持っている。
   >  彼らはあるときは、吉林軍すなわち 「満州国」 軍のしるしをつけ、
   >  また他の時には、反吉林軍、すなわち 「満州国」 軍および日本軍と敵対する
   >  中国軍のしるしをつけているというのだ。
   >  ここで問題になるのは伝統的な中国兵のあり方である。
   >  昔から中国に長いこと居住する欧州各国人の話によると、
   >  兵士は圧倒的に下層階級出身者が多かった。
   >  彼らは兵士も職業の一つと見なしていた。
   >  給料は月に2,3ドルに過ぎず、生計を保つのは難しく、金持ちになるためには
   >  戦利品を略奪するのが一番簡単であった。
   >  上流社会の中国人は一般に兵士を見下し、自ら軍隊に入ろうとはしなかった。
   >  古くからの考えによれば、軍隊に入るのは恥ずかしいことであった。 』
   >
   >
   > 暗黒大陸中国の真実/ラルフ・タウンゼントより
   >
   > 『 中国の家では昔から、できのよい子を一人選んで教育を受けさせた。
   >  勉強だけすればよく、家事などは一切免除である。
   >  そこで、肉体労働を「頭の悪いものがやる仕事」と極端に嫌う学者が育つという仕組みだ。
   >  金で解決できないものは無い、となる。兵役は最低の仕事である。
   >  むかしから
   >  「 良い鉄は釘にしない。 良い人間は兵にならない。 何になっても良いが、
   >   兵隊にだけはなるなよ 」
   >  と言われる。 中国軍を見ると妙に納得できる。』
   >
   > 『 それでは実績のある軍に入ったらどんな良い目ができるだろうか。
   >  殺し文句はこうである。
   >  「 一つ町を手に入れたら略奪は思いのまま、女も思いのまま 」
   >  これが中国人が考える 「ロメオとジュリエット」 である。
   >  これを目当てに新兵さんは鉄砲を担ぐ。 鉄砲が「食券」だ。
   >  さらに、遅れ気味ではあっても、寝返り防止に数ドルお手当ももらえる。
   >  大義名分まであるから言うこと無し。
   >  ただし、中身は学生のスローガンと何ら変わらない。
   >  お題目は立派でも悪事を働くのには変わりない。』
   >
   > 『 戦がまたいかにも中国的である。 最後まで戦うことはまず無い。
   >  戦闘参加人数に対して、戦死者は驚くほど少ない。
   >  たとえば、それぞれ5万人の兵力がぶつかる戦では、
   >  2,3百人ほどの戦死者が出たら 「勝負あった」 となる。
   >  兵士には敢闘精神が無い。
   >  日本人や欧米人とはちがって、「闘争心」 や 「何が何でも勝利を」 と言う気迫が無い。
   >  相手を倒そうという目的が全くない。
   >  所詮、食うためにたまたま軍隊に入ったのだから、弾に当たって命を落としたら
   >  元も子もない。 両軍ただにらみ合うだけである。
   >  もちろん前線では小競り合いがあり、犠牲者も少々出るが、
   >  本隊は相手が自陣に攻め込まない限り、数ヶ月ものらりくらりして、本格的攻撃はしない。
   >  (中略)
   >  もちろん3百万もの人間が戦えば
   >  ( 3百万とは大げさだが、理論的にはいくつもの集団が集まって
   >   戦闘に参加するのだからこういう数字になる )、
   >  多くの死者が出る。ところが兵隊の死者はごく少ない。
   >  ほとんどは戦場となった地域の住民である。 しかもほとんどが餓死である。
   >  米粒一つ残らず 「友軍」 に奪われるからである。』
   >
   > 『 荷物運搬用の牛馬の代わりになる苦力を大量に捕獲することが中国軍の「手」である。
   >  したがって軍が動くという噂が流れると、苦力でごった返していた通りがガランとなる。
   >  捕まったらどうなるか。 過酷な仕事をやらされる。 食事はもらえるかどうかわからない。
   >  兵の装備がまたお粗末なもので、街中で見かける宣伝用の兵隊は別として、
   >  食料はほとんど支給されない。
   >  したがって、行く先々で食券代わりに銃剣を振り回して糧秣を略奪する。
   >  銃を持たない苦力は食べ物を手に入れるのに実に苦労するが、兵隊は
   >  「 ご奉公してよかった 」 と思えるぐらいいっぱい食える。
   >  強制連行した苦力の扱いは残虐で目を覆うものがある。
   >  抵抗も何もしなくても、ただ 「殴って楽しむため」、混紡や銃で殴るのである。
   >  知り合いの領事から聞いた話だが、捕まった使用人の救出に赴いたそうである。
   >  歩行もままならぬよぼよぼの老人が、通りがかりの兵士に徴用され荷物運びを命じられ、
   >  何度棍棒で殴られても、荷物を肩に背負うことができない。
   >  兵士は面白半分、心行くまで殴ってから老人に手を貸して荷物を背負わせた。
   >  それからまた数発殴られ、よろよろ歩き出したそうである。
   >  苦力は実に悲惨である。 兵隊でさえいやがるところへ回される。
   >  もし 「敵方」(一時的に構想する、ならず者の集団)に捕まったら、
   >  強制されての従軍だと言うことは無視され、とにかく戦果を挙げるため射殺される。
   >  捕虜の圧倒的多数はこういう風に徴発された苦力である。
   >  戦闘機録にある 「捕獲捕虜」 とは 「敵方で虐殺されたもの」 と読み替えてよい。
   >  勝者の気分次第で敗者は 「屠殺」 されることがごく普通である。
   >  数百万単位の軍隊が抗争を断続的に繰り広げながら、捕虜収容所が全くないということは
   >  注目に値する。 捕虜の給食施設が全くないのだ。
   >  食料や施設が欠乏しており捕虜などに回す余裕などなく、万が一潤沢にあったとしても
   >  無用な敵に何かを提供するなど考えられない。
   >  謀略、裏切りは当たり前で、いずこの軍の歩哨も捕虜の脱走を手助けするような
   >  信用の置けない者ばかりである。』
   >
   > 以上
   >
   《以下略》


   2012年09月10日 中韓を知りすぎた男
   醜い中国人  近現代史NO44
   http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-940.html
   > 近現代史の旅44回目です。
   > 満州・支那事変をはじめとする日本の中国進出は中国のプロパガンダによって
   > 日本軍を侵略、略奪、虐殺の代名詞としてすり替えられ、今なお非難され続けていますが、
   > 全く逆です。
   >
   > 支那事変での中国軍は同胞である中国民衆を行く先々で強奪し、強姦し、
   > また大量殺害したのに対して、日本軍は中国軍が破壊と略奪したあとに行って
   > 彼らを救済していきました。
   >
   > 中国の軍隊というものは、古来から略奪と虐殺を行なう武装集団です。
   > 共産軍も国民党軍も、基本的にはルンペンの寄せ集めたような集団にすぎなかった。
   > 彼らが軍隊に入ったのは、占領地域で略奪、強姦が好き放題出来るためです。
   > そうしないと司令官が殺されてしまうからです。
   >
   > 支那事変における戦闘は、たいていの場合、
   > 日本軍が攻めると中国軍が撤退という形で進みました。
   > ですからたまの激戦地を除けば、日本軍の攻撃で亡くなった死者はそれほど多くありません。
   >
   > むしろ中国兵の死者の多くは中国人が中国人を殺したものでした。
   > 中国の軍隊というものは、兵士たちの後ろに 「督戦隊」 がいて、逃げる兵士がいると、
   > その兵士を撃ち殺したのです。
   >
   > 黄文雄氏によれば、
   > 「 日中戦争時の死傷者は、日本軍の攻撃によって亡くなった中国兵よりも、
   >  督戦隊に殺された中国兵たちのほうが多かったくらいだ 」
   > と言っています。
   >
   > 中国軍が通った地は略奪や強姦だけでなく、日本軍の進路を遅らせるために
   > 道路や橋、灌漑施設、その他の施設を次々に破壊していきました。
   > それによって中国経済は破壊され、農業も工業も致命的な被害を受けました。
   >
   > 1938年「国共合作」により共産軍と組んで日本を攻撃した蒋介石の軍隊は
   > 日本軍の進撃の道をはばもうと,黄河の堤防を爆破しました。
   > そのために4千の村が水没し、水死者100万人、その他の被害者600万人という
   > 大惨事となりました。
   >
   > その惨状を見た当時のアメリカ人記者は、
   > 「 道端には凍死者と餓死者があふれ、飢えた人々は死体の肉を食べていた 」
   > と報じています。
   >
   > 堤防決壊の直後、日本軍は堤防の修復作業を行っただけでなく、被災した民衆の救助と、
   > 防疫作業を行いました。
   > 日本軍は中国軍から虫けらのように扱われた中国民衆を、必死になって救済したのです。
   >
   > 中国側はまた、事件直後から、堤防決壊を日本軍のしわざとして宣伝しましたが、
   > この自作自演は外国人記者に見破られています。
   >
   > 日本軍は中国住民の救済、治安維持、戦災復興などにとりくんだので、
   > それまで軍隊とは匪賊にすぎないと思っていた中国民衆は驚き、
   > 日本軍を熱烈に歓迎しました。
   > 統率が取れ、略奪や悪事を働かず、民衆を救う軍隊というものを、
   > 彼らは生まれて初めて見たからです。
   >
   > 中国人民の本当の敵は、日本軍でなく、中国軍だったのです。
   > もともとソ連やアメリカの謀略によって中国内戦に引きずり込まれただけで、
   > 断じて中国を自分の領土とするために侵略したのではありません。
   >
   > 日本は中国の領土保全を掲げ、誰からも侵略されない、
   > 中国人による中国人のための国家の誕生を目指したのです。
   > 中国人民軍の本当の敵は、日本軍ではなく、中国軍だったのです。
   >
   > 蒋介石の国民党軍も毛沢東の共産軍も、その頭の中にあったのは中国人民のことでなく、
   > 権力奪取のみでした。
   >
   > 「 中国の5000年の歴史は 「人殺し文化」 です。
   >  唐の黄巣の乱、明の李自成や帳献忠の物語でも読めば、
   >  中国の人殺しの文化様式を理解できる。
   >  中国式は残忍だ、頭に穴を開け、目をえぐり,鼻や耳をそぎ,皮をはぐ 」
   >
   > と黄文雄氏は言っています。
   >
   > また黄文雄氏は
   >
   > 「 南京大虐殺の記念館には、日本兵が人間の肝を食っている模型が展示されているが、
   >  人食いも中国の食文化としてのカニバリズム嗜好であり、
   >  日本軍の兵士が実際に行ったことではない。
   >  明の李時珍の 「本草綱目」 に薬用効果があるとして載せられている。
   >  ほかにも銃剣で嬰児を串刺しにしたりする日本軍の描写は、
   >  いずれも中国の戦争話によく出てくるもので、晋書の「呂隆」「呂光伝」や
   >  明史の「帳献忠伝」あたりをコピーしたものだろう。
   >  日本軍の虐殺の記述は、事実に基づいたものでなく、
   >  中国歴代の王朝が交代するときに行われた虐殺の歴史から焼き直したり、
   >  引き移したりしたものばかりなのである 」
   >
   > と黄文雄氏は言っています。
   >
   >
   > ユン・チアンの著書 「マオ、誰も知らなかった毛沢東」 には次のような恐ろしい場面が
   > 記述されています。
   >
   > 「 ある若いイギリス女性は、北京の中心部で行われた集会を目撃した。
   >  約200人が街路を引き回されたあと頭を打ち抜かれて処刑され、
   >  脳みそが見物人のところまで飛び散った。
   >  死体を積んだトラックが血をしたたらせながら街路を往来していた 」
   >
   > 「 27年に渡った毛沢東の支配下において、殺戮された数は総計で2700万人に達すると
   >  思われる 」 (ユン・チアン)
   >
   > およそ、今までの中国人を、もっともひどく痛めつけたのは、
   > 外国人ではなく、同じ中国人である。
   > いつも中国人を裏切るのは、他でもなく、同じ中国人自身である。
   > 中国人を地獄まで陥れるのは外国人でなく、やはり中国人である。(黄文雄氏)
   >
   > 我々日本人は隣に住んでいる中国人がいかに残忍で残酷で、また大嘘つきで
   > 自分たちの罪を平気で他人に擦りつける民族であること、
   > そして日本人の理解をはるかに超えた野獣人であることを 肝に銘じなければならない。


   2013年9月13日 nozawa22 New!
   「通州事件」日本軍全滅、中国軍の略奪、暴行、強姦惨状
   http://new22nozawa.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-ed67.html
   > 日本と中国がなぜイガミ合うのか、さかのぼって中国、日本の歴史を知らないと、
   > よくわからない。
   > 靖国史観でも、自虐史観でもなく、中国人を憎む材料として、書くつもりはない。
   > 客観的に日中に起きた事件を見てみる。
   > 人間とは、こういうことが、一定の条件下ではいつでも起こり得るのだ。
   >
   > 私たちは、中国と日本がこの満州事変(昭和6年)以来、
   > 盧溝橋事件(昭和12年)の混乱を経て、宣戦布告なしに日中戦争(支那事変)、
   > そしてアメリカとの太平洋戦争への過程をとる。
   > 日本の考え方を総括して、学校や教科書で学んだ記憶がない。
   > 戦後日本は、国民になにも情報の伝達が行われていない。
   > 黙して、戦争経験を墓へ持ち込む旧兵士の祖父たちの姿が、それだろか。
   >
   > 今、日本人は、自らの力で知るしかない。
   > 客観的に正確な情報を拾い上げて、「通州事件」を調べてみたい。
   > そして、「南京虐殺」を中国側がどう加工したのか、あるいは、日本兵の個々の行為か、
   > 軍主体の考えで行われたか、それを(日中の争いにすることなく)検証したい。
   >
   > 「南京の大虐殺」は、東京裁判で取り上げられて以来、日本人のやった事件として
   > 喧伝されて、敗戦後の日本国民に大きな負い目になっている。
   > 部分部分では、兵士の告白で伝えられているが、
   > その実体は、全体でどう位置づけされるか・・・
   >
   > その虐殺事件の追求で、本当の戦いの意味が、あいまいにされる危惧があるが、
   > そのような戦に陥ったものを逃さないで、日中戦争への道のりの重要ポイントの一つ
   > 「通州事件」 を書いてみたい。
   >
   > 冀東(きとう)防共自治政府のある 「通州」 とは、満州に接する中国の一地域である。
   > そこは、北平(現:北京市)の東約12kmにあった通県(現:北京市通州区北部)の中心都市で、
   > 日本人を妻とする殷汝耕が、南京政府から離脱して(親日的な)
   > 「冀東(きとう)防共自治政府」 を設立した。
   > また、北京議定書に基づき、欧米列強同様に日本軍が邦人居留民保護の目的で
   > 駐留していた。
   > ( 北京議定書:1901年9月7日に調印された、列国と清国・義和団との戦闘の
   >          事後処理に関する最終議定書。
   >          日本の正式名称は、「北清事変に関する最終議定書」である。)
   >
   > 1937年(昭和12年)7月29日に中国の通州において
   > 冀東(きとう)防共自治政府の保安隊(中国人部隊)と自警団グループが、
   > 租界となっている地区へ入り、日本軍部隊・特務機関及び日本人居留民を襲撃し、
   > 大量虐殺した事件。
   > 日本軍は壊滅し、日本人居留民の385名のうち223名が虐殺され、
   > 女性はほとんど強姦されて殺害され、殺害方法も猟奇的なものが多かった。
   > また朝鮮人慰安婦も殺害されている。
   >
   > この事件を中国人の妻(日本人)が、中国人群集の中にまぎれて見ていて、
   > 手記という体裁で、YouTubeに掲載されている。
   > 中国人の夫は、大阪にいて、口八丁手八丁で面白い人であると思って、
   > 冗談で 「 妻になってくれ 」 「 いいよ 」 と言い合う仲になっていたところ、
   > 友人を仲人にして結婚を申し込みに来て、前借金を清算して、強引に結婚して
   > 中国へわたる。
   >
   > (中略)
   >
   通州事件の真実 Sさんの体験談 1/5
   http://youtu.be/U7vJtEzXog ( 消えています )
   >
   > 日本兵が駐屯して景気がよさそうだということで、通州へ引越して
   > 日本兵と親しく日本語をつかって、信用され御用聞きのような商売をしていた。
   > ところが、昭和11年頃から、抗日、反日機運が高まっていて、
   > 夫Tさんが 「 日本語を使うな、中国人のように振舞え 」 と、
   > 中国人社会で浮き上がらないように仕向け始めた。
   > その頃から、日本兵舎には近づかないようにした。
   >
   通州事件の真実 Sさんの体験談 2/5
   http://youtu.be/8lFoaBcKAPY
   480x360
   
   >
   通州事件の真実 Sさんの体験談 3/5
   http://youtu.be/D11JzEsu5hc
   480x360
   
   >
   通州事件の真実 Sさんの体験談 4/5
   http://youtu.be/xpv2a9s_mfU
   480x360
   
   >
   通州事件の真実 Sさんの体験談 5/5
   http://youtu.be/WcINl5PCAMA
   480x360
   
   >
   > 「通州事件の真実」 は、Sさん個人的な体験であるが、その裏に、蒋介石の国民党軍と
   > 中国人民の反日意識の高まりと浸透の徹底である。
   > 中国人社会に反日機運が横溢して、日本人に近づくと中国人から敵視される雰囲気が
   > 昭和11年頃から高まって、昭和12年の盧溝橋事件が勃発し、巧みな挑発や宣伝放送などに
   > 乗せられた中国人、親日政府軍が国民軍の誘導で、一気に火がついたように暴動になる。
   >
   > 1937年(昭和12年)
   > 7月 7日(盧溝橋事件)に中国軍による駐留日本軍への銃撃に端を発し、
   >     宋哲元の第二十九軍と日本軍が衝突した。
   >     まもなく停戦協定が結ばれたが、日本人大量虐殺事件がおきる。
   > 7月13日に再び日本軍に銃撃する事件が起きて(大紅門事件)、
   > 7月25日に三度日本軍に攻撃を仕掛け(廊坊事件)、
   > 続く7月26日にも日本軍に攻撃を加えた(広安門事件)。
   >
   > そして、「通州事件」
   > 7月29日早朝2時、異様な音が響いてきて、日本人妻Sさんは、夫に促され、
   > 事件現場に駆けつける。 野次馬の一人になって見守る。
   >
   > 見たのは、15歳くらいの少女が連れ出され、その子が裸にされ
   > 今にも犯されそうになったとき、父親らしい男の人が出てきて、裸の少女の上の被さると、
   > 中国民兵はその父親の頭を銃の台尻で殴ると、父親の頭蓋はくだけて、脳漿が飛び出す。
   > その後、娘の陰部を銃で刺し、腹を刺し・・・
   >
   > おばあさんが逃げ出してくると、それを保安隊の青年が追いかけて、捕まえてきりつけるが、
   > 失敗して肩を切る。 そののちに首を切る。
   >
   > 成人女性二人が連れ出され、一人は反抗してセックスを許さず、切り殺すが
   > 声も出さず倒れる。
   > もう一人は、衆人環視の中で、セックスを一人、二人、三人、四人と・・・その後、殺された。
   > 腹を切り、陰部の箒状の木を立てる。
   >
   > 妊婦が連れ出される。 抵抗もせずに無言で立っている。
   > 夫と目される男が抵抗して殺されたあと、妊婦は腹を切り裂かれ、胎児を取り出し、
   > 踏み潰す。
   >
   > 男性は、剣道の有段者らしく、木刀で立ち向かい、相手の中国人の肩口を打ちのめし、
   > 数人倒したが、後ろから切りつけられて、倒れるとむちゃくちゃにされて、殺されたあと、
   > 腸をを引き出して、10メートルも引き出したあと、十数cmに切り刻み、投げつけたり、
   > 持って帰った ( 食べたのだろうか )。
   >
   > もう、見るに耐えられなくて、帰ろうとしたら、その途中で、人だかりがあった。
   > そこでは、裸にされた男四、五十が集められて、中国人民軍の機関銃で一斉殺人、
   > 死んだあと確認のためにその死体の上に上がって、ケリ飛ばして少しでも動いたら、
   > 青龍刀で留めを刺す。
   > 兵士たちが帰ったあと、取り巻いた民衆が死体の集まり、
   > 身につけてパンツ等をはがし始めた。
   >
   > もういやだ、日本人が殺されるのを見るのは、いやだと思って、
   > 夫のTサンを引っ張って帰ろうとおもったら、手の平にアナをあけて、
   > 針金状のものでつなぎ、十数人の日本人が連れ出されてきた。
   >
   > 回りに中国人がいるときに、
   > 「(日本人が可哀想だから)見たくない」
   > とか、中国に聞こえると、ヘンに思われる。
   > だから、次々と青龍刀で切りつけ殺す姿を最後まで見てしまった。
   >
   > 夫Tさん、親切であったが、日本人を殺すシーンを見ていて、彼との違和感を感じて、
   > その後、離婚して日本に帰った。
   >
   > という話を朗読する長いYouTubeであった。
   > 詳細を記憶だけで書いたので、勘違い部分があるかもしれないので、
   > 各自でYouTubeをごらんになって、ご確認ください。
   >
   > 「通州事件」の背景にあるのは、昭和12年7月7日に盧溝橋事件が勃発すると、
   > 冀東(きとう)防共自治政府保安隊は支那の抗日第二十九軍の開戦に呼応して
   > 通州で決起するよう指示をうけ、第二十九軍の戦闘序列に編入し、そして保安隊は
   > 通州城に集結していた。
   > 抗日が高まると、自治政府保安隊を防共軍として育成し、親日勢力の拡大を図っていたが、
   > 同じ中国民として、密かに抗日勢力の団結始めたと考えられる。
   >
   > 7月25日の廊坊事件翌日の26日、日本側は中国軍宝通寺部隊に対して、
   > 「北京への撤退を求める」最後通告を行ったが、中国軍からの回答はなかったため、
   > 7月27日早朝、日本軍は攻撃を開始、正午までに宝通寺部隊は潰滅した。
   > 中国軍宝通寺部隊攻撃に援軍としてでかけた留守の通州基地(租界)を
   > 中国軍が襲ったのだ。 
   >
   > 1937年7月27日に中華国民政府はラジオでデマ放送を行い、
   > 「 盧溝橋で日本軍は国民政府二十九軍に惨敗し、豊台と廊坊は中国軍が奪還した 」、
   > 続き
   > 「 最近北京における軍事会議の結果、?委員長は近く二十九軍を提げて、
   >  大挙冀東を攻撃し、偽都通州の敵を屠り、逆賊殷汝耕を血祭りにあげる 」
   > と、南京放送はデマを流した。
   > これを真に受けて、冀東(きとう)保安隊が日本人を襲撃することとなった。
   > 通州保安隊はすでに人民戦線運動の影響を受けていたため、
   > デマ放送で抗日態度を先鋭化させ、中国側に寝返った方が有利と判断した。
   > 冀東(きとう)防共自治政府保安隊の幹部張慶餘と張硯田は密かに第二十九軍と接触した。
   > 冀東(きとう)防共自治政府は、親日的な政府であったので、
   > 保安隊(中国人部隊)が襲ってくるとは日本軍は考えていなかったので油断していた。
   >
   > 通州の日本軍守備隊主力は、南苑攻撃に向かっていたため留守部隊であり、
   > 藤尾小隊40名、山田自動車中隊50名、憲兵、兵站兵器部を合わせて110名程度であった。
   > 一方、1937年7月29日午前2時、冀東(きとう)防共自治政府、中国保安隊3000人は
   > 午前二時に攻撃を開始、長官公署を襲って殷汝耕を拉致。
   > 保安隊の装備が遥かに優れていたため、日本軍守備隊、特務機関を襲撃、
   > 日本軍守備隊は死傷者が続出、通州特務機関は全滅。
   > 守備隊長藤尾心一中尉と通州特務機関長細木繁中佐も戦死。
   > 中国保安隊は恩賞に預かるため保安隊は手薄な日本守備隊を攻撃し、
   > 日本軍を全滅させると、日本人居留民の家を一軒残らず襲撃し略奪、暴行、強姦などを
   > 行なった。 在留日本人385名のうち、260名が惨殺事件。
   > しかしながら、日本の歴史家は、重視していないようだ。
   > 例えば岩波新書「満州事変から日中戦争へ」(加藤陽子著)では、
   > 中国への気遣いか、この事件については一切触れていない。
   >
   > 翌日7月30日、通州からの情報を聞きつけ、爆撃機が通州へ上空から攻撃に向かうと、
   > 中国兵は全員通州から脱走していた。
   > 日本軍戦闘機は、誤爆問題を起こし、味方であった冀東(きとう)防共自治政府保安隊に
   > 死者数名が出て、一層離反する一因にもなった。
   >
   > 7月30日午後通州に急行した天津歩兵隊長、及び支那駐屯歩兵第2連隊長の萱島高の
   > 証言によれば、
   > 「 飲食店の旭軒では、40から17〜8歳までの女7、8名が強姦後、
   >  裸体で陰部を露出したまま射殺され、うち4、5名は陰部を銃剣で刺殺されていた。
   >  日本人男子の死体はほとんどすべてが首に縄をつけて引き回した跡があり、
   >  血潮は壁に散布し、言語に絶したもの 」
   > であった。
   >
   > 第2連隊歩兵隊長代理の桂鎮雄の証言によれば、
   > 「 旅館の近水楼では、入り口で女将らしき女性の遺体があり、
   >  着物がはがされ、銃剣で突き刺さされ、また陰部は刃物でえぐられていた。
   >  帳場配膳室での男性の遺体は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のように
   >  突き刺されていた。 女性遺体は裸体で、局部などに刺突の跡があった。
   >  カフェの裏で殺害された親子の子は、手の指を揃えて切断されていた。
   >  南城門の商店の男性遺体は、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた。」
   >
   > また支那駐屯歩兵第2連隊小隊長の桜井文雄の証言、
   > 「 守備隊の東門には、数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわっていた。
   >  鼻に針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の
   >  死体が、ゴミばこや壕から続々発見され、ある飲食店では一家全員が首と両手を
   >  切断され惨殺されていた。
   >  14、5歳以上の女性はほとんど強姦され殺害され、
   >  旭軒では陰部に箒を押し込んであったり、口に土砂をつめてあったり、
   >  腹を縦に断ち割った遺体があった。
   >  東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせて鉄線を貫き、6人数珠つなぎにして
   >  引き回された形跡のある死体もあり、池は血で赤くなっていた。」
   >
   《中略》
   >
   > 支那駐屯軍司令官香月清司中将の『支那事変回想録摘記』によれば、
   > 「 犠牲者は、日本人104名と朝鮮人108名で、
   >  殺害された朝鮮人の大多数はアヘン密貿易者、および慰安婦として
   >  在住未登録なりしもの 」
   > であった。
   > 信夫清三郎は、朝鮮人のアヘン密貿易者が多数いたことは、
   > 通州がアヘンをもってする中国毒化政策の重要な拠点であったことを示している、とした。
   >
   > 東京日日新聞(現「毎日新聞」)は、1937年7月31日付号外で
   > 「惨たる通州叛乱の真相 鬼畜も及ばぬ残虐」
   > と事件を報道した。
   > 日本共産党の創設に関わった山川均は、雑誌『改造』1937年(昭和12年)9月号に
   > 「支那軍の鬼畜性」と題し、
   > 「 鬼畜に等しい、残虐行為こそが、支那の新聞では(支那)国民感情の昂揚に
   >  役立っているのである 」
   > 「 通州事件もまた、ひとえに国民政府が抗日教育を普及し、抗日意識を植え付け、
   >  抗日感情を煽った結果である 」
   > 「 支那の抗日読本にも、日本人の鼻に針金を通せ、と書いてあるわけではない。
   >  しかし、人間の一皮下にかくれている鬼畜を排外主義と国民感情で煽動すると、
   >  鼻の孔に針金を通させることになる 」
   > と事件の残虐性と、中国の反日政策との関連について論評した
   >
   > 小林よしのりは通州事件によって当時の日本で反中感情の世論が巻き起こり、
   > 軍部支持に傾いたとした。
   >
   > また、江口圭一も
   > 「 通州事件は日本を逆上させ、暴支膺懲(ヨウチョウ)を加速し増幅させた。
   >  中国は通州での非行について高すぎる代償を支払わされることとなる 」
   > と記した。
   >
   《以下略》


   中国共産党の犯罪 三
   チベットへの侵略と虐殺
   http://dadao.kt.fc2.com/fanzui03.htm

   > ■ 有史以来一貫して独立国であったチベット
   >
   >   チベットには約2100年の歴史がある。
   >   とはいえ始めの数百年は神話と史実の境界が曖昧なので、
   >   チベットの歴史はソンツェン・ガンポが仏教に基礎をおく
   >   王国を築いた7世紀から語られることが一般的である。
   >   中国では唐王朝が栄えた時代だ。
   >   あろうことか中国では唐代よりチベットは中国の一部分であったという、
   >   それこそチベットの全歴史を否定するような歪曲を行っているが、
   >   西暦763年にチベットは唐の首都長安を占領し、一時的に
   >   唐はチベットの朝貢国になったこともある。
   >   今日まで続くダライラマ制度は17世紀に始まったもので、
   >   それ以来ダライラマは転生を繰り返して現在では14世に至っている。
   >   一般的な歴史観ではチベットは1727年に清朝の支配下に入ったとされる。
   >   しかし実際にはラサに駐蔵大臣2人を置いていただけで、
   >   現代で言う大使館を開設していたに過ぎない。
   >   チベットは英領インドと国境条約を結ぶなど一貫して独立国家として主権を行使してきた。
   >   20世紀前半当時、チベットは日本、中国、タイと並んで欧米の植民地化を免れた
   >   アジアでも数少ない独立国家のひとつであった。
   >
   >
   > ■ 中国共産党のチベット侵略戦争
   >
   >   1950年10月7日、中共軍がチベット東部へと侵略戦争を開始した。
   >   チベット国境警備隊と現地の義勇軍が抵抗したものの、武器・人員ともに圧倒的な
   >   中共軍を相手に退却を余儀なくされた。
   >   そもそも中共軍は100万の軍勢を有している一方で、チベット軍は8500人に過ぎない。
   >   始めから軍事力による勝敗は見えていた。
   >   1951年5月、北京でチベットと中国との交渉が行われた。
   >   チベットから北京に派遣された代表2人は交渉に赴いただけで、
   >   チベット政府から条約を締結する権利を与えられていなかった。
   >   だが中共の脅迫により強引に署名させられてしまった。
   >   こうして1951年5月23日、チベットの平和解放に関する十七か条協定が締結された。
   >
   >
   > ■ チベットが中華人民共和国の支配下に入ると早速チベット人と中国人の摩擦が激化した。
   >
   >   当時人口7万人のラサに2万人以上の人民解放軍が進駐し、
   >   ラサ市民は住宅と食料の提供を強制され、瞬く間に食糧難と猛烈なインフレが
   >   ラサを直撃した。
   >   チベットと中国を結ぶ道路建設には大量のチベット人が無報酬で強制労働をさせられ、
   >   数千人の命が奪われた。
   >   また、中国共産党はチベットの青少年に、チベットの宗教、文化、習慣を侮辱し、
   >   共産党を賛美する教育を強制した。
   >   チベット人の不満が日増しに高まる中、ダライラマ法王は1954年、北京を訪問し、
   >   毛沢東、周恩来、劉少奇、朱徳らと会談した。
   >   このときダライラマ法王は一筋の希望を見出し、中国との協調も本気で考えるように
   >   なったという。
   >   だがその後にチベットでは、人類がかつて経験したことがないような悲劇に
   >   直面するようになる。
   >
   >
   > ■ チベットへの弾圧強化
   >
   >   中国共産党の悪政、度重なる条約違反にチベット人の怒りは頂点に達していた。
   >   1958年以降、東チベットではカンパ族を中心に反乱が続発、これに対し中共軍は
   >   見せしめのため、何千という寺院や町を砲撃や爆撃で破壊、寺院の仏像や経典を
   >   容赦なく略奪した。
   >   東チベットのいたるところで中共軍による虐殺が行われた。
   >   以下に『中国はいかにチベットを侵略したか』から引用しよう。
   >
   >   「 妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。
   >    特に尊敬されている僧たちは狙いうちにされ、尼僧と性交を強いられたりもした。
   >    ある僧院は馬小屋にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。
   >    拒否した僧のあるものは腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。
   >    大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、
   >    馬や車で引きずり殺されていった。
   >    アムドでは高僧たちが散々殴打されて穴に放り込まれ、村人はそのうえに
   >    小便をかけるように命じられた。
   >    さらに高僧たちは 「霊力で穴から飛び上がって見せろ」 と中共兵に嘲られ、
   >    挙句に全員射殺された。
   >    おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれ、
   >    大勢の少年少女が家から追われて中共の学校や孤児院に強制収容されていった。
   >    貴重な仏像は冒涜され、その場で叩き壊されたり、中国本土へ持ち去られていったり
   >    した。
   >    経典類はトイレットペーパーにされた。
   >    僧院は馬や豚小屋にされるか、リタン僧院のように跡形もなく破壊されてしまった。
   >    リタン省長は村人の見守る中で拷問され、射殺された。
   >    何千人もの村民は強制労働に駆り出されそのまま行方不明になっていった。
   >    僧院長たちは自分の糞便をむりやり食わされ、「 仏陀はどうしたんだ?」 と
   >    中共兵に嘲られた 」
   >
   >
   > ■ ラサ動乱とダライラマ法王の亡命
   >
   >   1959年2月、中共はダライラマ法王を、3月10日に開催される観劇に招待した。
   >   その際、警備をつけないようにという注文をつけた。
   >   法王が拉致されるのではないかという不安が瞬く間にラサ市民の間に広がった。
   >   1959年3月10日、3万人のラサ市民が市の中心部にあるノルブリンガ宮殿に集結、
   >   人々は口々に 「 チベットに独立を、中国人は帰れ 」 とシュプレヒコールを叫んだ。
   >   法王は観劇への出席を取りやめることにしたが、大群衆はノルブリンガを去らなかった。
   >   これに対し中国共産党は軍を増強し、事態は一層緊迫の度を増した。
   >   3月16日、ダライラマ法王はついに決意して、一般庶民に変装してノルブリンガを脱出し、
   >   インドへ亡命した。
   >   3月19日、ついに悲劇は起きた。 中共軍はノルブリンガ宮殿に一斉に砲撃を開始。
   >   集中砲火は41時間継続し、宮殿は蜂の巣のように破壊され、何万人という民衆が
   >   虐殺されたのであった。
   >   3月28日にはチベット政府が完全に解散させられ、チベット自治区準備委員会に
   >   統治されることとなったのである。( チベット自治区は1965年に発足した )
   >   その後も中国共産党による残虐行為は絶え間なく続いた。
   >   1959年4月には「民主改革」運動が行われ、ありとあらゆるチベット人が
   >   摘発の対象となった。
   >   多くのチベット人が出頭を命ぜられ、投獄、殺害された。
   >   比較的軽いものでも数ヶ月間の洗脳教育を受けさせられた。
   >   以下はダライラマ法王が難民からの報告をもとにまとめたものである。
   >
   >   「 彼らは銃殺されたばかりでなく、死ぬまで鞭打たれたり、はりつけにされたり、
   >    生きながら焼かれた。
   >    溺死させられたり、生きたまま解剖されたり、餓死されたものもあった。
   >    絞め殺されたり、首をつって殺されたり、熱湯によるやけどで殺された。
   >    また、あるものは生き埋めにされたり、はらわたを取り除かれたり、首をきられたりして
   >    殺された。 こうした殺人行為はいずれも公衆の面前でなされた。
   >    村人たちはそれを見物するように強制された。
   >    自分の家族のものが強制されて見ているその目の前で、
   >    ゆっくりと殺されていったのである。
   >    さらに小さな子供たちは、その両親を射殺するように強制された 」
   >
   >
   > ■ 文化大革命
   >
   >   1966年5月にはチベットにも文化大革命の嵐が吹き荒れた。
   >   8月には紅衛兵の数は1万人に達し、最盛時には十数万に達した。
   >   紅衛兵は「四旧」を打破し、「四新」を建設しようというスローガンの名のもとに、
   >   数少なくなったチベットの寺院、文化施設を徹底的に破壊し、通りの名称を変更し、
   >   個人の家に入り込んで祭壇や民俗家具などをかたっぱしから壊しまわった。
   >   民族衣装を着ることもペットを飼うことも屋上で香をたくことも、伝統の模様を描くことも
   >   全て禁止された。
   >   宗教文献、写本、彫像などはあとかたもなく破壊された。
   >   チベット語も弾圧の対象となり、会話以外ではありとあらゆるチベット語の書物、
   >   教科書、が廃棄された。
   >   チベット語で印刷されたものといえば毛沢東語録と共産党の宣伝文書ぐらいに
   >   なってしまった。
   >   全ての僧侶は「反動分子」として扱われ、罪名を書いた板を首かけられ、
   >   市内を引き回された。
   >   チベットのありとあらゆるものが破壊された大混乱の10年間であった。
   >
   >
   > ■ 総括
   >
   >   1978年から始まった改革開放政策によって、中国共産党のチベットによる残虐行為は
   >   大幅に緩和された。
   >   しかし28年間にわたる中国共産党の支配は、2000年かけてチベット人が築き上げたものを
   >   根本から徹底的に破壊しつくしてしまった。
   >   6000箇所以上あった寺院はことごとく破壊され、完全な破壊を免れたのは8箇所であった
   >   (それとて全く被害がなかったわけではない)。
   >   虐殺、戦闘、飢餓によって120万人のチベット人が命を失った。
   >   チベットの人口の5分の1に相当する。
   >   ( 中共侵略前のチベットは貧しくはあったが、その歴史において
   >    飢餓を経験したことがなかった )。
   >
   >
   > ■ 今でも続く弾圧、文化破壊
   >
   >   改革開放以来、大規模な殺戮はなくなったし、仏教を信仰することも可能になったし、
   >   破壊された寺院の再建や修復も進んでいる。
   >   それでもチベット人に対する弾圧は依然として続いている。
   >   1989年にはラサでチベット人による大規模なデモが行われ、
   >   これに対し中共軍が数百人のチベット人を虐殺している
   >   ( そのときのチベット自治区の共産党書記は胡錦濤である )。
   >   現在でも数千人が政治犯として収容されていると言われている。
   >   ダライラマの写真やチベットの国旗を所持しているだけですぐさま摘発の対象となるほど
   >   自由は制限されている。
   >   ほかにも子供たちにダライラマ法王の写真を踏み絵さたり、
   >   中国共産党のイデオロギー教育を行うなど前近代的な植民地支配が継続されている。
   >   2006年10月にヒマラヤ山脈を越えてインドに亡命しようとしていたチベット人を
   >   人民解放軍が射殺した映像が世界に流れたのは記憶に新しい。
   >
   >   1995年には即位したばかりのパンチェンラマ11世を拉致監禁し、別のパンチェンラマを
   >   たてるという暴挙に出た。
   >   拉致されたゲンドゥン・チューキ・ニマ少年は当時6歳で、世界最年少の政治犯となった。
   >   ダライラマ法王は亡命から48年間、一度も祖国への帰還を果たしていない。
   >
   >   中国共産党は半世紀以上にわたる残虐行為を認めないどころか、
   >   「 かつてのチベットは5%の僧侶及び貴族、地主が、95%の奴隷を搾取していたが、
   >    中国共産党がチベットを平和解放し、チベットに幸福を繁栄をもたらした 」
   >   などというまるで幼児向けのアニメみたいなストーリーを「歴史」として宣伝している
   >   のだから開いた口が塞がらない。
   >   当然ダライラマ14世のことは分裂主義者、仏教秩序の破壊者として悪者扱いである
   >   ( ダライラマ14世は1989年にノーベル平和賞を受賞している )
   >   近年特に深刻なのは大量の中国人がチベットに入植していることである。
   >   もともとチベットの一部分であった青海省は今や中国人が多数派となっている。
   >   チベット自治区では今でもチベット人が多数派であるが、2006年7月の鉄道開通によって
   >   今後は自治区内にも大量の中国人が入植することが予想される。
   >   大規模な虐殺や破壊はなくなったが、今でも中国共産党によるチベット文化の破壊は
   >   着々と進んでいる。
   >   50年代から70年代にかけてチベット文化は徹底的に破壊されたが、
   >   さらに80年代にかけてチベットの中国化が強化されている。
   >   ラサ市街は今や社会主義国らしい地味な5階建てのコンクリート建築が並び、
   >   チベットらしさが失われてしまった。
   >   道路には北京路、福建路、解放路などの中国的な名称がつけられている。
   >
   《以下略》

 さすが特亜。 子供番組に登場する悪の組織が正義の味方に思えるほどの悪逆非道・外道っぷりで す。

 自分達がこれだけの悪行を積み重ねておいて、よくもまぁいけしゃあしゃあと日本軍の悪行 ( しか も、冤罪の可能性が大 ) を責め立てられるもんだな。

 こいつらが日本人と同じ“人類”に属するなんて信じられないわ。


 普遍的定期審査とは何か

 人権理事会は、2006年3月に国連総会で採択された「人権理事会」決議により、
 国連総会の下部機関として設置されました。
 国連における人権主流化の流れの中で、人権問題への対処能力を強化するため、
 従来の人権委員会に替えて新たに設置されました。
 ジュネーブにある国連欧州本部で開催されます。

 人権理事会は47ヶ国で構成されます。
 地域的配分は、アジア13、アフリカ13、ラテンアメリカ8、東欧6、西欧7となっています。
 2006年6月の第1回会合以来、理事会会合(通常会合と特別会合)や各種の作業部会
 (ワーキング・グループ)等を開催し、テーマ別及び国別の人権状況にかかる報告や審議を
 行ってきました。

 普遍的定期審査という制度が採用され、国連加盟国各国は4年に1回、人権状況を審査されます。
 理事国は任期中に優先的に審査されます。
 審査基準は、国連憲章、世界人権宣言、当該国が締結している人権条約、自発的誓約、
 適用されうる人権法です。

 審査は、次の3文書に基づいて行われます。

 @ 被審査国は、「ガイドライン」に基づいて20頁以内の報告書を作成し、
   人権高等弁務官事務所に提出します。

 A 人権高等弁務官事務所は、被審査国に関する条約機関及び特別手続による報告並びに
   関連する国連公用文書を編集した文書を準備します。

 B 人権高等弁務官事務所は、NGO等関係者が同事務所に提出した信憑性と信頼性のある
   情報を要約した文書を準備します。

 審査結果文書は人権理事会本会合で採択されます。
 結果文書は、勧告や結論と被審査国の自発的誓約から構成されます。


   [ 画像:書映 戸塚悦朗普遍的定期審査と勧告の意義 省略
   (引用元アドレスをご参照ください)


 「慰安婦」問題について国際法の下で日本政府に責任があることは、
 1996年のクマラスワミ報告書、1998年のマクドゥーガル報告書、
 2000年の女性国際戦犯法廷判決(2001年最終判決)によって明らかになっていましたが、

 

 明らかになんか成っていません。

 いずれも、自称元従軍慰安婦 ( 女性国際戦犯“法廷”に於いては、自称元従軍慰安婦プラス中帰連 所属の元日本兵 ) が吐く曖昧模糊とした雲を掴む様なあやふやな証言に対して何の検証も行わず (  証言内に生じている自己矛盾にさえ触れずに ) すべてを 「 正しい 」 として結論付けた物であり、被害 妄想患者の妄言を記録した書類と何も変わりません。

 そんなものが真実だというなら、私の家には数百台のスポーツカーを収納したガレージがあって、日 本中のマンションに数百名の女子高生が私の愛人として匿われており、私の日課は、スポーツカーで 愛人宅をハシゴして女子高生を性調教して回るということになってしまうぞ ( 書いていてちょっと虚しく なってしまった orz )。

 いい加減、バカバカしいことを主張しているって悟れ。



 日本政府はその後も、法的責任を認めず、今日に至っています。

 

 「 法的責任を認めろ!」というなら、法的な責任があるということを証明しなさい。

 個人としての将兵や将兵の小グループ、あるいは軍にコバンザメのように寄生していた業者による女 性への性暴行なんか有史に国家が誕生して以降、連綿と絶えることなく続いています。
 白々しく被害を訴える北朝鮮や韓国,中国に於いても大東亜戦争以前も以後も行われました。
 そしてその規模は、日本の慰安婦問題で証言されている妄言を全部鵜呑みにしたとしても足元にも 及ばない大規模かつ残虐なものです。

 したがって、これらの国々が 「 日本政府は、明治政府の領土拡大から大東亜戦争敗戦までの間に 慰安婦に対して行った『性奴隷化(w』や『性暴行』に対して謝罪と賠償をしろ 」 と主張するのであれ ば、最低限、自分達が犯して来た罪と異なる罪状でなくてはなりません。

 だからこそ、そうした『性奴隷化(w』や『性暴行』が旧日本軍および日本政府に命に基づいて行われ ていたと証明しなければならないのです。

 個人としての将兵や将兵の小グループ、あるいは軍にコバンザメのように寄生していた業者が旧日 本軍や日本政府の与り知らない所で勝手気ままに無辜の女性を『性奴隷化(w』したり『性暴行』を加え たりしたというだけでは、日本以外の国も当たり前の様に犯している罪であり、どこの国も謝罪だの賠 償だの、一切してはいません。

 韓国軍がベトナム戦争でやらかした身の毛もよだつ悪逆非道の限りでさえ、謝罪もしなければ賠償も していません。

 これで、「 法的責任を認めろ!」というのは無理です。



 この間、韓国、朝鮮、中国などの関係当事国が日本政府の法的責任を根拠に
 被害者への賠償等を求めてきました。
 また、アメリカ議会、EU議会なども日本政府に解決を求めてきました。

 

 はいはい、わろすわろす。  どいつもこいつも、どの面下げて言ってんだよ。

  韓国

   Wikipedia「韓国軍慰安婦」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦


   Wikipedia「ライダイハン」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/ライダイハン


   Wikipedia「在韓米軍慰安婦問題」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/在韓米軍慰安婦問題



  韓国と北朝鮮

   正論 2005 年 11 月号
   中国大陸と朝鮮半島から引揚げる日本人を襲ったのは、仲間であったはずの朝鮮人だった。
   http://www010.upp.so-net.ne.jp/japancia/kiji/hikiage.html


   2009-01-30 「通りすがりの三国人」による正しい歴史認識
   私はお布団の中で"朝鮮人"のおじさんに、とても痛くて気持ちの悪い事を
   色々と繰り返しされました。
   http://ameblo.jp/sinesayoku/entry-10200020210.html


   2012年 06月 30日 メディアをウォッチする
   無理な民族
   http://masugomisa.exblog.jp/15664995/


   日本人の記憶から特亜工作員により消された事実【朝鮮進駐軍】 @
   http://81.xmbs.jp/piroshigogo-203072-ch.php


   日本人の記憶から特亜工作員により消された事実【朝鮮進駐軍】 A
   http://81.xmbs.jp/piroshigogo-232110-ch.php?guid=on


   日本人の記憶から特亜工作員により消された事実【朝鮮進駐軍】 B
   http://81.xmbs.jp/piroshigogo-232111-ch.php?guid=on


 北朝鮮

   wikipedia「朝鮮民主主義人民共和国
   http://ja.wikipedia.org/wiki/朝鮮民主主義人民共和国 - 4.4 人権問題


   wikipedia「北朝鮮人権問題」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/北朝鮮人権問題


   2006年05月14日 Joongang Ilbo 中央日報
   「北朝鮮の人、鶏を殺すよりも簡単」人権問題が深刻
   http://japanese.joins.com/article/690/75690.html ( 魚拓 )


   2012年06月29日 Joongang Ilbo 中央日報
   「北朝鮮、今年も最悪中の最悪の人権弾圧国」
   http://japanese.joins.com/article/618/154618.html ( 魚拓 )


   2013年10月25日 msn 産経ニュース
   北人権違反「衝撃的な証言だった」 国連調査委が英で会見
   http://sankei.jp.msn.com/world/news/131025/kor13102523120004-n1.htm ( 魚拓 )


   2013年10月31日 msn 産経ニュース
   弟2人ら餓死し自身は拷問 北の人権問題で在米脱北女性ら国連で証言
   http://sankei.jp.msn.com/world/news/131031/erp13103111310003-n1.htm ( 魚拓 )


   2002年9月20日 阿修羅
   北朝鮮を脱出した証言者によれば
   http://www.asyura2.com/2002/bd20/msg/191.html


   2012年6月27日 DARKNESS
   北朝鮮が女性の売買を開始。20代美女370万円、追徴で8000万円
   http://www.bllackz.com/2012/06/203708000.html


  中国

   偽中華人民共和国の暴行展覧
   【戦時共軍の強姦、略奪および虐殺の行為】
   http://www.destroy-china.jp/index55j.htm


   2011年10月14日 真実が知りたい、真実を知って欲しい
   当時の中国兵の実態は、国際法なんて概念を持たない匪賊
   http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-244.html


   2012年09月10日 中韓を知りすぎた男
   醜い中国人  近現代史NO44
   http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-940.html


   2013年9月13日 nozawa22 New!
   「通州事件」日本軍全滅、中国軍の略奪、暴行、強姦惨状
   http://new22nozawa.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-ed67.html


   中国共産党の犯罪 三
   チベットへの侵略と虐殺
   http://dadao.kt.fc2.com/fanzui03.htm


 アメリカ

   2013年05月18日 千日ブログ 〜雑学とニュース〜
   米軍風俗拒否の一方で性的暴行3400件、イラクで3割レイプ・6割セクハラ
   http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-3354.html

   > 橋下徹大阪市長の提案に対しては、米軍がたいへん反発しています。
   >
   >   【橋下市長・風俗業者活用提案】米軍は買春拒否 政策に逆行と批判 
   >
   >   【ワシントン共同】
   >   米国防総省のリトル報道官は13日、橋下徹大阪市長が在日米軍に
   >   風俗業者の活用を求めたことについて、コメントしないと述べた上で、
   >   米軍が買春を拒否するのは「言うまでもない」と強調した。 記者団に語った。
   >
   >   在日米軍(司令部=東京・横田基地)の高官も共同通信に対し、
   >   橋下氏の発言は
   >   「 われわれが米兵に徹底させようとしている価値(観)と相いれない 」
   >   と批判。
   >   「 米国防総省の政策や米国の法律に逆行する 」
   >   とも述べた。
   >
   >   在日米軍は、沖縄県で昨年10月に起きた米兵2人による集団強姦致傷事件を受け、
   >   毎日午後11時から午前5時までの間、日本滞在の全米兵の外出を禁止するなどした。
   >
   >   在日米軍高官はこうした経緯を踏まえ、米軍の規律強化に取り組み、
   >   駐留先の市民らとの関係改善に努めると強調した。
   >
   >   (共同通信) http://www.47news.jp/47topics/e/241372.php
   >
   > ただ一方で、アメリカも米軍の性犯罪について、目をつぶってばかりはいられないところが
   > あるというのも事実だと思います。
   > 日本でも在日米軍による犯罪や問題行動が後を絶たないわけですが、
   > 他地域での米軍のニュースも目を疑うものがあります。
   >
   >   米軍で性的暴行3400件=オバマ大統領、怒り心頭
   >
   >   【ワシントン時事】
   >   米軍内で2012会計年度(2011年10月〜12年9月)の間に、
   >   3374件の性的暴行事件が認知されていたことが7日、国防総省の公表した
   >   年次報告書で分かった。
   >   オバマ大統領は記者会見で、性的暴行は「絶対に許さない」と強調し、
   >   綱紀粛正の徹底を約束した。
   >
   >   12年度の認知件数は前年度比で182件増。
   >   このほか、アンケート調査などから推計した「望まない性的接触」を経験した人数は、
   >   前回調査(10年度)時から6700人増え、2万6000人に達した。
   >
   >   (2013/05/08-09:59)
   >   http://www.jiji.com/jc/zc?k=201305/2013050800162&g=int ( 消えています・魚拓なし )
   >
   > こういうのを見ると、「米軍は軍人の性欲をコントロールできている」とは
   > 言い難いものがあります。
   >
   > 特に強烈なのが次の記事。
   >
   >   駐留部隊:米女性兵士の3割、軍内部でレイプ被害 
   >   毎日新聞 2013年03月19日 02時30分
   >
   >   米英軍主導の侵攻から20日で10年を迎えるイラクや
   >   国際部隊の駐留が続くアフガニスタンに派遣された米女性兵士延べ28万人の
   >   3割以上が、上官らから性的な暴行を受けていたことが分かり、
   >   米国内で「見えない戦争」と問題視されている。
   >   連邦上院の軍事委員会で13日、「軍内性的トラウマ(MST)」と呼ばれる
   >   心的ストレスに関する公聴会が初めて開かれた。
   >   新たな被害を恐れ沈黙を余儀なくされてきた被害者は「風穴が開いた」と歓迎している。
   >
   >   カリフォルニア州図書館調査局が昨年9月に発表した実態調査によると、
   >   イラクとアフガニスタンに派遣された女性兵士の33.5%が米軍内でレイプされ、
   >   63.8%が性的いやがらせを受けたと回答した。
   >   国防総省も問題を認めている。
   >   軍内での性的暴力は2010年だけで、男性の被害も含め推計1万9000件にのぼる。
   >
   >   http://mainichi.jp/select/news/20130319k0000m030127000c.html
   >   ( 消えています・魚拓なし )
   >
   > 異常な数字です。
   >
   >   上院公聴会で議長を務めたバーバラ・ボクサー議員は
   >   「 被害申告が出ているのは17%にすぎない 」
   >   と指摘。
   >   「 この問題の公聴会を開くのに10年もかかった。 変革の第一歩だ 」
   >   と意義を強調した。
   >
   >   イラク戦争中の03年にクウェートに派遣された前後に
   >   米国内基地で上官から性的暴力を受けたコーリン・ブッシュネルさん(39)は、
   >   公聴会をインターネットの生中継で見ながら
   >   「 草の根運動で長年取り組んできたことがようやく公に明るみに出た 」
   >   と興奮した。
   >   証言する予定だったが心的外傷後ストレス障害(PTSD)のため断念。
   >   議長の言葉に救われた思いがした。
   >
   >   クウェート派遣前に男性上官からレイプされ、
   >   帰還後に女性上官から性的暴力を受けた。
   >   「 上官を訴えても自分を助けてくれる人がいると思えなかった 」。
   >   精神的なバランスを崩し、06年に退役。
   >   2人の子供がいる家には帰れず、5年近くホームレス生活を続けた。
   >   「 自分が恥ずかしく、行く場所がなかった 」
   >
   >   05年のイラク派遣中に変死した女性米兵ラベナ・ジョンソンさんの両親が、
   >   自殺と断定した軍に「殺害された」と異議を唱えていることを知った。
   >   ジョンソンさんの遺体には、殴られ、レイプされたと見られる痕が残っていた。
   >   下士官時代のつらい記憶と重なり「彼女の無念を伝えるのが使命」と感じた。
   >   昨年夏から3カ月、全米12州の退役軍人組織を巡る行脚に出た。
   >
   > 性犯罪防止として性風俗の正当性を訴える言説には
   > 「 本当はレイプするところなのに、レイプしないでやっているのだ 」
   > といった認識が見え隠れして大嫌いなのですが、データ的に抑止効果があるのであれば
   > 真剣に検討することは悪ではないでしょう。
   >
   > 何かこのままだと、臭いものには蓋をして終わり……といった感じに見えなくもありません。
   >
   > ( 追記:日本以外の慰安婦問題 アメリカと韓国は第二次世界大戦後も利用を書いたところ、
   >     GHQ時代の性犯罪のデータもありました。慰安所の効果はある程度ありそうです )


   2013年05月29日 千日ブログ 〜雑学とニュース〜
   大戦中のアメリカ軍兵士、フランス人女性を性のはけ口とレイプの対象に
   http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-3411.html

   >   【ワシントンAFP=時事】
   >   米兵、仏女性を性的はけ口に=レイプも多発−大戦中の欧州
   >
   >   第2次世界大戦中、ノルマンディーに上陸しフランスに進撃した米軍兵士の多くが
   >   地元女性との性行為に躍起になり、トラブルの種になっていたことを示す研究書が
   >   米大学教授によってまとめられ、6月に刊行されることが分かった。
   >   ナチス・ドイツからの欧州解放の立役者となった米軍の影の部分に
   >   光を当てたものとして注目される。
   >
   >   この本は、米ウィスコンシン大学のメアリー・ロバーツ教授(歴史学)が著した
   >   「 兵士たちは何をしたのか−第2次大戦時のフランスにおける性と米兵 」。
   >   米仏両国の資料を分析したもので、同教授によれば、米軍進駐後のフランスでは、
   >   公園や廃虚などさまざまな場所で米兵が性行為を行っている姿が見られた。
   >   レイプも多発し、数百件が報告された。 米兵による買春もあった。
   >
   >   フランス女性たちは既婚者でも米兵にしつこく誘われ、ある住民は
   >   「 ドイツ占領中は男たちが隠れなければならなかったが、
   >    米兵が来た後は女性を隠さねばならない 」
   >   と言っていたという。
   >
   >   当時のある市長は駐留米軍幹部に苦情を寄せたが、問題は改善しなかった。
   >
   >   (2013/05/26-19:29)
   >   http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2013052600172 ( 消えています・魚拓なし )
   >
   > 上記はAFPを使ったものとありますが、そのAFPの日本語版もありますので、
   > そちらを直接見た方がより詳しいです。
   >
   >   「解放者」米兵、ノルマンディー住民にとっては「女性に飢えた荒くれ者」
   >   2013年05月27日 14:38 発信地:ワシントンD.C./米国
   > 
   >   【5月27日 AFP】
   >   6月に刊行予定の
   >   「 What Soldiers Do: Sex and the American GI in World War II France
   >    ( 兵士らは何をしたのか:第2次世界大戦中のフランスにおける性と米兵 ) 」
   >   は、米ウィスコンシン大学(University of Wisconsin)の
   >   メアリー・ルイーズ・ロバーツ(Mary Louise Roberts)教授(歴史学)が、
   >   米仏で膨大な量の第2次大戦中の資料を研究してまとめた著作だ。
   >
   >   研究の趣旨についてロバーツ教授は、
   >   「 GI(進駐軍兵士)はたくましい男で、常に正義に基づいて行動する
   >    との典型的な『GI神話』の偽りを暴き出すことだった 」
   >   と、AFPに語った。
   >   教授によると、米軍では当時 「 フランス人に対して優位に立つ 」 手段として
   >   性欲、買春、レイプが取り入れられていたという。
   >
   >   http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2946474/10810152?ctm_campaign=・・・
   >
   > 記事によれば、ロバーツ教授は
   > " 歴史を書き換えたいわけではなく、「フランス側から見た実態」を明らかにすることによって、
   >  ただの「空虚な英雄譚(たん)」にとどまらない「人類の経験の1つ」として
   >  ノルマンディー上陸作戦を捉え直すのが目的だと説明している "
   > そうです。
   >
   > ただし、
   > " 「フランス人に対して優位に立つ」手段として性欲、買春、レイプが取り入れられていた "
   > と書かれている時点でわかるように、その内容はとてつもなく醜いものにしかなり得ません。
   >
   >   米兵たちは、ノルマンディーの人々から「性のアバンチュール」を求めてやってきた、
   >   セックスに飢えた荒くれ者と見られていた。
   >   これは地元ノルマンディーではよく知られていることだが、一般的な米国人にとっては
   >   「大きな驚きだ」とロバーツ教授は述べている。
   >   (中略)
   >   ロバーツ教授は、
   >   (中略)
   >   米軍が未知の国で戦う若者たちを鼓舞する即効策として、意図的に米兵たちの性欲に
   >   訴えかけるプロパガンダを行ったとみられる点も指摘している。
   >
   >   例えば、写真ジャーナリズムの草分けである米誌「ライフ(Life)」は、
   >   フランスを「快楽主義者4000万人が住む巨大な売春宿」と表現した。
   >   また、米軍機関紙「星条旗新聞(Stars and Stripes)」は、
   >   フランス女性を口説くためのフランス語フレーズを連載。
   >   「きみ、とても可愛いね」「たばこをあげようか」「ご両親は今、家にいるの?」
   >   といった会話の糸口を紹介していた。
   >
   >   ロバーツ教授は「米兵の性欲は、いったん火が付くと手が付けられなかった」と記している。
   >
   > 特にひどかったのは、ルアーブルやシェルブールという地方だそうです。
   >
   >   米兵たちは、女性を見れば既婚女性でさえ公然とセックスに誘い、
   >   公園、爆撃を受けて廃墟と化した建物、墓地、線路の上など、
   >   街中いたるところが性行為の場となった。
   >   しかし、全てが両者の合意のもとで行われたわけではなく、米兵によるレイプの報告も
   >   数百件残されている。
   >
   >   ロバーツ教授が調べた資料によれば
   >   「 セックスをしている男女を見かけずに街を歩くことは不可能 」
   >   なほどで、当時のルアーブル市長が米駐留部隊の司令官に改善を求めた
   >   と記されていた。
   >   米軍の上官らは兵士たちの行為について公式な非難声明は出したが、
   >   改善の努力はしなかったという。
   >
   > 暗黙の性犯罪推奨と受け取られるような話です。


   2013年12月27日 暇人\(^o^)/速報
   アメリカの歴代インディアン政策について書いてく
   http://himasoku.com/archives/51822806.html
   > 1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:29:00.94 ID:6P82dOC70
   > アメリカ建国以前
   >
   > ・ 清教徒革命 → 移民
   >
   > アメ 「 イギリス人たち聖書ないがしろにし過ぎぃ! もうイギリスはこりごりだよ!
   >     だから海渡ってきたよ!」
   >
   > イン 「 あんたら、海の向こうから来たって?大変だな。
   >     冬は厳しいから食べ物とかお裾分けするよ 」
   >
   > アメ 「 ありがとう!トウモロコシうまうま。七面鳥うまうま」
   >
   > ※ 最初は割と良好な関係。 移民してきたのは一応敬虔なキリスト教徒だし。
   >   ただし1620代から既に虐殺の記録がある。

   > 4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:30:58.14 ID:6P82dOC70
   > ・ アメリカ独立(1776)前
   >
   > アメ 「 ここからここまで僕の土地ね。 インディアンは出てってね」
   >    ( 1778 最初のインディアン条約 )
   >
   > イン 「 土地を持つって何? あ、ここらへんの土地一緒に使うってこと? わー贈り物だー 」
   >
   > ※ そもそもインディアンに土地を所有するという概念が無かった。
   >   白人が商談を持ちかけられても 「 土地? いーよ使って 」 状態だった。

   > 6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:31:23.18 ID:wgcprmS+0
   > 感謝祭に七面鳥食うのって>>1のこれに感謝してるんやっけ?

   > 9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:34:14.85 ID:6P82dOC70
   > 一方で白人移民の基準では開拓した土地は自分のものだったので、
   > 白人は勝手に柵を作って土地の所有を宣言していった。
   > 自分の領土に勝手に入ってきたインディアンを撃ち殺しても合法。
   > インディアンから見れば 「 一緒に使おうね! 」 って約束だったのに 「 出てけ! 」 と言われ
   > 仲間が殺されてくわけである。 そりゃ怒る。
   >
   > 「 インディアン嘘つかない。 白人みんな嘘つき 」 とはまさにこういう意味である。
   >
   > 字の読めないインディアンに詐欺まがいの口約束で契約を持ちかけたり、
   > 話し合いの前に大量の酒を持ち込み酔いつぶれたところで契約、ひどいとそのまま皆殺しに
   > するような悪辣な手法も行われた。
   >
   > このあたりからアメのぐう畜が目立つ
   >
   > >>6 一応そういうことになってる。
   > ただかなり捏造と言うか、後々散々虐殺してるのにこの時だけ仲が良くて違和感がある。

   > 10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:36:59.10 ID: 6P82dOC70
   > イン 「 つーか見たことのない病気でヤバい。 銃ヤバい馬ヤバい 」
   >
   > 一方移民によりヨーロッパから運ばれた菌に免疫のない先住民はバタバタ倒れていった。
   > 白人から馬や銃を手に入れて優位に立ち因縁の部族に戦争を仕掛ける部族も現れ始め、
   > それを煽ることもあった。
   > このようにインディアンはどんどん勢力を減らしていき、
   > 一方白人は東側から着々と開拓していった。
   > 結果1800年前後にはミシシッピー川より東のインディアンは
   > 「 文明化5部族 」 みたいな例外を残しほぼ姿を消す

   > 11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:39:45.32 ID:Oa/1UJBTO
   > 文明化5部族って何

   > 14:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:43:20.13 ID:6P82dOC70
   > >>11
   >
   > 農業とか、西洋文明の生活スタイルを取り入れて、白人におもねる代わりに
   > 最低限の生活 ( 問答無用でぶっころされない ) を補償された部族たちのこと。
   > まあ強制移住とかさせられて散々だったんですけどね。

   > 16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:45:15.71 ID:hnwOrN3C0
   > 白人 「 あいつら天然痘に弱いんじゃね?良いこと考えたわ 」
   >
   > 白人 「 こんちわ突然ですがこれあげます 」
   >
   > イン 「 アリガトオレイニコレアゲマス 」
   >
   > 数日後インディアンは天然痘になり死亡とか鬼畜過ぎ

   > 19:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:48:04.94 ID:hnwOrN3C0
   > >>16 で白人が渡したのは天然痘患者が使った毛布な

   > 24:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:50:59.55 ID:Oa/1UJBTO
   > >>16
   >
   > 非常に残虐なる人達だ

   > 17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:46:55.26 ID: 6P82dOC70
   > 19世紀
   > アメ 「 もう君たちみたいな野蛮人を交渉相手と認めないよ。
   >     君たち用の保留地をあげるからそこに移住してね! 反論は許さないよ。
   >     従わない部族はGYAKUSATUだよ!
   >     大丈夫、移住先で君たちに 『 文明的な 』 生活を教えてあげるよ!」
   >
   > → インディアン強制移住法(Indian Removal Act, 1830)。
   >   オクラホマに強制移住させられる。
   >   移住の際にろくに食料や毛布等を与えられなかったため、
   >   移動中部族の何割かが死んだ部族もある。
   >   拒否ったらいかry
   >
   > 一方で政府は西部開拓を進めた。
   > 空いた土地には白人が畑と牧場を作り、鉄道と電話線を引いた。
   >
   > 白人 「 ふむ、すこしは文明的な眺めになったな 」

   > 20:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:49:12.58 ID: 6P82dOC70
   > イン 「 ここは父母の眠る土地だ! 離れるわけにいかない! 」
   >
   > → 各種のインディアン戦争勃発。
   >   リトルビッグホーンの戦い、ウーンデッドニーの虐殺などが有名。
   >   直接的な戦闘も多いが、白人達はバッファローを大量に殺すことで
   >   インディアンを兵糧攻めにしていった。
   >   リトルビッグホーンの戦いなどインディアン側の数少ない勝利も、
   >   白人に反撃の大義名分を与えただけだったりする。

   > 22:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:50:46.55 ID:W5D7VrPO0
   > 日本で例えたら江戸時代に白人が侵略してきて、
   > 現在は日本人は北海道や鳥取に数十万人しか生存していないような状況。

   > 27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:55:33.11 ID: 6P82dOC70
   > >>22
   >
   > まさしくそんな感じ。中国人かモンゴルでも可。 実際チベットとかそんな感じだしねー。
   > アメリカ大陸なかったらヨーロッパ人が真っ先に来るの日本だし、
   > 島じゃなく大陸と繋がってたらだいぶ違うだろうねー。

   > 23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:50:50.49 ID: 6P82dOC70
   > ちなリトルビッグホーンの戦いの経過とその後
   >
   > 白人指揮官が無能で陸軍の一部隊が全滅
   >  ↓
   > 指揮官 「 インディアンが奇襲してきたから ( 震え声 ) 」 ← 大嘘
   >  ↓
   > 世論 「 卑怯なインディアンに鉄槌を! 」
   >  ↓
   > 大部隊派遣
   >  ↓
   > イン 「 ゆんやー 」

   > 30:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:58:05.12 ID: 6P82dOC70
   > アメ 「 部族ごとに土地をあげたけど、部族の身分によってもらえてない人がいるね?
   >     女が財産持つとかそもそもおかしいし。
   >     自由の国アメリカとしては許せないから、個人の土地に分けるね!
   >     あっそうそう、余った分は政府がもらうよ!
   >     ( そしてその土地を鉄道会社に売って政府は大儲けだよ ) 」
   >
   > → ドーズ法 ( 1887 )
   >
   > 部族ごとに与えられた土地を、個人に分配すると言う名目で施行された法律。
   > 部族に与えられていた土地を人数で割るのではなく、
   > 成人男性一人につき〇〇エーカー等決められて分配され、余りは全て政府の土地となった。
   > 大体半分弱、多いところでは9割が政府に取り上げられる形となった。
   > さらにこの法にはインディアンに個人所有の概念を押し付けることで
   > 部族としてのまとまりを削ぐ目的があった。
   > 個人のインディアンに土地の売買や賃貸を持ちかけ、相手の無知をいいことに
   > 格安で土地を手に入れる白人農家が大量に出た。
   > 無論政府は見て見ぬ振り。

   > 32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:01:53.86 ID:VSz/ukaG0
   > こんなことしといて日本に植民地ガー言って戦争仕掛ける白人は
   > クズの二枚舌はっきりわかんだね

   > 33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:02:07.38 ID: 6P82dOC70
   > ちなみにこの頃、アメリカ政府の権限は大企業に比べると弱かった。
   > 起業家 「 線路作るから土地よこせ。 税金かけたら・・・わかってるね? 」ぺしぺし(札束ビンタ)
   > 米政府 「 ははー」
   > 意外に思うかもしれないが、今みたいなリーダーシップの強い政府は
   > 1900年頃、セオドア・ルーズベルトまで登場しない。
   > 米政府としては少しでも起業家たちに恩、もとい媚を売っておきたかったのである。

   > 34:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:05:48.76 ID: 6P82dOC70
   > アメ 「 君たちはキリストの教えも英語も知らない野蛮人だから、僕らが教育してあげるよ。
   >     君ら子供達のための学校をつくったよ! もちろん拒否は許さないよ! 」
   >
   > → インディアン寄宿学校。
   >
   > 要するに同化政策。 各部族の子供達を一カ所に集めて「文明的な」教育を施す学校。
   > 英語の使用厳守、名前も西洋風のそれを使わせ、服装は洋服、キリスト教の教える。
   > 部族語を使ったら体罰や 「 汚い言語を使った 」 として石けんで口を濯がされたりされた。
   > 当時の集合写真があるが、子供が一人も笑っていない様は異様。

   > 35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:08:07.27 ID: 6P82dOC70
   > アメ 「 学校では技術を中心に教えるよ! これで仕事にもあぶれないね!(ゲス顔) 」
   > イン 「 故郷に町なんかねーよ!!!」
   >
   > 教育も学術的なことは皆無で、革の加工、靴の製造、裁縫などの技術教育が主だった。
   > だが靴の修繕を学んで保留地に帰っても靴屋なんかないのではっきり言って無意味だった。
   > これによっていくつもの言語が断絶。後継者が絶えた文化は廃れた。
   >
   > 1900年頃にはインディアンは力をほぼ失い、時代から取り残されてく。
   > ぶっちゃけ弱体化しすぎてろくに教科書に出てこなくなる。

   > 37:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:11:34.61 ID: 6P82dOC70
   > 第2次大戦中
   > アメ 「 ちょうどいい荒野があるし、実験に使おう! 国家の一大事だしね! 」
   >
   > → インディアン保留地でプルトニウム精製+核実験のコンボ
   >
   > イン 「 俺たちの・・・土地が!おまえたちが与えた!猫の額のような土地すら、奪うのか!!」
   > アメ 「 (うるさいなあ)この土地は『国家の犠牲地域』と呼ぶことにしたよ!名誉なことだよ!」
   >
   > これに関して政府の保障等は目立って行われていない。
   >
   > 正直この所行が一番鬼畜な気がする。
   > 「 民主主義云々。 ヒトラー許すまじ 」 とか言いながらこれだぜ?

   > 44:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:25:33.60 ID: 6P82dOC70
   > 戦後
   >
   > イン 「 俺たちの土地は荒野だし、農業やっても儲からないし・・・。
   >     そうだラスベガスみたいなカジノ作ろう! 」
   > アメ一般人 「 地域の風紀や治安が悪化する! ギャンブル反対! カジノ反対!」
   > イン 「 てめーらの先祖のせいでこちとら仕事も金もないんじゃボケぇ!」
   >
   > → 裁判
   >
   > 裁判官 「 インディアンカジノ認めるよ 」 (1981)

   > 49:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:34:35.84 ID: 6P82dOC70
   > ちょっと後
   >
   > アメ ( うーんカジノ作られまくると白人の支持がなー。
   >     かと言って禁止にするとリベラル派の連中が・・・ )
   > アメ ( そうだ! ) ピーン
   > アメ 「 部族復興のためにインディアンカジノの存在は認めるよ。
   >     ただし部族の保護が目的だから、現存する部族しか認可しないよ。
   >     人数少ない部族は小さいカジノしか作っちゃだめね 」
   > イン 「 てめーらが絶滅させたんだろうが! 」
   >
   > → インディアン賭博規制法(1987)
   >
   > これによりアメリカ東部にルーツを持つ多くの部族は 「 絶滅 」 しているとして
   > インディアンカジノを開く認可が得られなくなった。
   > 例えばインディアナ州に昔インディアンはいたけど、部族としてはもう体を成してないとして
   > インディアンカジノは一つも認可されてない。 ( 白人経営の普通のカジノは州内に14もある )
   >
   > 全体的に西アメリカ。カルフォルニアとかに多い。
   > http://www.nigc.gov/Reading_Room/List_and_Location_of_Tribal_Gaming_Operations.aspx

   > 55:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:47:28.49 ID: 6P82dOC70
   > 20世紀初頭のインディアンの人権活動家が現れる頃には、比較しがたい格差が出来ており、
   > インディアン固有の文化、伝統、宗教、言語、アイデンティティー等の多くが失われた。
   > よく人種差別の対象として黒人の例が上がるが、彼らはまだ白人の差別に抗する力があった。
   > 歴史上、インディアンには抵抗の機会すらろくに与えられなかった。
   >
   > 現在においても、他の人種とインディアンの間には隔絶した格差が存在している。
   > 今では一部の部族が観光とインディアンカジノでやっと食っていけるくらいで、
   > 失業率は全米平均の3〜10倍、若者の自殺率3倍、平均寿命50代、アル中率激高など
   > とにかく悲惨。
   > 前述したドラッグもメキシコに近い地域を中心に被害に相当あってると思われる。
   >
   > 本当の民族浄化というのはこうやるのである。
   > インディアン達の明日はどっちだ。


   2013年06月02日 情報ごった煮ブログ
   封印された占領下の米兵「日本人婦女子凌辱事件ファイル」
   http://cooljapan2.jugem.jp/?eid=1014

   > ここでは、「戦争と性」の問題を考える上でひとつの史料を提供したい。
   > それは、GHQ占頷下の日本人女性にたいする米兵の「強姦事件」についてである。
   >
   > ----------
   >
   > ■ マッカーサーが厚木に降り立った直後に9件の強姦事件
   >
   > 占領初期のGHQ 1945年9月「月例報告」では、
   > 「 日本人は米兵に協力的であり、占領は秩序正しく、流血なしで行なわれた 」
   > などと記載されている。
   > また、GHQ外交局長W・J・シーボルドは
   > 「 (米軍)戦闘部隊兵士の行動は、特に感銘すべきものであった 」、
   > 「 米兵たちはジャップの女なんかには、手を出す気もしない 」
   > と記している (『マッカーサーの日本」1970年刊、新潮社より)。
   >
   > しかし、これら米国側の記録は、事実ではない。
   > この米軍の「嘘」を暴く鍵は、占頷下の1945年10月4日に解散させられた
   > 「特高(特別高等)警察」(約6000人)の記録の中にある。
   > 米軍進駐後、「特高」は「治安維持法」に基づく監視の必要もなくなり、
   > もっぱら進駐軍の素行調査をしていた。
   > 前掲の 『マッカーサーの日本』 にこの記録のことが一部記されており、
   > 原本をこの目で確かめてみたいと思った筆者は、国立公文書館でこの資料を発見した。
   > 手書きの原本が白日の下に晒されるのは今回が初めてだろう。
   >
   > そのファイルが377ページに及ぶ「進駐軍ノ不法行為」(内務省警保局外事課)である。
   > マッカーサーが厚木に降り立った8月30日から10月4日の解散命令までの
   > 米軍の不法行為を特高警察が取り調べたファイルを内務省警保局がまとめたものだ。
   >
   > ファイルによれば1945年8月30日〜9月10ロの12日間分だけでも
   > 強姦事件9、ワイセツ事件6、警官にたいする事件77
   > 一般人に対する強盗・略奪など424件
   > (この中には、後述するような理由で強姦事件も含まれていると考えられる)。
   > 特別事件として
   > 「葉山御用邸侵入」「二重橋ニ侵入皇居撮影事件」「宮様御用列車ニ同乗未遂事件」
   > などが発生している。
   >
   >
   
   「8月30日の記録と8月30日〜9月10日の統計」(SAPIOより)
   >
   >
   > ----------
   >
   > 「特高」は解散命令が出た10月4日の記録も残している。
   > その日の記録には
   > 「 公僕学校、倉庫等ニ侵入シ保管品等ヲ不法徴発 被害発生場所屋内10件 屋外10件 」
   > 「 両国ノ浴場ニテ女性暴行未遂事件 」
   > などとある。
   > 掠れたページもあり、正確な数字ではないが、全ファイル約1か月間で少なくとも
   > 強姦37件(未遂を含む)、その他の不法行為945件を数える。
   >
   > 実際、「特高廃止」指令が出ると、全国の「特高」は、書類を焼却してしまった。
   > しかしス特高」の元締「内務省警保局」の秘密報告書は焼却されず、
   > この米軍の不名誉な記録は、没収され、米国に持ち去られたのだ。
   > その後、実は1973年12月日本に返却され、翌年1月から、国立公文書館に所蔵されていた。
   >
   > ----------
   >
   > 妻36歳、長女17歳に対し拳銃で脅して……
   >
   > 米軍の不法行為を明らかにする前に、敗戦後、日本政府が日本女性を
   > 米軍の「性の暴力」からいかに守るか、苦心惨憺した様子を少し述べてみたい。
   > 日本政府が「慰安所」設置に直接関与したのは、戦時中でなく
   > 占領下の米軍(進駐軍)のためにだったのだ。
   >
   > 1945年8月21日の閣議で近衛文麿国務相が、米軍兵士用の慰安所の設置を主張し、
   > 池田勇人主税局長の裁断で5000万円の貸し付けが決定し、
   > 1945年8月28日「特殊慰安施設協会」(後に、国際親善協会RAAと改称)が設立された。
   >
   > その目的は、「関東地区駐屯軍将校並びに一般兵士の慰安施設」となっていた。
   > GHQは、1945年9月28日、都内の占領軍人用売春街を指令している。
   >
   > しかしこれでも日本人婦女子の貞操が守れなかったのである。
   > 実際は主権回後後まで膨大な数の女性が「強姦」されていた。
   > ファイルに記された調書をつぶさに見ていこう
   > ( 公開された文書は被害者の氏名などが黒塗りにされており、その部分は省略して記す )。
   > 強姦事件は、米軍の進駐とほぼ同時に始まっている。
   > 8月30日は横須賀に海兵隊が上陸した日だが、いきなり事件が発生している。
   >
   > ----------
   >
   > 強姦事件
   >
   > (一) 八月三十日午後六時頃横須賀市OO方女中、34右一人ニテ留守居中、
   >    突然米兵二名侵入シ来リ、一名見張リ、一名ハ二階四畳半ニテ○○ヲ強姦セリ。
   >    手ロハ予メ検索ト称シ、家内ニ侵人シ、一度外ニ出テ再ビ入リ、
   >    女一人ト確認シテ前記犯行セリ
   >
   > (二) 八月三十日午後一時三十分頃横須賀市○○方。
   >    米兵二名裏ロヨリ侵入シ、留守居中ノ右同人妻当○○三十六年、
   >    長女○○当十七年二対シ、拳銃ヲ擬シ威嚇ノ上、
   >    ○○ハ二階ニテ、○○ハ勝手口小室ニ於テ、夫々強姦セリ(以下略)》
   >
   > 同9月1日、房総牛島に米軍上陸。 ここでも事件発生。
   >
   > 《 ○○方ニ侵入セル米兵三人ニ留守番中ノ妻(ニハ)
   >  (中略)
   >  奥座敷ニ連行、脅迫ノ上ご三人ニテ輪姦セリ 》
   >
   > 《 九月一日午後六時頃トラックニ乗リタル米兵二名
   >  (中略)
   >  市内○○ニ来り女中一名(24)連レ去リ
   >  (中略)
   >  野毛山公園内米兵宿舎内二於テ米兵二十七名(ニ)輪姦サレ
   >  仮死状態ニ陥リタルモ
   >  (中略)
   >  三日米兵ニヨリ自宅迄送り届ケラレタリ 》
   >
   > このような記載が「特高」解散の10月4日まで続く。
   >
   > 《 九月十九日夜十一時頃、(横浜市)保土谷区、出征中○○妻(27)、
   >  (中略)
   >  ニ侵入シ「ジャックナイフ」デ情交ヲ迫リ、被害者之ヲ拒否シテ戸外二逃避セルヲ
   >  (中略)
   >  畠(畑)ニ連行、三名ニテ輪姦シタル。
   >  更二連中ノ三名ノ黒人兵ガ同所二於テ輪姦逃走セリ 》
   >
   > 調書を総覧すると、米兵の蛮行が眼前に浮かんでくる。
   >
   > 警察官はいたるところで暴力を振るわれ、拳銃を取り上げられている。
   > 一般人は、「乗用車」「ラジオ」「現金」「腕時計」「背広」や「ゲタ」まで、
   > 手当たり次第に強奪されていた。
   >
   > 《 九月二日午前十一時三十分頃武装米兵六名ハトラックニテ
   >  横浜市中区山手町二ー二番地共立女学校内、校長神保勝也二侵入各室ヲ物色シタル後
   >  現金二千七百十圓及ウオルサム腕時計一個ヲ強奪逃走セリ 》
   > とこのような「強奪逃走せり」が続くのだ。
   >
   > その中に、首を傾げたくなる記述がある。
   > それは、「民家に米兵が押し入り、若い女性から腕時計だけ強奪して逃走せり」との記述が
   > 散見することである。
   >
   > 貞操は取り返すことができずとも、せめて当時、貴重だった「腕時計」だけでも、
   > 取り返したいとの思いから被害届を出していたのではと思われる。
   > 先述した945件の強盗・略奪に強姦(あるいは強姦未遂)も入っているのではないかと
   > 考えるのはこのためである。
   >
   > このような状況は、神奈川県民を震撼せしめたであろう。
   > 当時の朝日新聞(1945年9月5日付)は三股見出しで
   > 「神奈川県の女生徒は休校 教職員が家族を巡回指導」 と記している。
   >
   > しかし、9月19日、GHQ「プレスコード」が発令されて以後は
   > 米兵を批判する記事は、新聞紙面からすべて消えている。
   > これで米国は、「強姦」など人道上の米軍の犯罪を封印できたと考えたであろう。
   > しかし記述のように「特高」の調書は、言論統制されてからも継続して綴られていたのだ。
   >
   > ----------
   >
   > 青少年性犯罪者が「米兵の真似して何か悪い」と開き直る
   >
   > 当時の憤りを取材して『黒い春《米軍・パンパン・女たちの戦後》』を
   > 1953年に五島勉氏が出版している。
   > その内容は、調書よりも残酷さがひしひしと伝わってくる。
   > 五島勉氏は1948年から調査を開始し、本人やその家族・友人・事件の目撃者など
   > 1000人にも及ぶ面接にもとづいて占頷下の空白時期をまとめた。
   >
   >
   
   「進駐軍向けの慰安施設の一環として利用された銀座のキャバレー(1945年)」(SAPIOより)
   >
   >
   > -----
   >
   > その中の二九外務省外局・終戦連絡委員会横浜事務局の北林余志子氏の作成した
   > 米軍の横浜市内と県下の一部を含む、不法行動リストによると、
   > 10月末日までで強姦29件となっている。
   > しかも、届け出ない件数は数十倍になると証言しているのだ。
   >
   > 五島氏は 「印刷ミスではない」 と断わってこう記す。
   > 「 T子(十一歳・武蔵野市小学五年生)R子(同)A子(同)の三人は、十月
   >  (中略)
   >  武蔵野の林のなかを仲よく手をつないで歩いていた 」
   >
   > 《 キャンプ・トコロザワの近くで夢中でスケッチをしていると、まずR子がおそわれ、
   >  次々に米軍の餌食になってしまったのだ。
   >  彼女達のスカートは切られ、何か起こったのか全然わからなかった。
   >  子とA子は気絶し、T子はまた泣き叫ぶと、アメリカ兵は彼女の顔を蹴り、ジープで去った 》
   > (要旨、以下同)
   >
   > このような事件が全国で続発している中で、1946年4月東京・大森で恐ろしい事件が勃発した。
   >
   > 《 N病院(=中村病院。その後廃業し、跡はビルと道路になった)は
   >  三白のトラックに分乗した米兵によって、およそ一時間ちかくも病院じゅうを荒らされた。
   >  彼等の総数は二百人とか三百人とかという説もある。
   >  婦人患者のうち重症者をのぞく四十故人と看護婦十七人、
   >  ほかに十五ないし二十人の付添婦・雑役婦などが凌辱された 》
   >
   > 「 彼等は大病室に乱入し、妊婦・産婦・病気の婦人たちのふとんを剥ぎとり、
   >  その上にのりかかった」
   > 「 二日前に生まれたばかりの赤ちゃんフミ子ちゃんは、
   >  一人の兵隊にユカに蹴落とされて死んだ 」
   > 「 M子などは続けさまに七人の兵隊に犯され、気絶した 」
   >
   > そして、
   > 「 裸でころがっているあいだを通って、侵入してきたときと同様、彼等は表玄関と裏口から
   >  引き揚げていった 」
   > −− 慄然とする内容である。
   >
   >
   > 安倍首相や駐米大使がひたすら日本は既に「謝罪している」として、
   > 逆に「従軍慰安婦」を既成事実化するかのような姿勢であるのにたいして、
   > 自民党の戸井田とおる議員は2月21日の衆院内閣委員会でこう質した。
   >
   > 「 (決議案を提出した)マイク・ホンダ議員に翻訳して差し上げてもらいたい資料がでてきまし た。
   >  (中略)
   >  これは、官報号外、昭和28年2月27日に載った第15回国会の社会党の藤原道子議員の
   >  質問の議事録です。
   >  (中略)
   >  そこにはこのように書かれてあります。
   >  『 米軍の暴行事件は、昨年十二月まで独立後」独立後ですよ、
   >   「 八ケ月間におきまして千八百七十八件を数え、なお泣き寝入りになっておりまする件数は
   >    膨大な数であろうと想像されております 」
   >
   > 戸井田議員は、この資料で米国に攻めに転じよと言っているわけだ。
   > 同官報にはこう続けられている。
   > 「 各地における青少年の特に性犯罪、学童の桃色遊戯等の取調の際、彼らは係官に対して、
   >  アメリカ兵の真似をしたことがなぜ悪いかと反問し、
   >  大人の世界に精一杯の抗議をいたしておるのであります 」
   >
   > いまだ数々の戦争犯罪に対して、一度も謝罪したことのない米国に、
   > なぜ毅然とした態度で挑まぬのか。
   > 米国は、日本を非難する前に、ワシントン国立公文書館や米軍公文書館で調査してみよ。


 EU - クロアチア共和国

   wikipedia「クロアチア紛争」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/クロアチア紛争 - 1.1第二次世界大戦

   > 1918年にクロアチアは、第一次世界大戦中にセルビア王国が発表した
   > 戦後のバルカン地域の新国家像として南スラブ人による連邦国家の創設と言う提案に同意。
   > セルビア・クロアチア・スロベニア王国の成立に参加した。
   > この王国は1929年にユーゴスラビア王国と名称を変更するが、
   > 当初からこの王国の内政問題の第一はセルビア人とクロアチア人の民族対立であった。
   > ユーゴスラビアはセルビア王国の国王を頂いており、クロアチア人には首都の所在する
   > ベオグラードの政治をセルビア人が独占しているとして不満があった。
   > 1939年には妥協策としてクロアチア人に一定の自治権を認めたクロアチア自治州が
   > 設定されたが、クロアチア人の不満は解消されず、一方でアンテ・パヴェリッチが主導する
   > ウスタシャは公然とクロアチア独立を掲げた。
   > 1941年に突如としてナチス・ドイツがユーゴスラビアに侵攻。
   > ウスタシャはこれに協力して、傀儡国家クロアチア独立国を成立させた。
   > 一方でユーゴスラビア国王に忠誠を誓うセルビア人将校を中心として反ウスタシャ組織、
   > チェトニックが組織され抵抗運動を開始した。
   > ユーゴスラビアでの反ファシズム闘争は、クロアチア人とセルビア人の民族闘争に転化され、
   > この戦闘の中で両民族は民族浄化、レイプ、住民の追い出しをはかり
   > 大量の死者と難民を生み出した。
   > この出来事は1991年以降のクロアチア紛争でも再度論争の的となり、
   > さらに同じような事件が繰り返された。


 EU - オーストリア共和国

 EU - ベルギー王国

   DEMOCRACY NOW!
   ルムンバ暗殺から50年 コンゴ独立の苦難
   http://democracynow.jp/video/20110121-3
   放送日:2011/1/21(金)
   再生時間:11分
   >
   > 1960年、コンゴは春を迎えたはずでした。
   > 豊かな天然資源にめぐまれ「アフリカの宝石」と呼ばれながらも、
   > 19世紀末以来、まずはベルギーのレオポルド王個人の領地として、
   > その後はベルギーの植民地として、象牙やゴム、ダイヤモンドなどの莫大な富を
   > 吸い上げられ、残虐な扱いを受けていた人々が、ついに独立を勝ち得たのです。
   > 独立運動の若き指導者、パトリス・ルムンバが民主的な選挙で首相に選ばれ、
   > コンゴは理想主義と希望にわきあふれるかに見えました。
   > だが、政権は10日も続かず、クーデターで追われたルムンバは逮捕され、
   > 翌1961年1月17日に惨殺されます。 35歳の若さでした。
   > 裏で糸を引いたのは、ベルギーと米国だと言われています。
   > ルムンバは、汎アフリカ主義を唱え、統一コンゴを構想していました。
   > 世界の銅の生産量の約70%を産出するカタンガ州もコンゴの一部だと主張しました。
   > 政治だけでなく経済的にも自立した独立がルムンバの信念でした。
   > ルムンバ暗殺は、そうはいかないと告げました。
   >
   > ベストセラー『レオポルド王の亡霊:植民地アフリカのどん欲、恐怖、ヒロイズムの物語』の
   > 著者、アダム・ホックシールドによると、欧州の植民地大国、そして米国にとって
   > アフリカの独立は、欧州勢が既存の利権を保持することができるという条件付きでした。
   > 政治はくれてやろう、でも経済は渡さない。
   > また、冷戦のさなかにあった米国にとっては、人民や第三世界の経済的権利を説く
   > アジア・アフリカ諸国は、ソ連よりの危険な国を意味したのです。
   > 独立は果たしても、新しい形態の植民地主義は消えませんでした。
   > 形を変えて、20世紀を生き延びたのです。
   > ルムンバ暗殺は、この新たな植民地主義の到来を告げる転回点でもありました。
   > ルムンバ暗殺50年を期して放送されたこのセグメントでは、逮捕されたルムンバが寝返った
   > 元独立運動の盟友モブツにおとしめられる苦難の映像や、元CIAエージェントによる
   > ルムンバ暗殺への米国の関与に関する証言など貴重な映像もみられます。(大竹秀子)


   2013年08月19日 暇人\(^o^)/速報
   ルワンダ大虐殺とかいう19年前の出来事
   http://himasoku1123.blogspot.jp/2013/08/19.html
   > ・ 三か月の間に100万人以上のツチ族が虐殺される
   > ・ ツチ族の女はみんな強姦 
   > ・ フツ族なら署名するだけでAK-47や手溜弾を入手可能
   > ・ 大統領が殺害
   > ・ ツチ族の皇后も惨殺
   > ・ 虐殺に協力しなかったフツ族も虐殺
   > ・ カトリック教会も虐殺に参加(イスラム協会は保護したためイスラム教徒が激増)
   > ・ メディアが虐殺を煽りまくる
   > ・ 200万人の難民が発生
   > ・ 国連は虐殺を知りながら資源もなにもない国だったので見捨てる
   >
   > これ1994年のことなんやで
   >
   >
   >  ルワンダ虐殺は、1994年にルワンダで発生したジェノサイドである。
   >  1994年4月6日に発生したルワンダ大統領のジュベナール・ハビャリマナと
   >  ブルンジ大統領のンタリャミラの暗殺からルワンダ愛国戦線 (RPF) が
   >  同国を制圧するまでの約100日間に、フツ系の政府とそれに同調するフツ過激派によって、
   >  多数のツチとフツ穏健派が殺害された。正確な犠牲者数は明らかとなっていないが、
   >  およそ50万人から100万人の間、すなわちルワンダ全国民の10%から20%の間と
   >  推測されている。
   >  http://ja.wikipedia.org/wiki/ルワンダ虐殺

   > 15:風吹けば名無し:2013/08/19(月) 09:33:20.20 ID:Xl1I0oJ9
   > これベルギーが悪いんやで

   > 30:風吹けば名無し:2013/08/19(月) 09:38:25.16 ID:UrGsGzcl
   > フツ族とツチ族ってベルギーが対立を煽るために分別したんだよな

   > 40:風吹けば名無し:2013/08/19(月) 09:43:05.67 ID:1UWtyc3V
   > 対立煽るっていうかそもそも部族が違う集団を一つの国家に入れる時点で無理があるだろ
   > それまでずっとバラバラやったものをまとめあげて一つにしたら勝手にきしみが出るやろ
   >
   > インドとかもそうやったはず、イギリスがってよりは統一国家国民国家自体に無理がある

   > 61:風吹けば名無し:2013/08/19(月) 09:52:09.69 ID:75JAoCHx
   > >>40
   >
   > もともとは同じ部族なのさ
   >
   > ベルギー人が
   > 「 農耕やっている人たちと牧畜やっている人たちは別の部族に違いない。
   >  学校を作って彼らにこれを教えよう 支配が楽だし 」
   >
   > というのが発端。

   > 60:風吹けば名無し:2013/08/19(月) 09:51:57.59 ID:VGPycr5w
   > 中立国とかいいつつこんな酷いことしてきたのか
   > ドン引き

   > 72:風吹けば名無し:2013/08/19(月) 09:57:39.51 ID:ztPEGUrH
   > >>65
   >
   > いまだに内戦中のコンゴもベルギーだしな
   > イタリア領のソマリアやリビアは言うまでもない

   > 77:風吹けば名無し:2013/08/19(月) 09:58:25.34 ID:iXah8WjQ
   > ルワンダの前にもコンゴ人虐殺しまくって欧州最低の君主と称されたベルギー王
   >
   > コンゴにおける治世の初期は鉄道を敷設したり、アラブ人奴隷商人による奴隷狩りから
   > 黒人を守るなどその近代化に努めるものであったが、経営が赤字になってくると
   > 利益の確保を急ぎ、先住民を酷使して天然ゴムの生産増を図るようになった。
   > 最も重要な資源である天然ゴムにはノルマ制が設けられ、生産量が足りない場合には
   > 手足切断などの罰が加えられた。
   > 過酷な圧政によってコンゴの人口は1885年にコンゴ自由国が建設された時点(3000万人)
   > と比べて70%減少し、900万人にまで減少したといわれる。
   > http://ja.wikipedia.org/wiki/レオポルド2世 (ベルギー王)

   > 96:風吹けば名無し:2013/08/19(月) 10:05:07.24 ID:rzvXZTA9
   > >>77
   >
   > 「ゴムを取って経済に貢献しなきゃ(使命感)」
   > なお奴隷が死にまくった模様

   > 22:風吹けば名無し:2013/08/19(月) 09:35:25.11 ID:cSw3cQA+
   > 約2000人が避難していたキガリの公立技術学校を警護していた
   > 国際連合ルワンダ支援団のベルギー兵が避難民を放置して4月11日に撤退した結果、
   > ルワンダ軍とインテラハムウェによって避難民全員が虐殺された事件
   > (公立技術学校の虐殺)が発生している
   >
   > これとか最低や


 EU - ブルガリア共和国

   2013年11月13日 喧々諤々 - 政治経済関係まとめ
   【SAPIO】韓国、ベトナム戦争の「ライダイハン」を史実から消去画策
   …元韓国兵「強姦したら必ず殺せ。子供も皆殺せ、と聞いた」[11/13]
   http://kenkengakugaku0002.blog.fc2.com/blog-entry-261.html
   > 675: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん 2013/11/13(水) 13:43:24.59 ID:V+xBoZi1
   > 戦争で行われる行為は、基本その侵略国の民度による
   > レイプだ虐殺だといっても、兵隊にその気がなければ起きるわけがない
   > 人食い族が他の民族を攻めて人食いを習慣にしていても、
   > 現代の軍隊が人食いをしないのと同じ論理だ
   >
   > もともと大戦前の日本人はそういったことは他の国に比べて普段行わない民族だった
   > なのに虐殺だレイプだと、非道行為ばかりする軍隊になりうるわけがない
   > 自衛隊が参加したカンボジアのPKOでも、ブルガリアから派遣された兵隊は
   > 元犯罪者が多いといわれるような部隊で案の定、強姦や暴行を行っていた。
   > インドの警察官もまたしかり、かなり評判が悪かった
   > (インドの警察はかなり賄賂や依怙贔屓をするので有名)。
   > それに比べ、他の国の軍隊はもともと一部の評判の悪い軍隊を除いて
   > そういった問題はあまり起きていない。
   >
   > つまり、何がいいたいかというと本来日本軍はある程度の暴力行為ははたらいていても
   > 虐殺など極端なことなどするわけがないということである


 EU - キプロス共和国

 EU - チェコ共和国

   試訳:敗戦国ドイツの惨状
   ―― Nigel Jones、書評『ライヒが崩壊してから』(G. MacDonogh) ――
   http://revisionist.jp/nigel_01.htm
   > チェコスロヴァキアのズデーテン地方のドイツ語を話す人々の小コミューニティ
   > (100万人ほど)のうち、25万人がチェコ人によって虐殺された。
   > チェコ人は時としてぞっとするほど残酷であった。
   > チェコ人に対するナチスの支配は、ロシア人、ポーランド人、フランス人に対する支配よりも
   > 過酷ではなく、SS長官ハイドリヒ暗殺事件は別として、チェコ人はナチスの支配にかなり
   > 迎合的であったがために、チェコ人はとくに復讐心に燃えていた。


 EU - デンマーク王国

 EU - エストニア共和国

 EU - フィンランド共和国

 EU - フランス共和国

   wikipedia「慰安婦」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/慰安婦 - 4.3 フランス軍

   > フランス軍、特にフランス植民地軍では「移動慰安所」という制度(慣習)があった[167][168]。
   > 「移動慰安所」は、フランス語でBordel militaire de campagne、または
   > Bordels Mobiles de Campagne(略称はBMC)と呼ばれ、
   > 第一次世界大戦・第二次世界大戦・インドシナ戦争、アルジェリア戦争の際に存在した[169]。
   > 移動慰安所はモロッコで成立したといわれ[170]、ほかアルジェリア、チュニジアにも
   > 存在した[171]。
   > 慰安婦には北アフリカ出身者が多かった[167]。
   > 現地人女性は防諜上の観点から好ましくないとされた[172]。
   > 秦郁彦は、このフランス軍の移動慰安所形式は、戦地で日本軍が慰安婦を連れて
   > 転戦した際の形式と似ていると指摘している[167]。


   2013年01月31日 ひまログ
   歴史上最もヤバい戦争って何だろうか
   http://hima-log.com/archives/23383226.html

   > 11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/01/27(日) 06:31:48.94 ID:eP1wsLEh0
   > 残虐だったのはフランスのアルジェリア戦争だろ
   > もう残虐非道もいいとこ アルジェリアを火の海にし女子供も関係ない
   > 国ごとハチャメチャにしたからな

   > 15:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/01/27(日) 06:33:01.09 ID:Y+6uMSGH0
   > >>11
   >
   > これは残虐そうですね、、、
   > 植民地にする際に戦争をしたんですか?

   > 21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/01/27(日) 06:36:51.84 ID:eP1wsLEh0
   > >>15
   >
   > 逆植民地だったアルジェリアが独立をかけて闘うんだけど
   > それを宗主国のフレンチが返り討ち、と言うかそんな事させねえよって感じかな
   > でもそれが国際社会から批難かってアルジェリアは独立
   > フレンチは今だに色々優遇してあげてる その一つが移民

   > 23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/01/27(日) 06:38:49.06 ID:Y+6uMSGH0
   > >>21
   >
   > なるほど、フランスにはアルジェリア移民多いですよね ジダンとか
   > 実際のところ、フランスとの関係は一応良好何ですね
   > エジプトとはあまり仲良くないと効きました

   > 38:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/01/27(日) 06:45:21.49 ID:eP1wsLEh0
   > >>23
   >
   > 国家間で一応良好だと思う
   > でも国境関係なしにアルカイダとか他のイスラム武装勢力が
   > 人質ビジネス 麻薬武器の密輸してるからアルジェリアの隣のマリでは今現在
   > フレンチ軍が「空爆」してます
   > なぜマリでフレンチがそんな事してるか
   > マリには1万人近いフレンチがいる
   > これ人質にとられたら最近の日本人のそれとは比べものにならないからな
   > ただアルジェリアにはフレンチはもう軍は送れない 昔酷いことしすぎたから


   wikipedia「アルジェリア戦争」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/アルジェリア戦争


   反日ワクチン
   リンドバーグ日記最終
   (小楠 at 09/26 08:18)
   http://vaccine.sblo.jp/pages/user/m/article?article_id=1326280&page=2
   > 【1945年】
   > 5月17日木曜日
   >
   > フランス軍が占領した数日後のシュツットガルトにいたアメリカ人技術者によると、
   > フランス軍は略戒、強姦、殺戮をほしいままにしたという。
   > が、フランス陸軍の一部をなす黒人部隊のそれは信じ難いまでに悪質だった。
   > 件の技術者は病院で十七回も凌辱された婦人患者を見ている。
   > 「 シュツットガルトの女性は六歳から六十歳まで一人残らず凌辱された
   >  と言って差支えない 」。
   > 技術者の証言は後刻、アメリカ陸軍将校の話により一部が確認された。
   > シュツットガルトでは六千件の強姦が報告され、市民はアメリカ軍がフランス軍と
   > 入れ代わるように懇願しているとのことだ。


   試訳:敗戦国ドイツの惨状
   ―― Nigel Jones、書評『ライヒが崩壊してから』(G. MacDonogh) ――
   http://revisionist.jp/nigel_01.htm
   > 数多くのドイツ軍捕虜が、多くの国々、とくにフランス、合衆国、ソ連、イギリスにおいて、
   > 戦後何年にもわたって、奴隷労働として利用された。


 EU - ドイツ連邦共和国

   wikipedia「慰安婦」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/慰安婦 - 4.2 ドイツ軍

   > ドイツ軍将兵用慰安所
   >
   > ザイトラーの著作によれば、1939年9月9日、ドイツ政府は軍人の健康を守るために
   > 街娼を禁止し、売春宿 (Bordell) は警察の管理下におかれ、衛生上の監督をうけ、
   > さらに1940年7月にはブラウヒッチュ陸軍総司令官は、性病予防のために
   > ドイツ兵士のための売春宿を指定し、それ以外の売春宿の利用を禁止した[162]。
   > 入場料は2-3マルク、高級慰安所は5マルクだった[162]。
   > なお、ソ連のスターリンは売春を禁止していたため、東方の占領地では売春宿を新設し、
   > 慰安婦はしばしば強制徴用されたといわれる[165]。
   >
   > 2005年1月、ドイツで放映されたドキュメンタリー番組
   > 「戦利品としての女性・ドイツ国防軍と売春 (Frauen als Beute -Wehrmacht und Prostitution)」
   > では、ドイツ軍が1904年、フランス人の売春婦を使い官製の慰安所を始め、
   > 後にはポーランドやウクライナの女学校の生徒を連行し、慰安婦にしたことを報じた。


   酒たまねぎ屋
   軍隊と性 ドイツ軍における「慰安婦」
   http://www.tamanegiya.com/doitutoiannfu18.6.14.html
   《前略》
   >
   > しかし、他方、旧ソ連地域などの東欧方面には既成施設が利用はできないために
   > 「西欧では女郎屋の女主人が売春婦の確保につとめ、その代りに収入の半分を手にした。
   > しかし東方では前線司令官たちが売春婦になる少女たちの獲得につとめなければ
   > ならなかった。 その際、強制処置がしばしば取られた。」
   > 「 若い娘で、労働力投入への呼びかけに応じてドイツに行くのはいやだといって拒んだ者は、
   >  二者択一として、国防軍売春宿でしばらく勤務する以外にに選択の余地はなかった。
   >  ユダヤ女性に対してさえもこの二者択一が提案された。
   >  『 やるべきことをちゃんとやれば 』 釈放が保証されるといって
   >  強制収容所で募集された女たちが、東部占領地区の売春宿に連れて行かれたか、
   >  それとも、ラーヴェンスブリュック強制収容所で売春婦に仕立てられていった
   >  女性在監者と同じような運命を辿って、ドイツ国内で使役されるにいたったか、
   >  そこははっきりしていない。
   >  ただ彼女らが美人で使いものにさえなれば、アーリア人であろうとセム人であろうと、
   >  たいして間題ではなかったのだ。」


 EU - ギリシャ共和国

 EU - ハンガリー共和国

 EU - アイルランド

   策略  女性を軍事化する国際政治
   http://www.geocities.co.jp/Bookend-Christie/2517/sub73.html
   《前略》
   >
   > 国家安全保障としてのレイプ
   >
   > もし私たちが売買春と関係つけられた「娯楽的」レイプや戦時レイプにばかり
   > 関心を向けるなら「国家安全保障」に対する脅威と考えられるもので頭がいっぱいの
   > 政権の下で、女性たちを軍事化するためにどのようにレイプが利用されてきたのか
   > 見落としてしまう危険性がある。
   > 国家安全保障というフィルターを通して国内の政治的対抗勢力を見ている全ての政権が、
   > 必ずレイプを行なうわけではない。
   > イギリスのフェミニスト研究者サラ・ベントンは
   > いかなる内紛でのレイプ利用にそれぞれ個別の問いを立てるよう
   > ー つまりレイプを自明のものと考えてしまわないよう ー 私たちに警告している。
   > (1916年のイースター蜂起後のアイルランドの武力紛争を調査した彼女は)
   > イギリスの治安部隊が行なった残酷な手段を用いたことのたくさんの証拠を発見した
   > ・・・1920年代の紛争がジェンダー化されていなかっらとも結論づけはしない。
   > むしろ彼女はさらに踏込んで、イギリス軍によって広範なレイプが行なわれているという
   > アイルランド民衆の思いこみがナショナリズム運動にアイルランド女性を動員するために
   > いかに利用されたか、そして同時にアイルランド女性は無力であり
   > アイルランド・ナショナリストの男性藤氏の「兄弟愛」の庇護を要するのだという
   > イメージを保持するのに、いかに利用されたかを検証した。
   >
   《以下略》

 EU - イタリア共和国

 EU - ラトビア共和国

 EU - リトアニア共和国

 EU - ルクセンブルク大公国

 EU - マルタ共和国

 EU - オランダ王国

 EU - ポーランド共和国

 EU - ポルトガル共和国

   地球を2分割したスペイン・ポルトガルの世界進出
   http://www.history.gr.jp/~showa/310.html
   > ポルトガルは、アフリカ及びインド洋の沿岸地域を中心に、武力を背景として貿易を強行し、
   > インド洋周辺にアラビア勢力を打破してインド洋の制海権を獲得していった。
   > そしてアフリカの西海岸地域のギニアやアンゴラでは黒人奴隷貿易を行った。
   > ポルトガル人は、スペイン人と同様に南米のブラジル地域の原住民を大量虐殺し、
   > このために中南米の原住民人口は激減し、その労働力は底を着いてしまった。
   > そこでポルトガルは、この深刻な労働力不足を補うべく、黒人奴隷貿易でアフリカから
   > 中南米に向けて多くの黒人を送り込んだのである。


 EU - ルーマニア

   2010年11月10日 DARKNESS
   ルーマニアの貧しい女たちの血を吸う現代のドラキュラは誰なのか?
   http://www.bllackz.com/2010/11/blog-post_10.html
   《前略》
   >
   > チャウシェスクが死んでからすでに20年以上も経っているが、
   > それからルーマニアはどうなったのだろう。
   > 実はこのルーマニアは未だに貧困から立ち直れておらず、
   > むしろ混迷の度が拡大の一途になっている。
   >
   > EUに加盟したところで状況は何も変わっていない。
   > むしろ、EU加盟はルーマニアに何もリターンをもたらさないまま、
   > 最近ではEUそのものが瓦解の危機に見舞われている。
   >
   > 人身売買されて東南アジアに送り込まれている白人女性は
   > ロシア(もしくはロシア圏)と相場が決まっていて、
   > ウクライナ・モルドバ・ルーマニアの女性などもアジアで売春させられていた。
   >
   > モルドバはヨーロッパ中で人身売買国家として知られている。
   > ( モルドバから来た娼婦。雨が降ったら、それはお母さんの涙 )
   >
   > 女性が片っ端から欧州各国に売られているようだが、ルーマニアも負けていない。


 EU - スロバキア共和国

 EU - スロベニア共和国

 EU - スペイン王国

   wikipedia「スペインによるアメリカ大陸の植民地化」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/スペインによるアメリカ大陸の植民地化

   > スペインは南米侵略以降、暴虐の限りを尽くし、サント・ドミンゴ、プエルトリコ、ジャマイカ、
   > キューバなどを征服。
   > その先住民およそ100万人を殺すか病死させるか奴隷にした結果、
   > ほとんどが絶滅してしまった。
   > 純血は確実に絶滅してしまったため、いまでは白人と黒人で成り立っている。
   > またインカ帝国、マヤ帝国、アステカ帝国はスペイン人の植民地政策による虐殺または
   > ヨーロッパからもたらされた疫病により人口が激減し、例えば最大で1600万人存在していた
   > インカ帝国の人口は108万人まで減少。
   > アステカ帝国の領域では、征服前にはおよそ1100万人であったと推測される
   > (2500万人とする説もある)先住民の人口が、1600年の人口調査の結果では、
   > 100万人程度にまで激減した。
   >
   > スペインはその植民地政策において、アメリカ合衆国・カナダとは比べ物にならない数の
   > 先住民を一掃してしまった。
   > 生き残った先住民も侵略者である白人と黒人奴隷との混血が進んだ。


   地球を2分割したスペイン・ポルトガルの世界進出
   http://www.history.gr.jp/~showa/310.html
   > スペインは、まずコロンブスが最初に上陸したサンサルバドル島、キューバ、ジャマイカなど
   > 西インド諸島(メキシコ湾東方のカリブ海域の群島)を、我が物顔で次々と支配し、
   > 1521年にはメキシコのアズテク(アステカ)帝国を撃滅、1533年にはペルーのインカ帝国を
   > 撃滅していった。
   > その間スペイン人は原住民を大量虐殺し、生き残った者もことごとく奴隷として酷使した。
   > またスペイン本土よりの粗末な品物と原住民の銀とを交換して大量の銀を本国に持ち帰った。


 EU - スウェーデン王国

   2009年04月28日 Tech insight
   【EU発!Breaking News】独、仏の20倍!欧州で最もレイプ犯罪率の高い国(スウェーデン)
   http://japan.techinsight.jp/2009/04/rapesweden_0904272120.html
   > 現在スウェーデンは、ヨーロッパで最もレイプ犯罪が多い国である事がわかった。
   > 他の北欧諸国と比べてなんと4倍、犯罪率の高いイギリスと比べてみても、
   > その数は2倍まで跳ね上がる。
   >
   > スウェーデンでは現在レイプ被害が10万人の人口の場所で46件報告されている。
   > これはイギリスの23件の倍であり、他の北欧諸国に比べて4倍にもなる。
   > ドイツとフランスに比べてみると、スウェーデンにおけるレイプ被害の数はなんと20倍にも
   > 跳ね上がる。
   >
   > 他のヨーロッパ諸国における、レイプ被害の報告は、年間100件強に対し、
   > スウェーデンではなんと5000件以上である。
   >
   > スウェーデンにおけるレイプ被害の高発生率は、人々のナイトライフに関係すると思われる。
   > 人々は夜にクラブへ行った後に、更に家でパーティーを行い、他にも早い年齢での性行為や、
   > 高いアルコールの消費量などがあげられる。


   取引される少女たち、欧州人身売買の実態
   暗躍する現代の女衒〜北欧・福祉社会の光と影(19)
   http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38257
   > 英国からスウェーデンに移り、落ち着いてしばらくした頃、「リリア 4-ever」という映画が
   > 製作・公開され、国中に一大センセーションを巻き起こした。 2002年のことだ。
   >
   > ソ連崩壊後、連邦から独立した一共和国でストーリーは始まる。
   > 混乱を極め、貧困化する社会の中で、母親は16歳の少女を残し、新しい生活を求めて
   > 男と米国へ行ってしまう。
   > 後で呼び寄せると母親は言ったが、その後少女には何の連絡もない。
   > 養育権なども放棄されており、少女は捨てられたことを悟る。
   >
   > 母が置いていったカネもなくなり、すさんでいく生活の中で、少女は優しい男と出会う。
   > 彼に 「 スウェーデンには仕事がある 」 と言われて一緒に行く約束をする。
   > 偽造パスポートを手渡され、チケットの手配もするが、
   > しかし男は 「 先に行っててくれ 」 と言い、飛行機には乗らない。
   >
   > 到着した空港で彼女を待っていた別の男が、彼女を自分の部屋に連れて行く。
   > セックスを強要され、その後ドアに鍵をかけられて監禁される。
   >
   > それから彼女は毎夜、いろいろな男の部屋へ連れて行かれて売春させられるのだ。
   > 暴力を振るわれ、
   > 「 逃げたら殺す 」
   > 「 警察に行っても、もとの国に帰されるだけだ。 その後、俺の仲間がお前を殺す 」
   > と脅されながら。
   >
   > スウェーデンを震撼させたリトアニア少女の過酷な運命
   >
   > この映画は実話に基づいている*1。
   >
   > 1999年9月、リトアニアに住む16歳の少女ダングールが、
   > 「 スウェーデンに行けばベリー摘みの仕事がある 」
   > と言われて南スウェーデンにやって来た。
   > ほぼ上記のような経緯をたどり、毎夜売春を強要されるという生活を強いられた。
   > 彼女は窓から飛び降りて逃げたのだが、今度はマケドニア人の男らに捕まり、
   > そこでも毎晩何人もにレイプされた。
   >
   《以下略》


 EU - グレート・ブリテンおよび北部アイルランド連合王国 ( イギリス )

   酒たまねぎや
   アーロン収容所にみるイギリス人
   http://www.tamanegiya.com/a-ronnsyuuyoujyotoigirisuj.html

   > 平成19年8月27日月曜日晴れ ○
   >
   > 会田雄次氏はその著書「アーロン収容所」の前文に、捕虜生活において
   > イギリス人については下記のように感じたと書いている。
   >
   > 以下引用
   >
   >  < この経験は異常なものであった。
   >    略)
   >    私たちも終戦になったとき、これからどういうことになるだろうかと、
   >    戦友たちと想像しあった。
   >    ところが実際に経験したその捕虜生活は、およそ想像とかかけちがったものだった
   >    のである。
   >    想像以上にひどいことをされたというわけでもない。
   >    よい待遇をうけたというわけでもない。
   >    たえずなぐられ蹴られる目にあったというわけでもない。
   >    私刑的な仕返しをうけたというわけでもない。
   >    それでいて私たちは、私たちといっていけなければ、すくなくとも私は、
   >    英軍さらには英国というものに対する燃えるような激しい反応と憎悪を抱いて
   >    帰ってきたのである。 異常な、といったのはそのことである。
   >    略)
   >    私達だけが知られざる英軍の、イギリス人の正体を垣間見た気がしてならなかった
   >    からである。 いや、たしかに、見届けたはずだ。
   >    それはおそろしい怪物が、ほとんどの全アジア人を、何百年にわたって支配してきた。
   >    そして、そのことが全アジア人のすべての不幸の根源になってきたのだ。>
   >
   > p四〜五
   >
   > 会田氏が
   > 「 全アジア人を、何百年にわたって支配してきた。
   >  そして、そのことが全アジア人のすべての不幸の根源になってきた 」
   > と書くイギリス人の正体とはどういったものだったのでしょう。
   > 戦時中に捕虜となったもの、あるいは投降者した者を、会田氏のように
   > 非武装解除軍人と連合軍は区別していたが、その一人から会田氏が聞いた話として
   >
   >  < 「 私はミッチーナで重傷を負い、倒れていて英軍に収容されました。
   >     意識を失っていて収容されたのです。 でも、それはどうでもいいのです。
   >     私たちは帰れないかもしれません。 ですから、この話だけはしておきたい。
   >     日本の人にしらせてください 」
   >    「 英軍はひどいことをします。
   >     私たちは、イワラジ河のずっと河下の方に一時いました。
   >     その中州に戦犯部隊とかいう鉄道隊の人が、百何十人か入っていました。
   >     泰麺国境でイギリス人捕虜を虐待して多数を殺したという疑いです。
   >     その人たちが本当にやったのかどうか知りません。
   >     イギリス人はあの人たちは裁判を待っているのだと言っていました。
   >     狂暴で逃走や反乱の危険があるというので、そういうところへ収容したのだそうです。
   >     でもその必要はありませんでした。 私たちは食糧がすくなく飢えに苦しみました。
   >     ああ、あなたたちもそうでしたか。 あの人たちも苦しみました。
   >     あそこは毛ガニがたくさんいます。 うまい奴です。 それをとって食べたのです。
   >     あなたもあのカニがアミーバ赤痢の巣だということを知っていますね。
   >     あの中州は潮がさしてくると全部水に没し、一尺ぐらいの深さになります。
   >     みんな背嚢を頭にのせて潮がひくまで何時間もしゃがんでいるのです。
   >     そんなところですから、もちろん薪の材料はありません。
   >     みんな生のままたべました。
   >     英軍はカニには病原菌がいるから生食いしてはいけないという命令を出していました。
   >     兵隊たちも食べては危険なことは知っていたでしょう。
   >     でも食べないではいられなかったのです。
   >     そしてみんな赤痢にやられ、血便を出し血へどをはいて死にました。
   >     水を呑みに行って力つき、水の中へうつぶして死ぬ。 あの例の死に方です。
   >     看視のイギリス兵はみんなが死に絶えるまで、岸から双眼鏡で毎日観測していました。
   >     全部死んだのを見とどけて、
   >     『 日本兵は衛生観念不足で、自制心も乏しく、
   >      英軍のたび重なる警告にもかかわらず、生ガニを補食し、
   >      疫病にかかって全滅した。 まことに遺憾である 』
   >     と上司に報告したそうです。 何もかも英軍の計算どおりにいったというわけですね 」
   >
   >    とにかく英軍は、なぐったり蹴ったりはあまりしないし、殺すにも滅多切りというような、
   >    いわゆる「残虐行為」はほとんどしなかったようだ。
   >    しかし、それではヒューマニズムと合理主義に貫かれた態度で
   >    私たちに臨んだであろうか。 そうではない。
   >    そうではないどころか、小児病的な復讐欲でなされた行為さえ私たちに加えられた。
   >    しかし、そういう行為でも、つねに表面ははなはだ合理的であり、非難に対しては
   >    うまく言い抜けできるようになっていた。
   >    しかも、英軍はあくまで冷静で、「逆上」することなく冷酷に落ち着き払って
   >    それをおこなったのである。 ある見方からすれば、かれらは、たしかに残虐ではない。
   >    しかし視点を変えれば、これこそ、人間が人間に対してなしうる
   >    もっとも残虐な行為ではなかろうか。>
   >
   > P七三〜七五
   >
   >
   > 「アーロン収容所」にみるイギリス人女性
   >
   > 8月14日火曜日晴れ 暑い
   >
   > 「アーロン収容所」(会田雄次著 中央文庫一九七三年初版)というこの本より
   > 一番多く引用されているだろうと思われる英軍女性兵士にとっての日本人およびアジア人。
   >
   > 以下引用
   >
   >  < 英軍兵舎の清掃というのは、いちばんイヤな作業である。
   >    もっとも激しい屈辱感をあたえられるのは、こういう作業のときだからである。
   >    略)
   >    この雑用は、たとえば掃除にしてみても、便所掃除やゴミ捨場の片付けなど、
   >    いちばんひとのイヤがるところを、いちばん下等な監督者をつけてやらされるのが
   >    ふつうだからである。 便所につまった糞を手で掃除させるぐらい朝飯前であった。
   >    略)
   >    その日は英軍の女兵舎の掃除であった。
   >    看護婦だとかPX関係の女兵士のいるカマボコ兵舎は、
   >    別に垣をめぐらせた一棟をしめている。
   >    ひどく程度の悪い女たちが揃っているので、ここの仕事は鬼門中の鬼門なのだが、
   >    割当てだから何とも仕方がない。 一カ月に一、二回はこの役目にあたるのである。
   >
   >    彼女たちの使役はじつに不愉快である。
   >    略)
   >    それはともかくとして、まずバケツと雑巾、ホウキ、チリトリなど一式を
   >    両手にぶらさげ女兵舎に入る。
   >    私たちが英軍兵舎に入るときは、たとえ便所であろうとノックの必要はない。
   >    これが第一いけない。
   >    私たちは英軍兵舎の掃除にノックの必要なしといわれたときはどういうことかわからず、
   >    日本兵はそこまで信頼されているのかとうぬぼれた。
   >    ところがそうではないのだ。
   >    ノックされるととんでもない格好をしているときなど身支度してから答えねばならない。
   >    捕虜やビルマ人にそんなことをする必要はないからだ。
   >    イギリス人は大小の用便中でも私たちが掃除しに入っても平気であった。
   >    ドアをあけ、ていねいに一礼し、掃き、腹這いになって床をふく。
   >    こういうとき、男であろうと女であろうと絶対にイギリス人を注視してはいけない。
   >    とくに目をあわせるといけない。 大層な剣幕でどなられる。
   >    略)
   >    反抗心のあらわれと解釈されるらしいのである。
   >    略)
   >    タバコをお礼にくれたりするものがあるので、かえってこの仕事を喜ぶ兵隊もいたが、
   >    私は大嫌いだった。 なぜなら、タバコといっても一本か二本をくれるだけなのだ。
   >    しかも、そのときサンクスなどということばは絶対に口にしない。
   >    もっとも私は捕虜の全期を通じ、たしかに私用だと思われる仕事をしたことがあっても、
   >    イギリス人からサンキューということばは一度も耳にしなかった。
   >    おそらくこのことばを聞いた兵隊はいないであろう。
   >    しかも、タバコを手渡したりは絶対にしない。 口も絶対にきかない。
   >    一本か二本を床の上に放って、あごで拾えとしゃくるだけである。
   >    もらわないと変にこじれて仕事が多くなると困る。
   >    仕方なしに拾うのだが、私の抵抗は、できるだけその女兵士の見ている前で、
   >    働きに来ているビルマ人かインド人の苦力たちにそれをやることである。
   >    「 マスター、チェズテンマーレ(有難う)、マスター 」
   >    とかれらは喜ぶ。
   >    マスターとよばれている私たちを見て、女どもは、不思議そうな不愉快そうな顔をする。
   >    せめてものうさばらしであった。
   >    この女たちの仕事で癪にさわるもう一つのことがある。
   >    足で指図することだ。
   >    たとえばこの荷物を向こうへ持って行けというときは、足でその荷物をけり、
   >    あごでしゃくる。 よかったらうなずく、それだけなのである。
   >
   >    その日、私は部屋に入り掃除をしようとしておどろいた。
   >    一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。
   >    ドアの音にうしろをふりむいたが、日本兵であることを知ると
   >    そのまま何事もなかったように髪をくしけずりはじめた。
   >    部屋には二、三の女がいて、寝台に横になりながら『ライフ』か何かを読んでいる。
   >    なんの変化もおこらない。
   >    私はそのまま部屋を掃除し、床をふいた。
   >    裸の女は髪をすき終えると下着をつけ、そのまま寝台に横になって
   >    タバコを吸いはじめた。
   >
   >    入って来たのがもし白人だったら、女たちはかなきり声をあげ
   >    大変な騒ぎになったことと思われる。
   >    しかし、日本人だったので、彼女らはまったくその存在を無視したのである。
   >    このような経験は私だけでなかった。
   >    略)
   >    ところがある日、このN兵長がカンカンに怒って帰ってきた。
   >    洗濯をしていたら、女が自分のズロースをぬいで、これも洗えといってきたのだそうだ。
   >
   >    「 ハダカできやがって、ポイとほって行きよるのや 」
   >
   >    「 ハダカって、まっぱだかか。 うまいことやりよったな 」
   >
   >    「 タオルか何かまいてきよったがまる見えや。 けど、そんなことはどうでもよい。
   >     犬にわたすみたいにムッとだまってほうりこみやがって、しかもズロースや 」
   >
   >    「 そいで洗うたのか 」
   >
   >    「 洗ったるもんか。 はしでつまんで水につけて、そのままほしといたわ。
   >     阿呆があとでタバコくれよった 」
   >
   >    略)
   >    もちろん、相手がビルマ人やインド人であっても同じことだろう。
   >    そのくせイギリス兵には、はにかんだり、ニコニコしたりでむやみと愛嬌がよい。
   >    彼女たちからすれば、植民地人や有色人はあきらかに「人間」ではないのである。
   >    それは家畜にひとしいものだから、それに対し人間に対するような感覚を持つ必要は
   >    ないのだ。 どうしてもそうとしか思えない >
   >
   > P四五〜五〇
   >
   > 引用終わり
   >
   > < 彼女たちからすれば、植民地人や有色人はあきらかに「人間」ではないのである。
   >   それは家畜にひとしいものだから、それに対し人間に対するような感覚を持つ必要は
   >   ないのだ。>
   >
   > 多くの国を植民地にしていたイギリス人がどのような感情で
   > その植民地の住人に接していたかがよくわかる事例です。
   >
   >
   > イギリス人にとってのアジア人とは
   >
   > 8月29日水曜日くもりのち一時小雨 
   >
   > 会田氏の著書「アーロン収容所」には、ラング−ンにあった元競馬場を使った
   > 英国軍の食糧集積場において、ある時、ビルマ人の泥棒が死んでいた事に対しての
   > 英軍軍曹のとった態度として下記のような記述がある。
   >
   > 以下引用
   >
   > < 若い軍曹が面倒くさそうについて来た。
   >   屍体がうつぶせなのを見て、靴の先で激しく蹴りあげるように額を持ち上げる。
   >   首の骨が折れる。 私はハッとしたが、泥まみれの顔にはどこにも生気はなかった。
   >   「死んでいる」(フィニッシュ)気のなさそうに彼はつぶやいた。
   >   略)
   >   私にはガクンと仰向けられた屍体の顔と、ちょっとそれを見ていて冷たく
   >   「フィニッシュ」と言った軍曹の声と、蹴られた屍体ががっくり頭を落とした状態が、
   >   いまも目に見える。
   >   明らかにここでは一匹のネズミが死んだのであって、人間が死んだのではなかった。
   >   ヨーロッパ人がヒューマニストであるならば、いったいこれはどういうことなのであろうか >
   >
   > p六四〜六五
   >
   > 続けて、これらのイギリス人と日本人との違いについて、会田氏は下記のように書いています。
   >
   > < 私たちは戦争における非戦闘員や捕虜に対する処置によって、
   >   戦争犯罪を追求された。
   >   そして日本人の残虐行為が世界中に喧伝された。 全部がウソだとは言わない。
   >   しかし日本人の行為が残虐であって、この英軍軍曹の行為は残虐ではないと
   >   いえるだろうか。
   >   いわゆる残虐性のなかには習慣の相違、それも何千年もの間のまったく違った
   >   歴史的環境から生まれた、ものの考え方の根本的な相違が誤解を生んだということが
   >   多々あるように思われる。
   >   私の言いたいことはこうである。
   >   日本人は何千年来、家畜を飼うという経験をしなかった。
   >   とくに食糧としての家畜を飼うことをまったく知らなかった。
   >   つまり日本人は一般的に家畜の屠畜というものに無神経な珍しい民族なのである。
   >   同じアジア人でも、中国人やビルマ人は屠畜になれている。
   >   それ以上にヨーロッパ人は慣れている。
   >   略)
   >   私たちは捕虜を捕まえると閉口してしまうのだ。
   >   とくに前線で自分達より数の多い兵隊をつかまえたりしたら、
   >   どうしてよいか茫然としてしまうのだ。
   >   しかし、ヨーロッパ人はちがう。かれらは多数の家畜の飼育に慣れてきた。
   >   植民地人の使用はその技術を洗練させた。
   >   何千という捕虜を十数人で護送していく彼等の姿には、
   >   まさに羊や牛の大軍をひきいて行く特殊な感覚と
   >   技術を身につけた牧羊者の動作が見られる。
   >   日本人にはそのようなことができるものはほとんどいないのだ。
   >   残虐性の度合いや強弱などというものは、一般的な標尺のあるものではない。
   >   それは文化や社会構造の型の問題で、文化や道徳の高さなどという
   >   価値の問題ではない。
   >   ヨーロッパ人が自分達の尺度で他国を非難するのは勝手だが、
   >   私たちまでその尺度を学んだり、模倣したりする必要はないと思う。 >
   >
   > p六五〜六八
   >
   > そして、こういったヨーロッパ人の屠畜とキリスト教との関係については
   >
   > < しかし、生物を殺すのは、やはり気持のよいものではない。
   >   だからヨーロッパではそれを正当化する理念が要求された。
   >   キリスト教もそれをやっている。
   >   動物は人間に使われるために、利用されるために、食われるために、
   >   神に創造されたという教えである。
   >   人間と動物との間にキリスト教ほど激しい断絶を規定した宗教はないのではなかろうか。
   >   ところでこういう区別感が身についてしまうと、どういうことになるのだろう。
   >   私たちにとっては、動物と人間の区別の仕方が問題になるだろう。
   >   その境界線はがんらい微妙なところにあるのに、大きい差を設定するのだから、
   >   その基準はうっかりすると実に勝手なものになるからである。
   >   信仰の相違や皮膚の色がその基準になった例は多い。
   >   いったん人間でないとされたら大変である。
   >   殺そうが傷つけようが、良心の痛みを感じないですむのだ。
   >   冷静に、逆上することなく、動物たる人間を殺すことができる。
   >   ビルマ人の泥棒の屍体を扱った軍曹の姿の中に、私がそういう「冷静」を見たと思った
   >   のは誤りであろうか。
   >   ヨーロッパ人が、人間と動物との境界をずいぶん身勝手なところで
   >   設定するのではないかと私が考えたのは、勝手にそう思ったのではない。
   >   次のような体験があるからである。
   >
   >   私たちの食事に供された米はビルマの下等米であった。
   >   砕米で、しかもひどく臭い米であった。
   >   飢えている間はそれでよかったが、ちょっと腹がふくれてくると、食べられたものではない。
   >   そのう上ある時期はやたら砂が多く、三割ぐらいは泥と砂のある場合もあった。
   >   私たちは歯はこわすし、下痢はするし散々な目に会い、とうとう日本軍司令部に
   >   英軍へ抗議してくれと申し込んだ。
   >   その結果を聞きに行った小隊長は、やがてカンカンになって帰ってきた。
   >   英軍の返答は、
   >   「 日本軍に支給している米は、当ビルマにおいて、家畜用飼料として使用し、
   >    なんら害なきものである 」
   >   であった。 それもいやがらせの答えではない。
   >   英軍の担当者は真面目に不審そうに、そして真剣にこう答えたそうである。>
   >
   > p六八〜六九
   >
   > 現在、我が国においてキリスト教信者は一%以下といわれています。
   > その一神教であるキリスト教における問題点を会田氏は指摘し、
   > いったん人間でないとされたものに対する区別感によるその醜さも書いている。
   >
   > 「 日本軍に支給している米は、当ビルマにおいて、家畜用飼料として使用し、
   >  なんら害なきものである 」 という言葉の通り、イギリス人にとっては日本人、アジア人は
   > 家畜と同じように見ていたことがよくわかります。
   > それは先に引用した英軍女性兵士の態度でもわかります。
   > 「 人間でないとされたもの 」 「 家畜のようなもの 」 に裸を見られても
   > 恥ずかしくはないのです。
   > ですから、そのような「人間でないとされたもの」に負けたのが我慢ならないので、
   > 陰湿な復讐をするのです。
   >
   > それについては、次回に書きます。
   >
   > 会田氏の書いている
   > 「 残虐性の度合いや強弱などというものは、一般的な標尺のあるものではない。
   >  文化や社会構造の型の問題で、文化や道徳の高さなどという価値の問題ではない。
   >  ヨーロッパ人が自分達の尺度で他国を非難するのは勝手だが、私たちまでその尺度を
   >  学んだり、模倣したりする必要はないと思う。」
   > というこの意味は重いと思います。
   >
   >
   > イギリス人の残忍さ
   >
   > 会田氏によると収容所の設置された場所は、これ以上の悪い設置条件がないというような
   > 場所だったようです。
   >
   > 以下同書よりの引用。
   >
   > < 私たちの部隊は、最初はイラワジ河岸のアーロン収容所、
   >   あとはヴィクトリア湖という人造湖畔のコカイン収容所におかれたわけであるが、
   >   前者はラングーンの塵埃集積所と道一つへだてたところであり、すさまじい悪臭と蝿が
   >   私たちを苦しめつづけ、後者は家畜放牧場に接し、とくに集中的な放尿所であった。
   >   他に空地は無限なほど多かったのに、どうしてこういう場所を収容所として選んだのか。
   >   朝夕、太陽にまぶしくシェターゴン・パゴタが金色にきらめく。
   >   その下の菩提樹の繁った丘、芝生で被われた広い原、牛が木鈴を鳴らして遊んでいる。
   >   そのような背景の中では、奇蹟のような汚い場所、そこにわざわざ私たちはおかれた
   >   のである。 やはりそこには英軍当局の明確な目的があったようだと思うしかない。>
   >
   > P七〇
   >
   > そのイギリス人の日本人捕虜の扱いについて下記のように書いている。
   >
   > < これらの収容所の広さは七、八千坪、いやもっとあったかもしれない。
   >   いづれも土に柱をつきさし、屋根に葉っぱをのせ、周辺をアンペラでかこっただけの
   >   細長い小屋がその住居であった。
   >   床はもちろんなく、ドンゴロス(麻袋)などをひいてねた。
   >   中央に三尺ぐらいの通路があり、その両側一間半ぐらいの空間に
   >   めざしのように並んで寝るのである。
   >   英軍からの支給は、ボロボロの衣服と寝具…………蚊帳は一人づりの新品、
   >   雨合羽も割合よいもの、この二つの支給が例外である………と食糧以外は
   >   なんの支給もなく、食器、床材料、タバコその他はみな自給した。
   >   自給とは英軍の倉庫などから調達してくること、つまり泥棒のことである。>
   >
   > P三九〜四〇
   >
   > < 日本軍捕虜に対する英軍の待遇のなかにも、私たちには、やはり、これはイギリス式の
   >   残虐行為ではないかと考えられるものがある。
   >   そして、英軍の処置の中には、復讐という意味が必ずふくまれていた。
   >   問題はその復讐の仕方である。
   >   日本人がよくやっていたような、なぐったりけったりの直接行動はほとんどない。
   >   しかし、一見いかにも合理的な処置の奥底に、この上なく執拗な、極度の軽蔑と、
   >   猫がネズミをなぶるような復讐がこめられていたように思う。>
   >
   > P七〇
   >
   > < 昭和二一年の初秋ごろだったか、雨季あけの心地よい季節であるのに、
   >   私たちの隊はとくに憂鬱だった。 じつに嫌な仕事が廻ってきたのである。
   >   当時の兵隊たちの言葉でいえば「隠亡」作業、つまり英軍墓地の整理である。
   >   略)
   >   私たちに与えられたのは、棺を掘り出し、別の場所へ移す仕事である。
   >   英軍の埋葬は屍体を布でつつみ、寝棺に入れ、その上に英国旗をかけて
   >   五尺ほどの深さの穴へ水平に下ろす。
   >   略)
   >   棺が腐ったものは、塚の土がゴソリとなかへくずれている。
   >   全部くずれかけているものも多い。 そういうのを堀かえし、埋めかえるのだ。
   >   ほとんどの屍体は腐乱最中である。
   >   乾季中に腐ったものは、ミイラのようになっていてまだよいが、
   >   雨季か雨季直前に埋められたものはひどい。
   >   一種の蒸風呂のなかでの腐り方のようなものだからだ。
   >   戦時中の遺棄屍体の方が禿鷹や鳥が整理してくれていてずっと見やすかった。
   >   悪臭で目からボロボロこぼれる。
   >   ウジ虫のかたまりのようなのを素手ではこぼされるのである。
   >   この作業から帰った兵隊はコンビーフのまぜ飯を見てゲーッと言って
   >   当分それを食べられない。
   >   コンビーフは屍体の肉そっくり、飯はウジそっくりだからである。>
   >
   > P七一〜七二
   >
   > 先の会田氏が聞いた日本人捕虜の証言として出てきた、潮が満ちてくると水中に没する
   > 中州に日本人捕虜を閉じ込め、食糧も与えず、カニを生で食うようにしむけ、
   > 赤痢にやられ、死に絶えるまで、岸から双眼鏡で毎日観測していたという英国軍人と
   > 同じ姿がここにあります。
   > 会田氏は一九六二年にこの本を書くにあたって、当時トイレットペーパーに書き綴ったものを、
   > 取捨、配列、つぎあわせたものであり、できるだけ客観性をもたせるために、
   > なるべく伝聞を避け、会田氏自身の体験を主にしたとその前文で書いている。
   >
   > この項つづきます。
   >
   >
   > 「降伏日本軍人」という身分と英軍による捕虜虐殺
   >
   > 平成19年9月24日月曜日曇り
   >
   > 「降伏日本軍人」とは
   >
   > < この作業のとき、私は奇妙な一群を見た。
   >   インド兵のような服装をした日本兵の集団で、私たちと同じ作業をしている。
   >   なぜか私たちをさけている。 ものも言わない。 やがて私たちは気がついた。
   >   戦時中の捕虜、投降者たちである。
   >   それは、捕虜、または戦争捕虜(戦犯者ではない)として
   >   私たち降伏軍人または非武装解除軍人から区別され、中央監獄に収容されている
   >   人々であった。
   >   私は、行き会った一人に「やあ」と声をかけてみた。 顔をそむけて応答してくれなかった。
   >
   >   「 話しようとしても物をいってくれないな。
   >    気の毒だから無理に話しかけることはないけれど、ひどくひがんでいる 」
   >   と小隊長は言った。
   >   日本軍の教育はおそろしい。
   >   「捕虜」たちは、戦争が終わったその時でも、私たちが軽蔑の目で見ているとうたがい、
   >   全身でそれに反撥している。 しかも、自分を恥じている。
   >   私たちは、自分達を立派だと思っていない。
   >   ことにろくろく戦闘もしなかった渡しなど威張れるわけがない。
   >   しかし、こういう人たちを目の前にすると正直なところ、おれは投降はしなかったという
   >   気分がわき、優越者みたいな気になるのを抑えきれなかった。>
   >
   > (p72〜73)と会田雄次氏の著書「アーロン収容所」にも書かれているが、
   > これについて、「日本の反論」(米田健三著)には下記のように書かれています。
   >
   > < 英軍は国際法が定める捕虜の待遇を与えないために「降伏日本軍人」という
   >   あらたな身分をあみ出した。
   >   その日本軍人に対して、粗末な給養で、危険な、あるいは不潔な労働を強いられた
   >   のである。
   >   この問題については「軍事史学」(第三五巻第二号)に掲載された喜多義人論文に詳しい。
   >   それによると、一〇万六〇〇〇名もの将兵が昭和二一年七月以降も「作業隊」として
   >   東南アジアに残され、昭和二三年一月の送還完了までに九〇〇〇人近い死者がでた
   >   という。>
   >
   > 自分達はシンガポールなどにおいてさっさと投降しておきながら、
   > そんな事は忘れて、「アーロン収容所」に書かれているように、もともと、捕虜の立場を
   > 厭がる日本軍の意向が、逆手に取られたのである。
   >
   > また、日本軍将兵が課せられた作業は、
   >
   > < 「 弾薬の海中投棄、採石、樹木の伐採、下水掃除、糞尿処理、
   >    炭塵の立ち込める船倉内での石炭積載作業、一〇〇キロ入り米袋の運搬 」
   >   などで、明らかにハーグ陸戦法規と一九二九年の捕虜条約が禁じた、
   >   過度で、不健康、危険な労働であった。
   >   まさに、緒戦で日本軍に敗れた怨念を晴らすための復讐に他ならなかった。
   >   英軍についていえば、一九四四年六月二二日、インド・アッサム州のミッションで、
   >   一〇〇人以上の日本軍傷病兵が、英軍兵に焼き殺された
   >   ( 「世界戦争犯罪事典」文芸春秋 )。
   >   アッサムの英軍根拠地インパールの攻略を目指した牟田口中将の第一五軍は、
   >   コヒマを占領したものの、英軍の猛反撃を受け後退を開始した。
   >   ミッションを防衛していた歩兵第六〇連隊も移動を始めたが、逃げ遅れて
   >   担架に乗せられたまま路上に放置された夜戦病院の重傷患者一五〇名は、
   >   英軍グルカ兵の手でガソリンをかけられ焼き殺されたのである。>
   >
   > 以上、引用および参考
   > 「日本の反論」(米田健三著 並木書房)
   > 「アーロン収容所」(会田雄次著 中公文庫)
   >
   > 戦場においては日本軍だけがいかにも残酷な行動を取り、
   > 連合軍が紳士的な行いをしたような事をいう人が多いが、決してそういうことばかりではない。
   > どちらにも、英雄的な行動もあり、感動的な出来事もあるが、醜い行いもある。
   > 一方的に先人を断罪するような事は慎んでほしいものである。


   2004年12月28日 不条理日記
   ケニア駐留イギリス軍によるレイプ犯罪
   http://himadesu.seesaa.net/article/1415942.html
   > 駐ケニア英兵、住民に性暴力 三十数年間で2千人被害か
   >
   > ケニアに駐留する英軍兵士が長年にわたり、現地住民に性的暴行を加えてきたとする
   > 問題が、英国の弁護士やケニアの非政府組織(NGO)の調査で明らかになってきた。
   > 三十数年間に最大2000人が被害に遭ったとみられ、うち約650人が英政府に
   > 損害賠償を求めている。
   > 過去に被害を届けた人もいたが、地元警察や英軍に黙殺され、表面化しなかった。
   > 英軍も独自に捜査を進めている。
   > 英軍は、ナイロビの北東約300キロにあるケニア山北側の訓練場などで、
   > 60年代から軍事演習を続けている。 年間3000〜4000人が派遣されるという。
   > 訓練場付近のアーチャーズ・ポスト、イシオロ、ドルドルなどの町には、放牧生活をする
   > マサイ族やサンブル族が多く住んでいる。
   > この地域で住民の権利保護などに取り組むケニアのNGO「インパクト」によると、
   > 1960年代から01年までに、最大で2000人の男女が、英軍兵士によって性的暴行を
   > 受けたとみられるという。
   > 暴行を受けた女性が、加害者の子を出産したケースも多いという。
   > 人権侵害にかかわる訴訟を数多く手がける英国のマーティン・デイ弁護士は、
   > 被害者約650人の代理人として、03年から英政府に損害賠償を求めている。
   > 駐留英軍が83年に7件の暴行事件の報告を受けながら、
   > 何の措置も取らなかったことなどから、組織的な隠蔽の疑いもあると追及している。
   > ケニア中部では00年、英軍が演習で残した不発弾で、住民約80人が死亡するなどの
   > 被害が明らかになった。
   > デイ弁護士は、被害住民228人を原告とする裁判を英国で起こし、02年、和解金として
   > 450万ポンド(約9億円)を英政府から勝ち取った。
   > この訴訟を通じて、性的暴行の問題を知ったという。
   > デイ弁護士らの追及を受けて、英軍憲兵隊も03年から捜査を始めた。
   > 地元警察の文書を調べたり、被害者から情報を集めたりしている。
   > 今年10月にはケニア当局と英軍が合同で、9年前に暴行を受けて死亡したとされる女性
   > (当時16歳)の遺体を掘り返して検証した。
   > ケニアの医師や弁護士らによるNGO「ジェンダーに基づく暴力に関する
   > 医療・法律ネットワーク」は、4日間の集中調査で461人の被害者を特定した。
   > 同ネットワーク代表のケニア医師会人権委員長、エミリー・ロゲナ医師は
   > 「 村を追い出され、結婚できないなど、被害後に女性が受ける差別も大きな問題。
   >  被害者への様々な支援が必要だ 」
   > と訴えている。
   > 11月に日本を訪れて各地で講演したところ、駐留米軍による日本人への犯罪との関連で、
   > 多くの人が強い関心を示したという。
   >
   > (12/27 06:10)
   >
   > http://www.asahi.com/international/update/1227/003.html
   >
   > *************************************
   >
   > アサヒ・コムの内容は以上ですが、同日の朝刊国際面には
   > 暴行の被害者の証言も掲載されています。
   >
   > ● ラハマ・ワコさんは、15歳のときイギリス軍兵士4人に暴行され妊娠、
   >   実家を追われ長男を出産しました。
   >   長男は小学校で「ブリティッシュ」とからかわれ、不登校になったそうです。
   >
   > ● サビナ・ヌケデゥさんは、14歳のとき暴行され長男を出産、村で差別を受け
   >   結婚も出来なかったそうです。
   >   15歳になった長男はこの事件の告白を涙を流しながら聞いたそうです。
   >   「 人生を台無しにされた。 自分の手で(容疑者の)英兵を殺したい 」
   >
   > ● ロビン・キティラさんという男性は、10人以上のイギリス兵から暴行されました。
   >   事件後、妻は二人の子供を連れて家を出たそうです。
   >   「 多くの男が襲われたが、沈黙を守っている。 他人に知られたら全てを失うからだ 」
   >
   > ● カウンダ・レトオさんの、事件当時16歳、妊娠6ヶ月の娘はイギリス兵に暴行され
   >   死亡したそうです。
   >   「 当時(9年前)は事件について、英軍に抗議はしなかった。
   >    文句を言えば、もっとひどいことをされると思った 」
   >   10月には、今頃になってイギリス軍が調査の為に墓を掘り起こしたそうです。
   >
   《以下略》

 韓国や北朝鮮,中国、そして軍がレイバー揃いのアメリカが 「 お前が言うな 」 状態にある事は、ある 意味当然としても、EUですら脛に傷を持つ身です。 そもそもEUに関して言えば

   Mar/18/2013
   「ヨーロッパの植民地だった国を全部塗りつぶすと世界地図はこうなる」海外の反応
   http://10000km.com/2013/03/18/colony/

   

   > annonymous 11 mois de ca
   > わかりにくい人いる?
   > 青く塗ったとこが植民地だったとこね

   > annonymous 11 mois de ca
   > 水色はいちおうヨーロッパの影響下にあった事がある国ってかんじ?

   > annonymous 11 mois de ca
   > こうやって地図眺めると俺らヨーロッパ人の世界占領パネエッすw


   2013年08月20日 マダムの部屋
   「世界陸上」を見て思ったこと
   http://blog.livedoor.jp/hanadokei2010/archives/3867137.html
   《前略》
   >
   > 100年前、アフリカや中南米はほとんど白人国家である西欧列強の植民地でした。
   > ではアジアはどういう状態だったでしょうか?
   >
   > 中国(清朝)には欧米列強の租界がいくつもできて、事実上、分割された状態でした。
   > フィリピンはスペインの植民地でしたが、米西戦争でアメリカが勝って
   > 1889年からアメリカの植民地になりました。
   > インドネシアは1799年、つまり18世紀の終わりからオランダの植民地で、
   > オランダの圧政は20世紀の初め、既に100年以上も続いていました。
   > ベトナムは中国(清)の影響下にありましたが、1887年からフランスの植民地になりました。
   > ラオスは1883年からフランスの植民地になりました。
   > カンボジアは1863年からフランスの植民地になりました。
   > シンガポールは1824年からイギリスの植民地になりました。
   > ビルマ(今のミャンマー)は1886年からイギリスの植民地になりました。
   > インドは1877年からイギリスの植民地になりました。
   > つまり19世紀末から20世紀初頭にかけて、アジアで独立を維持できていたのは
   > タイと日本だけだったのです。
   >
   > しかし1904年、日露戦争で日本が勝利したことは
   > アジアやアフリカの有色人種に希望を与えました。
   > 白人には絶対に勝てない、と思いこんでいた黒人や黄色人種は日本の勝利に勇気づけられ、
   > 独立をめざす組織が各国で形成されました。
   > 1926年、インドネシアではスカルノによって「インドネシア国民党」が結成されました。
   > 1925年、ベトナムではホー・チ・ミンが「ベトナム青年革命同志会」を結成しました。
   >
   > 1941年12月8日、わが日本軍が真珠湾を攻撃して始まった大東亜戦争は
   > 日本とアメリカとの戦いというだけでなく、アジアから白人国家を追いだす戦いという
   > 側面もありました。
   > 1945年8月15日、大東亜戦争は終戦を迎えましたが、
   > アジアではその後、植民地だった国々が一斉に旧宗主国に対して独立を宣言しました。
   > オランダ軍は再びインドネシアを植民地にするために戻ってきましたが、
   > わが日本軍が養成した独立軍「ペタ」がオランダ軍を破り1949年、独立を果たしました。
   >
   > 20世紀後半、アジアにはもう白人国家の植民地は一つも残っていませんでした。
   > 世界地図は完全に塗り替えられました。
   > この劇的な変化はやはり大東亜戦争がもたらしたものだと言えると思います。
   > だから、かつて白人支配の悲惨さを経験した東南アジアの国々の人々は
   > 日本人が戦ってくれたことに対して感謝してくれています。
   > それなのに日本人だけが自国の先人の戦った意味について学校で教えられず、
   > 未だに「日本は侵略戦争をした」などという嘘を信じている人が多いのは残念です。
   >
   > 白人も黒人も黄色人種も一緒にスポーツを楽しめる今の平和は100年前にはなかったのです。
   > それをもたらしたのが私たちの先人であるということを私たちは誇りにし、次の世代に
   > 伝えていきましょう。

 植民地から搾取して満喫していた貴族的生活を、日本軍の植民地解放(解放というよりは、単にブン 盗っただけですが)でぶっ壊された恨みを抱いている欧州に言われてもなぁ。 江戸の仇を長崎で討っ ている(しかも空振り)様にしか見えないわ。

 日本に怨みのない奴に袋叩きにされていたなら、「 あれ? 俺達ってもしかして犯罪者の末裔? 」 っ て思わなくもないけど。 国是として反日やっている国家とか、敵兵や敵民間人はおろか、自軍の女性 兵士まで強姦してしまうレイバー軍を抱えた国とか、地球上から一つの人種を滅亡させた虐殺&民族 浄化の歴史を持つ国とか、植民地から搾取する美味しい生活を日本に奪われた恨みが残る国家と か、そんな奴等から非難されたり、解決を求められたりしても、痛くも痒くもありませんし、応じる必要さ えありません。

 この構図は、前科百犯の強盗殺人犯が、初犯でしかも証拠不十分で冤罪らしい万引き犯容疑者を 罵っていたり、前科百犯の強姦魔が、初犯でしかも証拠不十分で冤罪らしい痴漢容疑者を罵っている ようなものです。

 もしかしたら、慰安婦の中に嫌々仕事をさせられていた女性が居たとしても、旧日本軍と日本政府が 行ったのは、清潔で安全な職場環境と十分な報酬でした ( この"報酬”に関しては、後に一部地域に於いては軍 票の乱発によってハイパーインフレが起こり、数十〜数百分の一の価値に成り果ててしまうのですが、それは日本が戦争に負 けてしまったからです )

 自発的に職業売春婦で在ろうとした志願者に対して、( 当時としては ) 理想的な環境を与えただけな のに、虐殺や交配による民族浄化を実行した国々から罵詈雑言を食らうって何の冗談だよw。

 先に鏡を見てから物を言え。



 ILOの条約適用委員会も日本政府に解決を求めています。
 そして、国連人権理事会も日本政府に解決を求めています。

 

   国際労働機関(ILO) ILO駐日事務所
   国際労働基準−ILO条約・勧告
   http://www.ilo.org/public/japanese/region/asro/tokyo/standards/list.htm
   > 2013年8月現在、ILOには189の条約と202の勧告があります。
   > このうち、所期の目的を失い、時代遅れになった条約5、勧告36が既に撤回されています。
   > 条約は批准されない限り、その国で効力を発しません。
   > この他に、既存の文書の改正、補足を行うより簡易な形式のものとして議定書があり、
   > これも発効には批准を要します。
   > 一方、勧告は批准を前提とせず、条約を補足する細則を規定したり、
   > 法律や団体協約の指針等として用いられることを意図して採択されるものです。

 勧告は条約ではありません。 元々、何の強制力もない物です。

 そして既に述べた通り、クマラスワミ報告書もマクドゥーガル報告書も女性国際戦犯法廷判決もアメリ カ下院第121号決議も、まともな証拠に基かずに 「 日本は有責である 」 と結論付けています。
 こんな物は、ニュルンベルク裁判東京裁判の延長線上に在るインチキ裁判モドキでしかありませ ん。

 増してや勧告している側の方が、日本よりも遥かに酷い女性の性奴隷化を行っていたというのに、日 本がそんな理不尽な勧告に従う必要があるでしょうか?

 ありません。

 日本を勧告に従わせたいのであれば、

   旧日本軍または日本政府の命に基づいた将兵が慰安婦を強制連行した

 を証明する証拠を出すしかありません

 日本の謝罪は、
 「 旧日本軍や日本政府は、慰安婦の強制連行に関与していない。
  しかし、日本が進軍した所為で、日本の本土以外に慰安所が作られ、
  そこで慰安婦が働かされた。 その点に関して謝罪の意を表する 」
 です。

 これを

   2007.6.1初稿、2007,7.6補註 オ ピ ニ オ ン ● 国際関係
   ■ 旧日本軍の慰安婦問題 〜 対日非難決議案を阻止すべし
   http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion12e.htm

   《前略》
   >
   > ● 日本よりひどい諸外国の事例
   >
   > 「史実を世界に発信する会」 は、先に引用したように、ホンダ議員に公開質問状を出した。
   > この質問状に添えた資料は、優れた資料であるが、その中から、世界各国の慰安婦事情を
   > 記した部分を引用する。
   >
   > ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
   >
   > ■世界各国に存在した「慰安所」「慰安婦」
   >
   > そもそも、第2次大戦が行われていた1940年代には、軍隊用の売春施設は
   > 特に珍しいものではなく、世界各国に存在していた。
   > なぜなら、「戦場におけるセックス」の問題は、どの国の軍隊にとっても
   > 重要かつ解決困難な課題だったからである。
   >
   > (1) ソ連
   >
   > 世界難民問題研究会協会のドイツ課長であるライヒリンク博士によれば、
   > ソ連赤軍がベルリンまで侵攻してくる間に、190万人の女性が強姦されたという。
   > そのうち140万人は旧ドイツ東部領など、50万人は後のソ連占領地域において
   > 強姦されたとされる。
   > ライヒリンク博士は、強姦の結果として生まれた子供の数をつかむことは不可能だとしつつ、
   > その数を29万2,000人と推定している。
   > 数値の相当性の問題はおくとしても、
   > こうした戦場の現実が「慰安所」の存在を要求するのである。
   >
   >
   > (2) アメリカ
   >
   > アメリカ軍は1945年5月8日時点で、160万人の兵士がドイツに駐留していた。
   > ハイデルベルクの米軍司令部は、45年3月から4月の間に裁判所で487件の強姦が
   > 扱われたとしている。
   > 1943年のシシリー島占領後、米軍はドイツ・イタリア軍が運営していた慰安所を
   > システムと人員ぐるみ引継ぎ、軍医とMPが規制した。
   > アメリカ軍が日本に進駐したとき、最初の1か月、それも神奈川県下だけで
   > 2,900件の強姦事件が発生した。
   > 7年の占領期間中には2,536件の殺人と3万件の強姦事件を起こした。
   > 事態を憂慮したGHQは、ついに東京都に慰安所の設置を要求した。
   > これはうわさや誇張ではなくれっきとした事実である。
   >
   圭坊注:サヨクに言わせると特殊慰安施設協会は、米軍の要請ではないらしい。 だからどうした?という話だが。
   >
   >
   > (3) フランス
   >
   > フランス軍 は45年4月21日にシュツッツガルトを占領した。
   > 福祉・保険関係の責任者になったガウブ教授はこう報告している。
   > 「 女性住民はこの災難に十分な準備がな く、多くの場所で強姦事件が何百件となく起こった。
   >  60歳以上の女性も16歳以下の少女もこれを逃れることはできなかった 」。
   >
   >
   > (4) ドイツ
   >
   > ソ連に侵攻したドイツ軍は、ソ連ではスターリンが売春を禁じていたので、
   > 慰安所を新設せざるを得ず、慰安婦はしばしば強制徴用された。
   > ドイツ本国への強制労働を拒否した若い女性は、代わりに慰安所で働かされた。
   > ユダヤ人も同様であった。
   > ノルウェー、デンマーク、ベルギー、オランダ、フランスでは
   > ドイツ兵の子供が約20万人生まれたといわれる。
   >
   《中略》

 こんな諸外国に罵られる謂れはありません。

 まだ罪を償っていない前科数百犯の強盗殺人鬼が、万引きをした初犯 ( しかも、圭坊に怨みのある 人が発するあやふやな目撃証言しかない ) の圭坊を 「 赦し難い凶悪犯だ 」 と罵っている様なモノで す。

 なんと滑稽なことでしょう。 これが正義に見えるサヨクは異常です。



 日本政府の国際法解釈はあまりに特異なもので、国際社会に通用しないことが明白です。

 戦闘時の興奮状態を引き摺った精神状態で現地の女性をレイプしまくり、現地の男性および投降し た敵兵を嬲り殺しにした各国の戦争犯罪 、そんな悪魔の所業に目を瞑る一方で、慰安所を作って性 処理をさせ、皇軍の名に恥じない進軍した日本軍が悪いと言い張るような・・・そんな国際社会が正義 だというなら、それはそれで構いません。
 ただし、日本政府がそのような偏った正義に迎合しなければならない道理はありません。





 <参考文献>

 戸塚悦朗『国連人権理事会――その創造と展開』日本評論社、2009年

 Universal Periodic Review HP
 http://www.ohchr.org/EN/HRBodies/UPR/Pages/UPRMain.aspx


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